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検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代から 242件ヒットしました。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


表 I ー 1 和 風 謚 号 神 日 本 磐 余 彦 天 皇 神 渟 名 川 耳 天 皇 「 日 本 書 紀 」 の 編 年 の あ ら ま し 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 巻 二 十 30 31 32 33 34 35 巻 二 四 36 巻 二 五 37 38 巻 二 七 巻 一 39 料 40 131 ー 190 192 ー 200 201 ー 269 270 ー 310 313 ー 399 400 ー 405 406-410 412 ー 453 454 ー 456 457 ー 479 480 ー 484 485 ー 487 488 ー 498 499 ー 506 507 ー 531 534 一 535 536 ー 539 540 ー 571 572 ー 585 586 ー 587 588 ー 592 593 ー 628 629 ー 641 642 ー 644 645 ー 649 655 ー 661 662 ー 671 神 武 天 皇 綏 靖 大 皇 安 寧 天 皇 懿 徳 天 皇 孝 昭 天 皇 孝 安 天 皇 孝 霊 天 皇 孝 元 天 皇 開 化 天 皇 崇 神 天 皇 垂 仁 天 皇 景 行 天 皇 成 務 天 皇 仲 哀 天 皇 神 功 皇 后 応 神 天 皇 仁 徳 天 皇 履 中 天 皇 反 正 天 皇 允 恭 天 皇 安 康 天 皇 雄 略 天 皇 清 寧 天 皇 顕 宗 天 皇 仁 賢 天 皇 武 烈 天 皇 継 体 天 皇 安 閑 大 皇 宣 化 天 皇 欽 明 天 皇 敏 達 天 皇 用 明 天 皇 崇 峻 天 皇 推 古 天 皇 舒 明 天 皇 皇 極 天 皇 孝 徳 天 皇 斉 明 天 皇 天 智 天 皇 天 武 天 皇 持 統 天 皇 磯 城 津 彦 玉 手 看 天 皇 大 日 本 彦 耜 友 天 皇 観 松 彦 香 殖 稲 天 皇 日 本 足 彦 国 押 人 天 皇 大 日 本 根 子 彦 太 瓊 天 皇 大 日 本 根 子 彦 国 牽 天 皇 稚 日 本 根 子 彦 大 日 日 天 皇 御 間 城 入 彦 五 十 瓊 殖 天 皇 活 目 入 彦 五 十 狭 茅 天 皇 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 稚 足 彦 天 皇 足 仲 彦 天 皇 気 長 足 姫 尊 誉 田 天 皇 大 鷦 鷯 天 皇 去 来 穂 別 天 皇 瑞 齒 別 天 皇 雄 朝 津 間 稚 子 宿 禰 天 皇 穴 穂 天 皇 大 泊 瀬 幼 武 天 皇 白 髪 武 広 国 押 稚 日 本 根 子 天 皇 弘 計 天 皇 億 計 天 皇 小 泊 瀬 稚 鷦 鷯 天 皇 男 大 迹 天 皇 広 国 押 武 金 日 天 皇 武 小 広 国 押 盾 天 皇 天 国 排 開 広 庭 天 皇 渟 中 倉 太 珠 敷 天 皇 橘 豊 日 天 皇 泊 瀬 部 天 皇 豊 御 食 炊 屋 姫 天 皇 息 長 足 日 広 額 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 万 豊 日 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 命 開 別 天 皇 天 渟 中 原 瀛 真 人 天 皇 高 天 原 広 野 姫 天 皇 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 五 巻 七 巻 七 巻 八 巻 九 巻 十 巻 十 一 巻 十 二 巻 十 二 巻 十 三 巻 十 三 巻 十 四 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 六 巻 十 七 巻 十 八 巻 十 八 巻 十 九 巻 紀 年 数 60 年 9 年 69 年 