検索 - みる会図書館

検索対象: 昭和天皇(上)

昭和天皇(上)から 348件ヒットしました。

昭和天皇(上)


昭 和 天 皇 ( 上 )

昭和天皇(上)


本 書 は 、 昭 和 天 皇 、 天 皇 制 、 お よ び か っ て 「 天 皇 イ デ オ ロ ギ ー 」 を 構 成 し て い た 概 念 、 価 値 、 信 念 に 焦 点 を あ て 、 日 本 の 二 〇 世 紀 を 再 検 討 し た も の で あ る 。 本 書 で 読 者 が 出 合 う の は 、 ゆ が め ら れ た 公 的 な 天 皇 像 と は ま っ た く 異 な っ た 天 皇 で あ る 。 こ の 伝 記 で 取 り 上 げ た 昭 和 天 皇 は 、 受 け 身 の 立 憲 君 主 で も 、 日 本 き っ て の 平 和 主 義 者 ・ 反 軍 国 主 義 者 で も な か っ た 。 そ れ ど こ ろ か 天 皇 は 、 昭 和 時 代 に 起 き た 重 要 な 政 治 的 ・ 軍 事 的 事 件 の 多 く に 積 極 的 に 関 わ り 、 指 導 的 役 割 力 し ら い を 果 た し た 。 そ の 指 導 性 の 独 特 な 発 揮 の 仕 方 は 、 「 独 裁 者 」 か 「 傀 儡 」 か 、 「 主 謀 者 , か 「 単 な る 飾 り 」 か と い う 単 純 な 二 分 法 で は 理 解 で き な い 。 天 皇 が 全 権 を 握 っ た り 、 独 力 で 政 策 を 立 案 し た り す る こ と は な か っ た が 、 天 皇 と 宮 中 グ ル 1 プ は 、 内 閣 の 決 定 へ が 正 式 に 提 出 さ れ る 前 に 、 天 皇 の 見 解 や 意 思 が 決 定 に 盛 り 込 ま れ る よ う 尽 力 し た 。 そ し て 、 天 皇 の 賛 否 こ そ が 決 者 読 定 的 だ っ た 。 天 皇 が 賛 否 を 口 に し な く と も 、 何 も 言 わ な い と い う 行 為 自 体 が 、 天 皇 の 意 思 を 実 行 に 移 す 当 局 者 を 日 大 き く 左 右 し た 。 日 本 の 読 者 へ

昭和天皇(上)


1946 ( 昭 和 21 ) 年 2 月 。 装 い も 新 た な 「 人 間 天 皇 」 が 全 国 歴 訪 の 始 ま り と し て 、 戦 災 の 傷 痕 の 残 る 神 奈 川 県 下 を 視 察 。 占 領 軍 当 局 の 入 念 な 演 出 で 始 め ら れ た 巡 幸 は 、 「 民 主 化 」 と 君 主 制 の 変 容 を 促 進 し た 。 「 国 民 と 共 に あ る 」 大 皇 の ニ ー ス 映 画 は 、 ア メ リ カ で 上 映 さ れ 、 マ ッ カ ー サ ー 自 身 の 宣 伝 と も な っ た 。 ( 毎 日 新 聞 社 提 供 ) 1947 ( 昭 和 22 ) 年 12 月 、 広 島 。 降 伏 の 時 期 を 遅 ら せ た と も 知 ら す に 、 行 く 先 々 で 国 民 は 天 皇 を 歓 迎 し た 。 浪 費 的 で 高 度 に 政 治 的 な 巡 幸 は 連 合 国 側 か ら 非 難 を 浴 び 、 東 京 裁 判 が 最 終 局 面 を 迎 え た 1948 ( 昭 和 23 ) 年 、 つ い に G H Q は 巡 幸 を 中 止 さ せ た 。 ( 写 真 提 供 ・ 共 同 通 信 社 )

昭和天皇(上)


