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新潮45 2016年09月号

米英は、原爆が存在するようになり、ポた。だが、曲がりなりにも同盟国であり、を前提に、この革命的工業製品に使われ ツダム会議が始まる前に、すでに日本にその後も共に戦後処理に当たらなければた。ハテントは、どちらの国の誰のものか 対する原爆の使用を決定していたことにならないソ連に、原爆のことを伝えないについて論争を始めていた。そして、こ なる。ポッダム会議やその前後に、米英わけにはいかない。そこで前述のようなの争いは、音邦にも日本の原発導人とも 首脳の合意によってこの決定を覆すこと曖昧な言い方をすることになった。米英結びついていた。年代の半ばに日本の は可能だったが、彼らはその必要性を認の原造関係者に多くのス。ハイを持っ核武装を恐れたアメリカは、当時の原子 めなかった。 ていたスターリンは、これでもトルーマカ長正カ松太郎の懇願にもかかわら とはいえ、本誌 ~ 万でも述べたように、ンが言っているのは、原爆のことだとすず日本に原発を与えようとしなかった。 チャーチルは無条件降伏にこだわるトル ぐに理解したという。 その日本に積極的に原発を売り込んだの ーマンに、条件付き降伏を日本に認めて、 では、米英はポッダム会議とその前後はイギリスだった。この経緯は拙著『原 すぐにでも降伏させるように再三説いてに原爆について、なにも議論しなかった発・正カ・』で述べたが、なぜ同 いた。彼にとって、原爆を使用するかどのだろうか。米英の第一次資料はそうで盟国のイギリスが、アメリカが嫌がる原 うか、血案件降伏か有条件降伏かは大きはなかったことを示している。米英のト発の輸出に積極的だったのかについては な問題ではなく、一日も早く戦争を終ップと原爆開発関係者は、ポッダム会議考えが及ばなかった。 わらせ、兵士を復員させ、疲弊した産の前の 7 月肥日から、ポッダム会議最終今回イギリス側の公文書を調査した結 業を立て直すことが最優先だったから日の 8 月 2 日までの間、つまり、原爆投果、イギリスをそのような行動に駆り立米 下を目前に控えた時期に、ある贈につてたのは、ポッダム会議での米英の原爆 むしろ、米英首脳は、スターリンに原いて論議を重ねていた。 の。ハテントの帰属をめぐる争いとそのあ 爆の存在のことをどう伝えるかに心を砕それは、せんじ詰めれば、原爆はどのとのアメリカとの関係の決裂であったこか いていた。ストレ 1 トに伝えれば、ソ連国の所産かということだ。さらにいえば、とが分かった。そこで、米英の国立公文 の は急いで対日参戦してしまう恐れがあっこの原爆製造というプロジェクトに使わ圭贔とナフィールドカレッジ図書館所蔵 は た。米英は原爆が完成したあと、これをれた。ハテントは、どちらの国の誰のものの資料に基づきつつ、この両国が原爆投原 使用することで日本を降伏に追い込めるかということだ。米英はすでに原爆が投下を旦にした時期に、この贈につい と考え、ソ連の参戦を望まなくなってい下され、世界に大きな衝撃を与えたことてどのような暗闘を繰り広げていたのか、

