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検索対象: 日本の街道 2 江戸への道

日本の街道 2 江戸への道から 165件ヒットしました。

日本の街道 2 江戸への道


日 本 の 街 道 ー ー ー 全 8 巻 ( 書 名 と 責 任 編 集 者 ) 第 1 巻 風 か け る み ち の く 仲 野 東 北 大 、 / ロ 学 教 授 渡 辺 信 夫 奥 州 街 道 羽 州 街 道 会 津 街 道 浜 街 道 学 習 院 大 学 児 玉 幸 多 ・ 第 2 巻 江 戸 へ の 道 東 海 道 日 光 道 甲 州 路 水 戸 ・ 佐 倉 道 大 山 道 第 3 巻 雪 の 国 北 陸 学 木 下 良 北 国 路 越 後 路 能 登 路 三 国 街 道 千 国 街 道 ・ 第 4 巻 山 な み 遙 か 歴 史 の 道 林 英 夫 信 濃 路 木 曾 路 伊 那 路 美 濃 路 飛 騨 路 ・ 第 5 巻 京 へ の 道 大 阪 市 立 大 原 田 伴 彦 学 名 誉 教 授 ′ 、 若 狭 路 近 江 路 丹 波 路 大 和 路 伊 勢 路 紀 州 路 第 6 巻 夢 誘 う 山 陽 山 陰 大 谷 口 澄 夫 山 陽 路 吉 備 路 安 芸 路 出 雲 路 長 門 路 第 7 巻 海 光 る 瀬 戸 内 ・ 四 国 山 本 大 遍 路 道 金 毘 羅 参 詣 道 土 佐 路 瀬 戸 内 の 海 路 〇 第 8 巻 日 燃 ゆ る 九 り 料 九 州 大 学 助 教 授 丸 山 雍 成 筑 紫 路 日 向 路 薩 摩 路 長 崎 路 唐 津 街 道 ・ 印 は 既 刊 / 〇 印 は 次 回 配 本 ( 6 月 刊 行 ) 日 本 の 街 道 2 江 戸 へ の 道 昭 和 五 わ 六 年 五 月 二 十 一 日 第 一 刷 発 行 著 者 代 表 , ー ・ 児 玉 幸 多 編 集 者 株 式 会 社 日 本 ア ー ト ・ セ ン タ ー 東 京 都 千 代 田 区 神 田 神 保 町 一 ー 二 五 電 話 ー 東 ~ ・ 2 9 4 ・ 3 8 91 郵 便 番 号 101 発 行 者 丨 丨 ・ ・ ・ 」 堀 内 末 男 発 行 所 株 式 会 社 隹 奔 央 社 東 京 都 千 代 田 区 一 ッ 橋 一 一 ー 五 ー 一 〇 電 話 ー 販 売 部 東 京 ・ 2 3 8 ・ 2 7 81 出 版 部 東 京 ・ 2 3 8 ・ 2 8 31 郵 便 番 号 101 に い 口 二 卩 . 共 同 印 刷 株 式 会 社 製 本 所 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 に は 十 分 注 意 し て い ま す が 、 落 丁 ・ 乱 丁 の 際 は お と り か え い た し ま す ◎ 集 英 社 Printed in Japan 032 に ロ 6002 ー 30

日本の街道 2 江戸への道


畠 士 川 の 水 運 若 林 淳 之 塩 の ば り 米 く だ る 急 流 「 江 一 尸 っ 子 」 の 意 気 と 富 士 講 若 林 淳 之 成 人 へ の み ち ・ 大 山 道 大 護 八 郎 湯 の 国 の 山 な み を 越 え て ー ー 伊 豆 路 林 英 夫 茶 壺 が 通 る 山 あ い の 道 ー ー ・ 甲 州 道 中 飯 田 文 弥 盆 地 と 海 を 結 ぶ 参 詣 み ち ー ー ー 身 延 道 飯 田 文 弥 0 カ ラ ー ・ 日 光 将 軍 の 往 く 道 ー ー ー 日 光 道 中 と 御 成 道 本 間 清 利 東 照 宮 と 朝 廷 を つ な ぐ 道 ー ー 日 光 例 幣 使 街 道 河 内 八 郎 カ ラ ー ・ 江 一 尸 へ / 秩 父 路 町 人 と 気 質 吉 原 健 一 郎 街 道 の 起 点 ・ 大 江 一 尸 , ー ー 児 玉 幸 多 平 野 を 走 る 信 濃 路 へ の 幹 道 ー ー 中 山 道 武 州 ・ 上 州 路 川 越 街 道 と 秩 父 往 還 大 舘 右 喜 江 戸 か ら 小 江 戸 へ 観 音 霊 場 へ 幕 末 に 燃 え る 葵 御 紋 の 道 ー ー 永 一 尸 街 道 秋 山 高 志 江 一 尸 の 台 所 み ち ・ 鮮 魚 の み ち ー ー ・ 房 総 ・ 佐 倉 道 川 村 優 川 名 登 江 戸 の 命 綱 ・ 大 利 根 の 賑 わ い 武 蔵 野 の 江 一 尸 道 ・ 青 物 の み ち ー ー 、 青 梅 街 道 と 五 日 市 街 道 伊 藤 好 一 文 明 の 開 化 に 導 く 「 絹 の 道 」 ー ー 、 横 浜 か ら 武 州 ・ 上 州 へ 辺 見 じ ゅ ん 124 6 1 5 3 9 1 10 9 5 8 8 12 8 101 6 143 14 7 1 1 8 13 6 140 1 5 8

