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検索対象: 古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか

古代の皇位継承 天武系皇統は実在したかから 237件ヒットしました。

古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか


5 天 武 系 皇 統 は 実 在 し た か る 。 そ の 天 皇 の 名 前 は つ ぎ の と お り 。 桓 武 天 皇 嵯 峨 天 皇 天 智 天 皇 光 仁 天 皇 ・ も ん と / 、 じ ゅ ん な 清 和 天 皇 光 孝 天 皇 淳 和 天 皇 文 徳 天 皇 し ら か わ か ざ ん む ら か み 白 河 天 皇 花 山 天 皇 村 上 天 皇 醍 醐 天 皇 あ ん と く た か / 、 、 ら ご し ら か わ 後 鳥 羽 天 皇 像 安 徳 天 皇 高 倉 天 皇 後 白 河 天 皇 ご ほ り か わ っ ち み か ど 土 御 門 天 皇 後 堀 河 天 皇 四 条 天 皇 像 後 字 多 天 皇 こ 、 つ ご ん ご む ら か み 後 醴 醐 天 皇 後 村 上 天 皇 光 厳 天 皇 光 明 天 皇 こ ま っ ご え ん ゅ う す ・ こ 、 つ 後 光 厳 天 皇 後 円 融 天 皇 後 小 松 天 皇 崇 光 天 皇 ご か し わ ば ら ご っ ち み か ど し よ 、 つ こ 、 つ ご は な ぞ の 称 光 天 皇 後 花 園 天 皇 後 土 御 門 天 皇 後 柏 原 天 皇 よ 、 つ こ 、 つ ご よ 、 つ ぜ い ご な ら お お ぎ ま ち 後 陽 成 天 皇 後 奈 良 天 皇 正 親 町 天 皇 陽 光 天 皇 後 光 明 天 皇 後 西 天 皇 後 水 尾 天 皇 明 正 天 皇 中 御 門 天 皇 桜 町 天 皇 霊 元 天 皇 東 山 天 皇 桃 園 天 皇 後 桜 町 天 皇 後 桃 園 天 皇 光 格 天 皇 た い し よ う 明 治 天 皇 大 正 天 皇 仁 孝 天 皇 孝 明 天 皇 こ れ ら の う ち 陽 光 天 皇 と は 正 親 町 天 皇 の 第 一 皇 子 で 、 後 陽 成 天 皇 の 父 で あ る 誠 仁 親 王 さ ね ひ と

古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか


7 天 武 系 皇 統 は 実 在 し た か れ ば 明 ら か で あ ろ う 。 一 八 七 , ハ ( 明 治 九 ) 年 六 月 、 宮 内 省 か ら 泉 涌 寺 に 対 し て 、 「 尊 牌 ・ 尊 像 奉 護 料 ト シ テ か し そ 、 つ ろ 、 つ こ と 年 々 金 千 一 一 百 円 下 賜 候 事 」 と い う 通 達 が あ っ た 。 泉 涌 寺 は 歴 代 天 皇 の 陵 墓 や 位 牌 を 守 護 し て き た が 、 神 仏 分 離 ・ 神 道 の 国 教 化 政 策 に よ り 陵 墓 は 泉 涌 寺 か ら 切 り 離 さ れ た 。 そ し て 、 今 後 は 上 記 の 「 奉 護 料 ー を 得 て 、 歴 代 天 皇 の 位 牌 を 奉 安 す る 寺 院 と し て 国 の 保 護 を 受 け る こ と ご と こ と に な っ た の で あ る 。 さ ら に 同 日 、 「 京 都 府 下 各 寺 院 の 尊 牌 ・ 尊 像 、 悉 ク 皆 、 其 ノ 寺 へ お お せ い だ 合 併 仰 出 サ レ 候 」 と の 通 達 も 下 さ れ た 。 こ れ に よ り 、 京 都 府 下 の 各 寺 院 に 奉 安 さ れ て い た 歴 代 天 皇 お よ び 門 院 ・ 皇 子 ・ 皇 女 の 位 牌 や 肖 像 は 、 特 別 の 寺 院 を 除 き 、 す べ て 泉 涌 寺 に 合 併 さ れ る こ と に な っ た ( 『 泉 涌 寺 史 』 に よ る ) 。 こ れ に よ っ て 、 新 た に 位 牌 が 泉 涌 寺 に 安 置 さ れ る こ と に な っ た 天 皇 は つ ぎ の と お り 。 桓 武 天 皇 元 明 天 皇 光 仁 天 皇 天 智 天 皇 文 徳 天 皇 光 孝 天 皇 嵯 峨 ・ 淳 和 天 皇 ( 合 牌 ) す ざ く 醍 醐 天 皇 朱 雀 天 皇 白 河 上 皇 宇 多 天 皇 鳥 上 皇 後 白 河 上 皇 土 御 門 天 皇 後 鳥 羽 上 皇 ご ふ し み か め や ま 後 字 多 上 皇 後 伏 見 上 皇 花 園 天 皇 亀 山 上 皇 そ ん は い そ ん ぞ う

