思い - みる会図書館


検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
314件見つかりました。

1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

し きんだち ごん とうべんとう い。妙なことだけれど、この男の悪いことを思いのままに 君達は頭の弁。頭の中将。権の中将。四位の少将。蔵 たいそう すけ ひょうえすけ うどべん 正直に言う人もないので、得意になって、ご大層な顔つき 人の弁。蔵人の少納言。東宮の亮。蔵人の兵衛の佐。 をして、万事を取りしきったりするのに対しては、にくら 二三七法師は しい感じがするよ。 りつし 法師は律師。内供。 二四一一条院をば今内裏とそいふ いまだいり しゅドレト - う 二三八女は 一条院は、今内裏と称する。主上がおいであそばす御殿 せいりようでん を、仮の清涼殿として、その北にある中宮様の御殿には、 女は内侍のすけ。内侍。 とぎよ 東の渡り廊下によって主上が渡御あそばされる、その道で、 ませがき せんざい っ要にわ 二三九宮仕へ所は 御前は壺庭なので、前栽の草木などを植えて、籬垣を結っ みやづか だいりきさいのみや て、たいへんおもしろい 宮仕えする所は内裏。后宮。その后宮にお生れの姫宮、 さいいん いつほん 二月十日すぎのころの、日がうらうらとのどやかで空を 一品の宮。斎院は罪障が深いけれど、おもしろい。まして 渡ってゆくころに、その渡り廊下の西の廂の間で主上が、 このごろはすばらしい。東宮の御母である女御。 御笛をお吹きあそばされる。高遠が、大弐の官でいらっし たかさご 二四〇にくきもの、乳母の男こそあれ やるのだが、その高遠と琴、笛の二つで高砂を繰り返しお 段 吹きあそばしていらっしやるのは、やはりとてもすばらし にくらしいものは、何といっても乳母の夫というものだ。 いと言うのも、世間ありふれた表現である。高遠は御笛の その子が女である時はそれでも、近くに寄らないからよい 第 男の子は、ひたすら自分の物として、男の子に付き添って師で、いろいろその笛に関してのことなどを申しあげなさ るのは、とてもすばらしい。御簾のもとに集って出てそれ 独り占めにして世話をし、ほんの少しでもこの男のお子の せりつ ぎんげん をお見申しあげる折などは、自分の身としては「芹摘み お気持に背くような者は讒言し、人を人とも思ってはいな めのと くろ たかとお ひさし

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ふえ せい・一う 来などするはずがあろうか。しかし、生まじめな性向の人時などは、ましてたいへんおもしろい。客が笛などを吹い て帰って行ってしまったのに、自分は、急にも寝られず、 は、「夜が更けてしまった。御門も不用心のようです」と 言って帰って行く人もある。ほんとうにこちらに対する志人のうわさ話などもし、歌など話したり聞いたりするまま に、寝入ってしまうのこそおもしろい が特別な人は、「早くお帰りください」などと何度も追い 払われると、それでもやはり座ったままで夜を明かすので、 一七九雪のいと高くはあらで 門番はたびたび見てまわるのに、夜が明けてしまいそうな 雪がたいして深くはなくて、うっすらと降っているのな 様子を、異常なことに思って、「たいへん大事な御門を、 どは、たいへんおもしろい 今晩はライサウとあけひろげて」と客のお耳にはいるよう いまキ一ら また、雪がとても深く降り積っているタ暮時から、部屋 に申しあげて、今更そうしてもはじまらないことながら ひおけ はしぢか あかっき の端近な所で、気の合った人が二、三人ぐらい、火桶を中 暁になってからしめるようである。その態度はどんなに にすえて、話などをするうちに、暗くなってしまったので、 にくらしいことか。でも、親が一緒に住んでいる人の場合 こちらには火もともさないのに、あたりいったい雪の光が、 は、やはりこういうふうなものなのだ。まして、ほんとう ひばしはい かよ とても白く見えているなかで、火箸で灰などをわけもなく の親でない人は、女のもとに通って来る男の客のことをど おとこきようだい んなに思っているだろうとまで遠慮されて。男兄弟の家な掻きながら、しんみりした事もおもしろい事も、話し合う のこそおもしろい 段ども、愛想がない間柄の場合では、同様であろう。 宵も過ぎてしまっているだろうと思うころに、沓の音が 夜中、暁を問わず、門はたいして気をつけてきびしくし めるというのでもなく、何の宮様、宮中、あるいは殿たち近く聞えるので、変だなと思って外を見ていると、時々、 やしき 第 こうした折に、思いがけなく現れる人なのだった。「今日 のお邸にお仕えする女房たちが応対に出て、格子なども上 なん げたままで、冬の夜を座り明かして、客が退出したあとも、の雪をどう御覧になるかとお思い申しあげながら、何とい さまた ありあけ うこともないことで、お伺いすることが妨げられて、その 部屋の中から見送っているのこそおもしろい。有明の月の ふ くっ

