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検索対象: 日本の街道 6 夢誘う山陽山陰

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰から 161件ヒットしました。

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰


日 本 の 彳 圭 矜 首 ー ー ー ー 全 8 巻 ( 書 名 と 責 任 編 集 者 ) ・ 印 は 既 刊 / 〇 印 は 次 回 配 本 ・ 第 1 巻 風 か け る み ち の く 文 化 仲 野 東 北 大 : / ロ 学 教 授 / 度 辺 信 夫 奧 州 街 道 羽 州 街 道 会 津 街 道 浜 街 道 学 習 院 児 玉 幸 多 ・ 第 2 巻 江 戸 へ の 道 東 海 道 日 光 道 甲 州 路 水 戸 ・ 佐 倉 道 大 山 道 ・ 第 3 巻 雪 の 国 北 陸 要 木 下 良 北 国 路 越 後 路 能 登 路 三 国 街 道 千 国 街 道 ・ 第 4 巻 山 な み 遙 か 歴 史 の 道 林 英 夫 信 濃 路 木 曾 路 伊 那 路 美 濃 路 飛 騨 路 大 阪 市 立 大 ・ 第 5 巻 京 へ の 道 原 田 伴 彦 学 名 誉 教 授 ′ 、 若 狭 路 近 江 路 丹 波 路 大 和 路 伊 勢 路 紀 州 路 ・ 第 6 巻 夢 誘 う 山 陽 山 陰 兵 庫 教 育 心 ロ ラ 登 夫 大 学 学 長 ロ 山 陽 道 吉 備 路 安 芸 路 出 雲 路 長 門 路 〇 第 7 巻 海 光 る 瀬 戸 内 ・ 四 国 山 本 大 遍 路 道 金 毘 羅 参 詣 道 土 佐 路 瀬 戸 内 の 海 路 九 州 大 学 ・ 第 8 巻 日 燃 ゆ る 九 ヨ 助 教 授 丸 山 雍 成 筑 紫 路 日 向 路 薩 摩 路 長 崎 路 唐 津 街 道 ( 10 月 刊 行 ) 著 者 代 表 ー ー 谷 口 澄 夫 編 集 者 ー ー ー ー 株 式 会 社 日 本 ア ー ト ・ セ ン タ ー 東 京 都 千 代 田 区 神 田 神 保 町 一 ー 一 一 五 電 話 ー 東 京 ・ 2 9 4 ・ 3 8 91 郵 便 番 号 101 発 行 者 ー ー ー 堀 内 末 男 発 行 所 ー 。 株 式 会 社 集 英 社 東 京 都 千 代 田 区 一 ッ 橋 二 ー 五 ー 一 〇 電 話 ー 販 売 部 東 京 ・ 2 3 8 ・ 2 7 81 ・ つ 朝 0 8 ・ つ 0 8 っ 0 1 出 版 部 東 京 郵 便 番 号 101 印 刷 所 ー ・ ー ー 共 同 印 刷 株 式 会 社 製 本 所 ー ・ ー ・ ・ ・ ・ 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 に は 十 分 注 意 し て い ま す が 、 落 丁 ・ 乱 丁 の 際 は お と り か え い た 」 ー ) ま 6 - す ・ ◎ 集 英 社 Printed in Japan 日 本 の 街 道 6 夢 誘 う 山 陽 山 陰 昭 和 五 十 六 年 九 月 一 一 十 一 日 第 一 刷 発 行 032 ト ロ 6006 ー 30

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰


カ ラ ー ・ 中 国 路 の う た カ ラ ー ・ 随 想 山 陰 よ り 山 陽 へ 藤 原 審 爾 山 陰 路 の 旅 情 杉 本 苑 子 街 道 小 史 陸 路 海 路 が 併 用 さ れ た 山 陽 道 谷 口 澄 夫 街 道 地 図 カ ラ ー ・ 長 門 / 周 防 / 安 芸 / 備 後 / 備 中 / 美 作 / 備 前 / 播 磨 / 名 城 砲 煙 け む る 明 治 維 新 へ の 道 ー ー 山 陽 道 を 京 へ 有 元 正 雄 目 次 0 9 8 6 0 -4

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰


