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検索対象: 写楽 仮名の悲劇

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写楽 仮名の悲劇


ゆ ら て つ じ Ⅷ 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 由 良 哲 次 昭 和 年 ( 「 芸 術 新 潮 」 7 月 号 ) テ レ ビ 能 面 師 土 左 ヱ 門 の 次 郎 太 大 岡 信 昭 和 年 ( 8 月 日 放 映 ) し ば こ う か ん せ つ 研 究 浮 世 絵 師 司 馬 江 漢 説 福 富 太 郎 昭 和 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 号 ) え の も と ゆ う さ い 四 研 究 版 元 蔦 屋 重 三 郎 説 榎 本 雄 斎 昭 和 年 ( 『 写 楽 ー ま ば ろ し の 天 才 』 新 人 物 往 来 社 ) こ れ は 昭 和 四 十 四 年 ま で の 表 で あ る が 、 そ の 後 目 に つ い た 説 を つ け 加 え る と 以 下 の よ う に な る で あ ろ 、 つ か 劇 研 究 俳 人 谷 素 外 酒 井 藤 吉 昭 和 年 ( 川 月 新 日 「 読 売 新 聞 」 ) い っ ぴ っ さ い ぶ ん ち ょ う の 引 研 究 浮 世 絵 師 一 筆 斎 文 調 出 井 祐 治 昭 和 妬 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 肥 号 ) 一 一 ん ど ・ つ 名 反 研 究 絵 師 片 山 写 楽 近 藤 喜 博 昭 和 町 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 絽 号 ) 楽 芻 研 究 阿 波 藩 絵 師 矢 野 典 博 瀬 尾 長 昭 和 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 号 他 ) と し お 引 研 究 版 元 蔦 重 工 房 説 鈴 木 敏 夫 昭 和 簡 年 ( 「 江 戸 の 本 屋 』 中 央 公 論 社 ) げ さ く し ゃ み わ そ う 研 究 戯 作 者 山 東 京 伝 谷 峯 蔵 昭 和 年 ( 『 写 楽 新 考 』 文 藝 春 秋 ) 研 究 版 元 蔦 屋 重 三 郎 阿 部 清 昭 和 年 ( 3 月 S 日 「 読 売 新 聞 ー ) 小 説 秋 田 蘭 画 の 絵 師 近 松 昌 栄 高 橋 克 彦 昭 和 年 ( 『 写 楽 殺 人 事 件 』 講 談 社 ) 劇 画 浮 世 絵 師 喜 多 川 歌 麿 石 ノ 森 章 太 郎 昭 和 田 年 ( 「 死 や ら く 生 』 中 央 公 論 か つ ひ こ

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新 聞 」 川 月 Ⅱ 日 夕 刊 よ り 連 載 ) 浪 曲 浮 世 絵 師 中 島 鉄 蔵 ( の ち の 北 斎 ) 説 最 上 三 郎 ( ラ ジ オ ロ 演 ) 昭 和 年 ( 2 月 % 日 放 送 ) た に ふ ん ち ょ う せ つ 凵 研 究 本 派 絵 師 谷 文 晁 説 池 上 浩 山 人 昭 和 年 ( 「 ~ 朋 春 」 燗 号 ) 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 横 山 隆 一 昭 和 年 ( 「 浮 世 絵 の 世 界 』 平 凡 社 ) 能 役 者 春 藤 次 左 衛 門 今 東 光 昭 和 年 ( 「 文 藝 春 秋 4 月 オ ー ル 読 物 号 」 ) の 7 研 売 九 能 役 