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昭和天皇(下)


昭 和 天 皇 ( 下 )

昭和天皇(下)


に 向 っ て 、 『 今 回 の 日 独 軍 事 協 定 に つ い て は 、 な る ほ ど い ろ イ 、 考 へ て み る と 、 今 日 の 場 合 已 む を 得 ま い と 思 ふ 。 ア メ リ カ に 対 し て 、 も う 打 つ 手 が な い と い ふ な ら ば 致 し 方 あ る ま い 』 」 と 語 っ て い る 。 近 衛 に よ れ ば 、 さ ら に 昭 和 天 皇 は 、 「 万 一 日 本 が 敗 戦 国 と な っ た 時 に 、 一 体 ど う だ ら う か 。 か く の 如 き 場 合 が 到 来 し た 時 に は 、 総 理 も 、 自 分 と 労 苦 を 共 に し て く れ る だ ら う か 」 と 下 問 し た と い う 。 昭 和 天 皇 は 、 三 国 同 盟 に 消 極 的 に 同 意 し た が 、 当 時 、 動 か し が た い 歴 史 の 過 程 に 従 っ た ま で で あ る と し て 、 自 ら の 行 動 を 正 当 化 し て い た 。 昭 和 天 皇 は 、 一 九 〇 二 年 の 祖 父 明 治 天 皇 に よ る 日 英 同 盟 の 裁 可 以 来 、 対 外 関 係 で 君 主 国 の あ り 方 に も っ と も 根 本 的 な 変 化 を も た ら す 同 盟 を 裁 可 し た の は 、 様 々 な 官 僚 勢 力 間 で 対 立 が あ っ た た め だ と 暗 に ほ の め か し て い た 。 し か し 、 昭 和 天 皇 は 、 三 国 同 盟 に 関 す る 自 分 自 身 の 態 度 の 変 化 が 米 国 と の 戦 争 の 可 能 性 を も た ら し た 転 換 点 で あ っ た こ と を 、 よ く 理 解 し て い た 。 , 。 後 こ 、 昭 和 天 皇 は こ れ に つ い て 主 に 松 岡 を 非 難 し 、 ま た 弟 で あ る 秩 父 宮 、 高 松 宮 の せ い で あ る と し た が 、 け っ し て 、 三 国 同 盟 を 裁 可 し た 自 分 自 身 の 判 断 の 誤 り を 省 り み る こ と は な か っ た 。 こ の 頃 、 皇 族 内 で の 序 列 に 微 妙 な 変 化 が 起 き て い た 。 第 二 位 の 皇 位 継 承 者 で あ り 、 昭 和 天 皇 を も っ と も 遠 慮 な く 批 判 し て き た 秩 父 宮 が 、 重 い 結 核 に か か っ た の で あ る 。 秩 父 宮 は 公 的 活 動 か ら 身 を 引 く こ と と な り 、 そ の 結 果 、 高 松 宮 が 、 天 皇 に 不 慮 の 事 故 が あ っ た 場 合 に は 、 摂 政 と な る 立 場 に 置 か れ た の で あ る 。 そ の た め 、 高 松 宮 は 以 前 よ り も 公 文 書 に 目 を 通 す 機 会 が 増 え 、 天 皇 に も 段 々 と 助 言 を す る よ う に な っ た が 、 そ れ は つ ね に 昭 和 天 皇 に と っ て 役 に 立 つ も の で は な か っ た 。 高 松 宮 は 、 日 本 の 対 外 政 策 の 危 機 に 際 し 、 天 皇 と 堅 く 結 び つ く よ り は 、 む し ろ 秩 父 宮 に 近 か っ た 。 弟 た ち は 三 国 同 盟 に 現 状 を 打 破 す る も の と し て 最 高 の 期 待 を 見 出 し 、 一 貫 し て 昭 和 天 皇 の 能 力 に は 欠 点 が あ る と 見 て い 木 戸 に つ い て 見 て み よ う 。 木 戸 の 回 想 に よ れ ば 、 木 戸 も 昭 和 天 皇 も 、 「 『 渦 中 に 入 ら ず 〔 ヨ ー ロ ッ パ で の 戦 争 に 関 わ る こ と な く の 意 〕 、 し か も 孤 立 を 避 け る た め の 手 と し て は 、 ヾ ノ ラ ン ス ・ オ プ ・ パ ワ ー の 政 策 を と り 、 同 盟 の 力 を 背 景 と し て 米 に 話 を つ け る よ り 外 に 手 が な い 』 と の 近 衛 、 松 岡 の 説 明 を 一 応 納 得 し 、 『 好 ま し く な い が 仕 方 が な い と 考 え て い た と い う 。 木 戸 は 、 昭 和 天 皇 と 異 な り 、 三 国 同 盟 に 責 任 が あ る の は 主 に 陸 軍 で あ り 、 海 軍 が 決 定 的 な 役 割 を 果 た し た