カ ラ ー ・ 中 国 路 の う た カ ラ ー ・ 随 想 山 陰 よ り 山 陽 へ 藤 原 審 爾 山 陰 路 の 旅 情 杉 本 苑 子 街 道 小 史 陸 路 海 路 が 併 用 さ れ た 山 陽 道 谷 口 澄 夫 街 道 地 図 カ ラ ー ・ 長 門 / 周 防 / 安 芸 / 備 後 / 備 中 / 美 作 / 備 前 / 播 磨 / 名 城 砲 煙 け む る 明 治 維 新 へ の 道 ー ー 山 陽 道 を 京 へ 有 元 正 雄 目 次 0 9 8 6 0 -4

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ノ ゞ 第 第 な を 第 を を 、 を 本 州 の 西 端 に 位 す る 長 門 ・ 周 防 は 、 脊 梁 山 脈 が 低 く 、 暖 流 が 沿 岸 を 洗 い 、 気 候 が 温 和 で 南 北 の 差 が 比 較 的 少 な い 。 山 陽 道 は 安 芸 か ら 周 防 に 入 る と 、 錦 帯 橋 で 名 高 い 吉 川 氏 六 万 石 の 城 下 町 岩 国 の 北 方 を 通 り 過 ぎ 、 高 森 を 経 て 、 毛 利 氏 三 万 石 の 城 下 町 徳 山 に 至 る 。 さ ら に あ さ い ち 徳 山 か ら は 、 塩 田 で 知 ら れ た 三 田 尻 や 、 月 郡 ・ 厚 狭 市 ・ 小 月 ・ 長 府 を 通 っ て 下 関 に 出 た 。 小 郡 か ら 北 東 に 、 長 州 藩 庁 の あ っ た 山 口 を 経 れ ば 、 山 陰 道 は 石 見 国 の 益 田 で 日 本 海 に ぬ け る 。 こ こ か ら 毛 利 氏 三 六 万 九 千 石 の 城 下 町 萩 へ は 、 江 崎 ・ 須 佐 な ど を 通 っ て 海 岸 沿 い に 走 る 北 浦 街 道 と 呼 ば れ た 道 を 西 下 し た 。 萩 か ら は 山 陽 道 な ど へ の 多 く の 道 が 四 通 し て お り 、 維 新 回 天 を 願 う 人 々 が 往 来 し た の で あ る ー 第 み 、 を い を を 、 れ こ % を 萩 の 武 家 屋 敷 ー ー - ー 明 治 維 新 の 原 動 力 と な っ た 萩 の 武 家 屋 敷 は 、 今 て も 当 時 の ま ま の 姿 を 残 し 、 史 跡 が 数 多 い 。 松 下 村 塾 ー ー - 維 新 の 先 覚 者 吉 田 松 陰 が 人 材 を 養 成 し た と こ ろ て 、 8 ・ 4 畳 半 ・ 3 畳 2 間 の 質 素 な 私 塾 て あ る 。 秋 吉 台 ー ー 古 生 代 石 灰 岩 の 日 本 最 大 の カ ル ス ト 台 地 。 広 大 な 高 原 に 羊 の 群 れ に 似 た 石 灰 岩 が 無 数 に 露 出 し 、 景 勝 秋 吉 八 景 を 生 み 出 す 。 35

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国 泰 寺 旧 地 の 庭 園 中 央 の 巨 石 は 自 然 の 岩 て 、 デ ル タ 形 成 の 前 、 広 島 が 瀬 戸 内 海 て あ っ た こ ろ 海 に 浮 か ん て い た 島 ( 岩 ) の 一 部 て あ る 。 こ ま っ た て わ き 摩 藩 の 小 松 帯 刀 ()8 五 ) ・ 西 郷 吉 之 助 な ど の 間 に 征 長 軍 の 山 陽 道 通 過 討 幕 の た め の 薩 長 同 盟 が 成 立 し て お り 、 薩 摩 藩 も 出 第 一 回 征 長 軍 は 山 陽 道 を 下 っ て 広 島 に 向 か う 。 征 長 か ん な べ 兵 し な か 「 た 。 こ の よ う な な か で 六 月 に 0 」 に 戦 端 軍 が 備 後 東 部 の 神 辺 駅 を 通 過 す る 事 情 に つ き 、 福 山 の が 開 か れ る 。 芸 州 ロ ・ 石 州 ロ ・ 小 倉 ロ と 大 島 と が 主 豪 農 土 屋 家 の 日 記 は 次 の よ う に 記 し て い る 。 に ぎ に ぎ 三 を 戦 場 で あ っ た の で 、 長 州 藩 で は こ の 戦 を 四 境 戦 争 と 十 一 月 十 日 尾 州 様 御 先 隊 、 播 州 脇 坂 様 御 通 行 賑 々 し き こ と な り 。 