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検索対象: 日本の街道 7 海光る瀬戸内・四国

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日本の街道 7 海光る瀬戸内・四国


日 本 の 彳 圭 〒 道 ー ー ー 全 8 巻 ( 書 名 と 責 任 編 集 者 ) 第 1 巻 風 か け る み ち の く 仲 野 浩 喆 渡 辺 信 夫 奥 州 街 道 羽 州 街 道 会 津 街 道 浜 街 道 第 2 巻 江 戸 へ の 道 学 習 院 大 学 男 玉 幸 多 名 誉 教 授 し 東 海 道 日 光 道 甲 州 路 水 戸 ・ 佐 倉 道 大 山 道 第 3 巻 雪 の 国 北 陸 粤 木 下 良 北 国 路 越 後 路 能 登 路 三 国 街 道 千 国 街 道 第 4 巻 山 な み 遙 か 歴 史 の 道 林 英 夫 信 濃 路 木 曾 路 伊 那 路 美 濃 路 飛 騨 路 大 阪 市 立 大 第 5 巻 京 へ の 道 原 田 伴 彦 学 名 誉 教 授 ′ 、 若 狭 路 近 江 路 丹 波 路 大 和 路 伊 勢 路 紀 州 路 第 6 巻 夢 誘 う 山 陽 山 陰 兵 庫 教 育 彡 、 ロ ラ 登 夫 大 学 学 長 ロ 山 陽 道 吉 備 路 安 芸 路 出 雲 路 長 門 路 第 7 巻 海 光 る 瀬 戸 内 ・ 四 国 山 本 大 遍 路 道 金 毘 羅 参 詣 道 土 佐 路 瀬 戸 内 の 海 路 九 州 大 学 第 8 巻 日 燃 ゆ る 九 州 助 教 授 丸 山 雍 成 筑 紫 路 日 向 路 薩 摩 路 長 崎 路 唐 津 街 道 全 巻 完 結 著 者 代 表 ー ー 山 本 大 編 集 者 ー ー ー ー 株 式 会 社 日 本 ア ー ト ・ セ ン タ ー 東 京 都 千 代 田 区 神 田 神 保 町 電 話 ー 東 京 ・ 2 9 4 ・ 3 8 91 郵 便 番 号 101 発 行 者 。 ー ー 堀 内 末 男 発 行 所 ー ー ー 株 式 会 社 集 英 社 東 京 都 千 代 田 区 一 ッ 橋 一 一 ー 五 ー 一 〇 電 話 ー 販 売 部 東 京 ・ 2 3 8 ・ 2 7 81 出 版 部 東 京 ・ 2 3 8 ・ 2 8 31 郵 便 番 号 101 印 刷 所 ー ー ー ー 共 同 印 刷 株 式 会 社 製 本 所 ー 、 ー ー ー 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 に は 十 分 注 意 し て い ま す が 、 落 丁 ・ 乱 丁 の 際 は お と り か え い ← 」 ー ) ま 6 ・ す ・ ◎ 集 英 社 Printed in Japan 日 本 の 街 道 7 海 光 る 瀬 戸 内 ・ 四 国 昭 和 五 十 六 年 十 月 一 一 十 一 日 第 一 刷 発 行 03 幻 - ヨ 76007 ー 30

日本の街道 7 海光る瀬戸内・四国


か ん の う ら 十 二 月 廿 三 日 木 下 由 里 」 と 刻 ま れ た 墓 が 注 意 を ひ 甲 浦 か ら 脱 出 し 長 州 に 赴 い た の で あ る 。 ま た 、 文 さ き の よ ま 久 三 年 九 月 、 幽 囚 の 身 と な っ た 武 市 半 平 太 を 救 お う 。 彼 女 は 美 人 で 佐 喜 沢 戸 ) の 庄 屋 に 嫁 い だ が 、 病 気 の た め 愛 児 を 残 し て 離 縁 と な り 、 死 後 霊 魂 が 愛 と し て 、 安 芸 郡 田 野 の 郷 士 清 岡 道 之 助 以 下 二 三 士 児 の も と を 訪 れ た と い い 、 墓 石 を な で る と 雨 が 降 る は 、 元 治 元 年 七 月 、 野 根 山 に 屯 集 し た 。 藩 は 謀 反 を と い う 伝 説 が 伝 え ら れ て い る 。 計 る も の と し て 討 伐 軍 を 派 遣 し た 。 関 所 の 近 く か ら 南 に 下 る 道 は 佐 喜 浜 に 通 じ る 道 で 志 士 た ち は こ れ を 知 り 、 い ち 早 く 関 所 を 脱 出 し て あ ぐ ら あ る 。 少 し 下 る と 、 番 所 役 人 の 屋 敷 跡 や 岩 佐 の 清 水 蛇 谷 を 下 り 、 安 倉 の 川 ) か ら 北 上 し 、 竹 屋 敷 の 番 所 お ご う ふ き こ し が あ り 、 番 士 頭 の 川 島 惣 次 の 屋 敷 跡 に は 石 垣 が 残 っ を 避 け て 尾 河 の 川 ) か ら 吹 越 峠 へ 赴 き 、 国 境 を 越 え そ う づ て い る 。 関 所 か ら 東 へ 通 じ る 街 道 は 、 蛇 谷 道 へ の 分 て 阿 波 の 僧 都 谷 か ら 船 津 (\ し に 出 た の で あ る 。 岐 点 を 経 て 野 根 山 主 峰 (f 」 メ ) の 下 を 通 り 、 花 折 甲 浦 へ の 廻 船 が 荒 天 の た め 予 定 通 り 到 着 し な い こ と べ っ ち ゃ く 坂 か ら い っ き に 野 根 の 別 役 に 下 っ て い る 。 四 四 キ が わ か り 、 こ の 道 を と っ た と い わ れ て い る 。 結 局 、 ロ メ 1 ト ル の 野 根 山 街 道 も こ こ で 終 わ る 。 阿 波 藩 に 捕 え ら れ て 軟 禁 さ れ た が 、 土 佐 藩 に 引 き 渡 さ れ て 護 送 の 途 中 、 九 月 五 日 、 一 度 の 取 り 調 べ も な く 奈 半 利 川 畔 で 全 員 斬 首 さ れ た 。 