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枢密院議長の日記から 328件ヒットしました。

枢密院議長の日記


勇 三 郎 の 日 記 ( 大 正 15 年 9 月 17 日 ~ 12 月 31 日 分 ) ※ 国 立 国 会 図 書 館 ホ ー ム ペ ー ジ よ り 転 載 島 薩 男 え 正 十 五 キ 十 月 一 一 十 合 男 爵 爵 記 。 御 璽 の 上 に 大 正 天 皇 の 名 ( 嘉 仁 ) と な ら ん て 、 摂 政 時 代 の 昭 和 天 皇 の 名 ( 裕 仁 ) が 見 え る

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『 恋 の 華 ・ 白 蓮 事 件 』 永 畑 道 子 ( 一 九 九 〇 年 四 月 ・ 文 春 文 庫 ) 『 有 馬 頼 寧 日 記 2 』 尚 友 倶 楽 部 ・ 伊 藤 隆 編 ( 一 九 九 九 年 十 一 月 ・ 山 川 出 版 社 ) 『 七 十 年 の 回 想 』 有 馬 頼 寧 ( 一 九 五 三 年 十 二 月 ・ 創 元 社 ) 『 評 伝 廣 津 和 郎 』 坂 本 育 雄 ( 二 〇 〇 一 年 九 月 ・ 翰 林 書 房 ) 『 摘 録 断 腸 亭 日 乗 ( 上 ・ 下 ) 』 永 井 荷 風 、 磯 田 光 一 編 ( 一 九 八 七 年 七 、 八 月 ・ 岩 波 文 庫 ) 『 狂 気 と 王 権 』 井 上 章 一 ( 一 九 九 五 年 五 月 ・ 紀 伊 国 屋 書 店 ) 『 西 園 寺 公 と 政 局 ( 第 一 一 巻 ) 』 原 田 熊 雄 ( 一 九 五 〇 年 十 一 月 ・ 岩 波 書 店 ) 『 昭 和 天 皇 独 白 録 』 寺 崎 英 成 他 編 ( 一 九 九 一 年 三 月 ・ 文 藝 春 秋 ) 『 昭 和 史 の 謎 を 追 う ( 上 ) 』 秦 郁 彦 ( 一 九 九 三 年 三 月 ・ 文 藝 春 秋 ) 『 二 ・ 一 一 六 事 件 ( 第 三 巻 ) 』 松 本 清 張 ( 一 九 八 六 年 一 一 月 ・ 文 藝 春 秋 ) 『 明 治 維 新 人 名 辞 典 』 ( 一 九 八 一 年 九 月 ・ 吉 川 弘 文 館 ) 『 久 留 米 人 物 誌 』 久 留 米 人 物 誌 刊 行 委 員 会 ( 一 九 八 一 年 十 月 ・ 菊 竹 金 文 堂 ) 407 主 要 参 考 文 献

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静 な 住 宅 街 が 見 え て く る 。 昔 の 地 図 て い え ば 、 陸 軍 戸 山 学 校 に 隣 接 し た あ た り て あ る 。 倉 富 が 住 ん て い た 家 は も ち ろ ん な い が 、 倉 富 の 旧 宅 が あ っ た 旧 地 番 付 近 に 、 古 い 庭 木 を 残 し た 一 画 が あ っ た 。 か な り 大 き な 桜 や 楓 の 木 が 、 倉 富 の 住 居 跡 の 名 残 を 伝 え て い る よ う ヾ , 、 つ 、 」 0 倉 富 が 戸 塚 の 家 ぞ 暮 ら し た の は 、 一 年 足 ら す だ っ た 。 昭 和 九 年 五 月 、 倉 富 は 枢 密 院 議 長 を 辞 職 し 、 七 月 に は 郷 里 の 福 岡 に 帰 っ た 。 昭 和 十 一 年 に は 、 家 督 を 長 男 の 鈞 に 譲 っ て 完 全 に 隠 居 生 活 に 入 っ た 。 鈞 は こ れ を 機 に 男 爵 を 襲 爵 し 、 昭 和 十 六 年 に は 貴 族 院 議 員 と な っ た 。 前 出 の 倉 富 英 郎 氏 は 、 帰 郷 し て 一 年 四 カ 月 後 の 昭 和 十 年 十 一 月 、 初 孫 の 結 婚 式 に 出 席 す る た め 、 九 州 か ら 上 京 し た 倉 富 の 姿 に 強 い 印 象 を 刻 ま れ た 。 「 僕 の 一 番 上 の 姉 ( 寛 子 ) が 、 鈴 木 喜 三 郎 の 次 男 と 結 婚 し た ん て す 。 初 孫 の 結 婚 だ と い う の て 、 九 州 か ら 婆 さ ん と そ ろ っ て わ ざ わ ざ 出 て き た 。 そ の と き 、 昭 和 天 皇 に も 枢 密 院 議 長 を 辞 め て か ら 初 め て 拝 謁 し て い ま す 。 び つ く り 仰 天 し た の は 、 九 羽 に 帰 る と き て す 。 僕 は そ の 頃 、 学 習 院 の 中 等 科 に 通 っ て い た ん て す が 、 学 校 か ら ま っ す ぐ 家 に 戻 ら な い て 、 そ の ま ま 東 京 駅 に 来 な さ い 、 後 は 東 京 駅 の 駅 長 が 案 内 す る か ら 、 と 言 わ れ た 。 112