あ っ た 。 昭 和 天 皇 が 、 天 皇 の 意 思 の 絶 対 性 を 否 定 し 、 議 会 は 天 皇 が 裁 可 し た 法 や 勅 令 を 自 由 に 批 判 す る こ と が で き る と 説 い た 美 濃 部 を 、 公 的 な 場 か ら 追 放 す る こ と を 容 認 し た の は 、 こ の た め だ っ た 。 そ し て 、 日 本 人 は 、 ま る で 天 皇 が 生 き た 神 で あ る と 考 え て い る か の よ う に ふ る ま う こ と を 奨 励 さ れ た の だ っ た 。 し か し 、 昭 和 天 皇 は み ず か ら の 自 由 が 奪 わ れ る よ う な 運 動 を 、 個 人 的 に は 、 け っ し て 快 く 思 っ て い な か っ た 。 ま た 、 天 皇 は 、 一 般 の 国 民 が 国 体 明 徴 に つ い て 政 府 批 判 の 議 論 に 参 加 す る こ と は 、 特 権 的 な 国 家 エ リ ー ト の 信 頼 を 損 な 、 天 皇 自 身 の カ リ ス マ 的 な 権 威 を 減 少 さ せ る も の で あ る と 理 解 し て い た 。 そ れ で も 、 皇 位 を 取 り 巻 く 運 動 の 喧 騒 が 、 新 た な 熱 狂 主 義 へ 到 達 す る こ と を 止 め よ う と は し な か っ た 。 た と え 、 昭 和 天 皇 が 軍 や 右 翼 の 思 想 と 行 動 を 間 違 っ て い る と 考 え て い た と し て も 、 け っ し て そ れ を 軍 に 伝 え る よ う な こ と は し な か っ た だ ろ う 。 本 庄 と の 冷 め た や り と り せ っ ち ゅ う か ら 主 に 次 の よ う な こ と が 言 え る だ ろ う 。 つ ま り 、 天 皇 は 折 衷 主 義 者 で あ り 、 軍 が 側 近 を 批 判 す る こ と に 苛 立 ち 、 加 え て 、 祖 父 明 治 天 皇 の も と で つ く ら れ た 憲 法 秩 序 は 、 権 威 主 義 的 な い ず れ の 形 態 の 政 府 と も 両 立 し う る と い う 信 念 を 持 っ て い た 。 天 皇 は 政 治 的 、 軍 事 的 意 思 決 定 に お い て 積 極 的 に 行 動 す る よ う に 教 育 さ れ て き た し 、 み ず か ら も そ れ を 意 識 し て き た 。 そ し て 、 天 皇 は 、 美 濃 部 の 学 説 を 非 難 す る 人 々 の 多 く は 、 ま さ に こ の 見 地 か ら 美 濃 部 を 否 定 し て い た こ と が わ か っ て い た 。 か た く 頑 な で 一 貫 し て 狂 信 的 な 本 庄 は 、 天 皇 に 神 格 に 関 す る 考 え 方 を 変 え る よ う 繰 り 返 し 奏 上 し た 。 一 九 三 五 年 三 月 二 八 日 、 本 庄 は 、 「 軍 に 於 て は 天 皇 は 、 現 人 神 と 信 仰 し あ り 、 之 を 機 関 説 に よ り 人 間 並 に 扱 ふ が 如 き は 、 軍 隊 教 育 及 統 帥 上 至 難 な り 」 と 主 張 し た 。 翌 日 、 天 皇 は 何 と か し て 本 庄 を 教 化 し よ う と し た 。 憲 法 を 引 き な が ら 、 「 憲 法 第 四 条 天 皇 は 『 国 家 の 元 首 』 云 々 は 即 ち 機 関 説 な り 、 之 が 改 正 を も 要 求 す る と せ ば 憲 法 を 改 正 せ ざ る べ か ら ざ る こ と ゝ な る べ し 」 と 指 摘 し た の で あ る 〔 大 日 本 帝 国 憲 法 ・ 第 四 条 は 「 天 皇 は 国 の 元 首 に し て 統 治 権 を 総 攬 し 此 の 憲 法 の 条 規 に 依 り 之 を 行 ふ 」 と 規 定 し て い る 〕 。 し み ず と お る 昭 和 天 皇 の 憲 法 観 は 清 水 澄 の 影 響 を 受 け て い た 。 清 水 は 「 天 皇 機 関 説 ー に 反 対 だ っ た が 、 し か し 、 上 杉 の 学 説 に も 間 違 い が あ る と し て い た 。 清 水 と 同 様 に 、 天 皇 も こ れ ら 二 つ の 解 釈 の い ず れ に も 依 拠 し て い た 。 天 皇 は 、 美 濃 部 の 擁 258