古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか


274 じ ゅ ん な 除 し 、 代 わ っ て 異 母 弟 大 伴 ( 後 の 淳 和 天 皇 ) を 皇 太 弟 に 立 て た 。 嵯 峨 は 亡 父 桓 武 の 構 想 に 若 干 修 正 を 加 え て 、 嵯 峨 系 と 淳 和 系 に よ る 皇 統 迭 立 を め ざ そ う と し た と 見 ら れ る 。 八 二 三 ( 弘 仁 十 四 ) 年 四 月 、 嵯 峨 が 譲 ー 立 し て 皇 太 弟 大 伴 が 即 位 し て 淳 和 天 皇 と な る 。 淳 和 は 、 嵯 た ち ば な の か ち こ ま さ ら の み こ 峨 と そ の 皇 后 橘 嘉 智 子 と の 間 に 生 ま れ た 正 良 親 王 を 皇 太 子 に 立 て た 。 て ん ち ょ う に ん み よ 、 つ 八 三 三 ( 天 長 十 ) 年 二 月 、 淳 和 は 正 良 皇 太 子 に 譲 位 、 こ こ に 仁 明 天 皇 が 誕 生 す る 。 淳 ま さ こ の ひ め み こ 和 と そ の 皇 后 正 子 内 親 王 ( 嵯 峨 と 嘉 智 子 の 娘 、 仁 明 の 双 子 の 姉 妹 ) の 息 子 で あ る 恒 貞 親 王 が 仁 明 の 皇 太 子 に 立 て ら れ た ( 恒 世 は す で に 八 二 六 年 に 死 去 ) 。 こ う し て 皇 統 迭 立 は 順 調 に 進 め ら れ て い る か に 見 え た が 、 そ れ は あ く ま で 、 嵯 峨 と 淳 和 と い う 一 一 人 の 太 上 天 皇 の 存 在 を 「 重 し 」 に 維 持 さ れ た 一 時 の 「 平 和 」 に す ぎ な か っ た の で あ る 。 じ よ 、 つ わ 八 四 〇 ( 承 和 七 ) 年 五 月 、 淳 和 太 上 天 皇 が 死 去 ( 五 十 五 歳 ) 、 八 四 一 一 ( 承 承 和 の 変 ー 皇 和 九 ) 年 七 月 に は 嵯 峨 太 上 天 皇 が 五 十 七 歳 で こ の 世 を 辞 し た 。 二 人 の 太 統 迭 立 の 破 綻 き せ き 上 天 皇 が 相 次 い で 鬼 籍 に 入 っ た こ と に よ っ て 、 皇 統 迭 立 は も ろ く も 瓦 解 す る こ と に な る 。 た て わ き と も の こ わ み ね た じ ま の ご ん の か み た ち ば な の は や な り 嵯 峨 が 死 去 し て わ ず か 二 日 後 、 東 宮 坊 帯 刀 で あ っ た 伴 健 岑 と 但 馬 権 守 橘 逸 勢 ら の あ ほ の み こ 謀 反 が 発 覚 す る 。 承 和 の 変 で あ る 。 そ れ は 、 平 城 の 息 子 阿 保 親 王 を 奉 じ て の 東 国 で の 挙 兵 つ ね さ だ の み こ

