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1. 現代日本の文学 41 中村 真一郎 福永 武彦 集

行。二月中句退院後、春、伊豆に遊ぶ。長篇「海市」を構想。三房版「日本文化史第一巻月報」に、寄稿「中旬、退院。五月、「福 月、詩「北風のしるべする病院」を「本」に発表。五月、長篇「忘永武彦作品・批評」 ( 限定五百二十六部 ) を文治堂書店より、「福 却の河」を新潮社より刊行。講談社版ロマン・ブックスの川端康成永武彦詩集」 ( 特製五十部普及版六百部限定 ) を麦書房より、刊行。 「伊豆の踊子」の ^ 解説 > を執筆。六月、「幼年」を書き上げ、九六月、エッセイ「フォークナー、フォークナー ! 」を集英社版世界 月、「群像」に発表。十月、書下ろしのラジオ・ドラマ「時の雫」文学全集「フォークナー」に発表。九月、弥生書房版「堀辰雄詩集」 を Z Ⅱより放送。秋、金沢より能登半島を旅する。十一月、「珊を編集し ^ 解説 > を執筆。集英社版日本文学全集「堀辰雄集」 ^ 解 瑚集のことなど」を岩波書店版「荷風全集第十一巻月報に寄稿。説 > を執筆。十月、「風雪」を「群像」に発表。十一月、神戸、京 大和書房版「萩原朔太郎詩集」を編集し ^ 解説 > を執筆。十二月、都に遊ぶ。十二月、「ワーグナー体験」を「音楽の友」に発表。 学習研究社版世界の名画「ゴッホ / ゴーガン」を編集し、エッセイ昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 四十九歳 「内面への道」を収む。この年四月、三好達治死す、「天上の花」を一月、「音楽の魔術」を「 FM ( a コ」に発表。講談社版われらの文 「文芸」六月号に寄す。 学にて「福永武彦・遠藤周作」を刊行。三月、世田谷区祖師谷の借 昭和四十年 ( 一九六五 ) 四十七歳家に転居。五月、随筆「貝合せ」を「ミセス」に発表。「幼年」 ( 限 一月、「蛇の話」を「図書 . に、「厳しい冬」を「群像」に、発表。定二百六十五部 ) をプレス・ビブリオマーヌより刊行。六月、新潮 一一月、「取材旅行」を「文学界」に発表。三月、「能登一の宮」を社版日本詩人全集「室生犀星」を編集し ^ 解説 > を執筆。第一回河 「新潮」に発表。「海市、を書き始める。四月、「絵の話」を「婦出長編小説賞の選考委員をつとめる。七月、「私にとっての音楽」 人之友」に発表。五月、「芸術の慰め」を講談社より刊行。七月、を「音楽の友」に発表。夏、「海市」の後半三百枚を書きこの長篇 訳詩集「象矛集」 ( 限定五百二十六部 ) を垂水書房より刊行。八月、を完成する。初秋、千曲川上流梓湖を経て山田温泉五色の湯に遊 世田谷区成城町の借家に転居。十一月、「邯鄲」を「群像、に、「東ぶ。九月、随筆「梓湖の秋」を「読売新聞」一一十五日夕刊に寄稿。 京の夏」を「新潮」に、「石仏その他」を「小原流挿花」に、発表。河出書房版世界の詩人「ポードレール詩集」を編集し解説「ポード 旺文社文庫の堀辰雄「風立ちぬ・聖家族」に「堀辰雄に学んだこレールその人・その詩」を発表。十二月、「ポードレールわが同類」 と」を収む。 を筑摩書房版詩の本「詩の鑑賞」に発表。 昭和四十一年 ( 一九六六 ) 四十八歳 昭和四十三年 ( 一九六八 ) 五十歳 一月、長篇「死の島」を「文芸」に ( 連載中 ) 、 . 長篇「風のかたみ」一月、「あなたの最も好きな場所」を「群像」に、「岡鹿之助の詩的 年を「婦人之友」に連載 ( 四十一一年十二月号完結 ) 。二月、胃潰瘍のた世界」を「三彩、に発表。中央公論社版日本の詩歌「萩原朔太郎」 め国立東京第一病院に入院。三月、「漱石三部作について」を岩波の ^ 詩人の肖像 > を執筆。書下ろしの長篇「海市」を新潮社より刊 引書店版「漱石全集第四巻月報」に寄稿。四月、「「車塵集」のことな行。二月、「時計の話」を「新潮」に、発表。絵本「おおくにぬしの ど」を講談社版「佐藤夫全集第一巻月報」に、「飛天」を筑摩書・ほうけん」を岩崎書店より刊行。三月、大久保輝臣との共訳「家な