神 辺 駅 は 大 混 雑 、 平 野 村 辺 ま で 御 」 呼 ん で い る 。 お ぜ が わ 芸 州 ロ で は 、 長 州 軍 は 岩 国 ・ 大 竹 の 間 の 小 瀬 川 を 宿 に 相 な り 候 。 三 千 人 ほ ど 御 泊 り 、 御 本 陣 ・ 問 屋 は つ か い ち ま ち 場 な ど は な ら び に 軍 場 の ご と き な り 。 渡 っ て 芸 州 領 の 佐 伯 郡 に 入 り 、 一 時 、 廿 日 市 町 に ま 十 一 月 十 一 日 尾 州 前 大 納 言 様 御 止 宿 、 前 日 同 断 の で 攻 め 入 る ほ ど の 状 態 で あ っ た 。 そ の 後 、 芸 州 ロ の こ と 、 御 行 列 御 立 派 の 御 こ と な り 。 今 日 も 三 千 人 戦 い は 、 両 軍 の 間 に 一 進 一 退 が つ づ く 。 佐 伯 郡 内 で ば か り の 御 人 数 な り 。 い ず れ も 人 足 は 御 自 国 の も は 民 家 が 焼 か れ 、 判 明 す る だ け で も 焼 失 家 屋 一 七 三 の な り 。 り さ い み ん 四 軒 、 罹 災 民 八 九 九 六 人 に 達 し て い る 。 な お 、 幕 府 十 一 月 十 一 一 日 も 尾 州 様 御 家 来 御 通 行 な り 。 軍 は 長 州 領 の 大 島 を 海 か ら 攻 撃 し て い る 。 福 山 藩 で は 、 御 年 寄 以 下 の 役 人 を 神 辺 駅 に 出 張 さ 石 州 ロ で は 、 紀 州 ・ 福 山 ・ 浜 田 な ど の 藩 兵 が 村 田 せ 、 そ の 応 接 に あ た っ て い る 。 蔵 六 ( 大 村 益 次 郎 、 」 四 ) の 率 い る 優 秀 な 長 州 軍 と ま す だ 戦 う 。 こ の た め 益 田 の 戦 に 敗 れ 、 浜 田 で は 戦 わ ず し 四 日 、 総 督 府 は 山 陽 ・ 山 陰 の 征 長 軍 に 解 兵 を 通 知 す て 城 に 放 火 し て 敗 走 し て い る 。 長 州 軍 は 石 見 国 を 占 る 。 ご う づ 領 し て 江 津 に 本 陣 を 置 き 、 預 か り 地 と し て 長 く 支 配 休 戦 交 渉 の 場 と な っ た 大 願 寺 は 、 厳 島 神 社 の 西 側 す る の で あ る 。 ま た 小 倉 ロ で も 長 州 軍 は 優 勢 で 、 に あ り 、 そ の 古 風 な 建 物 は 歴 史 の 重 み を 包 む よ う 倉 城 を 占 領 す る の で あ る 。 に 、 ひ っ そ り と 建 っ て い る 。 い え も ち 二 度 に わ た る 戦 争 で 、 広 島 は 征 長 軍 の 本 営 と な こ の こ ろ 、 将 軍 徳 川 家 茂 (— 試 六 ) は 大 坂 城 で 死 去 し 、 敗 報 相 つ ぐ な か で 幕 府 は 止 戦 を 決 定 し 、 広 島 り 、 い わ ゆ る 「 お 入 り 込 み 」 と 称 さ れ 、 多 数 の 軍 隊 か つ あ わ か い し ゅ う と 労 働 者 の 集 結 に よ っ て 諸 物 資 の 調 達 や 旅 宿 の 確 保 に 軍 艦 奉 行 勝 安 房 ( 海 舟 、 — = ) を 送 っ て 講 和 に い つ く し ま だ い が ん じ あ た ら せ る 。 九 月 二 日 、 勝 安 房 は 厳 島 の 大 願 寺 の な ど が 必 要 で あ っ た 。 こ の た め 商 人 ・ 運 送 業 者 ・ 旅 ) ・ 井 館 業 者 な ど が 賑 わ っ た 。 明 治 以 降 も 、 広 島 は 戦 争 が 書 院 に お い て 長 州 藩 の 広 沢 兵 助 ( 真 臣 、 上 聞 多 ら と 会 見 し 、 休 戦 の 諸 条 件 を 交 渉 し た 。 九 月 あ る た び ご と に こ の こ と を く り 返 し た の で あ る 。 : 物 ト 第 を ま さ お み い わ み 2

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日 本 の 街 道 6 集 英 社 夢 誘 う 山 陽 山 陰 山 陽 道 吉 備 路 安 芸 路 出 雲 路 長 門 路

