持っ - みる会図書館


検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
231件見つかりました。

1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

241 第 124 段 きようもんかたはし らないことだ」などと言うのを、「なるほど」と言って、 するといって、これときまったこともない経文の片端を口 くしやじゅ とな にしたり、倶舎の頌を少し唱えつづけて歩きまわるのこそ、少し下がって歩く者もあるし、また、耳にもとめないで、 ほとけ 場所が場所だけには、おもしろい。自分がのばるのは、ひ「自分が、だれよりも先に早く仏のおん前に」ということ - 」うらん で、行く者もある。お籠りの部屋に行く間も、人が並んで どくあぶなっかしくて、わきの方に寄って、高欄につかま って行くのに、あの若い坊さんたちはまるで板敷などのよ座っている前を通って行くので、ひどくうとましい感じが いめふせ ないじん うに思っているのもおもしろい。坊さんが「お籠りの部屋するのに、それでも犬伏ぎの内側の内陣をのぞいた気持は、 はきもの の用意ができている」などと言って、いくつもの履物を持非常に尊く、「どうしてここ幾月もの間お参りしないで過 って来て、わたしたちを車からおろす。 してしまっているのだろう」と思われて、何より先に信心 すそ 着物を上の方に裾をはしよりなどしている者もある。裳 の気持を自然おこすようになる。 とうみ・よう・ド 4 , ' ・ からめ ふかぐっほう や唐衣などを四角ばって着飾っている者もある。深沓や半 仏前の御灯明の、常灯明ではなくて、内陣に別に参詣の ろう 靴などをはいて、廊のあたりなどを、沓を引きずってお堂人がお供え申しあげてあるのが、恐ろしいまでに燃えさか こんじき っているのに、本尊の仏さまが金色にきらきらと光ってお に入って行くのは、宮中あたりのような感じがして、また おもしろい 見えになっていらっしやるのが、たいへん尊いのに、坊さ がんもん がた 奥向き、外向きなど両方の出入りを許されている若い男ん方が手に手に参詣人の願文をささげ持って、礼拝の座に あと えんべん 向ってロキチカフ声も、あれほどまでに堂内が大勢の張り たちゃ、縁辺の子弟などが、後にまたずうっとつづいて、 あげる祈願の声でいつばいに揺れ動くので、これはだれの 「そこのあたりは低くなっている所でございますようです。 そこは高くなっている所 : : : 」などと女主人に教えながら願文と、一つ一つ取り離して聞き分けることもできないが、 坊さん方が無理にしばり出している声々が、そうは言うも 行く。何者だろうか、女主人にひどく近寄って歩いたり、 せんたん ののまたはかの声にまぎれないで、「千灯のお志は、だれ 先立ったりする者などがあるのを、従者たちが、「しばら く待て。高貴なお方がいらっしやるのに、こんなには近寄それの御ため」と、ちらっと聞える。わたしが掛け帯を肩 か そな

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

してやって来た。「そうではない。私用なのです。もし、 いるのにつけて持って来ている。絵なのだろうかと、急い へいだん この弁官や、少納言などの所に、こういう物を持って来て 2 で取り入れて見ると、餅餤という物を、二つ並べて包んで しもべ げもん いる下部などには、禄を与えることがあるのですか」とた あるのだった。添えてある立文に、解文のように書いて、 子 しんじゃう ずねると、「そんなこともございません。ただ手もとにお 進上 草 ひとつつみ いて食べます。どうしておたずねあそばすのですか。もし 餅餤一包 枕 じようかん かしたら政官の役人の中のだれかから、おもらいになって 例に依りて進上如件 おいでですか」と言うので、「まさかそんなことは」と答 少納言殿に うすよう える。ただ返事を、たいへん赤い薄様に、「自分自身で持 とあって、月日を書いて、「みきなとのなかゆき」とあり、 ってやって来ない下部は、ひどく冷淡なように見えます」 その先に、「この下男は自分自身で参上しようとするので と書いて、すばらしい紅梅につけて差しあげると、すぐさ すけれど、昼は顔がみつともないと言って参上しないので まおいでになって、「下部が伺っております」とおっしゃ す」と、たいへんうつくしく見える筆跡でお書きになって ある。中宮様の御前に御覧に入れると、「すばらしい筆跡るので、出たところ、「ああいった物には、歌を詠んでお よこしになったと思ったのに、なんとも立派に言ってあっ だこと。おもしろくこしらえている」などとおほめあそば たことですね。女で、少し自分こそはと思っている人は、 されて、そのお手紙はお手もとにお取りあそばされてしま った。「返事はどうしたらよいのかしら。この餅餤を持っ歌詠みめいたふるまいをするものです。そうでないのこそ ろく つきあいやすい。わたしなどに、そんな歌などを詠みかけ て来る時には、使いに禄など与えるのだろうか。知ってい るような人は、かえって、いがないというものでしよう」と しいが」と言うのを中宮様がお聞きあそばし る人がいると、 のりみつ これなか おっしやる。「まるで則光ですね」と言って笑って終りに て、「惟仲の声がした。呼んで聞いてごらん」と仰せあそ とう さだいべん ばすので、部屋の端に出て、わたしは「左大弁にお話し申なったこのことを、頭の弁が、殿の前に人々がたいへん大 さぶらい しあげたい」と、侍をして言わせると、たいへん威儀を正勢いる時に、お話し申しあげなさったところ、「『全くうま くだんのごとし たてぶみ