昭和天皇(上)


害 は い く つ か の 侵 略 相 手 国 よ り 軽 微 で あ る 。 以 上 の よ う に ア ジ ア は 大 き な 被 害 を 受 け た が 、 ヨ ー ロ ッ パ が 受 け た 戦 争 被 害 は さ ら に ( リ 寡 頭 政 治 家 と 明 治 天 皇 は と も に 、 天 皇 の 「 統 帥 権 」 は 、 そ の 甚 大 で 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ と の 戦 闘 の 大 半 を 担 っ た ソ 連 は と く に そ 行 使 に 当 た っ て 国 務 大 臣 の 輔 弼 は ま っ た く 要 し な い も の と 考 え て う だ っ た 。 小 田 部 雄 次 / 林 博 史 / 山 田 朗 『 キ ー ワ ー ド 日 本 の 戦 争 い た 。 彼 ら の 観 点 で は 、 明 治 維 新 の 本 質 は ま さ に 天 皇 の 軍 人 君 主 犯 罪 』 雄 山 閣 出 版 、 一 九 九 五 年 、 五 四 ペ ー ジ を 参 照 。 ソ 連 の 犠 牲 と し て の 地 位 の 回 復 に あ っ た 。 3 ) 台 湾 で は さ ら に 一 〇 年 間 戦 闘 が 続 き 、 九 五 九 二 人 の 日 本 人 兵 者 に つ い て は 、 John Erickson, "Soviet War Losses: Calcula ・ tions and Controversies" in John Erickson and David DiIks, 士 が 戦 死 し た 。 君 島 和 彦 「 植 民 地 帝 国 へ の 道 」 浅 田 喬 二 編 「 近 代 日 本 の 軌 跡 ( 一 〇 ) 「 帝 国 」 日 本 と ア ジ ア 』 吉 川 弘 文 館 、 一 九 九 eds. , B ミ 、 き ss ミ The ミ ミ the AIIies, Edinburgh Univer ・ sity Press, 1994 , pp. 255 ー 277 を 参 照 。 四 年 、 六 〇 ー 六 一 ペ ー ジ 。 ( 7 ) 田 所 泉 「 昭 和 天 皇 の 和 歌 』 創 樹 社 、 一 九 九 七 年 、 一 六 ー 一 七 第 一 章 少 年 と 家 族 と 明 治 の 遺 産 ( 8 ) 昭 和 天 皇 の 没 後 一 〇 年 に あ た り 、 『 読 売 新 聞 』 は 、 宮 内 庁 は 昭 和 天 皇 の 編 年 史 の 事 業 に す で に 九 七 〇 〇 万 円 あ ま り を 支 出 し 、 ( 1 ) 児 島 襄 『 天 皇 (—) 若 き 親 王 』 文 春 文 庫 、 一 九 八 一 年 、 一 二 一 九 九 九 年 度 に も 一 二 七 四 万 円 の 予 算 が 組 ま れ て い る と 報 じ た 。 