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検索対象: 天皇の歴史01巻 神話から歴史へ

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天皇の歴史01巻 神話から歴史へ


天 皇 の 歴 史 全 10 巻 【 編 集 委 員 】 大 津 透 河 内 祥 輔 藤 井 讓 治 藤 田 覚 大 津 透 ( 東 京 大 学 教 授 ) の 巻 神 話 か ら 歴 史 ( の 巻 聖 武 天 皇 と 仏 都 平 城 京 吉 川 真 司 ( 京 都 大 学 教 授 ) 佐 々 木 恵 介 ( 聖 心 女 子 大 学 教 授 ) の 巻 天 皇 と 摂 政 ・ 関 白 河 内 祥 輔 ( 法 政 大 学 教 授 ) の 巻 天 皇 と 中 世 の 武 家 新 田 一 郎 ( 東 京 大 学 教 授 ) 藤 井 讓 治 ( 京 都 大 学 教 授 ) 成 の 巻 天 皇 と 天 下 人 ・ ま 藤 田 覚 ( 東 京 大 学 名 誉 教 授 ) 数 の 巻 江 一 尸 時 代 の 天 皇 抜 の 巻 明 治 天 皇 の 大 日 本 帝 国 西 川 誠 ( 川 村 学 園 女 子 大 学 教 授 ) の 巻 昭 和 天 皇 と 戦 争 の 世 紀 加 藤 陽 子 ( 東 京 大 学 教 授 ) 小 倉 慈 司 ( 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 准 教 授 ) の 巻 天 皇 と 宗 教 山 口 輝 臣 ( 九 州 大 学 准 教 授 ) 渡 部 泰 明 ( 東 京 大 学 教 授 ) 阿 部 泰 郎 ( 名 古 屋 大 学 教 授 ) ⑩ 巻 天 皇 と 芸 能 鈴 木 健 一 ( 学 習 院 大 学 教 授 ) 松 澤 克 行 ( 東 京 大 学 史 料 編 纂 所 助 教 )

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治 天 下 四 十 一 年 」 と 記 す 。 す る と 欽 明 天 皇 の 即 位 年 は 五 三 一 年 、 継 体 天 皇 の 崩 年 に 一 致 す る 。 さ ら に 仏 教 公 伝 の 年 を 、 『 書 紀 』 は 欽 明 十 三 年 ( 五 五 一 l) と す る が 、 『 法 王 帝 説 』 は 「 志 癸 島 天 が ん ご う じ 皇 御 世 戊 午 年 ( 五 三 八 ) 」 の 伝 来 と し 、 『 元 興 寺 伽 藍 縁 起 拜 流 記 資 財 帳 』 に も 、 欽 明 天 皇 の 治 そ が の お お お み い な め 世 、 「 蘇 我 大 臣 稲 目 の 宿 禰 仕 へ 奉 り し 時 、 治 天 下 七 年 歳 次 戊 午 」 に 仏 教 が 伝 来 し た と し 、 五 三 八 年 を 欽 明 七 年 と す れ ば 、 欽 明 元 年 は 五 三 一 一 年 と な る 。 継 体 崩 後 、 欽 明 が 即 位 し た と す る 考 え 方 が あ っ た こ と に な る ち な み に 仏 教 公 伝 に つ い て は 、 教 科 書 に も 五 三 八 年 説 を と る こ と が 多 い が 、 そ こ に 百 済 の 聖 明 王 が 欽 明 天 皇 に 伝 え た と 書 い て し ま う へ と 、 五 三 八 年 は 『 書 紀 』 で は 一 代 前 の 宣 化 天 皇 の 世 で あ り 、 『 書 紀 』 の 皇 統 譜 や 紀 年 城 ー ・ 。 第 洛 4 ~ ヴ ュ 山 . 城 / . 金 官 王 と 大 き く 矛 盾 し て い る こ と に な る 新 羅 年 ハ 第 ・ 、 安 羅 大 き だ さ だ き ち こ う し た 間 題 点 か ら 、 か っ て 喜 田 貞 吉 沙 陀 加 男 公 立 は 、 次 の よ う に 推 測 し た 。 継 体 天 皇 に は 大 注 泚 婁 お わ り の む ら じ ・ 漢 牟 夐 。 山 廷 の 和 に 人 る 前 に 尾 張 連 の 女 目 子 媛 を め と っ て 章 朝 号 三 和 皇 大 半 鮮 生 ん だ 安 閑 ・ 宣 化 が あ り 、 大 和 に 人 っ て 手 第 大 天 の の 白 香 皇 女 と の 間 に 欽 明 を も う け た 。 天 皇 は 紀 6 よ 安 閑 を 即 位 さ せ よ う と し た が 、 天 皇 の 死 後 高 句 麗 国 内 城 興 ) リ 原 徳 興 里 。 大 同 江 、 め の こ