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

( 原文九七ハー ) もないほどだ。 十月ごろに木立の多い所の庭は、たいへんすばらしい 一八六野分のまたの日こそ 一八五風は あらしこがら 風は嵐。木枯しがおもしろい。三月ごろの夕暮に、ゆ 野分の吹いた翌日こそ、たいへんしみじみとした感じが たてじとみすいがい るく吹いている花風が、たいへんしみじみとした感じであする。立蔀や透垣などが並んで倒れているのに、庭先のあ る。 ちこちの植込みが、見た感じも気の毒であるが、大きな 八月ごろに、雨にまじって吹いている風は、たいへんし木々が倒れ、枝が吹き折られていることさえ惜しいのに、 あまあし おみなえし みじみとした感じである。雨足が横向きに、騒がしく吹い 女郎花などの上に、その木々がよろけて這うようにかぶさ なつじゅう っているのは、ひどく意外である。格子の小間などに、さ ているので、夏中通して着た綿入の着物の、汗の匂いなど かわ すずしひとえ したのが、今は乾いて、それを生絹の単衣に重ねて着てい っと、わざわざ一つ一つ仕切って入れているように、風が るのも、おもしろい。この生絹さえ、ひどく暑苦しく、捨木の葉などを、こまごまと吹き入れているのこそ、荒かっ た風のしわざとも感じられない。 てたかったのだから、いつの間にこんなに涼しくなってし まっているのだろうと思うのも、おもしろい 一段と着物の表は光沢が薄れているのを着て、それに、 じっ つまど くちば 明け方に、格子や妻戸などを押しあけたのに、嵐の風が 朽葉色の織物や薄い織物などの小袿をうちかけて着て、実 ちよく 段さっと吹きわたって、顔にしみているのこそ、たいへんお直らしく、見た目にきれいな人が、昨夜は風が騒がしくて、 あさね もしろい 寝覚めていたので、長いこと朝寝をして起きたままに、鏡 ひさし もや 九月の末、十月の初めのころの空が曇っているのに、風をちょっと見て、母屋のうちを、座ったままで少し廂の方 第 に進み出ているのが、髪は風に吹き乱されて、少しふくら がひどく吹くと、黄色の木の葉などが、何となくほろほろ 7 とこばれ落ちるのが、たいへんしみじみとした感じである。 んでいる、それが肩にかかっている様子は、ほんとうにす むく ばらし、 桜の葉や椋の葉などこそ落ちることだ。 のわき こだち こ、っち - き

