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1. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

けて現われ、思無邪は昔のおもちゃ箱を引っ繰り返したよ供だということがどうしても合点がいかぬ程に、おキイは うな、せつなく、そして恥じらいの伴ったなっかしさのと思無邪を大事にして呉れたからばかりではなかったのたろ りこになる。先ず、ばあさんが、思無邪が幼い間のしばらう。 くのとし月の間は、・ 死なないでいつも変りなく思無邪を迎 然し思無邪はおキイに対して偏見を持っていたようた。 えて呉れたのだ。そのような繰り返しが永遠に続くだろうそれは、おキイはいつも鼻をたらして赤いちぢれた髪の毛 ほど にしらみをわかしていたからだ。 と思い込めた程に、それは毎年のように繰り返された。 二人が四つ五つ頃に、家のうしろの粘土採取場でサンダ ばあさんは泣いて喜び、そしてやって来た晩から指折り 数えて、休み終って帰る日のことを心配しだすのも毎年のラボッチを尻にしいてすべって遊んでいた時のことだ。二 かっこう ことだ。ばあさんにはこの繰り返しもっかのまのことであ人とも真裸になっておどるような恰好で、遊びに夢中にな ることが分って居るのに、思無邪にそれは分らない。ばあっていた。それはたとえ二人で遊んでいても思無邪にとっ わがまま さんのすることや言うことのどの一つについても、その意ては、我儘なひとり遊びであったのだが。思無邪はおキイ の身体との違いを発見して自分に優越を感じていた。おキ 味が分らなかったのだ。 思無邪にとってはばあさんのかげで思無邪を待っているイの方がきたないのだと思った。思無邪は自分の思うよう に勝手にすべって遊んだのに、おキイは足りない身体を白 おキイの年毎の変化の方に眼が覚めた。 さら わがまま くちびる 日に晒したまま思無邪の我儘を許していた。それは象徴的 しばらくは都会風の言葉で唇をかむ思無邪がそこにい る。するとおとなたちはいなか言葉まる出しのおキイを思でさえあった。思無邪の我儘に、へこまされながら、而も また 無邪のそばに押しつけて寄越す。おキイは今年も又一カ月おキイは夢中になってその遊びに興味を感じているようで けいべっ もりやく の思無邪の守役であることを納得した顔付で思無邪のそばあった。而も思無邪はおキイを軽蔑し始めていた。 ひげ ひょうきん 粂おじという白い髭で顔を覆われた剽軽なじいさんがそ ゅにくつついてくる。そして思無邪がいなか言葉になるのに 、刀 は、一日、もかかりはしよ、 0 の粘土を煉瓦工場まで日に何回となく運んでいた。 二人が真裸になって遊んでいるのを見て、粂おじが、何 思無邪が来た晩からおキイは当住の親たちから離れて隠 居のばつばさんの所に泊りに来る。勿論そこで思無邪とばか鄙猥な言葉を笑いながら言った。それはどんな言葉であ あさんとおキイとの一カ月の生活が始まるのだ。 ったかさえ分らぬ程の年頃であったのに、その言葉の調子 しゅうち 思無邪はおキイが好きだったのだろう。おカネおばの子が、ざくろのようにはじけ返って、思無邪に羞恥の感じを くめ れんが しり へんけん ねんど

2. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

174 ぎた じがするのに、当住はうす汚なくよごれていて、暗くいん来ない。そのあとで何か一言必ずつけ加えられるからだ。 気な気分がすることで、一事が万事であったと言えよう「たまには街道さ行って、遊んでくるもんだ」 それはまるで思無邪が家にばかり居て、而もおカネおば か。思無邪はばあさんのロぐせそのままに、当住さ行げば のみにたかられるということを信じていた。それが、何もの仕事の邪魔をしているような具合に、低い猫なで声で言 のみ 隠居に蚤がいなかったという訳でもなかったのに。孫たちうのだ。 が集り遊んでいても、おカネおばは思無邪を除いた他の孫「シムちゃんは砂糖なんと食べなかんべ」 そう言って思無邪だけに氷砂糖をくれないようなことも たちに砂糖をなめさせたりする。それに気がついても、思 無邪に、おカネおば、さも呉いよとは何か言わせないもあ 0 た。 のをおカネおばが持っているように惑じられた。おカネお恐らくは、おカネおばは・ほくのことを虫が好かんのだろ ばには子供が二人あって、長男は既に妻帯し離れに寝起きうと、思無邪は思う。よくそんなことがあるものだ。理由 よしこまくは嫌われているのだろう、多分。思無邪にして していて赤ん坊もいたが、下は女の子で、それは思無邪よオ冫を も、おじおばや、いとこたちの中にも好ぎ嫌いがあるのだ り二つばかり先に生れていた。キイという名前がついてい こ 0 から。 ほと おキイのことは、好きなのか嫌いなのか、思無邪にはよ としまわ 思無邪は、ばあさんの数多い子供たちが殆んど男であっ とこたちは皆思無邪よりずっと歳廻りが大 た中にたった一人の娘であったヒデの長男だ。ヒデとカネく分らない。い がどんな感情を持ち合っているものかも思無邪には分らなきく、歳の近い遊び対手となるようないとこはおキイだけ 。広い当住の板の間で思無邪はふとおカネおばと二人切だ。その為に、五つ六つの頃からおキイ思無邪はいつもく つつけて考えられていた。それは長い間そうであった。 りになるような時に、持病の胃弱で色つやの悪い平・ヘった 小学校にあがるまでは、一年のおよそ半分ほども都会の い能面に似たおカネおばの顔の表情の中に、寒気だつよう 父母の許を離れて、思無邪はに寄越された。思無邪の な無気味な意地悪さを認めることがあるのだ。 「なあんち、シムちゃんは、いつもおとなしーこと、じよあと、年子が続いて生れた為に、思無邪ひとりだけ、田舎 う孫だしたあ」おカネおばはそうお経を読むように言葉をに寄越されることが多かった。そして小学校にあがるよう になると、夏休みを待ちかねるようにして田舎に帰った。 長く引いた言い方で思無邪に声をかける。しおとなしい こっとうひん いっ来ても田舎は骨董品のように思無邪の眼の前にすす じよう孫だというほめ言葉に思無邪がよりかかることは出 トージ

3. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

169 取返しのつかぬ「過ぎ去ってしまった」という鉄の重さを つけて、恐怖に背を向けて逃げ走っている思無邪を冷たく然し危機はあっけなく過ぎた。 見下ろしているもう一人の別の思無邪となって、彼のかげ二人は村上の浜の広い砂浜の中で、尻からげをしていた すそ ちょうどっきがさ あんばい につきまとって動いていた。丁度月暈のような塩梅に、思裾をおろして、下駄をはき、そして何となく気抜けがして かげ 無邪の暈が思無邪の周囲に・ほやっとずれて重なり思無邪を 規制した。「過ぎ去ってしまった」というのは思無邪の犯村上の浜には真夏の午後の陽が、砂浜の上に照りつけて きつね いる。それは、へんてこな、狐につままれたような違和の してしまった行為だ。それは、思無邪がしなければならな いと思ったことを彼はしなかったということ。思無邪はば感じであった。あのはたての下の荒での、かげりと寒々 としたものと風や波の怒号ゃうめきとが、一切まやかしで あさんの手をひいて一緒にこの危険地帯を逃がれなければ おく ならないのだと、ちらと考えていたのだ。若し遅れて歩いあったのか。 からだ 思無邪は自分の身体の中を一つの嵐が通り過ぎて行った ていたばあさんだけが海に呑まれてしまったとしたら、思 無邪の行為は、はっきり白日の下にさらされる。然し思無と思えたのに、もうそれは正体も定かでなく、過ぎ去って 邪はそれをしなかった。恐怖が思無邪の耳のうしろと背中しまった。彼の興奮は何であったのだろう。それはもう面 をつつき、ばあさんの傍についていることをさせないで思はゆいものに変質してしまった。はたての下での叫び声が 無邪を前の方につき出した。そのことが、「もう過ぎ去っ軽い疲労の感じを手足のすみずみに残しているだけで、あ てしまった取り返しのつかぬ思無邪の犯したこと」としての時彼は本当にばあさんを導こうとしていたのだったろう しようし か。笑止なことだ。この村上の浜では、ばあさんは既に権 思無邪の暈が、走っている思無邪につきつけた。 その時の思無邪の気持を何と言ったらいいだろう。思無威を回復している。どこに行ぎ、誰と話を交わし、どこを すでおしよく 邪自身は既に汚辱の中にひたされていたが恐怖が彼を軽々どう通って家に帰るか、ということの一切はばあさんの胸 と運び去るのをどう仕様もなかった。彼は自分は既に取返三寸に納めてあって、思無邪はただばあさんの腰につい しのつかぬこちら側で汚れているのだが、心の根には、年て、くたびれた道中を、県道のうねうねと続いた白い道の あわ 寄りの足弱に非難の気持を泡立たせながら、ばつばさん、上に続けなければならない。 きづか あれは奇妙な時間であり、ひょっとしたらまやかしかも 早く早くと、ただひたすらにばあさんを気遣う孫の叫び 知れない場所であった。思無邪が村上の浜に渡り切った時 を、邪気無げに、真剣に叫びながら走っていた。 いっさ、