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梅 村 恵 子 家 族 の 古 代 史 恋 愛 ・ 結 婚 ・ 子 育 て 古 代 史 瀧 浪 貞 子 魏 志 倭 ん 伝 を 読 む 上 邪 馬 台 国 〈 。 道 ・ | ー 佐 伯 有 清 最 後 の 女 帝 孝 謙 天 皇 直 木 孝 次 郎 魏 志 倭 人 伝 を 読 む 下 卑 弥 呼 と 倭 国 内 乱 | 丨 佐 伯 有 清 万 葉 集 と 古 代 史 古 橋 信 孝 沖 森 卓 也 平 安 京 の 都 市 生 活 と 郊 外 日 本 語 の 誕 生 古 代 の 文 字 と 表 記 安 田 政 彦 三 浦 佑 之 平 安 京 の ニ オ イ 古 事 記 の ひ み つ 歴 史 書 の 成 立 後 藤 昭 雄 大 山 誠 一 天 台 仏 教 と 平 安 朝 文 人 〈 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 曾 根 正 人 平 安 朝 女 性 の ラ イ フ サ イ ク ル ・ 丨 ・ 服 藤 早 苗 聖 徳 太 子 と 飛 鳥 仏 教 米 田 雄 介 田 中 史 生 藤 原 摂 関 家 の 誕 生 平 安 時 代 史 の 扉 ブ 倭 国 と 渡 来 人 交 錯 す る 「 内 」 と 「 外 」 イ 葛 城 ・ 蘇 我 氏 と 繁 田 信 一 加 藤 謙 吉 宀 女 位 旧 晴 明 陰 陽 師 た ち の 平 安 時 代 大 和 の 豪 族 と 渡 来 人 大 伴 ・ 物 部 氏 篠 川 賢 源 氏 物 衄 の 風 旦 示 王 朝 時 代 の 都 の 暮 ら し ー ー ー 朧 谷 寿 飛 鳥 の 朝 廷 と 王 統 譜 速 水 侑 大 橋 一 章 地 獄 と 極 木 在 生 要 集 」 と 貴 族 社 会 史 飛 鳥 の 文 明 開 化 歴 木 本 雅 康 前 田 晴 人 古 代 の 道 路 事 情 古 代 出 雲 じ よ 、 つ さ く え み し 三 宅 和 朗 熊 谷 公 男 古 代 の 神 社 と 祭 り 古 代 の 蝦 夷 と 城 柵 神 野 清 一 佐 伯 有 清 卑 賤 観 の 系 譜 悲 運 の 遣 唐 僧 円 載 の 数 奇 な 生 涯 考 古 学 遣 唐 使 の 見 た 中 国 安 田 喜 憲 古 代 の 皇 位 継 承 天 武 系 皇 統 は 実 在 し た か - ・ ・ ・ 遠 山 美 都 男 縄 文 文 明 の 環 境 今 村 啓 爾 奈 良 朝 の 政 変 劇 皇 親 た ち の 悲 劇 」 」 — ー ・ | 倉 本 一 宏 縄 文 の 実 像 を 求 め て

