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円地文子全集 第13巻

円地文子全集第 + 三巻 新潮社

人間の壁〈上〉

にんげんかべ、ー・ . 人間の壁上 石川達三作品集第十二巻 昭和四十八年四月二十印印刷。 昭和四十八年四月二十五日発行す し 定価六 00 円た 1 い いしかわたっぞう 著者石川達三 取 発行者佐藤亮一 は 。本 発行所新潮社丁 郵便番号一六ニ 東京都新宿区矢来町七一 電話東京〇三 ( ) 一 振替東京八〇八番◎ 印刷大日本印刷株式会社 製本加藤製本株式会社 装画下田義寛

文藝春秋2016年8月号

正十二年一月三十日第三種郵便物認可 平成二十八年八月一日発行 ( 毎月一回一日発行 ) 第九十四巻第十二号 ( 七月八日発売 ) 田中角栄と小泉進次郎 演説・政策・ 人を動かす力を 徹底比較する 新・日米論伊勢神宮の秘密社外取締役 34 秋リスト八月号 皿文 : 書食官 - 160967498

長谷川伸全集〈第16巻〉

( 「新小説』十一月号 ) 玄冶店 (r 新小説』十二月号 ) 与の市人柱「これ程淋しいものとは今年、はじめて骨身に沁みる秋」。また、「ま さえによって、いっとはなしに人間が更められた。まさえは無学だ 釡世紀』十二月号 ? ) ったが、人間として私より高いものを持っていた」と後になって述 〔戯曲〕敵打主従新小説』十二月号 ) 大正十四年 ( 一九一三 ) 四十一歳 懐している。まさえの死後、五反田の家を引きはらい、西大崎 ( 桐 いよいよ作家として立っ決心を固め、三月辞表を提出、六月になり ヶ谷 ) の家に移る。この年の暮、井上正夫によって上演された「世 ようやく受理される。六月十七日より客員ということで、十六年間 に出ぬ豪傑」は、その後の劇作家生活の第一頁をひらく、処女上演 の新聞記者生活に別れをつげる。九月二十一日、数寄屋橋脇の花の戯曲となった。また「週刊朝日』の夏季特別号に掲載した「関東綱 茶屋にて、同人、白井喬二、本山荻舟、平山芦江、池内祥三、小酒五郎」は、帝国キネマで市川百々助主演により映画化されたが、そ 井不木、土師清二、国枝史郎、直木三十三らと二十一日会を結成。 の後、数多く映画化された長谷川伸の最初の作品になった。 報知新聞出版部の後援にて雑誌「大衆文芸』 ( 第一次 ) の発刊を決〔小説〕兄弟百歳以上サンデー毎日』一月一日特別号 ) 敵討た める。 ( 後に江戸川乱歩、矢田挿雲、正木不如丘らも同人として参れに ( 第一次「大衆文芸』一月一日創刊号 ) 老雑兵物語大衆文 加する ) 芸』二月号 ) 雑兵虎退治 (r 苦楽』二月号 ) ひまんの話 ( 「大衆文 〔小説〕木花千 ( 『サンデー毎日』一月一日特別号 ) 雑兵の家 ( 『新芸』三月号 ) 悪には過ぎる (r 新小説』三月号 ) 島田平四郎 ()r サン り説』一月号ー五月号 ) 月に旅役者 (r 演芸画報』一月号 ) だんま デー毎日』四月一日特別号 ) 旅の者心中 ( 『大衆文芸』四月号 ) 敵 かたきうちうきょのゆめ り嘉助 ( 『文芸倶楽部』新年号 ) 入墨者の死 (r 娯楽世界』一月号 ? ) 討勝って負 ( 『面白倶楽部』四月特大号 ) 敵討邯鄲枕 ( 『大衆文芸』 薬一貼十八文 ( 「人情倶楽部』一月号 ? ) おなら次郎吉サンデー 五月号 ) 埋もれ強弓 (r 講談倶楽部』五月号 ) 日本一の法螺と嘘 毎日』四月一日特別号 ) あさづま仏 ( 『サンデー毎日』四月二十六 ( 『講談倶楽部』六月臨時増刊号 ) 南京ちゃぶ ( 『新小説』六月号 ) 関東綱五郎 ( 「週刊朝日』七月一日特別号 ) 重い首軽い首文芸倶「 . 日号 ) へポン闇殺 ( 「人情倶楽部』五月号 ) 泥棒大明神サンデー 毎日』七月一日特別号 ) 敵討冗の三年 ( 『新小説』八月号 ) めぐみ楽部』七月号 ) おもちゃの女大衆文芸』七月号 ) 竹本貧太夫 の泉 (r 聖潮』八月号 ) かわらけ坂 (r 文芸倶楽部』八月号 ) 賭け物 ( 『講談倶楽部』七月号 ) 敵討落首問答 (r 講談倶楽部』八月夏季増 の命 ( 『講談倶楽部』九月号 ) 酒乱捌き ( 『サンデー毎日』十月一日刊号 ) 舶来巾着切 (r 大衆文芸』九月号 ) 二本松心中 (r 講談倶楽部』 譜特別号 ) 敵討誓の貼札講談倶楽部』十月号 ) 盗みは廻ぐる新九月号 ) 仇討の後 (r 文芸春秋』九月号 ) 瘧の甚内 ( 『週刊朝日』十 小説』十月号 ) 死骸がついてくる (r 婦人公論』十月号 ) 敵討鎗諸月一日特別号 ) 身替り飴屋 (r サンデー毎日』十月一日特別号 ) 錦 まわし 年共 ( 「サンデー毎日』十一月八日号ー大正十五年二月十四日号 ) の褌 ( 『大衆文芸』十月号 ) 旅へ行く幽霊 ( 「講談倶楽部』十月秋季 大正十五年・昭和元年 ( 一九一一六 ) 四十二歳 増刊号 ) 道行葎の宿〈夜明けの巻〉サンデー毎日』十一月二十八 九月十七日、妻まさえに死なれ、深い哀しみに沈む。その時の悼歌日号。これは多くの作家により、同題名でリレー式に書かれた作品、 にくかせん おこ