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国 家 の 最 上 位 の 法 に な る の で あ る 。 な お 、 ス メ ラ ミ コ ト と 同 類 の 語 と し て 、 ス メ ロ キ ( 皇 祖 ) ・ ス メ ミ オ ヤ ノ ミ コ ト ( 皇 祖 母 尊 ) ・ ス メ カ ミ ( 皇 祖 神 ) ・ ス メ ミ マ ( 皇 御 孫 ) な ど 、 ス メ の 付 く 語 が あ る 。 ス メ ( ラ ) は 記 紀 神 話 を 背 負 う 皇 統 を 形 容 す る 語 ら し く 、 そ の 語 は ス メ ラ ミ コ ト を 含 め て 推 古 朝 以 前 の 成 立 で あ ろ う 。 こ う し た ス メ ラ ミ コ ト に 対 応 す る 語 と し て 、 天 皇 号 が 推 古 朝 に 考 え 出 さ れ た の だ ろ う 。 日 本 で 独 自 に 考 え 出 し た と し て も 、 天 皇 と い う 語 が 中 国 語 に 存 在 す る こ と は 前 提 で あ る 。 道 し も で せ き ょ 教 の 神 と い う 意 味 は あ る が 、 道 教 の 専 門 家 で あ る 下 出 積 與 氏 は 、 初 期 道 教 に お け る 天 皇 は 必 ず し も 最 高 神 の 地 位 に な い の で お か し い と し て 、 「 『 天 皇 』 称 号 の 由 来 は 、 日 本 の 天 皇 は 天 っ 神 の 子 孫 と し て 天 か ら 降 っ た も の で あ る と い う 古 伝 承 に 基 づ い て 、 そ れ に 適 合 す る 中 国 の 成 語 と し て 『 天 皇 』 と い う の を 借 用 し た 」 と 述 べ て い る 。 た し か に 、 道 教 の 影 響 は 小 さ い し ん お う せ い 『 史 記 』 秦 始 皇 本 紀 に 、 秦 王 政 が 天 下 を 統 一 し た 紀 元 前 二 一 一 一 年 、 王 に 替 わ る 称 号 を 重 臣 た ち に 審 議 さ せ 、 皇 帝 号 が 創 始 さ れ る 記 事 が あ る が 、 そ こ に 候 補 と し て 天 皇 が 挙 げ ら れ て い る 。 吉 田 孝 氏 は 、 推 古 朝 の 為 政 者 が 『 史 記 』 を 参 照 し て 考 え 出 し た の で は な い か と 推 測 し て い る 。 天 皇 号 が 推 古 朝 に 成 立 し た と す れ ば 、 そ の 本 質 は 、 律 令 制 導 人 以 前 の 大 和 朝 廷 の 氏 姓 制 度 の 中 核 で あ り 、 朝 廷 の 神 話 や 祭 祀 を 支 え る 存 在 だ っ た と い う こ と に な る 。 の ち に 隋 唐 の 律 令 法 を 継 受 し て 律 令 国 家 が 成 立 す る な か で も 、 そ う し た 本 質 は 保 た れ て い く の だ ろ う 。 260

