検索 - みる会図書館

検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代から 267件ヒットしました。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 研 究 史 ー 書 紀 編 年 は 矛 盾 し て い る 紀 年 法 と 書 紀 研 究 と ね り 本 書 の 目 的 は 、 七 二 〇 ( 養 老 四 ) 年 に 舎 人 親 王 ( 六 七 六 5 七 三 五 年 ) に よ っ て 撰 上 さ れ た と さ れ る わ が 国 最 古 の 正 史 で あ る 『 日 本 書 紀 』 ( 『 日 本 紀 』 ) の 編 年 に 内 在 し て い る 一 二 〇 年 の 年 差 の あ る < 列 と 列 の 存 在 を ア プ ロ ー チ と し て 、 奈 良 時 代 の 出 来 事 が 、 飛 鳥 時 代 の 出 来 事 と し て 『 日 本 書 紀 』 ( 以 下 、 『 書 紀 』 と 略 す る 場 合 が あ り ま す ) に 投 影 さ れ て い る こ と を 論 証 し 、 聖 徳 太 子 や 法 隆 寺 再 建 の 謎 を 解 き 明 か す こ と に あ り ま す 。 そ の 前 提 条 件 と し て 、 ま ず 、 神 武 元 年 か ら 持 統 十 一 年 ま で の 書 紀 編 年 が ど の よ う な 仕 組 み と な っ て い る の か ( 書 紀 編 年 の 仕 組 み は 「 日 本 書 紀 紀 年 法 」 と 呼 称 さ れ て い ま す ) 、 そ し て 、 < 列 と 列 と は 、 い っ た い ど の よ う な 年 代 列 で あ る の か を 説 明 し な け れ ば な り ま せ ん 。 す な わ ち 、 << 列 と 列 の 仕 組 み が わ か ら な け れ ば 、 本 書 の 内 容 を 読 者 の 皆 様 に 十 分 に 理 解 し て い た だ け ま せ ん し 、 ま た 、 お 伝 え す る こ と が で き な い か ら で す 。 そ こ で 、 『 日 本 書 紀 』 の 成 立 以 来 、 紀 年 法 が 人 々 の 間 に ど の よ う に 意 識 さ れ て き た の か 、 研 究 史 を 辿 る こ と に よ っ て 、 ま ず は 概 観 し て お く こ と に し ま し よ う 。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


さ れ た 可 能 性 も あ り ま す 。 四 、 「 日 本 紀 私 記 」 ( 甲 本 ) の 「 弘 仁 私 記 」 に は 、 現 存 『 日 本 書 紀 』 に は 存 在 し な い 語 句 が 約 八 〇 個 記 さ れ て あ り 、 七 二 一 年 に 講 書 の 対 象 と な っ た 『 日 本 紀 』 が 、 現 存 『 日 本 書 紀 』 と は 異 な る も の で あ っ た 可 能 性 が 示 さ れ て い ま す 。 す な わ ち 、 七 二 〇 年 の 養 老 四 年 に 成 立 し て い た 『 日 本 紀 』 は 、 遅 く と も 八 一 三 ( 弘 仁 四 ) 年 ま で に は 、 『 日 本 書 紀 』 と す る 書 名 の 史 書 と し て 完 成 さ れ て い た と 考 え ら れ 、 こ れ が 現 存 『 日 本 書 紀 』 と し て 今 日 ま で 伝 わ っ た と 推 察 さ れ ま す 。 五 、 『 書 紀 』 の 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 」 が 、 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) を 意 味 し て い る の な ら ば 、 『 日 本 紀 』 は 首 皇 子 が 皇 太 子 位 に あ っ た 時 期 に 編 纂 さ れ た と 考 え ら れ ま す 。 表 ー 2 に 示 し ま し た よ う に 、 首 皇 子 が 皇 太 子 位 に あ っ た の は 七 一 四 ( 和 銅 七 ) 年 か ら 七 二 四 ( 神 亀 元 ) 年 ま で で す 。 『 日 本 紀 』 は 、 こ の 一 〇 年 間 に 成 立 し た と 考 え ら れ ま す の で 、 七 二 〇 年 と す る 『 続 日 本 紀 』 の 記 述 に は 信 憑 性 を 認 め ら れ ま す 。 し た が っ て 、 仮 に 推 古 天 皇 が 元 正 天 皇 を モ デ ル と し て い る の な ら ば 、 『 日 本 紀 』 は 七 二 〇 年 に 成 立 し た こ と は 確 か で あ る も の の 、 七 二 〇 年 以 降 に 改 編 さ れ て 『 日 本 書 紀 』 と し て 成 立 し た と 考 え ら れ ま す 。 以 上 の 五 点 か ら 、 『 日 本 紀 』 は 七 二 〇 ( 養 老 四 ) 年 に 現 存 『 日 本 書 紀 』 と 大 き く は 異 な ら な い 内 容 に お い て 撰 上 さ れ た の で す が 、 そ の 後 、 推 古 紀 の 編 年 を 中 心 に 、 多 少 の 加 筆 ・ 修 正 が 加 え ら れ た の で は な い か 、 と 考 え ら れ ま す 。 た と え ば 、 七 二 〇 年 に 撰 上 さ れ た 『 日 本 紀 』 は 七 四 〇 年 に 改 編 さ 2 10