木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

「世紀転換期思想史 15 」 ( 連載 ) 『大航海』新書館、一九九八年一一月 5 一一〇〇一年 一〇月 「『存在と時間』への道」岩波新書『戦後を語る』所収、一九九五年六月 「ハイデガーを読んで五十年ー『立命館哲学』第一三集、二〇〇二年三月 「詩歌遍歴ー ( 連載 ) 『月刊百科』平凡社、一一〇〇〇年七月 5 一一〇〇一年一一一月 「ハイデガー拾い読みー ( 連載 ) 『大航海』新書館、二〇〇二年七月 5 二〇〇四年九月 「思索の技法ーーハイデガーのライプニツツ観をめぐって」『立命館哲学』第一四集、 二〇〇三年三月 「哲学と反哲学」『文明の未来、その扉を開く』統合学研究叢書、第一巻、晃洋書房、 二〇〇三年六月 「新人生論ノート ー ( 連載 ) 『青春と読書』集英社、二〇〇三年七月 5 二〇〇四年九月 「反哲学入門」 ( 連載 ) 『波』新潮社、一一〇〇六年六月—〇七年八月号 歴 略 元 田 木 メルロポンティ『行動の構造』 ( 滝浦静雄と共訳 ) みすず書房、一九六四年 メルロポンティ『眼と精神』 ( 滝浦静雄と共訳 ) みすず書房、一九六六年 フランシス・ジャンソン『現象学の意味』せりか書房、一九六七年