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 346 そちらに視線を投げることもない。それにつけても人の顔 三一四物語をもせよ、昔物語もせよ かたちは、おもしろいものだ。見た目ににくらしい調度品 の中にも、それそれ一つずつよい所が、いつも自然見つめ ふだんの話をする折にもせよ、昔話をする折にもせよ、 られるものだ。逆に、にくらしい所も、きっとそ , ついうも 利ロぶっていいかげんなあしらいの返事をして、一方、別 のだろうと自然見つめられるのこそ、やりきれない感じが の人と話をまじえてこちらの話をまぎらせてしまう人は、 する。 ひどくにくらしい 三一三たくみの物食ふこそ、いとあやしけれ 三一五ある所に、中の君とかや言ひける人の だいく しんでん 、もとに 大工が物を食べるありさまこそ、ひどく奇妙だ。寝殿を きんだち 建てて、東の対めいた建物を作るということで、大工たち ある所に、中の君とかいった人のもとに、君達というほ ひがしおもて ふうりゅうじん が並んで座って、物を食べるのを、東面に出て座って見て どの身分ではないけれども、その心はたいへんな風流人と しるもの いると、持って来るのも遅いとばかりに、早速、汁物を取人から評判され、心の働かせ方の情趣面などですぐれてい かわらけむぞうさ ありあけ って全部飲んで、容器の土器は無造作にそこに置いてしま る人が、九月ごろに出かけて行って、有明の月のひどく霧 おうせ う。次におかずをみな食べてしまったので、御飯はどうや が立ちこめて、明るくうつくしいその折の逢瀬の名残を女 らいらないようだと思って見ているうちに、御飯はたちま から思い出してもらおうと、ありとあらゆる一一一一口葉をつくし ちなくなってしまった。三、四人座っていた者が、みな同て別れを述べていたが、今は男も去って行っていることだ じようにそうしたのだから、大工というものが多分そうい ろうと、女が遠く見送るその時間は、言いようもないほど うものなのだとわたしは思うのだ。ああ、何てさまになら優艶な感じがする時間である。家から出るように見せかけ たてじとみ ないことといったら。 て男は立ちもどり、立蔀が合っている陰の方に添って立っ て、やはり行ってしまうことができそうもない自分の様子 たい なん な 1 ) り

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

すもう うにほかの女の悪口を自分に話して聞かせるのは、「格別 ってころがっているの。相撲取りの、負けて引っ込む後ろ に自分はこの男に愛されているのであるようだ」と、思っ姿。実力のない男が、家来を叱るの。老人の男が、烏幗子 もとどり ていることであろうか。「いやもう、ああ、二度とこの人をかぶらずに髻をむき出しているの。人の妻などが、むや 子 とは会わないことにしよう」と思う男に、その後に会うと、 みなやきもちをやいて、よそに隠れているのを、女は「必 草 ず夫が大騒ぎをするはずだ」と思っているのにもかかわら 「この男は不人情な人間であるようだ」と自然見られて、 枕 こちらとして気がひける感じなどはしないものなのだ。 ず、夫のほうはそうも田 5 っておらず、女にとっていまいま 男は、女について、ひどく身にしみじみと感じられて気しいような態度を見せているので、そんなふうにいつまで の毒な様子に見え、とても見捨てかねる、といったような も別の所に居つづけていることもできないので、自分のほ こまいめ ことなどを、少しも何とも思っていないのも、 うからのこのこ出て来ているの。狛犬や、獅子の舞をする ういう心なのかと、それこそあきれることだ。そのくせ、 者が、いい気持になって調子づいて、出て踊る足音。いず くちだっしゃ 男は、ほかの男の行為を非難し、ロ達者にしゃべることよ。れもかたなしだ。 また、身内など格別頼りになるような者を持っていない女 一三〇修法は 房などをうまくくどいて、女がただならぬ身になってしま ずほう ぶつげんしんごん っている現状などを、まったく知らないふりをしてなどい 修法は、仏眼真言などお読み申しあげているのは、優雅 るようであるよ。 で尊い。 一二九むとくなるもの ひがた かたなしなもの潮が引いた干潟にある大きな船。髪の 毛の短い女が、かもじを取りはずして髪を梳いている時。 大きな木が風に吹き倒されて、根を上に向けて横倒しにな 一三一はしたなきもの 中途半端で間の悪いものほかの人を呼ぶのに、自分か と思って顔を出している者。まして、物をくれる時には、 ばなし いっそう。たまたま他人のうわさ話などして、悪口などを ( 原文三〇ハー ) ひと