41 年 87 年 6 年 5 年 42 年 3 年 23 年 5 年 3 年 11 年 8 年 25 年 2 年 4 年 32 年 14 年 2 年 5 年 36 年 13 年 3 年 5 年 ( 大 化 ド 3 5 年 ( 白 雉 ) 7 年 10 年 14 年 1 年 ( 赤 鳥 ) 11 年 享 年 127 歳 84 歳 57 歳 77 歳 ( 立 ) 料 114 歳 ( 立 ) 137 歳 ( 立 ) 128 歳 ( 立 ) 116 歳 ( 立 ) 115 歳 120 歳 140 歳 106 歳 107 歳 52 歳 100 歳 110 歳 82 歳 70 歳 73 歳 63 歳 ( 生 ド 2 75 歳 70 歳 在 位 期 間 B . C .29 ー 70 B . C. 97 ー 30 B. C. 157 ー 98 B . C. 214 ー 158 B . C. 290 ー 215 B . C. 392 ー 291 B. C .475 一 393 B. C .510 ー 477 B . C. 548 ー 511 B . C. 581 ー 549 B. C .660 ー 585 ー ノ い 巻 三 十 71 ー 130 687 ー -- 697 672 ー 685 650-654 686 * 1 : 立 太 子 時 の 年 齢 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 立 ) と 記 す 。 * 2 : 出 生 年 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 生 ) と 記 す 。 * 3 : 西 暦 645 年 は 、 6 月 18 日 ま で は 、 皇 極 四 年 、 6 月 19 日 以 降 は 大 化 元 年 と な る 。 * 4 : 「 日 本 書 紀 」 で は 、 天 武 天 皇 は 第 39 代 、 持 統 天 皇 は 第 40 代 で あ る が 、 明 治 時 代 に 大 友 皇 子 が 弘 文 天 16 皇 と し て 第 39 代 天 皇 と し て 数 え ら れ る よ う に な っ た た め 、 今 日 で は 、 天 武 天 皇 以 下 代 数 が 一 代 下 が る 。

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を 検 証 す れ ば 、 以 下 の 点 が 指 摘 さ れ ま す 。 む す め き た し そ が の い な め の す く ね 一 、 推 古 天 皇 の 母 は 、 蘇 我 稲 目 宿 禰 の 女 の 堅 塩 姫 で あ り 、 一 方 、 元 明 天 皇 の 母 は 、 蘇 我 山 田 石 川 磨 呂 の 女 の 宗 我 姫 で す 。 二 、 推 古 天 皇 の 同 母 兄 の 橘 豊 日 尊 は 用 明 天 皇 と し て 即 位 さ れ て い ま す が 、 一 方 、 元 正 天 皇 の 同 母 兄 の 軽 皇 子 も 文 武 天 皇 と し て 即 位 し て い ま す 。 三 、 推 古 天 皇 の 和 風 謚 号 は 「 豊 御 食 炊 屋 姫 」 、 用 明 天 皇 の 和 風 謚 号 は 「 橘 豊 日 」 で あ り 、 一 方 、 文 武 天 皇 の 和 風 謚 号 は 「 天 之 真 宗 豊 祖 父 」 、 元 明 天 皇 の 和 風 謚 号 は 「 日 本 根 子 天 津 御 代 豊 国 成 ー で あ り 、 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 初 頭 に お い て は 、 和 風 謚 号 に 「 豊 」 の 字 が 使 用 さ れ る 傾 向 に あ り ま す 。 蘇 我 氏 の 影 お お よ そ 、 以 上 の 三 点 が 指 摘 さ れ る わ け で す が 、 推 古 天 皇 、 元 明 天 皇 、 元 正 天 皇 の 系 譜 的 特 徴 は 、 三 帝 と も に 、 蘇 我 氏 と の 間 に 系 譜 的 関 連 が 意 識 さ れ る こ と で す 。 