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昭和天皇(上)


昭 和 天 皇 ( 上 )

昭和天皇(上)


1946 ( 昭 和 21 ) 年 2 月 。 装 い も 新 た な 「 人 間 天 皇 」 が 全 国 歴 訪 の 始 ま り と し て 、 戦 災 の 傷 痕 の 残 る 神 奈 川 県 下 を 視 察 。 占 領 軍 当 局 の 入 念 な 演 出 で 始 め ら れ た 巡 幸 は 、 「 民 主 化 」 と 君 主 制 の 変 容 を 促 進 し た 。 「 国 民 と 共 に あ る 」 大 皇 の ニ ー ス 映 画 は 、 ア メ リ カ で 上 映 さ れ 、 マ ッ カ ー サ ー 自 身 の 宣 伝 と も な っ た 。 ( 毎 日 新 聞 社 提 供 ) 1947 ( 昭 和 22 ) 年 12 月 、 広 島 。 降 伏 の 時 期 を 遅 ら せ た と も 知 ら す に 、 行 く 先 々 で 国 民 は 天 皇 を 歓 迎 し た 。 浪 費 的 で 高 度 に 政 治 的 な 巡 幸 は 連 合 国 側 か ら 非 難 を 浴 び 、 東 京 裁 判 が 最 終 局 面 を 迎 え た 1948 ( 昭 和 23 ) 年 、 つ い に G H Q は 巡 幸 を 中 止 さ せ た 。 ( 写 真 提 供 ・ 共 同 通 信 社 )

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天 皇 は 、 間 題 の 精 査 、 勧 告 、 そ し て 、 統 帥 部 や 陸 海 相 に 対 す る み ず か ら の 質 問 や 指 令 を 注 意 深 く 繰 り 返 す こ と で 大 本 営 と 相 互 に 影 響 を 与 え 合 っ て い た 。 昭 和 天 皇 は ま た 、 み ず か ら の 地 位 を 利 用 し 彼 ら に 心 理 的 圧 力 を 加 え 続 け る に は ど う す れ ば よ い の か を 、 繰 り 返 し 学 ん で き た 。 日 ご ろ は 温 和 で あ り 、 ジ ョ ー ジ ・ ス ミ ス ・ パ ッ ト ン 〔 ア メ リ カ 陸 軍 の 将 軍 。 戦 車 軍 団 の 指 揮 官 〕 で は な く 、 ジ ョ ー ジ ・ カ ト レ ッ ト ・ マ 1 シ ャ ル 〔 ア メ リ カ 陸 軍 の 将 軍 、 大 戦 中 は 参 謀 総 長 。 の ち に 国 務 長 官 と し て マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン を 推 進 〕 の よ う な 礼 儀 正 し さ を 保 っ て い た 。 し か し 、 天 皇 の 「 御 下 問 は 、 臣 下 に 対 す る 質 間 と い う 形 を 取 っ て い る も の の 、 奉 答 者 に 対 し て 天 皇 の 意 思 を 示 す 場 合 が 多 く 、 事 実 上 の 命 令 に 等 し く 、 無 視 で き な い も の だ っ た 。 時 に 、 天 皇 は 進 行 中 の 軍 事 作 戦 を 変 更 し よ う と し て 、 反 対 論 に 遭 遇 す る こ と が あ っ た が 、 天 皇 が 主 張 す る 以 上 、 た と え 、 統 帥 部 長 が 天 皇 と は 異 な る 方 針 を 持 っ 作 戦 部 長 や 重 要 な 部 局 の 長 の 意 思 を 否 定 し な け れ ば な ら な い と し て も 、 天 皇 が 最 優 先 な の で あ る 。 要 す る に 、 統 帥 部 は 精 力 的 で 、 活 動 的 な 天 皇 に 対 し て 責 任 を 有 し て い た の で あ り 、 け っ し て 、 彼 ら が 望 む が ま ま に 日 中 戦 争 を 遂 行 す る こ と は で き な か っ た 。 陸 海 両 大 臣 も 同 様 で あ り 、 彼 ら も ま た 昭 和 天 皇 の 御 下 問 に 服 し 、 時 に 天 皇 の 叱 責 を 受 け る こ と が あ っ た 。 さ ら に 、 今 日 、 証 拠 と し て 残 さ れ た 文 献 史 料 か ら 検 討 し て み る と 、 さ ま ざ ま な 重 要 な 局 面 で 天 皇 は 戦 略 の 立 案 、 計 画 の 決 定 、 時 期 の 選 定 、 そ の 他 の 軍 事 作 戦 に 関 す る こ と に 、 時 に 日 課 と し て 関 与 し て い た 。 そ し て 、 そ れ ば か り で は な く 、 進 行 中 の 現 地 の 作 戦 に も 介 入 し 、 天 皇 の 介 入 な く し て は け っ し て あ り え な い よ う な 変 更 を も た ら し て い た 。 