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 292 いるのは、とてもおもしろい に、声を合せて鳴いているのこそは、にくらしいけれど、 行幸に匹敵する物は、何があろうか。帝が御輿にお乗り またおもしろいものだ。いつだろうかと待ち遠しく思って みやしろ かりぎぬ になっておいでなのをお見申しあげている時は、自分が明 いると、御社の方向から、赤い狩衣を何枚か着ている者た け暮れ身近に帝の御前に伺候し申しあげていることも頭に ちなどが連れ立って来るのを、「どうなのか。行列はもう こう ) う 浮んでこず、神々しく、尊く、常日ごろは何ということも はじまるのか」などと言うと、「まだまだ、ずっと先のこ ひめもうちぎみ みこした ) ) し さいいん ない官とか、姫大夫までが、高貴で珍しく感じられる。御とーなどと応答して、御輿、手輿など持って斎院に帰って つなすけ 綱の助の中・少将など、とてもおもしろい 行く。これらの輿にお乗りあそばしておいでになるであろ きのう 祭の帰りの行列は、たいへんおもしろい。昨日は、万事うのもすばらしく、お身近にどうしてそんな身分の低い者 がきちんと整っていて、一条の大路の広くきれいな所に、 なんかがお仕えしているのかと恐れ多く ま 日の光も暑く、車にさし込んでいるのも、まぶしいので、 だいぶ間があるように、あの者たちが言っただけの時間 おうぎ 扇で顔をさし隠し、座り直しなどして、長い間待ったのに もたたないうちに斎院はお帰りあそばされる。お供の女官 きよう おうぎ あおくちば つけても、見苦しく汗などもにじみ落ちたのだが、今日は たちの、扇からはじめて、青朽葉の着物が、とてもおもし うりんいんちそくいん くろうどどころしゅう しらがさね とても早く家を出て、雲林院や知足院などのあたりに立っ ろく見えるのに、蔵人所の衆が、青色の袍、それに白襲の あおい ているいくつかの車も、葵や、かつらもうち萎れて見える。裾をほんのしるしばかり帯にひきかけているのは、卯の花 かきね 日はすっかり出たけれども、空はやはり曇っているのに、 垣根に似ているように感じられて、きっと郭公もその陰に いつもはどうかして聞こうと目をさまして起きて座って、 隠れてしまいそうに思われることだ。昨日は、車一つにた ふたあいのうし ほととギ一す・ かりぎめ 鳴くのが自然待たれる、その郭公が、ここではいるという くさん乗って、二藍の直衣、あるいは狩衣などをしどけな すだれ だけではなくて、たくさんいるのかと聞えるまで鳴いて声 く着て、車の簾を取りはずし、気違いじみているほどに見 うぐいす き・よう・し。よろ・ばん を響かせるので、ひどくすばらしいと思ううちに、鶯が年えた若君たちが、斎院の饗のお相伴役にというわけで、正 老いている声で、どうやら郭公に似せようとするかのよう式の束帯をきちんとつけて、今日は一人一つずつの車に、 つね みかどみこし しお み 0 う

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

せておいたりなどする車もあることだ。 いうわさなどが生れてくるのは苦しいけれど、中宮様のお 手紙はおもしろくて、別の紙に、雨をたくさん降らせて、 二一五細殿にびんなき人なむ、暁にかさささ その絵の下に、 せて出でけるを 「雨ならぬ名のふりにけるかな あかっきかさ ( 雨が「降る」のではなくて浮名が「旧る」く久しくなって 細殿に出入りしては不都合な男が、暁に傘をささせて出 しまったことです ) たのを、人がうわさとしてあらわに言っているのを、よく め ぎめ それだから、濡れ衣なのでございましよう」と申しあげた 聞くと、自分に関することなのだった。その人は地下など うこんないし ぶなん ところ、右近の内侍などにこのことをお話しあそばされて、 とはいっても、無難な家柄で、人に許されない程度の人で せいりよう お笑いあそばされたのだった。 もなさそうなのを、「妙なことだな」と思ううちに、清涼 でん 殿から中宮様のお手紙を持って来て、「返事を今すぐ」と 一六四条ノ宮におはしますころ 仰せになっている。何事だろうかと思って見ると、大傘の 四条の宮に皇后様がお住いあそばすころ、衛府から五月 絵を描いて、人は見えない。ただ手だけに傘を持たせて、 くすだま しようぶ第一し その下の方に、 五日の菖蒲の輿などを持って参上し、薬玉を差しあげたり みくしげどの あした など、また、若い女房たちゃ、御匣殿などが薬玉を作って、 みかさ山やまの端明けし朝より ( みかさ山の山の端が明るくなった朝から ) 姫宮や若宮のお召物におつけさせ申しあげ、とてもおもし 幻とお書きあそばしてあった。やはりちょっとしたことに対ろく作ってある薬玉を、外からも差しあげているのに、青 してでも、ただもうすばらしくておいであそばすとわたしざしという物を、人が持って来ているということで、わた うすよう すずりふた 第 には感じられるのにつけて、自分にとって恥ずかしく、気しは青い薄様を、しゃれた風雅な硯の蓋に敷いて、「これ かきね は垣根越しにございましたので」と言って、皇后様に献上 に入らないようなことは、どうかして御覧になっていただ したところ、 かないよ , つにしょ , っと思 , つのに、そ、つしたほんと , つではな ほそどの えふ

