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増補改訂版 写楽は歌麿である


増 補 改 訂 版 写 楽 は 歌 麿 で あ る 目 次

増補改訂版 写楽は歌麿である


増 補 改 訂 版 写 楽 は 歌 麿 で あ る

増補改訂版 写楽は歌麿である


は 敬 麿 て あ る 1 「 《 ( 一 、 土 淵 正 一 郎 増 補 改 訂 版 新 人 物 往 来 社

増補改訂版 写楽は歌麿である


〈 補 論 ニ 〉 写 楽 の 謎 の 物 的 証 拠 お わ り に , ー ー ・ 増 補 改 訂 版 の 刊 行 に 際 し て 〈 付 表 〉 蔦 屋 、 歌 麿 、 京 伝 、 豊 国 関 係 略 年 表 装 幀 ・ ー ー ー ・ 浅 野 邦 夫 289 286 2 ア 9

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お わ り に ー ー 増 補 改 訂 版 の 刊 行 に 際 し て 本 書 の 初 版 は 十 年 前 に 刊 行 さ れ た 。 幸 に も 多 く の マ ス コ ミ か ら 好 評 を 頂 き 、 写 楽 愛 好 の 皆 様 の ご 声 援 を 得 て 、 写 楽 二 百 年 の 記 念 す べ き 年 に 、 再 版 の 運 び と な っ た こ と を 光 栄 に 思 っ て い る 。 写 楽 の 謎 解 き は 、 何 度 も く り 返 す よ う に 、 次 の 六 要 件 を 満 足 す る 人 物 を 探 し 当 て る こ と で あ る 。 一 、 超 一 流 の 画 家 一 「 蔦 屋 と 深 い 関 係 の あ る 者 エ ネ ル ギ ッ シ ュ な 画 家 四 、 歌 舞 伎 の 精 通 、 愛 好 者 五 、 「 東 洲 斎 写 楽 」 と い う 雅 号 の い わ れ 六 、 十 ヶ 月 で 消 え た 事 由 世 阿 弥 は 前 掲 「 写 楽 探 究 の 要 諦 ー ー 世 阿 弥 の 芸 術 論 に 学 ぶ 」 で 見 た よ う に 「 因 果 の 花 を 知 る こ と ( 略 ) は 極 意 と い う べ き で あ る 。 一 切 の 事 は 皆 原 因 対 結 果 で あ る 」 と の べ た 。 あ る 人 物 が 写 楽 で あ る 原 因 を 知 る こ と が 、 そ の 謎 を 解 く 最 大 の 秘 決 で あ る 。 そ の 原 因 と い う の は 、 結 局 、 あ る 人 物 が 写 楽 で あ る と い う 、 や 推 理 で は な く 、 確 実 な 「 物 的 証 拠 」 を つ か む こ と に 尽 き る 。 そ こ で 、 初 版 の 本 文 と 「 お わ り に 」 に 最 近 ま で に ま と め た 二 つ の 補 論 を 加 え 、 初 版 の 不 適 切 な 部 分 や 、 誤 字 誤 植 を 訂 正 し た 。 補 論 一 は 、 写 楽 が 、 姿 を 消 し た 際 に 描 い た 二 つ の 扇 面 画 と 歌 麿 筆 の ロ 絵 お よ び 阿 波 藩 能 役 者 説 に つ 286

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著 者 略 歴 土 淵 一 郎 ( っ ち ぶ ち ・ し よ う い ち ろ う ) 大 正 二 年 ( 1913 ) 栃 木 県 栃 木 市 に 生 ま れ る . 東 京 大 学 経 済 学 部 卒 。 満 州 重 工 業 開 発 ( 株 ) , 電 源 開 発 ( 株 ) を 経 て , ( 株 ) 大 本 組 を 退 職 。 著 書 に 『 建 設 業 の 進 路 』 『 人 麿 の 謎 を 解 く 』 『 高 松 塚 は 高 市 皇 子 の 墓 』 。 そ の 他 , 月 刊 『 歴 史 読 本 』 に , 歴 史 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン の 「 蘭 学 始 末 記 」 , 「 和 銅 開 珎 秘 譚 」 , 「 『 柿 本 人 麿 水 死 刑 説 』 へ の 疑 問 」 等 を 発 表 。 ま た , 同 人 雑 誌 『 日 月 』 に 「 小 伝 吉 備 真 備 」 , 「 海 嘯 ー ー 川 路 聖 謨 と フ ・ チ ャ ー チ ン 」 , 「 明 治 奇 遇 伝 ー ー 大 江 卓 回 想 談 」 を 発 表 。 現 住 所 〒 236 横 浜 市 金 沢 区 富 岡 東 1 ー 31 ー 1 増 補 改 訂 版 写 楽 は 歌 麿 で あ る 平 成 七 年 七 月 三 十 日 第 一 刷 発 行 著 者 土 淵 正 一 郎 す 発 行 者 菅 英 志 あ 発 行 所 新 人 物 往 来 社 示 表 東 京 都 千 代 田 区 丸 の 内 三 ー 三 ー 一 ( 新 東 京 ビ ル ヂ ン グ ) 〒 一 〇 〇 に 4 電 話 東 京 ( 三 一 一 一 一 l) 三 九 三 一 ( 代 表 ) 振 替 〇 〇 一 六 ー 五 ー 一 五 一 六 四 三 帯 印 刷 所 明 邦 印 刷 カ T2 ま — 製 本 所 小 高 製 本 定 落 丁 本 ・ 乱 丁 本 は お と り か え い た し ま す ・ 郎 正 淵