者 某 小 野 忠 重 昭 和 年 ( 「 芸 術 新 潮 」 Ⅱ 月 号 ) 能 狂 言 師 匠 某 横 倉 辰 次 昭 和 年 ( 『 浮 世 絵 師 秘 話 』 久 漿 書 店 ) め 9 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 小 田 仁 二 郎 昭 和 鬨 年 ( 『 流 戒 十 郎 う き 世 草 紙 』 芸 を 文 新 書 ) り よ う た ろ う ひ け い ち ょ う 一 兀 O 、 月 説 面 つ く り 師 斎 藤 十 郎 兵 衛 西 村 亮 太 郎 昭 和 鬨 年 ( 『 江 戸 秘 芸 帖 』 久 保 書 版 店 ) ま き え し ー 、 ー . 力 と ・ つ よ ・ つ 蒔 絵 師 飯 塚 桃 葉 ・ 社 中 説 三 1 研 九 中 村 正 義 昭 和 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 % 号 ) 戯 作 浮 世 絵 師 鳥 居 清 政 君 川 也 寸 志 昭 和 年 ( 「 浮 世 絵 芸 術 」 燔 号 ) 小 説 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 石 沢 英 太 郎 昭 和 年 ( 「 推 理 ス ト ー リ ー 」 9 月 号 ) 共 同 制 作 者 代 表 某 ( あ る い は 十 返 舎 一 九 推 薦 ) 研 究 瀬 木 一 昭 和 肥 年 ( 「 古 美 術 」 号 ) 5 研 究 本 派 絵 師 酒 井 抱 一 説 向 井 信 夫 昭 和 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 芻 ・ 引 〕

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よ り は 人 間 研 究 の 表 で あ る 。 順 分 類 職 種 提 議 亠 者 年 代 研 究 浮 世 絵 師 ( 寛 政 七 年 春 以 降 は 歌 舞 妓 堂 艷 鏡 説 ) ュ リ ウ ス ・ ク ル ト 明 ム ロ 芻 し ゅ ん ど う し ざ も ん せ つ 2 研 究 能 役 者 春 藤 次 左 ヱ 門 説 ( の ち 斎 藤 十 郎 兵 衛 説 に 復 帰 ) 鳥 居 竜 蔵 大 正 凵 年 ( 6 月 日 「 時 事 新 報 」 他 ) く に え た か ん じ 3 小 説 能 役 者 春 藤 次 良 兵 衛 邦 枝 完 一 一 昭 和 4 年 ( 「 東 洲 斎 写 楽 』 博 文 館 ) 悲 の 4 研 究 ア マ 絵 師 某 野 口 米 次 郎 昭 和 5 年 ( 「 東 洲 斎 写 楽 』 私 家 版 ) 反 5 研 究 貴 人 某 森 清 太 郎 昭 和 Ⅱ 年 ( 「 浮 世 絵 界 」 1 巻 9 号 ) 楽 研 売 九 純 眤 役 者 関 西 絵 師 説 三 谷 松 昭 和 肥 年 ( 「 浮 世 絵 界 」 2 巻 4 号 ) 7 研 究 浮 世 絵 師 三 派 師 系 説 三 隅 貞 吉 昭 和 年 ( 「 日 本 美 術 工 芸 」 3 月 号 ) 8 研 究 版 元 蔦 屋 重 三 郎 説 ( 葛 飾 北 斎 説 に 転 向 ) 横 山 隆 一 昭 和 引 年 ( 「 週 刊 朝 日 」 2 月 川 日 号 ) ほ う し ゅ ん 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 横 川 毅 一 郎 昭 和 引 年 ( 「 ~ 朋 春 」 号 他 ) り ゅ う ざ ふ ろ う 川 研 究 本 派 絵 師 円 山 応 挙 説 田 口 洳 三 郎 昭 和 年 ( 7 月 5 日 「 神 戸 新 聞 」 他 ) 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 松 本 清 張 昭 和 年 ( 「 芸 術 新 潮 」 7 月 号 ) せ が れ 小 説 武 家 牟 礼 俊 十 ( 蜂 須 賀 家 家 老 の 伜 ) 小 島 政 二 郎 昭 和 年 ( 「 日 本 経 済 む れ