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

209 奥書 宜上仮に加えた。この奥書は能因 本のみにある。内容は必すしも事 奥書 実とは考えられないが、成立時よ りかなりのちのものとしても当時 ( 中世か ) の流布状態、評価、作者 枕草子は、人ごとに持たれども、まことによき本は世にありがたき物なり。 像を伝える資料として貴重である。 これもさまではなけれど、能因が本と聞けば、むげにはあらじと思ひて、書き一六能因所持の本、の意。これに よってこの系統の本文を持っ本を 一うし 写してさぶらふそ。草子がらも手がらもわろけれど、これはいたく人などに貸「能因本」とする。↓田「解説」。能 因は永延二年 ( 九八 0 に生れたとい さでおかれさぶらふべし。なべておほかる中に、なのめなれど、なほこの本もわれ、出家後は頼通の保護を受け ながら歌人の道を歩んだ。『後拾 いつばん 遺集』などの勅撰集に六十余首の いと心よくもおばえさぶらはず。さきの一条院の一品の宮の本とて見しこそ、 歌が採られている。 いつばん 宅一品の宮の本は現存しない めでたかりしか、と本に見えたり。 天「本」に書いてあるのは、「枕 これ書きたる清少納言は、あまり優にて、並み並みなる人の、まことしくう草子は」から「めでたかりしか」ま でか えんニ 0 一九作者名を明記する。 ちたのみしつべきなどをば語らはず「艶になまめきたる事をのみ思ひて過ぎに ニ 0 風雅・情趣の方面をさす中世 のち 一ぶら ニニおとろ けり。宮にも、御世衰へにける後には、常にも候はず。さるほどに失せたまひ的表現とみる。 ニ一中宮定子のもと。 にければ、それを憂き事に思ひて、またこと方ざまに身を思ひ立つ事もなくて一三道長方の勢力に圧倒されてい たころをさすか 過ぐしけるに、さるべくしたしくたのむべき人も、やうやう失せ果てて、子なニ三親兄弟、夫など。 一西実際には「子」があったと考え どもすべて持たざりけるままに、せんかたもなくて、年老いにければ、さま変られている。↓田「解説」。 一一三 一九 な かた な ニ四

