検索 - みる会図書館

検索対象: 完訳 日本の古典 第五十六巻 近松門左衛門集

完訳 日本の古典 第五十六巻 近松門左衛門集から 10000件見つかりました。
1. 全訳古語例解辞典 小学館

さく・びやう【作病】〔名〕病気のふりをすること。うその句風のどちらの道を進んだものかと迷「ているというのも、導一一・内侍所都入〉訳さぞかし物悲しく、昔恋しくもおあり になったことだろう。 いてくれる人がいないからなのですと。 う病気。仮病。「つくりやまひ」とも。例「腹が痛いとー・ ・ ) ①手足で捜し求める。然こそ言 ( い ) へそうはいうものの。さすがに。例「この女 や起こし」〈近松・丹波与作待夜の小室節・上〉訳 ( 雨のさぐ・る【探る】〔他ラ四〕 ~ 2 、まだ追ひやらす」〈伊勢・ 中を行くなど、仕事のつらい時は ) 腹が痛いと仮病を使ってさわって確かめる。例「腹を切らんと腰を , ー・れば、鞘巻をほかへ追ひやらむとす。 四 0 〉訳この女をよそへ追い出そうとする。そうはいっても、 ( 體 ) 落ちてなかりけり」〈平家・四・信連〉訳切腹をしよう ( 仕事を休みな ( い ) 。 さ さく , もん【作文】〔名〕①漢詩を作ること。また、その漢と腰をさわってみると、短刀は落ちてしまってなかった。匯まだ追い出してはいない。 口さ′」ろもも ロのがたり ) 〔書名〕平安後期の物語。作者は源 狭衣物新 ( 詩。例「ーー・詩序など、いみじく書く人なり」〈徒然草・「鞘巻」ハ、ツバノナイ短刀。 六七〉訳 ( この人は ) 漢詩・詩の序文などを大変うまく書く②尋ね求める。尋ね捜す。例「諸宗の奥旨 ( ) 。ー・・り頼国の娘である楳子増内親王宣旨とする説が有力であ 極めずといふことなし」〈古今著聞集・釈教〉訳諸宗派のるが、大弐三位の説もあり、未詳。狭衣大将とその従 人である。 妹 3 と源氏宮とのとげられぬ恋を中心にそのほかの悲恋を織 ② ( 近世以降の用法 ) 文章を作ること。さくぶん。例奥深い教義も尋ね求め尽くしていない事柄はない。 「ー、に名を得し難波 ( ) の西鶴」〈鶉衣〉訳文筆で名さ・くわん【主典】、一カ〔名〕 ( 上司を佐ける官の意の「佐り混せて物語られる。『源氏物語』の影響を受けた最初の 官」の字音から ) 大宝令の官制で、四し等官の最下位。主頃の作品であるが、それに迫ることはできず、その後物語は 声を博した難波 (= 大坂 ) の井原西鶴。 として、文案作成・公文書管理などをつかさどった。「さう衰退する。 さくら【桜】〔名〕①植物の名。サクラ。桜の木。桜の花。 さこんーのーさくら【左近の桜】〔名〕紫宸殿んの正面 くわん」とも。 襲の色目の一つ。表は白、裏は紫など、諸説あり。 ② 階段の下の東側に植えてある桜。もとは梅であったが、平 参考役所によって当てる漢字が異なる。太政官・神安初期に枯れたのを機に桜に植えかえられた。↓うこんのた 要点「日本書紀」や「万葉集』にも桜は出てくるが、 ちばな 祇れん官では「史」、省では「録」、弾正台では「疏」、 「万葉集』では梅を詠んだ歌の方がすっと多い。桜が 使では「主典」、職・坊・寮では「属」、司・署では「令さこんーのーちん【左近の陣】 % 〔名〕紫宸殿んで儀式 花の代表的な位置を占めるのは、平安時代の「古今 が行われる時、左近衛府の将官が座を占めた所。紫宸殿 史」、近衛府では「将曹」、兵衛府・衛門府では 集」あたりからである。 「志」、大宰府では「典」、鎮守府では「軍曹」、国司前の東南の廊にあり、公卿の会議にも使われた。↓うこ では「目」、郡司では「主帳」などと書く。官位の相当んのちん さくらーがり【桜狩り】〔名〕桜の花を尋ねて山野を遊び さこんーのーっかさ【左近の司】〔名〕「左近衛府 ( ん ) 」 も役所によって異なる。 歩くこと。例「またや見む交野 (\ た ) の御野翁 ) のー・花の の異称。 雪散る春のあけほの」〈新古今・春下・一一四〉訳 ( こんなすば らしい光景を ) 再び見ることがあるだろうか ( 難しいことだ ) 。さ・こそ【然こそ】【連語〕 ( 副詞「さ」 + 係助詞「こさこん・の・ばば【左近の馬場】〔名〕「左近衛府 ( ん ) 」 そ」 ) ①そのように。そんなに。そう。例「人の国よりおこせたの管理する馬場。京都の一条西洞院豎 2 とにあった。 交野の狩り場での桜狩りでは桜の花が雪のように散ってい る文 (2) の物なき。京のをも , ー思ふらめ、されど」〈枕草さこんゑーふ【左近衛府】 ' 〔名〕六衛府の一つ。「右 る。時は春のあけほのである。「交野」ハ大阪府枚方 市・交野市付近ノ平野。桜ノ名所。「交 ( 2 ) 」に「難子・すさまじきもの〉訳地方の諸国からよこした手紙で品近衛府」とともに、宮中の警備や行幸の警護などに当たっ 物の添えてないもの ( は興ざめだ ) 。京からの手紙についてもた。陽明門と上東門の間にあった。 ($) し」ノ意ヲ掛ケティル。 げ・げ・ぐる・ ) しそう思うだろうが、しかし。囲京カラノ手紙ニハ、知リタイささ【酒】〔名〕 ( 女房詞 ) 酒。例「わらはもーーにも酔 さくりーあ・ぐ【り上ぐ】〔自ガ下一一〕 ~ ぐ うたほとに、長いことを舞うて、舞入りに致夸つ」〈狂言・比 やっくりをするようにして泣く。しやくりあける。例「ーー・げ世間ノ出来事ガアルカラョイノダ、ト続ケル。 ② ( 逆接の条件句に用いられて ) いくらそのように・ : といって丘貞〉訳私もお酒に酔ったから、長い謡に合わせて舞っ てよよと泣きければ」〈宇治拾遺・一・一三〉訳 ( 子供が ) しゃ も。いくら ( ・ : でも ) 。例「ー・世を捨つる御身ん ) といひて、舞いながら奥に入ることにしましよう。 くりあげてしくしくと泣いたので。 さぐり・あし【探り足】〔名〕 ( 暗い夜などに ) 足先で道をながら、御 (±) いたはしうこそ」〈平家・灌頂・大原御幸〉ささ〔副〕①水が勢いよく流れたり、物にかかったりするさま。 探りながら進むこと。また、その足。例「この道に・ーして、訳いくら世を捨てた身の上だとはいいながら、まことにおいたざあざあ。ざぶり。例「賽王丸 ( 御牛を追ひたりけれ ば、足掻 ) きの水、前板までーーとかかりけるを」〈徒然 新古一一道 ( ) に踏み迷ふといへども、道しるべする人しなわしいことです。 日〔副〕 ( 下に推量の表現を伴って ) さぞかし。さだめし。き草・一一四〉訳賽王丸 (= 牛飼イノ名 ) が ( 主人の ) 車の牛を さければと」〈奥の細道・最上川〉訳この道 (= 俳諧料ノ道 ) に ( 踏み込んで ) 探り足している状態で、新しい句風と古いっと。例「ーー物悲しう、昔恋しうもおはしけめ一〈平家・住いらせたところ、牛が足で蹴立 2 てた水が、前板 (= 牛

