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昭和天皇(下)


昭 和 天 皇 ( 下 )

昭和天皇(上)


昭 和 天 皇 ( 上 )

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


表 I ー 1 和 風 謚 号 神 日 本 磐 余 彦 天 皇 神 渟 名 川 耳 天 皇 「 日 本 書 紀 」 の 編 年 の あ ら ま し 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 巻 二 十 30 31 32 33 34 35 巻 二 四 36 巻 二 五 37 38 巻 二 七 巻 一 39 料 40 131 ー 190 192 ー 200 201 ー 269 270 ー 310 313 ー 399 400 ー 405 406-410 412 ー 453 454 ー 456 457 ー 479 480 ー 484 485 ー 487 488 ー 498 499 ー 506 507 ー 531 534 一 535 536 ー 539 540 ー 571 572 ー 585 586 ー 587 588 ー 592 593 ー 628 629 ー 641 642 ー 644 645 ー 649 655 ー 661 662 ー 671 神 武 天 皇 綏 靖 大 皇 安 寧 天 皇 懿 徳 天 皇 孝 昭 天 皇 孝 安 天 皇 孝 霊 天 皇 孝 元 天 皇 開 化 天 皇 崇 神 天 皇 垂 仁 天 皇 景 行 天 皇 成 務 天 皇 仲 哀 天 皇 神 功 皇 后 応 神 天 皇 仁 徳 天 皇 履 中 天 皇 反 正 天 皇 允 恭 天 皇 安 康 天 皇 雄 略 天 皇 清 寧 天 皇 顕 宗 天 皇 仁 賢 天 皇 武 烈 天 皇 継 体 天 皇 安 閑 大 皇 宣 化 天 皇 欽 明 天 皇 敏 達 天 皇 用 明 天 皇 崇 峻 天 皇 推 古 天 皇 舒 明 天 皇 皇 極 天 皇 孝 徳 天 皇 斉 明 天 皇 天 智 天 皇 天 武 天 皇 持 統 天 皇 磯 城 津 彦 玉 手 看 天 皇 大 日 本 彦 耜 友 天 皇 観 松 彦 香 殖 稲 天 皇 日 本 足 彦 国 押 人 天 皇 大 日 本 根 子 彦 太 瓊 天 皇 大 日 本 根 子 彦 国 牽 天 皇 稚 日 本 根 子 彦 大 日 日 天 皇 御 間 城 入 彦 五 十 瓊 殖 天 皇 活 目 入 彦 五 十 狭 茅 天 皇 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 稚 足 彦 天 皇 足 仲 彦 天 皇 気 長 足 姫 尊 誉 田 天 皇 大 鷦 鷯 天 皇 去 来 穂 別 天 皇 瑞 齒 別 天 皇 雄 朝 津 間 稚 子 宿 禰 天 皇 穴 穂 天 皇 大 泊 瀬 幼 武 天 皇 白 髪 武 広 国 押 稚 日 本 根 子 天 皇 弘 計 天 皇 億 計 天 皇 小 泊 瀬 稚 鷦 鷯 天 皇 男 大 迹 天 皇 広 国 押 武 金 日 天 皇 武 小 広 国 押 盾 天 皇 天 国 排 開 広 庭 天 皇 渟 中 倉 太 珠 敷 天 皇 橘 豊 日 天 皇 泊 瀬 部 天 皇 豊 御 食 炊 屋 姫 天 皇 息 長 足 日 広 額 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 万 豊 日 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 命 開 別 天 皇 天 渟 中 原 瀛 真 人 天 皇 高 天 原 広 野 姫 天 皇 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 五 巻 七 巻 七 巻 八 巻 九 巻 十 巻 十 一 巻 十 二 巻 十 二 巻 十 三 巻 十 三 巻 十 四 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 六 巻 十 七 巻 十 八 巻 十 八 巻 十 九 巻 紀 年 数 60 年 9 年 69 年 41 年 87 年 6 年 5 年 42 年 3 年 23 年 5 年 3 年 11 年 8 年 25 年 2 年 4 年 32 年 14 年 2 年 5 年 36 年 13 年 3 年 5 年 ( 大 化 ド 3 5 年 ( 白 雉 ) 7 年 10 年 14 年 1 年 ( 赤 鳥 ) 11 年 享 年 127 歳 84 歳 57 歳 77 歳 ( 立 ) 料 114 歳 ( 立 ) 137 歳 ( 立 ) 128 歳 ( 立 ) 116 歳 ( 立 ) 115 歳 120 歳 140 歳 106 歳 107 歳 52 歳 100 歳 110 歳 82 歳 70 歳 73 歳 63 歳 ( 生 ド 2 75 歳 70 歳 在 位 期 間 B . C .29 ー 70 B . C. 97 ー 30 B. C. 157 ー 98 B . C. 214 ー 158 B . C. 290 ー 215 B . C. 392 ー 291 B. C .475 一 393 B. C .510 ー 477 B . C. 548 ー 511 B . C. 581 ー 549 B. C .660 ー 585 ー ノ い 巻 三 十 71 ー 130 687 ー -- 697 672 ー 685 650-654 686 * 1 : 立 太 子 時 の 年 齢 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 立 ) と 記 す 。 * 2 : 出 生 年 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 生 ) と 記 す 。 * 3 : 西 暦 645 年 は 、 6 月 18 日 ま で は 、 皇 極 四 年 、 6 月 19 日 以 降 は 大 化 元 年 と な る 。 * 4 : 「 日 本 書 紀 」 で は 、 天 武 天 皇 は 第 39 代 、 持 統 天 皇 は 第 40 代 で あ る が 、 明 治 時 代 に 大 友 皇 子 が 弘 文 天 16 皇 と し て 第 39 代 天 皇 と し て 数 え ら れ る よ う に な っ た た め 、 今 日 で は 、 天 武 天 皇 以 下 代 数 が 一 代 下 が る 。