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宗 谷 真 爾 昭 和 年 ( 「 季 刊 浮 世 絵 」 囲 ・ 〕 研 究 戯 作 者 十 返 舎 一 九 鬨 テ レ ビ 歌 舞 伎 役 者 中 村 此 蔵 池 田 満 寿 夫 昭 和 年 ( 7 月 1 日 特 集 ) 私 は で き る だ け 詳 し く こ れ ら の 説 の 原 典 を 調 べ た が 、 ま だ 原 典 に あ た っ て い な い も の も あ る 。 こ の 表 を み る と 、 昭 和 四 十 年 ま で は 圧 倒 的 に 能 役 者 説 が 有 力 で あ っ た よ う で あ る 。 2 、 っ 0 (. 0 、 1 、 6 、 7 、 8 、 9 、 、 7 は 、 ほ ば そ れ を 斎 藤 十 郎 兵 衛 あ る い は 春 藤 次 左 衛 天 の 門 と 考 え 、 あ る い は そ の 他 の 人 間 と 考 え る に せ よ 、 写 楽 Ⅱ 阿 波 の 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 と い う 、 肥 、 鬨 な ど も 、 や は り 写 楽 を 素 人 の 絵 師 と 考 え る 説 の 影 響 の 下 に 立 っ て い る 。 ま た 、 4 、 5 め る 点 、 阿 波 の 能 役 者 説 と 同 様 で あ る 。 こ の よ う な 説 は 先 に あ げ た 四 つ の 点 が 十 分 に 説 明 さ れ を 屋 な い 限 り 、 成 立 は 困 難 で あ る と い え よ う 。 ま た 近 藤 喜 博 氏 は 、 白 川 神 道 を 研 究 し て い て 、 そ て ん ま 小 林 兵 部 の 弟 子 と し て 、 寛 政 一 一 年 に 白 川 家 に 入 門 し た 、 大 坂 ・ 天 満 板 元 の 「 門 人 帳 ー の 中 に 、 橋 町 に 住 む 片 山 な み と い う 女 性 が お り 、 そ の 巫 子 の 夫 が 片 山 写 楽 と い う 名 で あ る こ と を 見 出 し た 。 こ の 片 山 写 楽 が 浮 世 絵 師 の 写 楽 で は な い か と い う 説 を 、 当 時 流 行 し て い た 写 楽 Ⅱ 上 方 出 身 説 の 上 に の せ て 展 開 し た の で あ る 。 し か し こ の 白 川 神 道 の 巫 子 の 夫 で あ る 片 山 写 楽 が 、 と ・ つ し ゅ ・ つ さ い あ の 百 四 十 二 枚 の 絵 を 描 い た 浮 世 絵 師 東 洲 斎 写 楽 で あ る と い う 証 拠 は な い 。 む し ろ 、 先 に あ げ た 四 つ の 理 由 に 照 ら し て 、 同 一 人 と 考 え る こ と は 難 し い よ う に 田 5 わ れ る 。 写 楽 と い う 人 間 は 日 本 に 一 人 し か い な い と 考 え 、 片 山 写 楽 が 東 洲 斎 写 楽 で あ る と き め つ け る こ と は で き な こ れ ぞ う ま す お か み が た