2. 全訳古語例解辞典 小学館

かった。 の道の後ル」とも呼ばれたが、天武天皇の時代に越の国が歌は ) 大したことはなく、この歌よりよい歌はできなかった。 れ・れ・る・るる・ るれ・れよ ん三分されて越後国とな「た。古くは「えっこ」とも。越州ゑひーし・る【酔ひ痴る】嘴〔自ラ下一 l) ~ ) ひゑばし【烏帽子】〔名〕↓えほし しゅ 0 どく酔って正体がなくなる。酔っぱらって前後不覚になる。ゑーま【絵馬】 = 〔名〕神社や寺 ち 越前 ( ) 弉〔旧国名 ) ( 古くは「えっせん」とも ) 北陸道七例「ありとある上下 ( ) 、童 ( ) まで , ー・れて」〈土佐・に、馬の絵などを描いて奉納 ゑ か国の一つ。現在の福井県の北東部の大部分。古くは越十二月二十四日〉訳そこにいるすべての位の高い者や低する額。願いごとをしたり、そ 咒国の西部にあたり、「越いの道の前駅」とも呼ばれたが、天い者、子供までがひどく酔って正体がなくなって。 れがかなえられたお礼に、神馬 ~ 一お 武天皇の時代に三分されて越前ぜ国とな 0 た。七一八ゑ・ふ【衛府ご〔名〕宮中の護衛や行幸の際の警護などをを奉納する代わりとした。後に引 年 ( 養老一 l) 北部に能登 : と国が分立され、八一一三年 ( 弘司る役所の総称。令制では衛門、左右の衛士兵衛は、馬以外の絵を描いたもの 仁十四 ) には加賀国が置かれた。越州し。 の五衛府だったが、のち、それぞれ左右の近衛れの・衛門 もいう。例「前に板に書きた 越中 ( ち ) チ〔旧国名〕北陸道七か国の一つ。現在の兵衛の六衛府となった。また、その衛府に属する武官。 るーーあり。足の所破れたり」 富山県。古くは越究国に属し、「越いの道の中」とも呼ばれゑ・ふ【酔ふ】簷 ) 〔自ハ四〕 ~ 2 ・ ) 酔う。例「思ふ人の〈今昔・一三・三四〉訳前に板に たが、天武天皇の時代に三分されて、その中部が越中 A きいたくー・・ひて、同じことしたる」〈枕草子・かたはらいたき書いた絵馬がある。 ( その ) 足 れた。越っし。 もの〉訳 ( そばにいてはらはらするもの ) 自分の愛する人がひのあたりが破損していた。 ゑーっぱ【笑壺】 1 〔名〕笑い興すること。 どく酔っぱらって、同じことを ( 何度も ) しているの。例「猛ゑーまきもの【絵巻物】 1 〔名〕 ( 「ゑまき」とも ) 物語・高僧 笑壺に入 ( い ) ・る大笑いする。おもしろくて、笑いころげ ( びく思ひつるみやっこまろも、物にーー・ひたる心地して、うの伝記・寺社の縁起などを、絵または絵と文章で説明し る。例「 , ー・・りたる者どもの、物をば言はすして手を摺っ伏しに伏せり」〈竹取・かぐや姫の昇天〉訳勇ましく ( かた巻物。奈良時代からあるが、平安時代から鎌倉時代に ( ' ) りければ」〈今昔・一尊 = = 〉訳笑いころけている人達ぐや姫を迎えに来た天人と戦おうと ) 思「ていたみやっこまろかけて盛んに作られ、質の高いものが多い。『源氏物絵 が、物を言わすに手を合わせてこすったので。笑イガ (= 竹取ノ翁冖キ ) も、何かに酔ったような気分になって (= 心巻」『信貴山縁起絵巻』「伴大納言璧絵巻』など 止マラズ苦シンティル女房達ガ、許シヲ乞ウティル場ヲ奪ワレウットリトシテ ) 、うつ伏せに伏している。 ゑま・し【笑まし】〔形シク〕 ( 動詞「ゑむ」の形容詞化し 面。 ゑーぶっし【絵仏師】 = 〔名〕仏画を描いたり、仏像に彩色た形 ) 自然とほほえんでしまう様子。ほほえましい。「ゑまは ・しき顔の匂 ゑ・ど【穢土〔名〕① ( 仏教語 ) 汚れたこの世。↓じゃうしたりするのを業とする絵かき。例「ー・良秀 ( ) 家の焼し」とも。例「物思ひの慰めにしつべく、 ど①例「これよりーーを厭 G) ふにいさみなし」〈平家・くるを見て喜ぶ事」〈宇治拾遺・三・六〉訳仏画かきの良秀 ( じひにて、少将の君を取り分きて召し寄す」〈源氏・タ 一 0 ・首渡〉訳今となっては現世を嫌って出家誌するのも気が自宅の焼けるのを見て喜ぶこと話 ) 。 霧〉訳 ( 見て ) 物思いの慰めにしたいほどの、自然とほほえ がすすまない。 ゑふーのーかみ【衛府督】エフ〔名〕六衛府の長官。近衛んでしまうほどの美しい顔をして、 ( タ霧は、侍女の ) 少将の ②糞の別称。例「出 ( い ) でゆくほどに、四条の北なる小府齲では「大将」、衛門府・兵衛府齪うでは「督」とい君を名指しで呼び寄せなさる。 路 ( ) にーーをまる」〈宇治拾遺・ = ・一〉訳出て行く時に、う。 ふ〕響讐〉 ( 「ゑむ」の未 ゑま・ふ【笑まふ】鈩〔自ハ四〕 ~ は 四条の北にある小さい通り (= 京都市ノ錦小路一究ノ ) で大要園近衛大将は従三位、衛門督は正五位上、兵衛督然形十反復・継続の助動詞「ふ」 ) 笑う。ほほえむ。例 便をする。 は従五位上に相当する官で、衛府によって位に差異があつ「心には思ひ誇りてー・・ひつつ」〈万葉・一セ・四 0 一一長歌〉訳 ゑーどころ【絵所】 = 〔名〕平安時代、宮中で絵画に関すた。 心中では自慢に思ってほほえみながら。 ることを司る役所。令制による画工司談が、八〇八ゑふーのーくらうど【衛府蔵人】り〔名〕衛府の武官ゑみ【笑みご〔名〕 ( 動詞「笑む」の連用形の名詞化 ) 笑う 年に廃止され、これに代わるものとして設けられた。中世以で、蔵人を兼任している者。 こと。ほほえみ。花が咲く様子をたとえていうこともある。例 降、大きな神社や寺に、江戸時代には幕府にも設けられゑふーのーすけ【衛府佐】エフ〔名〕六衛府の次官。近衛「物言ひ、 ーーなどしたるロつきの愛敬 ( ぎ ) 」〈狭衣・三〉 府齲では「中将」「少将」、衛門府・兵衛府齪うでは「佐」と訳 ( 姫が ) 物を言ったり、ほほえんだりした時のロ第あ愛ら カゑひ【酔ひ〔名〕 ( 動詞「酔ふ」の連用形の名詞化 ) 酒ないう。 しさは ( 亡き母君にそっくりだ ) 。 え・え・ゅ・ゆる ゆれ・えよ どに酔うこと。また、何かに心を奪われて、本心を失うこと。要点近衛中将は従四位下、少将は正五位下、衛門佐ゑみーさか・ゅ【笑み栄ゅ】 = ミ〔自ャ下一一ニ み 例「ーーのまぎれに、はかばかしからで、これよりまさらす」は従五位下、兵衛佐は正六位下に相当する官であり、兵喜んでにこにこ笑う。にこにこ顔になる。「老い忘れ齢 (# ゑ 〈源氏・藤裏葉〉訳酒に酔って取りまぎれたために、 ( 作る衛佐以外は、藤原氏の子弟が若くして任じられることが多ひ ) 延ぶる心地してー・・えて」〈源氏・明石〉訳老いたこと 八九五 士 6 ゑ