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か ん え い 後 、 逐 次 整 備 さ れ て い っ た 。 寛 永 十 一 一 年 ( 一 0 に 参 古 代 の 山 陽 道 か ら や や 南 寄 り の コ ー ス を と る 近 世 の 幻 ま ん じ 一 勤 交 代 制 が 確 立 さ れ 、 万 治 二 年 (l{) 以 後 、 大 目 付 山 陽 道 は 、 東 は 西 宮 を 起 点 と し 、 西 は 長 門 の 下 関 ま ' 」 お よ び 勘 定 奉 行 か ら そ れ ぞ れ 一 名 ず つ 、 道 中 方 を 専 で と 考 え て も よ か ろ う 。 し か も 、 山 陽 道 は 令 制 で は 任 に 扱 う 道 中 奉 行 を 兼 帯 す る も の が で き 、 こ の 体 制 「 大 路 」 と し て 最 高 の 地 位 に あ っ た が 、 江 戸 時 代 で 下 で 管 理 さ れ た 街 道 が 五 街 道 で 、 最 も 重 視 さ れ た 。 は 五 街 道 か ら は ず さ れ て 、 脇 街 道 の 地 位 に 転 落 し く ら し た 。 街 道 の 位 づ け も 、 政 権 所 在 地 と の 位 置 関 係 、 つ 】 も 江 戸 か ら 四 方 に 出 る 東 海 道 ・ 中 山 道 ・ 甲 州 道 中 ・ 日 光 道 中 ・ 奥 州 道 中 が そ れ で 、 道 中 奉 行 の 管 轄 下 に お ま り 当 時 の 政 治 的 ・ 軍 事 的 な 役 割 な ど に よ っ て 規 定 か れ た 。 さ れ た わ け で あ る 。 五 街 道 の な か で 最 も 重 要 視 さ れ た 東 海 道 は 、 江 戸 山 陽 道 と 「 長 州 藩 主 用 道 中 案 内 記 」 」 日 本 橋 を 起 点 と し 、 京 都 を 終 点 と す る が 、 大 坂 お よ に し の み や 西 国 諸 藩 が 山 陽 道 の 整 備 を 画 期 的 に 行 っ た の は 寛 、 び 西 宮 ま で 実 質 的 に 延 長 さ れ た と も い え る 。 幕 府 は 、 参 勤 の 諸 大 名 が 途 次 に 入 京 す る こ と を 禁 止 し 、 永 年 代 (I 四 ) で あ る 。 す な わ ち 、 寛 永 十 年 ( 六 や ま し な 大 津 か ら 山 科 を 迂 回 し て 伏 見 に 行 く こ と に 定 め 、 そ 一 ) 幕 府 の 巡 見 使 が 西 国 へ 派 遣 さ れ る の を 契 機 に 、 ひ ら か た も り ぐ ち こ か ら 淀 川 の 左 岸 に 沿 っ て 、 淀 ・ 枚 方 ・ 守 口 を 経 て 各 藩 で は 臨 時 に 道 路 普 請 奉 行 ・ 御 茶 屋 奉 行 な ど を 任 大 坂 に 至 る 道 筋 は 、 京 街 道 、 ま た は 大 坂 道 と も い っ 命 し て 、 道 路 ・ 橋 梁 や 宿 駅 施 設 の 整 備 ・ 拡 充 に た い あ く た が わ ふ く い ん た 。 ま た 、 伏 見 と 摂 津 西 宮 と の 間 に 、 山 崎 ・ 芥 川 へ ん な 努 力 を 払 っ た 。 山 陽 道 は 、 道 路 の 幅 員 を 二 間 こ お り や ま 約 四 キ ロ 郡 山 ・ 瀬 川 ・ 昆 陽 の 五 つ の 宿 駅 を 設 け 、 こ の 街 道 半 ) と し 、 沿 道 に 松 を 植 え 、 一 里 ( メ を 山 崎 通 り と い い 道 中 奉 行 の 管 轄 下 に お い た 。 ご と に 一 里 塚 を 築 き 、 要 所 に は 茶 屋 を 三 軒 ず つ 設 け 東 海 道 か ら 引 き つ い で 大 坂 か ら 西 へ 、 尼 崎 ・ 西 宮 る と い っ た ぐ あ い で あ る 。 山 陽 道 に 設 け ら れ た 宿 駅 を 経 て 西 下 す る 街 道 は 、 正 式 に は 中 国 路 と い わ れ 、 を 東 か ら 西 へ た ど る と 、 兵 庫 県 下 で は 西 宮 か ら 有 年 み つ い し 西 国 街 道 と か 山 陽 道 と も い わ れ た 。 