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ふ た が み ひ ょ う じ 結 ぶ べ き か 」 と い う 倉 富 に 対 し 、 倉 富 を 訪 ね て き た 枢 密 院 書 記 官 長 の 一 一 上 兵 治 が 、 「 伊 藤 ( 博 文 ) 、 山 県 ( 有 朋 ) 等 が 在 る と き は 整 然 た る も の に て : : : 」 と 答 え る 、 古 老 の 回 顧 談 め い た や り と り が 記 さ れ て い る く ら い の も の て 、 緊 張 感 は ま っ た く な い 。 あ き ひ と 昭 和 八 年 十 二 月 二 十 三 日 の 皇 太 子 明 仁 ( 現 ・ 天 皇 ) 誕 生 に 際 し て も 、 「 大 宮 御 所 ( , こ 行 き 帳 簿 に 署 名 し て 親 王 殿 下 御 降 誕 を 奉 賀 」 と い う 、 一 般 参 賀 客 の 記 帳 並 み の 祝 辞 が 見 え る だ け て あ る 。 翌 日 の 日 記 に 書 か れ て い る の も 、 皇 室 に や っ と 生 ま れ た 男 児 を 慶 祝 す る 記 述 て は な い 。 こ く ぶ さ ん が い こ の 日 、 倉 富 を 訪 ね て き た の は 宮 中 顧 問 官 の 国 分 三 亥 て あ る 。 そ の 国 分 三 亥 と 、 森 鵰 外 に 目 を か け ら れ て 昭 和 の 元 号 の 起 草 に 関 わ り 、 皇 太 子 明 仁 の 名 前 を 命 名 し た 宮 内 省 図 書 寮 の 吉 田 増 蔵 に 関 す る 、 人 事 が ら み の 他 愛 も な い 噂 話 が 、 こ の 日 の 倉 富 日 記 の 大 半 を 占 め て い る 。 そ ん な 中 て 異 彩 を 放 つ の が 昭 和 五 年 の 日 記 て あ る 。 ギ ネ ス 級 の 長 さ を 誇 る 倉 富 日 記 の な か て 、 単 年 度 の 分 量 て は こ の 年 が 最 長 記 録 と な っ て い る 。 こ の 年 は ロ ン ド ン 海 軍 条 約 ( 以 下 ロ ン ド ン 条 約 ) の 調 印 が あ り 、 そ の 可 否 が 枢 密 院 に 諮 詢 お さ ち さ れ た 。 倉 富 は 枢 密 院 議 長 と し て 時 の 浜 口 雄 幸 内 閣 と 鋭 く 対 立 し 、 一 敗 地 に ま み れ て い る 。 残 念 な が ら 世 論 も 倉 富 に は 味 方 し な か っ た 。 主 に 手 続 き 論 を め ぐ る 争 い だ っ た と こ ろ 353 第 七 章 ロ ン ド ン 海 軍 条 約