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

311 第 255 段 ( 原文一四〇ハー ) もうれしい。自分の愛する人の場合は、自分の身の場合よ うしてどうして、やはり決してこの世は思い捨てることが りもいっそ , っ , つれしい できそうにもないと、命までが惜しくなります」と申しあ すきま 尊い方の御前に人々が隙間もなく座っている時に、今御げると、「ひどくちょっとしたことにも気持がなぐさめら おばすてやま 前に参上したので、少し遠い柱のもとなどに座っているの れるようね。そんなに簡単になぐさめられるなら、姨捨山 をお見つけあそばされて、「こちらへ来なさい」と仰せに の月は、いったい、どんな人が見るのだろう」とお笑いあ そばされる。伺候している女房も、「ひどく手軽な息災の なっているのは、通り道をあけて、御前近くにお召し入れ になっているのこそうれしいものだ。 祈りなのね」と一言う。 そうして、そのあとしばらくたって、つまらないことを 二五五御前に人々あまた、物仰せらるるつい 思いもし、にくみもして、サカにわたしがいるころ、すば おお でなどに らしい紙を、二十包に包んで中宮様が御下賜になった。仰 せ言としては、「早く参上せよ」などと仰せあそばして、 中宮様の御前に女房たちがたくさん伺候していて、中宮 「これはお聞きおきあそばしたことがあったので。上等な 様がお話などをなさるついでなどにも、「世の中が腹立た じゅみようきよう しくわずらわしくて、しばらくの間でも生きていられそう 品ではないようなので、寿命経も書けそうもないようだ が」と仰せになったのは、とてもおもしろい。わたしのほ もない気持がして、どこへでもいいから行って身を隠して うですっかり忘れてしまっていたことをおばえておいであ しまいたいと思う時に、普通の紙のとても白くてきれいな しきし がみ のや、上等の筆、白い色紙、みちのくに紙などを手に入れそばしたのだったのは、やはり普通の人の場合でさえおも てしま , っと、こ , っしてでもしばらく生きていてもよさそ , っ しろい。ましてこの場合は並一通りではないこと、などと 第一うらい なのだったなと感じられることでございます。また、高麗言ってすまされることではないのだ。あまりのうれしさに べり むしろ 縁の畳の筵が青くてこまかに編んであって、縁の紋がくっ 心も乱れて、啓上すべき方法もないので、ただ、 きりと、黒く白く見えているのをひきひろげて見ると、ど 「かけまくもかしこき神のしるしには鶴のよはひにな そくさい

