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検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
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1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

てお召しなのを聞きつけている気持、何かにぶつかるほど うな様子で伺候していることでしたよ。御簾のそばのあい しもつぼね 2 に大騒ぎするのも、とても気違いじみていて、下局にいる ている所からのぞき込んだところ、八、九人ほど座って、 きくちば せいりようでん しおんはぎ 女房たちがあわてて清涼殿に参上する様子こそ、何ともま黄朽葉の唐衣、薄紫色の裳、紫苑や萩など、うつくしく装 子 てんじようびと あ : : : 。人の従者や殿上人などが見ていようのも知らずに、 って並んで座っていたことでしたよ。中宮様の御前の草が 草 も とても高く茂っているので、わたしが『どうして、これは 裳を頭にかぶって参上するのをみなが笑うのも、道理であ る。 茂っているのですか。かき払わせればよろしいのに』と言 ったところ、『露を置かせて御覧あそばそうとて、わざわ さいしよう 一四六故殿などおはしまさで、世ノ中に事出 ざ』と、宰相の君の声で応答したのです。おもしろく感じ おんさとず で来 たことですよ。『あの方の御里住みは、とても情けないこ かんばくどの 故関白殿などがおいでにならないで、世の中に事件が起とです。こうした所にお住いあそばされよう折には、たと り、物騒がしくなって、中宮様はまた宮中にもお入りあそ い自分に非常に大事なことがあるとしても、必ず伺候すべ こいちじよう ばされず、小一条という所ーーー中宮様がおいでになるのだ きものと中宮様がお思いでいらっしやるかいもなく』など と、女房たちは大勢で言いました。わたしがそのことをあ そこは何ということもなくいやな気分だったので、 わたしは長い間里にじっとしていた。でも、中宮様の御前 なたに話してお聞かせ申しあげよというわけなのでしよう しみじみと のあたりが気がかりで、やはりこうしていることができそ よ。参上して御殿の様子を見てごらんなさい。 うもなかったのだった。 した感じに見える場所の様子ですよ。露台の前に植えられ きよう ばたん から 左中将がおいでになって物語をなさる。「今日は、中宮 ていた牡丹の、唐めいておもしろいこと」などとおっしゃ ′ ) てん の御殿に参上したところ、たいへん何となくしんみりとし る。「さあどうですか、人がわたしをに . くらしいと思って からめ いたので。わたしもまたそれが聞きづろうございましたの た感じがしてしまいました。女房の装束は、裳や唐衣など が季節に合って、たるむようなこともなくきちんとけっこ でーと御応答申しあげる。「おっとりとまあ構えていらっ ( 原文五三ハー )

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

みきちょう らしいものですよ」などと、ひたすらせきたてて出仕させ御几帳のほころびの所から、ちらっとのそき込んだ。 のう るので、無我夢中の気持がするけれど参上するのも、ひど 殿ではなくて大納言様が参上あそばしたのだった。御直 さしめき 衣、指貫の紫の色が、雪に映えておもしろい。柱のそばに くつらい。火焼屋の上に雪が降り積っているのも、珍しく 子 ものいみ お座りになって、「昨日今日、物忌でございましたが、雪 おもしろく、中宮様の御前近くには、いつものとおりいろ 草 がひどく降りましたので、どうしておいでか気がかりで」 りの火をたくさんおこして、それにはことさらだれも座っ 枕 なしえ じん ひおけ ていない。中宮様は沈の御火桶、それの梨絵をしたのに向などとおっしやる。「『道もない』と思ったのに、どうして っていらっしやる。上席の女房がお身のまわりのお世話を おいででした」と、中宮様の御応答があるようだ。大納言 おんみ なさったのだったが、そのままおそば近く侍している。次様はお笑いになって、「御身にしみて『あはれと』もおば わたくし すきま える者と私を御覧あそばすかと思いまして」などとおっし の間に、長形のいろりに、隙間なく座っている女房たちが、 ものな からぎめた 唐衣を垂れるように着ている様子が、物馴れて気楽なのを やる御様子は、これよりまさろうものは何があろうか。物 見るのもうらやましく、それらの女房たちは、お手紙を取語にひどく口から出放題に言っている数々のことに、劣ら ないようだなと感じられる。 り次ぎ、立ったり座ったり動作する様子など、遠慮したふ くれないからあやうわぎ うもなく、おしゃべりをし、にこにこと笑 , つ。「いったい、 中宮様は白い御下着幾枚もの上に、紅の唐綾の表着を二 おぐし みやづか いつになったら、あんなふうに宮仕えの仲間にはいりきれっと、白い唐綾とをお召しになっている、それに御髪がか るだろうか」と思うのまで、気おくれをおばえる。奥の方かっておいであそばす御様子などーー絵に描いてあるのを こそは、こうしたことは見るのだがーーー現実にはまだ知ら で三、四人集って、絵など見る者もある。 しばらくたって、先払いが高くかけ声をするので、「殿ないので、夢を見ているような気持がする。 大納一言様が女房とお話をし、冗談ごとなどなさるのを、 が参上なさるようです」と言って、女房たちが散らかって いるいろいろな物を取り片づけなどするので、わたしは、 女房がその応答を少しも恥ずかしいとも思っていないで、 奥に引っ込んでーーとはいえ、見たい気持なのだろう 言い返し申しあげ、ありもしないことなどをお言いかけな ひたきや でほうだい