2. 現代日本の文学 41 中村 真一郎 福永 武彦 集

き子」を河出書房版少年少女世界の文学にて刊行。中野重治、伊藤日新聞社版「川端康成その人と芸術」に発表。新潮文庫にて「忘却 信吉と金沢に旅する。四月、「建築としての小説」を「朝日新聞」の河」を刊行。五月、「ドラク 0 ワと文学」を「アサヒグラフ増刊」 一一十一一日夕刊に、「プライヴァシイと孤独」を「帖面」に、「「野生に発表。六月、作品集「幼年その他」を講談社より刊行。八月、随 の棕櫚」と二重の現実」を冨山房版フォークナー全集「野生の棕筆集「別れの歌」を新潮社より、中央公論社版日本の文学にて「中 村真一郎・福永武彦・遠藤周作」を、刊行。九月、作品集「心の中 櫚」に、発表。「福永武彦詩集」普及版を麦書房より刊行。京都、 彦根に桜を訪ねる。五月、新潮文庫の「室生犀星詩集」を編集しを流れる河」「世界の終り」各新版を人文書院より刊行。十二月、 < 解説 > を執筆。網走に赴く。六月、長篇「風のかたみ」を新潮社「東山魁夷、旅人の眼と心」を「芸術新潮」に発表。「冥府」「深 より刊行。七月、随筆「枕頭の書」を「ハイファッションーに発淵 , 「夜の時間」を集成した中篇集「夜の三部作」を講談社より刊 表。文芸春秋版現代日本文学館「佐藤春夫・室生犀星」に ^ 室生犀行。暮、奈良、京都に滞在。 星伝 > を執筆。集英社版日本文学全集にて「中村真一郎 / 福永武彦昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 五十二歳 集」を刊行。八月、「北海道網走周辺」を「ミセス」に、「海・この一月、「大空の眼」を「群像ーに発表。三月、「加田伶太郎全集」を 母なるもの」を「おとなの絵本」第八号に、「夏の悲しみ」を「図桃源社より刊行。四月、京都に遊ぶ。七月、「平安京の春 , を「太 書」に、「レコード批評というもの」を「芸術新潮」に、発表。九陽」に、「「ルル」雑感」を「ミセス」に、発表。八月、「レコード 月、「先駆者フジタの道」を「朝日新聞」十八日夕刊に発表。十月、 について」を「ミセス」に、「閑中多忙」を「朝日新聞」十二日夕 「川端芸術の特質」を「毎日新聞」十八日夕刊に発表。「福永武彦作刊に、発表。「福永武彦集」を新潮日本文学にて、随筆集「遠くの 品・批評」 ( 限定五百二十六部 ) を文治堂書店より刊行。同じ町こだま」を新潮社より、「夜の三部作」の限定版 ( 五百部 ) を講談社 内に転居。十一月、エッセイ「見る型と見ない型」を「文学界」により、刊行。同月、信濃追分にて急性胃潰瘍のため倒れ、長野県小 発表。十一一月、「旅情」を「ミセス全集」第七巻に、発表。新潮日布施町の新生病院に入院。九月、「・ハロック音楽について」を「ミ 本文学の「川端康成集」の八解説 > を執筆。長篇「風土」 ( 決定版 ) セス」に発表。作品集「告別」新版を講談社より刊行。十月、「福 を新潮社より刊行。 永武彦詩集」小型本 ( 特製百三十部並製千部限定 ) を麦書房より刊 昭和四十四年 ( 一九六九 ) 五十一歳行。下句、退院。信濃追分を経て、十一月、帰京。「芸術の慰め」 この年、隣家の違反建築のため奮闘する。一月、「湖上」を「群像 , 新版を講談社より刊行。この年三月、鈴木信太郎死す、「現世一切 に発表。ェッセイ「私の内なる音楽」を「芸術新潮」 ( 九月号中絶 ) 夢幻也」を「図書ー四月号に寄す。 昭和四十六年 ( 一九七一 ) に、随筆「十二色のクレョン」を「ミセス」に連載 ( 十一一月号完結 ) 。 五十三歳 ′いト 三月、「「夜」の芸術家と「昼」の芸術家」を中央公論社版「谷崎 三月、「あるレクイエム」を「読売新聞」十四日朝刊に発表。現代 一郎全集第一一十三巻月報しに発表。四月、「オデイロン・ルドン」文学秀作シリーズにて作品集「塔」を講談社より刊行。 作製・源高根 を平几社版フアプリ世界名画集「ルドン」に、「「雪国」・読後ーを毎