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第 五 章 新 し い 皇 室 、 新 し い 国 家 主 義 第 六 章 政 治 的 君 主 の 誕 生 第 三 部 陛 下 の 戦 争 一 九 三 一 ( 昭 和 六 ) 年 ー 一 九 四 五 ( 昭 和 二 〇 ) 年 第 七 章 満 州 事 変 第 八 章 昭 和 維 新 と 統 制 第 九 章 聖 戦 地 図 ・ 満 州 一 九 三 一 ( 昭 和 六 ) 年 ー 一 九 三 三 ( 昭 和 八 ) 年 写 真 上 巻 注 訳 者 略 歴

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任 意 識 が 強 く 、 そ の よ う な 観 点 か ら 統 帥 部 を 監 督 し て い た 。 ま た 、 日 本 は 本 来 、 防 御 よ り も 攻 撃 に お い て 優 れ て い る と い う 考 え を 支 持 し て い た 。 生 来 、 楽 観 的 な た め 、 困 難 な 軍 事 情 勢 に 対 し て も 、 軍 が 懸 命 に 戦 え ば 勝 て る と の 態 度 で 臨 ん で い た 。 他 方 、 作 戦 を 裁 可 す る ま で は 、 用 心 深 い の が 常 だ っ た 。 昭 和 天 皇 は 、 戦 況 の 悪 化 が 懸 念 さ れ る こ と に 目 を 光 ら せ て い た 。 そ し て ま さ に 悪 化 の 兆 候 を 看 取 す る ば か り か 、 実 際 、 天 皇 が 言 っ た と お り の 措 置 を 統 帥 部 が と ら な け れ ば 、 ど の よ う な 事 態 に な る か ま で 予 測 し て い た 。 日 中 戦 争 で な か な か 、 勝 利 す る こ と が で き な か っ た た め に 、 昭 和 天 皇 は 非 常 に 懐 疑 的 な 指 導 者 と な っ て お り 、 参 謀 本 部 が 指 導 す る 作 戦 に 全 幅 の 信 頼 を 置 い て は い な か っ た 。 天 皇 は 、 と き に か な り 厳 し く 統 帥 部 の 誤 り を 指 摘 し 、 そ の 自 信 過 剰 を 批 判 し た 。 他 の 国 の 最 高 司 令 官 と 異 な り 、 昭 和 天 皇 は け っ し て 戦 場 を 訪 れ る こ と は な か っ た 。 し か し 、 作 戦 の 企 画 と 実 施 の 双 方 に お い て 、 天 皇 の 関 与 は 必 ず 現 地 の 作 戦 に 決 定 的 か つ 重 大 な 影 響 力 を 及 ぼ し て い た 。 日 中 戦 争 初 期 の 四 年 間 、 昭 和 天 皇 は 大 本 営 で 最 上 級 の 軍 事 命 令 を 発 し て き た 。 そ し て 、 天 皇 の 名 の も と に 伝 達 さ れ る 決 定 を 下 し た 会 議 に 、 し ば し ば 臨 席 し た 。 太 平 洋 や 中 国 の 前 線 か ら 帰 っ て き た 陸 海 の 将 軍 か ら 拝 謁 を 不 断 に 受 け て い た 。 昭 和 天 皇 は 、 公 に 前 線 部 隊 ( 後 に は 、 銃 後 の 組 織 も ) を 督 戦 し 、 嘉 賞 し た 。 「 お 言 葉 」 や そ れ を 伝 え る 勅 使 を 前 線 に 送 り つ づ け 、 そ し て 勅 語 ( そ れ は ア メ リ カ の 司 令 官 に 贈 ら れ る 大 統 領 の 感 〔 謝 〕 状 よ り も は る か に 名 誉 と 権 威 を 持 つ も の で あ っ た ) を 軍 功 の あ っ た 将 官 に 授 け た 。 昭 和 天 皇 は 、 勅 語 で 用 い ら れ る 言 葉 が 正 確 に そ の 意 を 伝 え ら れ る よ う に 、 注 意 深 く 手 直 し し て い た 。 基 地 、 軍 艦 そ し て さ ま ざ ま な 陸 海 軍 の 司 令 部 に 足 を 運 ん だ 。 軍 学 校 を 視 察 し 、 生 産 を 高 揚 さ せ る た め に 産 業 界 の 指 導 者 を 引 見 し 、 兵 器 開 発 に 非 常 な 関 心 を 寄 せ 、 そ し て 、 国 家 の 犠 牲 に な る こ と を 正 当 化 す る メ ッ セ ー ジ を 国 民 に 徹 底 さ せ て い た の で あ る 。 