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畠 士 川 の 水 運 若 林 淳 之 塩 の ば り 米 く だ る 急 流 「 江 一 尸 っ 子 」 の 意 気 と 富 士 講 若 林 淳 之 成 人 へ の み ち ・ 大 山 道 大 護 八 郎 湯 の 国 の 山 な み を 越 え て ー ー 伊 豆 路 林 英 夫 茶 壺 が 通 る 山 あ い の 道 ー ー ・ 甲 州 道 中 飯 田 文 弥 盆 地 と 海 を 結 ぶ 参 詣 み ち ー ー ー 身 延 道 飯 田 文 弥 0 カ ラ ー ・ 日 光 将 軍 の 往 く 道 ー ー ー 日 光 道 中 と 御 成 道 本 間 清 利 東 照 宮 と 朝 廷 を つ な ぐ 道 ー ー 日 光 例 幣 使 街 道 河 内 八 郎 カ ラ ー ・ 江 一 尸 へ / 秩 父 路 町 人 と 気 質 吉 原 健 一 郎 街 道 の 起 点 ・ 大 江 一 尸 , ー ー 児 玉 幸 多 平 野 を 走 る 信 濃 路 へ の 幹 道 ー ー 中 山 道 武 州 ・ 上 州 路 川 越 街 道 と 秩 父 往 還 大 舘 右 喜 江 戸 か ら 小 江 戸 へ 観 音 霊 場 へ 幕 末 に 燃 え る 葵 御 紋 の 道 ー ー 永 一 尸 街 道 秋 山 高 志 江 一 尸 の 台 所 み ち ・ 鮮 魚 の み ち ー ー ・ 房 総 ・ 佐 倉 道 川 村 優 川 名 登 江 戸 の 命 綱 ・ 大 利 根 の 賑 わ い 武 蔵 野 の 江 一 尸 道 ・ 青 物 の み ち ー ー 、 青 梅 街 道 と 五 日 市 街 道 伊 藤 好 一 文 明 の 開 化 に 導 く 「 絹 の 道 」 ー ー 、 横 浜 か ら 武 州 ・ 上 州 へ 辺 見 じ ゅ ん 124 6 1 5 3 9 1 10 9 5 8 8 12 8 101 6 143 14 7 1 1 8 13 6 140 1 5 8

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日 本 の 街 道 2 集 英 社 江 の 道 東 海 道 日 光 道 甲 州 路 水 戸 ・ 佐 倉 道 大 山 道

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ぶ ど う 畑 - ー ー 笹 子 峠 を 越 し た 勝 沼 の 町 は 見 渡 す 限 り ぶ ど う 畑 だ 。 甘 い ワ イ ン の 香 り と と も ぶ ど う は 今 日 の 甲 斐 国 の 象 徴 て も あ る 。 ・ は 、 フ 封 に よ り 、 豊 臣 氏 の 領 す る と こ ろ と な っ て 国 主 の 交 代 が め ま ぐ る し い が 、 慶 長 五 年 (bö) 関 ヶ 原 の 役 甲 州 ぶ ど う く に な か 後 、 都 留 郡 を 除 く 国 中 三 郡 は 再 び 徳 川 氏 の 直 轄 領 と ぶ ど う 勝 沼 や 馬 士 は 葡 萄 を 喰 ひ な が ら ば し よ う ぎ ん な る 。 次 い で 徳 川 義 直 ・ 徳 川 忠 長 、 さ ら に 甲 府 家 こ の 句 は 、 一 般 に 芭 蕉 吟 と し て 伝 え ら れ て い る ( 徳 川 綱 重 ・ 綱 豊 ) な ど 、 領 国 に 就 か な い 家 門 を 領 主 と が 、 そ の 証 拠 は な く 、 文 化 八 年 ( ~ 八 ) に 成 る 『 青 ひ す る か 、 幕 府 の 直 轄 領 で 推 移 し た の は 、 甲 州 が 江 戸 さ 」 』 に は 、 松 本 蓮 之 ( 一 七 四 一 一 没 ) の 句 と し て 掲 げ ら れ て い る 。 に 隣 接 す る 政 治 的 軍 事 的 要 衝 と 目 さ れ た こ と に ほ か 江 戸 を た っ て 甲 州 道 中 を 西 へ 進 ん だ 旅 人 が 、 途 中 二 な ら な い 。 ほ 、 つ え い ゃ な ぎ さ わ よ し や す 泊 し て 、 三 日 目 に 笹 子 峠 の 険 路 か ら 山 間 の 駒 飼 ・ 鶴 瀬 宝 永 元 年 (8\) 、 武 蔵 川 越 城 主 柳 沢 吉 保 が 甲 州 の 宿 と く だ っ て 、 よ う や く 甲 府 盆 地 を 一 望 に お さ め る に 一 五 万 石 を 受 封 し た が 、 徳 川 門 以 外 に は か っ て こ と の で き る 所 に 位 置 す る の が 勝 沼 宿 で あ る 。 