3. 現代日本の文学 49 有吉 佐和子 瀬戸内 晴美 集

昭和三十一年 ( 一九五七 ) 三十四歳キー号でソ連を訪れ、シベリア、モスクワ、レニングラード、 「文学者 . 解散のため、小田仁一一郎主宰の同人雑誌「」に参加、 フを一カ月間旅行。はじめての海外旅行記を中央公論「世界の旅ー 「吐蕃王妃記」「牡丹」等を発表。北京時代を題材にした「女子大に書きおろす。第一巻「ナホトカから・ ( イカル湖まで」第五巻「三 チュイアイリン 生・曲愛玲」を新潮社の同人雑誌推薦作として応募、同年の新潮社十万円ソ連旅行」。小田仁一一郎との生活を清算するため、練馬区高 同人雑誌賞を受賞。 松町一一丁目四七一 = 一の一〇に転居。 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 三十五歳 昭和三十七年 ( 一九六一 l) 四十歳 りようらん 五月「女子大生・曲愛玲ー「訶利帝母」「牡丹」「痛い靴ー「吐蕃王七月「かの子撩乱」を「婦人画報」に連載開始 ( 翌々年三十九年六 妃記」「白い手袋の記憶」等九編をおさめた、処女短編集「白い手月まで一一十四回掲載 ) 。十月「夏の終りーを「新潮」に発表。同月 袋の記憶」を朋文社より刊行。九月同人雑誌賞受賞第一作として一一十九日号から「女徳」を「週刊新潮」に連載 ( 翌三十八年十一月 きよほうへん 「花芯」を「新潮」に発表。毀誉褒貶相なかばし、それ以後五年間、二十五日号で完結 ) 文芸雑誌から見はなされる。 昭和三十八年 ( 一九六一 I) 四十一歳 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 三十六歳三月「みれん」を「小説中央公論」、「雉子」を「新潮」に発表。四 四月「花芯」を七十枚から一一百枚に書きあらため、三笠書房より刊月「夏の終り」で第一一回女流文学賞を受賞。五月「花冷え」を「小 れい、ゆうしゃ 行。 説中央公論」、「あふれるもの」を「新潮」に発表。六月「霊柩車」 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 三十七歳を「風景ーに発表、「夏の終り」を新潮社より刊行。七月「けもの 中野区大和町三八九番地尾山藤一一方に転居。同人雑誌「」解散、の匂い」を「文学界」、「夜の椅子 , を「週刊文春」に発表。八月 小田仁一一郎らと「無名誌」を始める。七月一一十五日から、初めての「盗むしを「小説中央公論」、九月「帰らぬ人」を「文学界」にそれ 新聞小説「女の海」を東京タイムズに連載開始 ( 翌三十五年一一月一一ぞれ発表。十一一月「冬映え」を「文藝春秋」に発表。「女徳」を新 十一日完結 ) 。 潮社、「フルーダイアモンド」を講談社より刊行。年の暮れ、文京 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 三十八歳区関口町一一丁目目白台ア・ ( ート六一八号室へ転居。 「無名誌」に序章をのせた「田村俊子」を「文学者」にひきついで昭和三十九年 ( 一九六四 ) 四十一一歳 掲載、一年間にわたって連載。女たち数名の同人誌「 7 」を主宰、一月「女戒」を「別冊文藝春秋」に発表、同月より「背徳の暦」を 三号までだす。別れた某が上京、再会してふたたび交際が始まる。「小説現代」に連載。二月「田村俊子」を角川文庫より刊行。同月 昭和三十六年 ( 一九六一 ) 三十九歳二十四日号から「女優 , を「週刊新潮」に連載開始 ( 十一月二日号 四月、文藝春秋新社より「田村俊子」を刊行、同作品で第一回田村で完結 ) 。四月「三味線妻ーを「別冊文藝春秋」に発表。「恋愛学 俊子賞を受賞、同月十六日北鎌倉東慶寺、田村俊子墓前で授賞され校」を東方社より刊行。同月一一十一一日号から「妻たち」を東京新聞 る。六月、日ソ婦人懇談会訪ソ使節団の一行に加わり、モジャイス等三社連合に連載 ( 翌四十年六月十七日号で完結 ) 。六月「妬心」

4. 角川短歌 2016年10月号

・第十回万象新人賞、第三十四回万象競された。 詠作品賞 ( 万象 ) 万象新人賞は、菅原幸子氏「本当の春。 ・「國民文學」通巻一ニ 00 号記念 に、競詠賞は稲村早苗氏「花びら模様」に大正三年六月、窪田空穂によって創刊さ れた「国民文学 , が、五月号で通巻一二〇 決定した。 〇号を迎えた。 ・平成ニ十八年度未来山脈賞 ( 未来山脈 ) 新人賞は大野良恵氏、健詠賞は武井美紀・「木賊」創刊六 00 号記念 子氏、奨励賞は川嶋和雄氏、特別賞は毛利四月号で、創刊六〇〇号を迎えた。四月 号は記念号として、「記念随想」「私の一 さち子氏に決定した。 首」が掲載された。 ・第六十三回コスモス賞 ( コスモス ) 鈴木千世子氏「光る声」に決定した。 ・「ケノクニ」創刊七十周年記念 昭和二十一年六月に創刊された「ケノク ・第三十ニ回みぎわ賞 ( みぎわ ) ニ , が創刊七十周年を迎え、六月号は記念 中澤晃子氏「春のパスタ」に決定した。号として特集や略年譜が掲載された。 ・「青潮」創刊七十周年記念 五月、創刊七十周年を迎えた。 ・「高嶺」創刊一千号記念号 昭和三年三月、早川幾忠氏によって創刊 された「高嶺 . が三月号で通巻一千号を迎 ・「どうだん」創刊八十周年記念 えた。会員による記念ェッセイなどが掲載昭和十一年に創刊された「どうだん」が 結社ニュース 五月で八十周年を迎えた。通巻八三八号 は、記念号として「どうだん・あ 1 かい ぶ」が特集された。 ・「海風」百号記念 七月号で百号を迎えた。思い出写真集 や、百号に寄せる会員の短歌やエッセイが 掲載された。 ・「まひる野」創刊七十周年記念号 昭和二十一年三月に創刊された「まひる 中野菊夫「樹木」を継ぐ 編集委員 ・佐 / 」、苅 ら 子子夫邦樊 新会員歓迎 会員 2 , 000 円 ( 1 ヶ月 ) 会費入会半年分前納 発行所 郵便番号 190 ー 0004 立川市柏町 4 一 51 ー 1 柏町団地 16 ー 105 遠役らく子電話 0425 ー 35-5093 事務局振替 00100 ー 5 ー 149895 丹青短歌会 1 85 歌壇掲示板