世界 2016年 9月号


こ こ ま で で 、 後 は 次 の 代 に ゆ だ ね ざ る を 得 な い で し よ う 。 じ め と す る 四 人 の 男 子 は 、 す べ て 貞 明 皇 后 か ら 生 ま れ ま し た 。 た だ 実 際 に は 、 『 皇 后 考 』 ( 講 談 社 ) に 書 い た よ う に 、 大 正 天 革 新 さ れ つ づ け て き た 天 皇 像 皇 に は お 気 に 入 り の 女 官 が 何 人 か い た ば か り か 、 性 的 関 係 が 古 代 以 来 の 天 皇 制 の 歴 史 の な か で 、 明 治 か ら 平 成 ま で の 百 あ っ た 疑 い す ら あ る の で 、 一 夫 一 婦 制 に は 綻 び が あ っ た わ け で す が 。 世 数 十 年 間 と い う の は 、 天 皇 が 強 大 な 権 力 を も ち 、 そ の 「 遺 て る の み や し げ こ 産 」 が 戦 後 も な お 色 濃 く 残 っ た 特 殊 な 時 代 と い え る で し よ う 。 昭 和 天 皇 の 第 一 子 は 、 照 宮 成 子 と い う 女 子 で し た 。 当 時 皇 な が こ 現 天 皇 は 、 そ れ ら を 少 し で も 取 り 除 い て お く こ と が 、 長 い 目 太 子 妃 だ っ た 母 親 の 良 子 、 後 の 香 淳 皇 后 は 、 こ の 成 子 内 親 王 で 見 た と き に 天 皇 制 の 安 定 、 ひ い て は 永 続 に つ な が る と 考 え を 里 子 に 出 さ ず に 、 自 ら 母 乳 で 育 て ま し た 。 た だ 、 慣 例 に し て い る よ う に も 見 え る の で す 。 た が わ な い 昭 和 天 皇 と 香 淳 皇 后 に 高 松 宮 や 皇 太 后 節 子 ( 貞 明 し か し 、 明 治 天 皇 か ら 大 正 天 皇 へ 、 大 正 天 皇 か ら 昭 和 天 皇 皇 后 ) が 反 対 し 、 結 局 、 学 習 院 に 入 学 す る 際 、 成 子 は 旧 本 丸 へ 、 そ し て 昭 和 天 皇 か ら 現 天 皇 へ と 、 近 代 以 降 の 代 替 わ り を ( 現 皇 居 東 御 苑 ) に で き た 養 育 施 設 「 呉 竹 寮 」 に 入 れ ら れ 、 別 追 っ て い く と 、 こ の 百 数 十 年 間 だ け で も 単 な る 元 号 の 変 更 に 居 が 始 ま り ま す 。 し か し 、 母 親 の も と で 数 年 で も 成 子 が 育 て 止 ま ら な い 深 い 変 化 、 断 絶 と 革 新 が 起 き て き た こ と が わ か り ら れ た と い う の は 、 前 の 代 ま で な ら ば 考 え ら れ な か っ た こ と ま す 。 で す 。 た と え ば 、 天 皇 の 家 庭 の あ り 様 を み る と 、 明 治 時 代 に は 、 さ ら に 時 代 が 下 る と 、 現 天 皇 で あ る 皇 太 子 夫 妻 が 東 宮 御 所 な る ひ と 表 向 き は 一 夫 一 婦 を 演 出 し 、 御 真 影 も 天 皇 と 皇 后 一 対 の も の で 生 活 す る よ う に な る 。 第 一 皇 子 ・ 徳 仁 ( 現 皇 太 子 ) が 生 ま れ め の と る と 、 乳 人 を 初 め て 名 実 と も に 廃 止 し て 、 皇 太 子 妃 が 自 ら 料 が 用 意 さ れ ま し た 。 西 洋 列 強 の 目 を 意 識 し て 、 日 本 の 近 代 化 を ア ピ ー ル す る ね ら い が あ っ た わ け で す が 、 実 態 と し て は 後 、 理 を し た り 、 「 ナ ル ち ゃ ん 憲 法 」 と 呼 ば れ た 育 児 の 手 引 き 書 宮 が 存 在 し て 、 子 ど も は 皆 、 側 室 に 当 た る 女 官 か ら 生 ま れ ま ま で つ く っ て 、 自 分 た ち だ け で 育 て た り す る 、 近 代 的 な 家 庭 を 築 く わ け で す 。 し た 。 大 正 天 皇 も そ う で す 。 そ の 意 味 で ま だ 江 戸 時 代 の 名 残 が あ っ た わ け で す 。 ま た 明 治 時 代 に は 、 天 皇 が 私 的 な 理 由 で 御 用 邸 に 行 く こ と と こ ろ が 大 正 天 皇 と 貞 明 皇 后 は 、 後 宮 を 有 名 無 実 化 し 、 名 は あ り ま せ ん で し た が 、 , 大 正 に な る と 毎 年 夏 と 冬 に 天 皇 と 皇 実 と も に 一 夫 一 婦 制 を 実 現 さ せ よ う と し ま す 。 昭 和 天 皇 を は 后 が そ ろ っ て 御 用 邸 に 長 期 間 滞 在 す る よ う に な り ま す 。 代 替 さ だ こ