い た ま し い 犠 牲 で 一 、 3 。 ' 一 、 の 」 ハ 、 , 退 路 を 断 0 荒 天 0 海 と こ ろ で 、 こ の 街 道 は 古 代 の 官 道 で あ っ た と の 説 あ る 。 じ よ う き ゅ う っ ち み か ど も あ る が 、 承 久 の 変 で 土 佐 へ 配 流 さ れ た 土 御 門 上 明 治 に な っ て か ら は 、 佐 賀 の 乱 に 敗 れ た 江 藤 新 平 皇 は こ の 道 を 通 っ た と い わ れ 、 山 中 で 吹 雪 に あ い が 、 明 治 七 年 三 月 十 日 、 宇 和 島 に 上 陸 後 、 林 有 造 を は た 「 う き 世 に は か か れ と て こ そ 生 ま れ け め こ と は り 頼 っ て 幡 多 路 を 高 知 へ 向 か っ た 。 二 十 四 日 、 片 岡 健 し ら ぬ わ が 涙 か な 」 の 歌 を 残 し た と 伝 え ら れ て い 吉 宅 で 林 と 会 っ た も の の 、 目 的 を 達 す る こ と が で き き よ 、 つ ほ 、 つ と よ 、 六 代 藩 主 豊 ず 、 逃 避 行 を つ づ け 、 二 十 六 日 、 奈 半 利 で 宿 泊 し る 。 藩 政 時 代 に は 、 享 保 三 年 ( ~ し 隆 の 北 山 越 え が 始 ま る ま で は 参 勤 交 代 路 で あ っ た 。 た 。 翌 二 十 七 日 、 本 街 道 を 避 け て 奈 半 利 川 に 沿 っ て 幕 末 維 新 の 動 乱 の 際 に は 、 こ の 街 道 は 哀 史 を つ づ 北 上 し 、 安 倉 で 一 泊 し て 野 根 山 に 入 っ た が 、 大 雨 と る こ と に な る 。 勤 王 党 の 弾 圧 が 始 ま っ た 文 久 三 年 疲 労 で 苦 し み 、 二 十 九 日 、 甲 浦 に 出 た と こ ろ を 捕 縛 さ れ た の で あ っ た 。 (*l(ll<l) 十 月 に 中 岡 慎 太 郎 が 脱 藩 し て い る 。 柏 木 (% 芸 野 根 山 街 道 は 自 然 の 姿 を そ の ま ま に 今 に 伝 え る 道 し の 自 宅 を 出 て 野 川 谷 を の ば っ て 五 人 組 の 集 落 か ら 街 道 へ 入 り 、 岩 佐 の 川 島 惣 次 宅 で 一 泊 し た の ち 、 で あ り 、 歴 史 の 哀 感 を 秘 め た 道 で あ る 。 米 ケ 岡 開 拓 地 ー ー ー 300 年 前 、 白 石 伝 左 衛 門 が 開 拓 。 戦 後 の 入 植 者 の ニ 十 余 年 間 の 苦 節 の 地 て 、 近 く に お 茶 屋 場 跡 や ー 里 塚 が あ る 。 木 下 由 里 の 墓 ー ー 薄 幸 の 美 人 の 墓 。 愛 児 を 残 し 断 腸 の 思 い て 実 家 に 帰 っ て 病 死 し た 。 母 の 怨 念 と 霊 気 が こ も る 。 3 た か

日本の街道 7 海光る瀬戸内・四国


法 華 津 峠 の 展 望 ー ー ー 海 と 山 が 美 し く 、 日 振 島 ・ 戸 島 を は し め 、 晴 れ た 日 に は 九 川 の 山 並 み を 見 渡 す こ と が て き る 南 予 随 一 の 絶 景 。 ぐ ん ち ゅ う 郡 中 か ら 犬 寄 峠 を 越 え 、 中 山 ・ 千 部 坂 か ら 内 子 ・ に い や 南 国 土 佐 か ら 発 す る 道 新 谷 を 経 て 大 洲 に 至 る 大 洲 街 道 、 大 洲 か ら 南 へ 鳥 坂 う の ま ち ほ け づ 土 佐 で は 、 高 知 城 下 の 江 ノ ロ を 起 点 と し て 、 東 へ 峠 を 越 え て 卯 之 町 、 さ ら に 法 華 津 峠 の 険 を 越 え て 吉 わ じ き ち な が ぬ の し だ 田 ・ 知 永 を 経 て 宇 和 島 に 至 る 宇 和 島 街 道 、 宇 和 島 か 布 師 田 ・ 中 島 ・ 物 部 ・ 赤 岡 ・ 和 食 ・ 安 芸 ・ 奈 半 利 へ そ う ず う わ お お ど う ら 野 井 坂 ・ 岩 淵 ・ 僧 都 ・ 緑 を 経 て 、 上 大 道 よ り 松 尾 と 歩 き 、 奈 半 利 よ り 野 根 山 を 越 え て 野 根 に 下 り 、 甲 そ の う 峠 を 越 え て 土 佐 西 端 の 宿 毛 に 至 る 宿 毛 街 道 が 伊 予 南 浦 に 至 る 道 を 土 佐 街 道 ( 東 街 道 ) と い し 部 を 走 っ て い た 。 ち 、 奈 半 利 か ら 野 根 ま で の 山 道 を と く に 野 根 山 街 道 か ざ き り よ う せ き あ な な い さ ら に 、 大 洲 か ら 五 十 崎 を 経 て 河 辺 よ り 山 道 を た と い っ た 。 北 に は 、 石 淵 ・ 中 島 ・ 領 石 ・ 穴 内 ・ 吉 延 し ま が わ た じ か わ が わ ど り 、 国 境 を 越 え て 土 佐 の 四 万 川 ・ 檮 原 に 至 る 大 洲 か ら 本 山 を 経 て 吉 野 川 支 流 の 立 川 川 を さ か の ば っ て 街 道 ( 檮 原 街 道 ) や 、 宇 和 島 ・ 広 見 ・ 日 吉 を 経 て 檮 立 川 番 所 に 至 り 、 伊 予 か ら の 道 と 連 絡 す る 土 佐 街 道 原 に 至 る 宇 和 島 街 道 も 開 け て い た 。 ( 北 街 道 ) が あ り 、 北 山 越 え と い っ た 。 