5. 現代日本の文学 Ⅱ― 8 山本 周五郎 集

説新潮」に、「しずやしず」を「週刊朝日」増刊号に、七月、「肌匂説新潮」に、十一月、「古今集巻之五」を「文藝春秋」に、十一一月、 う」を「週刊新潮」に発表。八月 ~ 三十一一年八月、「正雪記」 ( 第一一一「ちんばの踏段」 ( 絵と随想 ) を「小説新潮」に、「年の瀬の音」 ( 随 部 ) を「労働文化」に連載。八月、「並木河岸」を「オール読物」筆 ) を「朝日新聞」に発表。一月、「樅ノ木は残った」 ( 上 ) を講談 に、十二月、「つゆのひぬま」を「オール読物」に執筆。一月、「雨社から、「なんの花か薫る」を宝文館から、九月、「樅ノ木は残っ あがる」を、四月、「楽天旅日記」をいずれ同光社から、五月、 た」 ( 下 ) を講談社から、十月、「小説日本婦道記」を新潮文庫の一 「三十ふり袖」を学風書院から、十一一月、「将監さまの細みち」を新冊として刊行した。 潮社から刊行した。 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 五十六歳 べんつば、 あざみ 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 五十四歳一月 ~ 九月、「五瓣の椿」を「講談倶楽部」に連載。一月、「薊」を 一月、「深川安楽亭」を「小説新潮」に、三月、「枕を三度たたい 「小説新潮ーに、四月、「畜生谷」を「別冊文藝春秋」に、「小説「よ た」を「サンデー毎日」増刊号に、「法師川八景ーを「オール読物」じよう」の恩人 . ( 随筆 ) を「朝日新聞 , に、五月、「その木戸を通 に、五月、「茶摘は八十八夜から始まる」を「講談倶楽部」に、「勘って」を「オール読物」に発表。六月 ~ 三十五年八月、「御意見 弁記」を「面白倶楽部」に、六月、「鶴は帰りぬ」を「週刊朝日」番に候」を「労働文化」に連載。六月、「町奉行日記」を「小説 増刊号に、七月、「牛」を「オール読物」に、「全部エヌ・ジイ」 ( 随新潮」に、「独居のたのしみ」 ( 随筆 ) を「早稲田文学」に、七月、 筆 ) を「文藝春秋」に、九月、「花杖記」を「小説新潮」に、十月、「やぶからし」を「週刊朝日」増刊号に、八月、「八百長について」 びようぶ 「末っ子」を「オール読物」に、「屏風はたたまれた」を「文藝春 ( 随筆 ) を「東京新聞ーに、十月、「失蝶記」を「別冊文藝春秋」に、 秋 , に、十一月、「ちいさこべーを「講談倶楽部」に、十一一月、「酒「もののけ」を「オール読物」に、「落葉の隣り」を「小説新潮」に 屋の夜逃げー ( 随筆 ) を「講談倶楽部」増刊号に、「六月おおみそか発表。十二月十六日 ~ 三十五年十一月一一十五日まで、「天地静大」 説」 ( 随筆 ) を「朝日新聞ーに発表。八月、「正雪記」 ( 全 ) を「講を三社連合に掲載。十一一月、「景気のこちら側」 ( 随筆 ) を「朝日新 談社から、「花も刀も」を同光社から刊行。 聞」に発表。一一月、「赤ひげ診療譚」を文藝春秋新社から、三月、 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 五十五歳「ちゃん」を講談社から、五月、「ひやめし物語」を光書房から、九 この年秋、「樅ノ木は残った」第四部以下を書き下しで完成した。 月、「いさましい話」を光書房から、「五瓣の椿」を講談社から、十 譜一月、「橋の下。を「小説新潮」に、「ひとでなし」を「講談倶楽二月、「現代長編小説全集 ( 第四十一一巻Ⅱ樅ノ木は残った ) 」を講談 部」に、一一月、「あだこ」を「小説倶楽部」に、「ちゃん」を「週刊社から刊行。 しんりようたん 年朝日」増刊号に発表。三月 ~ 十一一月まで、「赤ひげ診療譚」を「オ昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 五十七歳 ール読物ーに連載。三月、「歴史か小説か」 ( 評論 ) を「朝日新聞 , 一月 ~ 十一一月、「青べか物語」を「文藝春秋」に連載。代表作の一 せつつのかみ に、五月、「若き日の摂津守」を「小説新潮」に、八月、「書物と人っになった。一月、「ばちあたりーを「小説新潮」に、三月、「霜 生」 ( 随筆 ) を「朝日新聞ーに、十月、「某月某日 . ( 随筆 ) を「小柱」を「オール読物」に、五月、「ふるさとの学校 , ( 随筆 ) を「週 まくら はだにお