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お う し よ く さ ん じ ん 七 月 五 日 竹 本 氏 写 来 七 十 翁 蜀 山 人 」 と い う 奥 書 の 、 ま ぎ れ も な い 南 畝 独 特 の 筆 跡 で 分 か る -XJ し 、 つ こ の 瀬 川 富 三 郎 は 、 寛 政 十 一 年 江 戸 へ 下 っ て 、 三 世 瀬 川 菊 之 丞 の 弟 子 と な り 、 文 化 十 一 年 の 顔 見 世 に 、 三 世 富 三 郎 を 襲 名 し た 。 写 楽 絵 に は こ の 三 世 富 三 郎 の 師 、 三 世 菊 之 丞 が 七 枚 、 先 代 の 二 世 富 三 郎 が 六 枚 、 描 か れ て い る 。 者 こ の 本 は 江 戸 在 住 の 文 人 の 通 号 と 実 名 と 住 所 を 記 載 し た も の で あ る が 、 そ こ に 写 楽 斎 な る ル 文 ヒ ヒ 名 が 出 て く る 。 と こ ろ が 、 こ の 写 楽 斎 は 、 通 号 ・ 実 名 の と こ ろ は 空 白 に な っ て い て 、 空 白 に の 小 な っ て い る 通 号 の 下 に 「 号 写 楽 斎 地 蔵 橋 」 と あ る 。 つ ま り 、 ど う い う わ け か 通 号 も 実 名 も ← 秘 せ ら れ て い て 、 た だ そ の 別 号 と 地 蔵 橋 と い う 八 丁 堀 の 中 の 住 所 だ け が 記 さ れ て い る 。 そ し て そ こ に は 「 死 亡 し た 人 」 を あ ら わ す 記 号 が あ り 、 中 野 氏 は 、 写 楽 は こ の 本 が 書 か れ た 文 政 標 何 ら か の 理 由 で 、 名 を 秘 し た の で は な い か と い う 。 元 年 二 八 一 八 ) ま で に 死 亡 し て い た が 、 第 従 っ て 中 野 氏 は 結 論 と し て 、 写 楽 別 人 説 も 十 分 根 拠 が あ る が 、 同 時 に 阿 波 能 役 者 説 も 再 考 さ 二 れ る べ き で あ る と い う 由 良 氏 は 、 こ の 『 江 戸 方 角 分 』 の 、 八 丁 堀 地 蔵 橋 に 写 楽 斎 な る 人 物 が 住 ん で い た と い う 記 録 が 三 馬 の 「 按 記 」 に 結 び つ け ら れ 、 ま た 八 丁 堀 に 阿 波 侯 の 屋 敷 が あ っ た こ と か ら 、 あ の 写 楽 Ⅱ 阿 波 の 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 説 が 出 て き た の で あ る が 、 そ れ は 全 く 根 拠 が な い と 断 す る の で あ る が 、 私 は こ の 三 馬 の 書 い た 「 江 戸 八 丁 堀 」 と い う 記 事 か ら 別 の こ と を 考 え る 。 と い う の は 江 戸 に は 八 丁 堀 と い う の が 二 箇 所 あ り 、 一 箇 所 は い わ ゆ る 八 丁 堀 で あ る が 、 も う ひ と っ 0 0 き く の じ よ ・ つ

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榎 本 氏 は 、 最 初 か ら 写 楽 を 蔦 屋 と 決 め て 、 小 説 的 な 脚 色 に よ っ て 蔦 屋 重 三 郎 Ⅱ 写 楽 説 を 描 な そ い て み せ る が 、 そ れ は や は り 説 旦 寸 性 に 乏 し い と い わ ね ば な る ま い 。 写 楽 の よ う な 謎 の 人 間 を 明 ら か に す る に は 、 科 学 的 分 析 と 同 時 に 、 文 学 的 想 像 力 が 必 要 で あ る が 、 あ く ま で 厳 密 な 科 た れ 学 的 考 証 に 基 づ い て 写 楽 は 誰 か を 明 ら か に し 、 そ の 決 定 の 上 に 立 っ て 文 学 的 な 想 像 を 働 か せ 、 写 楽 の 全 体 像 を え が か ね ば な ら な い 。 