西 で は 、 朝 倉 か ら 弘 岡 ・ 高 岡 ・ 戸 波 ・ 須 崎 ・ 久 松 山 よ り 北 へ は 、 堀 江 ・ 北 条 ・ 浜 村 ( じ に 至 り 、 大 井 新 町 か ら 東 南 へ と 道 を た ど り 今 治 に 至 る 今 治 街 ・ 柿 木 山 ・ 窪 川 ・ 一 ノ 瀬 ・ 佐 賀 ・ 上 川 口 を 経 て 中 道 が あ っ た 。 こ の 道 は さ ら に 南 下 し て 桜 井 ・ 医 王 山 村 に 至 る 中 村 街 道 、 さ ら に 中 村 か ら 有 岡 を 経 て 宿 毛 か ら 三 芳 に つ づ い て い る 。 松 山 か ら 東 へ 、 久 米 ・ 平 に 至 り 、 松 尾 峠 を 越 え て 伊 予 に 出 る 宿 毛 街 道 が 西 の ひ わ だ く る み お お 井 ・ 川 上 ( 松 瀬 川 ) を 経 て 檜 皮 峠 に か か り 、 来 見 ・ 大 幹 線 を な し て い た 。 ま た 、 朝 倉 ・ 伊 野 ・ 佐 川 ・ 越 も ち い 頭 を 経 て 小 松 に 至 る 小 松 街 道 が あ っ た が 、 こ の 道 は 知 ・ 池 川 を 経 て 用 居 の 番 所 に 至 り 、 瓜 生 野 の 国 境 を じ よ う き よ う ・ し ゅ う ふ 貞 享 四 年 (& し 、 周 布 郡 の 代 官 矢 野 源 太 が 檜 皮 峠 越 え 、 伊 予 の 東 川 に 出 て 久 万 街 道 に 連 な る 松 山 街 し ま ん と を 中 心 に 三 里 に わ た っ て 桜 を 植 え た の で 、 桜 三 里 街 道 、 窪 川 か ら 四 万 十 川 上 流 に 沿 っ て 江 川 崎 か ら 伊 予 道 の 名 が あ る 。 今 治 街 道 は 三 芳 か ら 小 松 に 至 っ て こ の 広 見 に 出 る 土 佐 街 道 が あ っ た 。 の 街 道 に 連 な る が 、 道 は 東 に 延 び て 讃 岐 街 道 ( 金 毘 以 上 の 主 要 街 道 の ほ か 、 阿 讃 山 地 や 四 国 山 地 を 越 羅 街 道 、 讃 岐 や 阿 波 で は 伊 予 街 道 と い っ た ) と 呼 ば れ た 。 え る 峠 道 の 数 は き わ め て 多 く 、 物 資 運 搬 の 道 と し こ の 街 道 よ り 分 か れ 、 川 之 江 か ら 南 の 山 地 へ と 向 て 、 川 船 の 利 用 と と も に 生 活 に は 欠 か せ な い 道 で あ へ ん ろ か み ぶ ん ひ が し か な が わ か い 、 上 分 ・ 東 金 川 ・ 平 山 ・ 新 宮 を 経 て 堂 成 に 至 っ た 。 ま た 、 四 国 遍 路 ・ 金 毘 羅 参 詣 道 の ほ か 、 石 鎚 た じ か わ や ま つ る ぎ さ ん り 、 笹 ケ 峰 を 越 え て 土 佐 の 立 川 に 至 る 山 道 が 土 佐 街 山 ・ 剣 山 な ど の 山 岳 信 仰 の 道 も 開 け 、 近 世 は こ う 道 ( 北 街 道 ) で あ る 。 し た 信 仰 の 道 が 賑 わ い を 呈 し た 。 か わ べ う ち ) 」 い し づ ち

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高 松 藩 主 の 墓 所 ー ー ー イ ム 生 山 来 迎 院 法 然 寺 は 松 平 家 の 菩 提 寺 て 重 要 文 化 財 を 所 蔵 。 山 項 の 般 若 台 に 墓 地 が あ り 、 南 の 平 池 は 平 清 盛 の 改 築 。 撫 養 町 の 町 並 み ー ー ー 標 : 高 60 メ ー ト ル の 妙 見 山 の 山 頂 に 立 っ 岡 崎 城 を み が 心 に 落 ち 着 き を 与 え る 。 り 、 洲 本 へ と 抜 け る 道 を 淡 路 街 道 ( 撫 養 街 道 ) と い 、 徳 島 西 部 の 蔵 本 か ら 徳 命 の 渡 し を 経 て 大 寺 に 出 た の ち 、 大 坂 峠 を 越 え て 讃 岐 の 坂 元 ・ 馬 宿 ・ 引 田 に 至 る 道 を 讃 岐 街 道 と い っ た 。 徳 島 よ り 南 下 し 、 岩 脇 ・ 桑 野 ・ 日 和 佐 ・ 牟 岐 を 経 て 宍 喰 に 至 り 、 国 境 を か ん の う ら 越 え て 土 佐 の 甲 浦 に 至 る 道 を 土 佐 街 道 ( 東 街 道 ) と 名 づ け 、 こ れ ら を 総 称 し て 五 街 道 と い っ た 。 と き わ 讃 岐 で は 、 高 松 城 正 面 の 常 盤 橋 が 街 道 の 起 点 と な し ど っ て い た 。 東 南 へ 松 島 ・ 牟 礼 ・ 志 度 ・ 津 田 ・ 三 本 松 を 経 て 引 田 に 達 し 、 大 坂 峠 を 越 え て 阿 波 に 入 る 道 を 、 阿 波 で は 讃 岐 街 道 と 呼 志 度 街 道 ( 浜 街 道 ・ 下 道 と も い し ん だ ) と い い 、 池 戸 ・ 平 木 ・ 長 尾 を 経 て 三 本 松 で 志 度 街 道 に 合 す る 道 を 長 尾 街 道 ( 上 道 ) と い っ た 。 南 ぶ っ し よ う ざ ん へ の 道 は 、 城 下 の 丸 亀 町 か ら 御 林 を へ て 仏 生 山 に 至 る 仏 生 山 街 道 で 、 こ れ は 藩 主 の 松 平 氏 が 歴 代 の 廟 所 へ 参 拝 す る 参 詣 道 で あ っ た 。 こ の 道 は 、 さ ら に 南 に 向 か っ て 、 清 水 越 え し て 阿 波 に 通 じ て い た 。 