新潮45 2016年09月号

みるとわかるのだが、ポッダム会議の間こととされていたからだ。 原爆投下とポッダム会議 に日本に対して原爆を投下すべきかどう軍事目標に近い日本の都市に謦告で 原爆は 1945 年 ( 以下西暦は下一一桁かという議論はまったくなされていない。原爆を投下するという決定は、アメリカ のみ ) 8 月 6 日に広島に、 8 月 9 日に長会議中の 7 月 % 日にアメリカ大統領のハ側ではポッダム会議のはるか前の 5 月引 崎に投下された。その前の 7 月日からリー・・トルーマン大統領がソ連のト日の暫定省会 ( 原爆を含む原子力 ップのヨシフ・スターリンに「われわれの鬮を暫定的に取り扱う大統領の諮問 ドイツのポッダムで米英ソの首脳会議が 開かれ、同月日にポッダム宣言が出さは異常な破壊力を持った新兵器を持って会 ) でなされている。それが原爆の いる」と告げただけである。これに対し共同開発にあたっていたイギリス側に れ、それを日本は日に受諾拒否した。 てスターリンは「それを日本に対して使打診されたのは 6 月四日で、チャーチ この流れから、私たちは暗黙のうちに、 ルがそれに同意を与えたのは 7 月 4 日 原爆投下を巡る議論がポッダムでなされ、うことを望む」といったとされる。トル ーマンとイギリス ~ 自相ウインストン・チだ。 それを踏まえてポッダム宣言が出され、 これを日に拒否したことで日本に原爆ャーチルの間でも、会議中に日本に対し原爆の実験が行われ、それが成功だと て原爆を使用するかどうかという議論は分かるのは 7 月日で、ポッダム会議が が使用されたと思っている。 しかし、米英の第一次資料に当たってされていない。それはすでに決定済みの正式に始まるのはその翌日なのだから、 原爆は誰のものか 知られざる米英の暗闘 米英共同で開発が行なわれていた原子爆弾。この革命的工業製品に使われたバテントは どちらの国に属するのか戦争終結前から熾烈な駆け引きが始まっていた。 新資料発掘 早稲田大学教授 1953 年生まれ。早稲田大学第一文学 部卒。東北大学大学院文学研究科博士課 程単位取得。ミズーリ大学客員教授等を 経て現職。「歴史問題の正解」 ( 新潮新 書 ) など著書多数。 有馬哲夫 ありまてつお September 2016 242

世界 2016年07月号

させたくない」綱渡りの対応を選択した重に避けながら、台湾新政権に圧力を引確に謝罪しなくても、悔悛の態度を示し たと受けとめられるのではないか。アメ と評し、民進党系の立法院長蘇嘉全の言き続き加えていくとの見方を示した。 葉「最大限に善意を示した」も紹介した。台湾海峡をはさむ「戦争でもなく、平リカが弱みを見せたことになるのではな いか。決意の欠如の現れではないか」と 米国務省は両岸関係の現状維持を促す和でもない」新しいラウンドの駆け引き ( 朱 ) の反対論がある。しかし⑩は、この見方 コメントを出したが、米国の中国問題専が始まったことは確実だ。 門家は二三日、ウイルソン国際センター を「愚か」と一蹴する。被爆地訪問は オバマの広島訪問 「歴史を抱きしめるもの」であり、「戦争 に集まり、検討会議を行った ( ⑩ ) 。元 の悲惨なコストと核戦争の恐怖」を認識 駐中国大使ロイは、蔡英文は北京の立場主要七カ国首脳会議 ( 伊勢志摩サミッ に対してかなりの歩み寄りを見せたが、 ト ) 出席で訪日の際、米国のオバマ大統するものだとその意義を説いた。 北京はそれに満足するはずはなく、今後領が広島も訪問する方針を発表した。七「世界各地で何十もの紛争が続いてい 数か月間、膠着しながら双方が打開策を一年前の原爆投下以降、現職の米大統領る二〇一六年」に訪問するのは時宜にか 模索する期間が続くと展望した。中国問が広島を訪れるのは初めて。ローズ大統なっており、北朝による核実験などを 題専門家グレーザは、今後数か月間の試領副補佐官は「広島で『核なき世界』の引き合いに出しながら、「核の脅威が今 なおリアルなものであること」を忘れて 金石として、台湾立法院の審議、教科書理念のもとで平和と安全を追求するとい 指導要綱の調整、の対応、蔡英文う米国の考え方を再確認する」と意義をはならないと論じている。そして、「過 去 ( 原爆投下 ) は必ずしも ( 将来起きること が六月末にバナマを訪問する際の米国立強調した。 ち寄りなどを指摘した。 ここでは訪問決定が発表された段階でヘの ) プロローグではない」との期待を 蔡英文の演説に関し、中国国務院台湾の論評に焦点をあてることにする。米国語るが、それはあくまでも、「過去から 弁公室は、「書き終えていない答え」との⑩は、第二次世界大戦末期に二発の原学ぶ限りにおいてという条件つきだ」と のコメントを出したが、台湾民進党側爆が広島、長崎に投下されたことで、今締めくくったのが印象深い。米国の⑩の ( ⑩ ) は、中国の台湾問題専門家周志懐、日まで続く「 ( 人類初の核攻撃に関する ) 困論調も、訪問の意義に重きをおく。ホワ 評 劉国深らは蔡演説に一定の評価を与え、難で道徳的な痛みを伴う歴史的な議論」イトハウスは過度に期待が膨らむのを警 月 戒するが、「核のない世界」へのオバマ 論「今後を見守る」との姿勢を示したことが始まったとみる。 世に注目し、北京も対決、決裂の局面を慎オバマ大統領の広島訪問に対し、「明大統領の「ビジョンを前進させる新たな アメリカ