波 2016年 10 月号 [雑誌]


昭 和 天 皇 ー 御 召 列 車 全 記 録 』 全 貌 が 明 ら か に な っ た 昭 和 天 皇 御 召 列 車 全 記 録 「 天 皇 の 旅 路 」 『 昭 和 天 皇 実 録 』 は 鉄 道 情 報 の 宝 庫 だ っ た ! ? 数 千 点 に の ぼ る 鉄 道 資 料 と 突 き 合 わ せ て 原 武 史 あ ぶ り 出 し た 仰 天 の 昭 和 天 皇 鉄 道 乗 車 記 録 。 監 修 者 原 武 史 氏 と 保 阪 正 康 氏 が 異 色 の 「 皇 室 本 」 に つ い て 語 り 合 っ た 。 人 火 一 1 = ロ = = ロ 呆 阪 正 康 ( ノ ン フ ィ ク ン 作 家 ) 原 武 史 放 送 大 学 教 授 ) 『 昭 和 天 皇 実 録 』 か ら ス ピ ン オ フ 日 本 鉄 道 旅 行 地 図 帳 編 集 部 ( 以 下 編 集 部 ) こ の 本 は 一 昨 年 公 開 さ れ た 『 昭 和 天 皇 実 録 』 ( 以 下 『 実 録 』 ) を も と に 、 昭 和 天 皇 の 皇 孫 時 代 か ら 崩 御 前 年 ま で 、 鉄 道 に 乗 車 し た 記 録 を 抜 き 出 し 、 鉄 道 の 資 料 と 突 き 合 わ せ て 、 年 表 に ま と め た も の で す 。 原 さ ん に は 時 代 解 説 と 監 修 を お 願 い し ま し た 。 保 阪 ま あ よ く 作 り ま し た ね 。 年 表 見 て 、 感 心 す る や ら 、 呆 れ る や ら : ・ : ・ ( 笑 ) 。 泊 ま っ た 旅 館 ま で 実 に よ く 調 べ て い ま す ね 。 こ れ は 全 部 『 実 録 』 に 書 い て あ っ た も の で す か ? 編 集 部 基 本 は 『 実 録 』 の 本 文 で す 。 保 阪 こ の 種 の 本 は 初 め て で し よ う ね ? 編 集 部 御 召 列 車 を テ ー マ に し た 本 は こ れ ま で も 数 は 多 く は あ り ま せ ん が 、 出 て い ま す 。 た だ 乗 車 記 録 を 網 羅 的 に ま と め た 本 は あ り ま せ ん 。 こ れ は 『 実 録 』 が 公 開 さ れ て 初 め て 可 能 に な り ま し た 。 保 阪 と い う こ と は 、 『 大 正 天 皇 実 録 』 や 『 明 治 天 皇 紀 』 な ど か ら 記 録 を 抜 き 出 す の も 可 能 と い う こ と で す か 。 原 や ろ う と 思 え ば で き ま す ね 。

