有馬 - みる会図書館


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1. リング

現存する創立メイハーのひとりであった。 「山村貞子 ? 」 有馬は半分禿げかけた額に手を当て、二十五年前の記憶を手探りでたぐり寄せた。 「あー、あの、山村貞子」 有馬は少々すっとんきような声を上けた。「あのという連体詞がつくところを見ると、 かなり印象深い女生に違いな、。 「思い出した ? じゃ、僕、稽古してるから、二階の僕の部屋に案内してあげてよ 内村は軽く頭を下げてから役者の集団に歩み寄り、今まで座っていた席につくまでには 絶対君主たる演出家の顔を取り戻していた。 社長室と書かれたドアを開けると、有馬はレザー張りのソフアセットを指して「さあ、 どうぞーと吉野に座るようすすめた。社長室がある以上、社長も存在し、社長がいる以上、 この劇団は会社組織になっていることがわかる。おそらく、さっきの演出家が社長を兼ね ているのだろう。 グ「嵐の中、ご苦労さまです ン有馬は稽古で流した汗で顔を赤く光らせ、目の奥に人のよさそうな笑みを浮かべていた。 先ほどの演出家は相手の胸の中を探りながら会話をすすめていくタイプに見えたが、有馬 は、包み隠さず聞かれたことを正直に答えていくタイプに見える。相手の人柄によって、 楽な取材になるか苦しい取材になるか決まるものだ。 203

2. リング

204 「すみません、お忙しいところ : : : 」 吉野は座りながら手帳を取り出し、右手にペンを握っていつものポーズを取った。 「山村貞子の名前を今頃になって聞くとは思いませんでした。もう、ずいぶん昔のことで すからねえ」 有馬は自分の青春時代を思い出していた。それまでいた商業劇団を飛び出し、仲間と共 に新しい劇団を創立した頃の若いエネルギーが懐かしい。 「さっき有馬さん、彼女の名前を思い出した時、″あの〃山村貞子とおっしゃいましたけ れど〃あの〃というのはどういうことなんですか ? 」 「あの子が入ってきたのは、えーと、いつの頃でしたつけねえ。劇団が誕生して数年とい ったところじゃなかったかな。劇団の伸び盛りの頃でねえ、年ごとに入団希望者は増えて いったんですが : 、とにかく、ヘンな子でしたよ、山村貞子は」 「変といいますと、どんなところがフ 「そうですねえ」 有馬は顎に手を当てて考え込んだ。そういえば、なぜ自分はあの子に対して変な女とい う印象を持っているのだろう。 「特別目立った特徴でも ? 」 「いや、外見はごく普通の女の子でしたよ、ちょっと背が高かったけれど、おとなしくて、 ・ : そして、いつも孤立してました」 あご

3. リング

208 横に立った時にはもう、画面には何も映っていなかったのです。私は、もちろん、彼女が 素早くスイッチを切ったものとばかり思いました。そこまでは、何の疑いも抱かなかった のです。でも・ : : ・」 よど 有馬はそこから先を言い淀んだ。 「どうそ、続けてください」 「私は、山村貞子に、早く帰らないと電車がなくなるよ、なんて言いながら机の上のスタ ンドのスイッチを入れたところ、これがっかない。よく見るとコンセントが入っていない のです。私はかがみこんで、コンセントにプラグを差し込もうとしました。そこで、初め て気が付きました、テレビのプラグもコンセントに入っていなかったことを」 テレビから伸びたコードの先が床に転がっているのを見て、背筋にゾクッと悪寒が走っ たことを、有馬はまざまざと思い出した。 「電源が入ってないにもかかわらず、明らかにテレビはついていた ? 吉野は確認した。 「そうです、そっとしましたよ。思わず顔を上げて、私は山村貞子を見ました。電源も入 ってないテレビを前にして、この子は何をやっていたのだろうと。彼女は私と視線を合わ せず、ただ、じっとテレビ画面を見つめていましたが、そのロもとにうっすらと笑いを浮 かべていたのです よほど印象深かったのか、有馬はエ。ヒソードの細部に至るまでよく覚えていた。

4. リング

205 「孤立 ? 」 「ええ、ほら、ふつうは、研究生同士仲がいいんですよ。でも、あの子は、自分からは決 して仲間に加わろうとしなかった どの集団にもそういったタイプの人間はいるものだ。それが、山村貞子の人格を際立た せていたとは考えにくい。 「彼女のイメージを一言で言うと ? 」 「一言 ? そうですね、不気味 : : : 、ってとこかな」 有馬は迷わず「不気味ーという表現を使った。そういえば、内村も「あの気持ちのワル イ女」と表現していたつけ。十八歳のうら若き乙女が不気味と評されてしまったことに、 吉野は同情を禁じ得ない。 , を 彼よ、グロテスクな容姿の女を想像していた。 「その不気味さは、どこからきていると思いますか ? 」 考えてみると、不思議であった。二十五年前たった一年ばかり在籍しただけの研究生の 印象が、なぜこうも鮮やかに残っているのか。有馬は心に引っ掛かるものがあった。なに グかあったはずだ。山村貞子の名を記憶に留めることになる、エ。ヒソード。 ン「そうだ、思い出しましたよ。この部屋だ 有馬は社長室を見回した。そして、例の事件を思い出したとたん、まだここが事務所と よみがえ して使われていた頃の家具の配置までが鮮明に甦っていった。 ーしこば 「いえね、創立当時から、劇団の稽古場はここにあったんですが、当時はもっとずっと狭