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富 は 芝 浦 ま て 出 向 い て 一 行 を 迎 え 、 九 日 は 人 力 車 に 乗 っ て 東 久 邇 宮 邸 に お も む き 、 通 夜 の 化 頂 揮 を と っ て い る 。 以 上 あ げ た 記 述 か ら 伝 わ っ て く る の は 、 た と え ど ん な 場 面 に あ っ て も 、 あ く ま て 手 続 き を 遵 守 し 、 事 態 に て き ば き と 対 処 す る 倉 富 の い か に も 宮 内 官 僚 ら し い 厳 正 な 態 度 て あ る 。 皇 族 の 遺 骸 の 運 搬 や 、 帰 京 す る 皇 族 の た め に わ ざ わ ざ 駆 逐 艦 を 差 し 向 け る 。 倉 富 日 記 に よ っ て 明 ら か に さ れ た こ の 事 実 は 、 天 皇 制 国 家 の 内 実 を 語 っ て 面 目 躍 如 た る も の が あ る 。 一 方 、 枢 密 顧 間 官 と し て の 記 述 て 注 目 に 値 す る の が 、 六 日 午 後 三 時 か ら 宮 中 東 溜 の 間 て 開 か れ た 枢 密 院 会 議 に お け る 倉 富 の 態 度 て あ る 。 こ の 日 の 議 題 は 、 震 災 に 乗 じ た 暴 利 の 取 締 令 、 支 払 い 延 期 と い う 一 二 つ の 緊 急 勅 の 勅 令 、 流 言 飛 語 の 取 締 令 、 摂 令 の 審 議 だ っ た 。 档 倉 富 は こ の 会 議 て 司 法 官 僚 出 身 ら し い 筋 論 の 質 関 東 大 震 災 の 被 害 状 況 を 視 察 す る 昭 和 天 皇 337 第 七 章 ロ ン ド ン 海 軍 条 約

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範 増 補 に よ っ て 初 め て 行 わ れ た 日 本 皇 族 と 朝 鮮 王 族 の 結 婚 だ っ た 。 奇 し き 因 縁 と い う べ き か 、 梨 本 宮 方 子 は 女 子 学 習 院 時 代 、 そ の 後 、 宮 中 某 重 大 事 件 て 世 間 を 賑 わ す こ と に な る 久 邇 宮 良 子 の 一 級 上 だ っ た 。 皇 太 子 裕 仁 ( 後 の 昭 和 天 皇 ) の お 妃 候 補 が 取 沙 汰 さ れ 始 め た と き に は 、 良 子 と 並 ん て 最 有 力 候 補 と さ れ た 。 翌 大 正 十 年 八 月 十 八 日 、 垠 と 方 子 の 間 に は 長 男 晋 が 生 ま れ 、 新 聞 は 「 日 鮮 融 和 の シ ン ポ ル 」 と 書 き た て た 。 倉 富 は 垠 と 方 子 が 結 婚 し た 大 正 九 年 四 月 か ら 、 帝 室 会 計 審 査 局 長 官 の 役 職 の ま ま 宗 秩 寮 御 用 掛 を 兼 務 し て 李 王 世 子 顧 問 と な り 、 日 本 と 朝 鮮 の 架 け 橋 と い わ れ た こ の カ ッ プ ル の 後 見 人 的 役 割 を 担 っ て い た 。 倉 富 と 朝 鮮 の 関 係 は 古 く 、 明 治 四 十 年 九 月 、 韓 国 法 部 次 官 に 任 じ ら れ た 妻 夫 中 こ と に 始 ま る 。 明 治 四 十 二 年 十 一 月 に は 韓 国 統 監 府 司 法 庁 長 官 兼 統 監 府 督 参 の 動 代 時 子 与 官 と な り 、 日 韓 併 合 後 の 明 治 四 十 三 新 悸 年 十 月 か ら 大 正 一 一 年 ま て は 、 朝 鮮 総 督 117 第 三 章 朝 鮮 王 族 の 事 件 簿