6. 現代日本の文学 32 伊藤 整 集

五十五歳 昭和三十五年 ( 一九六〇年 ) 集「少年」を筑摩書房より刊行。 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 五十一一歳一月「虹」を「婦人公論」に連載 ( 三十六年四月完結 ) 。四月、上林 一月、第一一の新聞小説「誘惑」を「朝日新聞」に連載 ( 百四十八回 ) 。暁、福田清人、永松定、那須辰造、十和田操、瀬沼茂樹ら旧友と季 二月、第十四評論集「芸術は何のためにあるか」を中央公論社より刊同人雑誌「春夏秋冬」をはじめる。八月「岸信介氏における人間 刊行。三月、チャタレイ裁判は最高裁判所にて上告棄却となり、第の研究ーを「中央公論」に発表。「日本文壇史」第六巻を講談社よ 二審のとおり確定。日本文芸家協会は、理事会でこの判決を不当とり、十月、ロレンスの「息子と恋人」を河出書房より刊行。コロン ビア大学の招待で、妻貞子、娘マリ子とともにニューヨークに滞 する声明書を出した。四月「我が文学生活」第三巻を講談社より、 七月、第十三長編小説「誘惑」を新潮社より刊行。九月、第一一十九在。十一月「ビビハンヌの接吻」を「小説中央公論」に発表。 五十六歳 回国際ペン・クラ・フ東京大会で : Japanese Sense of Beauty and 昭和三十六年 ( 一九六一 ) コロンビア大学で : Japanese Ways Of Recognition : を、ミシ Good : を講演。十月「虹」を「文藝春秋」に発表。 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 五十三歳ガン大学で、 : Escaped Slaves : を講じた。五月「我が文学生活」 三月、東京工業大学教授となる。四月「伊藤整作品集」全十巻を光第五巻を講談社より刊行。七月、ヨーロツ・ ( をまわって帰国。八月、 文社より刊行 ( 十一一月完結 ) 。「日本文壇史」第五巻を講談社より、母タマ死去。十月「現代詩の問題ーを「文学界」に、十一月「「純」 九月「近代日本の文学史」を光文社より刊行。この月末、パリで開催文学は存在し得るか」を「群像」に、「宇野浩一一氏の世界」を「新 された国際ペン・クラ・フ執行委員会に出席、その席上 "The privacy 潮」に発表。十二月、第十五評論集「作家論」を筑摩書房より、 Of the Author and the Aut0biographical NoveI : と題して発「ヨーロッパの旅とアメリカ生活」を新潮社より刊行。 五十七歳 昭和三十七年 ( 一九六一 l) 表。十月、タシュケントのアジア・アフリカ会議に出席。十一月、 ・ハリからロンドンのイギリス・ペン・クラブの例会に出席。十月、一月「母の記憶」を「世界」に発表。第十六長編小説「虹」を中央 第十四長編小説「氾」を新潮社より、「我が文学生活」第四巻を公論社より刊行。一一月「日本の社会、日本の小説」を「中央公論」 に、三月「純文学像の推移ーを「文芸」に発表。「発掘」を「新潮」 講談社より刊行。 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 五十四歳に連載 ( 三十九年十月完結 ) 。四月、日本べン・クラ・フ副会長とな 元旦を。ハリで迎え、 ミュンヘン、ウィーンを経て、イタリアに旅る。五月「年々の花」を「小説中央公論」に連載 ( 三十八年十一一月 し、一一月九日、マルセイユをたって、四月、帰国。三月「ヨーロッ完結 ) 。六月、財団法人日本近代文学館設立当初の常務理事に就任。 年パで性を考える」を「新潮」に、「異邦人意識と人類意識」を「群十一月、第十六評論集「求道者と認識者」を新潮社より刊行。 五十八歳 像」に発表。四月、第三の新聞小説「泉」を「朝日新聞ーに連載昭和三十八年 ( 一九六 = l) 7 ( 百八十三回 ) 。八月「失われた記憶」を「新潮」に発表。十一月、一一月「日本近代文学館の話」を「文学界ーに発表。三月「日本文壇 史」により第十一回菊池寛賞を受賞。四月「一つの感想」を「文 第十五長編小説「泉」を中央公論社より刊行。