天 皇 は 、 方 面 軍 司 令 官 が 指 揮 下 の 部 隊 に 下 し た 命 令 を も 監 視 し 、 時 に は 論 評 を 加 え た 。 天 皇 が こ う し た こ と を 行 う 範 囲 に つ い て 、 こ れ を 規 制 す る も の は な か っ た 。 昭 和 天 皇 は 即 位 以 来 、 正 式 の 決 定 の 前 に 内 閣 か ら の 非 公 式 な 報 告 ( 内 奏 ) を 受 け て き た が 、 こ の 内 奏 は 一 九 三 七 年 末 以 降 、 大 元 帥 と し て の 昭 和 天 皇 を 正 規 に 輔 翼 す る 大 本 営 の 設 置 に よ っ て 増 加 す る こ と と な っ た 。 こ の 内 奏 は 、 あ る 程 度 、 天 皇 の 質 問 ( 御 下 問 ) 、 内 奏 者 の 奉 答 と い う 質 疑 応 答 の 場 と な っ て い た 。 一 般 に 参 内 し た の は 統 帥 部 と 特 定 の 閣 僚 で あ っ た 。 そ れ が よ り 形 式 化 し た も の と な る 場 合 も あ っ た 。 そ の よ う な 場 合 、 天 皇 は 黙 っ て 臣 下 の 大 臣 か 、 統 帥 部 か ら の 文 書 ま た は 口 頭 に よ る 報 告 ( 上 奏 ) を 受 け て い た 。 内 奏 の 間 、 情 報 や 意 見 の や り と り が 政 策 、 戦 略 、 戦 術 的 286

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一 九 三 〇 年 代 の は じ め 、 昭 和 天 皇 は 軍 の 統 制 問 題 と 、 側 近 に 対 す る 軍 部 、 政 友 会 、 枢 密 院 、 民 間 右 翼 団 体 か ら の 批 判 に 直 面 し て い た 。 軍 部 で は 、 天 皇 を ひ そ か に 「 軍 の 行 動 に 支 障 あ る 」 と す る 批 判 が 起 き た 。 彼 ら は 天 皇 を 側 近 に 操 ら れ る 無 能 で 「 凡 庸 」 な 人 物 と 呼 ん で い た 。 そ の ほ か に も 、 天 皇 が 国 事 よ り 海 洋 生 物 学 、 テ ニ ス 、 ゴ ル フ 、 さ ら に は マ ー ジ ャ ン と い っ た 趣 味 を 大 事 に し て い る と い う 不 満 が ひ そ か に 囁 か れ て い た 。 満 州 国 に い る 少 壮 の 参 謀 将 校 た ち ひ が し く は 、 天 皇 は 戦 争 を 好 ま な い と の 噂 に 苛 立 っ て い た 。 皇 族 の 中 に も 批 判 者 が い た 。 昭 和 天 皇 の 弟 で あ る 秩 父 宮 や 、 東 久 に の み や か や の み や 邇 宮 、 賀 陽 宮 は 、 宮 中 の 側 近 へ の 天 皇 の 信 頼 を 、 青 年 将 校 ら が 快 く 思 っ て い な い 旨 を 天 皇 に 頻 繁 に 伝 え て い た 。 前 年 の 一 九 三 二 年 、 第 一 位 の 皇 位 継 承 者 で あ り 、 昭 和 天 皇 の 弟 で あ り な が ら も っ と も 疎 遠 な 関 係 に あ っ た 秩 父 宮 は 、 繰 り 返 し 、 た と え 憲 法 停 止 を 意 味 す る こ と に な ろ う と も 、 「 天 皇 親 政 」 を 実 行 す る よ う 天 皇 に 助 言 し て い た 。 当 時 、 昭 和 天 皇 は 奈 良 に 、 歩 兵 第 三 連 隊 に 勤 務 中 に 過 激 に な っ て し ま っ た と の 理 由 で 、 秩 父 宮 を 同 連 隊 か ら 異 動 さ せ る ポ ビ ュ リ ズ ム 1 ) や ま し た と も ゆ き こ と に し た い と 告 げ て い た 。 山 下 奉 文 大 佐 に 率 い ら れ た 同 連 隊 は 多 く の 民 衆 主 義 的 な 青 年 将 校 の 拠 点 で あ り 、 二 年 半 の な か し ろ う 後 の 一 九 三 六 年 二 月 三 ・ 二 六 事 件 〕 、 蜂 起 の 計 画 と 実 行 を 担 う 野 中 四 郎 ら が い た 。 皇 族 の 長 と し て 昭 和 天 皇 は 秩 父 宮 を 新 東 京 の 参 謀 本 部 に 更 迭 し 、 さ ら に 遠 方 の 青 森 県 弘 前 の 歩 兵 第 三 十 一 連 隊 の 大 隊 長 に 任 命 し た 。 