天皇の歴史01巻 神話から歴史へ


天 皇 の 歴 史 全 10 巻 【 編 集 委 員 】 大 津 透 河 内 祥 輔 藤 井 讓 治 藤 田 覚 大 津 透 ( 東 京 大 学 教 授 ) の 巻 神 話 か ら 歴 史 ( の 巻 聖 武 天 皇 と 仏 都 平 城 京 吉 川 真 司 ( 京 都 大 学 教 授 ) 佐 々 木 恵 介 ( 聖 心 女 子 大 学 教 授 ) の 巻 天 皇 と 摂 政 ・ 関 白 河 内 祥 輔 ( 法 政 大 学 教 授 ) の 巻 天 皇 と 中 世 の 武 家 新 田 一 郎 ( 東 京 大 学 教 授 ) 藤 井 讓 治 ( 京 都 大 学 教 授 ) 成 の 巻 天 皇 と 天 下 人 ・ ま 藤 田 覚 ( 東 京 大 学 名 誉 教 授 ) 数 の 巻 江 一 尸 時 代 の 天 皇 抜 の 巻 明 治 天 皇 の 大 日 本 帝 国 西 川 誠 ( 川 村 学 園 女 子 大 学 教 授 ) の 巻 昭 和 天 皇 と 戦 争 の 世 紀 加 藤 陽 子 ( 東 京 大 学 教 授 ) 小 倉 慈 司 ( 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 准 教 授 ) の 巻 天 皇 と 宗 教 山 口 輝 臣 ( 九 州 大 学 准 教 授 ) 渡 部 泰 明 ( 東 京 大 学 教 授 ) 阿 部 泰 郎 ( 名 古 屋 大 学 教 授 ) ⑩ 巻 天 皇 と 芸 能 鈴 木 健 一 ( 学 習 院 大 学 教 授 ) 松 澤 克 行 ( 東 京 大 学 史 料 編 纂 所 助 教 )

SAPIO (サピオ) 2016年 10月号 [雑誌]


