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1. 天皇権の起源

斎権の起源 天皇権の起源鳥越憲三郎朝日新聞社 朝日新聞社 002 一ー 2543 74 ー 0042

2. 天皇権の起源

斎権の起源 天皇権の起源鳥越憲三郎朝日新聞社 朝日新聞社 002 一ー 2543 74 ー 0042

3. 完訳 日本の古典 第十二巻 枕草子 ㈠

枕草子 318 宇多天皇 枕草子関係系図 畠室・源氏系図 醍醐天皇 一品式部卿 敦実親王 三品中務卿 明親王 朱雀天皇 村上天皇 一一品中務卿 兼明親王 前中書王 西宮左大臣 源高明 安和一一年大宰権帥 左大臣 源雅信 大僧正 寛朝 左大臣 源重信 権大納言 源重光 冷泉天皇 四品 致平親王 為平親王 円融天皇 選子 権大納言 俊賢 権中納言、大宰権帥、道長猶子 経房 明子道長室、高松の上 大納言 時中 済政 倫子道長室、鷹司殿 権中納言 道方 宣方 女子隆家室 女子伊周室 花山天皇 三条天皇 右近衛権中将、道長猶子 源成信 参議 源頼定 道隆女 定子皇后 一品准三后 脩子内親王 一品式部卿 敦康親王 娘子内親王 諱懐仁 一条天皇 諱敦成 後一条天皇 諱敦良 後朱雀天皇 道長女 彰子中宮 上東門院

4. 古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか

系」天皇の時代とする通説に対して、この時代の天皇が「天智系」であったと主張してい るわけではないと思われる。 だが、近年は、七〇一 ( 大宝元 ) 年の大宝律令施行の前後から天智を皇 天智は皇統の 統の始祖とする意識が顕著になってきたとする見方が強まっている。 始祖にあらす たとえば、井上亘氏は奈良時代の皇統を「天武系」とする通説を鋭く批 判して、持統以降の王権を「持統系、より本源的には天智系とみるのが妥当」と理解して いる ( 『日本古代の天皇と祭儀』吉川弘文館、一九九八年 ) 。水林彪氏もこの井上説を基本的 に認めた上で、藤堂説にも依拠しながら、七世紀末から八世紀初頭にかけての時期に、 「天武ー草壁ー文武」という「天武系」皇統観念と、「天智ー持統ー草壁ー文武、という そ、つこく 権「天智系」皇統観念との相克があったと述べている。水林説によれば、「天武系」意識と の 智「天智系」意識はやがて「天智系」皇統観念に一元化されていったという ( 「律令天皇制の 皇統意識と神話 ( 上 ) ( 下 )- 『思想』第九六六号・第九六七号 ) 。 出 しかし、水林氏が依拠する藤堂説が、天智を皇統の起点とは見なしていなかったことに 創 留意する必要があろう。藤堂説によれば、天智はあくまでも律令国家の初代天皇、律令国 家の起点となる天皇として認識されていたのである。この点に関して、天智の顕彰と皇統

5. 新潮45 2018年10月号

功は、歴史上ではむしろ例外であり、源大な権力をふるったのだ。時期によって名虎との相撲に勝ち、人臣初の摂政とな 頼朝は大姫の後鳥羽天皇への入内に失敗、は上皇が複数並び立ったが、その中で最った藤房の外孫である清和天皇は、 徳川家康の孫娘和子 ( 東陶院、明正天も力を持ち、皇室の家長として国政にあ初めて川歳未満で即位。道長は待望の外 皇生母 ) の人内が実現したのは家康没後たった上皇を「治天の君」と称し、事実孫であった後一条天皇を数え 9 歳で即位 だっ ( 0 上の君主として君臨した。こうして院政させた。史上最年少で即位したのは院政 後一条、後、後冷泉と三代の天皇期には、天皇の座が皇室の家長と分離し、期の六条天皇で満 0 歳。白河院政期の堀 の外祖父となる道長などは強運の塊なの白河院政は 3 代、後白河院政は 5 代、後河、鳥羽、崇徳もそれぞれ数歳で玉座に である。道長の後を継いだ息子の頼通は鳥羽院政は 3 代と、治天の君の意思によ就いた。天武持統朝の正嫡として祖母持 って天皇が短期間の在位で次々と交代し統上皇の後見下、数え歳で即位した文 年に亘って摂政関白を務めたものの、 武天皇を唯一の例外とし、天皇親政が基 ついぞ外孫に恵まれず、藤原氏を外戚とた。 しない後三条天皇の登場によって、樹承久の乱を主導した後鳥羽を始め三上本で天皇自身に執務能力が必要だった古 政治の全盛期は終わりを告げることとな皇が配流、仲恭天皇はわずか数え 4 歳で代には考えられない事態であった。天皇 った。対立関係にあった三条天皇に譲位廃位と混乱した際には、収論朿として後の外祖父あるいは「内」祖父が意のまま を迫るなど、時には天皇への圧迫も辞さ鳥羽の同母兄である守貞親王が担ぎ出さに実権をふるうためには幼帝は好都合で なかった道長路線も、天皇の権威を独占れ、その呈于が後堀河天皇として即位。あり、樹期と院政期、天皇は実質的な できなければそもそも成り立たないほど天皇の実父である守貞が史上初めて即位権力の在り処ではなかったといえよう。 の経験がないまま上皇 ( 後高倉院 ) とし長きに亘り日本を支配した武家政権も、 に脆弱だったということだ。 後三条の皐十である白河上皇が創始して治天の君となったが、これは、皇位継天皇の権威に大いに頼ったという点では た院政は、譲位したのちの天皇である太承権者にとり天皇の位に就くことよりも摂関政治などと全く同じであるが、同時 上天皇 ( 上皇と略する ) が天皇の「内」治天の君となることが重みを持っというに、天皇を権威の発生源に押しとどめ、 9 時 いわば主客転倒の状況をよく表す最たる実質的な権能を持たせないでおこうと躍 祖父として政治をしたシステムだっ 起になった。名立たる天下人たちが娘ら新 た。白河は、皇子 ( 堀河天皇 ) 、皇孫事例といえるだろう。 ( 鳥羽天皇 ) 、白〕孫 ( 崇徳天皇 ) を次々樹期と院政期に共通するのが多くのの人内を熱心に進めようとしたことから と即位させ、 3 代年近くにわたって絶幼帝の即位だ。外祖父の地位を巡って紀も、究極的には天皇の権威を必要として

