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検索対象: 増補改訂版 写楽は歌麿である

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増補改訂版 写楽は歌麿である


昭 和 年 4 月 号 ⑩ 小 説 能 役 者 春 藤 次 左 衛 門 今 東 光 「 写 楽 の 腕 」 『 文 芸 春 秋 オ ー ル 読 物 号 』 所 載 昭 和 年 Ⅱ 月 号 ⑦ 研 究 能 役 者 某 小 野 忠 重 「 写 楽 の 謎 」 『 芸 術 新 潮 』 所 載 昭 和 年 1 月 久 保 書 店 発 行 大 江 戸 名 匠 か た ⑩ 小 説 能 狂 言 師 匠 某 横 倉 辰 次 『 浮 世 絵 師 秘 話 』 ぎ 「 女 浮 世 絵 師 」 昭 和 年 3 月 芸 文 新 書 版 第 二 話 「 青 い 乳 ⑩ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 小 田 仁 一 一 郎 『 流 戒 十 郎 う き 世 草 紙 』 「 一 つ き り の 秘 の 小 説 面 つ く り 師 斎 藤 十 郎 兵 衛 西 村 亮 太 郎 昭 和 年 5 月 久 保 書 店 発 行 『 江 戸 秘 芸 帖 』 画 」 昭 和 年 5 月 第 号 中 村 正 義 「 写 楽 蒔 絵 師 説 」 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 昭 和 犯 年 7 月 号 「 謎 の 人 幻 想 の の 戯 作 浮 世 絵 師 鳥 居 清 政 説 君 川 也 寸 志 『 浮 世 絵 芸 術 』 所 載 写 楽 」 昭 和 犯 年 9 月 号 の 小 説 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 石 沢 英 太 郎 「 秘 画 」 『 推 理 ス ト ー リ ー 』 所 載 点 原 の 昭 和 犯 年 月 三 彩 社 発 行 「 東 洲 斎 写 楽 」 の 研 究 共 同 制 作 者 某 或 い は ( 十 返 瀬 木 慎 一 論 代 表 舎 一 九 ) 推 薦 『 古 美 術 』 幻 号 特 輯 楽 写 昭 和 年 5 月 第 号 及 び 号 「 写 楽 ・ 抱 一 同 の 研 究 本 派 絵 師 酒 井 抱 一 説 向 井 信 夫 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 人 説 」 「 同 」 ( 続 ) 一 第 昭 和 7 月 号 「 写 楽 は 北 斎 と ア 3 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 由 良 哲 次 『 芸 術 潮 』 所 載 同 一 人 で あ る 」

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昭 和 Ⅱ 年 Ⅱ 月 1 巻 9 号 ⑤ 研 究 貴 人 某 森 清 太 郎 「 写 楽 に 就 い て 」 『 浮 世 絵 界 』 所 載 昭 和 貶 年 4 月 2 巻 4 号 ⑥ 研 究 能 役 者 関 西 絵 師 説 三 谷 松 悦 「 写 楽 に 就 て 」 『 浮 世 絵 芸 術 』 所 載 ⑦ 研 究 浮 世 絵 師 三 派 師 系 説 三 隅 貞 吉 昭 和 年 3 月 号 「 写 楽 の 新 研 究 」 『 日 本 美 術 ・ 工 芸 』 誌 所 載 蔦 屋 重 三 郎 説 昭 和 引 年 2 月 川 日 発 行 ⑧ 研 究 版 元 ( 葛 飾 北 斎 説 に 横 山 隆 一 