ペ ー ジ 。 河 原 敏 明 『 天 皇 裕 仁 の 昭 和 史 』 文 藝 春 秋 、 一 九 八 三 年 、 ミ 0 ミ こ ミ 7 ・ , Jan. 8 , 1999. ( ) ね ず ま さ し 『 天 皇 と 昭 和 史 ( 上 ) 』 三 一 新 書 、 一 九 七 六 年 、 ( 9 ) 東 野 真 、 前 掲 一 四 二 ペ ー ジ 。 東 野 に よ る と RG331 , B 。 X763 2 で あ る 〔 東 野 は B 。 X763 中 の 「 天 皇 は 戦 犯 で あ る か 」 と い う 文 書 一 だ け が 非 公 開 で あ る と し て い る 〕 。 ( 3 ) 飛 鳥 井 雅 道 「 明 治 大 帝 』 筑 摩 書 房 、 一 九 八 九 年 。 ち く ま 学 芸 ( 川 ) 安 田 浩 『 天 皇 の 政 治 史 ー 睦 仁 ・ 嘉 仁 ・ 裕 仁 の 時 代 』 青 木 書 文 庫 、 一 九 九 四 年 、 二 三 二 べ ー ジ 。 店 、 一 九 九 八 年 、 二 七 七 ペ 1 ジ 。 4 ) 一 八 九 五 年 、 天 皇 睦 仁 は 嘉 仁 の い く つ も の 持 病 の 定 期 診 療 ( Ⅱ ) 同 時 に 公 布 さ れ た 皇 室 典 範 で は 、 皇 室 の 古 代 か ら の 慣 習 や 制 を 、 ド イ ツ 人 医 師 エ ル ヴ ィ ン ・ ベ ル ツ に 許 し た 。 ト ク ・ ベ ル ツ 度 と 、 明 治 期 に 新 し く つ く ら れ た そ れ と の 違 い が あ い ま い に さ れ 編 / 菅 沼 竜 太 郎 訳 『 ベ ル ツ の 日 記 ( 上 ) 』 岩 波 文 庫 ( 改 訳 ) 、 一 九 て い た 。 典 範 は 、 多 く の 勅 令 と と も に 、 憲 法 に 基 づ い て 議 会 が 制 七 九 年 、 一 七 一 ー 一 七 二 ペ ー ジ 。 岩 井 忠 熊 「 明 治 天 皇 ー 「 大 帝 」 定 す る 法 と は ま っ た く 別 個 の 法 体 系 を 形 成 し た 。 横 田 耕 一 「 『 皇 伝 説 』 三 省 堂 、 一 九 九 七 年 、 一 三 九 ペ ー ジ 。 室 典 範 』 私 注 」 横 田 耕 一 / 江 橋 崇 編 著 「 象 徴 天 皇 制 の 構 造 ー 憲 法 ( 5 ) 田 中 惣 五 郎 『 天 皇 の 研 究 』 三 一 書 房 、 一 九 七 四 年 、 一 一 一 八 ペ 学 者 に よ る 解 読 』 日 本 評 論 社 、 一 九 九 〇 年 、 一 〇 五 ー 一 〇 六 ペ ー 3 0

