清少納言 - みる会図書館


検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
33件見つかりました。

1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ことばづかいと見るのである。この段のみならず全体的にであったが、そこで先生が指摘なさったのは、そんざいな 「ことば」を使うことや、目上に対する敬意を欠いた「こ このような傾向を私共の訳は持っている。会話の概念は今 日と異なっているのであるが、中宮の女房に対する発言は、とばづかい」の不適正のほかに、目下 ( たとえば弟妹 ) に対 全般的には発言そのものを直接話法で記したというよりも、する「ことばづかい」、友人との会話の「ことばづかい」 女房である清少納言の立場からの敬意をやや濃厚にかかえの不適正でもあった。要するに時と場合によっては「丁寧 た間接話法に近い性格を持っと思うのだが、いかがであろな」ことばばかりではなく、身分に応じたことばや、容赦 うか。即ち「『 : ・ : 』と仰せられた」とあっても実はのない断固としたことばを使えなくてはいけないのだし、 「 : : : のおもむきの仰せ言があった」という意識が強いよまた自在で対等の関係であるべき友人に対し、個性的では うに思うのである。その中においてみると、「香炉峰」のない決り切ったことばを使えば、これまた「いやしい」の 場合は、上に「少納言よ」という呼びかけの語があるから、であった。しかもそれは女性語で、しかも子供のことばで なくてはならなかった。いまだに「いやしい」ことばやこ 7 かなり直接的なことばの面が強いとみてよいであろう。私 共の訳はいわば男性語でもなく女性語でもない、一種の架とばづかいしかできないことを、私自身、大変恥ずかしく、 空語のような訳であるかもしれない。やや不統一の面もあまた先生に対し申しわけないことに思っている。少し前ま しつけ るが、今後の問題として考えていきたいと思う。なお現在では日本人のことばの躾には、程度の差こそあれこうした における宮中の御言葉のうち、特に上↓下への場合につい下のものに対することばづかいや、「場」に応じた柔軟な そくぶん て仄聞したところでは、次第に「普通」に近づいていらっ ことばの対応への、きびしい要求があったのではないだろ しやるということであった。 うか。目下に対することばは、目上に対するそれよりずつ 私は女子だけの私立学校で初等教育を受けたが、低学年とむずかしいと実感している。 のころ「ことば」にきびしい先生が何度もおっしやったの清少納言は中宮のいわば公的な場に於ける発言やふるま は「いやしい」ということばであった。このことばを伺う いと、私的な場に於ける人間としての親しいそれとを、よ しゅうち さんこう 度に、全存在の核が揺らぐような激しい羞恥を覚えたものく区別して見つめている。そのどちらも清少納言には讃仰

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

九内外の諸司から所管の役所や 少納言殿に 太政官に差し出す公文書。一定の とて、月日書きて、「みきなとのなかゆき」とて、奥に、「このをのこはみづか書式があり以下それに従った手紙。 一 0 役所の官としての「少納言」と ひる らまゐらむとするを、昼はかたちわろしとてまゐらぬなり」と、いみじくをか「清少納言」をかけた。 = 行成の冗談めいた仮称。 三行成自身。「をのこ」は下男。 しげに書きたまひたり。御前に御覧ぜさすれば、「めでたくも書きたるかな。 えん かずらき きんぶせん 一三役の行者が葛城山と金峰山と 一五ふみ の間に石橋を渡そうとした時、葛 をかしうしたり」などほめさせたまひて、御文は取らせたまひつ。「返事はい ひとことぬしのかみ 城の一言主神は醜貌を恥じて昼は ・も かくれ夜だけ働いたとする故事に かがすべからむ。この餅餤持て来るには、物などや取らすらむ。知りたる人も よる。 がな」と言ふを聞しめして、「惟仲が声しつる。呼びて問へ」とのたまはすれ一四行成は当時有名な能筆家。 一五三巻本「解文」。 さだいべん さぶらひ とこと , つる一六使いに禄を与えるのだろうか。 ば、端に出でて、「左大弁に物聞えむ」と、侍して言はすれば、し 宅平生昌の兄。正暦五年 ( 究四 ) はしうて来たり。「あらず。わたくし事なり。もし、この弁、少納言などのも九月右大弁から左大弁に転じた。 天中宮のお召しかと思って。 しもべ 、かかる物持て来たる下部などには、する事やある」と問へば、「さる事一九私用なのです。 ニ 0 弁官や少納言などの所に。 じゃうくわん 三「政官」の当字で太政官のこと。 段も侍らず。ただとどめて食ひはべり。なにし問はせたまふ。もし上官のうちに 政官の役人の誰かからおもらいに え かへりごと なったのですか。 て、得させたまへるかーと言へば、「いかがは」といらふ。ただ返事を、いみ 一三「しもべ」の訛り。行成をさ うすやう 第 、とれいたうなりとす。 じうあかき薄様に、「みづから持てまうで来ぬしもめは、し れいたん ニ三「冷淡」。「餅餤ーと語呂を合す。 一西「あかき薄様」に色を合せる。 なむ見ゆる」とて、めでたき紅梅につけて奉るを、すなはちおはしまして、 きこ 一九 ニ四 これなか と かへりごと なま へいたん