宝 永 三 許 さ れ る こ と の な か っ た 要 枢 の 地 、 甲 州 の 領 有 が 慣 年 (æ) 九 月 、 荻 生 徂 徠 の 『 峡 中 紀 行 』 に も 、 そ の 例 を や ぶ っ て 吉 保 に 認 め ら れ る と い う 、 破 格 の 恩 典 従 僕 た ち が 葡 萄 棚 の 下 で 、 葡 萄 を 買 い 求 め て い る さ ま で あ っ た こ と は そ の 朱 印 状 に 示 さ れ る と こ ろ で あ が 記 さ れ て い る が 、 旅 人 が そ の 途 次 一 息 つ き な が ら 、 葡 萄 で の ど を う る お し た の も こ の 宿 場 で あ ろ う 。 元 祿 る 。 ほ ん ち ょ う し よ く か が み き よ 、 つ ほ 、 つ こ お り や ま 時 代 の 『 本 朝 食 鑑 』 が 、 葡 萄 産 地 と し て 甲 州 を 第 享 保 九 年 ( 一 一 し 、 柳 沢 吉 里 が 大 和 郡 山 へ 国 替 え 一 と す る の は 、 も ち ろ ん 勝 沼 周 辺 の 葡 萄 で あ る 。 し か と な る と 、 そ の 後 、 甲 府 城 は 城 主 を 迎 え る こ と が な し 、 当 時 著 名 な ほ ど に は 生 産 地 は 広 く な く 、 現 在 の 勝 か っ た 。 甲 州 は 一 円 天 領 化 さ れ て 、 甲 府 勤 番 支 配 と 沼 町 に 属 す る 勝 沼 ・ 菱 山 ・ 上 岩 崎 ・ 下 岩 崎 の 四 カ 村 に な し 代 官 の 支 配 下 に 置 か れ る こ と に な っ た 。 勤 番 支 配 は す ぎ な か っ た 。 こ れ ら の 村 で 産 す る 梨 と と も に 、 馬 背 大 手 ・ 山 手 の 二 組 か ら 構 成 さ れ 、 そ の 配 下 に そ れ ぞ で 運 ば れ て い っ た さ き は 、 多 く は 江 戸 神 田 の 水 菓 子 問 屋 で あ っ た 。 れ 組 頭 一 一 名 、 勤 番 士 一 〇 〇 名 、 与 カ 一 〇 騎 、 同 心 五 〇 名 が 属 し 、 幕 府 直 属 の 兵 力 と し て 、 甲 府 城 の 警 衛 に あ た る と と も に 、 甲 府 城 下 の 民 政 を 主 た る 任 務 と 州 道 中 を く だ る 旗 本 た ち に と っ て 、 甲 府 在 番 は 体 の よ い 配 流 、 ″ 山 流 し 〃 と う け と め ら れ た ら し い 。 山 し た 。 甲 州 の 直 轄 化 は 、 ) し わ ゆ る 享 保 の 改 革 に よ る 幕 政 強 化 策 の 一 環 と し て 、 要 衝 の 地 を 幕 領 に 組 み 込 間 を 縫 う 街 道 の も っ 暗 さ も さ る こ と な が ら 、 赴 任 す ん だ も の で あ っ た 。 る 勤 番 士 の 心 情 は 、 ″ 甲 州 〃 の 語 感 に こ と の ほ か 寂 江 戸 か ら 小 仏 ・ 笹 子 峠 を 越 え て 、 勤 番 士 と し て 甲 莫 の 感 を 深 め た に ち が い な い 。 し か し 、 周 囲 を 山 で せ き 9

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小 金 宿 ー ー 水 戸 路 は 千 住 ・ 新 宿 ・ 松 戸 か ら 1 里 25 町 て 小 金 宿 て あ る 。 静 か な 昔 風 の た だ ず ま い の 家 並 み が 美 し い 。 幕 末 に 燃 え る 葵 御 紋 の 道 水 戸 街 道 屋 が あ る 。 ま た 、 常 陸 の 国 府 、 惣 社 、 国 分 寺 、 国 分 葵 の 御 紋 の ゆ く 道 尼 寺 の あ っ た と こ ろ で あ り 、 古 代 ・ 中 世 の 史 跡 の 多 い と こ ろ で あ る 。 ⑩ 竹 原 、 ⑩ 片 倉 、 ⑩ 小 幡 、 ⑩ 長 江 戸 か ら 仙 台 に い た る 陸 前 浜 街 道 の う ち 、 江 戸 と 水 戸 の 間 を 水 戸 街 道 と 呼 び 、 江 戸 時 代 に は 五 街 道 付 岡 。 そ し て 徳 川 御 三 家 の 一 、 三 十 五 万 石 の 城 下 町 ⑩ 属 の 街 道 と し て 重 視 さ れ て い た 。 水 戸 藩 が 奥 州 筋 の 水 戸 に 入 る 。 道 中 を 旅 人 は 普 通 二 泊 三 日 を か け る 。 