世界 2016年08月号

続ける現代に無自覚のままはびこる人間倫理の退廃をも告発米国は明確な道義的責任を負うことになる」と言明している。 原爆投下という人類史上最悪の惨劇をもたらした最高責任者 する啓示として、胸中に響いたからだ。 の一人であるステイムソンのこの言葉は、オバマ大統領が尊 筆者は被爆七〇年の昨年、連載企画記事のリサーチのため、 厳と威厳をもって被爆地で放ったメッセージと不思議な相似 「マンハッタン計画」や原爆投下に至る政策決定過程を記し 形を描く。そのことは、二人の言わんとするところが、核と 世た米国の解禁公文書を、つぶさに検証する機会を得た。その 人類の向き合い方を考える上で、強靱な普遍性と透徹した真 作業の中で、生身の人間、しかも非戦闘員である女性や子ど 理性を帯びていることを示唆していないだろうか。 もにまで核兵器を使うことに対し、深い葛藤と否定しようも ない罪の意識、素朴な良心の呵責を覚えた者が米政権上層部 「動線」めぐり外交戦 に少なからず存在した事実にあらためて気付かされた。 しかしながら、オバマ氏の広島演説を政策面から吟味する ここではその詳細に立ち入らないが、一九四五年五月末か と、残念ながら、その内容はとても十分とは言えない。「核 ら六月にかけ「日本に対する早期の無警告原爆投下」を決め 兵器のない世界の平和と安全を追求する」と力強く言い切っ た最高諮問機関・暫定委員会の議論に参加した高官の中には、 「米国は偉大な人道主義国であり、原爆投下の一一、三日前に事た七年前のプラハ演説と比べると、明らかにパンチに欠け、 ヾード ) と、ま 物足りなさと一抹の寂寞すら感じたのは恐らく、筆者だけで 前の警告を与えるべきだ」 ( 海軍次官のラルフ・ノ はないだろう。絶大な権力と重大な責任を抱く米国の大統領 さにモラルの観点から核兵器の無警告・無差別使用に反対す が被爆地でうたい上げた重要演説、しかも被爆した大勢の死 る者もいた。陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルも五月二 者が眠る「聖地」で行った意思表示にしては、「理念先行」 九日、陸軍長官のヘンリー・ステイムソンに、原爆はまず の性格が強すぎる。被爆者らが希求し続けてきた核廃絶への 「純粋な軍事目標」に使うべきだと訴え、無辜の民には退避 道筋を描くための、説得力ある政策提言も、最後まで何ら聞 勧告が与えられなくてはならないとの認識を示している。 かれることはなかった。 また、ステイムソン自身も四月二五日、大統領に就任した 仮にその語り手が哲学者や宗教家、あるいは歴史家ならば、 ばかりのトルーマンに「モラルの向上が技術の進歩に伴わな オバマ氏の広島演説は、核と人類の関わりを考究する上で深 い世界において〔原爆の登場は〕現代文明の完全破壊をもたら 遠なる含意を帯びた名演説として歴史に記され、人々の記憶 す可能性もある。戦争を主導し原爆開発を先導したことで、 せキ、ばく ( 2 )