伏 見 か ら 山 崎 を ま で 八 宿 駅 、 岡 山 県 下 で は 三 石 か ら 高 屋 ま で 九 宿 か ん な べ 経 て 南 西 下 す る 山 崎 通 り の 終 点 は 西 宮 で あ り 、 京 街 駅 、 広 島 県 下 で は 神 辺 か ら 玖 泌 ま で 一 〇 宿 駅 、 そ し 道 ( 大 坂 道 ) の 終 点 大 坂 か ら 、 さ ら に 尼 崎 を 経 て 西 て 山 口 県 下 で は 関 戸 よ り 下 関 ま で 一 九 宿 駅 で 、 合 計 宮 に 至 る 街 道 も 、 大 坂 道 と い わ れ た よ う で あ る 。 し す る と 四 六 宿 駅 と な る 。 も っ と も 、 宿 駅 間 に は 間 の し ゆ く た が っ て 、 東 海 道 お よ び そ の 実 質 的 な 延 長 の 行 き っ 宿 が 五 カ 所 ほ ど あ り 、 宿 駅 の 数 え 方 も 人 に よ っ て 、 く と こ ろ は 、 摂 津 の 西 宮 で あ っ た と み ら れ る か ら 、 間 の 宿 や 予 備 の 宿 を 計 算 に 入 れ る こ と も あ っ て 、 若 旧 船 坂 峠 ー ー ー 兵 庫 ・ 岡 山 両 県 境 に あ る 旧 山 陽 道 の 峠 て 、 標 高 180 メ ー ト ル 。 古 代 山 陽 道 の を 坂 長 駅 は 西 方 に 置 か れ 尾 道 の 町 並 み と 港 12 世 紀 後 半 に 高 野 山 領 大 田 庄 の 倉 敷 地 に 指 定 さ れ て 以 来 、 内 海 屈 指 の 港 町 と し て 栄 え た 山 陽 道 の 宿 場 町 て あ る 。 こ や

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ひ そ か に 薩 長 に 味 方 し た 芸 州 藩 た ほ よ ノ レ J ろ ・ 中 世 以 来 の 港 町 で あ り 、 浄 土 寺 の 国 宝 多 宝 塔 ・ 同 し が な お や は や し ふ み こ 本 堂 や 、 志 賀 直 哉 ( 贏 切 = 5 ) の 旧 居 、 林 芙 美 子 (l お の み ち - 道 陽 ま 岐 津 、 江 め あ 五 「 ) の 文 学 碑 な ど で 知 ら れ る 尾 道 の 町 も 、 「 明 治 と 山 、 分 国 は て た が 。 物 み は り の 見 氏 代 の 敷 維 新 へ の 道 」 と し て の 歴 史 の ひ と こ ま が あ っ た 。 " 2 病 ト 3 「 ( 並 町 あ 道 石 井 交 そ 屋 町 市 て の 。 亀 勤 。 船 の 日 町 へ る 主 参 た の 慶 応 三 年 ()L し 半 ば ご ろ か ら の 政 情 は 、 一 方 で は 町 廿 場 野 あ 領 ら っ 藩 市 宿 和 も の か 上 野 土 佐 藩 ・ 芸 州 藩 ・ 薩 摩 藩 な ど に よ る 大 政 奉 還 論 と 、 イ ( き 日 の 津 て 野 こ に 和 た 廿 標 道 た 点 和 こ 戸 津 っ 他 方 で は 長 州 藩 ・ 薩 摩 藩 を 中 心 に 芸 州 藩 も 加 わ っ て の 討 幕 論 と 、 二 つ の 方 法 が 互 い に 交 錯 し な が ら 動 い て い た 。 討 幕 論 の 動 き は 、 九 月 の 薩 長 芸 三 藩 に よ る 討 幕 同 盟 の 成 立 と な り 、 十 月 十 三 日 に は 薩 摩 藩 へ 、 み っ ち よ く 翌 十 四 日 に は 長 州 藩 に 対 し て 討 幕 の 密 勅 が 下 さ れ る こ と と な る 。 大 政 奉 還 の 動 き は 、 十 月 三 日 土 佐 藩 が 、 六 日 に は 芸 州 藩 に よ る 大 政 奉 還 の 建 白 書 の 提 出 よ し の ぶ と な り 、 十 四 日 に は 将 軍 徳 川 慶 喜 ( 贏 一 一 = 「 ) が 大 政 を 奉 還 し 、 翌 日 朝 廷 は こ れ を 許 可 し た の で あ る 。 