参 勤 交 代 の 際 に 水 戸 街 道 を 利 用 す る 大 名 は 津 軽 、 大 名 に 対 す る 押 さ え と し て 意 識 さ れ て い た こ と も 関 南 部 、 仙 台 、 三 春 、 相 馬 、 棚 倉 、 平 な ど 二 〇 余 藩 が 連 し て い る の で あ る 。 約 一 一 六 キ 、 あ っ た が 、 大 名 行 列 の 進 み 方 は お そ い の で 、 三 泊 四 ロ メ ー ト ル 江 尸 と 水 戸 の 間 の 距 離 一 一 九 里 一 九 町 ( に い じ ゅ く 江 戸 日 本 橋 を 起 点 に 宿 場 は ① 千 住 、 ② 新 宿 ( 葛 日 の 日 程 で 進 ん だ 。 こ れ ら 大 名 行 列 の う ち 最 も 華 美 だ て 飾 ) 、 ③ 松 戸 、 宿 場 の 手 前 の 大 向 井 に 道 中 改 め の 関 で あ る と い わ れ た の は ″ 伊 達 者 〃 と い わ れ た 仙 台 藩 第 を 所 が あ る 。 ④ 小 金 、 こ こ に は 幕 府 の 馬 牧 や 水 戸 藩 の と 葵 の 御 紋 を 押 し 立 て た 水 戸 藩 で あ っ た 。 じ よ う ふ と り で あ び こ 鷹 場 が あ る 。 ⑤ 我 孫 子 、 利 根 川 を 渡 っ て ⑥ 取 手 、 ⑦ 水 戸 藩 に は 参 勤 交 代 の 義 務 は な く 、 定 府 制 と い っ う し く う し く ぬ ま 藤 代 、 ⑧ 若 柴 、 牛 久 沼 の 近 く を 通 っ て ⑨ 牛 久 、 こ こ て 藩 主 は 江 戸 に 常 住 し 、 国 許 へ は と き ど き 幕 府 の 許 可 を 得 て 、 そ の 政 治 を み る た め に 戻 っ た 。 治 世 中 、 に は 譜 代 大 名 一 万 石 山 口 氏 の 陣 屋 が あ る 。 ⑩ 荒 川 筑 波 山 を 左 に 見 て@甲村 、 霞 ヶ 浦 近 く を 経 て 、 譜 代 一 度 も 国 許 に 戻 ら な か っ た 藩 主 も あ っ た が 、 国 許 と 江 戸 の 間 の 連 絡 の た め 、 葵 の 御 紋 を つ け た 状 箱 は 頻 大 名 八 万 五 千 石 土 屋 氏 の 城 下 町 の ⑩ 土 浦 、 ⑩ 中 貫 、 よ り あ い し ゅ う い な よ し 旗 本 の 繁 に 水 戸 街 道 を 上 下 し た の で あ っ た 。 ⑩ 稲 吉 、 こ こ は 旗 本 八 千 五 百 石 交 代 寄 合 衆 ( う 千 石 以 上 な い し 布 衣 〈 ほ い 〉 以 上 の 者 で 無 役 の 者 を い う ) 本 堂 氏 領 で 、 そ の 陣 屋 は 宿 か 江 戸 へ 登 る 商 品 ら 約 二 里 ( 吶 七 ・ 八 じ 北 に あ る 。 中 、 こ こ は 水 一 尸 ぼ う だ い 百 万 都 市 江 戸 へ は 全 国 か ら 膨 大 な 商 品 が 集 中 し 徳 川 家 の 分 家 松 平 氏 の 府 中 藩 ( 石 岡 藩 ) 二 万 石 の 陣 秋 山 高 志 茨 城 県 立 水 戸 第 一 一 高 等 学 校 教 諭 7 イ 3

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北 浦 の 帆 曳 船 ー ー ー 秋 の 風 を い つ は 。 い 帆 に う け て 湖 上 を 走 る 。 絵 を み る よ う な す ば ら し い 水 と 空 と 帆 布 の コ ン ト ラ ス ト だ 。 た き ぎ つ け ぎ 戸 に 上 っ た も の で は 薪 、 付 木 、 下 駄 、 卵 、 長 芋 な 『 大 日 本 史 』 を 挙 げ ね ば な ら な い だ ろ う 。 み つ く に め い れ き ど が そ の 代 表 で あ っ た 。 『 大 日 本 史 』 三 九 七 巻 は 第 二 代 藩 主 光 圀 の 明 暦 三 く し こ よ ノ が い 江 戸 か ら 下 っ て 来 る 商 品 に は 呉 服 、 櫛 笄 な ど (llf) 年 に 編 纂 を は じ め 、 明 治 三 十 九 年 (8$) に 完 ま っ ち ゃ の 装 身 具 、 書 物 、 薬 品 、 抹 茶 、 砂 糖 な ど 高 級 品 や 成 し た 紀 伝 体 の 日 本 史 概 説 で あ る 。 水 戸 黄 門 漫 遊 記 塩 、 金 物 な ど 日 用 品 も 多 か っ た 。 江 戸 下 り の 商 品 に で 知 ら れ る 助 さ ん 覚 さ ん は モ デ ル が あ っ て 、 助 さ ん は 江 戸 の 文 化 の 香 り が 上 乗 せ し て あ る か ら 売 れ 足 は は 佐 々 助 三 郎 宗 淳 、 覚 さ ん は 安 積 覚 兵 衛 ( 号 は 澹 し よ う 泊 ) と い し 早 か っ た 。 