「 珍 ・ 写 楽 考 」 『 週 刊 朝 日 』 特 別 号 所 載 転 向 ) 昭 和 年 Ⅱ 月 よ り 「 日 本 名 匠 伝 ロ ⑨ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 横 川 毅 一 郎 『 萠 春 』 釀 ・ 犯 ・ 号 連 載 東 洲 斎 写 楽 」 「 写 楽 は だ れ か 」 昭 和 年 7 月 5 日 ・ 8 月 4 日 ⑩ 研 究 本 派 絵 師 円 山 応 挙 説 田 口 迎 二 郎 『 神 戸 新 聞 』 ( 正 ) ( 続 ) 「 写 楽 昭 和 年 8 月 幻 日 『 朝 日 新 聞 』 と 応 挙 は 同 一 人 物 か 」 昭 和 年 度 『 芸 術 新 潮 』 連 載 「 小 説 日 本 芸 譚 ・ @ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 松 本 清 張 昭 和 年 6 月 新 潮 文 庫 本 写 楽 」 牟 礼 俊 十 昭 和 年 川 月 Ⅱ 日 よ り @ 小 説 武 家 ( 蜂 須 賀 家 々 老 小 島 政 一 一 郎 「 葛 飾 北 斎 」 『 日 本 経 済 新 聞 』 夕 刊 連 載 の 伜 ) ラ ジ オ 最 上 三 郎 昭 和 年 2 月 % 日 浮 世 絵 師 中 島 鉄 蔵 「 写 楽 は 俺 だ 」 浪 曲 ( 後 の 北 斎 ) ・ ロ 演 放 送 昭 和 年 Ⅱ 月 号 ⑩ 研 究 本 派 絵 師 谷 文 晁 説 池 上 浩 山 人 「 写 楽 の 臆 説 」 『 萠 春 』 所 載 昭 和 年 月 平 凡 社 版 ⑩ 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 横 山 隆 一 「 写 楽 」 の 解 説 世 界 名 著 全 集 『 浮 世 絵 の 世 界 』

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② 仮 に 金 治 に 浮 世 絵 の 才 能 が あ っ た と し て も 、 一 流 版 元 の 蔦 屋 が 、 ど う し て 出 版 を 引 き う け た の か 。 無 名 の 上 方 放 浪 者 の 絵 を 、 一 四 五 枚 も 、 危 険 を 冒 し て 刊 行 し た 事 由 が 不 明 で あ る 。 ③ 五 瓶 へ の 報 告 で あ る な ら 、 市 販 す る 要 は な い 。 ま た 五 瓶 の 江 戸 到 着 後 も 、 ま た 五 瓶 作 の 芝 居 絵 ま で も 刊 行 し て い る の は ど う い う わ け で あ ろ う か 。 ④ 金 治 が 写 楽 同 等 の 腕 を も っ て い る な ら 、 狂 言 作 者 よ り 、 絵 師 の 道 に 進 ん だ の で は な い か 。 3 、 坂 田 本 、 風 山 本 の 記 述 坂 田 本 、 風 山 本 の 写 楽 の 記 述 は 、 本 書 第 一 一 章 で 見 た 通 り で あ る が 、 そ れ は 北 斎 に 関 し た 記 事 が 誤 っ て 紛 れ こ ん だ も の と 思 わ れ る 。 な ぜ な ら 、 北 斎 は 銀 次 又 は 銀 次 郎 と よ ば れ て い た こ と が あ る と 由 良 哲 次 氏 は の べ て お り 、 薬 研 堀 は 北 斎 の 住 ん で い た 両 国 広 小 路 の 南 で あ り 、 ま た 、 「 隅 田 川 両 岸 一 覧 」 は 最 近 ポ ス ト ン 美 術 館 で 発 見 さ れ 、 そ の 版 本 が 里 帰 り し て 話 題 と な っ た 北 斎 の 名 作 だ か ら で あ る 。 