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佐 々 木 克 ア ス フ ァ ル ト の 下 の 江 戸 離 と ー ー 寺 島 孝 一 大 久 保 利 通 と 明 治 維 新 人 骨 か ら 解 く 江 戸 八 百 八 町 に 骨 が 舞 、 つ 三 上 一 夫 病 気 と 社 会 ー 谷 畑 美 帆 横 井 小 楠 そ の 思 想 と 行 動 ふ く ず み ま さ え 道 具 と 暮 ら し の 江 戸 時 代 小 泉 和 子 福 沢 亠 覗 士 ロ と 福 住 正 兄 世 界 と 地 域 の 視 座 ー ・ 金 原 左 門 つ ね た み 吉 川 龍 子 江 戸 城 が 消 え て い く 叫 所 図 会 」 の ー 千 葉 正 樹 日 赤 の 創 始 者 佐 野 常 民 都 市 図 の 系 譜 と 江 戸 マ 西 一 小 澤 弘 文 明 開 化 と 差 別 外 池 昇 江 戸 の 地 図 屋 さ ん 販 売 競 争 の 舞 台 裏 ・ ・ ー ・ 一 」 俵 元 昭 天 皇 陵 の 近 代 史 葬 式 と 檀 家 山 口 輝 臣 圭 室 文 雄 明 治 神 宮 の 出 現 ラ ブ 幕 末 民 衆 文 化 異 聞 真 宗 門 徒 の 四 季 ー 丨 ・ ー 家 近 良 樹 奈 倉 哲 一 一 一 浦 上 キ リ シ タ ン 流 配 事 件 翳 ) み や た け が ー こ っ イ 江 戸 の 風 刺 画 吉 野 孝 雄 南 和 男 宮 武 外 骨 民 権 〈 の こ だ わ り 幕 末 維 新 の 風 刺 画 南 和 男 木 林 鵐 外 も う 一 つ の 実 像 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ー ・ — ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ー - 一 」 ・ ・ ・ - 。 ・ 白 崎 昭 一 郎 史 黒 船 来 航 と 音 楽 小 野 良 平 笠 原 潔 公 園 の 誕 生 歴 江 戸 の 海 外 情 報 ネ ッ ト ワ ー ク 」 ー ー 岩 下 哲 典 軍 備 拡 張 の 近 代 史 日 本 軍 の 膨 張 と 崩 壊 , ー - 山 田 朗 井 口 和 起 黒 船 が や っ て き た 幕 末 の 情 報 ネ , ト 。 — ク 岩 田 み ゆ き 日 露 戦 争 の 時 代 近 ・ 現 代 近 藤 典 彦 啄 木 短 歌 に 時 代 を 読 む 幕 末 明 治 横 浜 写 真 館 物 語 藤 野 敦 斎 藤 多 喜 夫 東 京 都 の 誕 生 鈴 木 淳 旧 幕 臣 の 明 治 維 新 沼 津 兵 学 校 と そ の 群 像 ー 樋 口 雄 彦 町 火 消 た ち の 近 代 東 京 の 消 防 史 水 戸 学 と 明 治 維 新 原 田 勝 正 吉 田 俊 純 鉄 道 と 近 代 化