長谷川伸全集〈第16巻〉

昭和ニ十三年 ( 一九四 0 六十四歳 紙 (r サンライス』十二月号 ) 〔戯曲〕燔摩堂 ( 一月作二月有楽座新国劇 ) 軽わざお玉 ( 六月作昨年にひき続き、創作意欲はますます旺盛で、短篇、長篇を息つく 昭和二十三年二月名古屋その他不二洋子 ) お袖伝四郎 ( 八月作未暇もないようなスピードで書いて行った。しかし、『週刊朝日』の 上演 ) もとめに応じて書きはじめた自叙伝の傑作「新コ半代記」の途中 昭和ニ十ニ年 ( 一九四七 ) 六十三歳 で、ついに病いに倒れ、生死の境を彷徨すること十日余り、一時は 危篤とまでいわれるほどだった。 この年から翌年にかけて、長・短篇小説を非常にたくさん書いてい る。おそらく長谷川伸の作家生活を通じて、もっとも創作活動の盛〔小説〕血写経 (r サンデー毎日』一月四日特別号 ) 女車夫釡小説 しかも、内容も充実している。 んな時期の一つではないだろうか。 と読物』一月号 ) 白大男女』一月号 ) 提灯と女 ( 「月刊読売』正 戦時中、押えられていた創作意欲が、体力の回復とともに、一挙に 月号 ) 舌の賽コロ ( 『小説新潮』新年号 ) 裸の夫婦 ( 『物語』新年 爆発したかのようであった。 号 ? ) 泥棒塚月刊富山』新年号 ? ) 蝮のお政 ( 「娯楽世界』一月 〔小説〕明治の鼠 ( 読売新聞一月一日ー三月七日 ) ばろばろ円タ号ー十二月号 ) 思いきやの于斎 (r 新世界第一』二月号 ) 定九郎仲 ク ( 日本農業新聞一月十六日 ) 引返し百太郎 ( 『小説くらぶ』一月蔵 ( 『大衆文芸』二月号 ) 賽コロ飯釡苦楽』三月号 ) 慾張り屋縁起 号 ) 続足尾九兵衛の懺悔 (r 大衆文芸』一・二月合併号ー十二月号 ) ( 『人情』三月号 ) やじ馬世間』三月号 ) 明治老探偵 ( 「宝石』 処刑場曲芸 ( 「苦楽』二月号 ) 昼提灯の娘翁ダイヤ』二月号 ) 三世三月・四月号 ) 大岡政談地探し九八 ( 『オール読物』四月号 ) 三度目 の母 ( 『文芸読物』五月号 ) 討留始末釡小説の泉』五月号 ) 蟻のあ 日本左衛門オール読物』三月号 ) 犬助の死霊 (r 小説倶楽部』三 る女小説と読物』五月号 ) つばくろ長六 ( 「天狗』五月号 ) 三十 月号別名「背中の怪し女囚志賀きせ (r サンデー毎日』四月十五日 特別号 ) 飛び吉道中 ( 『小説くらぶ』四月号 ) 鴨の財布 (r 楽園』四年の女 ( 「冨士』五月号 ) 大岡政談揚げ火の伝兵衛 ( 「オール読物』 月号 ) つづら不動 ( 『四国春秋』四月号 ) 肌の蟻 ( 『小説と読物』五六月号 ) 切られ与三郎 ( 柴書房から六月に名古屋タイムス・サロ ン・新しい原稿を加えて出版 ? ) 背中の幽霊釡小説世界』八月号 ) 月号 ) 金百両如来苦楽』六月号 ) つばくろ長六 (r 天狗』七月 号 ) 赤鬼青鬼 (r 物語』八月号 ) 地獄のロ ( 『新読物』八月号 ) 満月籤引きの命 (r 冨士』八月号 ) 稲荷の七兵衛 ( 『オール小説』八月 ( 「小説新潮』八月号 ) 道中する幽霊 (r 苦楽』九月号 ) 裸巾着切号 ) 化物殺し (r 新文庫』八・九月号 ) 勘八夜駕籠 ( 『面白倶楽部』 ( 「天狗』九月号 ) 殺された化物 ( 『新小説』九月号 ) 狼九兵衛〈足九月号 ) 岩次殺し (r 小説文庫』十月号 ) 稲葉小僧と鬼神お松 尾九兵衛の懺悔〉 ( 『大衆文芸』九月号ー昭和一一十三年一月号 ) 九十 (r 蜘蛛』十月創刊号ー十一一月号、病気のため中断、翌年「続」を執 九番目 ( 「文化娯楽』十月号 ) 連枝 (r 国民の友」十・十一月合併筆「地獄極楽」と改題 ) 新コ半代記 ( 「週刊朝日』十一月七日号ー 十二月五日号 ) 亡者ごころ ( 『明るい農家』十一月号 ) 川底の双生 号 ) 餓死した女十一月号 ) 児 (r オール小説』十一月号 ) 壁の父 ( 『小説の泉』十二月号 ) イカ 〔戯曲〕勘平政 ( 四月作未上演 ) れんじ