7. SFマガジン 1984年2月号

ロ 秋山和隆方事務局係たしても会誌の増刊号を作りましたので、お知 または、振替広島 2 ー 2 2 9 ー 8 広島大 らせします。 学研究会 名称インターソーラー年末増刊号「 中央大学研究会正会誌 「」の第ニ号ができました 「謎の円盤 0 」ファン・クラブ ( との戦い ) 」・ハート 1 内容翻訳日「青を想い、二つ数えよ」 O ・ス 内容早川版・ローダンシリーズ一〇〇巻から ミス、「地底潜艦〈インタースティス〉」・ 第五期会員募集中 ! 一二五巻まで、原書五十冊分のあらすじ紹介 ペイリー、「嘆きの潮に帆をかけよ」・ル ズ「謎の円盤 当 O は、シリー ポフ、他二篇 / 創作「太陽の真珠たち」岡体裁判・八十頁 / 頒価四百五十円 0 」のファン・クラブです。会誌「」 ( 既刊四号 ) 、会報「 coo:--a 」 ( 隔月刊 ) の発本昌己 / 評論「鏡の国の反在士」中村融、送料一部日二百五十円 / 二部三百円 / 三部 三百五十円 「新しい波」 O ・プリースト、他一篇など。 行、上映会を主な作戦活動としています。 ※ご注文は左記まで必ず振替にておねがいしま 第五期会費は千円。入会案内書ご希望の方体裁判・手書きオフ・一三六頁 す。 頒価送料共七百円を定額小為替で。 は、切手九十円分同封の上、左記まで。 ☆宛先〒多摩市一の宮八九五 ( 振替東京 6 ー 23120 長谷部正視 ) ノ 〒東京都世田谷区奥沢一一ー四五ー 第三馬場荘一〇三山崎節夫では、八四年度会員募集中です。入会希 〈イヴェント・カレンダー〉 望者は、左記事務局まで返信用切手を同封の ガタコンナインのお知らせ 上、お問い合せ下さい。 一九八四年 新潟の秋、ガタコンの秋、おいしいコシヒカ〒東京都東久留米市上ノ原二ー六ー四五ー三 一月十五、十六日 ( 日、月 ) 成人式ミ 〇六谷口誠方事務局 リと一緒にしませんか。 ューコン 9 ( 名古屋 ) 日時一九八四年十月十 四月二十八、二十九日 ( 土、日 ) ( 東京都世田谷区北沢一ー四六ー二鴨由利 ) 三日 ( 土 ) ~ 十四日 1 ( 熊本 ) ( 日 ) 五月五、六日 ( 土、日 ) ( 蔵王 会場新潟市「ホテル湖 ・一月号 ) 七月二十七、二十八、二十九日 ( 金、士、 参加費九千円前後 日 ) 第ニ十三回日本大会 ゲスト ( 順不同・敬称略 Z Ⅱ ( 札幌・一月号 ) ・交渉中 ) 神林長平 / 柴 八月十一、十二日 ( 土、日 ) ローコンⅢ ( 東 野拓美 / 矢野徹 / 夢枕、 京 ) 獏 / かんべむさし / 森 八月十八、十九日 ( 土、日 ) 下一仁 / 風見潤、他 ( 金沢 ) ☆連絡〒新潟市西 八月十八、十九日 ( 土、日 ) 郵便止 — ( 広島 ) ガタコン 9 実行委員 十月十三、十四日 ( 土、日 ) 会事務局 Ⅸ ( 新潟 ) ・今月号にイヴェントの詳細が掲載されてい べリーワールドからの ないものにつきましては、末尾に記した月号 お知らせ の「てれぼーと」欄をご覧下さい リーワールドが、ま べ 359

8. 現代日本の文学 28 舟橋 聖一 集

根ーを「群像」に発表。「高持家の姦淫」を「改造」に連載。歌舞昭和三十年 ( 一九五五 ) 五十一歳 伎座復興のこけら落しに「箕輪の雪ーが猿之助・時蔵によって上演一一月、『寝もやらぬ夏子」を新潮社より刊行。四月、「善意」を「新 される。三月、谷崎潤一郎監修・舟橋聖一脚色・久保田万太郎演出潮」、「鴛鴦の間」を「別冊文藝春秋」に連載 ( 三十一年十二月完 「源氏物語」 ( 第一部 ) が菊五郎・猿之助両劇団によって初演される結。三十一一年七月文藝春秋新社刊 ) 。六月、「白い魔魚」を「朝日新 ( 歌舞使座 ) 。六月、「墨田川物狂ひ」が新生新派によって上演され聞」に連載 ( 二百八十回完結。三十一年三月、四月〔完結篇〕新潮 る ( 歌舞伎座 ) 。十月、「源氏物語」が歌舞伎座で再演され、十一月社刊 ) 。「春色梅暦」を「文芸」に連載 ( 三十一年八月完結 ) 。十一 には大阪で三演される。 月、「秋の月の虚像」を「中央公論」に発表。 昭和ニ十七年 ( 一九五一 l) 四十八歳 昭和三十一年 ( 一九五六 ) 五十二歳 一月、「力士と双生児」を「文藝春秋」、「似顔のキリスト」を「中一月、「白薊」を「新潮ーに、「もて遊び草」を「文藝春秋」に発表。 央公論、文芸特集号に発表。「芸者小夏ーを「小説新潮」に発表、四月、「新・忠臣蔵」を「毎日新聞」に連載。六月、「黒い花粉 , を 以後「夏子もの」は、三十六年十一一月まで満十年間連載される。四「週刊読売」に連載。七月、「荒らうみ」を「別冊小説新潮」に断続連載。 月、日本文芸家協会理事長を辞任。六月、「不肖の子」を「群像」 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 五十三歳 に発表。七月、「花の生涯」を「毎日新聞」タ刊に連載 ( 四百八回完一月、「顔師」を「中央公論」に、「紅葉の湯」を「文藝眷秋」に発 結 ) 。十月、「夜の蝶」を「文藝春秋」に発表。 表。「新・忠臣蔵」 ( 全十一一巻 ) を毎日新聞社より刊行しはじめる ( 三 昭和ニ十八年 ( 一九五三 ) 四十九歳十六年九月完了 ) 。三月、随筆集「みちづれ」を宝文館より刊行・ 一月、「紅顔白髪」を「新潮」、「ある黄昏」を「改造」に発表。二四月、来日したイリヤ・ = レン・フルグを自宅に招き歓談、一タをと 月、著作権問題につき大蔵委員会公聴会に出席。三月、「夜のリポもにした。六月、「顔師」を新潮社より刊行。「白い魔魚」のモデル ンしを「産業経済新聞」に連載 ( 一一百六十回完結 ) 。四月、「山雪抄」問題で突然民事訴訟を起され、夏、その公判傍聴のため岐阜に滞 を「中央公論」に発表。「花の生涯」を新潮社より刊行 ( 続篇を十在、帰途、尾崎士郎の案内で三州吉良へ赴き、「新・忠臣蔵」の資 一月に刊行 ) 。九月、「絵島生島」を「東京新聞 . に連載。野間賞が料調査をする。十月、「若い果実」を芸術座 ( 東宝現代劇 ) で上演、 復活、その選考委員となる。十月、「たか女覚書」を「文藝眷秋」に発表。演出も担当した ( 脚本は十一一月「婦人画報」に掲載 ) 。 昭和ニ十九年 ( 一九五四 ) 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 五十四歳 五十歳 一月、「ツン・ハ売りのお鈴」を「文藝春秋」、「過去のタ景色」を「群一月、「春怨」を「別冊小説新潮」に発表。「花実」を「中央公論」 像ーに発表。「若いセールスマンの恋しを「中央公論」に連載 ( 九月に連載 ( 十二月完結 ) 。武智鉄一「川口秀子の結婚の媒酌人をつとめ 完結 ) 。「海の百万石」を「東京新聞」に連載 ( 三百八十回完結。三る。三月、東京馬主協会副会長となる。五月、「朱の花粉」を「週 十年十二月〔上・中巻〕、三十一年一月〔下巻〕講談社刊 ) 。十二月、 間読売」に連載。七月、「青麦の頃」十月、「青稲の頃」を「別冊小 「風流抄」を文藝春秋新社より刊行・ 説新潮」に発表。