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結 果 的 に 文 武 ( 草 壁 ) 皇 統 の 拠 点 と も い う べ き 政 治 都 市 と な っ た 。 新 た な 皇 統 の 樹 立 を め け つ べ っ ざ す 桓 武 と し て は 、 こ こ で 平 城 京 と 訣 別 し て 、 新 皇 統 の 拠 点 と な る 新 し い 都 市 を 建 設 す る 必 要 に 迫 ら れ て い た と い え よ う 。 桓 武 は ど の よ う な 皇 統 を 打 ち 立 て よ う と し て い た の で あ ろ う か 。 そ 中 国 的 皇 統 の 創 出 れ を 知 る 手 掛 か り に な る の は 、 七 八 五 ( 延 暦 四 ) 年 十 一 月 に 桓 武 が か わ ち こ 、 つ し さ い て ん 河 内 国 交 野 郡 で 「 郊 祀 祭 天 」 と 呼 ば れ る 中 国 的 な 祭 儀 を 行 っ て い る こ と で あ る 。 「 郊 祀 祭 こ 、 っ て ん じ よ 、 っ て い 天 」 と は 、 冬 至 の 日 に 皇 帝 が 都 城 南 郊 に 天 壇 を 設 け て 「 昊 天 上 帝 ( 天 帝 ) 」 を 祭 る 儀 式 で あ っ た 。 『 続 日 本 紀 』 延 暦 六 ( 七 八 七 ) 年 十 一 月 甲 寅 条 に よ れ ば 、 二 度 目 の 「 郊 祀 祭 天 」 に お い て 「 天 帝 」 に 奉 呈 さ れ た 祭 文 は つ ぎ の と お り 。 ほ し ひ の と の う や ど し て ん し し ん 維 れ 延 暦 六 年 歳 丁 卯 に 次 る 十 一 月 庚 戌 の 朔 甲 寅 、 嗣 天 子 臣 、 謹 み て 従 二 位 行 大 納 一 言 あ ・ 一 ら か 兼 民 部 卿 造 東 大 寺 司 長 官 藤 原 朝 臣 継 縄 を 遣 し て 、 敢 へ て 昭 に 昊 天 上 帝 に 告 さ し む 。 臣 、 け ん め い き ゅ う そ 、 つ さ き わ い ふ と 、 つ さ き わ い 恭 し く 蜷 命 を 膺 け て 鴻 基 を 嗣 ぎ 守 る 。 幸 に 、 穹 蒼 祚 を 降 し 、 覆 燾 徴 を 騰 ぐ る に 頼 ま さ ↓ つ よ 、 つ キ 」 た い め い あ ん ぜ ん り て 、 四 海 晏 然 と し て 万 姓 康 楽 す 。 方 に 今 、 大 明 南 に 至 り て 、 長 畧 初 め て 昇 る 。 敬 ひ と 一 よ / 、 は く つ つ し の り お さ ぎ せ い て 燔 祀 の 儀 を 采 り 、 祗 み て 報 徳 の 典 を 脩 む 。 謹 み て 玉 帛 ・ 犠 斉 ・ 粢 盛 の 庶 品 を 以 て し ん り よ 、 つ は い し ん さ / 、 し ゅ こ い ね が す す た か つ が す 茲 の 禪 燎 に 備 へ 、 祗 み て 潔 誠 を 薦 む 。 高 紹 天 皇 の 配 神 作 主 、 尚 は く は 饗 け た ま へ 。 、 つ や う や か た の つ ぐ た た あ 、 つ

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み 取 っ て お く た め に も 、 元 正 に は 婿 を 取 ら な い こ と が 早 々 に 決 め ら れ て い た の で は な い か と 見 ら れ る 。 要 す る に 、 元 明 ・ 元 正 と い う 母 娘 二 代 の 女 性 天 皇 は 、 文 武 皇 統 の 護 持 と い う 成 政 治 的 目 的 の た め に 、 そ の 登 場 が 早 く か ら 予 定 さ れ て い た の で あ る 。 の 識 七 一 四 ( 和 銅 七 ) 年 六 月 、 聖 武 は 皇 太 子 に 立 て ら れ 、 元 服 を 加 え ら れ た 。 意 れ い き 皇 統 護 持 の 統 亡 父 文 武 よ り も 一 年 ほ ど 早 く 皇 太 子 と な っ た こ と に な る 。 翌 七 一 五 ( 霊 亀 武 名 の も と に 文 元 ) 年 九 月 、 元 明 は 天 皇 と し て の 激 務 に 疲 れ 、 聖 武 へ の 譲 位 を 考 え た が 、 『 続 日 本 紀 』 霊 亀 元 年 九 月 庚 辰 条 に よ れ ば 、 よ わ い し ん き ゅ う : 因 り て こ の 神 器 を 皇 太 子 に 譲 ら む と す れ ど も 、 年 歯 幼 く 稚 く し て 未 だ 深 宮 を 離 れ す 。 庶 務 多 端 に し て 一 日 に 万 機 あ り 。 と の 理 由 に よ り 、 結 局 、 娘 の 元 正 に 皇 位 を 譲 る こ と に な る 。 亡 き 文 武 は 十 五 歳 で 皇 太 子 と な り 、 次 い で 即 位 し て い る の で 、 聖 武 が 同 じ 十 五 歳 な の に 即 位 が 延 期 さ れ た こ と に つ い て は 、 聖 武 の 天 皇 と し て の 器 量 に 不 安 や 問 題 が あ っ た か の よ う に い わ れ る こ と が 多 い 。 し か し 、 聖 武 は 文 武 に よ っ て そ の 皇 統 の 後 継 者 に 選 ば れ た 存 在 で あ っ た 。 聖 武 へ の 譲 位 を 見 送 っ た 元 明 自 身 が 文 武 の 皇 統 護 持 の た め に 即 位 し た 天 皇 で あ っ た こ と か ら 見 れ ば 、 皇 統 を 受 け 継 ぐ 掛 け 替 え の な い 存 在 で あ る 聖 武 の 即 位 に 、 慎 重 の 上 に も 慎 重 に な っ た 結 果 と 彡 /