3. 長谷川伸全集〈第16巻〉

舞伎座、銀平は当時の市川寿美蔵 ( 故寿海 ) であった。続いて五月、浅草宮戸座で市川小太夫が演 じ、その後もいろんな役者で演じられている。昭和九年六月、歌舞伎座で六代目菊五郎の銀平、十五 代目市村羽左衛門の卯之吉、先代松本幸四郎の五兵衛、先代市川松蔦のお市という配役の舞台が、一 ばん印象に強い。銀平が二枚目ではなく、女に好かれない男、という菊五郎の演技が、この作品では 正しい。そのとき羽左衛門のため、卯之吉が帆立の丑松の家へ斬り込む一場を、特に作者は書き足し た。しかし戯曲集では、異本あり、とだけあって、割愛されている。 「暗闇の丑松」は、昭和六年の「オール読物』十月号から十二月号に分載された。六代目菊五郎はす ぐ上演したがったが、暗い、というのと、大詰金子市之丞の道場を誰にやらせるか、で上演がのび た。ようやく昭和七年六月の東劇で、菊五郎が校長の日本俳優学校試演会で初演された。しかしその ときの、大詰の金子道場が上演されず、湯屋の釜前の丑松の引込みで幕がおりる、という習慣は戦 後、勘三郎、松緑などに引きつがれてからも続いている。作者は、先代中村吉右衛門の金子市を考え ていたという。丑松をやる役者にしてみれば、大詰の道場をやっては金子市に幕切れをとられる、つ まり金子市ひとりの芝居で幕がおりるので、やはり釜前の引っ込みで幕、というやり方をとりたいの が、役者ごころであろう。だが、次代をつぐ若い役者がこれを上演するとき、いっかはこの金子市の 道場をやってみたい。そのほうが、作者のねらいも一貫するし、丑松にも救いがある 「刺青奇偶」」、昭和年一月作、「改造」」載 000 、そ 0 年 0 ~ ( 月、歌舞伎座〕代菊郎 0 半太郎、当時の中村福助のお仲、十五代目羽左衛門の政五郎で初演された。このときの挿話は、作者 の随筆集『材料ぶくろ』の中にくわしい。菊五郎のあと、勘三郎が半太郎を演じ、お仲は中村歌右衛 、中村芝翫、淡島千景、政五郎は守田勘弥、市村羽左衛門、市村竹之丞、河原崎権十郎などがやっ ている。昨年十一月、松緑が淡島千景のお仲で、はじめて演じた。この作品も今後、くり返して上演 されるだろう。「直八子供旅」は昭和七年十二月の作で、雑誌『舞台』に掲載、八年六月、名古屋御 園座で島田正吾の直八、女房おなつを久松喜世子、黒塚の多九蔵を辰巳柳太郎で初演された。この作