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

「文ことばなめき人こそ、いとどにくけれ」 ( 段 ) 、「男とになる。 も女もよろづの事まさりてわろきものことばの文字あや 〇「少納言よ、香炉峰の雪は、どんなだらう」 ( 金子元臣 氏、枕草子評釈 ) しく使ひたるこそあれ」 ( 段 ) などの段にも見られるよ ことば、特に対話語の感覚が抜群であった清少納言 〇「・ : どうだろうか」 ( 塩田良平氏、三巻本枕草子評釈 ) のことであるから、以上のような中宮様のことばについて 〇「【 : どんなだろう」 ( 三谷栄一・伴久美氏、全解枕草子 ) 特に意を用いて記しとどめたであろうことは、当然考えて 〇「・ : どうであろうか」 ( 田中重太郎氏、旺文社文庫枕冊子 ) よかろう。その中で特に女房に対する中宮発言の現代語訳 〇「・ : どんなでしよう」 ( 石田穣二氏、角川文庫新版枕草子 ) は、社会情況も言語表現も異なってしまった現代に於いて 〇「・ : どんなふうかしらね」 ( 萩谷朴氏、新潮日本古典集成 第四版 ) は、大変むずかしいことであるし、また『枕草子』そのも のに対する印象や定子の人柄についての印象をもかなり左〇「・ : どんなかしら」 ( 稲賀敬二氏、鑑賞日本の古典 5 ) 右するもののように思われるのである。 〇「・ : どうかしら」 ( 稲賀敬一一氏、現代語訳学燈文庫 ) かうろ・ほう たとえば有名な「香炉峰の雪」 ( 段 ) の段に於ける中 〇「・ : どんなであろう」 ( 松尾聰氏・永井和子、完訳日本の古 典 ) 宮のことばを考えてみよう。実はこの段については、その 把握の仕方に於いて論の分れるところでもあるのだが、そ大ざっぱに見れば、女性らしい親しい呼びかけの日常語 れは措いて単純に「少納言よ。香炉峰の雪はいかならむ」 ( たとえば「どうかしら」 ) と、やや改ったことば ( たとえば ( 三巻本「雪は」ノ部分「は」ナシ ) というところだけについ 「どんなだろう」 ) に分けられるであろう。これは即ち前述の て、任意に諸氏の現代語訳が付されているものの訳を並べ この段の把握ーー私的な即興のやりとりか、やや公的な意 にからんでくるのかもしれな させていただく。もっと単純化すれば要するに「いかなら図を含んでの場面設定か む」の訳である。「いかならむ」のみでは何ら特別なこと 、諸氏のそれそれの御苦心のさまを見る思いがする。 ばとも考えられないが、「会話」ということになると現代そして松尾・永井の訳では、最も重々しい ( そっけない ) 語では語尾にさまざまのニュアンスを持たせて表現するこ形をとっている。言い換えれば「中宮」の立場を重く見た ふみ