し か し 、 戦 時 に お け る 昭 和 天 皇 の 最 大 の 力 は 、 天 皇 生 来 の 寡 黙 さ や 自 制 心 を リ 1 ダ 1 シ ッ プ の 資 質 に 転 換 で き た 点 に あ る と い え る 。 昭 和 天 皇 の カ リ ス マ 性 は む し ろ 、 普 通 の 人 の 資 質 と は 異 な る 天 皇 と し て の 存 在 そ の も の 、 つ ま り 神 代 か ら の 血 統 、 幾 世 紀 に も お よ ぶ 皇 位 の 伝 統 と 義 務 、 そ し て 、 近 代 に な っ て か ら 単 に イ メ ー ジ 操 作 だ け に よ っ て 作 り 出 さ れ た 部 分 か ら な っ て い た 。 天 皇 が 戦 争 で 生 き 残 る こ と が で き た の は 、 彼 が さ ま ざ ま な 方 法 で 君 主 と し て 欠 く こ と

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チ を 併 用 す る こ と に よ っ て 、 昭 和 天 皇 の 行 動 の 特 徴 、 そ の 背 後 に あ る 彼 の 思 想 や 思 考 様 式 、 さ ら に は 生 癖 に 至 る ま で を 、 実 に 生 き 生 き と え が き 出 す こ と に 、 本 書 は 成 功 し て い る と い え よ う 。 も う 一 つ は 、 ビ ッ ク ス が 、 昭 和 天 皇 の あ る 意 味 で は 矛 盾 に み ち た 意 識 の あ り よ う を 、 特 定 の 理 論 的 枠 組 み に よ っ て 裁 断 し て し ま う こ と を 、 慎 重 に 回 避 し よ う と し て い る こ と で あ る 。 こ の 点 に 関 し て は 、 従 来 の 日 本 側 の 研 究 に は 、 私 自 身 の そ れ も 含 め て 、 昭 和 天 皇 の 意 識 や 行 動 の 一 貫 性 を 強 調 し す ぎ る 嫌 い が あ っ た よ う に 思 う 。 戦 後 の 日 本 社 会 に お い て 、 昭 和 天 皇 の 歴 史 的 評 価 に つ い て 何 ら か の 形 で 発 言 し よ う と す る 人 は 、 戦 争 責 任 の 有 無 と い う 問 題 を 避 け て 通 る こ と は で き ず 、 昭 和 天 皇 に 対 す る そ の 人 の 態 度 が ど う で あ れ 、 あ る 意 味 で は 、 戦 争 責 任 と い う 枠 組 み の 下 で し か 、 昭 和 天 皇 を 論 じ る こ と が で き な か っ た か ら で あ る 。 外 国 人 研 究 者 で あ る ビ ッ ク ス は 、 こ う し た 枠 組 み か ら 相 対 的 に は 自 由 で あ り 、 そ の こ と に よ っ て 、 時 に は 状 況 に 流 さ れ な が ら 、 不 安 に か ら れ て 妥 協 を く り 返 し 、 時 に は 、 「 大 元 帥 」 と し て の 自 負 に 支 え ら れ な が ら 軍 部 に 対 し て さ え 主 体 的 な リ ー ダ ー シ ッ プ を 発 揮 し 、 そ の 結 果 、 戦 争 へ の 道 に 傾 斜 し て い っ た 昭 和 天 皇 の 等 身 大 の 実 像 を 過 不 足 な く 、 え が き 出 す こ と が で き た の だ と 思 う 。 本 書 の 第 二 の 特 徴 は 、 日 米 両 国 政 府 の 政 治 的 思 惑 が 交 錯 す る 中 で 、 昭 和 天 皇 の 戦 争 責 任 が 封 印 さ れ て ゆ く 過 程 を 、 日 米 両 国 の 厖 大 な 史 料 に 基 づ き な が ら 、 具 体 的 に 解 明 し た 点 に あ る 。 ア ジ ア ・ 太 平 洋 戦 争 の 終 結 直 後 か ら 、 昭 和 天 皇 の 免 責 に 関 し て は 、 日 米 両 国 政 府 は 共 通 の 政 治 的 利 害 を 有 し て い た の で あ り 、 そ の 結 果 、 東 京 裁 判 に み ら れ る よ う に 、 両 者 は 水 面 下 で は 連 携 し な が ら 、 天 皇 の 戦 争 責 任 の 免 責 に 大 き な 力 を 注 い だ の で あ る 。 