渡 辺 氏 は 「 隅 田 川 両 岸 一 覧 」 は 金 治 の 書 い た 地 誌 の 名 で あ ろ う 、 と の べ る が 、 「 両 岸 一 覧 」 は 、 地 誌 の 名 に は ふ さ わ し く な い 。 で は 、 何 故 、 北 斎 の 記 事 が 写 楽 に 入 っ た の か 。 こ れ に つ い て は 、 さ き に 第 二 章 の 能 役 者 説 の と こ ろ で 見 た 『 諸 家 人 名 江 戸 方 角 分 』 の 「 八 丁 堀 」 の 分 に 「 号 写 楽 斎 地 蔵 橋 」 と あ る が 、 こ の 写 楽 斎 と は 、 社 楽 斎 と 号 し た か も し れ ぬ 北 斎 の こ と で あ る 、 と の 由 良 哲 次 説 が 参 考 に な る 。 生 涯 に 百 回 近 く 引 越 し を し た 北 斎 は 、 あ る 時 期 に 地 蔵 橋 の 近 く に 住 ん だ か も し れ ぬ と い う こ と は 考 え ら れ る が 、 社 楽 斎 と 号 し た か は 、 後 考 を 俟 っ こ と に す る 。 と も か く 、 金 次 は 、 篠 田 金 治 よ り は 北 斎 の 方 に 分 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 4 、 「 写 楽 で あ る べ き 人 間 」 の 「 八 条 件 」 第 一 、 中 村 三 甫 右 衛 門 の 没 年 は 、 天 明 二 年 で 、 そ の 時 金 治 は 十 七 歳 ( 十 八 歳 で 勘 当 ) だ っ た 。 当 時 、 2 ) 6

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テ レ ・ ヒ 土 左 衛 門 の 次 郎 Z カ ラ ー 放 映 の 映 画 能 面 師 太 昭 和 年 2 月 第 号 の 研 究 浮 世 絵 師 司 馬 江 漢 説 福 富 太 郎 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 昭 和 年 3 月 『 浮 世 絵 芸 術 』 Ⅱ 号 上 3 研 究 版 元 蔦 屋 重 一 二 郎 説 ( 筆 者 ) 昭 和 年 4 月 『 同 』 号 中 こ の 表 は 昭 和 四 十 一 二 年 ま で の も の で あ る 。 次 に 、 梅 原 猛 氏 は 「 写 楽 が み つ か っ た ″ こ ( 第 三 回 『 芸 術 新 潮 』 昭 和 五 十 九 年 十 一 月 ) の 中 で 、 こ の あ と を 次 の 如 く つ な い で い る 。 3 研 究 俳 人 谷 素 外 説 ⑨ 研 究 浮 世 絵 師 一 筆 斎 文 調 研 究 絵 師 片 山 写 楽 ① 研 究 阿 波 藩 絵 師 矢 野 典 博 研 究 版 元 蔦 重 工 房 説 ① 研 究 戯 作 者 山 東 京 伝 昭 和 年 川 月 日 酒 井 藤 吉 『 読 売 新 聞 』 昭 和 菊 年 出 井 祐 治 『 季 刊 浮 世 絵 』 犯 号 昭 和 町 年 近 藤 喜 博 『 季 刊 浮 世 絵 』 号 昭 和 年 瀬 尾 長 『 季 刊 浮 世 絵 』 号 昭 和 年 鈴 木 敏 夫 『 江 戸 の 本 屋 』 ( 中 央 公 論 社 ) 昭 和 浦 年 谷 峯 蔵 『 写 楽 新 考 』 ( 文 藝 春 秋 ) 「 写 楽 は ど こ へ 行 っ た 」 序 説 「 写 楽 は 江 漢 な り 」 「 蔦 屋 重 三 郎 の 回 想 ー 写 楽 は 蔦 屋 重 三 郎 な り 」 8