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い 補 く 反 更 ぐ 如 対 迭 実 の 内 い 閑 り 才 . 、 の は 答 大 院 抜 な 見 と 自 ん 臣 宮 け く が き 分 は は 載 、 相 あ な も さ 最 槌 イ 二 ど 内 す 皇 っ 親 後 を た 、 大 が を 王 の 打 の 東 臣 に 輔 ー と つ だ 郷 と 老 丿 匸 東 老 て 傷 郷 と て て 、 は 平 が 東 あ 助 し い っ 郷 る 八 て る 西 園 寺 公 望 。 す 力 す が か の 大 る 撃 は 十 時 正 幕 ト い 滅 日 秩 に 閑 人 、 末 八 中 よ だ に 父 し は 過 院 日 を 昭 フ 路 て 単 艾 宮 あ 和 生 に フ 軍 争 か な 取 な 載 の げ と の 神 の ら か 仁 田 重 し 、 と 日 辞 て 責 つ 見 倉 人 職 な 本 職 上 任 た 王 の 明 っ 海 を 示 者 。 の ち の 天 冫 ロ あ た 海 迫 し の 日 召 参 と る 東 戦 和 謀 代 を ら た い も 郷 て 、 が 人 十 総 錯 輔 正 訳 あ れ た 何 て 、 誤 弼 ロ 長 シ 人 の あ 年 し 昭 な は ぶ の ア 物 役 郎 り た 和 け だ り の の て 、 な は こ 西 と が れ の ヾ あ も わ あ る 立 ば ら き 寺 な そ ノ レ フ 。 た う 寮 十 チ は 激 ハ お れ ッ ず 養 事 飾 返 、 動 な す 対 、 中 件 っ 内 り し い る の と 艦 事 て 、 た 大 時 の と と の 件 い 隊 、 発 臣 イ に い 内 西 後 違 候 を 閣 園 フ ス 第 七 章 ロ ン ド ン 海 軍 条 約 361

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れ 、 帰 宅 し た の は 夕 刻 だ っ た 。 発 作 が 起 き た の は そ の 翌 日 て 、 や は り 早 朝 だ っ た 。 〈 午 前 五 時 前 、 内 子 痙 攣 を 起 し 、 気 絶 す 。 電 話 に て 医 多 納 栄 一 郎 を 招 き 、 看 護 婦 を 雇 ひ 、 又 鎌 倉 に 電 話 し て 隆 を 召 ば ん と す 。 電 話 通 ぜ ず 。 乃 ち 電 信 を 発 す 。 八 時 後 に 至 り 電 話 始 め て 通 ず 。 乃 ち 広 津 直 人 妻 を し て 隆 に 内 子 の 病 を 告 げ 、 直 に 来 る べ き 旨 を 通 ぜ し む 。 ( 中 略 ) 十 時 後 、 隆 来 る 。 内 子 は 午 前 中 痙 攣 を 発 す る こ と 三 回 、 午 後 二 回 な り 。 予 は 午 後 零 時 後 よ り 宮 内 省 に 出 勤 す 。 予 が 家 に 帰 り た る を 待 ち 、 隆 は 夜 に 入 り 鎌 倉 に 帰 る 。 午 後 、 枢 密 院 の 審 査 委 員 会 に 列 す 〉 隆 は 倉 富 の 三 男 ぞ 、 こ の 当 時 、 郷 里 の 久 留 米 か ら 上 京 し て 宮 内 省 に 一 時 勤 め た が 、 病 を 得 て 鎌 倉 ぞ 療 養 中 だ っ た 。 広 津 直 人 は 内 子 夫 人 の 兄 て 、 明 治 期 に 一 世 を 風 靡 し た 作 家 の 広 津 柳 浪 だ と い う こ と は す て に 何 度 か 述 べ た 内 子 夫 人 は 昭 和 三 ( 一 九 二 八 ) 年 十 一 月 十 日 、 京 都 御 所 て 行 わ れ た 昭 和 天 皇 の 即 位 の 大 礼 の 席 て も 、 脳 貧 血 を 起 こ し て い る 。 倉 富 日 記 に 病 弱 な 夫 人 へ の 直 接 の い た わ り の 一 言 葉 は 書 き と め ら れ て い な い 。 た か 、 そ の 274