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

知ることはできなかったろうに、もし天にあって偽りを証拠 ただす 一八三したり顔なるもの なしに判断する糺の神がいらっしやらないのだったら ) というふうに、中宮様の御心持はあられるようです」とあ 得意顔なもの正月一日の早朝、最初にくしやみをした くろうど るので、すばらしいとも、残念だとも、心乱れて思うのに 人。競争のはげしい時の蔵人に、いとしくも、自分の子を じもく さカ つけて、やはり昨夜のくしやみをした人をこそ、探し出し任官させた人の様子。除目に、その年の第一等の国を自分 て聞きたいものだ。 のものとした人が、だれかがお祝いなどを言って、「たい 「薄さ濃さそれにもよらぬはなゅゑに憂き身のほどを へんお見事にも就任なさいました」などと言う応答に、 ひへい 知るそわびしき 「どういたしまして。たいへん尋常ならず疲弊しておりま ( 花なら、色の薄さ濃さ、そうしたことにうつくしさはよるす国だそうですから」などと言うのも、得意顔である。 でしようが、これは「花」ならぬ「鼻」なのですから、中宮 求婚者がたくさんあって、張り合っている中で、選ばれ 様をお思い申しあげる、いの薄さ、濃さ、そうしたことに、く て婿に取られたのも、自分こそはと、きっと得意に思うだ ちょうぶく しゅげんじゃいんふた しやみは左右されません。それだのにそのくしやみゆえに、 ろう。強情な物の怪を調伏した修験者。韻塞ぎの明けを、 せき わたくし つらい身となってしまっている私の立場を知るのは、気がめ早くしたの。小弓を射るのに、相手側の人が、咳をして妨 まと いることでございます ) 害して騒ぐのに、それを我慢して、音高く射て的に当てた ただ やはりこれだけは、よしなに正して申しあげあそばしてく のこそ、得意顔な様子である。碁を打つのに、それほどと ださいまし。式の神も自然見てくれているでしよう。たい も知らないで、欲張った心は、またあちこちほかの所にか へん恐ろしいことです」と書いて、中宮様に差しあげ申し かわりまわっているうちに、別の方から目もなくて、たく 第 あげてのちも、「不愉快にも、ああした折も折、なんだっ さん石を拾い取ったのも、うれしくないことがあろうか 自慢そうに笑って、普通の勝よりは、得意気である。 て、あんなふうに、とはいえ、くしやみなどしたのだろ としつきへ ずりよう う」と、ひどく嘆声を発したくなる感じだ。 久しい年月を経て、受領になった人の様子こそ、うれし いつわ ものけ がまん