世界 2016年08月号

米軍補完戦力化を狙う国防総省や「日米同盟瓶の蓋」論の米 しかしながら、多くの人々を感動させたオバマ大統領の広 太平洋軍司令部からの要請であろう。 島演説は、世界中の人々を感激させながら実は熾烈な核軍拡 いざな オバマ大統領の広島訪問に対し、歴史認識問題で日本を糾競争へ誘ったアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」 弾し続ける中国、韓国、北朝鮮は「侵略戦争の加害者である 国連演説が実は人々を来るべき米ソ核軍拡競争に備えさせる 日本が被害者の側面を強調するのは問題だ」などと論評して 「キャンドル作戦」なる心理作戦の一環だったように、道義 いるが、加害国・被害国という二項対立が虚構である戦争の性を訴える美しい修辞によって、核兵器による無辜の民間人 醜悪な実態を ( おそらく意図的に ) 無視した陳腐な論評と言わ 大量殺戮という戦争犯罪性を曖昧にし、密かに進行する核拡 ざるを得ない。日本のマスメディアは「オバマ大領領が謝罪 散と核兵器使用の危険性の高まりという危機的現状から人々 するか否か」を事前報道で書き立てたが、これもまた戦争の の問題認識を逸らす心理的効果をもつ。実際にこの演説は、 実相を理解しない皮相的発想だ。広島・長崎への原爆投下が 「核兵器が唯一実戦で使用された」被爆国日本を慰撫し、米 人類に示すのは、ベトナム戦争経験のあるケリー国務長官が 国の「核の傘」に不安を持ち日米同盟よりも独自抑止力強化 広島訪問で看取したように、無辜の民間人を巻き込み大量殺 を唱える日本国内の一部ナショナリストを牽制して日米同盟 まいしん 戮する戦争の本質的残虐さ、醜悪さだ。「再考核と人 再強化を図る一方、核兵器開発に邁進する北朝鮮、ウクライ 類 ( 1 ) 」で紹介したアルペロヴィッツ教授がいみじくも指摘ナやシリア内戦で米露核軍縮条約の実行が停滞しているロシ したように、「日本の侵略戦争を憎悪し原爆の対日投下を正 アへの暗示的呼びかけなど多様なアジェンダを織り込む、非 克 超当化する気持ちは分かる、それでもヒロシマの問題は残るの 常に高度に練り上げられた戦略的演説、心理作戦の産物だ。 実際には、米国は核戦力の維持・近代化のための予算を一一 だ」。軍事作戦上必要もないのに、無辜の民間人を考えうる 国限り最も残虐に大量殺戮して絶大な破壊力を誇示することを 〇一一年の二一三〇億ドルから二〇一四年には三五五〇億ド 核絶対権力・覇権の礎とする、そのような絶対兵器と絶対権力 ル ( 約三八兆円 ) へと大幅に増大させ、前述したように向こう の相乗性が核兵器を「悪魔の兵器」とする所以である。この 三〇年間で一〇〇兆円もの巨費を核戦力強化に投じる見込み 題 課 ような核兵器の悪魔的本質を理解せずに、絶対兵器として核 である一方、オバマ政権は米国歴代政権の中で最も核兵器削 の 減のペースを落としている。また、米国は小型核弾頭装填の 絶兵器を信奉する無知ほど危険なものはない。四月に広島訪問 器して衝撃を受けたケリー国務長官は、その真摯な所感からも、 地下貫通弾も開発済みで、すでに中東等の実戦で実証済みと 核この戦争と核兵器の本質を直ちに看取したと思われる。 も疑われる小型核兵器の拡散と核兵器使用という非常に深刻 特集 2

新潮45 2016年08月号

ソ連の背信こそ 原爆投下の元凶だった チャーチルは戦後、原爆投下に至るまでの経緯を外務省にまとめさせた。 その文書には「スターリンの背信」と「ソ連の罪」が明記されていた ロシアのセルゲイ・ナルイシキン下院効を設けずに訴追しなければならない、 ていかに重大な背信行為をおかしたか、 議長は、 6 月日に開いた記者会見で、 そのための調査をすべきと提一一一口している。それが原爆投下とどう結びついていたか 前日に安倍晋一一首相と会談し、その席で、私はこれまでも、原爆投下は必要なか が明らかになるだろう。日米間に楔を打 ソ懼が黶投下後の広島と長崎を撮影った、それを強行したのは人道に対するち込むどころか、反ロシア咸を一層高 した映像を渡したことを明らかにした。大罪であると主張してきたので、議長のめるだけだと気付くにちがいない。 彼はまたバラク・オバマ大統領が 5 月提案に諸手をあげて賛成したい。アメリ そこで以下では、従来のアメリカ側の 日に広島を訪問しながらも、原爆を投下力の原爆投下を非難するのは、国連常任資料に加え、イギリス公文聿贔とオック したことを引しなかったことを厳しく理事国のなかではロシアだけであり、そスフォード大学ナフィールドカレッジ図 非難するコメントも付け加えた。 の国際的影響力を考えると、感謝したい圭最に所蔵されている新資料も踏まえて、 ナルイシキン議長はウラデイミール ほどだ。是非、時間とお金と人をかけてソ連が原爆投下にどのような責任がある プーチン大統領の側近といわれ、 2 年前綿密に、この非人道的行為が起きた過程かを明らかにしたい。 の肥月 % 日にロシア歴史樊評議会 の幹とその責任関係を調べてもらいたい。そ 下院議員の問い 部会合で広島と長崎への原爆投下をナチうすれば、議長や大統領の思惑とは逆に、 スの人道に対する犯罪と同じように、時ロシアの前身であるソ連が、日本に対し 1946 年肥月日、イギリスのトマ 新資料発掘 ありまてつお 早稲田大学教授 1953 年生まれ。早稲田大学第一文学 部卒。東北大学大学院文学研究科博士課 程単位取得。ミズーリ大学客員教授等を 経て現職。「「スイス諜報網」の日米終戦 工作」など著書多数。 有馬哲夫 A 馳 2016 142