、 ど ち ら も 大 日 本 史 編 纂 事 務 局 で あ る 彰 こ う か ん 考 館 の 総 裁 を つ と め た 学 者 で あ っ て 、 全 国 に 史 料 採 江 戸 の 芝 居 を 水 戸 で 観 る 訪 に 赴 い た 実 在 の 人 物 で あ っ た 。 長 い 期 間 に わ た っ 水 戸 の 泉 町 に 、 江 戸 時 代 初 期 か ら 大 薩 摩 座 と い う て 編 纂 は 続 け ら れ た が 、 編 纂 に 関 係 し た 学 者 た ち の あ や つ り 操 人 形 芝 居 の 定 設 劇 場 が あ っ た 。 水 戸 藩 の 庇 護 を 間 に 醸 成 さ れ た 学 風 を 水 戸 学 と 呼 び 、 そ の 尊 王 攘 夷 受 け て 、 水 戸 藩 領 内 の 独 占 興 行 権 と 東 日 本 一 帯 の 興 論 は 多 く の 人 び と の 共 鳴 を 呼 ん だ 。 後 年 禁 門 の 変 に く さ か げ ん ま き い ず み の か み や す お み 行 権 を も つ 大 薩 摩 縫 殿 左 衛 門 が 経 営 権 を も っ て い る 敗 死 し た 久 留 米 の 真 木 和 泉 守 保 臣 、 長 州 の 久 坂 玄 の で あ る が 、 こ の 劇 場 へ 江 戸 の 歌 舞 伎 の 一 行 が 足 繁 瑞 、 土 佐 陸 援 隊 の 中 岡 慎 太 郎 、 松 下 村 塾 の 主 人 吉 田 あ い ざ わ せ い し さ い く や っ て 来 る 。 『 八 百 屋 お 七 』 や 『 国 姓 爺 合 戦 』 な 松 陰 ら も 水 戸 街 道 を く だ っ て 水 戸 に 来 て 会 沢 正 志 斎 ど 、 上 方 や 江 一 尸 で の 当 た り 狂 言 は 間 も な く 水 戸 で も や 藤 田 東 湖 ら と 会 談 し 、 水 戸 学 は 彼 ら に よ っ て さ ら 上 演 さ れ て お り 、 水 戸 の 町 に も 見 巧 者 は 多 か っ た の に 広 め ら れ て 幕 末 の 日 本 の 政 局 に 大 き く 影 響 し た の で あ る 。 劇 中 人 物 の 所 作 や 声 色 を 真 似 た り 、 そ の 衣 で あ っ た 。 装 が 流 行 し て 老 人 た ち を 歎 か せ た り す る こ と は し ば 水 戸 士 民 、 大 挙 し て 南 下 す し ば の こ と で あ っ た 。 幕 末 に な る と 水 一 尸 の 町 に い く よ せ つ か あ る 寄 席 を ま わ る 講 談 師 や 落 語 家 も 増 え た 。 江 戸 時 代 後 期 に な る と 常 陸 の 庶 民 の 寺 社 参 詣 が 盛 紋 江 戸 の 出 版 業 者 で 有 名 な 須 原 屋 の 一 門 で 、 水 戸 に ん に な る 。 志 を 同 じ く す る も の が 講 を 結 び 、 旅 費 を 開 業 し 、 水 一 尸 の 学 者 の 著 述 を 多 く 出 版 し た 須 原 屋 安 積 み 立 て て 順 番 に 出 発 す る 。 富 士 講 の 人 び と は 富 士 燃 た ち は ら す い け ん 一 を 次 郎 、 水 戸 の 学 者 立 原 翠 軒 の 指 導 下 に 書 道 関 係 の 著 山 へ 、 御 岳 講 は 御 岳 山 へ 、 伊 勢 講 は 伊 勢 神 宮 へ 、 末 か ん し よ う ど う 述 を 多 く 出 版 し た 咸 章 堂 岩 田 健 文 の 活 動 も 有 名 で 野 や 琴 平 ま で 足 を の ば す 者 も あ っ た 。 の び や か な 旅 、 当 ) あ る が 、 何 と い 0 て も 常 陸 の 学 芸 で は 水 戸 藩 撰 の が 彼 ら の 見 聞 を ひ ろ め 、 少 し ず つ 世 界 観 を 変 え て 行 お ん た け こ と ひ ら と う ・ 」