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能 役 者 ・ 絵 師 以 外 の 説 能 役 者 と 絵 師 以 外 と い う の は 、 能 面 師 、 蒔 絵 師 、 蔦 屋 重 三 郎 、 十 返 舎 一 九 、 狂 言 作 者 篠 田 金 治 等 を 指 し て い る 。 能 面 師 説 こ れ は さ き の 榎 本 雄 斎 氏 の 表 で 見 る と 次 の 通 り で あ る 。 一 、 西 村 亮 太 郎 氏 の 昭 和 四 十 年 五 月 、 久 保 書 店 発 行 『 江 戸 秘 芸 帖 』 の 斎 藤 十 郎 兵 衛 一 「 大 岡 信 氏 の 昭 和 四 十 三 年 八 月 、 カ ラ ー 放 映 の 「 写 楽 は ど こ へ 行 っ た 」 の 中 の 土 左 衛 門 の 次 郎 太 こ の 二 つ と も 、 フ ィ ク シ = ン で あ る 。 フ ィ ク シ = ン に も 事 実 に 根 ざ し 、 あ る い は 幾 分 か の 事 実 の 反 映 が あ っ て 、 考 慮 斟 酌 に 値 す る も の も あ る の で 、 一 概 に 「 ダ メ 」 と し り そ け て は な ら な い で あ ろ う 。 し か し 能 面 師 と い う の は 、 さ き の 能 役 者 の 発 想 と つ な が り 、 か っ 能 面 彫 師 は 能 役 者 よ り も 絵 師 、 特 に 浮 世 絵 版 画 の 彫 師 に も 近 い と い う 着 眼 が 働 い た の で は な い か と 思 わ れ る 。 だ が 能 面 は 多 く の 曲 目 に 共 用 さ れ る 類 型 的 な 中 間 感 情 の 仮 面 で あ る の に 対 し 、 写 楽 絵 は 役 者 の 個 性 、 説 役 柄 、 役 柄 の 心 理 の リ ア ル な デ フ ォ ル メ の 版 画 で あ る 。 そ の 相 違 は 甚 大 で 、 転 職 は 不 可 能 と 考 え ら れ る 。 筝 往 蒔 絵 師 説 日 本 画 家 中 村 正 義 氏 は 昭 和 四 十 一 年 五 月 の 『 浮 世 絵 』 第 % 号 で 、 次 の 如 く 説 く 。 阿 波 藩 の 蒔 絵 師 飯 塚 観 松 斎 の 蒔 絵 の 「 梅 の 枝 ぶ り 、 花 、 波 、 そ の 他 の 筆 致 が 」 「 非 常 に 写 楽 に 近 い こ と を 発 見 し た 」 。 「 観 松 斎 の 工 房 」 は 「 江 戸 八 丁 堀 の 阿 波 侯 邸 」 に も あ り 、 観 松 斎 は 「 絵 も 描 い て い 一 一 た し 、 狂 歌 も 作 っ て い た 」 。 蔦 屋 と 「 親 し い 関 係 に あ 0 た と 推 定 さ れ る の は 」 「 住 い も 近 く 」 「 趣 味 教 養 と 」 「 気 質 的 に も 異 質 的 の 人 で は な い と 私 に は 感 じ ら れ る ー か ら で あ る 。 観 松 斎 は 「 寛 政 四 年 に 死 没 」

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家 を 継 が せ 、 天 才 画 家 の 息 子 清 政 は 絵 筆 を と る こ と な く 家 業 に 専 念 し た こ と が 窺 え る 。 文 化 十 四 年 ( 一 八 一 七 ) に 四 十 一 一 歳 で 死 ん だ と い う こ と は 、 写 楽 の 出 現 し た 寛 政 六 年 ( 一 七 九 四 ) に 8 は 十 九 歳 と い う 計 算 と な る 。 