5. リング

211 「そうねえ、同期の研究生なら、ひょっとしてし 「わかりますか、同期の方の名前や住所」 「ちょっとお待ちください」 有馬は立ち上がって作り付けの棚に寄った。そして、ずらりと並んだファイルの中から 一冊を抜き出す。それは、入団試験の際に提出する履歴書を保管したものであった。 「八人ですね、彼女を含め、一九六五年に入団した研究生は全部で八名います」 有馬は八枚の履歴書を片手でひらひらさせていた。 「見せてもらえますか ? 「どうそ、どうそ」 履歴書には写真が二枚られている。胸から上の顔写真と全身が写ったもの。吉野はは やる気持ちを押さえ、山村貞子の履歴書を引き抜いた。そしてその写真に目を見張った。 「あなた、さっき、山村貞子は不気味な女だとおっしゃいませんでしたか ? 」 吉野は混乱していた。有馬の話を聞きながらイメージした山村貞子の顔と、現実に見る グ写真の顔とがあまりにかけ離れていたからだ。 ン「不気味 ? 冗談じゃない。僕は今まで、これ程きれいな顔を見たことがない」 吉野はふと、なぜ自分はきれいな女と表現しないで、きれいな顔と言ってしまったのか 疑問に感じた。確かに完璧に整った顔ではあるが、女としての丸みのようなものが欠けて これ いる。しかし、全身像に目をやると、腰と足首のくびれが際立ってじつに女つぼい。

6. リング

206 くて、今私たちがいるこの部屋は事務所として使われていたんです。あそこにロッカーが あって、ここにすりガラスのつい立てが置かれ そして、そう、ちょうど今テレビが ある同じ場所にやはりテレビが置かれていた」 有馬は言いながら、手でその場所を示していった。 「テレビ ? 」 吉野はさっと目を細めペンを構え直した。 「ええ、古い型の、白黒のね」 「それで ? 」 吉野は先を促した。 「稽古が終わり、もうほとんどの劇団員が帰った後のこと、私は自分のセリフでどうして も納得できないところがあり、もう一度読み直そうとこの部屋に入ってきたのです。ほら、 そこ : : : 」有馬は入口のドアを指差した。 のぞ 「そこに立って部屋の中を覗くと、すりガラスを通してテレビ画面がチカチカと揺れてい たのです。わたしは、あ、だれかがテレビを見ているんだな、と思いました。いいですか、 決して見まちがいではありません。すりガラス越しで、ブラウン管の映像を直接見たわけ ではありませんが、確かに白黒の光がぼんやりと揺れていたのです。音は出てなかった : ・ 部屋の中は薄暗く、私はすりガラスを回りながら、テレビの前にいるのはだれだろう と、その顔をのそきこみました。山村貞子でした。でも、すりガラスを回り込んで彼女の

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210 「心臓麻痺、今で言うところの急性心不全ってやつですよ。公演が迫ってかなり無理して ましたからねえ、疲れがたまってたんだと思います」 「山村貞子と重森の間に何があったのか、結局だれも知らないのですねー 吉野が念を押すと、有馬は大きくうなずいた。なるほど、これだけの原因があれば、山 村貞子の印象が強烈に残るのも無理はない。 「その後、彼女は ? 」 「やめましたよ、うちの劇団にいたのは、一年か一一年だと思ったけど 「ここをやめて、どうしました ? 「さあ、そこまではちょっとわかりません」 「ふつうの人はどうするんです、劇団をやめた後・ : やっ 「やる気のある奴は他の劇団に入り直しますよ」 「山村貞子の場合はどうでしようかね 「なかなか頭もよかったし、演技の勘も悪くはなかった。でも、性格的に欠陥があったか らねえ、ほら、この世界、ようするに人と人との関係でしよ。彼女のような性格だとちょ っと合わないんじゃないかな」 「つまり、芝居の世界から足を洗った可能性もある ? 「ま、なんとも一一一口えませんがね 「彼女のその後の消息を知っている人、いないですかねえ まひ

8. リング

202 よう頼んだ。 「先生、新聞社の方がお見えです」 研究生は役者らしくよく響く声で、壁際に座って皆の演技を見守る演出家の内村を呼ん だ。内村は驚いたように振り向き、相手が。フレス関係だと知ると、相好をくずして吉野に 近づいてきた。どこの劇団も、プレス関係者を丁寧にもてなす。新聞の文芸欄にちょっと 載せてもらっただけで、チケットの売上げが大きく伸びるからだ。一週間後に迫った公演 の稽古風景でも取材にきたのだろう・ : 新聞社にはこれまであまり大きく取り上げら れたことがなかったので、内村はこの機会にとばかり愛想をふりまいた。しかし、吉野が やってきた本当の理由を知ったとたん、内村は急に興味を失ってオレは今忙しいんだよな という態度を取り始めた。そして、キョロキョロと稽古場を見回し、椅子に座った五十過 ぎの小柄な男優に目を止めると、「真ちゃん」とかん高い声で近くに呼び寄せた。五十過 ぎの男に向かってちゃんづけで呼ぶこと : いや、それよりも内村の女つぼい声やヒョ ロヒョロとアイハランスに伸びた長い手足が、筋肉質の吉野には気持ちワルイと感じた。 自分とはまるで異質な存在がここにいる、と。 「真ちゃん、二幕まで出番ないでしよ。しゃあ、さあ、この人に、山村貞子のこと話して やってくれない。覚えてるでしよ、あの気持ちワルイ女」 真ちゃんと呼ばれた男優の声を、吉野はテレビで放映する洋画の吹き替えで聞いたこと がある。有馬真は舞台での活躍よりも声優としての活躍のほうが目立っていた。 / 彼もまた