西 に き な し 向 か う 道 に は 郷 東 ・ 鬼 無 ・ 国 分 ・ 坂 出 ・ 宇 多 津 を 経 て 丸 亀 に 達 す る 丸 亀 街 道 ( 丸 亀 で は こ の 道 を 高 松 街 道 え の い え ん ぎ た き の み や と い っ た ) 、 円 座 ・ 滝 宮 ・ 岡 田 ・ 榎 井 を 経 て 琴 平 に こ ん び ら 至 る 金 毘 羅 街 道 ( 琴 平 で は 高 松 街 道 と い う ) が あ っ た 。 以 上 が 高 松 藩 の 五 街 道 と 呼 ば れ る 道 で あ る 。 伊 予 で は 、 松 山 城 西 北 端 の 札 ノ 辻 を 起 点 と し 、 井 あ り え だ な な と り ・ 恵 原 よ り 三 坂 峠 を 越 え 、 久 万 ・ 有 枝 ・ 七 鳥 ・ 東 下 い け が わ 川 を 経 て 予 土 の 国 境 を 越 え て 土 佐 の 池 川 に 至 る 久 万 ま さ き 街 道 ( 土 佐 街 道 ) が あ っ た 。 松 山 よ り 南 下 し て 松 前 ・

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日 本 の 街 道 7 集 英 社 海 光 る 瀬 曷 。 四 国 遍 路 道 金 毘 羅 参 詣 道 上 佐 路 瀬 戸 内 の 海 路

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彡 第 ー 丸 亀 街 道 の 道 標 ー ー 南 条 町 の 十 字 路 に 「 こ ん び ら 道 」 の 道 標 が 立 つ 。 こ に は 昔 な が ら の 田 丁 並 み が 点 在 す る 。 丸 亀 南 条 町 の 大 鳥 居 ー ー 一 石 の 鳥 居 を 過 ぎ る と 、 低 い 屋 根 の 農 家 や 青 ・ 赤 が わ ら の 新 築 の 家 が あ ち こ ち に 見 え る 。 む ろ き ゅ う そ う 一 六 五 八 5 五 七 5 一 田 の 中 の 一 本 道 を 歩 き 、 バ イ バ ス を 横 切 る と 、 石 引 ) ら の 学 者 と 交 わ り 、 鳩 五 ) ・ 室 鳩 巣 ( 一 七 三 四 巣 は 「 才 女 に て 男 子 に 候 は ば 英 雄 と も 相 成 る べ き 惜 の 大 鳥 居 が 見 え る 。 備 前 児 島 、 野 崎 武 吉 郎 の 献 上 で し き こ と に 候 」 と 激 賞 し た 。 あ る 。 土 讃 線 の ガ ー ド を く ぐ る と 象 頭 山 が 目 の 前 な か ぶ 町 を 南 に 向 か っ て 歩 く と 、 中 府 ロ 金 毘 羅 街 道 に か 琴 平 に は い る 。 よ さ ぶ そ ん か る 。 目 の 前 に 「 天 下 泰 平 海 陸 安 穏 」 と 刻 ん だ 石 象 の 眼 の 笑 ひ か け た り 山 桜 ( 与 謝 蕪 村 ) て ん め い の 大 鳥 居 が 立 ち 、 そ の 左 右 に 備 前 の 講 中 が 天 明 八 年 や が て 丸 亀 街 道 の 終 着 点 ・ 北 神 苑 に 着 く 。 高 燈 籠 が ひ と き わ 高 く 目 に つ く 。 こ の 高 燈 籠 は 、 東 讃 岐 の ← し に 建 て た 石 燈 籠 が あ る 。 左 手 に 丸 亀 城 の 白 い 天 守 が 青 空 に 立 っ て い る の が 見 え る 。 昔 の 旧 金 毘 羅 人 た ち が 千 秋 講 ・ 万 歳 講 を 結 成 し て 寄 進 し た も の あ ん せ い 街 道 は 、 古 老 に 聞 い て も は っ き り し な い 。 今 で は 田 で 、 安 政 元 年 (l し か ら 始 め て 六 年 目 に 完 成 し た 。 の 畦 道 か 村 落 を つ な ぐ 細 い 道 と な り 、 よ ほ ど た ず ね 高 さ 二 八 メ ー ト ル 、 燈 籠 と し て は 日 本 一 の 高 さ を 誇 ぐ ん げ よ き た く ち な が ら 行 か な い と 見 失 っ て し ま う 。 郡 家 ・ 与 北 ・ 櫛 る 民 衆 信 仰 の 結 晶 で あ る 。 国 指 定 の 重 要 有 形 民 俗 文 な し た か し の の う だ え な い 梨 ・ 高 篠 ・ 苗 田 ・ 榎 井 な ど 旧 村 を 曲 が り く ね っ た 街 化 財 で あ る 。 北 神 苑 の 南 東 の 隅 、 楠 の 木 の 側 に 旧 一 道 が つ づ く 。 里 塚 の 跡 が あ る 。 郡 家 に は 金 毘 羅 参 り の 人 た ち が 休 ん だ 茶 堂 の 跡 が 北 神 苑 を あ と に 南 へ 歩 く と 、 左 右 の 並 石 燈 籠 が 、 た る み あ る 。 こ の 付 近 の 俗 謡 に 「 垂 水 極 楽 寺 さ え 五 カ 寺 街 道 の 歴 史 を 静 か に 見 守 っ て い る 。 石 燈 籠 を 抜 け る ほ う . と 、 つ じ 郡 家 地 獄 で 池 ば か り 」 と あ る よ う に 、 宝 憧 寺 池 に と 商 店 街 で 、 富 士 見 町 で あ る 。 新 町 交 差 点 を 右 折 し は ′ 、 ほ 、 つ は 白 鳳 の こ ろ 宝 憧 寺 の 七 堂 伽 藍 が あ っ た と い う 。 南 西 に 進 む と 、 金 倉 川 の 橋 に 出 る 。 こ の 流 水 の 水 源 は ま ん の う い け ぞ う ず 西 に 象 頭 山 の 美 し い 姿 が 見 え る 。 広 重 の 描 い た 金 毘 満 濃 池 で あ る 。 羅 街 道 の 構 図 だ 。 