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検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

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聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 研 究 史 ー 書 紀 編 年 は 矛 盾 し て い る 紀 年 法 と 書 紀 研 究 と ね り 本 書 の 目 的 は 、 七 二 〇 ( 養 老 四 ) 年 に 舎 人 親 王 ( 六 七 六 5 七 三 五 年 ) に よ っ て 撰 上 さ れ た と さ れ る わ が 国 最 古 の 正 史 で あ る 『 日 本 書 紀 』 ( 『 日 本 紀 』 ) の 編 年 に 内 在 し て い る 一 二 〇 年 の 年 差 の あ る < 列 と 列 の 存 在 を ア プ ロ ー チ と し て 、 奈 良 時 代 の 出 来 事 が 、 飛 鳥 時 代 の 出 来 事 と し て 『 日 本 書 紀 』 ( 以 下 、 『 書 紀 』 と 略 す る 場 合 が あ り ま す ) に 投 影 さ れ て い る こ と を 論 証 し 、 聖 徳 太 子 や 法 隆 寺 再 建 の 謎 を 解 き 明 か す こ と に あ り ま す 。 そ の 前 提 条 件 と し て 、 ま ず 、 神 武 元 年 か ら 持 統 十 一 年 ま で の 書 紀 編 年 が ど の よ う な 仕 組 み と な っ て い る の か ( 書 紀 編 年 の 仕 組 み は 「 日 本 書 紀 紀 年 法 」 と 呼 称 さ れ て い ま す ) 、 そ し て 、 < 列 と 列 と は 、 い っ た い ど の よ う な 年 代 列 で あ る の か を 説 明 し な け れ ば な り ま せ ん 。 す な わ ち 、 << 列 と 列 の 仕 組 み が わ か ら な け れ ば 、 本 書 の 内 容 を 読 者 の 皆 様 に 十 分 に 理 解 し て い た だ け ま せ ん し 、 ま た 、 お 伝 え す る こ と が で き な い か ら で す 。 そ こ で 、 『 日 本 書 紀 』 の 成 立 以 来 、 紀 年 法 が 人 々 の 間 に ど の よ う に 意 識 さ れ て き た の か 、 研 究 史 を 辿 る こ と に よ っ て 、 ま ず は 概 観 し て お く こ と に し ま し よ う 。

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【 第 一 章 】 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 間 題 ー 列

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【 第 ニ 章 】 『 日 本 書 紀 』 成 立 年 の 謎

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差 は 一 二 〇 年 と な り ま す ( 581 ー 461 Ⅱ 120 ) 。 神 武 元 を 紀 元 前 六 六 〇 年 に 位 置 づ け る 書 紀 編 年 と 一 致 し て い る の 列 で す の で 、 書 紀 編 年 に は 、 こ と は 一 二 〇 年 ズ レ る も う 一 本 の 「 年 代 列 (< 列 ) 」 が 潜 在 し て い る と い う 言 い 方 も で き る か も し れ ま せ ん 。 本 章 で は 、 列 と 列 に つ い て 説 明 し ま し た が 、 こ の よ う に 、 書 紀 編 年 に は 、 列 と 列 と い う 実 年 代 ( 西 暦 ) と の 対 照 関 係 に お い て 一 二 〇 年 の ズ レ の あ る 二 本 の 「 年 代 列 , が 存 在 し て い る こ と に 、 読 者 の 皆 様 の ご 理 解 が い た だ け た の で は な い か と 思 い ま す 。 そ れ で は 、 こ の 一 二 〇 年 ズ レ る < 列 と 列 は 、 書 紀 編 年 の 構 想 に お い て 、 ど の よ う な 意 味 を も っ て い る の で し よ う か 。 次 章 で は 、 書 紀 編 年 上 に お け る 列 と 列 の 存 在 意 義 に つ い て 見 て ゆ き た い と 思 い ま す 。 め 第 一 章 「 日 本 書 紀 』 の 編 年 問 題

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第 一 章 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 間 題 ー ー < 列 と 列 1 書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 研 究 史 ー ー 書 紀 裾 年 は 矛 盾 し て い る 2 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 は 一 二 〇 年 ズ レ て い る ろ 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 は 多 列 構 造 て あ る 第 一 一 章 『 日 本 書 紀 』 成 立 年 の 謎 1 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 と 讖 緯 暦 運 説 2 『 日 本 書 紀 』 の 成 立 年 と 列 推 古 九 年 ー ー ・ な ぜ 第 ニ の 蔀 の 首 は 推 古 九 年 で あ る の か 4 『 日 本 書 紀 』 と 『 続 日 本 紀 』 の 称 元 法 第 三 章 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 偽 造 説 と 『 釈 迦 一 一 一 尊 像 光 背 銘 文 』 偽 造 説 1 法 隆 寺 金 堂 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 偽 造 説 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 の 登 場 人 物 の 比 定 プ ロ ロ ー グ