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

かおく , っッ ) ともない れば、女院や宮たちなどの、家屋がたくさんある所とか、 っ けれど、こっそりとでも、公然とでも、「お里にお出に そうした所に借家住いをして、よい官職に就くのを待ち得 なったのだったのをたまたま知らないで」とも、「またい てのちに、それから、早く何とかしかるべき所をと、よい 子 さが っ宮中に参上なさるのですか」とも言いに、人がちょっと 家を探し出して住んでいるのこそよいのだ。 草 顔を出す。「こちらに思いをかけている人は、どうして顔 枕 一七七女の一人住む家などは を出さないことがあろう」と、そうした人に対しては戸を ひとり 女が一人で住んでいる家などは、いちずにひどく荒れ果あけなどする。それを「騒がしく不用心にも夜中まで」な どぺい どと思っている親たちの様子が、とてもうとましい。「総 てて、土塀なども、不完全で、池などのある所は、水草が じよう よもぎ 門は錠をさしてしまったか」などと、どうやらたずねてい 生え、庭なども、ひどく蓬が茂りなどこそはしないけれど るような声がすると、「まだお客がいらっしゃいますから」 も、所々砂の中から青い草が見え、さびしげな様子なのこ さか などと、 しいかげん迷惑そうに思って答えるのに、「お客 オし力にも賢しげに、家はまだ そがしみじみとした感じ、、こ。、、 きちょうめんいちいち がお出になってしまったら、早く錠を掛けろ。このごろは らに修理して、門の戸締りをしつかりとし、几帳面に一々 ぬすびと けじめをはっきりつけるような態度は、ひどくいやなもの盗人がひどく多い」などと言っているのを、ひどくわずら わしいと聞く客さえもいる。この客の供である者たちが、 にこそ感じられる。 「この客はもう帰るかもう帰るか」と、絶えずちらっと顔 一七八宮仕へ人の里なども を出して様子を見るこの家の下男たちを笑っているに違い ふたり みやづか ないようだ。お客の供の者がロまねをするのも、家の者が 宮仕えをしている女の自宅なども、親たちが二人そろっ 聞いたら、どんなにいよいよきびしく言ってとがめ立てを ているのはよい。客が頻繁に出たり入ったりし、奥の方に 大勢いろいろな声がたくさん聞え、馬の音がして、騒がしすることだろう。あまりはっきり表面に出して言わない人 も、こちらに思いをかけていない人は、わざわざこうして いほどであるけれど、それは別に、自分にとってどうとい ひんばん

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

いるのを、かきのけることはしないで、顔を傾けて物など連れ立って動きまわる、それを見るのもかわいらしいカ % 見るのは、とてもかわいらし い。たすきがけに結んである りのこのツポネ。なでしこの花。 腰の上の方が、白くきれいな感じなのも、見るのにつけて 子 一五六人ばへするもの かわいらしい 草 てんじようわらわ りつば 大きくはない殿上童が、装束を立派に着せられて歩きま 人がそばにいると調子づくもの特にこれといったこと わるのもかわいらしい。見た目にうつくしい感じの幼児が、 もないつまらない子が、かわいいものとして親に甘やかさ せき ちょっと抱いて、かわいがるうちに、取りついて寝入ってれなれているの。咳。こちらが恥ずかしいほど立派な人に かれん いるのも、可憐である。 何か言おうとする時にも、ます咳が先に立つ。 人形遊びの道具。蓮の浮き葉のとても小さいのを、池か 近所のあちらこちらに住む人の子たちで、四つ、五つぐ あおい ら取り上げて見るの。葵の小さいのも、とてもかわいらし らいの年ごろなのは勝手放題に困ったふるまいをして、物 何でも彼でも、小さいものは、とてもかわいらしい などを取り散らかしてこわしたりするのを、いつも引っぱ ひどくふとっている幼児の、二つぐらいなのが、そして られなどしてとめられて、思うままにもすることができな ふたあいうすもの 色が白くてかわいらしいのが、そしてまた、二藍の薄物な いのが、親が来ているのに勢いを得て、見たがっている物 ど、着物が長くて、たすきで袖を上げているのが、這い出を、「あれを見せてよ、お母さん」などと引っぱってゆす おとな しているのも、とてもかわいらしい。八つ、九つ、十ぐら るけれど、母親のほうでは、大人などが話をしているとい いの年ごろの男の子が、声は幼げな様子で漢籍を読んでい うわけで、気を取られて子どもの言うことなどはすぐにも る声は、とてもかわいらしくていらっしやる。 聞き入れないものだから、子どもは自分の手で引っぱり出 にわレ」り あしなが 鶏のひなが、足長に、白く愛らしい様子で、着物を短して見るのこそ、ひどくにくらしい。それを「まあいけま く着たような様子をして、びよびよとやかましく鳴いて、 せんよ」とぐらいのことをちょっと言って、その物を取り 人の後ろに立ってついてまわるのも、また親どりのそばに 上げて隠さないで、「そんなことをしないでおくれ」とか、 そで かんせき