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し よ さ つ れ い 手 紙 の 書 き 出 し や 書 き 止 め に は 、 敬 意 と 身 分 に 応 じ て 書 き 方 が 定 ま り 、 中 近 世 に は 書 札 礼 と い っ て 重 視 さ れ 、 現 代 で も 一 部 残 っ て い る 。 古 代 の 東 ア ジ ア で の 外 交 文 書 は 、 慰 労 詔 書 ・ 慰 労 勅 書 と い わ れ る 、 書 簡 体 を も と に し て 作 ら れ た 文 書 様 式 で あ り 、 右 の よ う に 敬 意 や 上 下 関 係 が 表 現 さ れ る の で あ る 。 こ の 国 書 に よ っ て 隋 へ の 対 応 を 軌 道 修 正 し た こ と を 、 『 日 本 書 紀 』 は 表 現 し て い る の だ が 、 問 題 に な る の は 、 こ こ に み え る 「 東 天 皇 」 で あ る 。 こ れ は 後 に 書 き 改 め ら れ た も の で 、 本 来 は 「 大 王 」 と か 「 天 王 」 と か で あ っ た と い う 説 と 、 こ の と き に 天 皇 と い う 文 字 が 使 わ れ た と い う 説 に 分 か れ る の で あ る 。 天 皇 号 は い っ 成 立 し た か と い う 問 題 で あ る 。 天 皇 号 成 立 は 推 古 朝 か 天 武 朝 か 天 皇 号 の 成 立 に 学 間 的 な 検 討 を 加 え た の は 津 田 左 右 吉 で あ っ た 。 「 記 紀 」 で は 神 武 天 皇 以 来 天 皇 を も っ て よ ば れ る が 、 そ れ は 「 記 紀 」 の 編 者 に よ っ て 書 か れ た も の で 、 い っ か ら 使 わ れ た き ん せ き ふ ん 立 か の 証 拠 に は な ら な い 。 推 古 朝 の 金 石 文 に 天 皇 号 が み え る こ と を も っ て 、 推 古 朝 に 天 皇 号 が 用 こ - つ は い め い け の べ 廷 の い ら れ た の は 確 実 で あ る と し た の で あ る 。 法 隆 寺 金 堂 の 薬 師 像 の 光 背 銘 に 「 池 辺 大 宮 治 天 下 天 章 朝 号 て い ぼ ・ つ 三 和 皇 お は り だ 第 大 天 皇 」 「 小 治 田 大 宮 治 天 下 大 王 天 皇 」 ( 用 明 ・ 推 古 ) が み え 、 こ れ は 丁 卯 ( 推 古 十 五 年 ) に 造 ら れ た っ 一 と 記 さ れ て い る 。 し か し 福 山 敏 男 氏 は 、 「 記 紀 」 編 纂 以 前 と さ れ る 『 上 宮 記 』 逸 文 で は 「 大 王 」 「 大 公 主 」 な ど

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第 三 章 大 和 朝 廷 と 天 皇 号 の 成 立

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し て 皇 帝 で あ っ た こ と が 明 ら か に さ れ た 。 し た が っ て 唐 の 天 皇 号 を 日 本 に 導 人 し た と は 考 え が た く 、 日 本 の 天 皇 号 は 天 武 朝 以 前 か ら 伝 統 あ る 呼 称 と し て 存 在 し て い た の で は な い か と 述 べ て 第 二 の 道 教 の 影 響 に つ い て も 、 そ の 後 の 天 皇 制 の 内 実 に ほ と ん ど 道 教 が 見 ら れ ず 、 古 代 日 本 は 中 国 の 道 教 を 拒 否 し て い た と の 指 摘 が あ り 問 題 が あ る 。 第 四 の 天 皇 と 日 本 国 号 が 関 係 し て い る と の 説 も 、 感 覚 的 に は 納 得 す る が 、 論 証 さ れ て は い な い 。 『 古 事 記 』 は 天 皇 号 を 記 述 す る あ め の し た が 、 し か し 日 本 号 は 一 例 も み え な い 。 『 古 事 記 』 で は 、 天 皇 は 「 日 本 」 で は な く 「 天 下 」 に 対 応 す る 君 主 号 で あ る 。 「 日 本 」 は 天 皇 よ り 成 立 が 遅 れ る 可 能 性 が あ る 。 以 上 の よ う に 天 武 朝 説 に も 問 題 が あ り 、 近 年 で は 推 古 朝 に や は り 天 皇 号 が 成 立 し て い た と す る 説 が 出 さ れ 、 筆 者 も そ れ で よ い と 考 え て い る 。 な お 天 智 朝 の 銘 文 の 野 中 寺 弥 勒 像 銘 に つ い て は 、 暦 表 記 の 再 検 討 か ら 、 や は り 天 智 朝 の も の と 考 え て よ い と す る 説 が 出 さ れ て い る 推 古 朝 説 の 補 強 堀 敏 一 氏 は 、 先 の 第 三 次 遣 隋 使 の 国 書 に つ い て 、 「 日 出 づ る 処 の 天 子 」 で 不 興 を か っ た 第 二 次 国 書 を 受 け て 、 天 子 に 替 わ る 号 と し て 「 天 皇 」 を 考 え だ し た と 述 べ て い る 。 こ こ に 出 て く る 「 天 皇 」 は 、 も と 「 大 王 」 や 「 天 王 」 あ る い は 和 訓 が 用 い ら れ て い た の を 『 書 紀 』 編 者 が 改 作 ほ り ・ と し か ず ・ 256