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こ の よ う に 、 『 日 本 書 紀 』 が 活 字 と な っ て 広 く 普 及 さ 蔵 文 れ る に し た が っ て 、 こ れ を 手 に し た 儒 学 者 や 国 学 者 の 間 , 民 觜 え 火 5 え 望 を 手 色 な 、 閣 み 経 か ら 『 書 紀 』 の 編 年 は 疑 わ し い の で は な い か 、 と い う 指 う 痴 叟 す 、 孫 色 尺 史 衂 尊 ( 会 摘 が な さ れ て く る よ う に な り ま す 。 拙 著 『 日 本 書 紀 の 真 田 え 崩 時 え 争 も ル 子 強 廴 : 育 実 , ー ー 紀 年 論 を 解 く 』 を す で に お 読 み に な っ た 読 者 の 皆 島 人 , を 市 の 物 心 第 第 廴 え 丁 一 偂 様 は 、 書 紀 紀 年 法 に お い て 所 見 さ れ る 矛 盾 が 、 具 体 的 に , 寒 良 の 。 ・ 夭 下 第 个 色 、 、 、 末 ど の 部 分 に お い て ど の よ う に 認 識 さ れ て く る の か を ご 存 ム 歌 、 何 み 並 住 ま キ え 上 な 頭 知 か と 思 い ま す が 、 書 紀 編 年 に は 、 紀 年 と 実 年 代 と の 関 、 ) , 【 , 、 ~ 氛 灰 」 寺 4 区 れ 、 を 」 を を 」 係 に お い て 、 常 識 的 に 見 て 、 編 年 は 史 実 に も と づ い て い テ 下 攵 ル 。 心 4 多 、 忝 ル オ 紀 皇 な い の で は な い か 、 と 疑 問 視 せ ざ る を え な い よ う な い く 問 の 々 時 化 以 引 入 ・ 桑 乢 ャ 第 、 天 編 入 ル え ル み 螽 死 民 丸 刈 、 女 ・ ( 仁 つ か の 矛 盾 が 内 包 さ れ て い ま す 。 の 曻 も オ ( 一 ( を れ と 丸 民 え 十 書 巻 歴 代 天 皇 の 在 位 年 数 の 数 字 と 神 功 紀 の 年 代 的 矛 盾 本 賦 ミ を 華 翹 町 窮 , 丁 ん 珂 第 本 こ こ で 、 最 も わ か り や す い 二 つ の 例 を あ げ て み ま し ょ 「 章 へ ネ 奪 一 一 大 子 月 番 人 望 崩 ト ャ 尹 「 前 こ う あ ん 第 書 表 — ー 1 を ご 覧 い た だ け ば わ か り ま す よ う に 、 孝 安 天 す い に ん 第 田 皇 の 在 位 年 数 ( 紀 年 数 ) の 一 〇 二 年 や 垂 仁 天 皇 の 在 位 年

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れ 『 日 本 書 紀 』 と い う 書 名 で 成 立 す る の で す が 、 さ ら に 元 正 太 上 天 皇 の 崩 御 を 受 け て 、 七 四 八 年 に 再 度 改 編 さ れ た と い う 経 緯 を 描 く こ と も で き ま す 。 こ こ で 、 改 編 さ れ た 時 期 に つ き ま し て は 七 四 八 年 以 降 と 確 定 す る こ と は 困 難 で す し 、 ま た 、 元 正 太 上 天 皇 の 崩 年 と 「 < 列 上 の 推 古 三 十 六 年 」 が 一 致 す る こ と は 偶 然 か も し れ ま せ ん が 、 改 編 作 業 が 奈 良 時 代 の 政 治 史 を 反 映 し な が ら 行 な わ れ た と い う 可 能 生 は 、 指 摘 で き る の で は な い か と 思 い ま す 。 ま た 暫 く の 間 は 、 『 日 本 紀 』 と 『 日 本 書 紀 』 と は 並 存 し て い た の か も し れ ま せ ん 。 ー ー 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 』 論 在 実 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 」 の 偽 作 説 在 実 前 節 に お き ま し て 、 列 と 列 を 媒 八 と し て 、 『 書 紀 』 の 聖 徳 太 子 に は 飛 鳥 時 代 の 人 物 と 奈 良 時 子 代 の 人 物 が 重 な っ て 投 影 さ れ て い る と う 考 え 方 を 提 起 い た し ま し た 。 そ れ で は 、 「 推 古 朝 遺 文 , 徳 聖 に お い て は ど う で し よ う か 。 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 だ け で は 、 到 底 、 読 者 の 皆 様 は 納 得 な さ ら な 章 い の で は な い で し よ う か 。 そ こ で 次 に 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 争 に お い て も 主 要 な 論 争 点 と な っ 五 て き ま し た 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 』 に つ い て 、 検 証 を 加 え て み た い と 思 い ま す ( 以 下 、 『 天 寿 国 繍 帳 』 と 略 し ま す ) 。 8 し ) 月