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

( 原文一一九ハー ) 体裁が悪いし、そうかといってそのまま使うのも意地を張 るさまは、格段によくないものだ。 ふづくえ 男はまして、文机に見た目も清らかに拭いておいて、重るようだ。そのように感じられることも、自分としても知 っているので、人がわたしの筆を使うのも何も言わずに見 ね硯でないのなら、二つの懸子の硯が、たいへん似つかわ じようず まきえ ほどこ ると、特に筆跡など上手でもない人で、そうはいうものの しく、蒔絵のありさまも、わざとらしく施したのではない っ′一う が、おもしろくて、墨や筆の様子も、人の目をとめるぐら物を書きたがる人が、とても都合よくわたしが使いかため てある筆を、変なふうに、もとのほうまで硯の墨汁の中に いにしつらえてあるのこそおもしろいものだ。 どうであれ、こうであれ、同じことだといって、黒塗の差し入れてたつぶり濡らして、「コハ物ャヤリ」とか何と ほそびつふた ふた か、細櫃の蓋などに書き散らして、横向きに投げ出して置 箱の蓋も片一方が欠け落ちているのや、また、硯はわずか かわら いてあるので、筆先は墨汁の中に差し込んでころがってい に墨の磨られている所だけが黒くて、そのほかは瓦の目に るのも、にくらしいことであるよ。しかし、そ , 2 一 = ロえよ , っ したがって入ってしまっている塵が、この世ではとても払 えそうにもないのに、それに水をうち流して、青磁の水入か、言えはしない。人の前に座っていると、「あなたのお くび かげでまあ暗いこと、奥の方におどきください」と言った れのロが欠けて、頸いつばいに、穴のあいているあたりが 見えて、みつともないのなども、平気で人の前に差し出すのこそ、またやりきれなくみじめな感じがするものだ。さ ことよ。 しのそいたのを見つけて、驚いて文句を言われたのも、ま た同じだ。ただしこれは自分が思いをかけている人から言 段 一三〇人の硯を引き寄せて われた場合のことではない。 他人の硯を引き寄せて、手習の文字をも手紙をも書く時 二二一めづらしと言ふべき事にはあらねど、 第 に、持主から「その筆はどうか使わないでくださいよ」と 文こそなほ 的言われたら、それこそは、とても何ともやりきれないみじ めな感じがするにちがいない。そのまま筆を置こうのも、 珍しいと言うべきことではないけれど、手紙こそやはり かけ ) 」 ていさい

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 286 そうだ。少しばかり残っている家来も、無礼な態度でばか受領もそう感じられるであろう。たくさんの国を歴任して、 かんだちめ にしたのも、いまいましいからとて、どうしようもないと大弐や四位などになってしまうと、上達部なども、重々し ずりよう いものとしてお扱いなさるようだ。 思って、我慢して過したのだが、受領になると、自分にも みかど 女こそ、やはり男にくらべて劣っている。宮中で、帝の まさる者たちがかしこまって、ただ「仰せを承りましょ めのと さんみ ついしト - う・ 御乳母は、内侍のすけや三位などになってしまうと、重々 う」と追従する様子は、以前の人と同じ人と見えようか。 かた し 、。けれど、そうかといってすでに年をとって、どれく 北の方のほうでは優雅な女房を召し使い、今まで見られな かった手まわりの道具や装束が、自然に涌き出るように現らいのよいことがあるか、ありはしない。またそんな人は かた このえ れて来ることよ。受領をしている人が、のちに近衛の中将多くいるわけではない。受領の北の方の地位にあって任国 きんだち にくだるのをこそ、普通の身分の人の幸福と思っているよ に昇進しているのこそ、もともと君達の身分の人が昇進し きさき うだ。普通の家柄の出の上達部の娘で后におなりになるの て中将となっているのよりも、高貴なものとみずから感じ、 こそすばらしい 得意顔で、ひどくすばらしいことと思っているようである。 けれど、やはり男は、自分の身の出世昇進こそすばらし 一八四位こそなほめでたきものにはあれ。同 くて、そりくり返って得意でいる様子といったら : : : 。法 なにがしぐぶ じ人ながら、大夫の君や、侍従の君な 師などが、「何某供奉」などと言って歩きまわるのなどは、 ど聞ゆるをりは 何がよいだろうか、よい所は何も見えはしない。お経を尊 く読み、見たところ美男子なのにつけても、女房たちにば 位こそ、やはりすばらしいものではある。同じ人であり そう たゆう かにされて、女房たちはわあわあ騒ぎかかるのだ。でも僧 ながら、大夫の君や侍従の君などと申しあげる時は、ひど ずそうじよう くばかにしやすいものだのに、中納言、大納言、大臣など都や僧正になってしまうと、「仏様がこの世に出現なさっ になってしまうと、ひたむきにどうしようもないほど、尊ていらっしやるのだろう」と、身分の高い方々も、あわて てお思いになって、恐れ入る様子は、ほかに何の似るもの く感じられなさることが、格別であるよ。身分に応じては、 ないし おもおも