大 政 奉 還 後 の 政 局 が 混 沌 と し て い る 中 で 、 芸 州 藩 は 御 所 の 守 衛 を 要 す る と し て 総 勢 四 三 六 人 の 軍 隊 を 、 宇 品 か ら 汽 船 に よ っ て 大 坂 に 送 り 、 入 京 さ せ て 道 あ さ の し げ こ と な が こ と い る 。 十 月 三 十 日 、 芸 州 藩 の 世 子 浅 野 茂 勲 ( 長 勲 、 ← 新 坐 ) と 長 州 藩 の 世 子 毛 利 元 徳 (L 」 九 ) は 周 防 の 治 一 八 四 〇 5 一 八 九 ) の く る の を 待 っ て 、 と も に 入 京 し よ う と し た 。 新 湊 会 議 後 、 木 戸 準 一 郎 は 広 島 に 来 て 、 長 州 軍 が 上 一 み た ら い こ う 京 の 節 は 芸 州 藩 は 軍 艦 を 御 手 洗 港 に 出 し て 誘 導 に つ

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厳 島 神 社 ー - ー ー 市 杵 島 姫 神 が 主 神 て 、 海 路 守 護 神 と し て 平 清 盛 は と く に 崇 敬 し 、 海 を 敷 地 と 、 し た 社 殿 ・ 回 廊 の 配 置 、 第 平 家 納 経 て 知 ら れ る 。 い 物 と さ れ て い た 米 穀 の 輸 送 は 、 政 府 も 輸 送 費 の 格 に 記 し て い る の で お も し ろ い 。 海 路 を と っ た 例 で 安 な 海 路 を 利 用 せ ざ る を え な か っ た 。 『 延 喜 式 』 に は 、 す で に 平 清 盛 が 唐 船 ( 宋 商 船 ) を 用 い て 厳 島 参 」 よ ノ お う よ っ て 、 米 を 京 都 に 運 ぶ 海 陸 の 運 賃 規 定 で 計 算 し て 詣 を し た こ と は 知 ら れ て い る が 、 足 利 義 満 も 康 応 元 み る と 、 例 え ば 周 防 国 か ら は 、 陸 路 で は 石 別 一 石 八 年 ( ← し 三 月 四 日 に 京 都 を 発 っ て 兵 庫 に 着 き 、 こ こ さ ぬ き 斗 三 升 余 と な っ て 運 賃 の ほ う が 高 く つ く が 、 海 路 に で 讃 岐 の 細 川 頼 之 が 準 備 し た 一 〇 〇 余 艘 の 船 に 、 随 よ る と 石 別 二 斗 一 升 五 合 と な り 、 い か に 海 路 を と る 行 の 諸 大 名 と と も に 乗 り 込 ん で 内 海 を 巡 航 す る 旅 に ほ う が 輸 送 費 が 安 く つ く か が 知 ら れ よ う 。 こ の よ う で た 。 に 瀬 一 尸 内 と い う 一 つ の 道 筋 に お い て 、 陸 路 と 海 路 が こ の と き 随 行 し た 九 州 探 題 今 川 貞 世 が 、 そ の 紀 行 併 存 し て 、 そ の 利 用 状 況 が 競 合 し た の は 山 陽 道 の 特 を 書 き の こ し た の が 前 記 の 『 鹿 苑 院 殿 厳 島 詣 記 』 で 色 で あ り 、 陸 路 山 陽 道 を 知 る た め に は こ の 点 は 無 視 あ る 。 船 団 は 播 磨 か ら 備 前 の 海 岸 沿 い に 牛 窓 に 至 し え ず 、 ま た 、 こ の よ う な 関 係 は 後 世 ま で つ づ く の り 、 こ こ か ら 島 伝 い に 讃 岐 の 宇 多 津 出 ) に 渡 っ て で あ る 。 頼 之 の 歓 待 を う け 、 さ ら に 備 後 尾 道 沖 に 渡 り 、 山 陽 お ん ど 古 代 か ら 中 世 に か け て の 山 陽 道 に 関 す る 数 少 な い 筋 の 海 岸 を 西 下 し て 音 戸 の 瀬 戸 を 通 っ て 、 三 月 十 日 い ま が わ さ よ り よ う し ゅ ん 紀 行 文 の 中 で 、 九 州 探 題 今 川 貞 世 ( 了 俊 、 五 5 一 夜 に 厳 島 に 着 い て い る 。 