4. 漢語林 改定版

【怨婦】をⅡ怨女。 「う。【急装 ( 裝 ) 】ウ①急いで支度する。急きの支度。②しつ【思春】を , 恋心をいな鬯と。「思春期」 6 【思想】ルウ①思い、らす。②思いやる。③ある物事に対 【怨慕】弩① , つらみながらもなおしたうこと。②悲しみしたか 2 」身支度をする。 する個々の考えや理論ではなく、世界や人生に対する、ある 【怨望】うらめしく思う。うらむ。また、うらみ。望も、うらむ【急速】ウ①いそぐこと。②すみやか。はやいこと。 怠の意。 【急△湍】第ウはやせ。流れの速い浅瀬。急流。湍は、はやせ・」まった考え・体系をいう。 【思潮】をウその時代の思想の流れ・傾向。 怱【怨霊 ( 靈 ) 】ウ囮うらみをいだいて死んだ人の魂。 , みを急流。 ウⅡ急湍第ウ。灘は、はやせ・急流。 はらそ一マして、たたりをする死者の霊。 【急△灘】タノ 【思念】第①思う。考える。〔古詩、悲歌〕思コ念故郷一 うわみが骨のしんまでしみわ【急追】ウ急いで追いかける。にけるものを、はけしく追う。 コキ。ウを。②思い。考え。 【怨人二骨髄 ( 髓 ) 一イにいる 思たる。深いつらみのたとえ。〔史記、秦本紀〕 【急転 ( 轉 ) 直下】チ キ急に形勢が変わって解決に向か【思婦】ルうれえ悲しむ婦人。 うこと。 5 、 1 3 キュウ 【思服ク常に思って忘れないこと。慕い焦がれること。 急 イ 2 教いそぐ 【急難】第ウにわかに起こった災い。また、差し迫っている災【思弁 ( 辨 ) 】ア考えてものの道理を明らかに知り分けるこ キュウ ( キフ ) ・コウ ( コフ ) 当」一【急迫】ウさしせまる。せつばつまる。 L と。 〔難・難儀。【思慕】思いしたう。 【急変 ( 變 ) 】第ウ①急に変わる。②急の出来事。非常の【思慮】ル , 考え思う。また、おもんばかり。考え。「思慮分別 →第当当急 【急務】ウ急いでなすべき仕事。 冖事故。【思量】ウ思いはかる。考える。また、考え。思料。冖芻」 0 ①せまい。心がせまい。かたくな。 2 さしせまっている。ゆとりが 5 三シ図 si 【思過レ半】ぐ①さとる所の非常に多いこと。②事 ロシ「真 si ~ 幻教おもう 実が想像以上であること。〔易経、繋辞下〕 ない。にわか。突然。きびしい。危ない。「火急」「救急車」 3 ひ心 きしめる。また、ひきしまる。きびしくする。④いそぐ。せく。ま おもい ( ひ ) し心が正しく、少しもまがったところのな 【思無レ邪】よ 画 た、速い。すみやか。「急流」「至急」⑤けわしい。傾斜が強い。 筆 E 田思思 いこと。孔子が「詩経」の詩を評したことば。〔論語、為政〕 「急坂」国序破急の三段階の最後。雅楽などで最後に急三①おもうも。⑦考える。思い嶮、らす。「沈思」④願う。 日ニいかで。いかでか。 日ソウ 望む。⑦したう。恋しく思う。愛する。あわれむ。いつくしむ。〇 いかんぞ。なんぞ。どう 部速度になり全曲の終結に至るもの。 △ニシン zén 形声。心 + 各 ( 及 ) 。