最 近 、 ビ ッ ク ス は 、 天 皇 の 戦 争 責 任 を 追 及 す る 際 の 基 本 概 念 と し て 、 「 ア カ ウ ン タ ビ リ テ ィ 」 を 意 識 し て 使 用 し て い る よ う だ が ( 本 書 上 巻 三 〇 七 ペ ー ジ の 「 著 者 ノ ー ト 」 参 照 ) 、 当 然 の 事 な が ら 、 こ の 概 念 は 、 ア メ リ カ の 国 家 指 導 者 に も が 適 用 可 能 で あ る 。 事 実 、 本 書 で も 、 ビ ッ ク ス の 批 判 は 、 昭 和 天 皇 の 免 責 に 加 担 し た ア メ リ カ の 国 家 指 導 者 に も 向 け ら あ れ て い る 。 そ の 意 味 で は 、 本 書 は 、 日 本 的 シ ス テ ム の 欠 陥 や 、 日 本 の 国 家 指 導 者 の 政 治 的 資 質 だ け を 外 在 的 に 批 判 あ 者 監 る い は 非 難 す る 、 い わ ゆ る 「 日 本 た た き 」 の 論 者 の 著 作 と は 、 明 ら か に 異 な っ て い る 。

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も 」 『 信 濃 毎 日 新 聞 』 一 九 九 五 年 六 月 五 日 付 。 ( ) 土 門 周 平 、 前 掲 『 戦 う 天 皇 』 一 三 ペ ー ジ 。 間 ) 前 掲 『 昭 和 天 皇 独 白 録 』 六 九 ペ ー ジ 。 ) James W. MO ュ 0 「 , ed. , David A. Titus, trans. , T ミ ・ 0 行 ) 近 衛 の 辞 表 に つ い て は 、 前 掲 『 近 衛 文 麿 下 』 三 九 五 ー 三 九 senso e 0 ミ ミ . English S ミ e ミ ミ s. ・ 7 e 3 ミ ミ C ミ 4 洋 0 ミ ミ ぎ ミ 六 ペ ー ジ を 参 照 。 , 、 ミ こ s Neg ( ) 二 ミ ミ s ミ ~ 7 一 ~ 、 、 ミ U ミ ed S 、 ミ ) , 、 947 (C01umbia ( 肥 ) 保 阪 正 康 「 昭 和 陸 軍 の 興 亡 第 六 回 昭 和 天 皇 と 東 条 英 機 」 University Press, 1994 ) , P. 176. 『 月 刊 AsahiJ ( 一 九 九 一 年 二 月 号 ) 一 六 三 ペ 1 ジ 。 ( ) 岩 井 忠 熊 「 明 治 天 皇 「 大 帝 」 伝 説 』 三 省 堂 、 一 九 九 七 年 、 一 ) 前 掲 『 木 戸 幸 一 日 記 下 』 九 一 八 ペ ー ジ 。 五 〇 ー 一 五 一 ペ ー ジ 。 ) 前 掲 『 高 松 宮 日 記 第 三 巻 』 三 〇 七 ペ ー ジ 。 3 ) 前 掲 『 杉 山 メ モ 上 』 三 三 一 ペ ー ジ 。 ) 前 掲 『 昭 和 天 皇 の 十 五 年 戦 争 』 一 一 一 六 ペ ー ジ 。 富 田 健 治 『 敗 ( 制 ) 同 前 。 戦 日 本 の 内 側 近 衛 公 の 思 い 出 』 ( 古 今 書 院 、 一 九 六 二 年 ) か ら ( 簡 ) 纐 纈 厚 、 前 掲 『 日 本 海 軍 の 終 戦 工 作 』 七 四 ー 七 五 ペ 1 ジ 。 ) 前 掲 『 木 戸 幸 一 日 記 下 」 九 〇 九 ペ ー ジ 。 近 衛 の 自 殺 後 に 巣 の 引 用 。 鴨 拘 置 所 で 書 か れ た 木 戸 の 日 記 で は 、 一 九 四 一 年 九 月 二 六 日 の 近 ( 間 ) 前 掲 『 昭 和 天 皇 独 白 録 』 六 七 ペ ー ジ 。 衛 と の 会 談 を 次 の よ う に 説 明 し て い る 。 「 陸 軍 が 十 月 十 五 日 を 期 ( 行 ) 保 科 善 四 郎 『 大 東 亜 戦 争 秘 史 ー 失 わ れ た 和 平 工 作 』 原 書 房 、 一 九 七 五 年 、 四 三 ペ ー ジ 。 海 軍 兵 備 局 長 で 真 珠 湾 攻 撃 作 戦 の 起 案 し 是 が 非 で も 戦 争 開 始 と 云 ふ こ と で あ れ ば 自 分 に は 自 信 が な い か ら 進 退 を 考 ふ る よ り 外 な い 」 と 近 衛 が 述 べ た の に 対 し 、 木 戸 は 者 の ひ と り で あ る 保 科 中 将 は 一 一 月 一 日 、 一 七 時 間 に お よ ぶ 連 絡 そ の ま ま 「 九 月 六 日 の 御 前 会 議 を 決 定 し た の は 君 で は な い か 、 あ れ を 其 儘 会 議 に 出 席 し 、 ノ ー ト を と っ て い た 。 