は や し せ ん じ ゅ う ろ う 一 九 三 三 年 四 月 、 昭 和 天 皇 は 青 年 将 校 の 運 動 を 押 さ え 込 も う と し て 、 荒 木 陸 軍 大 臣 の ラ イ バ ル で あ る 林 銑 十 郎 教 育 総 監 が 極 論 を 唱 え る 者 に は 適 切 な 「 教 育 的 な 措 置 」 を 取 る よ う に と 、 奈 良 侍 従 武 官 長 に 求 め た 。 こ れ は ま た も 非 常 に 婉 曲 な や り 方 の 例 で あ る 。 し か し 荒 木 は 、 青 年 将 校 に 対 す る 支 援 を 簡 単 に は 止 め な か っ た 。 荒 木 は 、 五 月 一 五 日 、 を 守 る 西 洋 型 の 君 主 と い う 明 治 天 皇 の イ メ ー ジ も そ れ ゆ え 強 化 さ れ た 。 こ の 時 か ら 日 本 の 公 定 イ デ オ ロ ギ ー に は 、 神 国 日 本 と い う 絶 対 的 な 独 自 性 を 強 調 す る 立 場 と 、 ア ジ ア の 友 邦 と の 間 で ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 基 本 的 に 有 す る と い う 汎 ア ジ ア 主 義 の 立 場 と の 間 に 深 い 矛 盾 が 見 ら れ る よ う に な っ た 。 さ さ や 249

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戦 争 責 任 研 究 』 八 ( 一 九 九 五 年 六 月 ) 日 本 の 戦 争 責 任 資 料 セ ン 皇 親 政 を 目 ざ す 明 治 維 新 の 背 景 に な っ た 主 要 思 想 に 継 承 さ れ 、 そ の た め 御 学 問 所 が 徹 底 的 に 注 入 し よ う と し た 天 皇 像 の 不 可 欠 の 属 ( 新 ) 渋 野 純 一 「 大 正 一 〇 年 川 崎 ・ 三 菱 大 争 議 の 文 献 と 研 究 史 」 性 に も な っ た 。 藤 原 彰 「 統 帥 権 と 天 皇 」 遠 山 茂 樹 編 『 近 代 天 皇 制 の 展 開 ー 近 代 天 皇 制 の 研 究 Ⅱ 』 岩 波 書 店 、 一 九 八 七 年 、 一 九 七 ー 「 歴 史 と 神 戸 』 第 六 巻 第 三 号 ( 一 九 六 二 年 八 月 ) 一 一 ペ ー ジ 。 ( ) 黒 沢 文 貴 『 大 戦 間 期 の 日 本 陸 軍 』 み す ず 書 房 、 一 一 〇 〇 〇 年 、 ( 巴 纐 纈 厚 「 天 皇 の 軍 隊 の 特 質 ー 残 虐 行 為 の 歴 史 的 背 景 」 前 掲 九 一 五 四 ペ ー ジ 。 ー 一 〇 ペ ー ジ 。 ( ) 同 前 一 二 五 ー 一 二 六 ペ ー ジ 。 ( ) 同 前 一 三 九 ー 一 四 一 ペ ー ジ 。 『 偕 行 社 記 事 』 は 陸 軍 将 校 の 親 ( ) Kazuko Tsurumi, Social Change the 守 。 ミ ミ l: ミ さ ミ ミ ミ 、 ミ 、 ミ ぎ ミ ミ Wa 、 = , Princeton UniversitY 睦 ・ 相 互 扶 助 団 体 偕 行 社 の 機 関 誌 で あ る 。 黒 沢 に 対 立 す る 視 点 か Press, 197P て p. 92 ー 93. ま 、 注 の 浅 野 論 文 四 四 三 ペ ー ジ 注 五 を 参 ら そ れ を 分 析 し た 議 論 ー ( ) 片 岡 徹 也 「 昭 和 初 期 ・ 日 本 陸 軍 へ の 社 会 学 的 ア プ ロ ー チ 」 照 。 『 軍 事 史 学 』 第 二 二 巻 第 四 号 ( 一 九 八 七 年 三 月 ) 一 六 ー 一 七 ペ ー ( ) 国 家 主 義 的 な 水 戸 派 の 朱 子 学 者 会 沢 正 志 斎 は 、 一 八 二 五 年 に 「 新 論 』 を 刊 行 し 、 「 夫 れ 兵 は 地 着 に し て 、 而 し て 天 皇 は 命 を 天 に い や し く 受 け 給 ふ 。 是 れ 天 地 人 合 し て 一 と 為 る な り 。 苟 も 能 く 因 り て 之 お さ 第 一 一 章 天 皇 に そ だ て る が 規 制 を 立 て 、 訓 練 ・ 講 習 し 、 戝 め て 時 に 動 き 、 以 て 天 地 の 威 令 を 光 か し 、 鬼 神 の 功 用 を 鼓 す れ ば 、 則 ち 功 烈 の 盛 な る こ と 、 言 ふ ら い さ ん よ う に 勝 ふ べ け ん や 」 と 述 べ た 。 同 様 の 主 張 は 京 都 の 歴 史 家 頼 山 陽 が ( 1 ) 藤 原 彰 「 統 帥 権 と 天 皇 」 遠 山 茂 樹 編 『 近 代 天 皇 制 の 展 開 ー 近 一 八 二 七 年 に 書 き あ げ た 『 日 本 外 史 』 に も 、 一 八 六 〇 年 代 に 「 尊 代 天 皇 制 の 研 究 Ⅱ 』 岩 波 書 店 、 一 九 八 七 年 、 一 九 九 ペ ー ジ 。 