科 学 的 な 考 証 の 欠 如 を 文 学 的 な 想 像 力 で 補 う こ と は 、 本 末 転 倒 で あ ろ う 。 こ の こ と を 何 よ り も よ く 知 っ て い る の は 榎 本 氏 自 身 で あ る よ う に 思 わ れ る 。 後 に 氏 は 、 自 ら の 立 て た 写 楽 Ⅱ 蔦 屋 重 三 郎 説 を 捨 て た 。 こ れ は 良 心 的 態 度 と い え る 。 悲 総 合 芸 術 と し て の 黄 表 紙 の 仮 蔦 屋 重 三 郎 に つ い て 語 っ た つ い で に 、 寛 政 六 年 、 写 楽 絵 が 存 在 す る 時 点 に お い て 、 蔦 屋 周 楽 辺 に い た 他 の 天 才 た ち に つ い て 語 る こ と に し よ う 。 一 人 は も ち ろ ん 山 東 京 伝 で あ る 。 山 東 京 み わ そ う 伝 に つ い て も 写 楽 で は な い か と い う 説 が 、 谷 峯 蔵 氏 に よ っ て 提 出 さ れ て い る 。 こ の 説 も 榎 本 氏 の 著 書 と 同 じ く 、 堂 々 た る 『 写 楽 新 考 』 ( 昭 和 年 文 藝 春 秋 ) と い う 著 書 に な っ て 展 開 さ れ て い る 。 山 東 京 伝 は 日 本 の シ ュ ト ル ム ・ ウ ン ト ・ ド ラ ン グ の 時 代 に ふ さ わ し い 万 能 の 天 才 で あ る さ し ・ ん ・ 一 し き ・ ん 彼 は も と も と 絵 師 と し て 出 発 し 、 多 く の 黄 表 紙 の 挿 絵 を 描 き 、 ま た 錦 絵 も っ く り 、 ま た 図 案 な ど 様 々 な 領 域 に 独 自 の 才 能 を 示 し た 。 今 の 言 葉 で い え ば 、 彼 は 絵 師 で あ る と と も に デ ザ イ ナ ー で あ っ た と い え よ う 。 し か し 彼 の 才 能 は 、 そ の よ う な 絵 師 ・ デ ザ イ ナ ー で あ る よ り 以 上 122 0

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由 良 氏 の 論 証 は お か し い 。 そ れ は 新 カ ン ト 派 の 批 判 精 神 と も 、 現 象 学 の 精 神 と も 矛 盾 し て い る 。 そ れ な の に 、 ど う し て 由 良 氏 は 、 こ の よ う な 明 ら か に 学 者 と し て 許 さ れ な い 論 理 を 強 引 に 主 張 し た の か 。 そ れ は 明 ら か に 、 由 良 氏 が 、 戦 時 中 に み た 神 宮 皇 学 館 大 学 所 蔵 の 神 宮 文 庫 で 『 浮 世 絵 考 証 』 と 共 に 発 見 し た 『 浮 世 絵 師 考 』 に こ の 説 が 書 か れ て い る と 思 い こ ん だ 、 写 楽 Ⅱ 北 斎 説 を 説 者 証 明 せ ん が た め で あ る 。 後 に 述 べ る よ う に 、 由 良 氏 は 、 北 斎 が 、 春 朗 か ら 宗 理 に 変 わ る 寛 政 ル 文 , ハ 年 を 空 白 の 時 間 と し 、 そ こ に 写 楽 を 入 れ た い の で あ る 。 の こ の よ う に 強 引 に 北 斎 説 を 主 張 し よ う と す る 由 良 氏 の 意 志 が 、 あ れ ほ ど 、 三 馬 以 下 の 説 に ← つ い て は 、 正 し い 判 断 を し た 由 良 氏 の 学 問 的 理 性 を 狂 わ せ た の で あ る 。 批 判 は 、 自 己 の 説 に り 対 し て 、 も っ と も 厳 し く 向 け ら れ ね ば な ら な い と 思 わ れ る が 、 こ の 点 に つ い て 由 良 氏 の 自 説 へ の 批 判 は 、 全 く な い 。 