9. 現代日本の文学 28 舟橋 聖一 集

項よりやや視力減退を感じる。 色」と改題して、四十三年六月講談社より刊行 ) 。芸術院新会員と 昭和四十年 ( 一九五六 ) 六十一歳して宮中参内。十一月、「好きな女の胸飾り」 ( 五百三枚 ) を口述筆 一月、内閣より社会懇談会委員を委嘱される。四月、「麦の浪」 ( 「真記によって完成、「群像」に発表、野間文芸賞を受ける ( 十二月、 贋の記」第一部 ) を「新潮しに発表。「恋か魔か」 ( 第一部 ) を「小講談社刊 ) 。十一一月、「蜜蜂」を「日本経済新聞」に連載 ( 三百九十 説現代」に断続連載。五月、「愛慾」を「週刊現代」に連載。谷崎回完結、四十四年六月中央公論社より刊行 ) 。 潤一郎賞選考委員となる。六月、「雲の浪 ( 「真賢の記」第二部 ) 、 昭和四十三年 ( 一九六八 ) 六十四歳 八月、「綾の浪 ( 「真賢の記」第三部 ) を「新潮ーに発表。谷崎潤一月、佐藤総理との「新春対談」を「自由民主」に掲載。一一月、「舟 一郎の告別式に、後輩総代として弔辞を読む。箱根行の帰り道、大橋聖一自選集」を集英社より刊行。塩酸・ヒロカル・ヒン点眼によって 観山から初島の燈台が見えないのに気づく。十月、「渦の浪」 ( 真薬物中毒を起し、左眼は発赤、劇痛に悩まされる。虎の門病院に一 賢の記」第四部 ) を「新潮」に発表。両陛下主催の園遊会に招かれ日入院。三月、山王病院へ再入院する ( 三十日間 ) 。四月、自宅にて る。観劇中に俳優の顔が一一重に見え、軽度の複視と診断される。十闘病生活をはじめる。鎮痛剤連用のための食慾不振に悩まされなが 一月。中央競馬振興会副会長となる。 らロ述筆記を続け、テープ録音によって文学賞の候補作品を読む。 昭和四十一年 ( 一九六六 ) 六十一一歳六月、随筆「孔雀の羽根ーを「東京新聞」に発表。「舟橋聖一選集」 二月、「影の浪」 ( 「真賢の記」第五部 ) を「新潮」に発表。四月、全十三巻が新潮社より刊行されはじめる。七月、眼の痛みは薄らい 「とりかへばや秘文」を「小説新潮」に連載 ( 七月完結、八月新潮社だが、視力回復せず。 刊 ) 。日本演技アカデミー開校、校長に就任。五月、「与一一一郎ざん悔」昭和四十四年 ( 一九六九 ) 六十五歳 を「京都新聞 , に連載 ( 八百七十回完結 ) 。糖尿病性の眼氏出血。七一月、「松陰遺聞」を「群像ーに発表。横綱審議委員長となる、一一月、 月、内閣より建国記念日審議会委員を委嘱される。国立劇場評議員美濃部都知事の「公営ギャンプル廃止論」を支持して「競馬自粛」 となる。八月、「泥の浪。 ( 「真賢の記」第六部 ) を「新潮ーに発表。を首相に進言。「歌舞伎美学再考。を「毎日新聞」に発表。三月、日 九月、左眼と同様、右眼の視力も衰える。十月、「火の浪」 ( 「真贋本演技アカデミーの校長を辞任。六月、「私の履歴書」を「日本経 の記」完結 ) を「新潮」に発表。十一月、短篇集『華燭』を中央公済新聞、に連載 ( 三十八回完結 ) 。十月、「後京栄子のこと」を「海、 論社より刊行。日本芸術院会員となる。 に発表。 昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 六十三歳 昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 六十六歳 一月、「真贋の記」を新潮社より刊行。一一月、日本中央竸馬会名誉顧一月、「女菩蘿花身」を「群象」に発表。 問となる。三月。随筆「松の翠りーわが家の明治百年」を「中央公論」 昭和五十一年 ( 一九七六 ) 七十一歳 に発表。四月、「文芸的グリンプス」を新潮社より刊行。五月、「白一月十三日、急性心筋梗塞のため日本医科大付属病院で死去。 い逆浪」 ( 「恋か魔か」完結篇 ) を「小説現代」に発表 ( 全巻を「湖この年譜は、編集部が製作し、野口冨士男氏に監修をお願いしたものです。