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 286 そうだ。少しばかり残っている家来も、無礼な態度でばか受領もそう感じられるであろう。たくさんの国を歴任して、 かんだちめ にしたのも、いまいましいからとて、どうしようもないと大弐や四位などになってしまうと、上達部なども、重々し ずりよう いものとしてお扱いなさるようだ。 思って、我慢して過したのだが、受領になると、自分にも みかど 女こそ、やはり男にくらべて劣っている。宮中で、帝の まさる者たちがかしこまって、ただ「仰せを承りましょ めのと さんみ ついしト - う・ 御乳母は、内侍のすけや三位などになってしまうと、重々 う」と追従する様子は、以前の人と同じ人と見えようか。 かた し 、。けれど、そうかといってすでに年をとって、どれく 北の方のほうでは優雅な女房を召し使い、今まで見られな かった手まわりの道具や装束が、自然に涌き出るように現らいのよいことがあるか、ありはしない。またそんな人は かた このえ れて来ることよ。受領をしている人が、のちに近衛の中将多くいるわけではない。受領の北の方の地位にあって任国 きんだち にくだるのをこそ、普通の身分の人の幸福と思っているよ に昇進しているのこそ、もともと君達の身分の人が昇進し きさき うだ。普通の家柄の出の上達部の娘で后におなりになるの て中将となっているのよりも、高貴なものとみずから感じ、 こそすばらしい 得意顔で、ひどくすばらしいことと思っているようである。 けれど、やはり男は、自分の身の出世昇進こそすばらし 一八四位こそなほめでたきものにはあれ。同 くて、そりくり返って得意でいる様子といったら : : : 。法 なにがしぐぶ じ人ながら、大夫の君や、侍従の君な 師などが、「何某供奉」などと言って歩きまわるのなどは、 ど聞ゆるをりは 何がよいだろうか、よい所は何も見えはしない。お経を尊 く読み、見たところ美男子なのにつけても、女房たちにば 位こそ、やはりすばらしいものではある。同じ人であり そう たゆう かにされて、女房たちはわあわあ騒ぎかかるのだ。でも僧 ながら、大夫の君や侍従の君などと申しあげる時は、ひど ずそうじよう くばかにしやすいものだのに、中納言、大納言、大臣など都や僧正になってしまうと、「仏様がこの世に出現なさっ になってしまうと、ひたむきにどうしようもないほど、尊ていらっしやるのだろう」と、身分の高い方々も、あわて てお思いになって、恐れ入る様子は、ほかに何の似るもの く感じられなさることが、格別であるよ。身分に応じては、 ないし おもおも

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

わたしの乗っているのは、見た目がきれいに作ってあっ 定の所に漕ぎつける間に、舟に波がうちかけているありさ もこうすきかげ つまど まであるのは、あれほどにも余波さえもなかった海とも見て、帽額の透影や、妻戸をあけ、格子を上げなどして、さ まざまの造作が設けてあってもほかの舟と同じほど重そう えないのだ。 子 でもないので、まるで家の小さいのといったふうだ。 思うに、舟に乗って漕ぎまわる人ほど、不気味で恐ろし 草 舟の中にいて、ほかの舟を見やるのこそ、ひどく恐ろし いものはないのだ。いいかげんな深さであってさえも、何 枕 遠いのは、ほんとうに笹の葉で小舟を作ってうち散ら とも頼りない様子の物に乗って、漕いで行っていいもので してある様子に、とてもよく似ている。舟泊りしている所 はないのだよ。まして底の果てもわからす、千尋などあろ で、舟ごとに火をともしているのは、おもしろく見える。 うというのに、舟に物をとてもたくさん積み入れてあるの ふなにんそくげすおとこ みず ! わ はし舟と名づけてたいへん小さい舟に乗って漕ぎまわる、 で、水際は一尺ぐらいさえもないのに、船人足の下衆男た その早朝の様子など、とてもしみじみと心にしみた感じが ちが、少しも恐ろしいとも思っていないふうで走りまわり、 しらなみ ちょっとでも手荒く扱えば沈みもしようかと思うのに、大する。「あとの白波」は、歌にあるようにほんとうにたち きな松の木などの、長さ二、三尺ぐらいで丸いのを、五つまち次々と消えてゆくものなのだ。相当の身分の人は、舟 に乗って動きまわることはすべきではないことと、やはり 六つ、ばんばんと舟の中に投げ入れなどするのこそたいへ やかた 、。けれど、 んなものだ。貴いお方は屋形というもののほうを御座所と感じられる。陸地の徒歩もまたとても恐ろしし しておいでになる。けれど、奥にいる者は、少し安、いだ。 それは、何が何でも、地面にちゃんと足が着いているのだ 舟の端に立っている者たちこそ、目がくらむような気がすから、とても頼りになると思うので。 はやお 海女が海にもぐっているのは、気のふさぐしわざだ。腰 る。早緒をつけて、のんびりとすげたその早緒の弱そうな についている物が切れた時は、どうしようというのだろう。 ことったら。もし切れてしまったら、何の役に立っという のだろうか。とたんに海に落ち込んでしまうだろう。それせめて男がそれをするのなら、それもよいだろうが、女は、 並一通りの気持ではないであろう。男は舟に乗って、歌な でさえ、たいして太くなどもないのだ。 ちひろ ささ