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


法 興 一 一 一 十 一 年 の 間 題 ー 『 先 代 旧 事 本 紀 』 の 編 年 か ら 推 古 ニ 十 九 年 を 末 年 と す る 「 旧 事 本 紀 」 編 年 「 法 興 三 十 一 年 」 が 「 推 古 二 十 九 年 」 に 相 当 す る こ と に 着 目 し 、 「 法 興 」 年 号 と 『 書 紀 』 と の 関 係 三 せ ん だ い く じ ほ ん ぎ の 問 題 を 、 ま ず は 、 『 先 代 旧 事 本 紀 』 の 編 年 問 題 か ら 考 察 を 加 え て ゆ き た い と 思 い ま す ( 以 下 、 『 旧 事 本 紀 』 と 略 し ま す ) 。 一 見 な ん ら 関 連 が な い よ う に 思 わ れ る 『 書 紀 』 と 「 法 興 」 年 号 と の 関 係 は 、 『 旧 事 本 紀 』 を ア プ ロ ー チ と す れ ば 、 な ん ら か の 解 決 の 糸 口 を 見 つ け る こ と が で き る か も し れ ま せ 『 旧 事 本 紀 』 と は 、 神 代 か ら 聖 徳 太 子 の 死 去 ま で を 記 し た 史 書 で 、 巻 一 「 神 代 本 紀 ・ 陰 陽 本 紀 」 、 巻 二 「 神 祇 本 紀 」 、 巻 三 「 天 祇 本 紀 」 、 巻 四 「 地 祇 本 紀 、 巻 五 「 天 孫 本 紀 」 、 巻 六 「 皇 孫 本 紀 」 、 巻 七 「 天 皇 本 紀 」 、 巻 八 「 神 皇 本 紀 」 、 巻 九 「 帝 皇 本 紀 」 、 巻 十 「 国 造 本 紀 」 の 計 一 〇 巻 に よ っ て 構 成 師 さ れ て い ま す 。 『 旧 事 本 紀 』 の 成 立 時 期 を め ぐ っ て は 、 序 文 に お い て 「 推 古 二 十 八 年 」 の 六 二 〇 年 に 厩 戸 豊 聡 耳 三 そ が の う ま こ の す く ね こ ・ こ し ゅ う い 皇 子 ( 聖 徳 太 子 ) と 大 臣 蘇 我 馬 子 宿 禰 に よ っ て 撰 録 さ れ た と 記 さ れ て は い ま す が 、 『 古 語 拾 遺 』 の 文 を 引 用 連 綴 し て い る と こ ろ か ら 『 古 語 拾 遺 』 の 成 立 し た 八 〇 七 ( 大 同 一 l) 年 以 降 、 九 世 紀 後 半 頃