黒 松 に 囲 ま れ た 与 北 の 茶 堂 ( 赭 胸 突 き 八 丁 の 石 段 を 上 っ て 本 殿 へ は 、 金 毘 羅 往 来 の 休 憩 所 で 賑 わ っ た と こ ろ で あ る 。 苗 田 の 藤 の 棚 は 、 奈 良 か ら 来 て 住 ん だ 放 浪 画 家 大 金 倉 川 の 一 の 橋 か ら 南 に 鞘 橋 の 陸 坿 橋 ) が 見 え と う の 原 東 野 ( 一 砒 55 ) ゆ か り の も の で 、 彼 は 画 料 を 丸 亀 る 。 明 治 末 年 ご ろ 、 鞘 橋 は 一 の 橋 の 位 置 に か け ら れ た の む ら ち く み ち の 普 請 に 寄 進 し た 。 彼 と 交 遊 の あ っ た 田 能 村 竹 て い た が 、 現 在 は 毎 年 十 月 十 日 、 十 一 日 に 行 わ れ る ら い さ ん よ う 一 七 七 七 — 一 八 三 五 ) ・ 頼 山 陽 ( 一 砒 「 (¯) ら も こ の 藤 の 下 で 大 祭 に 使 用 さ れ る の み で あ る 。 橋 を 渡 る と 、 参 詣 者 酒 宴 を は り 、 絵 を 語 り 、 文 学 を 談 じ た こ と が 『 象 頭 で 賑 わ う 土 産 物 屋 や 旅 館 を 中 心 と す る 表 参 道 で あ 山 行 程 修 造 之 記 』 に あ る 。 で ん い ち は し さ や

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立 川 番 所 ー ー ー 土 佐 か ら 伊 予 に 向 か う 街 道 の 関 所 。 享 保 3 年 ( 1718 ) 以 後 参 勤 交 代 路 と な り 、 御 殿 と 呼 ば れ る 本 陣 が 設 け ら れ た 。 3 ぬ し ま 歌 が 歌 わ れ 、 御 座 船 は 沼 島 を 見 て 紀 伊 の 川 田 に 向 か 二 ノ 丸 が 完 成 し た の で 、 浦 戸 か ら 移 っ た 。 慶 長 十 五 田 く う き よ う ・ ち く り ん じ っ て 紀 淡 海 峡 を 横 断 す る が 、 紀 伊 北 部 の 沿 岸 か ら 和 年 、 五 台 山 竹 林 寺 の 空 鏡 上 人 が 、 文 殊 の 智 恵 に ち あ じ 泉 路 へ と 航 路 を と り 、 大 坂 の 安 治 川 の 河 口 に 着 船 な ん で 高 智 と 命 名 し た と い う 。 翌 十 六 年 、 三 ノ 丸 が き よ う ほ う し 、 こ こ で 川 御 座 船 に 乗 り 移 り 、 藩 の 蔵 屋 敷 下 ま で 完 成 、 そ の 後 整 備 さ れ た が 享 保 十 二 年 ( 一 一 し 焼 失 ほ う れ き 船 歌 を 歌 い な が ら 進 ん だ 。 歌 の 数 は 多 か っ た が 、 例 し 、 宝 暦 三 年 (l 七 ) に よ う や く 旧 に 復 し た 。 え ば 、 一 豊 は 城 下 町 の 設 営 に 努 力 し 、 東 は 廿 代 筋 か ら 堀 か し ば た ま す が た 阿 波 の 鳴 門 に 身 は し づ む と も よ 詰 ま で 、 西 は 江 ノ ロ 川 の 河 岸 端 か ら 舛 形 ・ 金 子 橋 、 か く 君 の 仰 せ は そ む く ま じ と は 思 へ ど も 南 北 は 鏡 川 と 江 ノ ロ 川 で 区 切 り 、 そ の 範 囲 内 を 郭 ち ゅ う か み 世 の 中 の 人 の 心 は あ す か 川 中 と い っ て 上 士 の 居 住 区 域 と し た 。 舛 形 よ り 西 を 上 ま ち し も ま ち の よ う な 歌 が ゆ る や か な テ ン ボ で 歌 わ れ た と い 町 、 堀 詰 よ り 東 を 下 町 と し 、 上 町 に は 下 士 、 下 町 に は 商 人 や 職 人 を 居 住 さ せ た 。 は り ま や 橋 は も と 下 町 江 戸 へ の 往 復 は た い て い 東 海 道 を 通 行 し た が 、 と の 御 用 商 人 、 播 磨 屋 と 櫃 屋 の 屋 敷 の 間 に か け ら れ た き に は 中 山 道 を 利 用 す る こ と も あ っ た 。 ふ つ う 徳 私 橋 で あ っ た が 、 の ち 藩 営 の 公 道 と な り 、 幕 末 の 純 島 ・ 江 戸 間 を 一 四 、 五 日 で 旅 し て い る 。 行 列 の 先 駆 信 ・ お 馬 の ラ ブ ロ マ ン ス で 有 名 と な っ た 。 は 、 陣 場 方 と い わ れ た 道 中 に な れ た 飛 脚 が っ と め た 高 知 城 を 起 点 に 、 主 要 街 道 は 東 西 と 北 に 延 び て い か ん の う ら た 。 参 勤 交 代 路 は 、 は じ め は 東 街 道 を 通 っ て 甲 浦 と 伝 え ら れ て い る が 、 感 状 ( 戦 功 を 賞 し て 主 君 か 書 ) の 入 っ な が も ち た 長 持 を 行 列 に 組 み 入 れ て い た の で 、 他 藩 の 敬 意 を に 至 り 、 こ こ か ら 乗 船 し て 大 坂 に 行 っ た 。 と き に は 受 け な が ら 行 進 し た と い う 。 浦 戸 か ら 外 洋 を 船 で 行 く こ と も あ っ た が 、 の ち に は 北 山 越 え の 土 佐 街 道 を 行 く よ う に な り 、 こ の 道 が 正 高 知 城 と 北 山 越 え 式 の 道 と な っ た 。 