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

で立派な通りに、馬をはげまして走らせて、急いで参上し 言っているのを、幼い子どもが耳にしていて、その人がい る前で、それを口に出しているの。 て、少し遠くから馬をおりて、わきの御簾の前に伺候なさ べっとう しみじみと身にしみるようなことなどを、人が話して泣った。院の別当が帝のお言葉を申しあげなさった。御返事 く時に、、かにもとてもかわいそうだとは聞くものの、涙を承って、また馬を走らせて帰参なさって、帝の御輿のも いまさら がすぐに出てこないのは、ひどく間が悪い。泣き顔を作っ とで奏上なさった折の様子は、今更言うのも一通りな感じ て、普通ではない表情にするけれど、全くかいがない。す がすることだ。そ , っして帝がお通りあそばされるのを、お ばらしいことを聞く時には、また、むやみにただ涙がどん見申しあげあそばされておいでであろう女院の御心のうち どん出てくることなのに。 を、御推察申しあげるのは、すばらしくて飛び立ってしま いわしみず ギでつこう に . よ、つ 石清水八幡宮の行幸の、おかえりあそばされる時に、女 しそうにこそ感じられたことだ。そういうことには、いっ さじき みかどこし おんたよ 院の御桟敷の向こうに帝の御輿をとめて、御便りを申しあ までも長く泣いていて人から笑われるのだ。普通の身分の げあそばされたのなど、たいへんすばらしく、帝ほどの尊人でさえも、子の出世はやはりこの世ではすばらしいもの しんちゅう い御様子でおありになりながら、御母の女院に対しては敬なのだから、こんなふうになりと女院の御心中のお喜びを たぐい 意を表し申しあげあそばされることが、世に類なくすばら御推察申しあげるのも恐れ多いことだ。 けしトっ しいのに、ほんとうに涙がこばれるので、お化粧をしてい きじ 一三二関白殿の、黒戸より出でさせたまふと 段る顔の生地もみなまる見えになって、どんなに見苦しいこ せんじ ただのぶさいしよう て とだろう。帝の宣旨の御使いとして、斉信の宰相の中将が、 くろど かんばく 女院の御桟敷に参上なさった様子こそ、とてもうつくしく 関白様が、黒戸からお出ましあそばされるということで、 ずいじん りつば ろうすきま 第 見えたことだ。ただ、随身四人の、たいへん立派に装束を女房が廊に隙間なく伺候しているのを、「やあ、すてきな うまぞ つけている者たち、それと馬副いの、ほっそりと着つけて女房がたよ。この年寄を、どんなにばか者だと笑っていら ワ」 いる人たちだけぐらいを連れて、二条の大路の広くきれい っしやることだろう」と、間をかき分けるよ , つにしてお出 いん おおじ