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


イ ろ あ ~ レ 6 鱸 表 I ー 4 「 日 本 書 紀 』 に お け る A 列 と B 列 の 関 係 実 年 代 ( 西 暦 ) 干 支 日 本 書 紀 の 編 年 A 列 神 武 元 年 B. C. 660 辛 酉 年 列 元 武 神 神 功 69 年 仁 徳 77 年 応 神 元 年 仁 徳 78 年 仁 徳 77 年 仁 徳 78 年 389 年 己 丑 390 年 庚 寅 仁 徳 28 年 雄 略 4 年 仁 徳 29 年 雄 略 5 年 雄 略 4 年 雄 略 5 年 460 年 庚 子 461 年 辛 丑 る て し 年 致 持 年 の 複 数 の 年 代 列 6 紀 達 2 研 究 史 上 さ ま ざ ま な 議 論 を も た ら し て き た 書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 困 難 な 課 題 に 対 し て 、 合 理 的 ・ 論 理 的 默 默 答 え を 提 示 す べ く 、 私 は 二 〇 〇 三 ( 平 成 十 五 ) 年 に 年 1 亠 と と 『 日 本 書 紀 の 真 実 ー ー 紀 年 論 を 解 く 』 を 著 わ し ま し 題 持 年 年 こ 。 し て 、 『 書 紀 』 の 紀 年 は 、 神 武 元 年 の 年 基 基 紀 元 前 六 六 〇 か ら 持 統 十 一 年 六 九 七 ま で を 一 編 を を 酉 続 き と る 一 本 の 年 代 列 に よ っ て 構 成 さ れ て い る わ 己 都 け で は な く 、 複 数 の 「 年 代 列 」 、 す な わ ち 列 ・ 本 日 年 年 年 列 ・ O 列 ・ 列 に よ っ て 構 成 さ れ て い る こ と を 明 ら 7 元 五 章 神 略 か に し て い ま す ( 拙 著 に お い て は 、 便 宜 上 「 列 」 第 列 列 「 列 」 「 o 列 ー 「 列 」 と 呼 称 し て お り 、 本 書 で も 、 列 列 と す る 呼 称 を 用 い ま す が 、 「 応 神 列 〈 << 列 〉 」 ー ー 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 は 多 列 構 造 で あ る

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


七 ニ 0 年 以 降 に 改 編 さ れ た 「 日 本 書 紀 』 こ れ ら の 三 つ の 仮 説 の う ち 、 私 見 と し ま し て は 、 第 二 、 も し く は 、 第 三 の 仮 説 に 蓋 然 性 と 妥 当 性 が 認 め ら れ ま す 。 そ の 理 由 は 以 下 に よ り ま す 。 一 、 『 続 日 本 紀 』 に お い て は 、 「 『 日 本 紀 』 巻 三 十 系 図 一 巻 」 と 表 記 さ れ て お り ま す よ う に 、 現 存 『 日 本 書 紀 』 と は 書 名 を 異 に し て い ま す 。 『 日 本 紀 』 と 『 日 本 書 紀 』 と を 同 じ 書 で あ る と 見 做 す 確 た る 証 拠 は あ り ま せ ん 。 拙 著 『 「 記 紀 」 は い か に し て 成 立 し た か 「 天 」 の 史 書 と 「 地 」 の 史 書 』 に お い て も 、 七 二 〇 年 に 『 日 本 紀 』 が 撰 修 さ れ た 後 に 、 多 少 改 編 さ れ て 『 日 本 書 紀 』 論 在 実 は 成 立 し た と す る 見 解 を 述 べ て い ま す 。 お お の あ そ ん や す ま ろ 二 、 『 釈 日 本 紀 』 や 「 日 本 紀 私 記 」 に は 、 七 二 一 ( 養 老 五 ) 年 に 太 朝 臣 安 万 侶 を 博 士 と し て 、 朝 在 廷 に お い て 『 書 紀 』 の 講 義 が 行 な わ れ た と 記 さ れ て い ま す 。 七 二 一 年 に 講 義 が 行 な わ れ て い た 子 と い う こ と が 事 実 で し た な ら ば 、 『 日 本 紀 』 が 七 二 〇 年 に 成 立 し た と す る 『 続 日 本 紀 』 の 記 述 徳 聖 に は 信 憑 性 が 認 め ら れ ま す 。 章 三 、 『 日 本 書 紀 』 と す る 書 名 が 初 見 さ れ る の は 、 七 四 〇 ( 天 平 十 一 l) 年 に 成 立 し た 律 令 の 令 の 注 五 9. 釈 書 で あ る 「 古 記 」 の 引 用 文 で あ る こ と か ら 、 遅 く と も 七 四 〇 年 ま で に は 、 養 老 の 『 日 本 紀 』 0 2 を 多 少 改 編 し て 『 日 本 書 紀 』 は 成 立 し て い た と 考 え ら れ ま す 。 ま た 、 七 四 〇 年 以 降 に 再 び 改 編