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盆 地 の 南 東 御 坂 峠 か ら 富 士 山 麓 へ の 地 域 は 、 古 く か ら 歴 史 と 伝 説 を 秘 め た 世 界 て あ っ た 。 茶 壺 が 通 る 山 あ い の 道 甲 州 道 中 み で 、 一 般 に ひ ら か れ た 街 道 で は な く 、 「 日 陰 ノ 四 甲 州 と 武 州 を 結 ぶ 山 あ い の 道 す じ 寸 道 」 と よ ば れ た よ う に 、 当 時 あ ま り 関 心 が 払 わ れ い に よ う 高 峻 の 山 岳 に よ っ て 囲 繞 さ れ た 甲 斐 の 国 は 、 ま さ て い な か っ た し 、 甲 州 と 武 州 を 結 ぶ 道 筋 と し て 、 や ま か い に 山 峡 の 国 で あ る 。 そ し て 、 さ ら に 中 央 を 南 北 に 走 仏 峠 越 え は ま た き わ め て 困 難 で あ っ た こ と か ら 、 甲 み さ か 州 道 中 が 開 設 さ れ る 以 前 、 関 東 に 通 ず る 甲 州 の 古 道 る 山 嶺 が 、 笹 子 峠 ・ 御 坂 峠 を 境 に 、 こ の 国 を 西 側 の く に な か 国 中 ( 山 梨 ・ 八 代 ・ 巨 摩 三 郡 で 甲 府 盆 地 一 帯 ) と 東 側 の は 、 こ れ に か わ る 道 筋 が 他 に 求 め ら れ な け れ ば な ら ぐ ん な い つ る な か っ た は ず で あ る 。 郡 内 ( 都 留 郡 ) と に 分 け て い る 。 け い ち ょ う げ ん な 江 戸 時 代 の は じ め 、 慶 長 ー 元 和 ( 塾 「 武 田 氏 減 亡 と お 松 の 方 に 開 設 さ れ 、 五 街 道 の 一 つ に あ げ ら れ た 甲 州 道 中 ひ の き な い と う し ん し ゆ く 古 代 以 来 、 甲 斐 の 国 が 歴 史 の 檜 舞 台 に 登 場 す る は 、 甲 州 を 東 西 に 横 断 し て 、 武 州 の 内 藤 新 宿 か ら む さ し こ と は ま ず な か っ た 。 軍 事 的 に 四 隣 を 圧 し て 、 甲 斐 信 州 の 下 諏 訪 宿 ま で 五 〇 里 ( 。 約 氤 じ 余 、 武 蔵 一 三 し な の 宿 、 攤 四 宿 、 甲 斐 一 一 五 宿 、 信 濃 = 一 宿 の 四 五 宿 を 数 武 田 の 名 を 全 国 に と ど ろ か せ た の は 、 短 期 間 で は あ し ん げ ん え る が 、 そ の 行 程 に 甲 州 が 大 き な 部 分 を 占 め る こ と っ た が 戦 国 末 期 で あ っ た 。 武 田 信 玄 す る が 甲 府 を 起 点 と し て 信 濃 ・ 駿 河 ・ 関 東 に 通 ず る い わ ゆ に 、 甲 州 道 中 の 名 は 由 来 す る の で あ ろ う 。 と こ ろ で 、 こ の 街 道 は 当 初 、 江 戸 と 甲 州 支 配 の 拠 る 九 筋 の 街 道 を 整 備 し た が 、 こ れ ら の 道 路 が 大 動 脈 点 で あ る 甲 府 と の 間 を 最 短 距 離 を も っ て 結 ぶ た め と な っ て 領 国 統 治 は も ち ろ ん 、 四 隣 経 略 に 威 力 を 発 に 、 成 立 以 前 に 生 活 道 路 と し て 地 域 的 に 設 け ら れ て 揮 し て 、 積 極 的 な 対 外 政 策 の 展 開 を み せ る の で あ っ か り さ か ぐ ち か い さ く た 。 当 時 、 西 関 東 へ の 道 は 、 雁 坂 口 と 萩 原 口 の 二 つ い た 道 筋 を 基 本 に 開 削 さ れ た も の に ち が い な い 。 し こ ・ は と け さ さ ′ 」 か し 、 こ の 間 に 存 在 す る 峻 険 な 小 仏 と 笹 子 の 二 つ の が 考 え ら れ る 。 前 者 は 笛 吹 川 を さ か の ば っ て 北 上 ち ち ぶ お う か ん 峠 の う ち 、 笹 子 峠 を 越 す 道 は 元 来 都 留 郡 へ の 通 路 の し 、 雁 坂 峠 を 経 て 武 州 秩 父 郡 へ 通 ず る 後 の 秩 父 往 還 丐 や っ し ろ こ ま し ゝ 飯 田 文 弥 山 梨 県 立 図 書 館

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葛 飾 ・ 矢 切 の 渡 し 柴 又 か ら 江 戸 川 を 渡 る 。 - 昔 前 ま て は 人 々 や 物 が 盛 ん に 運 ば れ た 重 要 な 交 通 機 関 て あ っ た 。 1 る 。 甲 州 道 中 ・ 青 梅 街 道 ・ 川 越 街 道 な ど 、 武 蔵 野 を 民 は 炭 ・ 薪 を 馬 に 付 け 、 夜 四 つ 時 ( 一 〇 時 ) こ ろ 村 横 切 る 街 道 は 、 江 戸 周 辺 農 村 が 野 菜 を 江 戸 へ 運 ぶ 道 を 出 て 江 戸 の 武 家 屋 敷 へ 売 り に 行 き 、 帰 っ て く る の は 翌 日 の 夜 五 つ 時 ( 八 時 ) こ ろ で あ っ た と い う 。 