対 皇 室 ト ッ プ ニ ュ 1 ス で 扱 い 、 世 太 子 夫 妻 に 火 炎 び ん ひ め る の み 。 ま る で 些 細 な 事 件 さ ら に 、 こ れ が 昭 和 天 皇 か っ て 苛 烈 な 表 現 で 天 皇 の よ う な 扱 い だ 崩 御 の 報 道 に な る と 、 紙 面 を 批 判 し て い た 赤 旗 で 、 近 論 は 大 騒 ぎ に な っ た 。 と こ ゆ り の 塔 付 近 で 暴 力 集 団 」 年 川 月 幻 日 に は 、 皇 太 は 激 烈 な 言 葉 で 埋 め つ く さ 年 、 穏 や か な 表 現 が 目 立 つ ろ が 、 翌 7 月 絽 日 付 「 赤 旗 」 と い う 見 出 し に 180 字 ほ の 紙 面 に 目 を こ ら す と 、 「 皇 ど の べ タ 記 事 で 事 実 を 伝 え 子 明 仁 親 王 が 沖 縄 を 訪 問 さ れ る 。 年 1 月 8 日 付 の 見 よ う に な っ て き た 。 そ の 背 れ 、 沖 縄 平 和 記 念 堂 で 天 皇 出 し に は 、 「 人 圧 と 侵 略 景 に 何 が あ る の か 陛 下 ( 昭 和 天 皇 ) の お 言 葉 戦 争 を 推 進 天 皇 が 死 去 , 々 . 气 霻 4 ー を 代 読 さ れ た 。 そ れ を 報 じ 「 天 皇 制 は 社 会 進 歩 に 逆 行 天 皇 陛 下 を お 迎 え す る 新 た 赤 旗 の 記 事 が 、 「 戦 争 責 任 天 皇 の 死 去 で 識 者 が 談 年 の 国 会 開 会 式 に 、 今 年 、 ー き 朴 い ー に ふ れ ず 天 皇 の こ と ば 、 話 」 「 内 容 も 運 営 も 憲 法 じ ゅ 共 産 党 議 員 が 出 席 し 、 メ デ ' を 皇 太 子 が 代 読 沖 縄 ・ 摩 文 う り ん す る 代 替 わ り 儀 式 」 ィ ア で 騒 ぎ に な っ た 。 仁 」 ( 翫 年 川 月 日 付 ) だ 。 と い っ た 言 葉 が 並 ん で い る 。 『 し ん ぶ ん 赤 旗 』 の 皇 室 報 〈 最 高 の 責 任 者 と し て 侵 略 六 面 と 七 面 の 見 開 き で は 、 道 を 遡 り 、 共 産 党 が こ れ ま 砌 第 ー 戦 争 を ひ き 起 こ し た う え 終 「 1926 年 ー 1989 年 で 皇 室 に 対 し 取 っ て き た 態 戦 の 時 期 を お く ら せ て 沖 縄 戦 前 ・ 戦 後 の 天 皇 裕 仁 の 度 を 振 り 返 れ ば 当 然 の 反 応 県 民 を 国 内 唯 一 の 地 上 戦 の 年 」 と 題 し た 大 特 集 が あ と 一 一 一 口 、 ん る 。 ー , 争 死 り 、 「 暗 黒 政 治 と 侵 略 戦 争 の ・ ・ 戦 場 に 投 げ 入 れ 、 戦 後 は 、 1975 年 7 月 日 、 沖 》 、 て い 略 0 、 ら と ー な 優 カ ” を 気 米 国 に メ ッ セ 1 ジ を 送 っ て 責 任 者 」 「 対 米 従 属 の 国 家 体 縄 海 洋 博 で 訪 沖 し た 皇 太 子 ・ 版 カ ん し 3 明 仁 親 王 ( 今 上 陛 下 ) と 同 い 。 ・ 沖 縄 の 長 期 占 領 支 配 を 求 め 制 の 『 象 徴 』 」 と い 0 た 見 羆 人 天 ゞ タ た み ず か ら の 責 任 に ふ れ な 出 し が 並 ぶ 。 妃 か 、 糸 満 市 の ひ め ゆ り の ー ・ 委 ま 昭 和 天 皇 批 判 の 報 道 は 連 い も の と な っ て い ま す 〉 と 塔 な ど を 慰 霊 で 訪 れ た 際 、 ー は 激 し く 非 難 し て い る 。 批 判 日 続 き 、 別 年 1 月 川 日 付 で 新 左 翼 系 過 激 派 が 火 炎 び ん は 一 面 で 「 天 皇 裕 仁 の 死 去 の 対 象 は 昭 和 天 皇 だ と は い を 投 げ つ け る 事 件 が 起 き た 。 御 え 、 皇 太 子 が 慰 霊 に 訪 れ た と 日 本 共 産 党 の 立 場 宮 本 こ の 「 ひ め ゆ り の 塔 事 件 」 天 こ と へ の 敬 意 の 念 が 微 塵 も 顕 治 議 長 に 聞 く 日 本 歴 史 は 、 皇 室 に 対 す る テ ロ 事 件 昭 感 じ ら れ な い 記 事 で あ る 。 上 最 大 の 惨 禍 も た ら し た 人 で あ り 、 当 時 、 マ ス コ ミ は か っ て は 昭 和 天 皇 を 「 日 本 歴 史 上 最 大 の 惨 禍 も た ら し た 人 物 」 と 評 し て い た フ リ ー ラ イ タ ー 清 水 典 之 共 産 党 と 赤 旗 が 皇 室 に す り 寄 り は じ め た の は な せ か ? 第 0 望 0.0 在 民 に 反 し で 暗 黒 政 治 と 侵 略 戦 争 の 一 捏 者 侵 略 戈 、 S. 〃 / 財 レ し ル れ ch り 第 ん / SAPI 〇 R76.10 24