〇 ) が 、 陸 路 で 西 下 し た と き の 『 道 ゆ き ぶ り 』 ろ く お ん い ん ど の い つ く し ま も う で き 江 戸 幕 府 の 政 略 で 脇 街 道 に 格 下 げ や 、 海 路 の 道 中 記 と し て の 『 鹿 苑 院 殿 厳 島 詣 記 』 な ど は と く に 注 目 さ れ る 。 『 道 ゆ き ぶ り 』 は 、 今 川 東 国 が 名 実 と も に 日 本 の 中 心 に な っ た の は 、 江 戸 け ん と ′ 、 貞 世 が 九 州 探 題 と し て 、 建 徳 二 年 ($;l) 一 一 月 に 、 京 幕 府 が 開 か れ て か ら で あ る 。 全 国 を 統 治 す る と と も に 江 戸 を 防 衛 す る た め に 、 ま た 、 や が て は 一 〇 〇 万 き 、 都 を 出 立 し て 九 州 へ 下 向 し た と き の 紀 行 文 と さ れ 、 陽 京 都 ー 山 崎 ー 芦 屋 ー 須 磨 ー 明 石 浦 か ら 備 前 に 入 っ と い う 江 戸 の 大 人 口 の 生 活 物 資 を 確 保 す る た め に 山 か が と か ら か わ び っ ち ゅ う て 、 香 登 ー 福 岡 ー 辛 川 へ 、 さ ら に 備 中 の 吉 備 津 宮 も 、 幕 府 は 江 戸 を 中 心 と す る 交 通 政 策 を 早 急 に 樹 立 れ や か げ ー 屋 蔭 ( 矢 掛 ) ー 尾 道 浦 か ら 糸 崎 ・ 厳 島 ・ 岩 国 を 経 し な け れ ば な ら な か っ た 。 か く し て 、 全 国 の 交 通 体 用 併 て 西 下 し て い る 。 貞 世 は 、 古 代 か ら の 官 道 に 沿 っ て 系 は 、 従 来 の 上 方 中 心 か ら 江 一 尸 中 心 へ 編 成 替 え さ れ 路 の 紀 行 だ け で は な く 、 香 登 ・ 福 岡 や 尾 道 な ど 、 官 道 て い く が 、 山 陽 道 の 地 位 も 必 然 的 に 低 下 す る こ と を 陸 か ら は ず れ て 「 中 々 名 高 き か た 」 や 、 「 面 白 き 所 」 免 れ な か っ た 。 を め ぐ り 歩 い て 風 物 を め で 、 各 地 の ポ イ ン ト を 上 手 2 江 戸 幕 府 の 交 通 政 策 は 、 関 ヶ 原 の 戦 ( 慶 張 ¯) 以 よ り ゆ き

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を こ ~ こ ド ~ 。 、 0 益 田 へ 見 ~ 安 。 。 や 0 日 0 5 ・ / 廿 ~ 国 、 つ 周 0 0 松 下 村 塾 ー ー - 松 陰 は 、 外 国 渡 航 の 失 敗 を 許 さ れ て 城 下 松 本 の 家 に 帰 り 、 松 下 村 塾 と 名 づ け て 子 弟 に 兵 書 を 講 し た 。 \ 福 山 0 、 竹 原 0 大 崎 上 島 ノ 伊 予 千 し 戸 を を 攻 撃 し て 、 長 州 側 は 大 き な 損 害 を こ う む っ た 。 当 る 。 高 杉 晋 作 が 止 戦 の た め の 講 和 使 節 に 任 命 さ れ た 9 美 江 割 し し ド ~ 」 よ う ま そ と う ぎ よ う み 時 、 高 杉 晋 作 込 = 九 ) は 、 髪 を 剃 り 東 行 と 号 し て の で あ る 。 彼 は 宍 戸 刑 馬 と 称 し て 藩 の 主 席 家 老 に な 氏 萩 臨 的 い 利 町 に 型 て 萩 の 松 下 村 に 幽 居 し て い た が 、 藩 庁 よ り 山 口 に 召 し り す ま し 、 イ ギ リ ス の 軍 艦 に 乗 り 移 っ て 講 和 の 条 約 毛 下 海 典 し 城 本 の 残 出 さ れ 、 下 関 防 衛 の こ と を 命 じ ら れ た の で あ る 。 高 を 結 ん だ 。 こ れ か ら の ち 、 攘 夷 は 転 じ て 開 国 に 変 わ の 日 代 に き 萩 石 い 時 今 杉 は こ こ で 藩 士 に よ る 正 規 兵 に 対 し 、 不 正 規 兵 = 奇 り 、 長 州 藩 は 急 速 に イ ギ リ ス に 接 近 し て い く の で あ 兵 隊 の 編 成 を 考 え る 。 