一 歳 の ズ レ が あ る が 、 こ れ は 過 去 帳 の 書 き 誤 り で あ ろ う か 。 同 じ 回 向 院 に は 、 そ の 二 年 前 の 文 化 十 二 年 に 六 十 四 歳 で 没 し た 清 長 の 墓 も あ る 。 そ の 戒 名 は 長 林 英 樹 信 士 で 、 こ の 戒 名 も 清 長 に ふ さ わ し い 歌 舞 妓 堂 艶 鏡 写 楽 日 艶 鏡 説 は 、 ク ル ト も 唱 え て い る 。 艶 鏡 は 寛 政 八 年 の 舞 台 を 描 い た 大 判 の 大 首 絵 を 七 点 残 し て お り 、 そ の 作 風 は 写 楽 に 似 て い る が 、 も っ と 浅 く 温 和 で あ る 。 彼 は 狂 言 作 者 の 、 二 世 中 村 重 助 と い う 説 が あ る 。 と も か く 写 楽 よ り は 質 ・ 量 と も に 劣 り 、 同 一 人 と す る こ と は 無 理 で あ る 。 葛 飾 北 斎 清 長 よ り 八 歳 、 歌 麿 よ り 七 歳 年 下 の 北 斎 は 、 勝 川 春 章 一 門 か ら 寛 政 六 年 に 破 門 さ れ た と い わ れ る 。 春 章 は 同 四 年 に 没 し て い る か ら 、 弟 子 の 春 好 、 春 英 等 と い さ か い を 生 じ た の で あ ろ う 。 そ の 原 因 は 不 明 だ が 、 北 斎 が 勝 川 派 の 技 法 を 遵 守 し な か っ た た め で は な い か 。 そ れ ま で 十 五 年 間 、 春 朗 と 号 し た 北 斎 は 、 翌 七 年 の は じ め に は 、 俵 屋 宗 理 と い う 号 を 用 い て い る 。 こ の 宗 理 と は 、 宗 達 、 光 淋 の 大 和 絵 の 画 風 を 目 ざ す も の で あ ろ う 。 宗 理 時 代 に は 、 浮 世 絵 版 画 も 黄 表 紙 も 、 宗 理 の 落 款 の も の は な く 、 た だ 摺 物 と 狂 歌 絵 本 と 肉 筆 画 の み の よ う で 、 ま だ 画 風 は 固 ま っ て い な か っ た 。 そ し て 同 十 一 年 正 月 に は 北 斎 辰 政 と 号 し 、 漸 く 独 立 独 歩 の 画 境 を 開 い て ゆ く 。 し た が っ て 、 寛 政 六 年 に 写 楽 と し て あ の 名 作 を 描 く こ と は 、 当 時 ま だ 動 揺 し て 画 風 の 定 ま ら な か っ

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寛 政 七 年 ( 一 七 九 五 ) で 、 春 先 の 出 水 期 に 備 え た 護 岸 工 事 の 二 月 頃 の 絵 と わ か る 。 こ の 絵 に 、 歌 暦 の 親 族 の 豪 商 の 若 主 人 が 、 狂 歌 の 賛 を 書 い て い る 。 出 る 杭 は 打 た る る 事 を さ と り な ば ふ ら ふ ら も せ ず 後 く ひ も せ ず 「 出 る 杭 打 た れ る 」 と い う 賛 は 、 当 時 美 人 画 で 人 気 絶 頂 、 順 風 満 帆 の 歌 麿 に 対 し て は 不 適 切 だ が 、 さ き の 「 老 人 図 」 を 描 い た 写 楽 に 対 し て で あ れ ば 、 こ の 上 も な く 。 ヒ ッ タ り 当 て は ま る 。 サ イ ン は 違 う が 、 以 上 の 三 つ の 画 は 主 題 、 筆 致 、 製 作 期 は 共 に 同 一 で 、 同 一 人 の 指 紋 や 血 液 型 に 似 た 共 通 性 が 窺 え る 。 