昭和天皇(下)


に 向 っ て 、 『 今 回 の 日 独 軍 事 協 定 に つ い て は 、 な る ほ ど い ろ イ 、 考 へ て み る と 、 今 日 の 場 合 已 む を 得 ま い と 思 ふ 。 ア メ リ カ に 対 し て 、 も う 打 つ 手 が な い と い ふ な ら ば 致 し 方 あ る ま い 』 」 と 語 っ て い る 。 近 衛 に よ れ ば 、 さ ら に 昭 和 天 皇 は 、 「 万 一 日 本 が 敗 戦 国 と な っ た 時 に 、 一 体 ど う だ ら う か 。 か く の 如 き 場 合 が 到 来 し た 時 に は 、 総 理 も 、 自 分 と 労 苦 を 共 に し て く れ る だ ら う か 」 と 下 問 し た と い う 。 昭 和 天 皇 は 、 三 国 同 盟 に 消 極 的 に 同 意 し た が 、 当 時 、 動 か し が た い 歴 史 の 過 程 に 従 っ た ま で で あ る と し て 、 自 ら の 行 動 を 正 当 化 し て い た 。 昭 和 天 皇 は 、 一 九 〇 二 年 の 祖 父 明 治 天 皇 に よ る 日 英 同 盟 の 裁 可 以 来 、 対 外 関 係 で 君 主 国 の あ り 方 に も っ と も 根 本 的 な 変 化 を も た ら す 同 盟 を 裁 可 し た の は 、 様 々 な 官 僚 勢 力 間 で 対 立 が あ っ た た め だ と 暗 に ほ の め か し て い た 。 し か し 、 昭 和 天 皇 は 、 三 国 同 盟 に 関 す る 自 分 自 身 の 態 度 の 変 化 が 米 国 と の 戦 争 の 可 能 性 を も た ら し た 転 換 点 で あ っ た こ と を 、 よ く 理 解 し て い た 。 , 。 後 こ 、 昭 和 天 皇 は こ れ に つ い て 主 に 松 岡 を 非 難 し 、 ま た 弟 で あ る 秩 父 宮 、 高 松 宮 の せ い で あ る と し た が 、 け っ し て 、 三 国 同 盟 を 裁 可 し た 自 分 自 身 の 判 断 の 誤 り を 省 り み る こ と は な か っ た 。 こ の 頃 、 皇 族 内 で の 序 列 に 微 妙 な 変 化 が 起 き て い た 。 第 二 位 の 皇 位 継 承 者 で あ り 、 昭 和 天 皇 を も っ と も 遠 慮 な く 批 判 し て き た 秩 父 宮 が 、 重 い 結 核 に か か っ た の で あ る 。 秩 父 宮 は 公 的 活 動 か ら 身 を 引 く こ と と な り 、 そ の 結 果 、 高 松 宮 が 、 天 皇 に 不 慮 の 事 故 が あ っ た 場 合 に は 、 摂 政 と な る 立 場 に 置 か れ た の で あ る 。 そ の た め 、 高 松 宮 は 以 前 よ り も 公 文 書 に 目 を 通 す 機 会 が 増 え 、 天 皇 に も 段 々 と 助 言 を す る よ う に な っ た が 、 そ れ は つ ね に 昭 和 天 皇 に と っ て 役 に 立 つ も の で は な か っ た 。 高 松 宮 は 、 日 本 の 対 外 政 策 の 危 機 に 際 し 、 天 皇 と 堅 く 結 び つ く よ り は 、 む し ろ 秩 父 宮 に 近 か っ た 。 弟 た ち は 三 国 同 盟 に 現 状 を 打 破 す る も の と し て 最 高 の 期 待 を 見 出 し 、 一 貫 し て 昭 和 天 皇 の 能 力 に は 欠 点 が あ る と 見 て い 木 戸 に つ い て 見 て み よ う 。 木 戸 の 回 想 に よ れ ば 、 木 戸 も 昭 和 天 皇 も 、 「 『 渦 中 に 入 ら ず 〔 ヨ ー ロ ッ パ で の 戦 争 に 関 わ る こ と な く の 意 〕 、 し か も 孤 立 を 避 け る た め の 手 と し て は 、 ヾ ノ ラ ン ス ・ オ プ ・ パ ワ ー の 政 策 を と り 、 同 盟 の 力 を 背 景 と し て 米 に 話 を つ け る よ り 外 に 手 が な い 』 と の 近 衛 、 松 岡 の 説 明 を 一 応 納 得 し 、 『 好 ま し く な い が 仕 方 が な い と 考 え て い た と い う 。 木 戸 は 、 昭 和 天 皇 と 異 な り 、 三 国 同 盟 に 責 任 が あ る の は 主 に 陸 軍 で あ り 、 海 軍 が 決 定 的 な 役 割 を 果 た し た