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

けづ こころみ、あらがひをして送りたまひけるに、つやつやとまろにうつくしく削一 0 論争をしかけること。難題を 吹きかけて。 かた もとすゑ りたる木の二尺ばかりあるを、『これが本末いづ方そ』と問ひたてまつりたる = つやつやと丸くかわいらしく 削った木。 みかど に、すべて知るべきゃうなければ、御門おばしめしわづらひたるに、いとほし三根元と先端。 一三立ったままでちょっと、の意 くて、親のもとに行きて、『かうかうの事なむある』と言へば、『ただ早からむ 一四方向を変えて先になって流れ かたすゑ る軽い方を末と記して。 リに、立ちながら投げ入れて見むに、返りて流れむ方を末としるしてつかは 三尊敬動詞。使いに命じて物を をし せ』と教ふ。まゐりて、わが知り顔にして、『こころみはべらむ』とて、人々おやりになる。また、上位の帝が 下位の唐の帝に「くれておやりに ぐ に、しるしをつけてつかはしたれば、まなる」ような意に、中将の父が用 具して投げ入れたるに、先にして行く いた言葉とみられる。 ことにき、、なり , けり。 一六五尺ぐらいの蛇。 五尺ばかりなるくちなはの、ただ同じゃうなるを、『いづれか、男、女』と宅いつものように。副詞的な用 一 ^ 木の幹からまっすぐ伸びた若 て奉りたり。また、さらにえ知らず。例の中将行きて問へば、『二つ並べて、 い枝。徒長枝。 段尾の方にほそきすばえをさし寄せむに、尾はたらかさむを、女と知れ』と言ひ一九「さ為ければ」の意に解いたが、 「さしよせければ」の意とも解けよ う′ ) だいり ければ、やがてそれは、内裏のうちにてさしければ、まことに一つは動かす、 ニ 0 三底本原本「一と表記。 第 一三七曲りにくねくねと曲ってい 一つは動かしけるに、また、しるしつけてつかはしけり。 ひだりみぎ ななわた ほど久しうて、七曲にたたなはりたる玉の、中は通りて、左右にロあきたる = 三中心には穴が通っていて。 かた 一く さき め ニ 0 ふた る玉。

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

おが にうち掛けて御本尊を拝み申しあげていると、「御用うけ読んでいるのも、尊い感じがする。高い声を出して読んで しきみ ほしい気がするのに、まして鼻などを、音高く、聞いて不 たまわりの者です」と言って、樒の枝を折って持って来て 愉快なようにではなくて、少し遠慮してかんでいるのは、 いるのなどの尊い様子も、やはりおもしろい 子 じようじゅ 犬防ぎのガから坊さんが近づいて来て、「御立願の筋は何を思っているのであろう、その願い事を成就させたいと 草 十分仏にお願い申しあげました。幾日ぐらいお籠りあそば感じられる。 幾日も続いて籠っていると、昼間は少しのんびりと、以 す御予定ですか」などとたずねる。「今これこれのお方が 前はしていた。下にある坊さんの宿坊に、供の男たちゃ、 お籠りあそばしています」などと、こちらに話して聞かせ ひとり ひばちくだもの て立ち去るとすぐに、火鉢や果物など持って来、持って来子どもたちなどが行って、わたしはお堂の部屋で一人で所 ほらがい はんぞう して貸してくれる。そのほか、半挿に手洗いの水などを入在ない気持でいると、すぐそばで、午の時の法螺貝をたい へん高く、急に吹き出したのこそ、思わずびつくりする。 れたもの、その水を受ける手なしのたらいなどが持ってき ずきよう しゆくぼう きれいな立文を供の者に持たせた男が、誦経のお布施の品 てある。「お供の方は、あちらの宿坊でお休みください」 どうどうじ をそこに置いて、堂童子などを呼ぶ声は、山がこだまし合 などと言って、坊さんが、どんどん呼び立てて行くので、 って、きらきら輝かしいまでに聞える。誦経の鐘の声が一 供の者は交替で宿坊へ行く *. きよう おと 誦経の鐘の音を、「どうやらあれは自分のためのもので段と高く響いて、この誦経はどこのお方があげるのだろう と思って聞くうちに、お坊さんが高貴な所の名を言って、 あるようだ」と聞くのは、頼もしく聞える。隣の部屋で、 きとう ひたい お産が平らかであるように祈疇するのは、むやみに、お産 かなりの身分らしい男が、たいへんひっそりと額をつけて きねん の安否がどうだろうかと、不安で、仏に祈念したい感じで 礼拝している。立ったり座ったりの様子もたしなみがある こうした程度の昼間の騒がしさは、普通の時のこと ように聞える、その人が、たいへん思いつめた様子で、寝 ごんぎよう であるようだ。本題にもどれば、正月などには、ただもう もしないで勤行するのこそ、ひどくしみじみと感じられる。 物騒がしく、何かの望み事の立願などする人が、絶え間な 礼拝をやめて休息する間は、お経を声高には聞えぬほどに 0 こわだか ぎい 0 たてぶみ 、一も ふせ