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


し ん ぶ く じ ぼ ん 以 上 の 二 つ の 例 を あ げ ま し た が 、 こ の ほ か に も 、 『 古 事 記 』 最 古 の 写 本 で あ る 真 福 寺 本 『 古 事 記 』 ぶ ん ち ゅ う ほ う ね ん か ん し に 干 支 紀 年 法 に よ っ て 付 記 さ れ る 歴 代 天 皇 一 五 代 の 崩 年 ( 分 注 崩 年 干 支 ) 、 な ら び に 『 宋 書 』 『 南 斉 書 』 『 梁 書 』 『 南 史 』 な ど の 中 国 史 料 に 記 載 さ れ る 賛 ( 讃 ) ・ 珍 ( 弥 ) ・ 済 ・ 興 ・ 武 の い わ ゆ る 「 倭 の 五 王 」 の 遣 使 の 年 代 な ど と の 不 整 合 の 問 題 が あ り ま す 。 『 書 紀 』 に は 、 本 書 の テ ー マ と な る 編 年 問 題 が あ る こ と は 、 『 書 紀 』 の 刊 行 を と お し て 、 江 戸 時 代 初 頭 と な っ て よ う や く 人 々 の 間 に 問 題 と し て 認 識 さ れ て く る よ う に な っ た の で す 。 紀 年 論 と 紀 年 論 争 そ こ で 、 書 紀 編 年 の 問 題 が 認 識 さ れ る よ う に な っ て 以 降 、 す な わ ち 江 戸 時 代 初 頭 以 降 、 書 紀 紀 年 題 法 を め ぐ っ て 具 体 的 に ど の よ う な 議 論 が あ っ た の か を 、 以 下 に 見 て ゆ く こ と に し ま し よ う 。 あ ら い は く せ き 年 ま ず 、 幕 政 に も 参 画 し た 儒 者 の 新 井 白 石 ( 一 六 五 七 5 一 七 二 五 年 ) は い ち 早 く 、 中 国 の 諸 文 献 や 編 『 東 国 通 鑑 』 な ど の 海 外 史 料 と 『 書 紀 』 の 記 述 内 容 と を 比 較 し て 、 紀 年 が 疑 わ し い こ と を 指 摘 し て こ し つ う わ く も ん い ま す 。 白 石 は 『 古 史 通 或 問 』 に お い て 「 も し 日 本 紀 に 見 え し 所 に よ ら む に は 、 彼 歴 代 の 史 に 見 え 本 日 し 所 は こ と ご と く 皆 誤 れ る な り 」 と 述 べ て 、 中 国 史 書 に 見 え な い 『 書 紀 』 の 記 述 は 皆 誤 り で は な い も と お り の り な が 章 か と 『 書 紀 』 へ の 不 信 を 表 わ し て い ま す 。 ま た 、 国 学 者 の 本 居 宣 長 ( 一 七 三 〇 5 一 八 〇 一 年 ) も 、 第 『 書 紀 』 の 紀 年 と 実 年 代 と の 対 照 関 係 は 整 合 性 が 保 た れ て い な い こ と を 、 さ ま ざ ま な 事 例 を 引 い て 9. ば ん の ぶ と も 主 張 し ま す 。 そ し て 、 江 戸 後 期 の 国 学 者 で あ り 、 本 居 宣 長 没 後 門 人 の 伴 信 友 ( 一 七 七 三 5 一 八 四 六