特 に 元 明 天 皇 は 、 『 続 日 本 紀 』 巻 あ め の ひ ら か す わ け や ま と ね こ あ ま つ み し ろ と よ く に な り ひ め 四 の 元 明 天 皇 の 即 位 前 紀 の 頭 に 、 「 日 本 根 子 天 津 御 代 豊 国 成 姫 天 皇 。 小 名 阿 閇 皇 女 。 天 命 開 別 天 皇 之 第 四 皇 女 也 。 母 曰 宗 我 嬪 。 蘇 我 山 田 石 川 磨 呂 大 臣 之 女 也 。 」 と 見 え 、 「 宗 我 嬪 」 と す る 氏 族 名 を 冠 し た 名 に よ っ て も 蘇 我 氏 と の 系 譜 的 関 連 が 強 調 さ れ て い る と 言 え る で し よ う 。 234

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と い う 二 つ の 概 念 が 重 な っ て い る と 言 え る で し よ う 。 そ し て 、 こ れ ら の 二 義 は 常 に 融 合 し て い る わ け で は な く 、 時 に は 分 離 し 、 ① 皇 位 継 承 予 定 者 を 指 す 場 合 と 、 ⑦ 国 事 を 担 っ て い る 者 を 指 す 場 合 と が あ っ た の で は な い か 、 と 推 知 さ れ ま す 。 『 記 』 に お い て 、 三 人 の 太 子 が 記 さ れ る 理 由 は 、 仏 教 思 想 を 踏 ま え た 太 子 の 定 義 の い か ん の 問 題 に 求 め る こ と が で き る か も し れ ま せ ん 。 『 記 』 の 三 人 の 太 子 は 、 図 国 事 を 担 っ て い る 者 の 定 義 に お い て 用 い ら れ て い た 可 能 性 が あ り ま す 。 「 タ リ シ ヒ コ 」 を 和 風 謚 号 に も っ 天 皇 と 三 太 子 あ ざ な そ こ で 、 次 に 、 「 タ リ シ ヒ コ 」 と い う 和 語 の 字 の 問 題 に 進 ん で み ま し よ う 。 「 タ リ シ ヒ コ ( タ ラ シ 子 し ′ 」 う 徳 ヒ コ ) ー と い う 訓 を そ の ま ま に 含 む 和 風 謚 号 を も っ 天 皇 は 、 以 下 の 三 帝 で あ る こ と を 覚 え て お い て 聖 い た だ き た い と 思 い ま す 。 孤 比 第 六 代 孝 安 天 皇 日 本 足 彦 国 押 人 天 皇 ( ヤ マ ト タ ラ シ ヒ コ ク ニ オ シ ヒ ト ノ ス メ ラ ミ コ ト ) 多 第 十 二 代 景 行 天 皇 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 ( オ オ タ ラ シ ヒ コ オ シ ロ ワ ケ ノ ス メ ラ ミ コ ト ) 章 四 第 十 三 代 成 務 天 皇 稚 足 彦 天 皇 ( ワ カ タ ラ シ ヒ コ ノ ス メ ラ ミ コ ト ) 第 そ し て 、 こ れ ら の 和 風 謚 号 に 「 タ リ シ ヒ コ ・ タ ラ シ ヒ コ 」 を 含 む 孝 安 天 皇 、 景 行 天 皇 、 成 務 天 皇

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そ し て 、 傍 線 ③ の 「 太 子 」 で す が 、 七 二 七 年 の 時 点 で 皇 太 子 で あ っ た の は 、 先 述 い た し ま し た よ う に 幼 皇 太 子 で す が 、 幼 皇 太 子 は 造 仏 事 業 が 開 始 さ れ た 七 〇 六 年 に は 当 然 生 ま れ て い ま せ ん 。 一 方 、 傍 線 ③ の 「 太 子 」 は 造 仏 の 開 始 と か か わ っ て お り ま す の で 、 七 〇 六 年 の 時 点 を 基 準 と し て み ま し ょ 文 武 天 皇 の 時 代 に は 皇 太 子 は 立 て ら れ て お り ま せ ん の で 、 七 〇 六 年 に お い て 「 太 子 」 と い う 立 場 と し て 認 識 さ れ る 人 物 は 、 文 武 天 皇 の 後 継 者 で あ る と 推 論 す る こ と が で き ま す 。 