り よ う 関 ヶ 原 の 戦 の の ち 、 長 宗 我 部 盛 親 は 国 を 除 か れ 、 高 知 か ら 東 へ 向 か い 、 中 島 で 東 街 道 と 分 か れ 、 領 せ き 山 内 一 豊 が 土 佐 二 四 万 石 の 大 守 に 封 じ ら れ た 。 一 豊 石 か ら 本 山 に 向 か っ て 北 上 し 、 本 山 か ら さ ら に 東 へ か み ぜ き し も ぜ き 上 関 ・ 下 関 を 通 る が 、 下 関 に は 藩 主 の 休 息 所 で あ っ は 慶 長 六 年 (&f) 、 浦 戸 に 入 城 し た が 、 土 地 が 狭 く た じ か わ 国 都 に ふ さ わ し く な か っ た の で 、 背 後 に 高 知 平 野 を た 庄 屋 屋 敷 が 残 っ て い る 。 川 口 か ら 北 上 し て 立 川 を お お た か さ ひ か え た 大 高 坂 に 居 城 を 定 め た 。 百 々 越 前 守 安 行 を め ざ す 。 立 川 に は 番 所 が あ り 、 警 備 が 厳 し か っ た 。 総 奉 行 に 任 じ て 築 城 に 当 た ら せ 、 慶 長 八 年 、 本 丸 ・ 参 勤 交 代 の 行 列 は こ こ で 一 泊 す る が 、 現 在 、 立 川 御 0 も り ち か ひ っ

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緩 和 を 求 め た が い れ ら れ ず 、 二 月 十 七 日 こ の 道 を 越 か っ て 塚 は 道 の 両 側 に あ っ た が 、 今 は 一 つ だ け 残 っ す ご う た い ほ う の と も え て 約 七 〇 〇 人 が 伊 予 に 脱 走 し 、 久 万 の 菅 生 山 大 宝 て い る 。 米 ケ 岡 は 北 川 村 野 友 の 庄 屋 白 石 伝 左 衛 門 が 寺 に た て こ も っ た 。 藩 政 初 期 に 開 拓 し た 土 地 と 伝 え ら れ 、 恩 を 受 け た 村 幕 末 に な っ て 、 元 治 元 年 八 月 十 四 日 、 浜 田 辰 弥 人 は 伝 左 衛 門 を 祀 る 白 石 神 社 を 建 て た と い う 。 お う す け つ が ( 田 中 光 顕 ) は 佐 川 上 郷 の 屋 敷 を 出 て 、 井 原 応 輔 ・ 那 米 ケ 岡 か ら 約 二 キ ロ メ ー ト ル で 栂 坂 に か か る 。 須 盛 馬 ( 片 岡 利 和 ) ・ 橋 本 鉄 猪 ( 大 橋 慎 一 一 l) ・ 池 大 六 〃 笑 い 栂 〃 の 伝 説 を も っ 巨 木 が あ り 、 八 七 五 メ ー ト こ う ち ( 山 中 安 敬 ) ら と と も に 、 川 内 ヶ 谷 を の ば っ て 赤 土 峠 ル の 栂 ノ 峠 を 越 え て 杉 並 木 を く ぐ る と 三 里 塚 に 着 お な が わ 」 」 9 メ ) を 越 え 、 越 知 の 女 川 に お り て 仁 淀 川 を 舟 く 。 野 根 山 街 道 八 カ 所 の 一 里 塚 の う ち 二 つ が 現 存 し で 下 り 、 横 畠 の 舟 戸 川 原 に 上 陸 し 、 黒 森 越 え の 道 を て い る が 、 そ の 一 つ で あ る 。 三 里 塚 の 東 に 宿 屋 杉 が た ど っ て 脱 藩 し た 。 禁 門 の 変 を 聞 い て 激 情 を お さ え あ る 。 台 風 で 倒 れ た が 根 元 は 残 っ て い る 。 木 の 穴 に る こ と が で き ず 、 黒 森 越 え を し て 伊 予 に 入 り 、 松 山 四 、 五 人 の 人 が 入 れ る と こ ろ か ら こ の 名 が つ い た 。 か ら 三 津 浜 に 至 り 、 舟 便 を 得 て 内 海 を 渡 っ て 三 田 尻 こ こ か ら 少 し 下 り に な っ た 坂 を 歩 む と 、 左 に 蛇 谷 へ し よ う ぞ く に 着 い た の で あ る 。 こ れ に つ い て 松 山 藩 内 で な く 大 の 道 が 通 じ て い る 。 前 に 進 む と 熊 笹 峠 を 経 て 装 束 、 洲 藩 内 に 入 っ て 郡 中 港 ( 伊 予 ) 市 か ら 三 田 尻 へ 向 か っ 峠 に 達 す る 。 標 高 一 〇 八 三 メ ー ト ル で 街 道 一 の 高 所 ぼ し ん た と の 説 も あ る 。 ま た 、 戊 辰 の 役 で 佐 川 の 深 尾 の 軍 で あ る 。 南 に 藩 主 専 用 の 石 畳 の わ き 道 が あ り 、 駕 籠 勢 が 、 松 山 征 討 の 任 務 を 果 た す べ く こ の 道 を 越 え す え の 石 の 残 る 藩 主 休 憩 の お 茶 屋 場 跡 が 昔 の 大 名 行 列 を 物 語 っ て い る 。 峠 を 越 え る と お 産 杉 で あ る 。 妊 婦 と 狼 の 伝 説 を 残 し て い る が 、 道 は 右 に カ ナ キ の 崩 藩 主 が 越 え た 峠 道 、 野 根 山 街 道 れ を 見 て 岩 佐 の 関 所 に 通 じ て い る 。 高 知 か ら 海 岸 筋 を 東 に 延 び た 街 道 は 、 現 在 、 室 戸 関 所 は 街 道 の 中 心 で 、 立 川 ・ 用 居 と な ら ん で 土 佐 な は り の ね や ま か ん ぼ う を 回 る が 、 旧 土 佐 街 道 は 奈 半 利 か ら 分 か れ て 野 根 山 の 三 大 関 所 の 一 つ に 数 え ら れ て い る 。 寛 保 三 年 ( 七 の 険 に か か る 。 