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舒 明 天 皇 と 唐 の 成 立 大 和 に は 群 山 あ り と じ よ め い 『 万 葉 集 』 巻 一 の 第 二 番 歌 は 、 舒 明 天 皇 ( 高 市 の 岡 本 の 宮 に 天 下 治 ら し め る 天 皇 ) の 作 歌 で あ ゅ う り や く る 。 雄 略 に 次 ぐ 第 二 の 画 期 と 考 え ら れ て い た こ と が わ か る ′ 、 に み 天 皇 、 香 具 山 に 登 り て 望 国 し た ま ふ 時 の 御 製 歌 む ら や ま あ め か ぐ や ま 大 和 に は 群 山 あ り と と り よ ろ ふ 天 の 香 具 山 登 り 立 ち 国 見 を す れ ば 国 原 は け う な ば ら ぶ り 立 ち 立 っ 海 原 は か ま め 立 ち 立 つ う ま し 国 そ あ き づ 島 大 和 の 国 は ( 大 和 に は 群 山 が あ る と 、 そ れ を 周 囲 に め ぐ ら し て い る 天 の 香 具 山 に 登 り 立 ち 、 国 見 を す る と 、 広 々 と し た 平 野 に は 、 煙 が あ ち こ ち か ら し き り に 立 ち の ぼ っ て い る 。 広 々 と し た 水 面 に は 、 か も め が 盛 ん に 飛 び 立 っ て い る 。 す ば ら し い 国 だ 。 〈 あ き づ 島 〉 大 和 の 国 は ) 香 具 山 は 、 大 和 三 山 の 一 つ で あ る が 、 『 万 葉 集 』 中 に 、 中 大 兄 皇 子 の 三 山 歌 、 持 統 御 製 ( 「 春 な か の お お え 0 と う 262