そ こ で 、 「 太 子 」 は 、 文 武 天 皇 の 遺 詔 に よ っ て 皇 位 を 継 承 し た 元 明 天 皇 の こ と で は な い か と 考 え ら れ ま す 。 理 由 を ま と め て み ま す と 以 下 の よ う に な り ま す 。 お び と し よ う む 一 、 文 武 天 皇 に は 、 七 〇 七 年 の 時 点 で 当 時 六 歳 の 幼 子 、 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) が 遺 さ れ て お り ま し た の で 、 「 太 子 , は 首 皇 子 で あ る と も 考 え ら れ ま す が 、 首 皇 子 の 立 太 子 の 時 期 を め ぐ っ て は 、 『 続 日 本 紀 』 は 、 和 銅 七 年 の 七 一 四 年 の こ と と 記 し て い ま す の で 、 七 〇 六 年 の 時 点 に お い て は 皇 太 子 で は あ り ま せ ん 。 二 、 文 武 天 皇 が 七 〇 六 年 に 疾 病 を 患 っ た 際 に 、 阿 閇 皇 女 ( の ち の 元 明 天 皇 ) に 「 天 皇 」 位 を 譲 ろ う と さ れ た こ と は 前 述 い た し ま し た 。 阿 閇 皇 女 を め ぐ っ て は 、 立 太 子 さ れ た と い う 記 述 は あ り ま せ ん が 、 七 〇 六 年 当 時 、 す で に 皇 位 継 承 予 定 者 と し て 認 識 さ れ て い た 可 能 性 が あ り ま す 。 三 、 「 大 王 天 皇 与 太 子 」 と 「 大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 」 と い う 一 対 の 表 現 が 銘 文 に お い て 用 い ら れ て

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年 ) や 『 日 本 霊 異 記 』 ( 七 八 七 年 ) に 、 聖 武 天 皇 は 聖 徳 太 子 の 後 身 、 再 誕 で あ る と す る 文 が 所 見 さ れ 、 聖 武 天 皇 を 聖 徳 太 子 に 擬 す る よ う な 伝 承 が あ っ た 可 能 性 に よ っ て も 補 強 さ れ る で し よ う 。 第 三 章 に お い て 、 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 の 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 武 天 皇 の こ と で あ る と い う 結 論 を 提 起 し て お り ま す が 、 『 書 紀 』 の 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) ー も ま た 、 聖 武 天 皇 を 意 味 し て い る 可 能 性 が 示 さ れ た こ と に な り ま す 。 ー ー 斑 鳩 宮 造 営 と 列 ・ 列 天 皇 ・ 太 上 天 皇 ・ 皇 太 子 の 在 位 状 況 次 に 、 『 書 紀 』 の 推 古 九 年 条 に 所 見 さ れ る 斑 鳩 宮 造 営 に つ い て 検 証 し て み ま し よ う 。 推 古 九 年 は 、 第 二 章 で 述 べ ま し た よ う に 、 書 紀 編 年 に お い て 紀 元 と な る 神 武 元 年 を 設 定 す る た め の 一 蔀 ( 一 二 六 〇 年 ) の 基 点 と も な る 極 め て 大 事 な 年 代 と な っ て い ま す 。 そ こ で 、 推 古 九 年 の 問 題 も 、 列 と 列 を ア プ ロ ー チ と す れ ば 、 興 味 深 い 結 論 が 得 ら れ る こ と に な り ま す 。 以 下 、 表 ー 2 は 、 << 列 上 に お け る 用 明 ・ 崇 峻 ・ 推 古 紀 を 、 実 際 の 歴 史 年 代 上 に 位 置 づ け た 表 と な り ま す 。 ま た 、 用 明 ・ 崇 峻 ・ 推 古 紀 に 相 当 し て く る 慶 雲 年 間 、 和 銅 年 間 、 霊 亀 年 間 、 養 老 年 間 、 神 亀 年 間 、 天 平 年 間 に お け る 天 皇 、 太 上 天 皇 、 皇 太 子 の 在 位 状 況 も 記 し て あ り ま す 。 天 皇 、 太 上 天 196