昭和天皇(上)


天 皇 は 、 間 題 の 精 査 、 勧 告 、 そ し て 、 統 帥 部 や 陸 海 相 に 対 す る み ず か ら の 質 問 や 指 令 を 注 意 深 く 繰 り 返 す こ と で 大 本 営 と 相 互 に 影 響 を 与 え 合 っ て い た 。 昭 和 天 皇 は ま た 、 み ず か ら の 地 位 を 利 用 し 彼 ら に 心 理 的 圧 力 を 加 え 続 け る に は ど う す れ ば よ い の か を 、 繰 り 返 し 学 ん で き た 。 日 ご ろ は 温 和 で あ り 、 ジ ョ ー ジ ・ ス ミ ス ・ パ ッ ト ン 〔 ア メ リ カ 陸 軍 の 将 軍 。 戦 車 軍 団 の 指 揮 官 〕 で は な く 、 ジ ョ ー ジ ・ カ ト レ ッ ト ・ マ 1 シ ャ ル 〔 ア メ リ カ 陸 軍 の 将 軍 、 大 戦 中 は 参 謀 総 長 。 の ち に 国 務 長 官 と し て マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン を 推 進 〕 の よ う な 礼 儀 正 し さ を 保 っ て い た 。 し か し 、 天 皇 の 「 御 下 問 は 、 臣 下 に 対 す る 質 間 と い う 形 を 取 っ て い る も の の 、 奉 答 者 に 対 し て 天 皇 の 意 思 を 示 す 場 合 が 多 く 、 事 実 上 の 命 令 に 等 し く 、 無 視 で き な い も の だ っ た 。 時 に 、 天 皇 は 進 行 中 の 軍 事 作 戦 を 変 更 し よ う と し て 、 反 対 論 に 遭 遇 す る こ と が あ っ た が 、 天 皇 が 主 張 す る 以 上 、 た と え 、 統 帥 部 長 が 天 皇 と は 異 な る 方 針 を 持 っ 作 戦 部 長 や 重 要 な 部 局 の 長 の 意 思 を 否 定 し な け れ ば な ら な い と し て も 、 天 皇 が 最 優 先 な の で あ る 。 要 す る に 、 統 帥 部 は 精 力 的 で 、 活 動 的 な 天 皇 に 対 し て 責 任 を 有 し て い た の で あ り 、 け っ し て 、 彼 ら が 望 む が ま ま に 日 中 戦 争 を 遂 行 す る こ と は で き な か っ た 。 陸 海 両 大 臣 も 同 様 で あ り 、 彼 ら も ま た 昭 和 天 皇 の 御 下 問 に 服 し 、 時 に 天 皇 の 叱 責 を 受 け る こ と が あ っ た 。 さ ら に 、 今 日 、 証 拠 と し て 残 さ れ た 文 献 史 料 か ら 検 討 し て み る と 、 さ ま ざ ま な 重 要 な 局 面 で 天 皇 は 戦 略 の 立 案 、 計 画 の 決 定 、 時 期 の 選 定 、 そ の 他 の 軍 事 作 戦 に 関 す る こ と に 、 時 に 日 課 と し て 関 与 し て い た 。 そ し て 、 そ れ ば か り で は な く 、 進 行 中 の 現 地 の 作 戦 に も 介 入 し 、 天 皇 の 介 入 な く し て は け っ し て あ り え な い よ う な 変 更 を も た ら し て い た 。 天 皇 は 、 方 面 軍 司 令 官 が 指 揮 下 の 部 隊 に 下 し た 命 令 を も 監 視 し 、 時 に は 論 評 を 加 え た 。 天 皇 が こ う し た こ と を 行 う 範 囲 に つ い て 、 こ れ を 規 制 す る も の は な か っ た 。 昭 和 天 皇 は 即 位 以 来 、 正 式 の 決 定 の 前 に 内 閣 か ら の 非 公 式 な 報 告 ( 内 奏 ) を 受 け て き た が 、 こ の 内 奏 は 一 九 三 七 年 末 以 降 、 大 元 帥 と し て の 昭 和 天 皇 を 正 規 に 輔 翼 す る 大 本 営 の 設 置 に よ っ て 増 加 す る こ と と な っ た 。 こ の 内 奏 は 、 あ る 程 度 、 天 皇 の 質 問 ( 御 下 問 ) 、 内 奏 者 の 奉 答 と い う 質 疑 応 答 の 場 と な っ て い た 。 一 般 に 参 内 し た の は 統 帥 部 と 特 定 の 閣 僚 で あ っ た 。 そ れ が よ り 形 式 化 し た も の と な る 場 合 も あ っ た 。 そ の よ う な 場 合 、 天 皇 は 黙 っ て 臣 下 の 大 臣 か 、 統 帥 部 か ら の 文 書 ま た は 口 頭 に よ る 報 告 ( 上 奏 ) を 受 け て い た 。 内 奏 の 間 、 情 報 や 意 見 の や り と り が 政 策 、 戦 略 、 戦 術 的 286