そ れ は 決 し て 新 カ ン ト 派 の 態 度 で は な い 。 こ れ で は 、 弟 子 の 北 小 路 氏 の 批 判 を 受 け る の は 当 然 で あ る 。 小 路 氏 の 由 良 説 に 対 す る 批 二 判 は 正 し く 、 『 類 考 』 の 諸 本 を わ れ わ れ に 示 し て く れ る が 、 し か し 、 そ の 記 事 内 容 に ほ と ん ど 立 ち 入 ら な い 。 写 楽 を ど う 見 る か に つ い て も 、 小 路 氏 は 、 全 く そ の 見 解 を 示 さ な い 。 従 っ て 、 こ こ で 私 は 、 由 良 氏 お よ び 北 小 路 氏 に よ っ て 『 浮 世 絵 類 考 』 の も っ と も 信 頼 す べ き 原 文 で あ る 『 浮 世 絵 考 証 』 が 確 定 さ れ た こ と を 大 き な 成 果 と し て 、 こ の 『 浮 世 絵 考 証 』 の 内 容 を 考 察 す る こ と に し よ う 。 も し 以 上 の 考 証 が 正 し い と す る な ら ば 、 我 々 は 写 楽 に つ い て 、 ほ ば 同 時 代 の 重 要 な 人 物 に

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を え な い 。 す で に こ の 説 は 、 石 沢 英 太 郎 氏 に よ っ て 述 べ ら れ て い る ( 『 秘 画 』 昭 和 貶 年 9 月 号 一 一 ま そ ・ つ 「 推 理 ス ト ー リ ー 」 ) 。 石 沢 氏 は 、 先 に あ げ た 高 麗 蔵 を 描 い た 写 楽 と 豊 国 の 絵 が 酷 似 し て い る こ と か ら 、 こ の 説 を 思 い っ か れ た が 、 推 理 小 説 の 形 で 語 ら れ て い る こ と も あ り 、 多 く の 人 の 認 め る と こ ろ と は な ら な か っ た 。 私 は 石 沢 氏 の 説 と 独 立 に 、 写 楽 Ⅱ 豊 国 説 を 思 い つ い た が 、 調 べ て い く う ち に 氏 の 説 を 発 見 し た 。 石 沢 氏 の 慧 眼 に 敬 意 を 表 さ ざ る を え な い が 、 写 楽 Ⅱ 豊 国 説 を 学 問 的 に 証 明 す る に は 、 二 人 の 描 い た 一 枚 一 枚 の 絵 を も っ と 精 密 に 比 較 し な く て は な ら ほ く さ い せ つ な い 。 石 沢 氏 は そ の よ う な こ と を ほ と ん ど し な か っ た た め に 、 こ の 豊 国 説 も 、 世 の 北 斎 説 や っ た じ ゅ う せ つ こ う か ん せ つ 歌 麿 説 、 蔦 重 説 、 江 漢 説 な ど と 同 じ よ う に 、 あ る い は そ れ 以 下 に 扱 わ れ ざ る を え な か っ た の 悲 の が 借 し ま れ る 。 石 沢 氏 の 自 ら 言 、 つ 「 画 期 的 」 な 発 見 の 功 を 氏 に 譲 る こ と に し て 、 さ ら に 比 較 反 を 進 め て み よ う 。 楽 ま ず 、 写 楽 の 似 顔 絵 が い か に 豊 国 の そ れ に 似 て い て 、 他 の 絵 師 の 似 顔 絵 と 違 っ て い る の か を 明 ら か に す る た め に 、 一 人 の 役 者 を 描 い た 絵 師 た ち の 絵 を 較 べ る こ と に し よ う 。 こ こ で は 写 楽 が 好 ん で 描 い た 役 者 の な か か ら 四 人 の 役 者 を 選 び だ し 、 そ れ が 多 く の 浮 世 絵 師 た ち に よ せ が わ き く の し よ う っ て い か に 描 か れ た か を 比 較 す る 。 