ジ 一 皇 攘 夷 」 運 動 を 推 進 し た 「 志 士 」 た ち の 思 想 に も 見 ら れ る 。 Bob ( 2 ) 安 丸 良 夫 『 近 代 天 皇 像 の 形 成 』 岩 波 書 店 、 一 九 九 二 年 、 一 一 一 Wakabayashi, ゝ ミ FO さ ミ ミ ミ ミ 24 ミ ミ ト ミ ぎ g ぎ ミ & e こ を 三 The ~ ミ 、 7825 , Harvard ( 3 ) 藤 樫 準 二 「 天 皇 白 書 ー 知 ら れ ざ る 陛 下 」 『 復 刻 版 天 皇 の 昭 和 章 Unive 「 sitY p 「 ess, → 0 , p. 黛 藤 原 彰 、 前 掲 『 昭 和 天 皇 の 十 五 史 サ ン デ ー 毎 日 緊 急 増 刊 』 ( 一 九 八 九 年 二 月 四 日 ) 八 九 ペ ー ジ 。 年 戦 争 』 一 一 、 一 八 ペ ー ジ 〔 『 新 論 』 の 引 用 文 は 会 沢 安 ( 正 志 ( 4 ) 大 竹 秀 一 『 天 皇 の 学 校 ー 昭 和 の 帝 王 学 と 高 輪 御 学 問 所 』 文 藝 第 斎 ) / 塚 本 勝 義 訳 註 『 新 論 』 岩 波 文 庫 、 一 九 四 一 年 、 六 一 ペ ー ジ 春 秋 、 一 九 八 六 年 、 二 八 九 ペ ー ジ 。 章 ( 5 ) 佐 伯 真 光 「 生 物 学 と 現 人 神 の は ざ ま 」 「 文 藝 春 秋 』 特 別 号 に よ っ た 〕 。 第 ( 囲 ) 天 皇 が 直 接 軍 隊 を 統 率 し 、 軍 事 を 掌 握 す る と い う 発 想 は 、 天 「 大 い な る 昭 和 」 ( 一 九 八 九 年 三 月 ) 四 九 〇 ペ ー ジ 。 注 か が や 3 5

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落 さ せ た 瞬 間 ま で 、 天 皇 は 軍 の 動 静 を 詳 細 に 追 っ て い た の で あ る 。 ま た 、 事 件 の 前 兆 が あ っ た 時 期 を 通 じ て 、 あ る い は 殺 戮 、 強 姦 の あ っ た 全 期 間 に 、 天 皇 は 不 快 、 憤 り 、 遺 憾 を 公 に す る こ と よ り は 、 む し ろ 、 中 国 に 「 自 省 」 を 促 す と い う 国 策 の も と で 、 大 勝 利 に 向 け 臣 下 の 将 軍 や 提 督 を 鼓 舞 し て い た と い う 否 定 し が た い 事 実 も あ る 。 南 京 陥 落 の 三 週 間 以 上 前 、 新 た に 大 本 営 が 設 置 さ れ た 一 一 月 二 〇 日 、 天 皇 は 支 那 方 面 艦 隊 司 令 長 官 長 谷 川 清 に 詔 書 を 出 し た 。 昭 和 天 皇 は 、 陸 軍 と 協 力 し て 、 中 国 沿 岸 を 封 鎖 し 、 海 上 航 路 を 断 っ た 艦 隊 の 将 兵 を 賞 賛 し た 。 同 時 に 、 こ ま っ た お も う 警 告 し た 。 「 惟 う に 前 途 な お 遼 遠 な り 、 爾 ら ま す ま す 奮 励 を く わ え も っ て 戦 果 を 完 く せ ん こ と を 期 せ よ 」 。 四 日 後 、 最 初 の 大 本 営 の 御 前 会 議 で 、 天 皇 は 中 支 那 方 面 軍 司 令 官 松 井 大 将 に 中 国 の 首 都 を 攻 略 し 、 占 領 す る と い う 重 大 な 決 定 を 事 後 承 認 の 形 で 裁 可 し た 。 こ の 会 議 で 、 参 謀 本 部 の 下 村 第 一 部 長 は 、 華 中 へ の 輸 送 部 隊 な ら び に 砲 兵 部 隊 が 最 前 線 に 到 着 す る に は か な り 時 間 が か か る の で 、 「 方 面 軍 は そ の 航 空 部 隊 を も っ て 海 軍 航 空 兵 力 と 協 力 し て 南 京 そ の 他 の 要 地 を 爆 撃 」 す る と い う 作 戦 計 画 を 説 明 し た 。 か く し て 、 昭 和 天 皇 は 南 京 な ら び に そ の 周 辺 を 爆 撃 し 機 銃 掃 射 す る 計 画 を 、 よ く 理 解 し た 上 で 、 承 認 し た 。 昭 和 天 皇 は 、 陸 軍 の 作 戦 範 囲 に 設 け て い た あ ら ゆ る 規 制 を 外 す こ と を ( 事 後 ) 承 認 し 、 東 京 の 承 認 を 待 っ こ と な く 南 京 に 向 け て 猛 進 撃 し て い る 間 、 陸 海 軍 の 制 止 を 何 ら 働 き か け な か っ た 。 