6. 天皇権の起源

古代、日本国天皇はどのような存在であっ たか。どのように地歩をかため、どのよう に統治したか。またその強大な権力はどう 推移したか。皇統譜に即して、神なる大王ヾ のありのままの姿を捉え、考証する。 0021 ー 254374 ー 0042 朝日新聞社の本 ネヰ々と天 . 畠の間大和朝廷成立の前夜鳥越憲三郎 950 円 古事記は偽書か 鳥越憲三郎 980 円 斑島の白し、首のうえに聖徳太子論上原和 1400 円 牙 5. 馬壹国の言侖土里古代に真実を求めて古田武彦 1500 円 盗まれた神話記・紀の秘密 古田武彦 1400 円 朝日新聞社 天皇権の起源

7. 天皇の歴史01巻 神話から歴史へ

てはナンセンスであろう。やはりそれぞれの時代の中でどのような特色があり、天皇制が保た れていったかを考えることが大切な気がする。 水林彪氏の権威説 最近出版された水林彪『天皇制史論ーー本質・起源・展開』は、法制史・法社会学の立場か ら、記紀神話から江戸時代まで前近代の天皇制を見通した文字通りのカ作である。 律令制成立以降、幕藩体制消滅までの一一一〇〇年間を「前近代天皇制」として概念化できる とし、天皇は権力を持たない権威であり、天皇は国制の核として権力秩序を正当化していく。 天皇制の時代を超えた存続の理由を「権力を持たない権威」であることに求めたのである。 石井良助氏の不親政論が政治レベルだったのを、支配の正当性のレベルに拡張したともいえ る。これに対してはやはり先に述べたのと同じく、時代を超えた天皇制の本質を想定するとい う議論の前提に違和感がある ( 著者は序論冒頭でそのことを断っているのだが ) 。というより日本 の 史のすべての時代の天皇に共通するなにかを求めれば、権威が残るのは当然の結論であり、最 史 歴 初から答えはみえているような感じもある。また具体的にどのような権威なのかという点、特章 め 序「た に宗教的な意味についてーー本書で議論するのは法史学の次元であり、宗教問題の次元でない として著者が意識して避けているのだがーーやはり検討しなければ意味がないように思う。さ らに古代についていえば、権力論だけで権威の間題の考慮がないと問題があるのと同様に、天

8. 植民地残酷物語 : 白人優越意識を解き明かす

ー第四章ー他国に類例を見ない日本の統治形態 日本の国体ー徳をもって治める 日本の天皇は、その成立背景、存在意義、権力構造、民との関係など、どれをとっても日本 あまた 固有のものであり、世界に数多存在する他の国の元首とは異なっている。 ョ 1 ロッパの絶対君主制に反対して起きたのが民主主義である。近代に入ると世界では君主 から権力を取り上げ、国民がこれを手にするための戦いが繰り広げられてきた。君主主義と民 主主義は対立する概念だった。 ところが日本においては将軍や藩主などの権力者と民衆が対立したことはあっても、古来、 天皇と民衆は対立関係になく、君主主義と民主主義は対立する概念ではない。天皇は将軍など の権力者を超越した存在であり、政治的、軍事的な権力者もその正統性の淵源は天皇に発して きたのである。 天皇の住居は京都御所に見られるように、濠も石垣もない、全く無防備な造りになっている いうこと自体は極めて大切なことであり、今こそ「国体明徴」が求められていると言わざるを 日寸な、 241