に し て 止 め る と 云 ふ こ と は 無 責 任 だ 」 と 言 っ た 。 前 掲 『 木 戸 幸 一 靄 ) 同 前 四 三 ペ ー ジ 。 ( 四 ) 田 中 伸 尚 『 ド キ ュ メ ン ト 昭 和 天 皇 第 一 巻 』 二 七 〇 ー 二 七 一 関 係 文 書 』 三 〇 ペ ー ジ 。 7 ) 前 掲 『 木 戸 幸 一 日 記 下 』 九 一 四 ペ ー ジ 。 田 中 伸 尚 『 ド キ ュ ) 前 掲 『 杉 山 メ モ 上 』 三 八 七 ペ ー ジ 。 メ ン ト 昭 和 天 皇 第 一 巻 』 一 四 一 ー 一 四 二 ペ ー ジ 。 8 ) 前 掲 『 杉 山 メ モ 上 』 三 四 八 ー 三 四 九 ペ ー ジ 。 こ の 前 日 、 近 ( ) 同 前 。 昭 和 天 皇 は 「 ヒ ッ ト ラ ー の 教 皇 」 、 反 セ ム 主 義 の ピ ウ ス 一 二 世 に つ い て 一 言 及 し て い る 。 べ 衛 内 閣 最 後 の 閣 議 が 行 わ れ 、 天 皇 は 木 戸 に 「 昨 今 の 情 況 に て は 日 米 交 渉 の 成 立 は 漸 次 望 み 薄 く な り た る 様 に 思 わ る る 処 、 万 一 開 戦 ( ) 「 対 米 英 蘭 蒋 戦 争 終 末 促 進 に 関 す る 腹 案 」 に は 次 の よ う な も の が 含 ま れ て い た 。 こ こ で 紹 介 す る の は 、 最 後 の 二 項 で あ り 、 そ と な る が 如 き 場 合 に は 、 今 度 は 宣 戦 の 詔 勅 を 発 す る こ と と な る べ 章 れ は 天 皇 の 要 請 で 挿 人 さ れ る こ と と な っ た 。 し 」 と 話 し て い た 。 前 掲 『 木 戸 幸 一 日 記 下 』 九 一 四 ペ ー ジ 。 第 2 ) 小 田 部 雄 次 「 反 米 英 だ っ た 近 衛 首 相 『 独 断 者 』 松 岡 像 の 修 正 注 75 74 73 81 80 291

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日 中 戦 争 を 始 め た 日 本 の 支 配 層 に と っ て 、 昭 和 天 皇 な ら び に 天 皇 制 は 絶 対 に 必 要 だ っ た 。 公 に は 日 本 の 戦 争 目 的 は 蒋 介 石 の 軍 隊 を 懲 ら し め 、 天 皇 の 徳 を 広 め る こ と に あ り 、 混 沌 や 残 虐 を 生 み 出 す こ と を 目 的 に し て い た の で は な い 。 こ の 平 和 の 理 念 と 暴 力 的 な 政 策 の 矛 盾 を あ い ま い に す る こ と が 昭 和 天 皇 の 象 徴 的 な 役 割 だ っ た 。 天 皇 は そ の 人 格 に よ っ て 、 軍 全 体 の 行 為 を 道 徳 的 、 か っ 合 理 的 な も の に 見 せ て い た の で あ る 。 対 外 的 に 昭 和 天 皇 は 日 本 社 会 の 道 義 の 規 範 お お み こ こ ろ で あ り 、 高 貴 な 民 族 の 価 値 を 体 現 し た 存 在 で あ り 、 自 ら が 一 一 一 一 口 う 大 御 心 の 象 徴 だ っ た 。 舞 台 裏 で 戦 略 の 策 定 や 戦 争 指 導 大 拡 に あ た る 最 高 司 令 官 と し て の 役 割 は 、 周 到 に 隠 さ れ て い た 。 し か し 、 国 民 党 と の 四 年 間 に お よ ぶ 戦 争 で 、 昭 和 天 皇 は 最 高 司 令 官 と し て の 役 割 を 果 た し 、 そ の 体 験 を 通 じ て 、 戦 争 全 般 に 対 す る 態 度 を 変 え た 。 そ し て 、 つ い に は 、 よ り 大 き な の 目 的 に 向 け て 進 ん で 危 険 を 冒 す こ と と な っ た 。 争 戦 昭 和 天 皇 は 中 国 を 「 近 代 」 国 家 と 見 な さ ず 、 中 国 侵 略 が 悪 い と は 夢 に も 思 わ な か っ た 。 中 国 に 宣 戦 布 告 を す る こ と 章 を 控 え 、 中 国 人 捕 虜 の 取 扱 い に 際 し て 国 際 法 の 適 用 を 除 外 す る 決 定 を 認 め た 。 す な わ ち 、 一 九 三 七 年 八 月 五 日 、 陸 軍 〇 第 次 官 に よ り 出 さ れ た 次 の よ う な 指 令 を 個 人 と し て 承 認 し た 。 そ の 指 令 で は 「 現 下 の 情 勢 に 於 て 帝 国 は 対 支 全 面 戦 争 を 第 一 〇 章 戦 争 の 泥 沼 化 と 拡 大