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

みどころ ので、木立などの見所のあるものは、まだない。ただ、屋 二五六関白殿、二月十日のほどに、法興院の 敷の様子が、身近で、見た目に明るく気持がよい感じだ。 ほこいんしやくぜんじ あおにびかたもん 関白道隆様が、二月十日のころに、法興院の積善寺とい 関白様がこちらへお渡りあそばされた。青鈍の固紋の御 みどう いっさいっ・くよう によういん さしぬき のうし くれない ぞさんりよう う御堂で一切経の供養をあそばされる折に、女院、中宮様指貫、桜の直衣に紅の御衣三領はどを、じかに御直衣の下 もおいであそばすはずなので、二月初めのころに、中宮様 に重ねてお召しになっていらっしやる。中宮様をはじめと りようもん は二条の宮へお入りあそばされる。わたしは夜が更けて、 して、紅梅の濃いのや薄い色の織物、固紋、綾紋などを 眠たくなってしまったので、何事も注意して見す、翌朝、 そのころはこの八丈というタケタカは特になかった 日がうらうらとさし出ているころに起きたところ、御殿は そこに侍している限りの女房たちが着ているので、あ もえ からぎめ とても白く新しく、見た目に明るくうつくしく造ってあっ たり一帯がただ光り輝いて、その中で、唐衣としては萌黄、 きのう ゃなぎ て、御簾をはじめとして、何やかやは昨日掛けたのである 柳、紅梅などもある。 ま ようだ。御設備は、獅子や狛大など、いつの間にはいって 関白様は中宮様の御前にお座りあそばされて、お話など いちじよう かんぜん 座り込んだのだろうと、おもしろい。桜が一丈ぐらいの高申しあげあそばされる。中宮様の御応答の間然する所のな みはし さで、たいへんよく咲いているような姿で、今御階のもと いのを、里にいる人たちにちらっとでものそかせたいもの にあるので、「ひどく早く咲いていることよ。梅こそたっ だと思ってお見申しあげる。関白様は女房たちをお見渡し じっ た今盛りのようなのに」と見えるのは、実は造花なのでああそばして、「宮におかせられては、何をお思いあそばし いろつや 段 ろう。あらゆる点からいって、花の色艶など、ほんとうに ておいでなのだろうか。こんなにたくさんすばらしい人た 咲いているのに劣らない。どんなに作るのに面倒だったこ ちを並べておいて御覧あそばすのこそ、何ともうらやまし ひとり 第 とだろう。雨が降るなら、きっとしばんでしまうだろうと いことだ。一人たりとも劣った人はいないね。この人たち はみなしかるべき家々の娘なのだからね。たいしたものだ。 見るのが、残念だ。小家などというものがたくさんあった 場所なのを、それを取り払って今度お造りあそばしてある十分に目をかけてこそ、おそば仕えをおさせあそばすのが こいえ こまいめ こだち じ

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

び・一う いるのもおもしろい。きれいな若い男たちの、微行と見え使う者の中にも、話相手として期待の持てるような者もあ さくらがさねかりぎめ るけれど、連れて行きがいがない感じがするというのは、 2 る二、三人が、桜襲の狩衣や柳襲の狩衣などを姿うつくし ふだん見馴れているからにちがいない。若い男なども、き く着て、くくりあげてある指貫の裾も気品高いように目に 子 映るのは、この場にまさに似つかわしい感じがする。従者っとそう思うのであろう、わざわざ同行者を探して誘いま 草 えぶくろ わっているようであるよ。 、飾りをおもしろくつけた餌袋をかかえて持たせて、 もえぎ どねりわらわ 舎人童たち、それには紅梅や萌黄の狩衣に、いろいろな色 一二五いみじく心づきなきものは の、乱れ模様を押して摺りつけた襷などを着せている。桜 かもまつりみそぎ さぶらい ひどく気に食わぬものは、賀茂祭や禊など、すべて男の の花などを折り持たせて、侍めいてほっそりしている者な ものみぐるま こんく 見る物見車に、たった一人で乗って見る人だ。いったいど ど引き連れて、お堂の前で金鼓を打っ様子こそおもしろい 「たしかだれそれだな」とわたしの籠る部屋から見える人ういう人なのだろう。尊い身分の人でなくても、若い男た ちの見たいと思っている者たちなどを、自分のそばに引き があるけれど、御本人はどうして知ろう。こちらがいるの ぎっしゃ を知らずに通り過ぎて去って行くのも、とはいえ物足りな寄せて同乗させてでも一緒に見たらよいではないか。牛車 みすすきかげ の御簾の透影として、たった一人ちらちらして、一生懸命 い感じがするので、「ここにいるという様子を見せたいの 行列を見つめて座っている姿といったら。 に」などと言うのもおもしろい 第一も こんなふうで、お寺に籠ったり、その他どこでもふだん 一二六わびしげに見ゆるもの 行かない所に、自分の召し使う者だけを連れて滞在してい 気落ちした感じに見えるもの六、七月の正午から二時 るのは、行ったかいがないように感じられる。やはり同じ ごろの暑い日盛りに、きたならしい車体に貧相な牛をかけ くらいの身分で、気がムロって、おもしろいことも、いろい むしろ ひとりふたり て、よたよた行く者。雨の降らない日に、筵のおおいを掛 ろと話し合うことのできるような人を、必ず一人二人、で けた牛車。また、雨の降る日に筵のおおいをしないのも。 きればもっとたくさんでも、誘いたいものだ。自分の召し す すそ さが