世界 2016年08月号

核兵器廃絶への課題 再考核と人類 ( , 池上雅子 五月一一七日伊勢志摩開催のサミット後「核兵器を実戦取すべきだ。それは、核兵器の脅威を終焉させる我々の義務 使用した唯一の国」の現職大統領として初めてオバマ大統領 のみならず、戦争そのものを避けるために全力を傾注しなけ が広島を訪問。原爆資料館を短時間だが曲がりなりにも見学、ればならないことを強烈に想起させる」と記帳した。ベトナ 安倍首相と共に原爆慰霊碑に献花し、広島出身の岸田外相か ム戦争を体験し戦争の凄惨さを実感している長官ならではの ら原爆ドームの説明を受けるという歴史的機会となった。こ 真摯な感想で、人間としての誠実さを感じさせる。 れに先立ち、二〇一六年四月一〇ー一一日、広島で主要七カ 一九九六年に国際司法裁判所 (—o—) が国連総会に提出 国外相会合が開催され、米国、英国、フランスなど した「核兵器の違法性」の勧告的意見をまとめた当時の裁判 核保有国の現職外相が初めて被爆地広島を訪れた。それまで長モハメド・ベジャウィ氏は、原爆投下七〇年忌に広島で開 広島訪問した米国要人としては最高位のケリー米国務長官は 催された朝日新聞社主催国際平和シンポジウム「核兵器廃絶 原爆慰霊碑に献花、原爆ドームと原爆資料館を予定時間を大 への道」で「核兵器は悪魔の兵器」と断一一一一口した : へジャウィ 幅に超過して見学後「衝撃的、胸をえぐられるよう」と語り、 氏の出身国アルジェリアは、植民地時代の一九六〇年から宗 「世界の全ての人々が広島を訪れ、この記念館の力強さを看主国フランスがサハラ砂漠で行った核実験で二・七万ー六万 特集 2 いけがみ・まさこ東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業後、東京大学大学院 人文社会系研究科で社会学博士号取得、スウェーデンのウブサラ大学平和紛争研究所で 学術博士号 (Ph. D) 取得。ストックホルム大学政治学部教授、同大学アジア太平洋研 2 究所 (OQ-<O) 所長を経て、現在、東京工業大学大学院環境・社会理工学院技術経営 専門職学位課程 / イノベーション科学系教授。研究領 域は、軍縮軍備管理、核不拡散問題、アジア地域安全Ø 界 保障問題と信頼醸成構築、紛争予防・紛争解決など。 世 ィーー「核帝国主義」の超克