10. 現代日本の文学 18 石川 淳 集

第一一巻に発表。五月、「狐の生肝」を「新潮」に発表、小説集「霊一月、「横綱の弁ーを「酒」に寄稿、「おあいにくさま」を「中央公 薬十二神丹」および「石川淳集」 ( 新選現代日本文学全集 ) を筑摩論」に発表。一一月、新潮社版日本文学全集「森外」に解説「森 書房より刊行。六月、上田秋成没後百五十年記念講演会において外の作品について」を寄稿。一一月、「石川淳全集」を筑摩書房より 「秋成私論」を講演。七月、「敗荷落日」を「新潮」に発表、「独立刊行しはじめる。翌年十二月全十巻完結。四月、編「文壇よ の精神について」を「東京新聞」に三回連載。七月と十月の一一回、もやま話」 ( 青蛙書房刊 ) に放送対談「石川淳の巻」を収録、「越天 「影ーを「中央公論文芸特集 , に連載。八月、「獅子のファルス」を楽」を「小説中央公論」に発表。五月、多年にわたる作家業績によ 「新潮」に発表、「秋成私論」 ( 講演会速記による ) を「文学」に掲り第十七回芸術院賞を受賞。六月、「一冊の本」を「朝日新聞」に 載。十一月、「裸婦変相」を「新潮」に発表、「思想は食へるもの寄稿。七月、「ことばに手を出すな」を「新潮」に発表。九月、俳 か」を「近代日本思想史講座」 ( 筑摩書房刊 ) 月報 3 に寄稿、小説優座上演台本「おまへの敵はおまへだ」を「群像」に発表、ついで 集「影」を中央公論社より刊行。十一一月、「にせ神父」を「別冊文筑摩書房より刊行。公演プログラムに「挨拶」を寄稿。同月より十 藝春秋」に発表。 月にかけて、同台本は東京・新潟・名古屋・大阪・神戸・岐阜の各 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 六十一歳地で上演された。十月、「京都ぶらぶら」を「きようと」秋号に寄 一月、「初芝居三ッ物」を文学座公演「熱帯樹」プログラムに寄稿、稿。十月より翌年九月まで、「夷斎遊戯ーと題して、「芝居」「宇野 「ほととぎす」を「新潮」に、「大徳寺」を「声」に発表。二月、浩一一」「十日の旅」「画譚難肋について」「細香女史」「ドガと鳥鍋 「五十音図について」を筑摩書房版「古典日本文学全集 , 第三十四と」「即興」「読まれそこなひの本」「武林無想庵ー「スカ・ ( ン」「小 、といふ字のつくもの」「文学賞ーの十一一篇を「文学界ーに連載。十 巻付録に寄稿、「自由について」を「東京新聞」に三回連載。三月 一月、「わが小説」を「朝日新聞」に寄稿。十二月、「二人権兵衛。 「蕪村風雅」を「俳句」に、四月、「遠くから見たアルべール・カミ こを「中央公論」に発表。五月、「戦中遺文」を「新潮」に発表、を「別冊文藝春秋」に発表。 六十三歳 「新釈古事記ー神々ー」を筑摩書房版「古典日本文学全集」第一巻昭和三十七年 ( 一九六一 l) に収録刊行。六月、「夷斎饒舌」を筑摩書房より刊行。七月、「喜寿五月、「自転車とカボチャと」を「中野重治全集」 ( 筑摩書房刊 ) 第 と 童女」を「小説中央公論」に発表。八月、「寄酒祝」を吉川幸次郎十巻月報に寄稿。五月より十月まで、「レス・ノン・ヴェル・ハ 「知非集」付録に寄稿。九月、「政治についての架空演舌」を「新題して、「車」「禅」「道具」「居所」「型」「アメリカ村」の六篇を 潮」に発表、「新釈雨月物語」「新釈春雨物語」を筑摩書房版「古典「世界ーに連載。七月、芥川賞選考委員となる。 日本文学全集」第二十八巻に収録刊行、巻末に「秋成私論」のほか昭和三十八年 ( 一九六 = I) 六十四歳 「樊嗜下の部分について」を併載。十月、「死後の花嫁」を「小説中一月、「金鶏ーを「世界」に発表。同月、「荒魂。を「新潮」に連載 央公論」に、十一一月、「ばけの皮」を「別冊文藝春秋」に発表。 しはじめる。十六回にて三十九年五月完結。三月、「夷斎遊戯」を 昭和三十六年 ( 一九六一 ) 六十一一歳筑摩書房より刊行、渋谷区代々木上原に転居。八月、「わが万太郎」