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其 頃 は 外 に 画 者 な き が 如 く 用 い ら れ し 人 な り 。 〔 秋 錦 本 〕 錦 絵 の 板 下 の み を さ せ た り と 或 絵 双 紙 問 屋 の 老 人 も の が た る 。 〔 秋 錦 本 〕 神 田 弁 慶 橋 久 右 衛 門 町 俗 名 勇 助 名 人 は じ め は 鳥 山 石 燕 門 人 に て 狩 野 家 の 絵 を 学 ぶ 、 後 男 女 の 風 俗 を 画 て 絵 草 紙 問 屋 蔦 屋 重 三 郎 方 に 寓 居 す 、 錦 絵 多 し 。 今 弁 慶 橋 に 住 居 す 。 千 代 男 女 風 俗 絵 種 々 工 夫 し て 当 時 双 ぶ 方 な し 、 名 人 。 絵 本 和 歌 夷 一 冊 絵 本 数 寄 屋 釜 絵 本 吾 妻 遊 一 冊 汐 干 の っ と 一 冊 絵 本 詞 の 花 二 冊 絵 本 銀 世 界 三 冊 共 他 枚 挙 す る い と ま あ ら ず 世 の 知 る 所 な り 。 〔 三 馬 按 〕 三 馬 按 に 、 歌 麿 門 人 菊 麿 、 今 月 麿 と 改 む 。 式 麿 秀 麿 等 あ り 。 一 一 代 目 歌 麿 初 号 春 町 、 別 記 に 伝 あ り 。 る 歌 麿 門 人 行 麿 千 代 女 画 稗 史 画 す 〔 渡 辺 本 〕 生 ・ 宝 暦 三 年 ・ 歿 文 化 三 年 九 月 二 十 日 ー ・ ・ ー 五 十 四 画 系 ・ 鳥 山 石 燕 門 人 、 作 画 期 ・ 安 永 五 掘 文 化 一 一 一 源 姓 、 北 川 ( 後 に 喜 多 川 と も 書 せ り ) 氏 、 名 は 信 美 、 幼 称 市 太 郎 、 後 に 勇 助 と 称 し 、 更 像 に 勇 記 と 改 む 、 一 説 に 拠 れ ば 、 武 州 川 越 の 産 に し て 、 早 く 父 を 失 ひ 、 少 年 時 代 に 母 と 共 に 江 戸 に 来 り の し も の な ら む と 云 、 夙 に 石 燕 に 師 事 し て 出 藍 の 誉 れ あ り 、 画 名 を 豊 章 と い ひ し が 、 天 明 二 年 頃 よ り 歌 麿 と 改 め 、 旧 名 は 僅 か に 印 章 な ど に 用 ゐ た り 、 別 に 石 要 、 木 燕 、 燕 岱 斎 、 紫 屋 と 号 す 、 又 狂 歌 名 を 筆 章 七 の 綾 丸 と い へ り 。 第 初 め 忍 ケ 岡 に 住 せ し が 、 曾 て 通 油 町 ( 天 明 三 年 九 月 吉 原 五 十 間 道 よ り 移 る ) な る 版 元 蔦 屋 重 三 郎 方 に 寄 寓 せ し こ と も あ り 、 後 ち 神 田 久 右 衛 門 町 、 馬 喰 町 三 丁 目 、 神 田 弁 慶 橋 等 に 転 居 す 。 彼 の 果 し て 処 女 作