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図 ー 4 六 世 紀 か ら 七 世 紀 に か け て の 天 皇 位 を め ぐ る 略 系 図 手 白 香 皇 女 継 体 天 皇 ① 目 子 媛 安 閑 天 皇 ② 宣 化 天 皇 ③ 石 姫 皇 女 小 姉 命 堅 塩 媛 欽 明 天 皇 ④ ⑦ 皇 6 ー ー 用 明 天 皇 の 即 位 天 峻 ⑥ 女 す 崇 皇 皇 ま 姫 り 天 手 あ 明 香 て 用 酢 し 飛 鳥 時 代 の 皇 位 継 承 愛 割 以 上 述 べ て き ま し た よ う に 、 『 新 唐 書 』 や 『 宋 史 』 に 所 引 さ ⑧ 皇 れ る 「 王 年 代 記 」 に お い て は 、 多 利 思 比 孤 が 用 明 天 皇 の 子 で あ 天 あ 古 推 る こ と が 特 に 強 調 さ れ て 記 述 さ れ て い る と 言 う こ と が で き ま す 。 承 み カ 継 の 子 た 物 そ こ で 、 本 節 で は 用 明 天 皇 に つ い て 考 え て み ま し よ う 。 え 人 太 数 る 徳 ら す 欽 明 天 皇 以 降 、 敏 達 天 皇 、 用 明 天 皇 、 崇 峻 天 皇 、 推 古 天 皇 と 聖 か 連 皇 関 天 と 四 代 続 い て す べ て 欽 明 天 皇 の 皇 子 ・ 皇 女 で あ り 、 敏 達 天 皇 以 降 、 体 論 継 本 代 皇 位 は 兄 弟 相 承 に お い て 継 が れ て い ま す 。 研 究 史 上 に お い て は 、 此 1 親 子 に よ る 継 承 が 困 難 な 政 治 的 状 況 が あ っ た と す る 見 解 が 通 説 多 第 人 と さ れ て い ま す が 、 当 時 、 親 子 継 承 と 兄 弟 相 承 の ど ち ら が 正 統 は れ 章 字 さ 数 記 的 継 承 法 と 考 え ら れ て き た も の で あ る の か は 、 依 然 と し て 明 ら 四 ⑧ 図 か に さ れ て い る わ け で は あ り ま せ ん 。 9. ① 本 以 下 、 『 書 紀 』 に も と づ く 継 体 天 皇 か ら 推 古 天 皇 ま で の 継 承 敏 達 天 皇 ⑤

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投 影 さ れ る 奈 良 時 代 の 人 物 年 年 列 年 年 っ ー い ハ 一 OO ワ 」 表 Ⅲ ー 3 を 概 観 す れ ば 、 以 下 の 点 が 指 摘 さ れ ま す 。 投 ま ず 第 一 に 、 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 に 登 場 す る 人 物 名 を め ぐ 定 の 位 位 っ て は 、 通 常 「 飛 鳥 時 代 の 人 物 へ の 投 影 」 の 欄 に 示 さ れ ま す よ う 物 物 櫨 在 子 子 人 人 皇 皇 太 太 の の に 、 「 天 皇 」 は 用 明 天 皇 、 「 大 王 天 皇 」 は 推 古 天 皇 、 「 太 子 」 と 天 天 皇 皇 代 子 子 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 徳 太 子 を 意 味 す る 、 と こ れ ま で 解 釈 さ れ て き た 太 太 銘 鳥 天 背 飛 明 古 徳 徳 用 推 聖 聖 わ け で す が 、 列 と 列 間 の 一 二 〇 年 の ズ レ を 踏 ま え て 、 奈 良 時 光 像 年 年 代 の 人 物 と 考 え れ ば 、 「 奈 良 時 代 の 人 物 へ の 投 影 」 の 欄 に 示 さ れ 来 如 ダ 年 年 7 年 師 イ 4- -00 ′ ー 、 -0 つ 」 イ は ・ 11 tn ま す よ う に 、 「 天 皇 」 は 文 武 天 皇 、 「 大 王 天 皇 」 は 元 正 太 上 天 皇 、 「 太 子 」 は 元 明 天 皇 、 そ し て 、 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 武 天 皇 に 比 定 さ れ 7 位 間 位 の の 1 ・ 在 : 在 位 : 在 物 位 位 皇 位 皇 在 位 皇 ま す 。 