奈 半 利 町 の 北 の は ず れ か ら 東 に 向 か 四 ) の 郷 村 調 査 に は 「 岩 佐 新 田 地 高 十 石 戸 数 十 藩 う と 、 北 側 に 送 番 所 跡 が あ る が 、 さ ら に 進 む と ″ ひ 五 人 口 七 十 六 人 」 と 記 さ れ て い る 。 道 の 北 側 に 藩 士 志 の と ロ 水 〃 ″ 朝 休 み 〃 と い わ れ る 最 初 の 休 み 場 が あ る 。 主 の 御 殿 や 番 所 の 跡 が あ り 、 正 面 の 石 段 の と こ ろ に 新 こ こ か ら 山 道 を の ば る と 、 標 高 約 六 〇 〇 メ ー ト ル の 「 岩 佐 旧 関 所 」 の 碑 が 立 っ て い る 。 北 の 山 腹 に は 、 米 ケ 岡 開 拓 地 に 着 く が 、 道 の 右 側 に 一 里 塚 が あ る 。 関 主 の 木 下 家 の 墓 地 が あ り 、 そ の 中 で 「 文 政 四 巳 年 丐 七 鳥 の 一 里 塚 ー 一 七 鳥 の 東 光 寺 門 前 か ら 有 枝 へ の 道 は 旧 態 が 残 る 。 寺 の 近 く の 一 里 塚 に は 生 活 の 匂 い が し み つ い 、 て い る 。 久 万 の 町 並 み ー ー ー 旧 道 は 大 宝 寺 か ら 西 へ 国 道 33 号 線 を 横 切 っ て 国 道 の 西 を 南 北 に 走 っ て い る 。 伊 予 の 軽 井 沢 と い わ れ る 高 原 の 町 の 昔 な が ら の 家 並 み は 美 し い 。

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三 坂 峠 旧 道 一 一 一 松 山 と 久 万 を 結 ぶ 街 道 の 難 所 て 標 高 720 メ ー ト ル 。 か っ て は 、 馬 の 背 に 荷 物 を 積 ん だ 馬 子 の 唄 声 も 聞 こ え た 。 自 然 の 悪 条 件 を 克 服 し て 人 々 は 物 資 を 運 び 、 文 化 を 文 化 の 香 り を 運 ん で く れ る も の は 海 と 陸 の 道 で あ っ 受 容 し 、 生 活 の 糧 を 得 て き た の で あ っ た 。 り よ う せ い 陸 地 が こ う し た 状 態 で あ る の で 、 い き お い 海 路 が 古 代 の 令 制 で 、 道 は 大 路 ・ 中 路 ・ 小 路 に 区 別 さ 主 要 な 交 通 路 と な っ て い た 。 波 静 か な 内 海 と 荒 波 の れ て い た 。 飛 鳥 か ら 奈 良 ・ 平 安 初 期 の 律 令 時 代 は 、 ナ い し 打 ち 寄 せ る 外 洋 と の 別 は あ る が 、 四 国 に は 古 く か ら 京 師 と 九 州 の 大 宰 府 と を 結 ぶ 道 は 政 治 ・ 軍 事 ・ 外 交 港 が 発 達 し 、 本 土 と の 連 絡 港 と し て 、 あ る い は ま た 上 き わ め て 重 要 で あ っ た 。 そ の た め 山 陽 道 は 大 路 と 商 港 ・ 避 難 港 と し て の 機 能 を 果 た し て き た の で あ 定 め ら れ て お り 、 こ れ に つ い で 京 師 を 守 る た め 東 と ら ・ さ ん る 。 そ れ に し て も 、 中 央 か ら は 遠 く 離 れ た 島 国 で あ 海 ・ 東 山 の 二 道 が 重 視 さ れ て 中 路 と い わ れ て い た 。 る た め 、 外 に 広 が っ た 海 の 開 放 的 な 明 る さ は あ る 畿 内 と 四 国 を 連 ね る 南 海 道 は 、 他 の 街 道 と も ど も 小 が 、 島 国 の も っ 閉 鎖 性 は い な め ず 、 『 古 事 記 』 に 路 と な っ て い た 。 と は い え 、 北 九 州 と 上 方 と は 陸 の 「 面 四 つ あ り 」 と 記 さ れ た 四 国 の 顔 は 、 政 治 や 経 済 山 陽 道 の ほ か 、 瀬 一 尸 内 海 の 海 路 に よ っ て 強 く 結 ば れ か み が た の 中 心 で あ る 上 方 に 向 い て い た 。 そ の 間 を 連 絡 し 、 て お り 、 南 海 道 と い っ て も 、 讃 岐 ・ 伊 予 の 瀬 戸 内 海 に 面 し た 地 域 は 早 く か ら 港 が 開 け 、 海 の メ ー ン ル ー ト を 形 成 し て い た 。 「 = 配 流 の 地 ・ 天 離 る 夷 辺 い つ ぶ ん じ ん ぐ う 伊 予 や 土 佐 の 「 風 土 記 」 逸 文 に 神 功 皇 后 の 廻 国 伝 け い こ う ち ゅ う あ い 説 が 伝 え ら れ 、 伊 予 で は 景 行 天 皇 ・ 仲 哀 天 皇 ・ 聖 ゞ を 徳 太 子 の 道 後 の 湯 へ の 入 湯 伝 説 が 記 さ れ て い る 。 早 く か ら 海 路 の 開 け て い た こ と を 物 語 る 説 話 で あ る じ よ め い さ い め い が 、 『 日 本 書 紀 』 に よ る と 、 舒 明 天 皇 ・ 斉 明 天 皇 が 伊 予 の 道 後 温 泉 へ 赴 い て お り 、 瀬 戸 内 海 の 航 路 は か な り 便 利 に な っ て い た こ と が 想 像 さ れ る 。 『 万 葉 集 』 に は 、 斉 明 天 皇 の と も を し た 額 田 王 に き た っ 熟 田 津 に 船 乗 り せ ん と 月 待 て ば か て ぬ か た の お お き み 27 ー ー - 城 下 町 が 起 点 と な っ た 街 道