三 代 目 沢 村 宗 十 郎 、 三 代 目 瀬 川 菊 之 丞 、 五 代 目 市 川 団 十 わ こ と し 郎 、 三 代 目 市 川 高 麗 蔵 の 四 人 。 宗 十 郎 は 和 事 師 の 代 表 と し て 、 菊 之 丞 は 女 形 の 代 表 と し て 、 あ ら 「 一 と し 団 十 郎 は 荒 事 師 の 代 表 と し て 、 そ し て 高 麗 蔵 は 実 悪 の 代 表 と し て で あ る 。 や お ぞ う 写 楽 は 宗 十 郎 を 八 点 描 い て い る 。 こ れ は 市 川 八 百 蔵 、 市 川 高 麗 蔵 の 九 点 に 次 い で 多 い 。 そ れ は 宗 十 郎 が 当 時 人 気 絶 頂 の 役 者 で あ っ た こ と に も よ ろ う が 、 も う ひ と つ は 写 楽 が 宗 十 郎 を 268

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る 。 時 は ち ょ う ど 文 化 三 年 ( 一 八 〇 六 ) 、 喜 多 川 歌 麿 が 没 し た 年 な の で あ る 。 寛 政 六 年 当 時 、 ま だ こ の 晩 熟 の 天 才 は 模 索 の 段 階 に あ っ た 。 前 に 述 べ た よ う に 、 こ の 模 索 の 時 を 送 っ て い た 晩 熟 の 天 才 北 斎 を 写 楽 そ の 人 で あ る と い う 説 が あ る 。 こ れ は 横 山 隆 一 氏 に よ っ て 初 め て 唱 え ら れ た 説 で あ る が 、 由 良 哲 次 氏 に よ っ て 大 き く 発 展 さ せ ら れ た 。 こ の 由 良 氏 の 写 楽 Ⅱ 北 斎 説 は 、 写 楽 別 人 説 の 中 で は 最 も 学 術 的 な 体 裁 を 整 え た 説 で あ る 。 由 良 氏 は 多 く の 論 文 で 、 様 々 な 角 度 か ら 写 楽 Ⅱ 北 斎 説 を 論 証 し て い る が 、 私 は や は り 、 そ れ は 無 理 で あ る と 思 う 。 由 良 氏 が こ の 説 を 思 い 立 っ た の は 戦 時 中 で あ る が 、 二 十 年 後 、 氏 は つ い に 写 楽 Ⅱ 北 斎 説 と 悲 の い う 、 大 胆 な 説 を 提 出 し た 。 し か し す で に 北 小 路 健 氏 が 指 摘 し て い る よ う に 、 氏 が 神 宮 文 庫 仮 の 中 で 見 た と い う 『 聞 ま 、 の 記 』 の 中 の 『 浮 世 絵 師 考 』 の 、 例 の 大 田 南 畝 の 「 こ れ ま た 歌 舞 楽 妓 役 者 の 似 顔 を う っ せ し が 、 あ ま り に 真 を 画 か ん と て 、 あ ら ぬ さ ま に か き し か バ 、 長 く 世 に 行 わ れ ず 、 一 両 年 に て 止 ム 」 と い う 言 葉 に つ づ け て 書 か れ た 、 「 隅 田 川 両 岸 一 覧 の 作 者 に て 、 や げ ん 堀 不 動 前 通 り に 住 す 」 と い う 文 章 は 、 明 ら か に 別 人 の 項 の 頭 注 が ま ぎ れ こ ん だ も の な の で あ る 。 由 良 氏 は こ の 「 隅 田 川 両 岸 一 覧 」 の 作 者 を 北 斎 と し て 、 こ の 文 の 中 に 写 楽 Ⅱ 北 斎 説 が 語 ら れ て い る と 考 え る が 、 そ れ は 誤 解 と い わ な く て は な ら な い 。 別 の 本 で は 、 こ の 「 隅 田 川 両 岸 一 覧 の 作 者 に て 、 や げ ん 堀 不 動 前 通 り に 住 す 」 と い う 言 葉 は 、 そ の 前 の 「 俗 名 金 つ る お か ろ す い 次 」 と い う 言 葉 と と も に 、 鶴 岡 蘆 水 の 項 に 記 さ れ て い る か 、 や は り 別 人 の と こ ろ に 記 さ れ た 豆 注 か 『 浮 世 絵 師 考 』 に お い て 、 写 楽 の と こ ろ に ま ぎ れ こ ん だ も の と 見 る べ き で あ ろ う 。 138 や