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 258 ひょうし 前の儀といったところであろうか。試楽もとてもおもしろ陪従が笛を吹き立て、拍子を打って楽を奏するのを、「早 うどはま くれ く出て来てほしい」と待っと、「有度浜」をうたって、呉 、。春は、空の様子がのどやかで、うららかであるのに、 たけ うすべり ませがき み、一と つまにわ かもんづかさ せいりようでん 清涼殿の御前の庭に、庭も、掃部司が、薄縁を何枚か敷竹の台をかこった籬垣のもとに歩いて出て来て、御琴を打 ちよくし まいびとしゅじよう つような調子でいているころなど、ただもうすばらしく いて、勅使は北を向いて、舞人は主上の御前の方を向いて まいびと て、どうしようかと思うほどであるよ。第一番の舞人がた 着座する。これらのことはわたしの記憶がまちがっている そで ふたり かもしれない いへんきちんと袖を合せて、二人走り出て、西の玉座の方 くろうどどころしゅう に向って立った。舞人が次々と出て来るのに、足踏みを拍 蔵人所の衆たちが、衝重ねを取って、席の前ごとにずつ はんびお かんむりほうえり ぺいじゅう と置き並べ、陪従も、その日は主上の御前に出たり入った子に合せて、半臂の緒の形を直し、冠、袍の襟などを直し さかずき てんじようびと て、「あやまもなきみも」などとうたって、立って舞って りするのは恐れ多いことだ。殿上人は、かわるがわる杯を やくがい いるのは、何から何まで非常にすばらしい。大ひれなど舞 取って、終りには、屋久貝という物で飲んで座を立つ、そ うにぎやかなざわめきは、一日中見るとしても飽きそうに のとたんに取り食みというもの、それは下衆の男などがし ようのでさえいやな感じであるのを、主上の御前に女が出もないのを、終ってしまうのこそたいへん残念だけれど、 また次の舞があるはずだと思うのは頼もしい気分であるの て取ったのだったのだ。思いもかけず、そこに人がいよう みことばちか ひたきや 冫、御琴を撥で掻き返して、今度は、そのまま、呉竹の台 とも知らなかったのに、火焼屋から人たちがすっと出て来 もとめご た て、たくさん取ろうと騒ぐ者は、かえって扱いそこねて取の後ろから求子の舞を舞って出て来て、袍の片方を脱ぎ垂 かい、ねり てがる りこばしてしまううちに、手軽にひょいと出て取ってしまれた様子の優雅さは、すばらしいものであることだ。掻練 したがさねきょ の下襲の裾などが舞につれて乱れ合って、あちらこちらに う者には、負けてしまう。うまいしまい場所に、火焼屋を 使って、運び入れるのこそおもしろいものだ。掃部司の者交差して動きなどしているのは、いやもう、これ以上一言う とのも。り一かさ と、世間ありきたりなことになってしまう。 たちが、薄縁を取り払うやいなや、主殿司の官人たちが、 まうき しようきようでん すなごな 今度は、これ以上はもうあるはずがないからだろうか、 手に手にを取って庭の砂子を平らす。承香殿の前の所で、 ついがさ しがく がく