文藝春秋2016年8月号

というんです。訪問前には「謝罪は、とても難しい。難しいことを承万人および日本人一一十五万人が完全 は求めず」としていました。オバマ知で言えば、戦争について日本人な破壊から救われ、双方ともその倍 氏の訪問当日には、被団協の幹部がは、被害者の側面ばかり強調して甘の人間が障害を負うのを免がれたと 新聞の取材に答えて、「被爆者の痛えていないか。自分の卑劣な行為推定した。原爆投下を命じた当事者 みを感じとってくれた」「オバマのを、忘れすぎていないか。 として、私は広島と長崎の犠牲は日 言葉は力強いメッセージだった。私原爆資料館の出口に置いてあるノ本と連合国の将兵の福祉のためにせ たちもオバマ大統領の言葉をかみし ートには、見学者のさまざまな声がつばつまった必要な措置だったと考 めて、あらためて核廃絶について考書き込まれます。ほとんどは被爆者える」 アツツ島、サイバン、テニアン、 えていかなければならない」と、率への同情であり、核廃絶への願いで 直な感想を語っていました。 す。そんな中に、日本のジャーナリ ヘリリュー、硫黄島、そして沖縄 ところが半月後に総会を開いたズムが決して報じない感想がある。 と、日本軍はことごとく玉砕するま ら、批判決議の採択に至ったという私がこの目で見たのは、「 You で戦いました。当然、アメリカ軍も のです。どうしたんでしようか。家 deserved it. ( 当然の報いだ ) 」。激しく消耗しました。こんなに苦労 に帰って嫁はんに怒られたんやろ「 Remember Pearl Harbor 」は、何してまで南太平洋の島々を取らない か。「謝れ謝れ」言ったところで、 カ所も書き込まれていました。 かんのかと、アメリカでは反戦世論 アメリカに「謝らへん」と言われた原爆投下を決定したトルーマンも高まっていた。だからできるだけ ら、もういっぺん戦争するというつは、大統領を退いたあとの昭和三十損害を少なく、早く戦争を終わらせ もりなのでしようか 三年、広島市議会にこんな手紙を送たかった。あちらにはあちらの事情 っています。 があったのです。 トルーマンの手紙は、こう続いて ヤミ討ちという「汚名」「軍事当局者たちは原爆投下の数日 後に日本が降伏したときに、この降います。 被害者意識について言及すること伏で少なくとも連合国軍将兵二十五「もし日本が四一年十二月にバール ( 288 )

世界 2016年07月号

セントの人が「原爆投下は正しかった」と信じていたのに対 いうメッセージをその言葉に込めた。 その「多数」をさらに増やして、世界の圧倒的多数の世論し、二〇〇九年のキニピアック大学による調査では約六七バ ーセント、二〇一五年の時点では、五〇バーセント台に下が で、米国だけでなく、他の国の政府にも影響力を行使できる った。つまり、オバマ政権の誕生時から現在までの間に、か ようにする、またオバマ大統領が反対陣営に靡かないように 世するという目的で「オバマジョリティー」キャンペーンを始なり急激に世論が変わったと考えて良さそうだ。それが、 「広島訪問」イコール「謝罪」だという前提での反発が少な めた。 かったことにつながっている。 その年の広島市の平和宣言でも、趣旨を説明し、世界に呼 ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが社説でオ びかけた。 ハマ大統領の広島訪問を支持し、勧めた背景には、このよう 二〇〇九年一〇月には、ジョン・ルース米国大使が広島を な世論の変化があった。 訪れ、一一月の訪日スケジュールも含めてオバマ大統領の広 島訪問について情報交換をした。 「核依存集団」との折り合い 二〇一〇年一月には、全米市長会議の皆さんとともにホワ ウイキリークスによると、二〇〇九年一一月のオバマ大統 イト・ハウスでオバマ大統領にお会いし、直接「近いうちに 広島においで下さい」と招待した。大統領からは「ざ一 would 領訪日の際に、アメリカ側は広島訪問について日本の外務省 に打診し、外務省は「時期尚早」という理由でこのオファー like 6 come 」という力強い答えが返ってきた。広島訪問は実 を拒否した。 現すると確信した瞬間だった。 被爆者や被爆地も含めた世論からは、「時期尚早」という 同年八月六日の平和記念式典には、米国政府の公式代表と 結論にはならないはずである。外務省が極めて不自然な回答 して、初めてルース大使が参列した。 をした理由として一つ考えられるのは、オバマ大統領の広島 その後、記念式典には国務次官も参列し、今年四月に広島 で開かれた 7 外相会合にはケリー国務長官が出席、平和記訪問が実現すれば、当時政権を担っていた鳩山内閣の功績と 見られてしまう点だろう。 念資料館の見学もするという流れができた。 「時期尚早」だったもう一つの理由は、集団的自衛権や戦 もう一つ大きな要素のあることを忘れてはならない。それ 争法についての準備ができていなかったために、オバマ大統 は、米国の世論だ。一九四五年の時点では八五から九〇バ なび