音符の及は、おいつくかなしむ。うれえる。①心配する。 2 語調をととのえる助字。心 して。如何の俗 文 ⑩ソモ 語。 一の意味。追われる時の気せわしい心の意味をニおもい。「意思」国おもい⑦うらみ。執念。④喪に 表す。 服すること。また、その間。喪中。 目形声。乍@+ 心⑩。俗語の「作甚麼」 ( どっして ) か マ応急・火急・苛急ウ・緩急・艱急芻ウ・危急・救急・緊客こと ら作られた文字。乍は、作の最初の子音を示し、心は、甚 急・警急・狷急ウ・遑急ウ・剛急・困急・至急・周急・ 会意。田 ( 由 ) + 心。由は、小児の脳の象麼を縮めた音を示す。 ソハ・いかん患麼生。宋代以来の俗語。①いかな 峻急 ~ 「 ~ ・焦眉之急 ~ 】。・性急・早急・促急・短兵急・「、形。頭脳と心でおもあ意味を表す。思を音【怎生】 , 迫急・不急・偏急・卞急ウ 符に含む形声文字に、偲シ・認ンなどがある。 る。どんな。②なせ。何ゅん。どうして。 【急雨】ウにわか雨。 マ意思・懐思・羈思客思・凝思・近思・才思・三思・詩 ①あわてる。あわた 、 5 ①ソウ 【急△遽】轗ウいみそ。あわてる。また、あわてて。にわかに。 思・秋思・愁思・熟思・心思・深思・慎思・静思・千秋思 当 cöng だしい。 2 さとい 2 ス 【怱】川 【急激 % にわかではけしい。急劇。 セ膨・潜思・相思・藻思・耽思・馳思沈思・追思・ あきらか。Ⅱ聡。 【急撃 ( 撃 ) 】ウにわかに撃つ。不意に攻める。 諦思・文思・別思・片思・妙思・黙思・夜思・幽思・離冐〔息〕は正字。〔匆〕は略字。 【急刻】ウきびしい。苛刻「ク。 思・旅思 引形声。心 + 匆⑥。匆は、肉の変形。↓息 ( 2129 ) 。 【急△峻 L* 傾斜が急でけわしい。 【思案】ルン①思い。考え。②心配。物思い。 【怱怱】①いそがしいさま。あわただしい ~ 星。②国手紙 【急所】ウ国①身体の中で、そこを傷つけられると生命に【思。惟①考える。また、考え。〔漢書、董仲舒伝〕思コの末尾にそえる語。急いでいるのでことばをつくさない意。 かかわる大事な所。②物事の要点。 L 匆匆。 惟往古一宿。②Ⅱ思考の②。③囮 ~ イ対象を分別【怱卒】いそがしい六ま。 【急進】ウ①急いで進む。②官位などが急に進みのほすること。 【怱忙いそがしい。せわしい る。③国急に目的や理想を実現しょ , ? 」すること。。漸【思議思いはかる。考える。「不レ可 = 思議一緜こ ⑩タイ 進。「急進主義」 ~ 2 おこたる・なまけるダイ 【思考ウ①思い。考え。②哲学用語。感覚や知覚で得心 【急△須】ウ①酒の燗をする小鍋。②国取っ手のったものをあ、それらの連関・全体・法則性・本質を知る 擘類ム台台 ) 台 いた小さいどびん。茶を出すに用いる。 「つて進む人。精神作用。 「た考え。 【急先△鋒】鬟ウ国ある事件や改革などに、まっさきに立【思索】筋道をたどって深く考ん求める。また、秩序立っ①おこたる。⑦なまける。ゆるむ。油断する。「怠業」④あ däi