4. 全訳古語例解辞典 小学館

ゆくりか かき人足は報酬をおどし取らない。 で、自分が五位以上の女官。 ②あてどがない。この先不安である。途方にくれている。 ゆする・つき【坏】〔名〕「ゆする」を入れる器。 0 」 0 」〈万葉・一 0 当〉訳途方」 = 0 = 毎日過 0 」行楽。例「 00 間」久 00 【「方〈 0 出 0 = 、心屈」ゆた・か【豊 0 】〔形動一。〕①富《栄 = 〔 0 よ 0 富裕 = 〔 = 0 、」← ~ = 鳴 = 渡 0 = 00 0 = = 0 = 00 悪 ( ・」 00 = 0 」 0 = 、今日」・ 0 〈ー」参 0 ? 存 0 。豊富 0 。例ふ = = 翁 ( 鰭 ) 0000 、ー・」 00 ゆくり・か〔形動一 0 〕不用意【 0 」 0 0 。例心晴 00 〔 = = 0 = 0 〈 0 ミ今日」 00 〈行楽」」」【 0 〔」富《栄 = 〔 0 を ②余裕がある。ゅ「たりとしている。例「高き身となりても、 、ーー・にあはつけきことと思 (<) し知らる出ようと思います。 , ー・に緩 ( じ〈る方 (±) は後 ( 0 ) れ」〈源氏・若菜・下〉訳 れば」〈源氏・胡蝶〉 ( 光源氏は ) ご自分の心ながらも、ゆじゅん【由旬】〔名〕古代イ〉ドの距離 0 単位で、帝王 が一日」行軍する距離。十六里とも = 一十里とも四十里と ( 心の狭〔人は ) 高〔身分とな 0 ても、余裕がありゆ「たりと 0 。例「ー・ = 風吹 = = 、漕 ( = 0 漕」、後 ( 0 ー・ 00 」〈今昔・一・夜 000 = 0 」峡進〈道 0 ゆた・け・し【豊け」】〔形 0 〕①豊 0 0 。盛大 0 0 。 ~ 退 ( 0 ) きに退きて」〈土佐・二月五日〉駅不意に風が吹りは三由旬である。 。・、・。・ ) 全体がいと・・ー・き御祈りなり」〈源氏・若菜・上〉最勝王経・ 〔て、いくら漕〔でも漕いでも、 ( 船は ) 後ろ ~ さがりにさが 0 ゆすりみ・つ【揺すり満っ】〔自タ四〕 ~ 。き , ざわめき」あふれる。皆が騒きたる。例「院の内ー : ち金剛般若経・寿命経 (= イズ」、経典ノ名 ) など、た〔〈ん ゅ・げ【遊戯】〔名・自変〕 ( 「 00 リ「 0 リ 0 ) ①遊 0 = 、思 0 嘆 = 人多 00 」〈源氏・若菜・下〉訳 ( 紫 0 上 0 盛大 0 祈 00 0 。 ②ゅ「たりとしている。広大である。例「海原のーー・き見 と。遊び。例「その王、諸々 ( 翳 ) 0 官人を引き率っそ林病状がよくな【のこ六条院の内はざわめき立「て、心配し つつ葦 ( い ) が散る難波 ( ) に年は経 3 ぬべく思ほゅ」〈万 0 " ) 歌詠 0 、 ) 」 = 」〈今昔・ = ・一 = 〉・ 0 、多 = 0 ゆする【泊】〔名〕洗髪 0 整髪」〔 0 水。 = ・ 0 水葉・き・ 0 = 〈 = 〉訳海原 0 広大 000 0 ・」 = 〔 000 見 = 官《達引 = 連 0 = 林 0 中〈行「 = 遊 00 」を多 = 0 女洗髪 0 整髪・ 000 例よ = 男 0 〕暮 0 下ー 0 」〈徒〔 0 00 難波 0 地年・送 00000 0 ・思 000 。 ②楽 0 ・ 0 」 000 愉快 00 區「〔 = 、、夛 0 考米 0 = 汁、 = 」、「強飯 00 蒸」 0 湯ゅ・たん【油単】〔名〕 0 0 布 0 紙」油・ 0 〔防水」 くて笑いたいと思うけれども。 (= 室内照明器具 ) の敷物を踏んで立 0 たところ、新しい油 変化」形 ) ①靫背負「 = 宮中 0 警備」者。②大騒 = 。・ = 0 = 。例「御髪 0 。話」給、 0 ・」、単」、靴下」何・ 0 ~ 0 0 = 0 「〔」 = 0 なわち、六衛府齪の武官。 ( 藤壺が ) 剃髪螫」る間、御殿内はどよめ〔て、不緑樹新し〔葉が出から古【葉が落ちるので、父から ②「靫負の尉兊よ ) あ略。 子に譲ることのたとえとして、新年などの祝い事の飾りにす 靫負の尉 ( ) 衛門府の = 一等官。例「かの解けたり吉なほど泣き声で満ち満ちた。 得 00 」〈松 0 〉訳 0 任 0 蔵《 0 、 000 ・ = 」 = 」到 0 ) 000 ) ミー・ 0 母発 0 ゅ・づる【弓弦】〔名 = 「 0 〈 00 を 0 ) 00 弦。例「梓 0 咲〔 0 0 を衛門府 = 一等官 0 、今 000 従位」諸人 ( 齲 ) 0 0 」」〈仏足 0 歌〉訳《仏 0 足跡作 0 ( 黔・ ) 末 0 原 0 」鳥狩 ( 0 000 ー 0 絶 9 」思〈 靫 000 ( 、 ) 000 庁。「 0 0 ① = 000 。 0 0 」、 0 」 0 0 、 00 0 」。 = 0 00000 、 0 」、 ( 0 000 ・ 00 0 」 = 」 ゑ それぞれ左右の近衛・兵衛・衛門の六衛府齪。特に、七七ノ仏足石歌体。 ②おどして金品を奪い取る。おどし取る。例「雲助 ( ) 原野」 ( 所在不明。 靫負の命婦翁 0 ' 父兄夫靫負 0 尉 ( ) 」駄賃 0 。 ) 奓ー・ 0 ! 〈東海道中膝栗毛・ = ・上〉訳 00 ゅ・づゑ【弓杖 ' 〔名〕、 0 〈「 八四一

5. 長谷川伸全集〈第10巻〉

衛門、平田吉郎の喜捨と併せて百円とし、林高院に永代供あり、井伊大老上洛の密書、医師本荘敬造の手に入る、本 養料として納めたり。妙徳寺境内に後に三士の碑建つ。林荘又吉輔の交友なり。 吉輔は密書を携えて上京し、知友なる谷森外記に頼り三 董伯の篆額、志賀重昻の撰文、竹内恒孝 ( 丑松 ) の書なり。 「八千草』癸之巻の「連璧集」という中に次の如くあり。条実万に密訴す、為めに幕府の策頓坐したり。この為めに 吉輔、佐一郎、敬造捕われ、安政五年十一一月信楽代官所に 辞世 拘留、吉輔の親族、故旧代官所に召喚さる。 守節男児長如斯 捨生取死亦何疑 文久三年四月池田佐一郎は所払い、本荘敬造は叱責、吉 千古認名有此時 一朝身命成灰土 輔は町預けとなる。吉輔の町預けは判決以前よりなりと云 右、旧藩臣酒田にて死につきし三人の内 、つ 佐藤桃太郎重安 町預中なりしかど西川吉輔は国事に尽す、たまたま伊藤 俊輔、堀真五郎等八幡に来り、上京して国事に尽さんこと を勧む、吉輔喜んで上京し、野呂久左衛門 ( 備藩の老、土肥 西川吉輔 ( 善六 ) 資料 典膳の臣 ) の法皇寺門町の家に仮居す、在京の士、野呂方 を密談所とす。 西川吉輔は幼名を繁吉と云い通称は善六、諱は吉輔又は文久三年二月一一十二日、在京の志士、足利三代の木像を 吉介と云えりと。号多し、蔵六、亀洲、武之舎、君子楼、切り、首を梟す、野呂方にて首を切り、梟示文を書けり。 槓亭、郁子園、合歓園、竹之屋、竹庵、通脱庵、百竹等。二十六日、幕吏は野呂方を襲いしも野呂、西川あらず。一一 文化十三年七月、江州八幡の肥料商の家に生る。西川家十七日、吉輔は番頭佐七をして秘密書類を隠匿せしめたり に ( 矢野逸平談によれば佐七は余り深く知らず、或は逸平が隠匿せし 七代目の養子。大津福源寺の僧教悟に学び、野之ロ隆正 皇学を受け、心を皇典に潜め弘化四年平田鉄胤の門に入か ) 。三月二日、会津、彦根の数百人、八幡町の西川吉輔方 る。 を襲う。吉輔在らず。家を包囲し、尚も人の隠れ得ると疑 安政五年大老井伊直弼、兵を率いて上洛、群議を排し開わる所、簟笥長持、押入等、槍をもって突き試み狼藉乱暴 を極め、書籍、著述、往復書翰等、荷車二輛に積みて押収 港の勅許を得んとすとの説行わる。 彦根藩池田佐一郎 ( 藩医池田愿洞の男 ) は西川吉輔と交りし行けり。