風水と天皇陵


第 一 章 ー 現 代 の 天 皇 陵 を 訪 ね て 昭 和 天 皇 武 蔵 野 陵

選択 2016年 10月号


( 現 天 皇 ) へ の 譲 位 と 高 松 宮 の 摂 政 の 記 者 会 見 む 」 を 読 み 上 げ た 。 就 任 を 密 議 し た り 、 芦 田 均 首 相 が で 、 生 涯 で 昭 和 一 一 十 年 の 終 戦 の 御 前 会 議 で る は ポ ッ ダ ム 宣 一 一 豆 又 諾 の 「 聖 断 」 を 一 時 直 剣 に 退 位 を 検 討 。 講 和 ・ 独 最 も 影 響 を れ と 立 回 復 の 際 に は 元 内 大 臣 木 戸 幸 一 受 け た 人 物 下 す 際 に 「 武 装 解 除 ・ 戦 争 犯 罪 人 れ も 退 位 を 勧 め る な ど の 動 き が や ま は 誰 か と い の 差 し 出 し は ん 難 き も 、 国 家 と ご ) 撮 な か っ た 。 典 範 規 定 な ど 何 の 防 波 う 質 問 に 国 民 の 幸 福 の た め に は 、 三 国 干 渉 堤 に も な ら な か っ た の で あ る 。 「 皇 室 の 中 時 の 明 治 天 皇 の 御 決 断 に 倣 い 、 決 冫 -9 、 た 皇 か ら あ げ る し か し 昭 和 天 皇 は マ ッ カ ー サ ー 心 し た 」 ( 『 昭 和 天 皇 実 録 』 ) と 述 べ し 天 監 治 元 帥 と の 約 束 な ど を タ テ に 在 位 し こ と が で き た 。 ま た 昭 和 一 一 十 一 年 の 年 頭 詔 書 統 明 続 け た 。 天 皇 の 真 意 は 今 も っ て 判 る と す れ ば 、 懿 年 ( 「 人 間 宣 一 = 〕 」 ) で は 冒 頭 に 「 五 箇 条 最 晩 然 と し な い が 、 本 人 が 昭 和 四 十 一 一 一 祖 父 明 治 天 の 御 誓 文 」 を 付 け 加 ん さ せ た 。 そ し て 退 位 問 題 に つ い て も 、 明 年 四 月 一 一 十 四 日 に 稲 田 周 一 侍 従 長 皇 を あ げ ま す 。 私 は 常 に 祖 父 の 行 の 意 図 は 確 実 に 成 果 を 挙 げ 、 昭 和 に っ た 記 録 が 、 徳 川 義 寛 元 侍 従 い を 心 に 留 め て い ま す 」 と 答 え て 天 皇 の 姿 勢 に 多 大 の 影 響 を も た ら 治 天 皇 の 「 朕 は 辞 職 す る 能 は ず 長 の 日 記 に 添 付 さ れ て い る の を 見 い る 。 ( 高 橋 紘 『 陛 下 、 お 尋 ね 申 し た 。 そ の こ と は 昭 和 天 皇 が こ の を 想 起 し て い た こ と が 稲 田 の 拝 聴 つ け た 。 し 上 げ ま す 』 ) 後 、 昭 和 十 亠 ハ 年 九 月 六 日 と 同 一 一 十 記 録 に あ っ た 。 「 明 治 天 皇 御 紀 編 纂 に 携 わ っ て い し か し な が ら 、 も し 仮 に 、 こ の 実 際 、 昭 和 天 皇 は 歴 史 の 関 頭 に 年 八 月 十 四 日 の 一 一 度 の 御 前 会 議 、 た 三 上 参 次 か ら 聞 い た こ と で あ る 立 た さ れ た 時 に は 必 ず 明 治 天 皇 の そ し て 翌 一 一 十 一 年 一 月 一 日 の 人 間 明 治 天 皇 の 一 言 が 伊 藤 に 対 す る 皮 宣 一 一 一 一 星 寸 、 幾 度 か の 重 要 な 政 治 的 局 肉 の 意 味 を 帯 び て い た と す れ ば 、 が 、 明 治 天 皇 は 、 大 臣 が 辞 職 す る 事 績 に 言 及 し て い る 。 