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図 I ー 1 神 功 紀 の 年 代 的 位 置 づ け に お け る 矛 盾 ( 表 I ー 2 と 表 I ー 3 と の 間 の 矛 盾 ) 数 の 九 九 年 、 神 武 天 皇 の 享 年 の 一 二 七 年 や 垂 仁 天 皇 の 享 年 の 一 四 〇 年 な ど 、 一 代 の 在 位 年 数 や 享 年 と し て は 長 す ぎ る 数 字 と な っ て い ま す 。 こ の こ と は 、 『 書 紀 』 を 一 読 し た 者 に と っ て 、 ま ず も っ て 明 ら か に 意 識 さ れ て く る 日 本 書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 大 き な 問 題 点 の 一 つ と な っ て い ま す 。 も う 一 つ は 、 表 — ー 2 と 表 — ー 3 に 示 し ま し た よ う に 、 巻 九 神 功 紀 に お い て 、 書 紀 編 年 と 実 年 代 と の 関 係 が 明 ら か に 不 整 合 を き た し て い る こ と で す 。 — ー 2 に 示 し ま す よ う に 、 三 世 紀 中 国 の 三 国 鼎 神 功 紀 に は 、 表 り つ 立 時 代 の 歴 史 を 録 し た 中 国 正 史 の 『 三 国 志 』 「 魏 書 」 、 な ら び に き き ょ ち ゅ う 『 晋 書 』 「 起 居 注 」 か ら 直 接 引 用 し た 文 が 載 せ ら れ て い ま す 。 一 方 、 表 — ー 3 を ご 覧 に な れ ば わ か り ま す よ う に 、 神 功 紀 に は 四 世 紀 後 半 代 の 百 済 王 の 即 位 と 薨 年 に 関 す る 記 述 も 記 載 さ れ て い ま す 。 の 「 紀 年 数 ー の 欄 に 示 し ま し た よ う に 、 巻 九 神 功 紀 の 紀 年 は 六 九 年 間 で す の で 、 表 — ー ー 1 冖 に 」 9 ゝ 2 と 表 — ー 3 を 実 年 代 上 に 位 置 づ け て 対 照 さ せ ま す と 、 図 し て 概 念 図 化 し た よ う な 矛 盾 が 発 生 し て い る こ と に な り ま す 。 神 功 39 年 神 功 69 年 一 一 -- - ・ ・ 亘 -- - ー 神 功 元 年 神 功 55 年 神 功 69 年 239 年 69 年 表 I ー 3 に も と づ く 紀 年 と 実 年 代 と の 対 照 関 係 表 I ー 2 に も と づ く 紀 年 と 実 年 代 と の 対 照 関 係 321 年 ・ 375 年 389 年 189 年 69 年 じ ん む 8