奇 兵 隊 は 高 杉 み ず か ら が 総 督 る 。 と な り 、 武 士 ・ 庶 民 の 身 分 を え ら ば ず 、 有 志 を つ の 下 関 に は 、 前 面 の 海 峡 が 見 お ろ せ る と こ ろ に 、 壇 う ら っ て そ の 力 量 に よ っ て 待 遇 し た 。 そ し て 鉄 砲 、 と く ノ 浦 砲 台 跡 と 前 田 砲 台 跡 が あ る 。 と も に 四 国 艦 隊 一 も と ご め じ ゅ う に 最 新 式 の 元 込 銃 で 装 備 し た 精 強 な 歩 兵 軍 に 仕 立 七 隻 と 交 戦 し て 破 れ 、 占 拠 さ れ た と こ ろ で あ る 。 て あ げ た の で あ る 。 奇 兵 隊 の 成 立 に は 、 下 関 の 廻 船 な お 、 奇 兵 隊 の 創 始 者 高 杉 晋 作 は 、 第 二 次 長 州 戦 け い お う に よ る 多 額 争 の 最 中 に 結 核 を 重 く し 、 慶 応 三 年 (*IQS) 四 月 十 四 問 屋 で 豪 商 で あ る 白 石 正 一 郎 (Lä8 し ん ち ま ち の 資 金 援 助 が あ っ た 。 日 、 多 く の 人 々 に 惜 し ま れ な が ら 下 関 新 地 町 林 家 で こ れ か ら の ち 、 長 州 藩 で は 奇 兵 隊 に 見 習 い 、 藩 の 没 し た 。 二 十 九 歳 で あ っ た 。 遺 骸 は 奇 兵 隊 の 本 拠 で あ さ ぐ ん 下 関 よ り 約 一 一 〇 キ ロ 正 規 軍 と は 異 な っ た 各 種 の 諸 隊 が 結 成 さ れ た 。 そ し あ る 厚 狭 郡 吉 田 村 ( メ ー ト ル ほ ど 東 北 ) の 清 水 山 に 葬 ら て 諸 隊 が 攘 夷 ・ 内 戦 ・ 討 幕 の 中 心 力 と な る の で あ れ た 。 清 水 山 に は 高 杉 の 墓 と 、 そ の 墓 守 と し て 生 涯 ば い し ょ に と う ぎ よ う あ ん る 。 そ の な か で も 奇 兵 隊 の あ げ た 功 績 は き わ め て 大 を 終 わ っ た 側 室 梅 処 尼 ( う の ) の 東 行 庵 、 梅 処 尼 の き か っ た 。 墓 が あ る 。 げ ん じ 昭 和 五 十 二 年 に 放 送 さ れ た の テ レ ビ ド ラ マ 元 治 元 年 (*l( し 八 月 五 日 、 イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス ・ ア メ リ カ ・ オ ラ ン ダ の 四 国 連 合 艦 隊 は 、 前 年 に お け 『 花 神 』 で は 、 一 代 の 天 才 児 ら し く 自 由 奔 放 ・ 大 胆 る 攘 夷 の 報 復 と し て 下 関 の 長 州 藩 砲 台 を 砲 撃 し 、 軍 不 敵 に ふ る ま っ た 高 杉 晋 作 と 、 高 杉 に す べ て を 捧 げ 道 へ 隊 を 上 陸 さ せ て こ れ を 占 領 し 、 破 壊 し た 。 尽 く し て い た 芸 妓 上 が り の 愛 人 う の の 姿 が 映 し 出 さ 新 こ れ よ り さ き に 、 イ ギ リ ス に 留 学 し て い た 伊 藤 俊 れ て い た 。 二 人 は い ま も 長 州 路 吉 田 の 里 に 静 か に 眠 治 明 ひ ろ ぶ み も ん た か お る る っ て い る の で あ る 。 一 八 三 五 5 ) ま 、 輔 ( 博 文 、 贏 8 ¯) ・ 井 上 聞 多 ( 馨 、 一 九 一 五 む イ ギ リ ス の 新 聞 に 四 国 艦 隊 が 下 関 を 襲 撃 す る と 報 じ 煙 砲 長 州 戦 争 と 攘 夷 派 の 終 末 て い た の で 、 急 い で 帰 国 し 戦 後 の 処 理 に あ た る 。 伊 よ う ろ 9 4 藤 ・ 井 上 は 、 藩 の 要 路 を 説 い て 四 国 艦 隊 と 講 和 さ せ 人 類 最 初 の 経 験 で あ る 原 爆 の 洗 礼 を う け た 広 島 に だ ん