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み よ う ひ ん 昭 和 天 皇 が 汪 兆 銘 政 権 の 元 高 官 ( 小 磯 が 強 く 支 持 し た 繆 斌 ) を 通 じ て 進 め て い た 中 国 と の 和 平 工 作 の 中 止 を 命 じ て 三 日 後 、 つ ま り 沖 縄 戦 開 始 か ら 五 日 め の 四 月 五 日 、 天 皇 と 小 磯 首 相 の 間 に 見 解 の 対 立 が 生 じ た 。 昭 和 天 皇 は レ イ テ 以 来 、 硫 黄 島 陥 落 に 至 る ま で 軍 事 的 敗 退 を 繰 り 返 し て き た 小 磯 を 叱 責 し 、 直 ち に 内 閣 を 更 迭 し た 。 次 い で 、 天 皇 は 、 彼 が 信 頼 を 寄 せ て い た 元 侍 従 長 で 七 八 歳 の 退 役 海 軍 提 督 、 鈴 木 貫 太 郎 を 新 し い 政 府 の 首 班 と す る こ と に し た 。 こ の 時 点 で は 、 天 皇 も 鈴 木 も 、 戦 争 終 結 を 意 図 し て 、 何 ら か の 政 策 の 変 更 を し よ う と は 考 え て い な か っ た 。 沖 縄 戦 で 甚 大 な 損 害 を 被 り 、 ア メ リ カ 軍 の 焼 夷 弾 爆 撃 に よ り 六 〇 以 上 の 都 市 を あ ら か た 焼 け 野 原 と し て し ま っ て か ら 、 よ う や く 昭 和 天 皇 は 和 平 の 希 望 を 示 唆 し 、 戦 争 終 結 の 方 途 を 模 索 し 始 め た の で あ る 。 木 戸 日 記 に よ る と 、 天 皇 が 和 平 に つ い て 真 剣 に 考 慮 す る よ う に 最 初 に 求 め ら れ た の は 一 九 四 五 年 六 月 九 日 で あ っ た 。 こ の 前 日 、 木 戸 が 起 草 し た 「 時 局 収 拾 の 対 策 試 案 」 を 天 皇 に 言 上 し た の で あ る 。 こ の 時 期 が 極 め て 重 要 で あ る 。 な ぜ な ら 、 こ れ は 皇 居 が 誤 っ て 爆 撃 さ れ た 〔 米 軍 は 皇 居 を 爆 撃 し な い よ う に 命 令 し て い た 〕 直 後 で あ り 、 沖 縄 防 衛 が 完 全 に 絶 望 的 と な り 、 〔 八 日 に は 〕 最 高 戦 争 指 導 会 議 が 「 今 後 採 る べ き 戦 争 指 導 の 基 本 大 綱 」 を 決 定 し て い た か ら で あ る 。 ョ ー ロ ッ パ の 戦 闘 は 終 結 し て い た 。 い ま や 、 連 合 国 と 戦 う の は 日 本 だ け と な っ て い た 。 木 戸 の 「 試 案 」 は 漠 然 と し た も の で あ り 、 日 本 が 敵 国 と 交 渉 す る 際 、 日 本 が 少 し で も 有 利 に 立 て る よ う に 、 仲 介 者 と し て ソ 連 に 手 助 け を 求 め る と い う も の で あ っ た 。 木 戸 に と っ て 、 こ の 試 案 の 起 草 は 長 く 続 い た 軍 部 強 硬 派 と の 蜜 月 を 終 わ ら せ る こ と を 示 唆 し 、 天 皇 に と っ て は 、 そ れ を 受 け 入 れ る こ と で 、 つ い に 早 急 な 和 平 を 覚 悟 し た こ と を 暗 に 示 し た の で あ る 。 足 下 で 大 日 本 帝 国 が 崩 壊 し て ゆ く に つ れ 、 昭 和 天 皇 は 強 い 緊 張 感 と と も に 鬱 々 と し た 日 々 を 送 る こ と と な っ た 。 六 月 中 旬 、 天 皇 は 木 戸 か ら 彼 自 身 と 大 本 営 が 移 る 予 定 で 建 設 中 だ っ た 長 野 県 松 代 の 地 下 防 空 壕 の 現 状 を 聞 い て 間 も な く 体 調 を 崩 し 、 公 務 を 取 り 止 め る こ と を 余 儀 な く さ れ た 。 