6. 長谷川伸全集〈第7巻〉

る訳ではない。 これらの兵制のうちから、薩邸攻撃には士大砲隊が加わっていた。岩槻藩大岡家の出動させた兵数は 分七組のうちから一組も出さず新徴組と新整組とで約三百よく判らない、五十内外だったろう。、随って当日の激戦は 人、徒士の大砲隊三分隊、足軽組が六組、この一組は二十庄内、上の山の両藩が主で、鯖江藩は上の山藩の右翼とな 五人ずつの銃隊、これらが神田橋内と柳原の藩邸から、西って闘い、岩槻藩は殆ど血を流していない。 丸下の酒井左衛門尉預りの屋敷で俗に伊賀屋敷といったの幕府から朝倉藤十郎、長阪血槍九郎、水上藤太郎が検視 に、夜中に、どンどン繰りこんだ。飯田町に屋敷のある新で同行した。 徴組と新整組も繰りこんだ。指揮は家老石原倉右衛門。大庄内藩の「続藩翰譜後御事蹟』 ( 白井吉郎重高 ) には〃為 = 砲隊の指揮は中世古仲蔵と決定した。 加勢一陸軍方可ニ指遣一、松平大和守、松平伊豆守、松平和 このとき、案内役に立ったものは甘利源次郎というもの泉守よりも人数を可レ出旨被レ命〃とあるが、これは第一線 で、薩邸内の様子に詳しい、間諜ではいっていたという。 と第二線、つまり直接ぶつかるものと後詰とを一緒にして 〃八王子の変〃の間諜は原宗四郎、又は原惣十郎といい、 会津浪人で本名は甘利健次郎だとある、源と健である、同第二線以下には例えば、新庄藩主戸沢中務大輔が竹村直 一人だろう。 記を参謀に、兵を率いて芝増上寺に自ら出馬し、高取藩主 上の山藩松平家は藩主松平伊豆守信庸が自ら出馬し、直植村駿河守は牛込門、信州松代藩真田家は田安門、小諸藩 接の指揮は金子六左衛門 ( 清邦 ) である。金子は金子与三牧野家は大橋というように、諸家に命じて幕府は、大がか 郎といった方が有名である。人数は槍隊 ( 五十人 ) 、銃隊四りな配置をつけたのだった。 隊 ( 二百人 ) 、一一門の大砲を有する大砲隊 ( 三十人 ) 、輜重隊 ◇ ( 五十人 ) 、その他を合して三百余人、そのうち、戦闘員二 百五十人、その他に予備隊として、医師三名、他に下部五庄内藩では早くから薩邸に目をつけ、新徴組からは永矢 十人。 源蔵、中追多内という両人が浪士を扮い、間者にはいっ 鯖江藩間部家の兵力はイギリス式で八小隊三百二十人、た。永矢源蔵の方は観破されずにいたが中追多内の方は間 大砲六門を有する大砲隊、その他に卒隊がある。江戸には者と疑われ、捕えられて責められた。容貌も態度もウス馬 さして多数おらず、このとき出動させた兵数を、庄内側で鹿にみえるこの男は、それでいて強情我慢が人並外れて強 は五、六十人といっているが、尠くとも士隊卒隊で百人に し或るときなどはうしろ手ッこに縛られ、梁へつるされ

7. 全訳古語例解辞典 小学館

峨 ) の帝はーーにおはしまして」〈大和・一吾一〉訳平城を捨て去ること。例「諸縁をー : すべき時なり」〈徒然ない、無作法です」と言って、眉が真っ黒な顔でにらみなさ き天皇が、帝位におっきだった頃、嵯峨天皇は皇太子でいら草・一一 = 〉訳 ( 老い先短い私にとって ) 俗世とのいっさいのかったので。囲一般女性ハ眉毛ヲ抜キ、オ歯黒ヲスルノニ、 コノ姫ハソレヲシティナイ。 かわりを捨てなければならない時である。 うっしやって ( 歌の贈答をなさった ) 。 ① ( 「房」とも表記 ) 僧のいる所。僧坊。また、寺。例「年ばう・ざ【病者】〔名〕 ( 「びやうざ」「びやうじゃ」とも ) 病気要園漢語の「放俗 ( ) 」あるいは「凡俗 ( ) 」の変化した ごろ行ひて、ーーを出 (') づることなし」〈宇治拾遺・〈・六〉の人。例「船君のーー、もとよりこちこちしき人にて」〈土語といわれる。古くは「はうぞく」か。 ( 昔、愛宕豫山にいた僧侶は ) 長い間修行して、僧佐・一一月七日〉訳船の主人である病人は、もともと風流はう・ちゃう【庖丁】チ〔名〕①料理をする人。また、料 心のない人で。紀貫之ガ自分ノコトヲ、ワサトボカシテ理をすること。例「やがて「用経 ( ) 今日 9 のーーはつか 坊から出ることがなかった。 まつらん」と言ひて」〈宇治拾遺・ = ・五〉訳すぐに「 ( 私、 ) 用 ④ ( 「房」とも表記 ) 僧侶。坊さん。例「いづくよりわたり給表現シタモノ。 経が今日の料理はいたしましよう」と言って。 ふ道心の御ーーにや」〈奥の細道・福井〉訳どこからおいではうーし【拍子】はウ〔名〕 ( 「はくし」のウ音便 ) ひやうし ② ( 「庖丁刀 ( た ) 」の略 ) 料理用の刃物。現代の包丁。 はうーじゃう【放生】ジ〔名〕捕らえた鳥・魚などの生き になった行脚のお坊さんでこざいましようか。 伯耆 ( 彎 ) 【旧国名〕山陰道八か国の一つ。現在の鳥物を、生きたままで放してやること。仁政を示したり、功徳考「庖丁」は、もと、中国古典の『荘子』に出てくる料 くどを積んだりするために行う。例「ーーの功徳、かく貴かり理人の名前。 取県西部にあたる。伯州し。 はう・くわ【半靴】〔名〕 ( 「はんくわ」の変化した形 ) 深けるとなむ語り伝へたるとや」〈今昔・ = 0 ・一セ〉放生といはう・ちゃう【方丈】ジ〔名〕①一丈↑約三メートル ) 四 履より頭部が短く浅い靴。木や革で作られ、馬に乗るう善行のもたらすよい果報は、このように尊いものだったと語方の広さ。例「広さはわづかにーー、高さは七尺がうちな り」〈方丈記・方丈〉訳 ( 庵室の ) 広さはわすかに三メー ーーなどのはばきまり伝えているということだ。 時などに用いられる。例「深き沓 ( び、 で、雪のいと白う掛かりたるこそをかしけれ」〈枕草子・雪高はうじゃう , ゑ【放生会】〔名〕 ( 仏教語 ) 捕らえられトル四方で、高さは一一・一メートル以内である。作者鴨 う降りて〉訳深ぐっや、半靴などの脚絆 (= 足ノスネニ巻た生き物を放す法会。陰暦の八月十五日に、宇佐・石長明ガ六十歳デ日野山 (= 京都市伏見区 ) ニ結ンダ 庵ノ寸法。「方丈記』ハココテ書キ記シタノテ、ソノ名ガ ク布 ) の部分まで、雪がとても白く降りかかっている様子は清水しの八幡宮で行われたものが有名。 ( 季・秋 ) ばうーず【坊主・房主】ボウ〔名〕①僧坊のあるじ。寺の住アル。 風情があってよいものだ。 ② ( 仏教語。「維摩経 2 鬚」で説かれる維摩居士の居室 はうーぐわん【判官】〔名〕 ( 「はんぐわん」の変化した形 ) 職。 が一丈四方であったことから ) 住職の居間。さらに転じて、 ①律令制による各官庁の四等官 (= 長官・次官・判官・主②室町時代以降、僧一般を指していう。 3 江戸時代、城中で茶の湯の接待や雑役に従事する者。住職。例「この山伏、ーーへ参じて」〈沙石集・六〉訳この 典 ) のうちの第三等官。 山伏は、住職のところへやって来て。 ②多くは、検非違使哥・衛門府・兵衛府齪うの第三等剃髪しているのでいう。 る・ ) 滅びる。死ぬ。方丈記 (*) 2 〔書名 ) 鎌倉初期の随筆。鴨長明著。 官をいう。例「左右の衛門の尉 ( じを、ーーといふ名つばう・す【亡ずウ〔自サ変〕 けて、いみじう恐ろしう、かしこき者に思ひたるこそ」〈枕草例「久しからずしてーー・じにし者どもなり」〈平家・一・祗園一一一一一一年 ( 建暦一 l) 成立。前半は天変地異の続く平 子・左右の衛門の尉を〉左衛門府・右衛門府の三等精舎〉訳長く栄華を保たすに滅びてしまった者たちであ安末期の混乱した世相を描き、後半では、それを避けて隠 棲戡した日野山 (= 京都市伏見区東南部ニアル山 ) の草 官を、判官と名づけて、非常に恐ろしく、大したものに思っる。 ていることよ。 はうーすん【方寸】ホウ〔名〕 ( 心は、胸の中、一寸 (= 約一一一庵鷲での生活を描く。仏教的無常観を基調とし、文章は ① ( 左衛門の尉であったことから ) 源義経の呼び名。センチ ) 四方の間にあるとするところから ) 心。胸中。例洗練された和漢混交文で、対句や比喩を巧みに生か ーーには離れ奉りぬ」〈義経記・五・「江山水陸の風光数を尽くして、今、象潟 ( ) にーーをしている。 例「十六日の昼ほどに、 = 〉十六日の昼頃に、 ( 静御前は ) 源義経にお別れ責む」〈奥の細道・象潟〉訳川や山、海や陸の美しい景冩頭「ゆく河の流れは絶えすして、しかも、もとの水にあら 色を数多く見てきて、今、 ( あこがれの ) 象潟 (= 秋田県由ず。淀 ($ みに浮がぶうたかたは、かっ消えかっ結びて、久し き申し上げてしまった。 くとどまりたる例 ( いめ ) なし。世の中にある人とすみかと、また うはうぐわんーびいき【判官贔屓】ガ〔名〕 ( 「はんぐわん利郡象潟町 ) へと心が急せきたてられる。 やびいき」とも ) ( 不運な一生を終えた判官、つまり源義経にばう・ぞく萼〔形動ナリ〕下品なようす。無作法なようす。かくのことし」訳流れて行く川の水は途絶えることがなく、 味方する意から ) 恵まれない不幸な者、強い者に対する弱例「かく怖 ( お ) づる人をば「けしからず、ーー・なり』とて、いとそれでいて、前と同じ水ではない。流れのとどこおっている所 眉黒 ( ) にてなむにらみ給ひけるに」〈堤中納言・虫めづるに浮かんでいる泡は、消えたり出来たりしていて、 ( 同じ泡 はい者に同情し、その肩をもっこと。また、その気持ち。 はう , げ【放下】ホウ〔名・他サ変〕 ( 仏教語 ) い「さいの執着姫君〉訳このように ( 虫を ) こわがる人を ( 姫君は ) 「とんでもが ) 長ミをま 0 ている例はない。この世に生きる人とその住 六四一