円地文子全集 第13巻

5 円地文子全集第十三巻 昭和五十三年三月十五日印刷 昭和五十三年三月一一十日発行 著者円地・又一于◎ Fumiko Enchi, P 「 inted in 」 apan 一 978. 発行者佐藤亮一 発行所新潮社 郵便番号一六一一東京都新宿区矢来町七一 業務部東京 ( 〇一一 l) 一一六六ー五一一一 電話 編集部東京 ( 〇一一 l) 一一六六ー五四一一 振替東京四ー八〇八番 印刷所東洋印刷株式会社 製本所神田加藤製本株式会社 乱丁・落丁本は、御面倒ですが小社通信係宛御送付下さい 送料小社負担にてお取替えいたします。 第七回配本 ( 全十六巻 ) 定価三三〇〇円

長谷川伸全集〈第16巻〉

〔小説〕百番目の女 ( 「オール読物』三月号 ) 高橋お伝の血 ( 「キン 昭和三十四年 ( 一空九 ) 七十五歳 グ』八月夏の読切小説集 ) 新日本捕虜志その劇は週刊朝日』八月一月五日夜、「私の秘密」テレビ) の対面で、五十四年ぶり・ に国府台野砲兵第一連隊補充大隊時代の友人 ( 笹本正時 ) に逢う。 十日特別号 ) 相手の眼で、とっさに昔の友人であることが判ったという。十月十 〔戯曲〕七九六名収容 ( 七月作未上演 ) 日夜、「人生はドラマだ」 (Z9>) の第一回、「長谷川伸」に出演 . 〔ラジオドラマ〕同じ奴 ( 六月八日夜 Z 市村羽左衛門・細川 する。 ちか子 ) 〔戯曲〕金百両如来 ( 「舞台』〈第二次〉四月号未上演、ただし作品 昭和三十ニ年 (IR") 七十三歳 一月十日、冬夏会 ( 勉強会 ) 発足。出席者は、土師清二、山岡荘そのものは昭和二十六年三月に完成していた ) 昭和三十五年 ( 一九六 0 ) 七十六歳 、村上元三、一尸川幸夫、鹿島孝一一、棟田博、玉川一郎、志智双 六、池波正太郎、邱永漢、赤江行夫、西川満。このころは、健康状久々に、大作「印度洋の常陸丸」の執筆にかかる。十月、二十六日・ 態があまりよくなかったにもかかわらず、二十六日会 ( 戯曲 ) 、新鷹会、新鷹会、冬夏会は、長谷川伸の喜寿の記念として「長谷川伸戯 会 ( 小説 ) 、冬夏会、八日会 ( ラジオドラマ ) などの勉強会が自宅で曲集』上、下を刊行した。この秋、紫綬褒章を辞退。 〔小説〕印度洋の常陸丸 (r 大衆文芸』一月号ー昭和三十六年二月・ 行われ、後進の指導、相談相手などで、ゆっくり療養するひまもな 号 ) かった。二月初旬から風邪ぎみだったのが悪化し、二月二十八日、 〔ラジオドラマ〕阿丁という名の万吉 ( 四月十六日夜 Z 松本 築地明石町聖路加病院に入院、治療の結果、三月二十三日退院し 幸四郎 ) た。内外タイムスに随筆「生きている小説」の連載をはじめる。 昭和三十六年 ( 一九六 D 七十七歳 〔小説〕三代目扇歌と女 ( 『週刊朝日』三月二十九日特別号 ) ガラ 永年にわたって資料を蒐集し、また小説としては最後の作品となっ シャ夫人由縁の母子 ( 『オール読物』十月号 ) 〔ラジオドラマ〕飛騨の旅笠 ( 九月六日夜松本幸四郎・水た「日本敵討ち異相」の執筆を始める。 〔小説〕日本敵討ち異相 ( 「中央公論』十二月号ー昭和三十七年十・ 谷八重子・市川中車・守田勘弥 ) 一一月号 ) 昭和三十三年 ( 一空 0 七十四歳 昭和三十七年 ( 一九六一 D 七十八歳 譜「わが一代記」 ( 一月二十・二十一・二十二日 Z X) 「絵本太閤記 の教科書」 ( 九月二十日 ) 「お便り有難う」 ( 十月二十一日文一月、大衆文学と演劇に尽した多年の功績と「長谷川伸戯曲集』 年化放送 ) 「随想あれこれ」 ( 十一一月八・九・十・十一日 ZXX) な ( 昭和三十五年十月上巻十二月下巻新小説社 ) の完成に対し 9 ど、ラジオ随筆を通じての活躍が目立った。また、各勉強会を通て、朝日新聞社より、「朝日文化賞」を贈られた。また、長谷川伸の じて、後進の創作指導と人づくりに心血をそそぐ。 最後の仕事となり、文字通り絶筆となった随筆「我が足許提灯の記い