一 二 月 一 日 、 南 京 へ の 空 爆 と 海 上 、 地 上 か ら の 攻 撃 開 始 後 、 何 日 も 過 ぎ て か ら 、 昭 和 天 皇 は 松 井 大 将 に 正 式 な 攻 撃 命 令 を 出 し た 。 「 中 支 那 方 面 軍 司 令 官 は 海 軍 と 協 同 し て 敵 国 首 都 南 京 を 攻 略 す べ し 」 。 大 陸 命 第 八 号 で あ る 。 天 皇 は 、 ほ と ん ど の 軍 指 導 部 と 同 様 、 ひ と た び 、 強 烈 な 打 撃 を 与 え れ ば 、 蒋 介 石 は そ れ に 屈 し て 戦 闘 は 終 結 す る と い う 見 解 を 支 持 し て い た た め 、 「 敵 の 首 都 」 で 決 定 的 な 戦 闘 を 行 う こ と に こ だ わ っ て い た 。 結 果 と し て 、 松 井 や 朝 香 の 行 為 は 外 交 的 見 地 か ら は 有 害 で あ っ た に も か か わ ら ず 、 天 皇 は 彼 ら を 公 に 嘉 賞 し た の で あ る 。 一 二 月 一 四 日 、 南 京 陥 落 の 翌 日 、 天 皇 は 統 帥 部 に 南 京 陥 落 と 占 領 の 知 ら せ に 満 足 し て い る こ と を 伝 え た 。 松 井 大 将 が 東 京 に 一 時 帰 任 し た き ん ( 聞 ) 一 九 三 八 年 二 月 、 昭 和 天 皇 は 松 井 の 偉 大 な 軍 事 的 功 績 を 嘉 す る 詔 書 を 彼 に 与 え て い た 。 朝 香 宮 が 、 そ の 褒 賞 と し て 金 鵄 勲 章 を 受 け た の は 一 九 四 〇 年 四 月 に な っ て か ら で あ つ 。 こ う し た 方 法 で 、 天 皇 は そ の 権 力 を 間 接 的 に 行 使 し 、 天 が く ぜ ん 皇 の 軍 隊 の 犯 罪 を 見 の が し た の で あ る 。 昭 和 天 皇 は 、 個 人 的 に は 南 京 で 起 き た こ と に 愕 然 と し た か も し れ な い が 、 公 な ん じ 292

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熱 河 に 進 攻 し 、 日 本 が 連 盟 か ら 脱 退 し た 後 、 関 東 軍 は 占 領 地 を 拡 大 し た 。 一 九 三 三 年 四 月 初 頭 に は 、 万 里 長 城 の 南 側 に あ る 北 京 近 郊 の 河 北 省 に 進 入 し た 。 昭 和 天 皇 が 介 入 す る こ と で 、 攻 撃 は 停 止 さ れ 、 軍 は 山 海 関 ま で 撤 退 し た 。 し か し 、 五 月 七 日 、 関 東 軍 は ふ た た び 華 北 に 進 入 し た 。 こ の と き 、 昭 和 天 皇 は こ れ を 事 後 承 認 し た が 、 本 庄 侍 従 武 官 長 あ え な ど に は み ず か ら の 怒 り を 伝 え た 。 本 庄 は 五 月 一 〇 日 の 日 記 に 、 「 陛 下 は 敢 て 作 戦 を 差 控 へ し め ん と せ ら れ る 抔 の 御 意 図 も と に あ ら ず 。 只 統 帥 の 精 神 に 孛 る が 如 き を 許 さ ず 、 と せ ら る ゝ に あ り と 記 し て い る 。 も ち ろ ん 、 天 皇 は 他 に 選 択 肢 が は 、 満 州 に 駐 留 す る 部 隊 の た め に 下 賜 品 の 包 帯 を 巻 く こ と で 時 間 を 過 ご し た 。 一 九 三 二 年 の 夏 か ら 秋 に か け て 、 そ れ は 二 人 の 人 生 で も 、 と り わ け ス ト レ ス が 強 い 時 期 と な っ た 。 天 皇 は 満 州 の 危 機 へ の 対 応 に 追 わ れ 、 皇 后 は 男 子 の 世 継 ぎ を も う け る こ と が で き な い こ と に 心 を 悩 ま し て い た 〔 皇 位 の 継 承 権 は 男 系 男 子 に だ け 認 め ら れ て い た 〕 。 厳 し く 管 理 さ れ た 公 人 と し て の 生 活 を 送 っ て き た 天 皇 と 皇 后 は 、 内 大 臣 牧 野 、 そ の 秘 書 官 長 河 井 、 侍 従 長 鈴 木 の 意 見 に 従 い 、 第 一 子 で あ る 六 歳 の 照 宮 を 皇 居 内 の 別 の 建 物 で 生 活 さ せ る た め に 宮 廷 の 外 へ 出 す こ と に し た 。 夫 妻 は と も に 照 宮 を 手 放 す の が 残 念 だ っ た が 、 そ れ を 要 求 す る 宮 中 の 伝 統 を 否 定 し よ う と は し な か っ た 。 こ う し た 雰 囲 気 の も と で 皇 后 は 一 九 三 二 年 末 の あ る 日 、 流 産 を し て し ま っ た 。 