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ばしめされたるかひもなく』など、あまた言ひつる。語り聞かせたてまつれと一私 ( 左中将 ) があなたに話して お聞かせ申しあげよというわけな ろだい なンめりかし。まゐりて見たまへ。あはれげなる所のさまかな。露台の前に植のでしようよ。 子 ニ「露台」は屋根のない台。白楽 から ばうたん く一′っ 草ゑられたりける牡丹の、唐めきをかしき事」などのたまふ。「いさ、人のにく天の「秋牡丹ノ叢ニ題ス」とした 「晩叢白露ノ夕、衰葉涼風ノ朝 : 枕 の詩によるとみる考えもある。 しと思ひたりしかば。また聞きにくくはべりしかば」といらへきこゅ。「おい 三私をにくく思っているという うわさを聞いて不愉快でございま らかにも」とて笑ひたまふ。 したから。 げにいかならむと思ひまゐらする御けしきにはあらで、候ふ人たちの、「左四おっとりと構えていらっしゃ 一説、おっとりしていますね。 かた 五いかにも中宮様がどうお思い ノ大殿の方の人知る筋にてあり」などささめき、さしつどひて物など言ふに、 かと懸念しなくてはならないよう なそんな御けしきではなくて。一 しもよりまゐるを見ては言ひやみ、放ち立てたるさまに、見ならはずにくけれ 説「思ひまゐらする」で切り、「御 ば、「まゐれーなどあるたびたびの仰せをも過ぐして、げに久しうなりにけるけしき」を御勘気とする。 六道長。長徳二年 ( 究六 ) 七月二 十日左大臣。道長側の人と知合筋 を、宮のへんには、ただあなたかなたになして、そら言なども出で来べし。 だ。作者への中傷。 ごと 例ならず仰せ言などもなくて、日ごろになれば、、い細くてうちながむるはどセのけものにし独りばっちにさ せておくようなありさまで。 おまへ ふみも ^ 中宮様のおそばあたり。 に、をさめ文を持て来たり。「御前より左京の君して、しのびて給はせたりつ 九敵、味方に分れたものにして。 ごと おさめ る」と言ひて、ここにてさへひきしのぶもあまりなり。人づての仰せ言にはあ一 0 長女。雑用をする下女の長。 = 中宮付き女房。伝不詳。 やまぶき らぬなンめりと、胸つぶれてあけたれば、紙には物も書かせたまはず、山吹の三人を介しての仰せ言ではなく まへ 六

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

325 第 257 ~ 262 段 ( 原文一六一 さくらが寺、ね きのう 翌日、雨が降っているのを、関白様は、「昨日降らずに 色をしているの。青葉。桜襲。柳襲。また、楝。藤。 きよう わたくし 男はどんな色の着物でもおもしろい 今日降ることで、私のすばらしい宿世がわかってしまいま した。どう御覧あそばしますか」と中宮様に申しあげなさ あんど 二六一単衣は るのも、その御安堵は当然のことである。 あこめ しようぞくくれない 単衣は白いのがよい。正式の装束の紅のひとえ衵など 二五七たふとき事 を、仮にちょっと着ているのはいい。けれど、やはり色が 尊いこと九条の錫拠を唱えること。念仏のあとで回向黄ばんでいる単衣など着ているのは、ひどく気にくわない。 もん ねりいろきぬ 練色の衣も着ているけれど、やはり単衣は白くあってこそ 文を唱えること。 よいのだ。 二五八歌は いまようふし かぐらうた 二六二男も女もよろづの事まさりてわろきも 歌は「杉立てる門」。神楽歌もおもしろい。今様は節が ふぞくうた のことばの文字あやしく使ひたるこ 長くて変化があるのがおもしろい。風俗歌をうまくうたっ そあれ ているのがおもしろい 男も女も、あらゆることに立ちまさって劣った感じのす 二五九指貫は るものそれは会話の一言葉を奇妙に使っていることだ。た さしぬき 指貫は紫の濃いの。萌黄。夏は二藍。ひどく暑いころ、 だ使う言葉一つで、奇妙なことに、上品にも、下品にもな るのは、どういうわけなのだろうか。そのくせ、実はこの 夏虫の色をしているのも涼しそうだ。 ように思う人自身が、万事についてすぐれているわけにも 二六〇狩衣は いかないのだ。そうだとすると、 いったいどれをよい、悪 いというようには判断するのだろうかしかし、そうだと 狩衣は香染の薄いの。白いの。ふくさの赤色。松の葉 かりぎぬ こうぞめ もえぎ すくせ ふたあい ひとえ おうち