昭和天皇(上)


落 さ せ た 瞬 間 ま で 、 天 皇 は 軍 の 動 静 を 詳 細 に 追 っ て い た の で あ る 。 ま た 、 事 件 の 前 兆 が あ っ た 時 期 を 通 じ て 、 あ る い は 殺 戮 、 強 姦 の あ っ た 全 期 間 に 、 天 皇 は 不 快 、 憤 り 、 遺 憾 を 公 に す る こ と よ り は 、 む し ろ 、 中 国 に 「 自 省 」 を 促 す と い う 国 策 の も と で 、 大 勝 利 に 向 け 臣 下 の 将 軍 や 提 督 を 鼓 舞 し て い た と い う 否 定 し が た い 事 実 も あ る 。 南 京 陥 落 の 三 週 間 以 上 前 、 新 た に 大 本 営 が 設 置 さ れ た 一 一 月 二 〇 日 、 天 皇 は 支 那 方 面 艦 隊 司 令 長 官 長 谷 川 清 に 詔 書 を 出 し た 。 昭 和 天 皇 は 、 陸 軍 と 協 力 し て 、 中 国 沿 岸 を 封 鎖 し 、 海 上 航 路 を 断 っ た 艦 隊 の 将 兵 を 賞 賛 し た 。 同 時 に 、 こ ま っ た お も う 警 告 し た 。 「 惟 う に 前 途 な お 遼 遠 な り 、 爾 ら ま す ま す 奮 励 を く わ え も っ て 戦 果 を 完 く せ ん こ と を 期 せ よ 」 。 四 日 後 、 最 初 の 大 本 営 の 御 前 会 議 で 、 天 皇 は 中 支 那 方 面 軍 司 令 官 松 井 大 将 に 中 国 の 首 都 を 攻 略 し 、 占 領 す る と い う 重 大 な 決 定 を 事 後 承 認 の 形 で 裁 可 し た 。 こ の 会 議 で 、 参 謀 本 部 の 下 村 第 一 部 長 は 、 華 中 へ の 輸 送 部 隊 な ら び に 砲 兵 部 隊 が 最 前 線 に 到 着 す る に は か な り 時 間 が か か る の で 、 「 方 面 軍 は そ の 航 空 部 隊 を も っ て 海 軍 航 空 兵 力 と 協 力 し て 南 京 そ の 他 の 要 地 を 爆 撃 」 す る と い う 作 戦 計 画 を 説 明 し た 。 か く し て 、 昭 和 天 皇 は 南 京 な ら び に そ の 周 辺 を 爆 撃 し 機 銃 掃 射 す る 計 画 を 、 よ く 理 解 し た 上 で 、 承 認 し た 。 昭 和 天 皇 は 、 陸 軍 の 作 戦 範 囲 に 設 け て い た あ ら ゆ る 規 制 を 外 す こ と を ( 事 後 ) 承 認 し 、 東 京 の 承 認 を 待 っ こ と な く 南 京 に 向 け て 猛 進 撃 し て い る 間 、 陸 海 軍 の 制 止 を 何 ら 働 き か け な か っ た 。 一 二 月 一 日 、 南 京 へ の 空 爆 と 海 上 、 地 上 か ら の 攻 撃 開 始 後 、 何 日 も 過 ぎ て か ら 、 昭 和 天 皇 は 松 井 大 将 に 正 式 な 攻 撃 命 令 を 出 し た 。 「 中 支 那 方 面 軍 司 令 官 は 海 軍 と 協 同 し て 敵 国 首 都 南 京 を 攻 略 す べ し 」 。 大 陸 命 第 八 号 で あ る 。 天 皇 は 、 ほ と ん ど の 軍 指 導 部 と 同 様 、 ひ と た び 、 強 烈 な 打 撃 を 与 え れ ば 、 蒋 介 石 は そ れ に 屈 し て 戦 闘 は 終 結 す る と い う 見 解 を 支 持 し て い た た め 、 「 敵 の 首 都 」 で 決 定 的 な 戦 闘 を 行 う こ と に こ だ わ っ て い た 。 結 果 と し て 、 松 井 や 朝 香 の 行 為 は 外 交 的 見 地 か ら は 有 害 で あ っ た に も か か わ ら ず 、 天 皇 は 彼 ら を 公 に 嘉 賞 し た の で あ る 。 一 二 月 一 四 日 、 南 京 陥 落 の 翌 日 、 天 皇 は 統 帥 部 に 南 京 陥 落 と 占 領 の 知 ら せ に 満 足 し て い る こ と を 伝 え た 。 松 井 大 将 が 東 京 に 一 時 帰 任 し た き ん ( 聞 ) 一 九 三 八 年 二 月 、 昭 和 天 皇 は 松 井 の 偉 大 な 軍 事 的 功 績 を 嘉 す る 詔 書 を 彼 に 与 え て い た 。 朝 香 宮 が 、 そ の 褒 賞 と し て 金 鵄 勲 章 を 受 け た の は 一 九 四 〇 年 四 月 に な っ て か ら で あ つ 。 こ う し た 方 法 で 、 天 皇 は そ の 権 力 を 間 接 的 に 行 使 し 、 天 が く ぜ ん 皇 の 軍 隊 の 犯 罪 を 見 の が し た の で あ る 。 昭 和 天 皇 は 、 個 人 的 に は 南 京 で 起 き た こ と に 愕 然 と し た か も し れ な い が 、 公 な ん じ 292