そ の 後 、 昭 和 天 皇 は 君 主 と し て の 責 務 を 果 た す た め に 側 室 を 置 く こ と を 求 め ら れ た 。 か っ て 学 習 院 院 長 や 宮 内 大 臣 を つ と め 、 明 治 天 皇 、 大 正 天 皇 に 仕 え た な か み つ あ き た 長 老 の 伯 爵 田 中 光 顕 は 、 東 京 お よ び 京 都 で ふ さ わ し い 側 室 を 求 め た 。 一 〇 人 の 姫 君 が 選 ば れ 、 さ ら に 三 人 へ と 絞 ら れ 、 そ の う ち の ( お そ ら く 、 も っ と も 美 し い ) ひ と り が 、 宮 中 に 招 か れ 、 ( 皇 后 陪 席 の 下 で ) 昭 和 天 皇 と ト ラ ン プ を し た と い う 話 で あ る 。 一 夫 一 婦 主 義 の 昭 和 天 皇 は 、 お そ ら く 、 彼 女 に そ れ 以 上 の 関 心 を 持 た な か っ た と 思 わ れ る 。 一 あ き ひ と 九 三 三 年 初 頭 、 皇 后 は 再 び 懐 妊 し 、 同 年 一 二 月 二 三 日 、 皇 太 子 明 仁 を 出 産 し た 。 彼 ら の 私 的 な 危 機 は 去 っ た の で あ 238

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一 九 二 六 年 一 二 月 二 五 日 午 前 一 時 二 五 分 、 大 正 天 皇 の 死 去 に よ っ て 、 皇 太 子 裕 仁 の 摂 政 の 任 は 終 わ っ た 。 彼 は 即 座 に 皇 位 を 受 け 継 ぎ 、 神 器 が 移 さ れ た 。 二 五 歳 に し て 、 血 統 に よ り 、 伝 統 と 神 話 と 歴 史 に よ り 、 ま た 憲 法 の 権 威 に 基 づ き 、 第 一 二 四 代 と 目 さ れ る 天 皇 に な っ た の で あ る 。 簡 潔 な 儀 式 を 経 て 、 憲 法 第 一 条 「 大 日 本 帝 国 ハ 万 世 一 系 ノ 天 皇 之 ほ ひ っ 義 ヲ 統 治 ス 」 が 実 行 さ れ た 。 と 同 時 に 彼 は 、 内 閣 の 輔 弼 を 受 け ず に 軍 隊 に 命 令 を 下 せ る 最 高 指 揮 官 に な っ た 。 主 家 明 治 期 か ら の 慣 例 で 直 ち に 枢 密 院 会 議 が 開 か れ 、 新 天 皇 の 統 治 に 合 わ せ た 記 年 法 が 定 め ら れ た 。 そ の 治 世 の 名 と 将 国 来 の 追 号 は 「 昭 和 」 に な り 、 一 二 月 二 八 日 に 公 式 に 発 表 さ れ た 。 昭 和 と は 、 「 明 る い 調 和 」 な い し 「 輝 か し い 平 和 、 し 新 を 意 味 す る 。 皇 新 天 皇 は 同 日 、 陸 海 軍 の 将 兵 、 閑 院 宮 、 首 相 若 槻 、 公 爵 西 園 寺 、 そ し て 全 国 民 に 対 し て 一 連 の 勅 語 を 発 し 、 彼 の 即 し 位 を 布 告 す る と 同 時 に 、 皇 位 へ の 変 わ ら ぬ 忠 誠 を 求 め た 。 こ れ ら の 勅 語 は 、 天 皇 が な お 軍 部 に 特 権 を 認 め て い る こ と 、 後 継 首 相 の 選 任 を 最 後 の 元 老 西 園 寺 に 委 ね る こ と を 国 民 に 告 げ て い た 。 , 。 彼 ま そ こ で 、 憲 法 上 の 地 位 を 継 ぎ 、 「 明 章 第 治 天 皇 が 英 明 な 文 武 の 素 質 に よ っ て 内 に は 文 教 を 広 め 、 外 に は 武 功 を 輝 か し て 天 業 を 広 げ た 明 白 な 遺 訓 を 明 徴 に し 、 第 五 章 新 し い 皇 室 、 新 し い 国 家 主 義 145

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ま ず 一 月 一 九 日 、 国 の 第 四 の 祝 日 を 設 け る 法 案 が 貴 族 院 に 提 出 さ れ た が 、 こ れ は 宮 中 か ら で は な く 、 貴 族 院 自 身 の 発 案 の か た ち を と っ て い た 。 し か し そ の 二 日 前 、 内 大 臣 秘 書 官 長 の 河 井 が 公 爵 近 衛 を 訪 れ 、 議 会 の 両 院 が 明 治 天 皇 の 聖 徳 を 記 念 す る 祝 日 の 制 定 を 考 慮 し て い る と 示 唆 し だ 。 そ の 後 す ぐ 、 議 会 は 一 一 月 三 日 を 「 明 治 節 、 と す る 法 案 を 可 決 し 、 三 月 三 日 、 そ の 旨 勅 令 で 公 布 さ れ た 。 