8. 旺文社 全訳古語辞典

が。②ごく近い過去。一喫一秋上「ーこそ早苗とりし た。朝の別れ難い切ない気持ちを「きぬきぬ」のことばに託まりとして重んじられた。「甲子」とも。↓干支。 「甲子待ち」の略。甲子の日、子ねの刻 (= 夜中の十二時かいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く」ついこの間、 してさまざまに表現したのである。 ごろ ) まで起きていて、商売繁昌をねがって大黒天を祭る ( 苗代の ) 早苗を取って田植えをした ( ばかりだと思ってい * きぬた【砧・碪】 ( 名 ) 〔「衣板 た ) のに、いつのまにか稲の葉がそよいで、もう秋風が吹いて たこと。 」の約〕布地のつやを出した 紀海音 C2$) 一人名』 (l tD 江戸中期の浄瑠璃う作いる。 り、やわらかにしたりするために、 ぬ 目ーきえもん 。大坂の人。竹本座のきのまろ・どの【木の丸殿】 ( 名 ) 「きのまるどの」とも。 者。本名榎並喜右衛 布をうつのに用いる木、または き近松門左衛門に対し、豊竹座の座付き作者。世話物木を削らないで丸木のままで建てた粗末な御殿。特に、 石の台。また、布を打っことや に「八百屋お七」「お染久松袂の白絞り」「心中一一九州朝倉にあった斉明天皇の行宮は有名。薪古一雑 その音をもいう。秋二一タ 中「朝倉ゃーにわが居をれば名のりをしつつ行くは誰たが っ腹帯」、時代物に「鎌倉三代記」などがある。 顔「白妙齲の衣いろうつーの音 チ ' 一人名ズ ) 安土桃山子ぞ」訳朝倉の丸木造りの御所に私がいると、名乗り ( ゃうせうしウショウシ もかすかに」訳白布の衣を ( つやを出すために ) 打っ砧の木下長嘯子きしたち ) キノ から江戸初期にかけての歌人。名は勝俊。尾張をしては行くのは、あれはどこの家の子だろうか。 音もかすかに。 砧が和歌や俳諧で秋の季語とされるのは、冬着 ( 愛知県 ) の人。豊臣秀吉に仕え、のち出家して細川幽き・の・みどきゃう引【季の御読経】 ( 名 ) 宮中で陰 斎に和歌を学んだ。歌風は自由清新で、近世における暦二月、八月の春秋一一季に、四日間にわたり、多くの僧 の準備として、秋の夜長に打たれたからである。 に大般若経にを読ませた儀式。 きぬたうちて : ・寉包【砧打ちて我われにきかせよ和歌革新の先駆者となった。歌文集「挙白集いく」 や坊ばうが妻。ま】〈野ざらし紀行・芭蕉〉訳 ( この吉野紀貫之 ( 翳 2 ) 一人名ズ :) 平安前期の歌人。三十キワ【際】 ( 名 ) ①端。氏一タ顔「母屋もやのーに立 の秋の一夜の慰めに ) せめてとんとんと砧でも打「て私に六歌仙の一人。「古今集」編纂の中心的役割を果きはてたる屏風のかみ」訳 ( 西の対をの ) 母屋の端 聞かせておくれ。宿坊の妻よ ( その音に古人の旅情をしのたした。その「仮名序」は貫之の手に成り、日本最初のに立ててある屏風の上の方。 歌論である。歌風は理知的で、七五調の流麗な調べと②境目。仕切り。氏一末摘花「一一間のーなる障子 びたいのだ ) 。 ( 砧 ) さう、手づから、いと強くさして」 ( 母屋もやと ) 一一間との 「み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣打っ修辞技巧を駆使することによって、繊細優美な古今調 なり」 ( ↓みよしのの : ・一 D 〈新古今・秋下〉をふまえを代表している。晩年の著「土佐日記」は平安朝日記境にある襖警障子に、 ( 命婦は ) 自分の手で、たいそうし つかりとかきをかけて。 る。砧を打っときの哀切なひびきは古くから詩歌によくう文学の先駆をなした。家集「貫之集」 き・の・と【乙】 ( 名 ) 〔「木の弟おと」の意〕十干の一一番①限リ。極み。平家一九・六ヶ度軍「城のうちの兵者髴 たわれている。 ども、手のー戦ひ、分捕り・功名しきはめて」訳城の きぬ・なが【衣長】 ( 形動ナリ ) 着ている衣服の丈が長い目。↓十干 ようす。〔凵一三一「一一藍のうすものなと、ー・に⑩てたすき・の・どく【気の毒】 ( 名・形動ナリ ) ①自分自身が苦うちの兵士たちは、カの限り戦って、分捕り・手柄を思い き結ゅひたるがはひ出【でたるも、 : ・みなうつくし」訳 ( 一一痛に感じること。困ること。当惑。〔浮・好色一代男〕つきりして。 ④最後。最期。〔増鏡〕久米のさら山「終っひに逃るまじ 歳ばかりの乳児で ) 藍と紅の中間色のうすものなどの、着「少人ーここにきはまり」訳若衆 ( Ⅱ世之介 ) の当惑こ こにきわまって。②他人の苦労・苦痛を見て、同情するこき道は、とてもかくても同じこと、そのーの心乱れなくだに 物の丈か長いようすで袖そでを紐ひもでくくり上げたのがはい と。〔浄・五十年忌歌念仏〕「清十郎が沙汰さたを聞かれあらば」調結局逃れることのできそうにない ( 死の ) 道は、 出てきたのも、・ : みんなかわいらしい きぬ・みじか【衣短】 ( 形動ナリ ) 着ている衣服の丈がぬか、さてさてー笑止づなこと」訳清十郎のうわさをおとちらにしても同じことで、その死にきわの心の乱れがなく さえあれば。 短いようす。〔〔な〔〕一五一「にはとりのひなの、足高に、しろう聞きにならないか、それにしても心苦しく困ったことよ。 をかしげに、ー・なる①さまして」鶏のひなが、すねが紀友則 ( い ) 一人名ズ船 :) 平安前期の歌人。三十あたリ。そば。一平家一七・忠度都落「門を開かれすとも、 長く、白く可愛らしく、丈の短い着物を着ているような姿六歌仙の一人。紀貫之の従兄にあたる。「古今このーまで立ち寄らせ給へ」訳門をお開きにならなくて 集」の撰者の一人。格調の高い流麗な歌風で「古今も、このそはまでお立ち寄りください。 で。 ①ほど。程度。一徒然一五九「少し心あるーは、皆このあらま き・の・え【甲】 ( 名 ) 「木の兄え」の意〕十干の一番集」をはじめとする勅撰く集に入集。家集「友則集」 目。↓十干 きのふ【昨日】 ( 名 ) ①前の日。徒然一一九「明けゆく空しにてぞ一期は過ぐめる」訳 ( 世間大体の人で ) 少し きのえ・ね【甲子】 ( 名 ) ①干支えとの一番目。十干のの気色いき、ーにかはりたりとは見えねど」明けてゆく物のわか「た程度の人は、皆この ( 出家の ) 計画だけで一 甲と十二支の子ねとにあたる年と月と日。物事のはじ ( 元旦の ) 空のようすは、前日と変わっているとは思われない生涯は過ぎてしまうようだ。 きぬたーきは ② 三七三〕