野 で あ る と と も に 、 江 戸 か ら 肥 料 を 運 ん で 来 る 道 で も あ っ た 。 物 を 運 ぶ 江 戸 か ら の 道 で あ り 、 物 を 運 ぶ 江 菜 を 付 け 出 す 村 は 、 も っ と 江 戸 に 近 い の で 、 そ れ ほ ど で は な か っ た ろ う が 、 朝 暗 い う ち に 村 を 出 て 、 夜 戸 へ の 道 で あ っ た 。 暗 く な っ て か ら 帰 る こ と は 同 じ だ っ た 。 こ の よ う な 江 戸 道 江 戸 の 周 辺 の 街 道 に は 江 戸 道 と 呼 ば れ る も の が 多 生 産 物 の 江 戸 付 け 出 し が 、 江 戸 周 辺 の 農 村 と 江 戸 と こ が ね し 。 現 在 の 都 道 一 三 四 号 線 は 、 小 金 辺 で は 昔 、 江 の つ な が り を 深 め 、 村 を 通 る 道 が 人 々 の 間 に 、 江 戸 こ い 道 と し て 定 着 さ れ て い っ た こ と で あ ろ う 。 武 蔵 野 の 戸 道 と 呼 ん で い た 。 恋 ケ 窪 ( 国 分 寺 市 ) か ら 東 へ 、 甲 州 道 中 と 青 梅 街 道 の 間 を 縫 っ て 江 一 尸 へ 通 ず る 道 で 野 道 に 立 っ 愛 く る し い 地 蔵 尊 は 、 東 が 「 江 戸 み ち 」 あ る 。 で あ る こ と を 示 し て い る 。 い っ か い ち な み ち ひ の は ら ど お り 五 日 市 街 道 は 伊 奈 道 ・ 檜 原 通 な ど と も 呼 ば れ た 野 方 の が た 東 京 都 中 野 区 に 野 方 町 が あ る 。 し か し か っ て は 野 が 、 ま た 江 戸 道 と も 言 わ れ た 。 西 を 見 れ ば 五 日 市 街 道 で あ り 、 伊 奈 道 で あ り 、 檜 原 通 で あ る が 、 東 を 見 方 と 呼 ば れ る 地 域 は 、 も っ と は る か に 広 く 、 江 戸 の 西 北 部 一 帯 を さ し て い た 。 お そ ら く 武 蔵 野 の 地 方 と れ ば 江 一 尸 道 で あ る 。 し も き よ と み ち ね り ま い う 意 味 で あ っ た ろ う 。 青 梅 街 道 も 五 日 市 街 道 も そ 清 戸 道 は 清 戸 ( 清 瀬 市 ) か ら 東 へ 、 練 馬 を 経 て 下 う し ご め お ち あ い 落 合 ( 新 宿 区 ) か ら 牛 込 ・ 小 石 川 に 入 る 。 江 戸 へ 野 の 野 方 を 貫 い て 西 に 延 び て い る 。 し も ご え 緩 や か に 起 伏 し な が ら 、 次 第 に 西 に 高 く な る 武 蔵 菜 を 運 び 、 江 戸 か ら 下 肥 を 持 ち 帰 る 。 や は り 江 戸 道 で あ っ た 。 江 戸 周 辺 で 江 戸 へ 向 か う 道 は 江 戸 道 で あ 野 台 地 の 上 は 、 文 字 ど お り 「 野 」 で あ っ た 。 ち る 。 そ の 点 で は 甲 州 道 中 も 青 梅 街 道 も 、 川 越 街 道 も 青 梅 街 道 の 小 川 村 ( 小 平 市 ) が 開 か れ た の は 一 七 の 物 世 紀 の 半 ば の こ と で あ る が 、 そ れ ま で 、 東 は 田 無 、 中 山 道 も 、 み な こ れ 江 一 尸 道 で あ っ た 。 約 二 〇 キ ロ こ れ ら の 道 が 、 江 戸 道 と 呼 ば れ る よ う に な っ た の 西 は 箱 根 ヶ 崎 ( 瑞 穂 町 ) の 間 、 東 西 五 里 ( の は 、 江 戸 周 辺 の 村 々 が 江 戸 と の 関 わ り を 深 め て か ら 余 り 、 南 北 四 里 余 が 一 円 の 武 蔵 野 原 で あ っ た 。 そ こ は い か い 約 三 五 キ ロ は 夕 暮 れ に な る と 盜 賊 が 徘 徊 し て 夜 分 の 通 行 は で き で あ っ た 。 江 戸 日 本 橋 か ら お よ そ 九 里 ( メ 武 さ や ま な ら は し う し ろ や の 、 狭 山 丘 陵 南 麓 の 後 ヶ 谷 ・ 高 木 ・ 奈 良 橋 の 諸 村 ず 、 暑 寒 ・ 風 雨 ・ 雪 中 に そ の 原 を 横 切 る 青 梅 街 道 の 9 ( 東 大 和 市 ) で は 、 一 九 世 紀 の 半 ば こ ろ 、 馬 持 ち の 農 旅 人 は 、 湯 水 も な く 、 飢 渇 で 非 業 の 死 を 遂 げ る も の 7 ゆ る