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ひ か み の か わ っ ぐ 今 ま で 述 べ て き た よ う に 、 草 壁 皇 統 を 受 け 継 ぐ 氷 上 川 継 が い な く な っ た こ 平 城 京 か ら と に よ っ て 、 桓 武 は 彼 へ の 対 抗 意 識 か ら 解 放 さ れ 、 自 身 が 聖 武 を 介 し て 草 長 岡 京 へ 壁 皇 統 に 連 な る こ と を 声 高 に 主 張 す る 必 要 が な く な っ た わ け で あ る 。 こ こ 換 転 に 桓 武 は 、 自 身 の 権 威 や 正 当 性 の 拠 り ど こ ろ を 改 め て 確 立 す る た め に 、 文 武 や 草 壁 を 始 祖 の と す る 従 来 の 皇 統 と は ま っ た く 異 な る 新 た な 皇 統 意 識 を 模 索 す る こ と に な る 。 皇 そ の き っ か け に な っ た の は 、 や は り 七 八 四 ( 延 暦 一 一 l) 年 の 平 城 京 か ら 長 岡 京 へ の 遷 都 だ っ た の で は な い か と 考 え ら れ る 。 平 城 京 は 、 、 し う ま で も な く 七 一 〇 ( 和 銅 三 ) 年 以 来 の 都 で あ る が 、 天 皇 と し て は 元 明 に 始 ま っ て 元 正 ・ 聖 武 ・ 孝 謙 ・ 淳 仁 ・ 称 徳 そ し て 光 仁 と 続 き 、 皇 統 意 識 の 転 換 ー ー エ ピ ロ ー グ

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計 画 で あ っ た 。 皮 肉 な こ と に 、 計 画 は 阿 保 自 身 に よ っ て 太 皇 太 后 橘 嘉 智 子 に 通 報 さ れ た 。 お き よ し ふ さ 嘉 智 子 は 中 納 言 藤 原 良 房 に 命 じ て 健 岑 ら を 逮 捕 さ せ た 。 そ し て 、 健 岑 は 隠 岐 国 に 、 逸 勢 は 伊 豆 国 に 流 罪 と な る 。 さ ら に 、 東 宮 坊 の 主 で あ る 恒 貞 皇 太 子 に も 責 任 あ り と し て 、 彼 は 皇 太 子 の 座 を 追 わ れ る み ち や す の み こ も ん と く こ と に な っ た の で あ る 。 恒 貞 に 代 わ っ て 皇 太 子 に 立 て ら れ た の が 道 康 親 王 ( 後 の 文 徳 天 じ ゅ ん し ふ ゆ っ ぐ 皇 ) で あ っ た 。 彼 は 、 仁 明 と 藤 原 冬 嗣 ( 北 家 ) の 娘 順 子 と の 間 に 生 ま れ た 。 こ れ 以 後 し ば せ い わ よ う ぜ い ら く は 文 徳 ↓ 清 和 ↓ 陽 成 と い う よ う に 、 皇 位 は 藤 原 氏 の 北 家 と 姻 戚 関 係 を 結 ん だ 嵯 峨 直 系 に よ っ て 継 承 さ れ 、 結 果 的 に 見 て 皇 統 は 嵯 峨 系 に 一 本 化 さ れ る こ と に な っ た 。 承 和 の 変 に よ り 皇 統 迭 立 は 完 全 に 破 綻 し た の で あ る 。 桓 武 が 構 想 し た 皇 統 迭 立 は 、 結 局 半 世 紀 も 続 か な か っ た こ と に な る 。 、 つ だ だ い ご 換 転 た だ 、 嵯 峨 直 系 も 陽 成 で 絶 え 、 そ の 後 は 仁 明 の 息 子 で あ る 光 孝 が 即 位 し 、 宇 多 ↓ 醍 醐 ↓ の 村 上 と 続 く こ と に な る が 、 こ れ は 広 義 の 嵯 峨 系 と 呼 ぶ こ と が で き る で あ ろ う 。 こ の 後 は 、 皇 藤 原 氏 ( と く に 北 家 ) の 娘 が 皇 后 ( 女 御 ) と な り 次 代 の 天 皇 を 生 む と い う 、 か っ て 持 統 に よ っ て 定 め ら れ 、 七 二 九 ( 天 平 元 ) 年 の 光 明 立 后 の 時 に 聖 武 に よ っ て 確 立 さ れ た 原 則 が 基 5 2 本 的 に 踏 襲 さ れ 、 皇 位 継 承 を 律 し て い く こ と に な る 。 む ら か み