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平 八 郎 に 強 い 共 感 を 抱 い て い た こ と は 想 像 に 難 く な い 倉 富 が 昭 和 七 年 の 五 ・ 一 五 事 件 後 の 混 乱 し た 事 態 を 収 拾 す る た め 、 元 老 の 西 園 寺 公 望 に 長 広 舌 を ふ る っ て 東 郷 平 八 郎 を 内 大 臣 に 強 く 推 挙 し た こ と は 、 前 に 述 べ た 。 倉 富 の そ の と き の 大 時 代 な ふ る ま い は 、 そ の 二 年 前 の ロ ン ド ン 条 約 に 対 す る 東 郷 平 八 郎 の ポ ジ シ ョ ン が 、 少 な か ら ず 影 響 し て い た し か し 、 「 乞 骸 始 末 」 の な か に 登 場 す る 倉 富 は 、 緊 急 勅 令 を 審 議 し た 関 東 大 震 災 下 の 枢 密 院 会 議 の と き と 同 様 、 あ く ま て 法 の 精 神 に の っ と っ た 筋 論 を 通 し て い る 。 軍 縮 条 約 批 准 へ の 不 信 ロ ン ド ン 条 約 の 審 議 が 枢 密 院 に 諮 詢 さ れ た の は 、 昭 和 五 年 七 月 二 十 四 日 だ っ た 。 「 乞 骸 始 末 」 は 述 べ て い る 。 〈 七 月 二 十 四 日 、 ロ ン ド ン 海 軍 条 約 批 准 の 御 諮 詢 あ り 。 同 日 午 後 四 時 一 一 十 五 分 頃 、 枢 密 院 書 記 官 堀 江 季 雄 よ り 予 の 家 に 電 話 し 、 条 約 案 の 御 諮 詢 あ り た る こ と を 通 知 す 。 予 が 正 に 堀 江 と 電 話 す る と き 、 内 閣 総 理 大 臣 浜 口 雄 幸 来 訪 す 〉 浜 口 は 、 葉 山 御 用 邸 て 避 暑 中 の 天 皇 陛 下 に 拝 謁 し 、 条 約 案 の 諮 詢 を 奏 請 し 、 併 せ て 条 約 案 の 審 議 を 進 め る こ と を 枢 密 院 議 長 に 交 渉 す べ き 旨 を 奏 上 し た と こ ろ 、 枢 密 院 の 会 議 が 開 372

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明 治 十 年 、 倉 富 は 前 年 に 開 設 さ れ た ば か り の 司 法 省 法 学 校 速 成 科 ( 期 間 一 一 年 ) に 入 学 し 、 フ ラ ン ス 人 法 学 者 の ボ ア ソ ナ ー ド ら か ら 刑 法 、 民 法 、 行 政 法 な ど を 学 ん だ 。 倉 富 が 入 学 し た 司 法 省 法 学 校 は 、 そ の 後 、 東 京 大 学 法 学 部 に 吸 収 さ れ た 。 後 の 日 記 に 見 ら れ る 倉 富 の 驚 異 的 な 記 憶 力 と 場 面 再 現 能 力 は 、 こ の 時 代 に 培 わ れ た よ う な 気 が す る 。 こ の 時 代 の 裁 判 に 公 判 記 録 を と る 速 記 制 度 が 導 入 さ れ て い た か ど う か は 不 明 オ カ た と え そ れ が 導 入 さ れ て い た と し て も 、 公 判 の 様 子 を 頭 に 叩 き 込 む た め の 基 礎 訓 練 は 司 法 官 の 絶 対 条 件 だ っ た は ず て あ る 。 明 治 十 一 一 年 十 一 月 、 倉 富 は 司 法 省 の 十 六 等 出 仕 と な っ こ 。 オ こ こ か ら 倉 富 の 半 世 紀 以 上 に 及 ぶ 長 い 官 僚 生 活 が 始 ま っ た 。 村 夫 子 然 と し た 風 貌 い ま 私 の 手 元 に 、 孫 の 英 郎 氏 が 提 供 し て く れ た 、 爵 位 服 に 威 儀 を 正 し た 倉 富 の 記 念 写 真 が あ る ( ロ 絵 参 照 ) 。 こ れ は 、 昭 和 三 年 十 一 月 十 日 、 京 都 御 所 て 行 わ れ た 昭 和 天 皇 の 即 位 の 大 礼 時 に 、 や は り 正 装 し た 内 子 夫 人 と 並 ん て 記 念 撮 影 さ れ た も の て あ る 。 内 子 夫 人 は 前 述 し た よ う に 、 明 治 初 期 に 日 朝 交 渉 を 担 当 し た 外 交 官 の 広 津 弘 信 の 長 女 100