金 人 在 在 天 在 天 子 在 天 第 二 に 、 「 大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 」 と い う 「 大 王 天 皇 」 と 「 東 宮 隆 代 天 天 太 天 太 皇 天 皇 皇 皇 皇 聖 王 」 と い う 二 者 一 対 と な る 表 現 を め ぐ っ て は 、 『 書 紀 』 推 古 紀 3 奈 天 天 天 天 武 正 明 武 元 聖 文 元 の 推 古 天 皇 と 万 機 摂 政 の 聖 徳 太 子 の 伯 母 と 甥 と い う 系 譜 的 関 係 の 人 投 影 と 捉 え る こ と は で き ま す 。 元 正 太 上 天 皇 と 聖 武 天 皇 と は 、 叔 の 文 皇 王 母 と 甥 の 関 係 に あ り 、 伯 母 と 叔 母 と い う 相 違 は あ る も の の 、 ほ ば 天 聖 銘 背 皇 王 子 宮 光 天 大 太 東 合 致 し て い ま す 。 こ の よ う な 系 譜 的 一 致 は 、 「 大 王 天 皇 」 が 元 正 0

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辺 宮 治 天 下 、 生 名 等 已 刀 弥 弥 乃 弥 己 等 : : : ( 用 明 天 皇 は 、 庶 妹 の 、 名 は 穴 穂 部 間 人 皇 女 を 娶 っ 造 て 大 后 ( 皇 后 ) と 為 し た 。 池 辺 宮 に 天 下 を 治 め ら れ た 。 豊 聡 耳 命 を 生 ま れ た ) 」 と 所 見 さ れ ま す ( 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 』 の 真 偽 に つ き ま し て は 、 第 五 章 で 扱 い ま す ) 。 こ の 一 文 は 、 治 天 下 に 関 す る 対 記 述 よ り も 穴 穂 部 間 人 皇 女 を 大 后 と 為 し た と す る 記 述 の ほ う を 先 に し て お り 、 あ た か も 、 用 明 背 天 皇 は 穴 穂 部 間 人 皇 女 を 娶 る こ と を 条 件 と し て 「 治 天 下 , が 可 能 で あ っ た か の よ う な 表 現 と な 像 っ て い ま す 。 こ の こ と か ら 、 穴 穂 部 間 人 皇 女 の 立 后 に は 、 立 后 以 上 の 意 義 が あ っ た の で は な い 迦 か と 推 論 す る こ と が で き ま す 。 は し ひ と 四 、 穴 穂 部 間 人 皇 女 の 有 す る 「 間 人 , と い う 名 の も つ 意 味 か ら も 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 と 同 一 人 物 説 造 で あ る 可 能 性 が 示 さ れ ま す 。 神 道 学 で は 、 「 間 人 , と は 神 と 人 と を つ な ぐ 仲 介 者 、 す な わ ち 、 祭 主 と し て の 役 割 を 担 う 人 に 対 し て 用 い ら れ た 呼 称 で あ ろ う と す る 見 解 が 示 さ れ て い ま す 。 穴 文 穂 部 間 人 皇 女 の 名 は 、 斎 宮 と し て の 役 割 を 暗 示 さ せ る 名 で あ る と 言 う こ と が で き ま す 。 じ よ め い 五 、 さ ら に 、 「 間 人 」 と い う 人 物 名 を め ぐ っ て は 、 舒 明 二 年 条 に 「 立 宝 皇 女 為 皇 后 。 后 生 二 男 。 一 女 。 