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歳 ( 「 紀 」 は 一 四 〇 歳 ) と 不 自 然 な 長 寿 が 目 立 つ が 、 武 即 ~ 、 を く り 上 げ た た め 、 治 世 を 無 理 に 引 き 延 ば し た ら し い 力 し カ 神 武 か ら 開 化 ( 九 代 ) に は 崩 年 干 支 が な い だ け で な く 、 綏 靖 ( 二 代 ) か ら 開 化 は 「 記 紀 」 に ほ と ん ど 事 績 が 記 さ れ ず 、 欠 史 八 代 と い わ れ る 。 皇 后 ・ 皇 子 女 ・ 皇 居 ・ 治 世 年 ・ 寿 命 な ど だ け が 記 さ れ て い て 、 前 述 の 「 帝 紀 」 部 分 だ け し か な く 、 「 旧 辞 」 的 部 分 が 欠 け て い る の で あ る 。 お そ ら く ハ 世 紀 前 半 の 段 階 の 「 帝 紀 」 に は こ の 八 代 は 存 在 せ す ( し た が っ て 実 在 し な い ) 、 そ の 後 、 祉 心 修 が ・ ・ 兀 翦 0 年 に 設 定 き れ ・ る ・ の ・ に ど る た め し 1 」 う に 加 上 さ れ た 天 皇 だ と 考 え ら て い る 。 後 述 す る 欠 史 八 代 の 天 皇 の 名 前 ( 和 風 諡 号 ) の 分 析 か ら も 、 の ち に 造 作 さ た 天 皇 で は な い か と 推 測 さ れ て い る 。 欠 史 八 代 の 天 皇 の 皇 子 を 祖 と す る ウ ヂ 、 特 に 臣 姓 氏 族 が 多 い こ と も 特 色 で あ る 。 『 古 事 記 』 の 欠 史 八 代 の 部 分 は 、 そ の 皇 子 が 何 氏 の 祖 に あ た る か が 記 述 の ほ と ん ど を 占 め て い る 。 日 本 古 し よ ば ん 代 の ウ ヂ は 、 神 別 ・ 皇 別 ・ 諸 蕃 に 分 け ら れ る が 、 神 武 天 皇 以 下 の 天 皇 家 か ら 分 か れ た 皇 別 氏 族 の ほ と ん ど は 欠 史 八 代 の 皇 子 を 祖 と す る の で あ る 。 こ ・ つ リ ん 有 名 な の は 、 孝 元 天 皇 ( 八 代 ) の 係 ( 「 紀 」 で は 曾 係 ) と さ れ る 建 内 宿 禰 ( 武 内 宿 禰 ) で あ る 。 「 紀 」 で は 景 行 ( 一 二 代 ) か ら 仁 徳 ( 一 六 代 ) 朝 の 大 臣 を 務 め た と さ れ 、 二 〇 〇 年 以 上 任 に あ っ た と い う 伝 説 上 の 人 物 で あ る 。 『 古 事 記 』 孝 元 段 に は 、 建 内 宿 禰 の 七 人 の 男 子 を あ げ て 、 へ ぐ り か ず ら き き 波 多 ・ 許 ( 巨 ) 勢 ・ 蘇 ・ 平 群 ・ 葛 鰔 ・ 木 ( 紀 ) 氏 な ど 一 一 七 氏 の 祖 で あ る と 記 し て い る 。 せ そ た け し う ち の す く ね 126

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の で あ る 。 天 皇 の 皇 祖 神 で あ り 、 守 護 神 で あ る ア マ テ ラ ス の 祟 り が 占 い の 対 象 と な っ て い て 一 見 不 思 議 た つ み の か た で あ る が 、 平 安 時 代 に は し ば し ば 「 巽 方 大 神 」 Ⅱ 伊 勢 神 宮 が 天 皇 に 祟 っ て い た こ と を 、 神 話 さ い と う ひ で き 学 ・ 伝 承 学 の 斎 藤 英 喜 氏 が 指 摘 し て い る 。 天 皇 は 自 ら が 神 な の で な く 、 神 に 祟 ら れ る 存 在 で あ っ た こ と が わ か る 天 皇 が 祭 る 神 十 日 に 御 体 御 ト の 結 果 が 報 告 さ れ た 翌 日 の 十 一 日 の 昼 間 に は 、 月 次 祭 が 行 な わ れ 、 畿 内 の 官 社 に 幣 帛 が 班 た れ る 。 の り と か み む す ひ た か み む す ひ 祝 詞 に よ れ ば 、 ま ず 神 魂 ・ 高 御 魂 ・ 生 魂 ・ 足 魂 以 下 天 皇 の 霊 や 祖 神 を は じ め 食 事 の 神 、 宮 殿 み あ が た や ま ぐ ち み く 亠 チ り ・ の 井 戸 や か ま ど の 神 な ど の 天 皇 の 守 護 神 を 祭 り 、 つ ぎ に 御 県 に 坐 す 神 、 山 口 に 坐 す 神 、 水 分 に こ と わ け 坐 す 神 と い う 奈 良 盆 地 の 農 作 を 支 え る 神 々 を 祭 る こ と を 言 挙 げ す る 。 そ し て こ の 間 に 、 辞 別 と い っ て 、 伊 勢 に 坐 す 天 照 大 御 神 に 言 上 す る 祝 詞 が は さ ま っ て い る 。 祝 詞 の 内 容 か ら は 、 班 幣 よ り も 、 天 皇 や 大 和 政 権 を 支 え る 神 々 を 祭 っ て い る こ と が わ か り 、 神 々 の 祟 り に 対 応 す る の か も し れ な い じ ん ご ん じ き さ ら に 、 十 一 日 夜 か ら 「 神 今 食 」 と 呼 ば れ る 天 皇 親 祭 が 行 な わ れ る 。 夜 半 と 翌 日 早 朝 の 二 回 に わ た り 、 天 皇 自 ら 神 酒 や 御 饌 を 神 に 供 え 、 自 身 も 食 す る の で あ る 。 わ か く む す ひ た る む す ひ