六 月 一 五 日 の 午 後 、 母 の 貞 明 皇 太 后 を 訪 ね 、 か ろ う じ て 約 束 を 果 た し た だ け だ っ た 。 六 月 一 三 日 、 こ の 日 つ い に 天 皇 は 最 高 戦 争 指 導 会 議 に 戦 争 終 結 の た め 外 交 交 渉 を 開 始 す る よ う に と の 要 望 を 自 ら 伝 え た 。 木 戸 が 天 皇 か ら 聞 い た 話 を ま と め た 記 録 に よ る と 、 六 月 八 日 の 御 前 会 議 で 「 戦 争 の 指 導 に 就 て 」 を 決 定 す る に 際 し て 、 集 ま っ た 指 導 者 た ち に 次 の よ う に 告 げ た 。 す な わ ち 、 天 皇 は 「 戦 争 の 終 結 に 就 き て も 120

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( 燗 ) だ 。 昼 夜 兼 行 で 、 「 切 羽 つ ま っ た 決 死 の 気 持 ち 」 で 、 軍 令 部 は 六 月 二 一 日 草 案 を 完 成 さ せ た 。 し か し な が ら 、 連 合 艦 隊 司 令 部 が 反 対 の 意 思 を 表 明 す る と 、 三 日 後 の 六 月 二 四 日 、 東 条 と 嶋 田 は 、 正 式 に 奪 還 計 画 は 取 り 止 め る べ き で あ る と 奏 上 し た 。 サ イ バ ン は 永 久 に 失 わ れ る こ と と な っ た の で あ る 。 サ イ バ ン の 敗 北 を 受 け 入 れ る こ と を 拒 ん で い た 天 皇 は 、 蓮 沼 蕃 侍 従 武 官 長 に 、 天 皇 臨 席 の 元 帥 会 議 を 開 催 し 、 意 見 を ま と め る よ う に と 命 じ た 。 ふ た り の 長 老 の 皇 族 に 加 え 永 野 、 杉 山 の 二 元 帥 、 東 条 ・ 嶋 田 の 両 総 長 が 六 月 二 五 日 、 宮 中 に 集 ま っ た 。 元 帥 府 は 、 先 に 提 出 さ れ た 統 帥 部 の 報 告 は 適 切 で あ り 、 サ イ バ ン 奪 還 は 不 可 能 で あ る と の 見 解 を ま と め て 、 こ れ を 天 皇 に 奉 答 し た 。 昭 和 天 皇 は そ れ を 文 書 に し て お く よ う に と 言 う と 、 部 屋 を 後 に し た 。 こ の 議 論 に 引 き 続 き 、 東 条 は 陸 軍 が 「 風 船 爆 弾 」 を 考 案 し 、 秋 に は 敵 国 に 向 け て 三 万 個 の 風 船 爆 弾 を 空 中 に 放 っ 予 定 で あ る こ と を 明 ら か に し た 。 一 九 四 三 年 一 二 月 か ら 四 四 年 一 月 の 間 に 、 昭 和 天 皇 は 風 船 爆 弾 の 計 画 に つ い て 何 度 か ( 鵬 ) 内 奏 を 受 け て い た 可 能 性 が 強 い 。 そ の 後 も 天 皇 は こ の 計 画 の 進 捗 に 非 常 に 関 心 を 持 っ て い た 。 戦 局 の 見 通 し が 暗 い こ の 時 期 に 、 大 本 営 は 今 後 、 来 た る べ き 本 土 で の 地 上 戦 の 作 戦 計 画 に 着 手 し よ う と し て い た 。 当 時 、 予 想 さ れ て い た 四 に よ る 空 襲 を 迎 え 撃 っ た め に 陸 海 軍 の 準 備 は 整 い つ つ あ る と の 会 議 で の 報 告 を 聞 い て 、 昭 和 天 皇 は 安 堵 し た か も し れ な い 。 風 船 爆 弾 の よ う な 風 ま か せ の 特 殊 な 報 復 兵 器 を 当 て に し た こ と は 、 昭 和 天 皇 が 動 揺 し て い た 兆 候 の 一 例 だ っ た 。 マ リ ア ナ で の 敗 北 は 戦 争 の 新 し い 段 階 の 始 ま り だ け で は な く 、 東 京 に お け る 新 た な 政 治 危 機 の 幕 開 け で も あ っ た 。 天 皇 自 身 が 再 び 、 皇 族 の 批 判 の 的 と な っ た 。 こ の 頃 、 天 皇 の 弟 、 高 松 宮 は そ の 日 記 に 次 の よ う な こ と を 書 い て い た 。 高 松 し よ く し よ う 宮 に よ れ ば 、 天 皇 は 事 の 重 大 性 を 認 識 せ ず 、 官 僚 機 構 の 上 下 関 係 の 秩 序 を 厳 格 に 守 る こ と に こ だ わ り 、 職 掌 を 守 ら な い 者 は 退 け る 傾 向 が あ り 、 「 御 気 色 悪 く 」 な る だ け で あ っ た 。 