9. 長谷川伸全集〈第12巻〉

門は戦死した。分明ではないが第二陣の三間市之丞の指揮 別して、子とともに長岡へ向った。 滝左衛門は途中で百姓の着物をもらい、父子二人とも農下で銃手をしていたらしい。旧長岡藩戊辰戦死者五十年奈 家のものに変装し、栖吉村というところで、長岡城下へ使のとき記念頒布した「戊辰戦争始末』 ( 原本は明治初年に長 役に駆り出されてゆく農村のものの群れに紛れ込み、事な岡藩庁が編んだもの ) に、その日の戦死者中に名が録されて く城下へはいり、軍夫の労役に従いながら、薩長その他の 配置を探り、西片貝まで糧食を運送の帰途、父子ともに逃長岡方は一たび勝ったが、ついに敗れた。河井継之助も 重傷のため死んだ。 亡した。六月三日の夕方であった。母の生死は不明。 栖吉村へ辿りついた滝左衛門は、二通の敵の状況書をつ滝七は父の戦死を知らずにいた。本陣は中心人物を失 、味方は総崩れとなり、だれも彼も会津落ちをやり出し くり、一通ずつ父子ともに草鞋の中へ巻き込んだ。父子は 翌三日の夕方、栃尾にはいった。そこには山本帯刀と川島た。滝七も会津へ向った。会津若松は惨烈な戦いがつづ き、西軍の包囲が完全ではいり込む隙がないので、百人足 憶次郎と大隊長が二人いて、長岡奪還の計画中であった。 父子は軍事係の三間市之進に報告書を出し、口頭でも見聞らずのその一団は、米沢へこれから行って最後の戦いをや ろうとなった。ところが , 、日村というところへ来ると、村 した全部をいった。 滝左衛門は見付村の陣地に配属され、滝七は本陣付の使のものが槍や刀をもって村の入口に列をつくり、会津に加 勢せず米沢へ逃げるのかと、殺気立って迫って来た。米沢 番を命ぜられ、再び父子はなればなれになった。 七月二十四日の夕方、滝左衛門のいる見付村に、山本帯は抵抗を中止し帰順していたのを、滝七はもとより大人達 刀・川島憶次郎・牧野図書の三ツの大隊が集結し、長岡奪も、小川村の人々も知らなかったのであった。そこで長岡 還にとりかかった。このとき山本帯刀の出した訓示は口上の落人達は引返して、会津若松に突入する気になった。こ 書といい、全部がロ語体で、「一昨夜よりも風も強く、このときは後から来て一緒になったものがあるので、総勢一一 の一戦を大切に思い、皆様と御一心になって、このたびは百人以上になっていた。後から来た中に磯野弥吉という銃 是非、大勝をいたしたいと心に浮かみしだけ、口上にて申手がいて滝七を見付け、父滝左衛門の戦死を知らせた。 上げようと書きましたが、届かぬことであるけれども、篤 四 と御考えくださりましよう」。これが結びの文言であった。 川村の人々が搬んできた食事をして、二百人以上のこ 長岡奪還は六月二十五日の未明から始まり、岡村滝左衛