斎 藤 十 郎 兵 衛 の 実 在 と 写 楽 と の 関 連 最 近 、 映 画 監 督 内 田 吐 夢 の 義 理 の 娘 で あ る 内 田 千 鶴 子 氏 は 、 か ね て 写 楽 候 補 者 の 一 人 と し て あ げ ら れ て い た 、 阿 波 藩 能 役 者 の 斎 藤 十 郎 兵 衛 が 実 在 人 物 で あ る こ と を 文 献 資 料 で 発 見 し た 。 こ れ は 一 つ の 成 果 だ が 、 写 楽 日 能 役 者 と の べ た 斎 藤 月 岑 は 、 写 楽 斎 と 誤 記 し て お り 「 実 在 」 し て い て も 、 そ れ は 写 楽 の 証 明 に は な ら な い 。 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 が た と え 画 才 に 優 れ て い た と し て も 、 詰 る 所 は 余 技 に す ぎ ず 、 そ の 描 い た 画 の 「 物 証 」 は 皆 無 で あ る 。 藩 の 能 役 者 に は 休 暇 が 与 え ら れ て も 、 そ れ は 能 の 技 能 の 練 麿 の た め で あ り 、 ア ル ・ ハ イ ト の 芝 居 絵 を 十 ヶ 月 で 百 四 十 余 点 、 二 日 に 一 点 な ど 描 け る は ず は な い で は な い か 。 歌 舞 伎 役 者 の 俳 号 と 「 東 洲 斎 」 と の 関 連 池 田 満 寿 夫 氏 は 十 一 年 前 、 テ レ ビ で 、 役 者 中 村 此 蔵 説 を 唱 え 、 今 日 な お こ れ に 固 執 し て い る 。 し か し 、 そ の 俳 号 が 東 洲 で あ り 、 写 楽 絵 の 一 枚 に 此 蔵 が 描 か れ て い て も 、 さ き の 写 楽 の 五 要 件 を 満 足 し な け れ ば 、 写 楽 た り え な い 。 こ の 説 に も 、 「 物 的 証 拠 」 は 全 く 欠 け て い る 。 歌 舞 伎 の 「 ト ン ボ 」 と 写 楽 と の 関 連 282

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の 女 婿 と な っ た が 離 婚 し 、 そ の 間 志 野 流 の 香 道 を 学 び 浄 瑠 璃 に 精 通 し 、 ま た 浮 世 絵 を 習 い 、 寛 政 六 年 正 月 頃 江 戸 に 戻 っ た 。 一 「 写 楽 絵 の 大 量 刊 行 の 「 寛 政 六 年 秋 頃 よ り 」 蔦 屋 の 食 客 に な り 、 ド ウ サ 引 き な ど を し て い た ( 曲 み よ う ば ん 亭 馬 琴 の 『 近 世 物 之 本 作 者 部 類 』 ) 。 ド ウ サ 引 き と は 、 ニ カ ワ に 明 礬 を 加 え た 液 を 奉 書 紙 に ぬ る こ と で 、 こ う し て 錦 絵 の 用 紙 を つ く っ た の で あ る 。 三 、 寛 政 六 年 二 月 の 江 戸 都 座 の 出 し 物 『 初 曙 顔 見 世 曾 我 』 の 瀬 川 菊 之 丞 の 役 、 そ の 他 同 年 十 一 月 の 桐 座 、 翌 七 年 七 月 の 都 座 の 芝 居 、 少 年 力 士 大 童 山 の 相 撲 絵 な ど 四 点 の 錦 絵 が あ る 。 は つ や く こ が ね の え ぼ し う お 四 、 ま た 寛 政 六 年 五 月 に 蔦 屋 か ら 山 東 京 伝 作 の 黄 表 紙 『 初 役 金 鳥 帽 子 魚 』 の 挿 絵 を 描 い て 出 版 し た 。 