一 曰 葛 城 皇 子 。 近 江 大 津 宮 御 于 天 皇 。 二 曰 間 人 皇 女 。 三 日 大 海 皇 子 。 浄 御 原 宮 御 宇 天 皇 。 」 と 所 見 さ れ 、 宝 皇 女 す な わ ち 皇 極 ( 斉 明 ) 天 皇 に は 、 葛 城 皇 子 ( の ち の 天 智 天 皇 ) 、 間 人 皇 女 、 大 海 皇 子 ( の ち の 天 武 天 皇 ) の 二 男 子 、 一 女 子 の 三 人 の 御 子 が あ っ た こ と が わ か り ま す 三 が 、 間 人 皇 女 も ま た 、 「 間 人 」 の 名 を も ち ま す 。 こ の 間 人 皇 女 は 、 第 三 十 六 代 孝 徳 天 皇 に 嫁 し は く ち て 皇 后 と な っ て い ま し た が 、 白 雉 四 ( 六 五 一 一 l) 年 に 孝 徳 天 皇 を 難 波 宮 に 残 し て 、 葛 城 皇 子 と 大 は し ひ と

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七 九 年 。 ー ー 森 博 達 『 日 本 書 紀 の 謎 を 解 く 」 中 央 公 論 社 一 九 九 九 年 。 ー ー ー 前 掲 「 勝 鬘 経 義 疏 」 「 日 本 思 想 大 系 聖 徳 太 子 集 』 。 前 掲 「 三 経 義 疏 上 宮 王 撰 に 関 す る 疑 義 」 。 ー ー 前 掲 「 福 井 康 順 著 作 集 4 日 本 上 代 思 想 研 究 」 。 * ー ー 梅 原 猛 ・ 黒 岩 重 吾 ・ 上 田 正 昭 ほ か 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 』 大 和 書 房 二 〇 〇 二 年 。 * 。 ー ・ 仁 藤 敦 史 「 一 九 九 六 年 の 歴 史 学 界 ー ー 回 顧 と 展 望 古 代 一 一 」 「 史 学 雑 誌 』 第 一 〇 六 編 第 五 号 。 ー ー 遠 山 美 都 男 「 聖 徳 太 子 と 天 智 天 皇 」 『 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 』 創 刊 一 〇 〇 号 記 念 特 大 号 大 和 書 房 一 九 九 九 年 。 ー ー 山 尾 幸 久 「 信 仰 的 「 聖 徳 太 子 」 像 批 判 の 軌 跡 ー ー 大 山 誠 一 氏 の 近 業 に 寄 せ て 」 「 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 」 一 〇 二 号 大 和 書 房 一 一 〇 〇 〇 年 。 ー ー 直 木 孝 次 郎 「 厩 戸 王 の 政 治 的 地 位 に つ い て ー ー 大 山 誠 一 著 ズ 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 」 読 後 感 」 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 』 大 和 書 房 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー 大 山 誠 一 編 「 聖 徳 太 子 の 真 実 』 平 凡 社 二 〇 〇 三 年 。 ー ー 前 掲 「 〈 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 』 。 ー ー 大 矢 透 ・ 国 語 調 査 委 員 会 編 纂 「 仮 名 源 流 考 』 国 定 教 科 書 共 同 販 売 所 一 九 一 一 年 。 * % ー ー 井 上 光 貞 「 日 本 の 歴 史 」 第 二 巻 小 学 館 一 九 七 四 年 。 ー ー 笹 山 晴 生 「 日 本 古 代 史 講 義 』 東 京 大 学 出 版 会 一 九 七 七 年 。 ー ー 前 掲 「 人 物 叢 書 聖 徳 太 子 』 吉 川 弘 文 館 一 九 七 九 年 。 