『 昭 和 天 皇 の と は 違 っ て 、 天 皇 は 記 紀 に 書 か 実 録 』 編 纂 に あ た っ た 宮 内 庁 書 陵 面 で 明 治 天 皇 の 事 績 に ち な ん だ 決 三 上 が 進 講 の 際 に 明 治 天 皇 の 「 聖 れ て い る 神 勅 を 打 し な け れ ば な 部 の 研 究 官 は 、 そ の 背 景 に 『 明 治 断 ・ 発 一 一 一 口 を し て い る こ と か ら も い 徳 」 を 称 揚 せ ん と し て 勢 い 余 っ て 深 読 み し て 講 じ 、 昭 和 天 皇 が こ れ ら な い か ら 退 位 で き な い と 仰 せ ら 天 皇 紀 』 編 纂 に あ た っ た 歴 史 学 者 え る の で あ る 。 」 ( 明 治 聖 徳 記 念 学 よ す が れ た と の こ と で あ る 。 明 治 天 皇 の 三 上 参 次 に よ る 大 正 十 三 年 か ら 昭 会 紀 要 所 収 、 高 橋 勝 浩 『 三 上 参 次 を 便 に し た の で は な い か と の 疑 い 思 召 は 尤 も で あ る と 思 う 」 「 わ た が 、 筆 者 の 胸 中 に 頭 を も た げ る の 和 七 年 に 至 る 進 講 の 影 響 の 大 き さ の 進 講 と 昭 和 天 皇 』 ) し の 任 務 は 祖 先 か ら 受 け 継 い だ 此 を 指 摘 し て い る 。 言 っ ま で も な い が 、 昭 和 十 亠 ハ 年 で あ る 。 高 橋 勝 浩 の 論 文 に よ る と の 国 を 子 孫 に 伝 え る こ と で あ る 」 「 ( 進 講 は ) 明 治 天 皇 の 聖 徳 を 再 び 九 月 六 日 は 、 対 米 英 蘭 開 戦 方 針 を 夥 し い 回 数 行 わ れ た 一 一 一 上 の 進 講 は 「 わ た し は 明 治 天 皇 の 思 召 に 鑑 み 、 認 識 さ せ る と と も に 、 立 憲 君 主 と 含 む 、 「 帝 国 国 策 遂 行 要 領 」 を 決 め 毎 回 感 動 的 な も の だ っ た が 、 同 席 苦 難 に ん て 義 務 を 果 た す 方 が 国 し て の あ り 方 を 再 確 認 さ せ る こ と た 御 前 会 議 。 明 治 天 皇 の 御 製 「 よ し た 側 近 ら の 日 記 に 一 部 記 さ れ て 家 に 忠 を 尽 す こ と に な る と 思 う 」 で あ っ た と い え よ う 。 そ れ は 、 ま も の 海 み な は ら か ら と 思 ふ 世 い る だ け で 、 今 と な っ て は 詳 細 は 昭 和 天 皇 は 昭 和 五 十 年 九 月 六 日 さ し く 帝 王 学 の 一 環 で あ っ た 。 そ に な ど 波 風 の た ち さ わ ぐ ら よ く わ か ら な い と い う 。 ( 敬 称 略 ) 89 皇 室 の 風 2016.10 選 択