長谷川伸全集〈第11巻〉

昭和三年には『掏摸の家』一幕、『沓掛時次郎』三幕、 を演じ、愛宕山からのラジオ放送もあった。 話が前後したらしいが、処女作の『旅の者心中』は舞台その他で合計十篇書いた、その十篇のうち未上演のものは より映画化が先だった、昭和二年にそのころ盛大だった故九郎の関』三幕八十二枚と、一幕物の「百歳以上」二十 牧野省三氏のマキノ映画で、嵐長三郎といった今の嵐寛寿三枚と『夜の二等車』二十四枚である。昭和元年及び二年 に書いたものは、うまい都合で今では一篇残らず上演され 郎氏主演で映画になった、これが私の作品が映画化された 三度目のものである。舞台にのばったのはずッと遅れ、昭てしまった。 こう云うとトントン拍子のようだが、最初上演の「世に 和四年一月改訂を施し、昭和五年一月に新歌舞伎座で市村 亀蔵氏の研究劇団で二日間上演した、発表後五年目だつ出ぬ豪傑』は演し物らしい演し物として据えられたが、そ の翌年に上演されたものはそうではなかった、まず八百 三度目に書いた戯曲は『蝙蝠安』二幕で、第一次「大衆蔵吉五郎』が邦楽座の二月興行に、五月信子氏、高橋義信 氏によって上演されたが、舞台の成績も余り芳しくなかっ 文芸』第八号 ( 大正十五年八月号 ) で発表した。 たし、上演料を横領した者があるとかないとかで、小石川 以上の三篇で、戯曲に手を出した最初の年は終った。 の方の警察へ私が召喚されたことなどもあった、この「八 昭和二年になって発表した作品は、第一次『大衆文芸』 では「八百蔵吉五郎』二幕 ( 第二巻新年号 ) と『仇討人』一百蔵吉五郎』は、それが始りで、その後、上演される毎に 幕 ( 第二巻第三号 ) 『柄杓酒』一幕 ( 第二巻第六号 ) だけで、何かしら妙なことがある、その一ツは、昭和四年六月に浅 の 草の公園劇場で河部五郎氏が上演したとき、よせばいい 雑誌は維持困難に陥り、遂に廃刊の余儀なきに至った。 にワザワザ出掛けて行って見物すると、これはいかなこ と、私の『八百蔵吉五郎』らしくもあり、らしくもない、 『八百蔵吉五郎』 余り不思議なので訊いてみると、矢張り私の「八百蔵吉五 つま 郎』だそうである、それではまるで狐に魅まれているよう 翌年の昭和二年には、前述の『八百蔵吉五郎』『仇討人』なものだ。そのうちに漸く訳が判明してきた。というの 「柄杓酒』の他に四篇書いた、その一ツが、『町の入墨者』は、河部も公園劇場のものも、私に『八百蔵吉五郎』とい 三幕五十二枚で、これはその年十二月十六日まで正味二日う戯曲があることなどどうも認めていないらしい、それで は脚本はどこから来たかというと、河部が日活にいるとき 昼夜ブッ通しで書いたことを憶えている。

インコのボンコがにげだした

* この本は、月刊誌『子供の科学』 ( 誠文堂新光社・発行 ) に左記 くみたんてい りゅうた れんさい のように連載された作品「竜太と久美の探偵ノート」を元に しています。 第一話Ⅱ一九八七年五—六月号 第二話Ⅱ一九八八年十一—十二月号 第三話Ⅱ一九九〇年九—十月号 第四話Ⅱ一九九二年三 5 四月号 第五話Ⅱ一九九一一年九—十月号 第六話Ⅱ一九九三年二月号 第七話Ⅱ一九九三年五月号