ー ー 吉 村 武 彦 「 聖 徳 太 子 』 岩 波 書 店 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー ・ 中 西 進 「 素 王 ・ 聖 徳 太 子 」 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 」 大 和 書 房 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー 前 掲 「 日 本 古 典 の 研 究 下 』 。 小 倉 豊 文 「 増 訂 聖 徳 太 子 と 聖 徳 太 子 信 仰 」 綜 芸 舍 一 九 七 一 一 年 。 ー ー 前 掲 「 聖 徳 太 子 伝 」 。 * 芻 ー ー 直 木 孝 次 郎 「 津 田 史 学 と 十 七 条 憲 法 」 「 飛 鳥 奈 良 時 代 の 考 察 」 高 科 書 店 一 九 八 六 年 。 ー ー 前 掲 「 日 本 書 紀 の 謎 を 解 く 』 。 263 注

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「 < 列 上 の 推 古 九 年 」 の 養 老 五 年 に 何 が 起 こ っ て い た の か ま た 、 太 上 天 皇 ・ 天 皇 ・ 皇 太 子 の 三 者 が そ ろ っ て い た 時 期 は 、 七 一 五 ( 霊 亀 元 ) 年 か ら 七 二 一 ( 養 老 五 ) 年 、 な ら び に 、 七 三 八 ( 天 平 十 ) 年 か ら 七 四 八 ( 天 平 二 十 ) 年 ま で の 二 期 と な り ま す 。 言 い 換 え ま す と 、 こ の 時 期 は 、 「 神 祇 祭 祀 」 と 「 政 治 」 と い う 二 つ の 大 権 を め ぐ っ て 「 太 上 天 皇 。 天 皇 」 と 「 天 皇 皇 太 子 」 と い う 二 つ の あ り 方 が 想 定 さ れ る こ と に な り ま す が 、 権 限 的 に は 「 太 上 天 皇 0 天 皇 ー の ほ う が 優 位 で は な か っ た か と 考 え ら れ ま す 。 そ こ で 、 「 < 列 上 の 推 古 九 年 ー を 見 て み ま し よ う 。 「 列 上 の 推 古 九 年 」 は 七 二 一 年 の 養 老 五 年 と な り ま す 。 養 老 五 年 は 元 明 太 上 天 皇 の 崩 年 と な り ま す 。 そ し て 、 こ の 年 は 、 元 明 太 上 天 皇 の 崩 御 に と も な い 、 元 正 天 皇 と 皇 太 子 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) の 二 者 に よ る 統 治 体 制 、 す な わ ち 、 「 天 皇 。 皇 太 子 」 体 制 が 確 立 さ れ た 年 で も あ り ま す 。 「 太 上 天 皇 ( 神 祇 祭 祀 ) 。 天 皇 ( 政 治 ) 体 制 ー か ら 「 天 皇 ( 神 祇 祭 祀 ) 0 皇 太 子 ( 政 治 ) 体 制 」 へ シ フ ト さ れ た 年 代 と な り ま す 。 こ こ に 、 為 政 者 と し て の 「 皇 太 子 」 が 出 現 す る こ と に な っ た と 言 え る で し よ う 。 第 二 章 に お い て 、 第 二 蔀 の 首 と な る 辛 酉 の 年 と し て 位 置 づ け ら れ る 推 古 九 年 条 に 「 九 年 春 二 月 。 皇 太 子 初 興 ニ 宮 室 于 斑 鳩 ご と 見 え 、 皇 太 子 が 斑 鳩 宮 を 興 し た こ と が 、 極 め て 重 要 な 歴 史 的 事 象 と 認 識 さ れ て い た 可 能 性 を 述 べ ま し た 。 「 << 列 上 の 推 古 九 年 」 の 七 二 一 年 に お い て 、 皇 太 子 首 皇 子 が 「 天 皇 皇 太 子 」 体 制 の も と で 、 名 実 と も に 執 政 権 者 と い う 定 義 に お け る 皇 太 子 と し て の 立 場 を 確 か な も の と し た 年 と な る の で す 。 七 二 一 年 に 皇 太 子 首 皇 子 が 治 天 下 の 権 を 掌 握 し た こ と に 、 推 古 九 200