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と り よ ・ つ た だ ざ ね 主 、 酒 井 忠 以 の 弟 で 当 時 の 第 一 の 風 流 人 で あ っ た 。 屠 竜 と 号 し て 狂 歌 を 詠 み 、 ま た 絵 画 に も と よ は る 『 夏 秋 草 図 屏 風 』 な ど と い う 傑 作 を 残 し た 。 歌 川 豊 春 に つ い て 浮 世 絵 を 学 ん だ と も 言 わ れ る こ し き ・ え が 、 し か し 、 こ の 当 代 第 一 の 風 流 殿 様 が 、 一 年 に 百 四 十 一 一 枚 も の 錦 絵 を 出 版 す る と い う 苦 行 に 耐 え た と は 思 え な い の で あ る 。 谷 素 外 は 江 戸 後 期 を 代 表 す る 俳 人 で あ り 、 そ の 自 画 像 が 写 楽 絵 の 筆 法 と 似 て い る と い う 点 で 、 写 楽 で は な い か と さ れ る の で あ る が 、 彼 が 、 他 に 絵 を 描 才 よ い 。 福 富 太 郎 氏 の 江 漢 説 も 氏 独 自 の 探 究 法 に よ っ て 導 き 出 さ れ た 興 味 深 い た と い う 証 孑 は は る の ぶ の い 説 で あ る が 、 や は り 江 漢 自 ら 『 春 波 楼 筆 記 』 と い う 本 で 、 彼 が 浮 世 絵 師 鈴 木 春 信 の に せ 絵 る を 描 い た が そ れ を 見 破 る も の は な か っ た 、 と い っ て い る 。 実 は 、 最 近 の 研 究 に よ れ ば 、 そ れ は に せ 絵 を 描 い た と い う よ り 、 三 馬 が 語 っ て い る よ う に 、 春 信 の 死 後 、 弟 子 で あ っ た 江 漢 は 屋 版 元 の 了 解 の 下 に 、 二 世 春 信 と し て 春 信 と 紛 ら わ し い 錦 絵 を つ く っ た と い う こ と ら し い 。 そ い か に も 自 己 顕 示 欲 が 強 く 、 暴 露 趣 味 の あ る 江 漢 ら し い 。 元 れ を に せ 絵 を 作 っ た と い う の は 、 更 に そ の 上 、 彼 が も し も 百 四 十 二 枚 も の に せ 絵 を つ く っ た ら 、 彼 は そ れ を ど こ か で 得 意 そ う 第 に 告 白 し た に 違 い な い と 私 は 思 う 。 ま た 、 彼 が 春 信 の に せ 絵 を 作 っ た 時 期 と 、 写 楽 の 登 場 し た 時 期 は 大 分 へ だ た り が あ り 、 寛 政 六 年 の 頃 は 彼 が 油 絵 や 銅 版 画 に 熱 中 し て い た 時 代 で あ る 。 ま た 彼 の つ く っ た 春 信 風 の 絵 と 、 写 楽 の 絵 は 画 風 が 大 変 ち が う 。 矢 野 典 博 説 は 、 阿 波 説 の 名 残 で あ ろ う が 、 寛 政 六 年 、 典 博 は 六 十 五 歳 、 す で に 出 家 し て い た 。 六 十 五 歳 の 田 舎 の 本 派 絵 師 か 、 写 楽 絵 作 製 の 苦 行 に 耐 え ら れ た と は 思 わ れ な い 。 蔦 屋 に つ い て は 、 後 に 論 ず る こ と に し よ 、 つ 1 13 0 よ