5. 「タオ=道」の思想

うたげ 楼に登り宴を楽しみ、ご馳走を食べている。だす、ムだけは、まだ笑うすべを知らぬ えいじ 嬰児のよ - フにひっそりと静まりかえっている。帰るあてもなくしょんばりしている。 人々はみな満ち足りているのに、私だけはそうてはない。 思か者のむのように、 けときている。世俗の人ははっきりしているのに、私だけはうすばんやりしている。 世俗の人は洞察力があるのに、私だけはふんぎりがっかないている。ゆらゆらとたゆ とう海、あてどなく吹きすさぶ風、たとえてみれば、それが私なのだ。人々はみな有 能なのに、ムごけは思かて野暮ったい。ムごけは人々から離れて、母なる自然のふと ころにいだかれていたし 老子の説く無為が、怠惰な無為てないように、 ここて老子が説く思も、思昧の思てはな 赤子の無心な心にも通じる純なる思てあり、知者も及ばぬ大思の心てある。乳母とも える大自然の道にしつかり抱かれ、はぐくみ養われた、一見したところ思にみえる心て ある。世俗の衆人と独り異なる、孤独な老子という思想家の自画像が、少しばかりみえて くるのは、福永光司氏の表現を借りれば、この章て「知恵の果実を食った思人」 ( 『老子』 朝日新聞社刊 ) としての老子の我が語られているからてある。 『老子』第二十章が、「学を絶てば憂い無し」ということばから始まっていることからも 老子像と「老子」道徳経

6. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

173 青白いいやな顔付の鬼女がげたげたと笑っている幻覚を覚いことだ。 はんにや ただ思無邪の眼の前には、現にばあさんが存在し、彼女 える。もし自分の苗字が般若であったら。般若思無邪。自 分でそう言ってみて何か悪い予感のようなものにおびえは気性の強いこざっぱりした、年に似合わず元気できりつ まゆ じようずはたけ としていて、腰もまがらず、繭つくりも上手、畠のきゅう る。部落が近付ぎ子供を呼ぶ母親の声などが聞えて来る。 思無邪は自分の家がダンポサマでないこと、それはやはりゃなすや、とうぎみはどこの畠のものより大きくみのり、 り思無邪の頭の中で、妙にこじれていて、自分の苗字が、梅干は色よくつかり、なす漬けは味がよく、うどんをかた もっともっと恐ろしげな苗字でなかったことをくやしく思くぶち、なっとうのねせ方、やき餅の焼き方など誰も真似 よろい う。お金を出して鎧かぶとを借りて着たのではお野馬追いが出来ず、何よりも孫たちには昔話の上手なばあさんであ るというふうに現われている。その他の何者でもない。周 の仲間にいれて貰えたとしても無意味に思われた。 ばあさんがふと何気なく口にした一つの固有名詞が思無囲の者を見る思無邪の眼の中には、このばあさんの勝気が 邪に強くとび込んで、こつんとかたい核になって深く沈み投影されていたとしてもあやしむに足りない。思無邪が若 もちろん 込んだことなど、勿論ばあさんの知るよしもないことであし、ばあさんの周囲の者のうちの誰かから、内攻した淀ん り、そこにはまるつきり幼な顔を打ちつけた、もうすっかだ取扱いを受けたとしたら、それは実はばあさんへの抗議 り疲れ切ってびつこをひいている孫のシムがばあさんにおが、ねじれて来たのであったろう。 いんきょ ばあさんは今は隠居の住人である。じいさんはとうに死 くれ勝ちにと・ほと・ほ歩いているに過ぎなかったのだから。 んでしまった。今では当住には長男夫婦が納まっている訳 思無邪はばあさんの一番孫だ。という意味は、ばあさんだが、長男の妻に対するばあさんの圧力がなかなかに減少 の沢山の孫たちの中で、思無邪は一番可愛がられた。それしそうもないことが、思無邪にとってのおばさんに当るこ りはばあさんもそう言い、周囲からもそう言われたので、思の嫁が何かにつけて思無邪の気分に重く逆らって来ること 無邪自身それを疑ってみたこともない。ばつばさんは俺こは無理もないことであったと言わなければならない。この 、という前提のもとで、思無邪のいなかでのおカネおばのしうとめへのこじれた気分が、その一番孫の と一番もごい 思無邪にまで及んだのであろう。 一切の行動が行われていることが出来たわけだ。 たいしょてき 思無邪ははあさんの積み重ねて来た生活やばあさんと周ばあさんに比・ヘて、あらゆることが対蹠的であったよう 囲の人たちとの感情の起伏などは全く知らないし、分らななおばさん。それは隠居はいつも掃除が行届いて明るい感 うめし トージ そうじ まね よど