10. 全訳古語例解辞典 小学館

三七六 〈竹取・蓬の玉の枝〉訳さきおととしの一一月十日頃に、さんーかう【三更】ウ。〔名〕一夜を五分したうちの、第三の さわ・ぐ【騒ぐ】〔自ガ四〕 ) ( 上代では「さわく」 ) 時刻。だいたい午前零時前後の一一時間。子ねの刻。↓か 耳ざわりな音や声を立てる。騒がしくする。また、様々に噂 2 難波 (= 大阪 ) から船に乗って。 わ さする。例「み吉野の象山 ( ) の際 ( ま ) の木末 ( ) にはこさーをとめ【早乙女・早少女】し〔名〕 ( 和歌用語。「さ」う ( 更 ) 例「その夜ーーの頃恐ろしき声して」〈雨月・吉 さ 備津の釜〉訳その夜の午前零時の頃に恐ろしい声で。 こだもーー・ぐ鳥の声かも」〈万葉・六・九一一四〉訳み吉野の象は接頭語 ) 田植えをする女。 ( 季・夏 ) さんか : シ 山の山あいの梢には、こんなにもたくさん騒がしくする鳥のさん【産】〔名〕①生業による収入。財産。例「人、恒の山家集 ( しふ ) ュウ【書名〕平安末期の私家集。西行法師 声だよ。奈良ノ都ニ対比シテ吉野離宮ノ自然ヲ描写のー・なき時は、恒の心なし」〈徒然草・一四 = 〉訳人は、安の歌を収める。編者、成立年代ともに未詳。六家集本山 定した生業による収入がない時は、安定した心が持てな家集の系列は約千六百首、異本山家集系は約六百首 シタモノ。鳥ノ声ガョリ一層ノ静ケサヲ感ジサセル。 を収める。心境と一体化した平明な自然詠がことに優れ ②平静さを失う。あわてる。動揺する。例「入道相国 ( 緊 る。↓西行 ( ぎ ) う ) ちっともーー・がす、ちゃうどにらまへておはしければ、た②子を産むこと。出産。 だ消えに消え失 ( う ) せぬ」〈平家・五・物怪之沙汰〉訳入さん【賛・讚】〔名〕①漢文の文体の一つ。人や事物をほめさん・ぎ【参議】〔名〕国政の重要事項を審議する官で、四 位以上の者から五ヶ国の国司歴任者などの有資格者が 道相国 (= 平清盛 ) は少しも動揺せす、はったとにらみつけてたたえる文。多く四字一句で、韻をふむ。 ② 絵に書き添える詩歌・文章。絵の題材にちなんだ内容を任命された。大臣・納言に次ぐ要職であった。定員は八 いらっしやったので、 ( 化け物は ) みるみる消えてしまった。 持つ。画賛。 名。宰相し。「八座」とも。 さわさわ【爽爽】〔副〕さはさは 3 仏の徳をほめたたえる韻文。 さんーきよく【三曲】〔名〕①箏ⅱ琴 ) ・三味線・胡弓 さわやか【爽やか】〔形動〕さはやか または尺八の称。また、これらの合奏。 さーわらび【早蕨】〔名〕芽の出たばかりの若いワラビ。例④ ( 近世語 ) 批評。転じて、けちをつけるような時にもいう。 ようし 0 ②琵琶 2 の三つの秘曲。流泉う・啄木・楊真操んそう 「石走 ( ) る垂水 ( ) の上やーの萌 ( も ) え出 ( い ) づる春さんーあく【三悪】〔名〕 ( 仏教語 ) 「三悪道 ( 」の略。 になりにけるかも」〈万葉・〈・一四一◇訳石の上を激しく流れさんあくーたう【三悪道】ウド〔名〕 ( 「さんなくだう」「さんま例「三年翁と ) が間 ( ) 歩みを運び、立ち聞きて、かの , ー る滝のほとりの若いワラビが、芽を出す春になったなあ。 くだう」とも。仏教語 ) 生前の悪業の結果、死後に落ちるを伝へけん」〈平家・一 0 ・海道下〉訳三年の間 ( 歩いて ) 出 という三つの苦しみの世界。地獄道・餓鬼道・畜生道。三向いて、立ち聞きをして、かの三曲を受け伝えたという。 さわる【障る】〔動〕さはる 悪趣。 さんーぐう【参宮】〔名〕神社、特に伊勢神宮にお参りする さわれ〔感〕さはれ さーゑもん【左衛門】〔名〕「左衛門府 ( 最も ) 」の略。↓さんーがい【三界】〔名〕 ( 仏教語 ) ①悟って成仏うするここと。例「来春女房もがーーいたすっかひ銀 ( 2 ) なれも」 ゑもんふ とのできないいっさいの衆生じが、生まれ変わり、死に変わ〈西鶴・世間胸算用三 = 〉訳来春女房がお伊勢参りを 左衛門の陣左衛門府の役人の詰め所。内裏る三つの迷いの世界。欲界・色れ界・無色界。例「ー・は、する路銀だけれども。 日んしゅこある。 の建春尸 ただ心一つなり」〈方丈記・閑居の気味〉訳生まれ変わりさんーくわん【三関】ンカ〔名〕①上代、都を防備するため 死に変わる三つの迷いの世界は、ただ人の心によって存在に設けられた三つの関所。伊勢 (= 三重県 ) の鈴鹿の関、 さーゑもんふ【左衛門府】ン〔名〕↓ゑもんふ 美濃 (= 岐阜県 ) の不破」の関、越前 (= 福井県 ) の愛発 さを【竿・棹】オ〔名〕①舟を進ませるために用いる細長いし心を離れては存在しないものだ。 ②三千世界。全世界。例「ーー広しといへども、五尺のの関。平安時代以後、愛発の代わりに近江 (= 滋賀県 ) の 棒。 身の置き所なし」〈平家・一一一・大臣流罪〉訳この世の全世逢坂の関。なお、天皇の譲位・崩御や不穏な動きが ② 衣を掛ける竹の棒。衣紋掛け。 界は広いといっても、五尺の ( 自分の ) 体の置き所はない。 ある時、三関↑鈴鹿・不破・愛発 ) を閉ざしたのを「固関れ 日〔接尾〕①旗を数える語。 囲「五尺」ハ、成人男子ノ平均的身長ヲ示スダケデ、具ん」という。 簟笥・長持などを数える語。 ② 蝦夷の防備のため、奥羽地方に設けられた三つの関 さーをしか【小牡鹿】〔名〕 ( 「さ」は接頭語 ) 雄の鹿。体的ナ数値ニ意味ハナイ。 ーーのわきて立ち馴 ( な ) らすらむも、心こ①過去・現在・未来の三世。 所。磐城わ 7 福島県東部 ) の勿来純この関、同じく磐城 ・ ( 多く地名に付いて ) 遠い場所である意を添える。くんだの白河の関、出羽 (= 山形県 ) の念珠が関。例「中にも となり」〈枕草子・草の花は〉訳萩は、 : : : 雄の鹿がとり わけ ( その花のもとに ) いつも来て馴れ親しむというのも、格り。また、単に強調する気持ちを添える。例「江戸ーーへこの関はー・の一にして、風騒 ( ) の人、心をとどむ」〈奥 行かんして、いっ戻らんすことちややら」〈近松・丹波与作の細道・白河の関〉訳中でもこの ( 白河の ) 関所は三関の 別な趣のものだ。 一つであって、詩人・文人が、関心を寄せていた所である。 ささ・をととし【一昨昨年】鬚ト〔名〕さきおととし。例待夜の小室節・上〉訳江戸くんだりへお行きになって、 「ーーの一一月 ( ) の十日頃に、難波 (# に ) より船に乗りて」っお戻りになるものかしら。 さんーげ【懺悔】〔名・自サ変〕 ( 近世の中頃から一般には ① 0 ②