一 九 一 三 年 七 月 三 〇 日 の 明 治 天 皇 没 後 一 〇 周 年 は 、 皇 室 か ら も 国 民 か ら も さ ほ ど 注 目 さ れ ず 、 摂 政 が 京 都 と 桃 山 陵 を 訪 れ た だ け だ っ た 。 そ れ が な ぜ い ま に な っ て 新 祝 日 な の か 。 即 位 が 近 づ く に 従 っ て 、 側 近 は 昭 和 天 皇 に 偉 大 な カ リ ス マ 性 を 付 与 し 、 大 正 天 皇 の 印 象 を ぬ ぐ い 去 る 方 策 を 必 要 と し た か ら で あ る 。 昭 和 天 皇 に は 、 時 を 戻 し て 彼 が 四 歳 の と き 日 本 が 勝 ち 取 っ た 大 勝 利 〔 日 露 戦 争 〕 に 参 画 す る こ と は 不 可 能 で あ る 。 し か し 、 新 し い 祝 日 を と お し て 明 治 天 皇 を 新 時 代 ・ 新 世 代 に 鳴 り も の 入 り で よ み が え ら せ 、 そ の 光 輝 を 反 映 し て 自 ら が 輝 く こ と な ら 可 能 だ っ た 。 大 正 天 皇 の 服 喪 の た め 、 明 治 節 の 最 初 の 国 家 式 典 は 翌 年 に な っ て よ う や く 行 わ れ た 。 す な わ ち 明 治 天 皇 の 顕 彰 は 、 カ リ ス マ 性 に 乏 し い 孫 の 即 位 と 神 格 化 に 合 わ せ て 実 施 さ れ た わ け で あ る 。 新 聞 は す で に 彼 を 「 明 治 天 皇 の 化 身 ー と 書 き 立 て て い た 。 大 正 天 皇 の 喪 が 明 け る 前 か ら 、 国 民 は 即 位 以 前 の 天 皇 を 新 し い 明 治 天 皇 、 明 治 天 皇 の 遺 業 を 完 成 さ せ る 孫 と し て 見 る よ う に な っ て い た 。 義 そ れ に 続 い て 河 井 は 、 稲 作 の 労 に 従 事 し 、 農 業 恐 慌 下 の 農 民 の 窮 状 に 心 寄 せ る 若 き 天 皇 と い う 印 象 を 広 め よ う と 、 彼 ま 天 皇 に 宮 中 で 稲 を 育 て る こ と を 提 案 し た の で あ る 。 天 皇 は 賛 成 し 、 赤 坂 御 所 の 中 家 宮 廷 に 新 し い 儀 式 を 導 入 し た 。 , 。 に そ の た め の 水 田 が 拓 か れ た 。 一 九 二 七 年 六 月 一 四 日 、 彼 は 国 内 各 地 か ら 提 供 さ れ た 苗 で 最 初 の 田 植 え の 儀 式 を 行 っ し 新 た 。 即 位 が 済 ん で 彼 が 住 ま い を 宮 城 に 移 す と 、 七 〇 坪 の 乾 田 と 八 〇 坪 の 水 田 が 儀 式 用 に 造 成 さ れ た 。 水 田 に 続 い て 、 皇 皇 后 良 子 が 養 蚕 を 行 う た め の 桑 園 も っ く ら れ た 。 そ れ に よ っ て 彼 女 は 、 日 本 の も っ と も 重 要 な 輸 出 品 で あ る 生 糸 に 結 し び つ け ら れ た の で あ る 。 昭 和 天 皇 と 宮 中 グ ル ー プ に よ る 第 二 の 政 治 関 与 は 、 首 相 若 槻 の 議 会 対 策 に 関 し て だ っ た 。 一 九 二 七 年 初 め 、 政 友 会 章 第 と 政 友 本 党 の 幹 部 は 、 松 島 遊 郭 問 題 と 朴 烈 事 件 に よ る 若 槻 内 閣 攻 撃 を 蒸 し 返 し た 。 こ れ に 対 し て 若 槻 は 、 彼 ら が 内 閣 1 5 3

昭和天皇(上)


一 七 〇 三 年 、 主 人 浅 野 侯 の 死 の 敵 を 討 っ た 有 名 な 赤 穂 浪 士 の う ( 爲 ) 摂 政 な い し 天 皇 と し て 、 裕 仁 は 皇 族 に 金 品 を 下 賜 し 、 栄 典 を ち 、 大 石 良 雄 以 下 一 七 人 が 預 け ら れ 、 切 腹 し た 場 所 で あ る 。 事 件 授 け 、 毎 年 誕 生 日 の 賜 餐 を 主 催 し 、 新 年 拝 賀 で 謁 を 与 え た 。 皇 族 の 一 部 に は 進 講 へ の 列 席 も 認 め た 。 一 九 九 三 年 七 月 一 〇 日 の 著 者 は 一 七 〇 一 年 か ら 〇 三 年 に 起 こ り 、 の ち に 文 楽 や 歌 舞 伎 で ド ラ マ 化 さ れ た 。 