日本の街道 2 江戸への道


を を ラ 物 、 あ る 。 誕 生 地 と し て 名 高 い 。 房 総 の 、 日 蓮 の 門 弟 千 葉 氏 の た か ば と き 東 金 周 辺 は 著 名 な 鷹 場 で 、 船 橋 か ら 東 金 に い た る 家 臣 富 木 氏 が 開 い た 法 華 寺 に つ な が る 中 山 法 華 経 寺 約 三 七 キ ロ に お よ ぶ 、 ほ ば 直 線 の 道 路 が み ら れ る 。 市 川 市 中 嶼 日 蓮 ) は 多 く の 信 徒 を あ つ め 、 山 武 ・ 長 生 お な り か い ど う ご ん げ ん み ち し ち り ぼ つ け 一 名 付 け て 御 成 街 道 と か 権 現 道 と も い う 。 徳 川 家 康 の 地 方 を 中 心 と し た 七 里 法 華 の 地 は 日 蓮 宗 の さ か ん な も ば ら そ う げ ん じ ひ が し み の ぶ 命 令 で 、 彼 が 東 金 の 鷹 場 に 赴 く た め 、 慶 長 十 九 年 地 で あ る 。 茂 原 の 藻 原 寺 は 東 身 延 と も よ ば れ る 本 山 か ね つ な ( ~ し 十 二 月 に 着 工 、 き わ め て 短 期 間 に 佐 倉 藩 主 土 で 、 日 蓮 に 帰 依 し た 豪 族 斎 藤 兼 綱 の 屋 敷 に 建 て ら れ い と し か っ 井 利 勝 を し て 、 沿 道 の 九 十 余 村 を 動 員 し 昼 夜 兼 行 で た 由 緒 を も つ 。 そ 、 こ ぼ う 茂 原 か ら 、 外 房 を は し る 房 総 東 街 道 を 下 り 、 勝 浦 つ く っ た 道 路 で あ る 。 い ま で も 、 こ の 道 は 当 時 の 面 影 が そ の ま ま 残 っ て い る と こ ろ も 多 い 。 家 康 の 絶 大 を 経 て 安 房 に 入 る と 、 日 蓮 の 誕 生 地 小 湊 に い た る 。 じ よ う お う な が さ の こ お り な る 権 力 を ひ し ひ し と 感 じ さ せ る 政 治 的 ・ 軍 事 的 道 日 蓮 は 貞 応 元 年 (h:l) 二 月 十 六 日 長 狭 郡 東 条 郷 当 時 、 伊 勢 路 の 一 典 型 で あ ろ う 。 神 宮 の 御 厨 ) の 漁 師 の 家 に 生 ま れ た 。 小 湊 山 誕 生 寺 は れ ん げ た ん 日 蓮 の 弟 子 、 日 家 が 師 の た め に そ の 誕 生 地 の 蓮 華 潭 日 蓮 の ふ る さ と に 寺 院 を 創 建 し た と い う 。 そ の 後 、 こ こ は 津 波 の た た え こ み な と 安 房 の 小 湊 ( 安 房 郡 天 津 小 湊 町 小 湊 ) は 高 僧 日 蓮 の め 海 中 に 没 し た の で 、 の ち 西 南 に あ る 妙 の 浦 に 再 建 し た が 、 こ れ ま た 元 祿 十 六 年 (8 七 ) の 大 津 波 に よ り 流 失 し た 。 宝 永 年 間 に い た り 現 在 の 朝 日 山 麓 に 水 一 尸 徳 川 家 の 寄 進 を う け て 、 七 堂 を 建 立 し 小 湊 山 誕 生 寺 と 山 号 を 改 め た 。 そ し ど う ・ 現 在 の 祖 師 堂 は 天 し か し 享 保 年 間 に 火 災 に あ い 、 保 年 間 に 再 建 さ れ た 。 あ ま っ 。 し オ 鮮 小 湊 か ら 南 に 少 し く だ る と 天 津 の 清 澄 寺 こ ) こ る 。 日 蓮 は 十 一 一 歳 の と き 清 澄 寺 で 道 善 坊 に 師 事 、 十 ち え ん お う ぜ し よ う 六 歳 で 出 家 し 是 聖 坊 蓮 長 と 名 の っ た 。 延 応 元 年 ( 一 一 な ん と ほ く れ い こ う や さ ん 一 ) 鎌 倉 に 学 び 、 そ の 後 南 都 北 嶺 、 高 野 山 な ど に 遊 戸 ほ け き よ う ・ し ん ず い 学 し 、 仏 教 の 真 髄 は 法 華 経 に あ り と 確 信 し て 帰 山 し け ん ち ょ う た 。 建 長 五 年 ( 五 llll) 四 月 二 十 八 日 朝 日 に 向 か っ て 清 澄 寺 ー - 天 津 小 湊 町 の 清 澄 山 ( 383 メ ー ト ル ) の 山 頂 に 光 仁 3 年 ( 772 ) 創 建 と 伝 え る 。 日 蓮 の 開 宗 の 本 拠 。 な か や ま