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ゆ い い っ し ん と う 『 日 本 書 紀 』 は 、 中 世 ま で は 朝 廷 、 も し く は 唯 一 神 道 な ど の 神 道 界 の 一 部 の 識 者 の 間 に お い て の み 書 写 さ れ 、 研 究 さ れ る 程 度 で し た 。 し や く に ほ ん ぎ う ら べ か ね か た 『 釈 日 本 紀 』 三 八 巻 ・ 目 録 一 巻 ) と い う 、 鎌 倉 時 代 に ト 部 兼 方 に よ っ て ま と め ら れ た 『 書 紀 』 の 講 義 録 が あ り ま す が 、 こ れ に よ り ま す と 、 『 書 紀 』 が 成 立 し た 翌 年 の 七 二 一 ( 養 老 五 ) 年 の 講 書 を お お の あ そ ん ひ と な が す が の の あ そ ん た か と し 初 め と し て 、 八 一 二 ( 弘 仁 一 一 l) 年 に 多 朝 臣 人 長 、 八 三 九 ( 承 和 六 ) 年 に 散 位 菅 野 朝 臣 高 年 、 八 七 八 い よ の か み よ し ち の あ そ ん ち か な り だ い が く の か み ふ じ わ ら の あ そ ん ( 元 慶 一 l) 年 に 伊 予 介 善 淵 朝 臣 愛 成 、 九 〇 四 ( 延 喜 四 ) 年 に 従 五 位 下 大 学 頭 藤 原 朝 臣 春 海 、 九 三 六 や た べ の す く ね き ん も ち ( 承 平 六 ) 年 に 従 五 位 下 紀 伊 権 介 矢 田 部 宿 禰 公 望 、 お よ び 九 六 五 ( 康 保 一 D 年 に 摂 津 守 橘 朝 臣 仲 遠 を そ れ ぞ れ 博 士 と し て 、 計 七 回 、 朝 廷 に お い て 講 書 が 開 か れ て い た こ と が わ か り ま す 。 「 日 本 紀 私 記 」 と し て 講 書 ご と の 講 義 録 も あ っ た よ う で す が 、 現 存 す る 「 日 本 書 紀 私 記 」 は 、 『 弘 仁 私 記 』 三 巻 を 中 心 に 「 甲 本 」 「 乙 本 」 「 丙 本 」 「 丁 本 ー に よ る 残 欠 の み と な っ て い ま す 。 さ て 、 『 釈 日 本 紀 』 や 「 日 本 書 紀 私 記 」 の 内 容 を 見 て み ま す と 、 『 書 紀 』 の 漢 文 体 の 文 章 に 用 い ら 編 れ て い る 語 句 に 対 応 す る 音 韻 訓 や 用 語 の 説 明 が 大 部 分 を 占 め て お り 、 紀 年 法 に つ い て の 問 答 の 記 録 は あ り ま せ ん 。 こ の こ と か ら 、 講 師 や 受 講 生 の 間 に お い て 、 『 書 紀 』 の 紀 年 法 に 問 題 が あ る こ と は 認 識 さ れ て い な か っ た の で は な い か 、 も し く は 、 拙 著 『 日 本 書 紀 の 真 実 ー ー 紀 年 論 を 解 く 』 に お い て 提 起 し て お り ま す 紀 年 法 の 仕 組 み は 、 当 時 は 既 知 の 事 実 で あ り 、 と り た て て 議 論 す る 必 要 の な い 議 題 で は な か っ た か と 想 像 さ れ る こ と に な り ま す 。 お そ ら く は 、 『 書 紀 』 を め ぐ る 紀 年 法 の 問 題 は 、 解 明 せ ね ば な ら な い 課 題 と し て 深 刻 に は 受 け と

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踰 年 称 元 法 と 当 年 称 元 法 ま た 、 本 論 を 進 め る 前 提 条 件 と し て 、 『 日 本 書 紀 』 と 『 続 日 本 紀 』 に お い て は 、 い わ ば 「 編 年 の し よ 、 つ リ ん ほ う 」 と を 解 し て お か ね ば な り ま せ 法 則 」 、 す な わ ち 称 元 法 に お い て 相 一 、 持 統 十 一 年 ま で ) 歴 史 的 事 象 を 収 録 す る 史 書 と し て 、 鳥 時 代 事 柄 は 『 日 本 書 紀 申 謎 の ( 文 武 元 年 よ り 延 暦 十 年 ま で ) に お い て 扱 わ れ て い 年 ま す 。 こ の た め 、 両 書 の 編 年 に お け る 称 元 法 の 相 違 は 、 本 書 の よ う に 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 と の 相 関 立 関 係 を 年 代 的 に 比 較 す る と い う 研 究 方 法 を 採 る に 際 し て 、 ま ず も っ て 確 認 し て お か ね ば な ら な い こ 紀 書 と で す 。 本 日 ー 2 に 示 す よ う に 、 『 書 紀 』 は 踰 年 称 元 法 ( 踰 年 称 元 法 パ タ ー ン 1 ・ パ タ ー ン 2 ) に よ っ て 編 年 さ れ て い ま す 。 踰 年 称 元 法 と は 、 通 常 、 図 Ⅱ ー 2 に お い て 踰 年 称 元 法 パ タ ー ン 1 と し て 示 し た よ 二 第 う な 帝 の 崩 の 翌 年 次 の 元 年 と 位 置 づ け て 編 年 す る 方 法 で す が 『 書 紀 』 で は 、 踰 年 法 パ タ 1 ン 2 と い う 法 が 採 ら れ る 場 合 も あ り ま す 。 一 方 、 『 続 日 本 紀 』 は 、 次 帝 の 即 位 年 を 次 帝 の 元 年 と 認 識 さ れ る ほ ど ま で に な ぜ に 重 要 で あ る の か は 、 第 五 章 に お い て 明 ら か と さ れ ま す 。 『 日 本 書 紀 』 と 『 続 日 本 紀 』 の 称 元 法 ・ 4 ゅ ね ん