昭和天皇(上)


「 真 相 」 第 40 号 ( 1950 〔 昭 和 25 〕 年 4 月 1 日 ) 。 日 本 の 政 治 思 潮 が 右 に 振 れ た 時 期 で さ え 、 諷 刺 雑 誌 は ス ポ ッ ト ラ イ ト の も と で 脱 帽 す る 天 皇 を 人 骨 の 上 に 立 た せ た 。 ア メ リ 力 の 政 策 が 、 極 東 軍 事 裁 判 で 天 皇 を 戦 犯 と し て 起 訴 す る こ と は 防 い だ も の の 、 少 数 と い え ど 無 視 で き な い 数 の 日 本 人 は 戦 争 中 の 重 大 な 誤 り を 知 っ て い て 、 け っ し て 許 そ う と は し な か っ た 。 ( 三 一 書 房 「 真 相 復 刻 版 」 よ り )

昭和天皇(上)


1945 ( 昭 和 20 ) 年 9 月 27 日 。 ア メ リ カ 大 使 館 で の 会 見 で 撮 影 さ れ た マ ッ カ ー サ ー 元 帥 と 天 皇 の 有 名 な 写 真 は 、 相 互 の 協 力 関 係 の 始 ま り を 示 す も の だ っ た 。 こ の 直 後 に 日 本 の 新 聞 に 掲 載 さ れ た が 、 ア メ リ カ 風 の 形 式 は ら な い ス タ イ ル が 天 皇 へ の 不 遜 と と ら れ か ね な い 境 界 線 上 の 写 真 だ っ た 。 ( 写 真 提 供 ・ 共 同 通 信 社 )

昭和天皇(上)