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屋 島 よ り 女 木 島 を 望 む 瀬 戸 内 海 の 島 々 の 鳥 瞰 は 美 し い 。 女 木 島 瀑 は 桃 太 郎 伝 説 の 鬼 ヶ 島 だ と い わ れ る 。 防 風 用 の オ ー テ ( 石 垣 ) と わ 、 3 朝 = 葺 き 屋 根 0 = 目 を 0 こ う し て 、 中 国 へ の 航 路 と し て 南 海 路 が 開 け た こ と 輻 湊 し た 。 か ん の う ら に よ り 、 土 佐 の 甲 浦 ・ 浦 一 尸 ・ 井 尻 ( 土 佐 市 宇 佐 ) ・ 下 田 げ ん な 瀬 戸 内 海 は ま た 外 国 使 節 の 通 路 で も あ 「 た 。 朝 翁 村 ) な ど の 港 は 活 況 を 呈 す る よ う に な っ た 。 信 使 の 来 朝 は 、 元 和 三 年 ( 一 し に 始 ま る が 、 以 後 明 い え は る 和 元 年 (*l&) の 十 代 将 軍 家 治 の 時 代 ま で 、 九 回 に わ 入 り 船 出 船 、 ひ き も き ら ぬ 海 の 大 路 た り 、 毎 回 約 四 〇 〇 人 の 一 行 が 来 朝 し た の で 大 変 で か ま が り 近 世 に 入 っ て 、 新 し い 城 下 町 が 形 成 さ れ る と 、 内 あ っ た 。 一 行 は 赤 間 関 か ら 瀬 戸 内 海 に 入 り 、 蒲 刈 ・ 海 は 大 名 の 参 勤 交 代 路 と し て に ぎ わ う よ う に な っ た 室 津 ・ 兵 庫 な ど に 寄 港 し て 大 坂 に 上 陸 し 、 陸 路 を 江 が 、 政 治 的 要 因 以 外 に 物 資 の 運 搬 路 と し て 、 海 運 の 戸 へ 向 か う の が 例 で あ っ た 。 琉 球 の 使 節 も 鹿 児 島 で 重 要 性 が 従 来 に も ま し て 認 識 さ れ る よ う に な っ た 。 季 節 風 を 待 っ て 北 上 し 、 ほ ば 同 じ コ ー ス を 航 行 し て と く に 、 大 坂 へ 廻 送 す る 西 廻 り 海 運 の 発 展 は 目 を み 大 坂 に 上 陸 し た 。 ま た 、 オ ラ ン ダ の カ ピ タ ン も 下 か ん え い は る も の が あ っ た 。 西 廻 り 海 運 の 起 源 は 、 寛 永 年 間 関 ・ 大 坂 間 は 水 路 と し 、 瀬 一 尸 内 海 を 航 し て 兵 庫 ・ 大 」 四 ) に 加 賀 藩 が 三 〇 〇 石 積 の 廻 船 で 、 米 一 万 坂 に 上 陸 す る の が 例 で あ っ た 。 内 海 の 港 で は 、 山 陽 か ん ぶ ん と も む ろ づ み み た ら 石 を 大 坂 に 送 っ た の に 始 ま る と い わ れ る が 、 寛 文 十 道 側 で は 室 積 ・ 上 ノ 関 ・ 蒲 刈 ・ 御 手 洗 ・ 鞆 ・ 下 津 ず い け ん う し ま ど 二 年 ()L 「 ) 、 河 村 瑞 賢 に よ っ て 西 廻 り 航 路 が 開 発 さ 井 ・ 牛 窓 ・ 室 津 ・ 明 石 な ど の 港 が 、 四 国 側 で は 長 れ て か ら は 、 日 本 海 側 の 諸 藩 や 九 州 ・ 四 国 の 諸 藩 の 浜 ・ 三 津 浜 ・ 今 治 ・ 多 度 津 ・ 丸 亀 な ど が 寄 港 地 と し 蔵 米 を は じ め 、 諸 物 産 が 瀬 戸 内 海 を 通 っ て 大 坂 へ 運 て に ぎ わ っ た 。 ば れ た 。 瀬 戸 内 海 は 上 方 と 関 門 を 結 ぶ 大 動 脈 と な 以 上 の よ う に 、 瀬 戸 内 海 の 海 路 は 行 き か う 入 り 船 り 、 大 坂 が 天 下 の 台 所 と い わ れ る 基 を つ く っ た 。 出 船 が ひ き も き ら ず 非 常 な に ぎ わ い を 呈 し た が 、 文 き た ま え ぶ ね 江 戸 中 期 か ら 明 治 の は じ め に か け て は 北 前 船 が 廻 瓦 九 年 ( 一 一 し 一 月 、 長 崎 か ら 江 戸 へ 向 か っ た シ ー ポ 船 の 主 流 を な し た が 、 こ れ は 遠 く 北 海 道 や 東 北 の 物 ル ト は 、 瀬 戸 内 海 を 通 り 、 見 聞 し た よ う す を 『 江 戸 に し ん 資 、 た と え ば 昆 布 や 鰊 ・ 魚 肥 な ど を 内 海 の 諸 港 や 大 参 府 紀 行 』 に 次 の よ う に 述 べ て い る 。 戸 坂 へ 運 び 、 塩 や 酒 な ど を 仕 入 れ て 北 国 へ 運 ん だ 。 瀬 山 水 の 自 然 な る 美 観 に 比 べ て 見 劣 り も な く 、 我 戸 内 海 は 、 明 治 に な っ て 汽 船 が 就 航 す る ま で は 、 北 等 を 慰 む る は 此 海 上 の 活 発 な る 交 通 な り 。 吾 人 路 前 船 の 往 来 で に ぎ わ っ て い た 。 ま た 、 沿 岸 航 路 も 活 は 数 百 の 商 船 に あ ひ た り 。 無 数 の 漁 舟 は 日 の 中 海 か い 発 化 し 、 砂 糖 ・ 塩 ・ 綿 の い わ ゆ る 讃 岐 三 白 や 阿 波 の は 楽 し げ な る 櫂 の 歌 に て あ た り を 賑 か し 、 夜 は 藍 の ほ か 、 四 国 の 特 産 物 を 運 送 す る 船 で 内 海 航 路 は 焚 く 火 に 海 の 面 を 照 す な り 。 い の し り さ ん ば く ふ く そ う ぶ ん