こ れ ら の 事 実 か ら 、 宗 谷 氏 は 「 一 九 は 器 用 で 勤 勉 で 、 偏 執 的 な 性 格 の 男 だ っ た 」 と み る 。 そ こ で 蔦 屋 に 起 用 さ れ て 、 写 楽 絵 製 作 の 蔦 重 工 房 の エ ン ジ ン の 役 目 を し た と い う の で あ る 。 な お こ の 蔦 重 工 房 に は 一 九 の ほ か 山 東 京 伝 、 栄 松 斎 長 喜 、 歌 舞 妓 堂 艶 鏡 等 が 加 わ っ た と い う 。 ま た 東 洲 斎 写 楽 の 筆 名 に つ い て 宗 谷 氏 は 次 の 如 く 説 く 。 「 十 返 舎 一 九 の 名 が 志 野 流 の 香 道 に ち な み 、 み ず か ら 記 す よ う に 『 黄 熟 香 の 十 返 し 』 か ら き て い る こ と だ 。 と こ ろ が 『 東 洲 斎 写 楽 』 の 号 も 、 実 は 十 返 舎 一 九 の 語 呂 合 わ せ で あ る 。 東 洲 は 十 回 臭 気 を か ぐ 説 十 臭 ( ト ウ シ 、 ウ ) で あ り 、 斎 は 耳 鳥 斎 な ど 上 方 絵 師 が 好 ん で 用 い る 斎 号 で あ る と と も に 臭 斎 ( ク サ イ ) 筝 に 通 じ 、 シ ャ ラ ク は 、 十 返 舎 一 九 か ら 十 返 を 取 っ た シ ャ イ ク の 、 こ れ も 語 呂 合 わ せ だ っ た 。 さ ら に 写 駐 楽 の 楽 と 一 九 の ク ( 苦 ) は 『 楽 あ れ ば 苦 あ り 』 の 諺 に も あ る 対 語 で あ り 、 ヤ ジ キ タ の 人 生 観 に お け る 章 対 の 思 想 と 共 通 の も の で あ る 。 そ の こ と か ら 東 洲 斎 写 楽 の 号 を 考 案 し た の は 一 九 で あ り 、 名 前 ま で 創 り 出 し た 男 一 九 こ そ 、 工 房 の 中 心 人 物 で あ っ た こ と を 推 定 さ せ る に 十 分 で あ る 」 だ が 、 宗 谷 氏 の 説 の 成 立 に は 、 次 の 如 き 難 点 が あ る 。

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伝 馬 町 大 丸 新 道 「 ・ 歌 麿 田 所 町 「 ・ 春 章 八 町 ( 丁 ) 堀 地 蔵 橋 「 >< 写 楽 斎 右 の 符 号 の う ち 、 >< は 浮 世 絵 師 、 0 は 本 画 家 、 「 は 故 人 の 印 で あ る 。 二 つ の 地 蔵 橋 こ の 『 江 戸 方 角 分 』 の 内 容 の 信 憑 性 は ど う か 。 『 江 戸 方 角 分 』 刊 行 時 に 生 存 し て い た 豊 国 に つ い て は 正 確 で あ る が 、 す で に 故 人 と な 「 た 春 章 と 歌 麿 は 本 画 家 と な っ て お り 、 字 号 な く 、 住 所 も 俗 称 も 疑 わ し い 。 歌 麿 の 正 し い 住 所 は は じ め 久 右 衛 門 町 の ち 馬 喰 町 で 、 正 し い 俗 称 は 北 川 勇 助 で あ る 。 春 章 は 俗 称 裕 助 で 、 住 所 は 不 明 で あ る 。 瀬 川 富 三 郎 は 寛 政 十 一 年 ま で は 上 方 に い た こ と を 考 慮 し て も 、 そ の 後 も 人 気 絶 頂 だ っ た 歌 麿 に つ い て の こ の よ う な 誤 謬 は 、 富 三 郎 の 浮 世 絵 の 知 識 へ の 不 十 分 さ を 窺 わ せ る 。 