対 す る 最 終 的 な 指 揮 権 を 行 使 し て い た 。 天 皇 と 統 帥 部 は 、 大 本 営 政 府 連 絡 会 議 を 通 じ て 、 文 民 統 治 機 構 と の 政 策 調 整 を 試 み た 。 し か し 、 昭 和 天 皇 に と っ て 戦 争 指 導 の 調 整 と 統 一 は 達 成 不 可 能 で あ る こ と が 判 明 す る 。 と い う の は 、 大 本 営 で は 陸 海 軍 の 対 立 が 再 現 さ れ る 一 方 、 連 絡 会 議 は 、 国 務 大 臣 が 個 々 に 天 皇 を 輔 弼 す る と い う 原 則 ー ー そ れ は 結 局 、 に 基 づ い て い た か ら で あ る 〔 明 治 憲 法 は 内 閣 が 全 体 と し て 天 皇 の 輔 弼 す る の で は な く 、 各 々 の 国 務 大 臣 が 守 ら れ な か っ た が 所 管 事 項 に つ い て 単 独 で 天 皇 を 輔 弼 す る と い う 原 則 を 採 用 し て い た 〕 。 天 皇 に 単 独 で さ ら に 内 閣 は ( 全 体 と し て ) 軍 を 統 制 す る こ と が で き な か っ た 。 と い う の は 、 内 閣 の 統 合 力 が 弱 く 、 上 奏 す る 権 限 を 持 っ 陸 海 大 臣 は 内 閣 で 特 異 な 立 場 に あ っ た か ら で あ る 。 陸 軍 が 大 本 営 を 支 配 し 、 そ の 独 立 し た 「 最 高 指 揮 権 . が 弱 化 す る こ と を 懸 念 し た 海 軍 は 、 大 本 営 の 設 置 に 際 し て 首 相 と 文 民 を 大 本 営 か ら 除 外 す る こ と を 主 張 し た 。 昭 和 天 皇 は こ の 調 整 を 許 可 し た が 、 そ れ は 効 率 性 を 低 減 さ せ 、 戦 争 を 通 じ 文 民 機 構 と の 情 報 交 換 と 調 整 を 阻 害 し た の で あ る 。 大 本 営 の 設 置 に よ っ て 、 昭 和 天 皇 は 祖 父 明 治 天 皇 で さ え で き な か っ た 行 動 的 な 大 元 帥 と し て 振 る 舞 う こ と が よ り 容 易 で あ る こ と が わ か っ た 。 天 皇 に よ る 最 高 命 令 の 伝 達 、 す な わ ち 大 陸 命 〔 陸 軍 に 対 す る 統 帥 命 令 〕 、 大 海 令 〔 海 軍 に 対 す る 統 帥 命 令 〕 は 、 各 方 面 軍 司 令 官 、 軍 司 令 官 、 し ば し ば 師 団 長 、 艦 隊 司 令 官 宛 に も 直 接 出 さ れ 、 参 謀 総 長 と 軍 令 部 総 長 と は 天 皇 の 命 令 の 「 伝 達 者 」 と し て 機 能 し た 。 天 皇 が 大 本 営 の す べ て の 命 令 を 精 査 す る こ と は 物 理 的 に は 不 可 能 だ こ れ ら の 命 令 は 、 統 帥 部 が 伝 達 す る 前 に 昭 和 天 皇 に よ り 注 意 深 が 、 最 高 の 範 疇 と な る ー ー 天 皇 の 最 高 の 統 帥 命 令 く 吟 味 さ れ て い た 。 同 じ こ と は 統 帥 部 長 が 大 陸 命 、 大 海 令 に 基 づ い て 出 す さ ら に 重 要 な 命 令 や 指 令 に つ い て も い え る 。 ま ず 陸 海 軍 の 作 戦 課 で つ く ら れ た 草 案 は 、 部 課 長 ク ラ ス に よ り 修 正 さ れ 、 次 長 か ら 総 長 へ と 指 揮 系 統 に 沿 っ て 上 げ ら れ て ゆ き 、 発 令 戦 さ れ る 前 に 天 皇 の 裁 可 を 仰 ぐ た め 最 終 的 に は 天 皇 に 上 奏 さ れ る 。 こ の よ う に 、 日 本 の 戦 争 体 制 全 体 の 活 力 と な っ た ば 章 か り か 、 侵 略 戦 争 を 遂 行 す る た め の 政 策 、 戦 略 、 命 令 を 注 意 深 く 吟 味 し て 裁 可 し た 自 由 に 行 動 で き る 個 人 と し て 、 天 第 皇 の 責 任 は き わ め て 大 き い