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


差 は 一 二 〇 年 と な り ま す ( 581 ー 461 Ⅱ 120 ) 。 神 武 元 を 紀 元 前 六 六 〇 年 に 位 置 づ け る 書 紀 編 年 と 一 致 し て い る の 列 で す の で 、 書 紀 編 年 に は 、 こ と は 一 二 〇 年 ズ レ る も う 一 本 の 「 年 代 列 (< 列 ) 」 が 潜 在 し て い る と い う 言 い 方 も で き る か も し れ ま せ ん 。 本 章 で は 、 列 と 列 に つ い て 説 明 し ま し た が 、 こ の よ う に 、 書 紀 編 年 に は 、 列 と 列 と い う 実 年 代 ( 西 暦 ) と の 対 照 関 係 に お い て 一 二 〇 年 の ズ レ の あ る 二 本 の 「 年 代 列 , が 存 在 し て い る こ と に 、 読 者 の 皆 様 の ご 理 解 が い た だ け た の で は な い か と 思 い ま す 。 そ れ で は 、 こ の 一 二 〇 年 ズ レ る < 列 と 列 は 、 書 紀 編 年 の 構 想 に お い て 、 ど の よ う な 意 味 を も っ て い る の で し よ う か 。 次 章 で は 、 書 紀 編 年 上 に お け る 列 と 列 の 存 在 意 義 に つ い て 見 て ゆ き た い と 思 い ま す 。 め 第 一 章 「 日 本 書 紀 』 の 編 年 問 題

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


を 用 い て 論 争 に 参 加 し て い ま す 。 矛 盾 点 の 整 理 こ の よ う に 、 江 戸 時 代 か ら 明 治 時 代 に か け て 、 書 紀 紀 年 法 を め ぐ っ て は 活 発 な 議 論 が 交 わ さ れ て き ま し た 。 そ し て 、 こ の よ う な 紀 年 法 を め ぐ る 研 究 史 は 、 紀 年 法 が 未 解 決 の 問 題 で あ る こ と を 如 実 そ う き ち に 示 し て い ま す 。 書 紀 紀 年 法 を め ぐ る 状 況 は 、 津 田 左 右 吉 氏 ( 一 八 七 三 一 九 六 一 年 ) が 『 日 本 上 代 史 の 研 究 』 ( 一 九 四 七 年 ) に お い て 述 べ た 「 書 紀 に は 年 代 が 明 細 に 記 し て あ る が 、 此 の 紀 年 が 歴 史 的 事 実 で な い こ と は 、 今 さ ら い ふ ま で も な い 学 界 の 定 説 で あ る 」 と い う 文 言 に 端 的 に 表 現 さ れ て い る と 旨 ロ っ て よ い で し よ う 。 そ こ で 、 上 述 し て き ま し た 研 究 史 を 踏 ま え て 、 書 紀 紀 年 法 に 対 す る 疑 義 を ま と め て み ま す と 、 以 下 の 三 つ の 点 に 、 論 点 を 集 約 す る こ と が で き る よ う で す 。 一 、 巻 九 神 功 紀 に 見 ら れ る 年 代 的 不 整 合 ( 図 — ー 1 参 照 ) 二 、 国 内 外 の 諸 史 料 と 巻 十 応 神 紀 以 降 の 歴 代 天 皇 の 在 位 期 間 と の 不 整 合 三 、 歴 代 天 皇 の 在 位 年 数 ( 紀 年 数 ) や 享 年 に お け る 非 現 実 的 数 字 ( 表 — ー 1 参 照 ) こ れ ら の 三 点 の 具 体 的 内 容 に つ い て は 、 第 一 点 と 第 三 点 と は 概 略 を 前 述 し て あ り ま す が 、 さ ら に