に よ る 山 階 ( 浅 野 ) 芳 正 教 授 か ら の 聞 き と り 、 田 中 伸 尚 「 ド キ ュ ( ) ア ル フ レ ッ ド ・ ・ マ ハ ン と 日 本 に つ い て は 、 Walter メ ン ト 昭 和 天 皇 ( 一 ) 侵 略 』 緑 風 出 版 、 一 九 八 四 年 、 一 一 三 ー LaFeber, The 0 房 ゝ H ミ 00 、 U. S. ・ を を ミ R ミ ミ , W. 二 四 ペ ー ジ 。 あ り し 日 の 皇 族 社 会 の 叙 述 と し て は 、 小 田 部 雄 次 『 梨 本 宮 伊 都 子 妃 の 日 記 ー 皇 族 妃 の 見 た 明 治 ・ 大 正 ・ 昭 和 」 小 学 W. Norton, 1997 , p. 5 Anders Stephanson, ミ s 、 es . ・ ゝ ミ e 斗 E も 3 こ s ミ the E ミ 、 ぎ 、 R ミ 、 , Hill 雀 館 、 一 九 九 一 年 。 華 族 に つ い て は 酒 井 美 意 子 『 あ る 華 族 の 昭 和 史 』 講 談 社 文 庫 、 一 九 八 六 年 を 参 照 。 Wang, 1995 , pp. 84 ー 87 を 参 照 。 ( 間 ) 伏 見 宮 に つ い て は 野 村 実 『 天 皇 ・ 伏 見 宮 と 日 本 海 軍 』 文 藝 春 ( 四 ) 井 原 頼 明 『 増 補 皇 室 事 典 』 冨 山 房 、 一 九 三 八 年 、 増 補 版 一 一 秋 、 一 九 八 八 年 、 五 五 ペ 1 ジ を 参 照 。 刷 、 一 九 八 二 年 、 四 五 ペ ー ジ 。 ) 一 九 三 〇 年 代 に は 、 陸 軍 大 将 一 三 四 人 の う ち 九 人 、 海 軍 大 将 ( リ 宇 垣 に つ い て は 、 井 上 清 『 宇 垣 一 成 』 朝 日 新 聞 社 、 一 九 七 五 ( 年 を 参 照 。 七 七 人 の う ち 三 人 が 皇 族 で あ っ た 。 こ の う ち 元 帥 は 、 陸 軍 一 七 人 ( ) 波 多 野 澄 雄 ほ か 編 「 侍 従 武 官 長 奈 良 武 次 日 記 ・ 回 顧 録 ( 四 ) 』 中 五 人 、 海 軍 一 一 人 中 三 人 が 皇 族 で あ る 。 軍 事 参 議 官 も 一 〇 人 は 柏 書 房 、 二 〇 〇 〇 年 、 一 一 八 ー 一 一 九 ペ ー ジ 。 皇 族 ( 朝 鮮 王 族 一 人 を 含 む ) で 占 め ら れ て い た 。 坂 本 悠 一 「 皇 族 ( ) Anatol Rappaport, "lntroduction to Carl von Clausewitz, 軍 人 の 誕 生 ー 近 代 天 皇 制 の 確 立 と 皇 族 の 軍 人 化 」 岩 井 忠 熊 編 「 近 On ) Penguin Books, 1968 , p. 2 C. L. Glaser and C. 代 日 本 社 会 と 天 皇 制 』 柏 書 房 、 一 九 八 八 年 、 一 一 三 〇 ペ ー ジ を 参 Kaufmann, "What is the Offense ・ Defense BaIance and Can We 照 。 ( 1 ) 藤 原 彰 「 『 天 皇 の 軍 隊 』 の 歴 史 と 本 質 」 「 季 刊 戦 争 責 任 研 Measure lt?" in 守 、 e ミ ミ ミ Se , 22 ( 4 ) , Spring, 1998 , p. 8 54 , n. 35 , citing Edward N. Luttwak, Strategy: The ト 。 を c 、 究 』 一 一 ( 一 九 九 六 年 三 月 ) 六 五 ペ ー ジ 。 2 ) 「 ヤ マ ト 」 は 、 数 あ る 古 代 氏 族 の う ち 、 武 力 で 日 本 最 初 の 国 一 、 、 ミ ミ ce , Harvard University Press, 1987. ( ) 山 田 朗 「 軍 備 拡 張 の 近 代 史 ー 日 本 軍 の 膨 張 と 崩 壊 』 歴 史 文 化 家 を 建 て た 一 族 の 名 に 由 来 す る 。 ラ イ プ ラ リ ー 、 吉 川 弘 文 館 、 一 九 九 七 年 、 三 七 ー 四 〇 ペ ー ジ 。 ( ) 浅 野 和 生 「 大 正 期 に お け る 陸 軍 将 校 の 社 会 認 識 と 陸 軍 の 精 神 5 ) 永 積 寅 彦 、 前 掲 八 〇 ペ ー ジ 。 教 育 」 中 村 勝 範 編 「 近 代 日 本 政 治 の 諸 相 ー 時 代 に よ る 展 開 と 考 ( 間 ) 同 前 四 一 ー 四 二 ペ ー ジ 。 察 』 慶 応 通 信 、 一 九 八 九 年 、 四 四 七 ペ ー ジ 。 ( 行 ) 田 中 宏 巳 「 昭 和 天 皇 の 帝 王 学 」 前 掲 九 七 ー 一 〇 〇 ペ ー ジ 。 ( 制 ) 纐 纈 厚 「 天 皇 の 軍 隊 の 特 質 ー 残 虐 行 為 の 歴 史 的 背 景 」 「 季 刊 314