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

243 第 124 段 ごんぎよう さんけい などが終って、少しうとうとと寝てしまった耳に、その寺 く参詣するのを眺めているので、勤行もしおおせない きようもん こも ゆかり の御本尊に縁のある経文を、たいへん荒々しい声で、高く 日が暮れるころに、参詣するのは、これからお籠りする 唱える声が入ってくるので、それはとりたてて尊いという 人であるようだ。小坊主たちが、持ち上げられそうもない しゅぎようじゃ じようずまえうし たけ びようぶ のでもなく、修行者めいた坊さんが読むのであるようだと、 屏風などの丈の高いのを、たいへん上手に前後ろに動いて 運んで、畳などをばんと立てて置くと見ると、すぐにお籠自然ふと目がさめて、しみじみとした感じに聞かれるのだ。 すだれ また、夜など、わたしは顔を知らない人だが、相当身分 りする人の部屋に現れ出て、犬防ぎに簾をさらさらと掛け あおにびさしめき な のあるらしい人の勤行しているのが、青鈍の指貫の綿の入 て部屋作りをする手順は、非常によくし馴れしていること らくらく っているのに、白い着物を幾枚もたくさん重ねて着て、そ よ。楽々と仕事をしているように見える。ざわざわとたく の子息だろうと見える若い男の、・うつくしく着飾っている さんの人がおりて来て、そのうちの年輩の老女めいた人が、 のや、少年などを連れて、家来の者たちがたくさんかしこ 上品であたりにはばかった様子でーーー帰る人なのであろう まって、まわりをとりかこんでいるのもおもしろい。間に 、「その部屋の中があぶない。火の用心をしなさい びようぶ よ」などと言うのもある。七、八歳ぐらいの男の子が、愛合せに屏風を立てて、ちょっと礼拝などするようだ。 きよう 顔を知らない人の場合はだれだろうと、たいへん知りた 嬌のあるえらそうな声で、家来の男たちを呼びつけて、何 知っているのは、「ああ、あの人のようだな」と見る か言っているその声の様子も、たいへんおもしろい。また、 せき のもおもしろい。若い男の人たちは、とかく女たちの部屋 三歳ぐらいの幼児が寝ばけてこわがって、咳をしているそ めのと かあ の物音もかわいらしい。その児が、乳母の名前や、「お母などのあたりをうろついて、仏様の方に視線を送ることも べっとう し申しあげないで、寺の別当などを呼んで、小声で話すと、 さま」などと口に出しているのも、その母親はだれなのだ 呼んで話したままで立ち去って行く、その様子ま、 ろうと、たいへん知りたく思われる。 ) んぎよう 一晩中非常に大声で坊さんが勤行して夜を明かす。それげんな身分の者とは見えない さんろう ごや 二月の末、三月の月初めのころ、桜の花盛りに参籠して でわたしは寝入りもしないでいたのだったが、後夜の勤行 いめふせ う

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

おが にうち掛けて御本尊を拝み申しあげていると、「御用うけ読んでいるのも、尊い感じがする。高い声を出して読んで しきみ ほしい気がするのに、まして鼻などを、音高く、聞いて不 たまわりの者です」と言って、樒の枝を折って持って来て 愉快なようにではなくて、少し遠慮してかんでいるのは、 いるのなどの尊い様子も、やはりおもしろい 子 じようじゅ 犬防ぎのガから坊さんが近づいて来て、「御立願の筋は何を思っているのであろう、その願い事を成就させたいと 草 十分仏にお願い申しあげました。幾日ぐらいお籠りあそば感じられる。 幾日も続いて籠っていると、昼間は少しのんびりと、以 す御予定ですか」などとたずねる。「今これこれのお方が 前はしていた。下にある坊さんの宿坊に、供の男たちゃ、 お籠りあそばしています」などと、こちらに話して聞かせ ひとり ひばちくだもの て立ち去るとすぐに、火鉢や果物など持って来、持って来子どもたちなどが行って、わたしはお堂の部屋で一人で所 ほらがい はんぞう して貸してくれる。そのほか、半挿に手洗いの水などを入在ない気持でいると、すぐそばで、午の時の法螺貝をたい へん高く、急に吹き出したのこそ、思わずびつくりする。 れたもの、その水を受ける手なしのたらいなどが持ってき ずきよう しゆくぼう きれいな立文を供の者に持たせた男が、誦経のお布施の品 てある。「お供の方は、あちらの宿坊でお休みください」 どうどうじ をそこに置いて、堂童子などを呼ぶ声は、山がこだまし合 などと言って、坊さんが、どんどん呼び立てて行くので、 って、きらきら輝かしいまでに聞える。誦経の鐘の声が一 供の者は交替で宿坊へ行く *. きよう おと 誦経の鐘の音を、「どうやらあれは自分のためのもので段と高く響いて、この誦経はどこのお方があげるのだろう と思って聞くうちに、お坊さんが高貴な所の名を言って、 あるようだ」と聞くのは、頼もしく聞える。隣の部屋で、 きとう ひたい お産が平らかであるように祈疇するのは、むやみに、お産 かなりの身分らしい男が、たいへんひっそりと額をつけて きねん の安否がどうだろうかと、不安で、仏に祈念したい感じで 礼拝している。立ったり座ったりの様子もたしなみがある こうした程度の昼間の騒がしさは、普通の時のこと ように聞える、その人が、たいへん思いつめた様子で、寝 ごんぎよう であるようだ。本題にもどれば、正月などには、ただもう もしないで勤行するのこそ、ひどくしみじみと感じられる。 物騒がしく、何かの望み事の立願などする人が、絶え間な 礼拝をやめて休息する間は、お経を声高には聞えぬほどに 0 こわだか ぎい 0 たてぶみ 、一も ふせ