寛 政 七 年 に 消 え た 写 楽 を 写 楽 斎 と し て い る の も 、 そ れ と 同 じ 事 由 か ら で あ ろ う 。 春 章 も 歌 麿 も 写 楽 も 、 富 三 郎 の 師 匠 三 世 菊 之 丞 を 描 い て い る が 、 富 三 郎 は 狂 歌 好 き で は あ っ て も 浮 う と 世 絵 に は 疎 か っ た こ と は ま ち が い な い 。 な お 、 『 江 戸 方 角 分 』 の 現 存 本 へ の 蜀 山 人 の 肉 筆 書 き 入 れ は 本 物 で あ ろ う が 、 こ れ は 「 見 た 」 と の し る し で 、 内 容 が 正 確 だ と の 保 証 で は な い 。 し た が っ て 、 そ の 「 八 丁 堀 写 楽 斎 、 地 蔵 橋 」 の 記 事 へ 」 川 市 太 郎 勇 次 郎 2 ア 4

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の 丸 の み こ み は 、 控 え る べ き で あ る 。 こ の 『 江 戸 方 角 分 』 を 根 拠 に し て 、 文 政 四 年 に 式 亭 三 馬 は 「 類 考 」 に 三 馬 按 と し て 、 「 写 楽 号 東 周 斎 江 戸 八 丁 堀 に 住 す 。 は ず か 半 年 余 行 は る る 而 已 」 と 記 す 。 さ ら に 斎 藤 月 岑 は 、 「 写 楽 斎 俗 称 斎 藤 十 郎 兵 衛 八 丁 堀 に 住 す 。 阿 州 侯 の 能 役 者 也 。 ( 傍 点 は 引 用 者 ) 」 と 「 補 記 」 し た 。 月 岑 が 「 阿 州 侯 の 能 役 者 」 を 写 楽 と し た 根 拠 は 、 八 丁 堀 地 蔵 橋 に い た こ と 以 外 は ま 0 た く 不 明 で あ そ れ で は 、 写 楽 の 住 居 ・ 八 丁 堀 説 は 、 全 部 ま ち が い で あ ろ う か 。 私 は 、 そ う は 考 え な い 。 以 下 、 そ の 理 由 を の べ る 。 『 江 戸 方 角 分 』 は 、 写 楽 の 住 居 を 「 八 丁 堀 地 蔵 橋 」 と し て い る 。 と こ ろ で 、 地 蔵 橋 は 江 戸 に 二 カ 所 あ っ た の で あ る 。 映 画 監 督 で 、 シ ナ リ オ ラ イ タ ー の 大 塚 稔 著 『 文 政 江 戸 町 細 見 』 ( 一 九 八 五 年 雄 山 閣 出 版 刊 ) は 、 二 つ の 地 蔵 橋 に つ い て 次 の ご と く の べ て い る 。 こ の 本 は 「 文 政 」 と こ と わ 0 て お り 、 川 口 松 太 郎 氏 や 多 く の 拠 著 名 な シ ナ リ オ ラ イ タ ー や 映 画 監 督 が 推 賞 し て い て 、 信 頼 で き る 。 新 の 「 地 蔵 橋 神 田 堀 に 架 か る 。 日 本 橋 本 白 銀 町 と 大 伝 馬 塩 町 の あ い だ か ら 、 紺 屋 町 二 丁 目 と 三 丁 目 の あ い だ へ 渡 る 。 こ れ よ り 東 の 甚 兵 衛 橋 ま で の 河 岸 は 材 木 商 が 多 い 地 蔵 橋 も み じ 楓 川 と 越 前 堀 を つ な ぐ 入 江 が 亀 島 町 か ら 八 丁 堀 屋 敷 の あ い だ へ 流 れ こ ん で い る 。 こ の 小 堀 に 架 か る 朝 石 橋 で 北 八 丁 堀 同 心 町 の 火 の 見 櫓 の 下 に あ る 」 こ の 八 丁 堀 地 蔵 橋 付 近 の 略 図 を 『 江 戸 城 変 遷 絵 図 書 』 第 七 巻 ( 原 書 房 刊 ) で み る と 分 か る よ う に 、