9. 完訳 日本の古典 第十二巻 枕草子 ㈠

美作介 中納言 珍材 伊勢守 武蔵守 参議 行義 天智天皇ー三代略 ) ー桓武天皇嵯峨天皇ーー仁明天皇文徳天皇清和天皇陽成天皇 四品中務卿鎮守府将軍鎮守府将軍 貞純親王 [ 経基王源満仲 鎮守府将軍 源満政忠重 駿河守 右大臣 右少将出羽守左馬権頭阿波守 忠隆 源能有ーー当季ー仲舒ーー時明ー方弘 陸奥守 信明 宇多天皇 右大弁 鎮守府将軍加賀守 大蔵卿 公忠 光孝天皇源国紀 信孝ーー兼澄 内蔵頭 ー助信 東宮学士 ー信順 左中弁 ーー明頂 草壁皇子 木工権守 左大臣 右中弁 太政大臣 宮内卿侍読 ( 一条 ) ー道順 左少将 図天武天皇高市親王ーー長屋王ー ( 三代略 ) ー高階峰緒ー三代略 ) ー良臣成忠 系 ー積善 係 関 ー静昭 舎人親王 高内侍 子 草 ー女子貴子 枕 ー女子 左衛門権佐丹波守 敏忠 業遠 平氏・源氏・高階氏系図 中納言 中納言 一品式部卿大納言 葛原親王ーー高棟王ーー・ー平惟範ーーーー時望

10. 新潮45 2018年10月号

に合わせて全国民が各地で唱和するなどの対象となった。憲法発布に先立って内天皇が憲法の規定によって国政に関する 国民を統合する機能を果たしている。今度が発足していたが、内閣及び内閣権能を有しないとしても、歴史的に考え 後、譲位が常能花すれば、崩御されるの総理大臣はそれらを規定する条文すら置れば天皇親政との親和性が高い。現在の は上皇のみ、我が国は「天皇の逝かないかれず、憲法と同時に制定された皇室典象徴天皇が有するのは、政治権力ではな 国」となり、大喪の礼と即位の礼の分散範での摂政再置は、皇族摂政という天皇く象徴としての権能であり、憲法上に規 挙行も慣例となろう。私としては一抹の親政を補完する制度としてだった。 定された国事行為を包含しつつ、「伝統 寂しさを覚える次第だ。 こうした流れの中で否定されたのが譲の継承者として ( 中略 ) 国民の安寧と幸 位であり、明治典範の眼目の一つが終身せを祈る」宮中祭祀や「全国に及ぶ旅」 現代版の天皇親政 在位制で、第川条によって白一位継承が天としての行幸が中核としてお一一一口葉の中で 豊富な歴史的事例を基にしたこれまで皇崩御に限定されたことで上皇も姿を消位置付けられている。第一一次大戦での敗 の議論を整理しつつ、天白一陛下が理想とした。元来、譲位とは天皇に纏わる最も戦と占領軍主導による日本国憲法制定に されておられる皇室像について改めて考権力的な行為である。というのも、権威よって、天皇親政は完全否定されたかに えたい。江尸時代までの天皇を分類するの発生源である玉座を擁するか否かが政みえるが、実際には天皇が手にする権能 と、天皇以外が執政権を握った摂関政治、権の死命を制するからであり、その玉座が天皇大権から象徴としての権能に変化 院政、武家政権という天皇不執政と、神に誰を据えるかということ自体が権力のしただけで、その在り様は大きくは変化 武創業に象徴される古代、延喜天暦の治、根本贈に直結していたからだ。近代にしていない。皇室典範も改正を余儀なく 建武の中興という天皇親政に大きく一一つ導人された終身在位制とは、こうした譲されたが、終身在位制が維持されるなど、 に分けることができる。 位の在り方を政変や騷乱の根源と捉え、骨格はほぼそのままだ。 明治維新は後者を理想型とし、起点と譲位を封じ込めることで皇室と国家の安 いわば「現代版の天皇親政」という天 なった王政復古の大号令では天皇親政の定を図ろうとするものだった。 白一陛下のお考えは、こうした象徴として 障圭惕として摂政関白、幕府がいち早く 形だけの在位は望ましくないと天白の権能を白一蔟摂政が代行するのではなく、 廃絶された。こうした理想は明治憲法で下はお考えだ。形ばかりの在位とは、天現に位にある天白身が行使すべきだと 法文化され、天皇大権を代行する存在は皇の類型では天皇不執政にあたる。これいうことだ。公務遂行可能な者が天皇で 維新の理念を空洞化するとして強い否認を天白嶐下が否定されたということは、あるべきであり、高齢で務めが果たせな October 2016 1 10