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光 明 子 に し て み れ ば 、 草 壁 を 「 岡 宮 に 御 宇 し し 天 皇 」 と し て 天 皇 に 列 「 君 臣 の 理 」 と し た の で あ る か ら 、 こ こ は あ く ま で も バ ラ ン ス を 取 っ て 、 淳 仁 の 父 舎 「 祖 子 の 理 」 と 人 に も 天 皇 と し て の 尊 号 を 献 じ て み て は ど う か と い う 配 慮 を 示 し た わ け で あ る 。 こ れ は 光 明 子 が 、 か っ て 塩 焼 や 新 田 部 系 と の 連 帯 と 融 和 を は か る こ と も 時 に 必 要 と し た 聖 武 の 考 え を 受 け 継 い だ も の と い え よ う 。 も ち ろ ん 、 彼 女 が 甥 の 押 勝 を 支 持 し て 淳 仁 を 孝 謙 の 「 皇 嗣 」 と し て 推 挙 し た と い う こ と も 関 係 し て い る か も し れ な い 。 た と え 皇 統 を 受 け 継 ぐ 可 能 性 の あ る 天 皇 で あ ろ う と も 、 彼 に 臣 下 と し て の 絶 対 的 な 服 従 と 奉 仕 を 徹 底 し て も と め る 孝 謙 の 立 場 は 、 か っ て 聖 武 が 示 し た 「 君 臣 祖 子 の 理 」 の う ち の 「 君 臣 の 理 」 だ け を あ ま り に も 忠 実 か っ 純 粋 に 受 け 継 い だ も の と い え よ う 。 そ れ に 対 し 光 明 子 は 、 や や も す れ ば 「 祖 子 の 理 」 に 比 重 を 置 い て い た の で あ り 、 孝 謙 と そ の 後 継 者 た る 事 天 皇 と が 共 通 の 始 祖 ( 天 武 ) を 戴 く 同 族 と し て 連 帯 と 融 和 を 保 た な け れ ば 皇 統 は 維 持 で き な い と 考 え て い た の で あ る 。 の 仁 淳 こ の 尊 号 献 上 を め ぐ る 一 件 に よ り 、 孝 謙 に し て み れ ば 皇 統 を 受 け 継 ぐ 天 皇 と し て 妥 当 か ど う か 審 査 中 で あ り 、 所 詮 臣 下 に す ぎ な い と 見 な し て い る 淳 仁 に 、 彼 女 の 親 身 の 教 諭 が 無 視 さ れ た 結 果 に な り 、 し か も 、 そ の 経 緯 が 貴 族 層 に あ か ら さ ま に 公 表 さ れ た こ と に よ っ て 、