7. 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

「欽明之十一年直梁承聖元年次敏達次用明亦曰目多利思比孤直隋開皇末始与中国通 次崇峻崇峻死欽明之孫女雄古立 : : : 」 ( 欽明十一年、梁の承聖元〈五五一一〉年にあたる。次、敏達、 次、用明、また日く、目多利思比孤。隋の開皇末に、始めて中国と通交す。次崇峻崇峻死して欽明の 孫女雄古立 : : : ) 傍線④の「次、用明、また曰く、目多利思比孤。隋の開皇末に、始めて中国と通交す。 ( ただし、 『隋書倭伝』と『新唐書』との間には、前者が多利思比孤であるのに対し、後者は目多利思比孤であり、目 の文字を含んでいるという違いがあります ) ーの一文によって、多利思比孤は用明天皇と関連した人物 であることがわかります。すなわち、多利思比孤が使を遣わした六〇〇年は推古天皇の時代ですの子 徳 で、多利思比孤についての記述は、順序として「 : : : 雄古立 ( 『新唐書』は「推」の文字を「雄」と 聖 作っています ) 」の直後にくるべきであると考えられます。しかしながら、あえて「 : : 次用明」に 続けて多利思比孤についての記述を載せていることによって、多利思比孤が用明天皇に関連した人此 物であることが強調されていることがわかります。 多 また、『宋史』においては、「文章ーと仮に呼称する以下の一文が所見されます。 章 四 第 ( 文章 ) 按隋開皇二十年倭王姓阿毎名自多利思比孤遣使致書。 ( 案ずるに、隋の開皇二十年

8. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

179 いなかふり つきがさ も月暈のように二人の周囲に架けられている。縄が頭や足緒ごとのかげりを落していたが、表の方の広い庭は陽がま た強く差し込んでいて、土が白く乾きあがっている。 にべたっくのが気持が悪くて二人はふとんをかぶったよう であった。思無邪はキショミちゃんのことが強く思われ表の長廊下の方に出て行った思無邪は、その陽なたをま とうとっ えん た。この組合せではいけないのだとそんな叫び声さえぶつぶしいものに思い、唐突に、縁の下の白い土の中にかくれ かっこう すりばちがたあり ぶっと聞えている。武の意地悪けな物言いよう。シムちゃ棲むべーコ虫の醜い恰好が思い起こされた。摺鉢型の蟻地 んら都会の人には出来なかんべ。武はいつもそういう眼を獄の底を素早くすくい上げて、その中にひそむべーコ虫を しりぜんどう ふつりあ して半笑いに口をゆがめて思無邪を見た。シムちゃんらい掌にのせると、毛深い不釣合いに、大きな尻を蠕動させて こつけい つでもおなごとばかり遊んでんだ。オトコトオナゴトマ あとずさるのが、何とも言えず滑稽なのだ。 ( はたて、藁 メッチョ。その言葉がぎりきりと思無邪に襲いかかる。そすべ、たん・ほ道、うすばかげろう ) うだ、武の言ったことはこのことなのだ。武は本当のこと を言っていたのだった。いけない。そう思いながら、思無 だいたん 邪はだんだん大胆になって行く。ばつばさんが帰って来る かも知れない。・ほんやり想像していた通りのおキイのきっ けつきよく い匂い。そして結極思無邪はどもってしまい、おキイがし つかりした手つきで導く。思無邪にとってのおキイがそこ せたけ で又脱皮する。おキイはずんと背丈がのびて見える。思無 が手の中に感じ取っていたと思えたおキイがついと指の すきまから外にはみ出てしまう。思無邪はおキイをまるで 違った始めての人のように思い始める。こんな風なおキイ ではなかった。でもいつもおキイの従順さが、思無邪の一 切を底深く吸収して、思無邪は却ってみじめに小さく限定 されてしまう。 思無邪はあたりを見廻した。まだばあさんは帰っていな 。竹ゃぶは陽かげになって、気分の上にもひそやかな内 にお かえ わら