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


踰 年 称 元 法 と 当 年 称 元 法 ま た 、 本 論 を 進 め る 前 提 条 件 と し て 、 『 日 本 書 紀 』 と 『 続 日 本 紀 』 に お い て は 、 い わ ば 「 編 年 の し よ 、 つ リ ん ほ う 」 と を 解 し て お か ね ば な り ま せ 法 則 」 、 す な わ ち 称 元 法 に お い て 相 一 、 持 統 十 一 年 ま で ) 歴 史 的 事 象 を 収 録 す る 史 書 と し て 、 鳥 時 代 事 柄 は 『 日 本 書 紀 申 謎 の ( 文 武 元 年 よ り 延 暦 十 年 ま で ) に お い て 扱 わ れ て い 年 ま す 。 こ の た め 、 両 書 の 編 年 に お け る 称 元 法 の 相 違 は 、 本 書 の よ う に 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 と の 相 関 立 関 係 を 年 代 的 に 比 較 す る と い う 研 究 方 法 を 採 る に 際 し て 、 ま ず も っ て 確 認 し て お か ね ば な ら な い こ 紀 書 と で す 。 本 日 ー 2 に 示 す よ う に 、 『 書 紀 』 は 踰 年 称 元 法 ( 踰 年 称 元 法 パ タ ー ン 1 ・ パ タ ー ン 2 ) に よ っ て 編 年 さ れ て い ま す 。 踰 年 称 元 法 と は 、 通 常 、 図 Ⅱ ー 2 に お い て 踰 年 称 元 法 パ タ ー ン 1 と し て 示 し た よ 二 第 う な 帝 の 崩 の 翌 年 次 の 元 年 と 位 置 づ け て 編 年 す る 方 法 で す が 『 書 紀 』 で は 、 踰 年 法 パ タ 1 ン 2 と い う 法 が 採 ら れ る 場 合 も あ り ま す 。 一 方 、 『 続 日 本 紀 』 は 、 次 帝 の 即 位 年 を 次 帝 の 元 年 と 認 識 さ れ る ほ ど ま で に な ぜ に 重 要 で あ る の か は 、 第 五 章 に お い て 明 ら か と さ れ ま す 。 『 日 本 書 紀 』 と 『 続 日 本 紀 』 の 称 元 法 ・ 4 ゅ ね ん

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


詳 し い 内 容 に つ い て ご 興 味 が あ り ま し た な ら ば 、 前 出 拙 著 に お い て 紹 介 し て あ り ま す の で 、 ご 参 照 / 、 た さ い 。 そ し て 、 本 書 に お い て は 、 こ れ ら の 編 年 問 題 の う ち 、 江 戸 時 代 か ら す で に 指 摘 さ れ て き て お り ま す 〃 『 書 紀 』 の 紀 年 と 実 年 代 と の 対 照 関 係 に お い て は 、 一 二 〇 年 の ズ レ が 設 定 さ れ て い る 〃 と い う 問 題 が テ ー マ と な り ま す 。 『 日 本 書 紀 』 の 編 年 は 一 一 一 〇 年 ズ レ て い る 題 一 ニ 0 年 の ズ レ は 本 居 宣 長 に よ っ て 発 見 さ れ た 年 『 書 紀 』 の 紀 年 法 に 疑 い を も っ た 本 居 宣 長 は 、 『 東 国 通 鑑 』 に 記 載 さ れ る 百 済 王 の 即 位 年 と 書 紀 編 編 か ん し に う ん 年 と の 不 整 合 に 着 目 し 、 『 書 紀 』 巻 九 神 功 紀 か 巻 十 応 神 紀 の 頃 に お い て 、 干 支 二 運 ( 60X 2 ) の 一 二 〇 年 余 り 時 代 が 繰 り 上 げ ら れ て い る の で は な い か 、 と い う 疑 問 を 提 起 し ま す 。 宣 長 は 、 『 古 事 記 本 日 伝 』 巻 三 十 三 に お い て 、 神 功 摂 政 六 十 五 年 条 な ら び に 応 神 三 年 条 に 所 見 さ れ る 阿 花 王 と い う 百 済 王 章 が 実 在 し た 年 代 を 『 東 国 通 鑑 』 に 求 め 、 「 書 紀 と 百 廿 年 ば か り 違 へ り 。 : : : 彼 書 の 方 よ ろ し か る べ 第 し 。 ( 『 書 紀 』 と 一 二 〇 年 ば か り 違 っ て い る 。 : : : 彼 書 ( 東 国 通 鑑 ) の ほ う が 正 し い の で あ ろ う ) ー と 述 べ 、 神 功 紀 も し く は 応 神 紀 の あ た り に お い て 一 二 〇 年 余 り 紀 年 が 、 史 実 と し て の 年 代 よ り も 繰 り 上 げ ら