学問・宗教人物事典

げんばくとうか 原爆投下を知ったアインシュタインは「ああ」 ことばうしな とつぶやいたきり、しばらく言葉を失った。 せんげんしよめい にんがくしやひとりゆかわひできかた ラッセルーアインシュタイン宣言に署名した 8 人の学者の 1 人、湯川秀樹と語らう。 にんげんひとみ しんどうひかり かん げんしばくだんそうたいせいりろん と呼びます。人間の瞳はその振動で光を感じる いう情報が入りました。原子爆弾は相対性理論 こうそく ひかりなみ はつあん きようりよく ばくだん せんそう きら のですが、光を光速で追いかけたとき、光の波 をもとに発案された強力な爆弾です。戦争を嫌 せいし とおす ざんぎやく が静止して見えるとすると、通り過ぎることの ったアインシュタインも、ナチスの残虐な行為 しんどうすう はやげんしばくだんかい ない振動数 0 の光は、纛じられなくなってしま を止めるには、ナチスよりも早く原子爆弾を開 かんが かいはっと います。そんなはずはないと考えたアインシュタ 発するしかないと考え、アメリカでの開発に取 こうそく だれ かくしん ばくだんかんせい インは、光速は誰から見ても一定なのだと確信 り組みました。しかし、その爆弾が完成したの もんだいかんがつづ ねん こうふく ねん とうか じっさい しました。そして、この問題を考え続けて 10 年 は 1945 年のドイツ降伏後で、それが実際に投下 こうそく はや いどう せかい 後、光速に近い速さで移動する人から見た世界 されたのは日本だったのです。アインシュタイ こうそく くうかんじかん し、ってし、 ンは、らの理論が数十万人の市民の命を奪う では、光速を一定に保っために、空間や時間が のちぢ とくしゅそうたいせいりろんはっぴょう かな せん 伸び縮みするのだとする特殊相対性理論を発表 結果となったことを悲しみました。そして、戦 ねんいつばんそうたいせいりろん かんせい かがくせんそう はんたい ・つ - つ、 しちよく し、 1915 年に一般相対性理論として完成させた 後は科学の戦争への利用に反対し続け、死の直 じぶんそうたい ぜん てつがくしゃ のです。のちにアインシュタインは、自分が相対 前には、イギリスの哲学者ラッセルとともに核 せいりろんはつけん りゆう はいぜっうった せんげん 性理論を発見した理由をこう語っています。「普 廃絶を訴えるラッセルーアインシュタイン宣言 つうひと わす じかんくう しよめい かくはいぜっ みち 通の人が子どものころに忘れてしまう時間や空 に署名し、核廃絶への道しるべを残しました。 かん ふしぎ おとな 間についての不思議を大人にな かんが っても考えていたから、ほかの ひと もんだい ふか 人よりも深く問題を追究するこ とができたのです。」 だいにじせかいたいせんげんしばくだん 0 第ニ次世界大戦と原子爆弾 ねん 1930 年ころになると、祖国ド ひき イツではヒトラーの率いるナチ せいりよくつよ じんはく スが勢力を強め、ユダヤ人の迫 カゞし、 害を始めました。ユダヤ人で、 へいわしゅぎしゃ 平和主義者だったアインシュタ こうぜんひなん インは、ヒトラーを公然と非難 ねん してドイツを追放され、 1933 年 にアメリカに移住しました。第 にじせかいたいせんはじ 二次世界大戦が始まると、ナチ げんしばくだんかいはつはじ スが原子爆弾の開発を始めたと じようほう はい ひかり ひかり カん かんが はつ いってし、 ちか ひと にほん けっか りよう てんさい すがお 天才アインシュタインの素顔 ついきゅう てんさい せかいじゅうなまえ 天才として世界中に名前を知 られたアインシュタインだった すがお が、その素顔はユーモアを好み、 おんがくあい そぼく けんい 音楽を愛し、権威を嫌う素朴な ひと たの きんじよ 人だった。頼まれれは近所の子 きかがくしゆくだい きやすて どもの幾何学の宿題を気安く手 つだ ぜんもんせいかい 伝い、それも全問正解ではなか てがみ ったという。手紙が好きで、科 がくしゃなかま せかいじゅう 学者仲間をはじめ、世界中の子 みすか てがみ どもたちから届く手紙にも自ら 返事を書いていた。 えんそう バイオリンを演奏する アインシュタイン。 きら はじ とど ついほう へんし いじゅう