9. 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

にある人物と誤認し、「太子は利歌彌多弗利と名づけられている」と表現したのではないか、と推 察されます。 また、このように『隋書倭伝』において、多利思比孤ではなく、その子に対して「利歌彌多弗利 Ⅱ若翁」とする呼称が用いられていることは、逆説的には、多利思比孤とは、「天皇」ではなく 「皇太子」、もしくはこれに準じる地位、すなわち親王に相当する地位にある人物に該当することを 示す結果となります。「多利思比孤ーは「太子」であるという前節における考察結果との整合性は 保たれていることになります。今後、皇太子、もしくはこれに準じる地位にある人物を「若翁」と 記す木簡が出土するか否かによって結論は異なるとは思いますが、現時点においては、一つの仮説 として提示できます。 以上の考察から、仮に、利歌彌多弗利 ( わかたふり ) が多利思比孤 ( たりしひこ ) より一代世代が 下がるのであるのならば、多利思比孤とは、皇太子であった厩戸皇子 ( 聖徳太子 ) を指すという解 釈は成り立ちます。 「多利思比孤」は号 「多利思比孤」が人名ではなく、「太子日子」という号、もしくは一般名詞を表わしている可能性 については先述いたしましたが、「利歌彌多弗利 . も人名、すなわち、固有名詞ではなく一般呼称 名である「若翁」を意味していることは、「多利思比孤 . が号であることの支証となります。 1 ラ 2

10. 現代日本の文学 42 島尾 敏雄 井上 光晴 集

かき起した。その感情はさあっと身体全体に広がって行っることが出来た。し、思無邪はおキイの固い未熟な身体 くめ たのだが、粂おじの権威の為に、思無邪は、子供だから気を正視することが出来ない。馬鹿なおキイだ。おだてにの がっかなかったという顔付をしなければならなかった。そって。下腹部のそっけないふくらみが一層あわれだ。然し、 かんべき れは恐らく完璧な演技であった。粂おじは、その辺に脱ぎおキイをそのように踊り出させたものの力に思無邪はおび 捨ててあった三尺帯で、思無邪とおキイに小さなふんどしえた。思無邪はおキイを自分の言いなりに従わせることが をつけて呉れた。粂おじはねば土がはいれば大へんだと言出来ると思っていた。自分はおキイにそのような踊りをさ った。思無邪はみんなおキイのせいだと思った。 せることは好まない。それは別にロに出しておキイに言っ また 又、これは二人とも小学校に行くようになってからのこてやらずとも、おキイは思無邪の顔色を見て、おとなたち はす とだ。都会の思無邪はノートを使ってランドセルを背負っ のからかいに乗る筈はないことに思っていた。それなのに かばん ろうせき やすやす ても、いなかのおキイは肩からさげる鞄の中に石板と蠍石おキイは易々と動き出している。おキイの中に思無邪が支 はかま をいれていたし、赤い着物に紺の小さな袴をはいて、髪は配することの出来ない動きの芽があるということの発見は 二つに分けてもっといで幅広く固く結び、左右にびんとと思無邪をおびえさせた。おキイはすなおで気だてのやさし び出させていたような時のことだ。それでもおキイは未だい娘だという評判をとっていたのだったが。 二本鼻をたらしていた。おとなのいとこたちは、日がくれ幼ない日の、おキイについてのそのような印象が、思無 て隠居に遊びに来た時に、おキイをおだてて、はだか踊り邪の持っているおキイの正体であった。思無邪はおキイの をさせた。するとおキイは、ま・こ、 。ナカになって踊ったのだ。 どこもかも知っているのだと思い込んでいた。それだから オイトコソーダョ、コンノノレンニ、イセャト、カイタンおキイのことは、好き嫌いというような感情ではかること おもしろ ョ。おとなたちが面白がってはやしたてると、おキイはロも出来ないようなものだ。 ていしよっこう をとがらせて、わざわざ低燭光の電燈の下にまで出て行っ好きだとか嫌いだとかを言おうとすれば、おじの持ち家 て、手をあげ、お尻を振って踊った。おキイの眼はぎよろである街道の長屋に住んでいる鉄道工夫の組長の娘のキョ っと大きく、みんなに算盤まなこと言われていた。ソロ・、 、、のことを思い出す位だ。どこか町方の娘らしいキョミの うわくちびる すがたようす ンマナクノ′ 、・、ツチ・ハチ。上唇が心持ちそっていたので姿容子が思無邪の気持をひいていたのだろう。転勤して歩 横から見ると、ロがとんがっているように見えた。それでく家の子供らしい言葉のなまりのうすらいだかたさ、模様 おキイは自分の顔をすぐすっとんきような顔付にしてみせのついたうすい着物、髪の毛にはリポンを結び、たまに鈴 そろ ! ん ため こん シムャ