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石 井 良 助 Ⅱ 著 の ー エ 江 戸 町 方 の 制 度 《 。 置 来 幕 府 瓦 解 後 わ ず か 一 一 十 余 年 の ち に 書 か れ た 、 類 本 の な い 貴 重 書 。 江 尸 の 裁 判 ・ 市 政 ・ 下 層 社 ム の 事 象 と 往 ・ 予 価 八 、 五 00 円 物 そ の 沿 革 を 多 方 面 に わ た っ て 生 き 生 き と 記 述 す る 史 新 稲 垣 史 生 Ⅱ 著 武 家 の ち 。 》 史 料 の す べ て を 集 め 、 わ か り や す い 文 章 で 、 将 軍 家 ・ 大 名 、 旗 本 の 奥 向 き を あ ば く 。 正 室 と 側 室 の 正 嗣 を め ・ 定 価 ニ 、 六 00 円 ぐ る 暗 絵 島 に 代 表 さ れ る 大 奥 の 乱 れ 。 名 君 吉 宗 の 女 く せ の 悪 さ 等 満 載 。 堀 越 正 雄 Ⅱ 著 《 増 補 改 訂 》 日 本 の 上 水 古 代 の 日 本 人 は ど の よ う に し て 水 を 得 た か 。 下 っ て 江 尸 期 の 上 水 政 策 と 測 量 ・ 開 削 ・ 施 工 技 術 等 を 、 興 味 ・ 定 価 ニ 、 八 00 円 架 い 挿 話 を 交 え て 詳 細 に 解 明 す る 。 松 好 貞 夫 Ⅱ 著 既 。 戸 大 名 や り く り 帖 《 ー 》 工 富 貴 と 権 勢 の 象 徴 で あ る 大 名 の 台 所 も 実 は 火 の 車 。 幕 藩 体 制 の 本 拠 江 戸 城 の 金 蔵 も か ら 「 ば だ 「 た / ・ 予 価 ニ 、 八 00 円 * ~ そ の 窄 乙 の 原 因 は 、 諸 藩 経 済 の 実 体 は ? ″ 百 鬼 窿 の 武 家 社 会 を 描 く 。

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3 、 そ の 仮 名 は 「 東 洲 斎 写 楽 」 と す る こ と 。 4 、 こ の 仮 名 の 正 体 が 歌 麿 で あ る こ と は 、 店 員 、 彫 師 、 刷 師 、 知 人 に 到 る ま で 絶 対 他 言 せ ぬ よ う 箝 ロ 令 を 敷 く こ と 。 5 、 写 楽 絵 の 評 判 が 良 か っ た ら 、 改 め て 協 議 し 、 そ の 正 体 を 世 間 に 明 ら か に す る こ と 。 蔦 屋 が 写 楽 絵 を 出 版 し た 背 景 に は 、 こ の よ う な 事 情 が あ っ た も の と 、 私 は 考 え る 。 「 東 洲 斎 写 楽 」 の い わ れ 次 に そ れ で は 、 何 故 東 洲 斎 写 楽 と い う 仮 名 と な っ た の か 。 歌 麿 は 、 近 江 国 守 山 出 身 の 栃 木 の 豪 商 釜 屋 と 関 係 が 深 く 、 そ の 初 代 の 善 野 喜 右 衛 門 は 若 い 頃 露 章 と 号 し た 石 燕 の 門 人 で 、 歌 麿 の 父 の 可 能 性 が 高 い 。 歌 麿 も こ の こ と を 母 や 師 の 鳥 山 石 燕 か ら 、 幼 な 心 に 聞 き 知 っ て い た も の と 思 わ れ る 。 石 燕 の 下 に 徒 弟 と し て 住 み こ み 、 下 積 み の 艱 難 辛 苦 の 修 業 時 代 に 江 戸 の 街 な か か ら 故 郷 の 近 江 国 や 栃 木 を 望 み 、 「 よ し 、 江 戸 随 一 、 い や 日 本 一 の 絵 描 き に な っ て や る そ / 」 と 、 固 く 決 意 し 、 刻 苦 、 研 鑽 を 続 け た と 件 思 わ れ る 。 要 寛 政 六 年 に は 、 美 人 画 に お い て は 、 歌 麿 の 右 に 出 る 絵 師 は 日 本 中 に は お ら ず 、 そ の 名 は 中 国 に も 響 六 説 い て い た 。 中 国 か ら 見 れ ば 、 日 本 は 東 の 国 即 ち 東 洲 で 、 日 本 一 だ か ら 東 洲 斎 と な る 。 江 戸 一 、 日 本 一 は と も に 東 洲 斎 の 仮 名 に ビ タ リ で あ る 。 こ れ は さ き の 「 自 成 一 家 」 「 正 銘 歌 麿 」 「 自 力 画 師 」 「 美 人 画 は 哥 子 に と ど め 」 等 の 自 信 、 自 讃 と 相 通 ず る も の で あ る 。 章 こ の 東 洲 斎 の 筆 名 は 、 寛 政 六 年 十 一 月 の 写 楽 絵 第 三 期 ( 七 点 を 除 く ) か ら は は す し 、 写 楽 の み と し た 。 第 そ れ は 写 楽 の 気 力 、 筆 力 の 減 退 が 、 自 他 、 誰 の 眼 に も 歴 然 と し て き て 、 東 洲 斎 と い う 仮 名 は 、 内 容 に そ ぐ わ ぬ 鳥 滸 が ま し い も の と 、 歌 麿 が 気 づ い た か ら で あ る 。