も ち ろ ん 、 昭 和 天 皇 の 天 皇 と し て の 役 割 に 対 す る 皇 族 か ら の 批 判 は 、 以 前 か ら あ っ た こ と で あ り 、 新 し い こ と で は な い 。 よ り 深 刻 な の は 統 治 階 層 の 中 で 東 条 に 向 け ら れ た 批 判 が 生 じ た こ と で あ る 。 そ し て 、 こ の 東 条 へ の 権 力 の 集 中 は 天 皇 が 支 持 し た こ と に よ っ て の み 実 現 で き た も の だ っ ? 」 0

昭和天皇(下)


の で き な い 頑 固 な ま で の 一 貫 性 や 決 意 を 持 っ て い た か ら で あ る 。 一 八 八 九 年 発 布 の 明 治 憲 法 の 設 計 者 た ち は 、 昭 和 天 皇 の よ う に 頑 な な 性 格 だ が 、 制 度 の 変 更 を 認 め て し ま う 天 皇 を 予 測 す る こ と は で き な か っ た 。 御 学 問 所 で 進 講 し た 者 も 、 昭 和 天 皇 が 「 大 東 亜 戦 争 . を 始 め 、 指 導 し 、 そ し て 長 く 迷 っ た 末 に 終 結 さ せ る こ と を 予 測 で き な か っ た 。 し か し 、 大 元 帥 と し て 軍 事 大 権 を 持 つ 以 上 、 宣 戦 布 告 、 戦 争 の 遂 行 、 そ し て 和 平 の 実 現 に つ い て は 、 天 皇 は た だ ひ と り 最 終 的 な 責 任 を 有 す る 。 何 世 代 も 前 の 伊 藤 博 文 と そ の 同 僚 は 、 天 皇 の 地 位 に あ る か ぎ り 逃 れ よ う の な い 重 責 を 、 い ま だ 生 ま れ て い な い 昭 和 天 皇 に 課 す こ と と な っ た の で あ る 。 そ の 一 方 で 天 皇 は 、 神 事 ー ー こ れ こ そ 皇 位 の 本 質 で あ る が , ー ・ も 執 り 行 わ な け れ ば な ら な か っ た 。 昔 の 天 皇 の 中 に は 、 そ の 煩 わ し さ か ら 、 宗 教 的 義 務 に 悩 む よ り む し ろ 退 位 を 選 ぶ 天 皇 が い た ほ ど で あ る 。 昭 和 天 皇 は 、 戦 時 に お い て よ り ゅ う ど さ え 神 事 に こ だ わ っ た 。 臣 民 が 詠 ん だ 歌 を 天 皇 や 宮 中 職 〔 寄 人 〕 が 判 定 す る 歌 会 始 の よ う な 年 中 行 事 も 続 け た 。 昭 和 天 皇 は 国 家 の 命 運 と 国 体 の 護 持 を 戦 争 に 賭 す る よ う に な っ て か ら 、 前 に も ま し て 、 神 道 の 神 々 に 祈 願 す る よ う に な っ た 。 た と え ば 、 真 珠 湾 攻 撃 か ら 約 一 年 後 の 内 大 臣 木 戸 幸 一 の 日 記 は 次 の よ う な も の だ っ た 。 十 二 月 十 一 日 ( 金 ) 晴 本 日 は 、 聖 上 陛 下 伊 勢 神 宮 へ 御 親 拝 の 為 め 行 幸 の 当 日 な り 。 ( 後 略 ) 十 二 月 十 二 日 ( 土 ) 晴 午 前 六 時 一 一 十 分 、 京 都 御 所 に 参 入 、 御 親 拝 行 幸 に 供 奉 す 。 六 時 四 十 五 分 、 京 都 皇 宮 御 出 門 、 七 時 京 都 駅 御 発 車 、 途 中 、 柘 ・ 亀 山 両 駅 に 停 車 の 上 、 十 時 山 田 駅 御 著 。 先 あ そ ば さ れ あ そ ば さ る づ 外 宮 に 御 参 拝 被 遊 、 次 い で 内 宮 行 在 所 に て 御 昼 餐 の 後 、 午 後 一 時 過 、 内 宮 に 御 親 拝 被 遊 。 戦 時 下 に 於 て 、 天 み ぞ う き よ 、 つ く 皇 親 し く 御 参 拝 御 祈 願 あ ら せ ら る ゝ こ と は 真 に 未 曾 有 の こ と に し て 、 大 御 心 の 程 拝 察 す る だ に 恐 懼 の 至 り な り 。 此 盛 儀 に 供 奉 す る の 光 栄 を 荷 ふ こ と を 得 た る は 、 臣 子 の 分 と し て 誠 に 無 上 の 栄 誉 な り 。 ( 後 略 ) に な ぐ ぶ