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い く 。 も ち ろ ん 五 世 紀 の 倭 の 五 王 の 安 閑 ・ 宣 化 ・ 欽 明 朝 に は 、 大 王 の 喪 葬 儀 礼 も 整 備 さ れ て 時 代 に は 巨 大 な 前 方 後 円 墳 が 作 ら れ て い た の だ か ら 、 巨 大 な 儀 礼 が 行 な わ れ た に 違 い な い が 、 ほ と ん ど 知 ら れ な い 。 か わ っ て 六 世 紀 に 人 る と 、 死 者 の 遺 体 を 埋 葬 す る ま で 安 置 す る 殯 宮 で 皇 位 継 承 に か か わ る 儀 礼 が 行 な わ れ 、 諡 号 が 献 呈 さ れ る よ う に な る 。 殯 宮 は 、 和 田 萃 氏 が 分 析 し て 明 ら か に な っ た が 、 そ の 場 所 は 崩 御 の あ っ た 宮 の 近 く に 設 け ら あ そ び ペ れ る こ と が 多 く 、 上 師 氏 と 遊 部 が 殯 宮 を 司 り 、 皇 后 や 妃 な ど 女 性 は 天 皇 の 殯 宮 に 籠 っ た 。 殯 宮 ほ ふ く れ い で の 儀 礼 と し て は 、 亡 き 大 王 へ の 拝 礼 と し て 匍 匐 礼 ( は ら ば い で の 拝 礼 ) が 行 な わ れ 、 先 述 の ひ つ ぎ 誄 が 男 性 に よ り 奉 ら れ 、 最 後 に 皇 統 譜 と い う べ き 日 嗣 が 読 み 上 げ ら れ 、 和 風 諡 号 が 献 上 さ れ た み わ の き み 誄 は 、 敏 達 天 皇 十 四 年 ( 五 八 五 ) の 殯 に 際 し て 、 蘇 我 馬 子 大 臣 ・ 物 部 弓 削 守 屋 大 連 ・ 三 輪 君 逆 が 誄 し た の が 初 見 で あ り 、 血 縁 者 ( 皇 子 ) の ほ か 、 大 臣 ・ 大 連 な ど 執 政 者 が 誄 を 奉 上 し た の で あ る 。 和 風 諡 号 は 、 第 二 章 で も 触 れ た よ う に 、 安 閑 の ヒ ロ ク ニ オ シ タ ケ カ ナ ヒ 、 宣 化 の タ ケ ヲ ヒ ロ ク ニ オ シ タ テ 以 下 麗 々 た る 和 風 諡 号 が 成 立 す る 。 こ の こ と か ら 大 王 を 対 象 に す る 殯 宮 儀 礼 が 成 立 し 、 和 風 諡 号 が 献 呈 さ れ た 最 初 は 安 閑 天 皇 の 殯 宮 で あ ろ う と 和 田 氏 は 推 定 し て い る 。 継 体 が 新 王 朝 で 血 縁 が 断 絶 し て い た 事 実 を 、 和 風 諡 号 と 日 嗣 の 奉 上 に よ っ て 応 神 以 前 の 系 譜 に つ な が っ て い る と 主 張 し た と 考 え て い る が 、 も し 血 縁 が つ な が っ て い た と し て も 、 か な り 遠 い 関 係 と な っ た こ と が 、 儀 礼 が 整 備 さ れ る 必 要 を 生 ん だ し の び ご と さ か - っ 第 三 章 大 和 朝 廷 と 217 天 皇 号 の 成 立