増補改訂版 写楽は歌麿である


歌 麿 芸 術 の 修 業 と 達 成 修 業 時 代 歌 麿 は 少 年 時 代 は 、 鳥 山 石 燕 の も と に 徒 弟 と し て 修 業 し た が 、 成 人 後 そ こ を 出 て か ら も 蔦 屋 に 食 客 と な る ま で の 北 川 豊 章 の 時 代 は 、 生 活 も 画 業 も 困 難 が 満 ち て い た 。 こ の 点 中 流 の 家 に 生 ま れ 、 十 代 に し て 安 泰 に 世 に 出 た 清 長 、 京 伝 、 豊 国 と は 大 違 い で あ る 。 こ い の し ょ わ け 豊 章 名 の 処 女 作 は 、 安 永 四 年 ( 一 七 七 五 ) 二 十 三 歳 の 時 の 、 富 本 節 正 本 『 四 十 八 手 恋 所 訳 』 の 表 紙 絵 で 、 そ の 後 芝 居 関 係 の 絵 を 多 く 描 い た 。 安 永 七 、 八 年 に は 老 舗 西 村 永 寿 堂 か ら 、 版 元 作 の 黄 表 紙 に 挿 絵 を 五 篇 刊 行 し た が 、 歌 麿 の 天 才 を 知 ら れ ず 、 関 係 を 絶 た れ た 。 歌 麿 は 苦 し い 研 鑽 を 続 け て い た 。 と う ら い さ ん な 翌 九 年 、 鳥 山 石 燕 門 下 の 兄 弟 子 志 水 燕 十 ( 根 津 清 水 町 に 住 む 幕 臣 鈴 木 庄 之 助 、 唐 来 参 和 と 同 一 人 説 も あ る ) み な り だ い つ う じ ん り や く え ん ぎ の 紹 介 で 蔦 屋 に 知 ら れ 、 燕 十 作 の 黄 表 紙 『 身 貌 大 通 神 略 縁 起 』 の 挿 絵 を 出 し て も ら っ た 。 こ の 時 筆 名 る を 「 忍 岡 歌 麿 」 と 改 め た 。 忍 岡 と は 上 野 の こ と で 、 石 燕 や 燕 十 の 住 居 の 近 く で あ る 。 以 後 、 続 々 と 、 蔦 屋 刊 の 黄 表 紙 に 挿 絵 を 描 き 、 天 明 三 年 ( 一 七 八 一 一 I) に は 「 忍 岡 」 を と っ て 単 に 「 う 掘 を た 麿 」 と 署 名 し 、 同 四 年 に は 「 喜 田 川 哥 麿 」 「 喜 多 川 歌 麿 」 と 変 え て い る 。 こ の 名 の 変 遷 か ら 歌 麿 は 天 明 三 年 、 蔦 屋 の 食 客 と な り 、 ま た 、 そ の 翌 年 に は 蔦 屋 の 姓 喜 多 川 に 近 い の 喜 田 川 、 次 い で 喜 多 川 歌 麿 と し て 、 蔦 屋 か ら そ の 才 能 を 認 め ら れ た こ と が わ か る 。 歌 で は は じ め 北 川 と 号 し た の は 、 ど ん な 事 由 か ら で あ ろ う か 。 林 美 一 氏 は 、 当 時 の 著 名 絵 師 北 尾 重 政 章 七 の 「 北 」 と 勝 川 春 章 の 「 川 」 を と っ た も の で あ ろ う と 説 く 。 第 こ れ に 対 し て 、 自 由 民 主 党 の 領 袖 の 一 人 で 、 守 山 宿 本 陣 の 家 系 の 宇 野 宗 佑 氏 は 、 そ の 著 『 中 仙 道 守 山 宿 』 で 次 の 如 く の べ て い る 。