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

も レはかにいま一つえじつるに、これをこそ借り申すべかりけれ。さらば、もし一 = 裳をつけるのは臣下の礼。貴 子が唐衣を着ず略式の小袿姿であ またさやうの物をきりししめたるに」とのたまはするに、また笑ひぬ。大納言ることを婉曲にとがめたとみる説 もある。 せいそうづ 殿、すこししりそきゐたまへる、聞きて、「清僧都のにゃあらむ」とのたまふ。一六御主人は中宮様なのだから。 宅近衛府が御座所の前に陣を設 ひとこと けるのが行幸啓の例。 一言としてをかしからぬ事ぞなきや。 天私 ( 清少納言 ) が さしぬき 僧都の君、赤色の薄物の御衣、紫の袈裟、いと薄き色の御衣ども、指貫着た究僧の正装【赤色の袍・裳を用 ニ四 いる。ここは布施の料。 そう ばさっ いとをかし。「僧ニ 0 「給ふ」は自尊敬語とみる。中 まひて、菩薩の御ゃうにて、女房にまじりありきたまふも、 ニ五 宮がくださった、ともみられるか ゐぎぐそく 三法服を切り縮めて唐衣にして 綱の中に、威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」など笑ふ。 いるのか、という冗談。 あや なほし ニ六 父の大納言殿の御前より松君ゐてたてまつる。葡萄染の織物の直衣、濃き綾 = = 清少納言の「清に因む冗談。 ニ三隆円僧都。伊周の弟。十五歳。 の打ちたる、紅梅の織物など着たまへり。例の四位五位いとおほかり。御桟敷 = 0 僧官、僧位の総称。 一宝仏語。動作が礼にかなって品 に、女房の中に入れたてまつる。何事のあやまりにか、泣きののしりたまふさ位があること。 ニ六伊周の長男道雅の幼名。三歳。 毛法会がいよいよ始って。 段へ、いとはえばえし。 夭蓮花の造花。 そうぞくかんだちめ いっさいきゃう 一部づっ入れて、僧俗、上達部、ニ九衆僧が列を正して経を読みな 事はじまりて、一切経を、蓮の花の赤きに、 ニ九 がら、仏堂を回る儀式。 第 。も だいぎゃうだうゑ え・一う てんじゃうびとぢげ 殿上人、地下、六位、何くれまで持てわたる、いみじうたふとし。大行道、回三 0 仏事の終りに回向文を唱える こと。 うち カう 向、しばし待ちて、舞などする、日ぐらし見るに、目もたゆく苦しう、内の御三一法会後行われる法楽の舞楽。 。力、つ ニ七 ひと まひ はす えびぞめ

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

かやや 一徳島県。近世の随筆類にも阿 へて、乳母子のゆかりありて、阿波の国に行きて、あやしき萱屋に住みける。 0 波に墓がある記事が見える。 つづりといふ物をばうしにして、あをなといふ物乾しに、外に出でて帰るとて、 = 布帛をつぎ合せたものか。 三帽子か 子 なほしすがた 「昔の直衣姿こそ思ひ出でらるれ」と言ひけむこそ、なほ古き心の残れりける四青菜。 草 五宮中の貴公子の姿を思い出し て。 枕にやと、あはれにおばゆれ。されば、人の終りの、思ふやうなる事、若くてい 六若い時にすぐれていたからと いって必ずしも老年に思いのまま みじきにもよらざりけるとこそおばゆれ。 な生活をしているとは限らないも のだ、の意。『無名草子』清少納言 評に「・ : はかばかしきょすがなど めのと もなかりけるにや、乳母の子なり けるものに具して、はるかなる田 舎にまかりて住みけるに、青菜と いふ物乾しに、とに出づとて、昔 なほし の直衣姿こそ忘られねとひとりご ちけるを見はべりければ、あやし の衣着て、つづりといふ物ばうし にしてはべりけるこそいとあはれ 、なれ。士ことに、、かに亦 5 しかり・ けむ」とある。両者の類似から何 らかの関連が想定される。 めのとご ふはく

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 354 みやづか それをつらいことに思って、また別の方面に宮仕えして身 を立てようと思い立っこともなくて過したのに、しかるべ く親しく頼りにすることのできる人も、しだいに世を去っ 奥書 てしまって、子なども全く持っていなかったために、どう しようもなくて、年老いてしまったので、かたちを尼姿に 枕草子は、だれもが持っているけれども、ほんとうによ めのとご あわ い本は世に存在しにくい物である。これもそれほどよいと変えて、乳母子の縁故があって、阿波の国に行って、粗末 かやぶき な萱葺の家に住んだのだった。つづりという物を帽子にし いうのではないけれど、能因の本と聞くので、そう悪くは あるまいと思って、書き写してあるのですよ。草子の様子て、青菜という物を乾しに、外に出て帰るという時に、 のうしすがた 「昔の直衣姿こそ思い出されることだ」と言ったというの も、筆跡も劣っているけれど、これはあまり人などに貸さ こそ、やはり昔の気持が残っていたのだったかと、しみじ ないでおいていただきたい。一般に枕草子の伝本がたくさ みと心にしみる感じがする。だから、人の命の終りの、思 んある中で、まあ見られるものではあるけれども、やはり うようであることは、若い時に立派であることにも拠るも この本もたいへんすぐれているとも感じられません。先の いつばん のではないのだった、とこそ感じられる。 一条院の一品の宮の本、ということで見たのこそ、すばら もと しかった、と元の本に見えている。 どはず これを書いている清少納言は、度外れて優美な人であっ て、普通の人が、まじめに頼りにしてしまうべきことなど ゅうえん は語ってはいないで、優艶に情趣のあることをだけ思って 過ぎてしまったのだった。宮の御もとにも、御世が衰えて しまったのちには、いつも伺候していたわけではない。そ うしているうちに宮がお亡くなりになってしまったので、

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

はぎ すこし日たけぬれば、萩などの、いと重げなりつるに、露の落つるに、枝の三竹や木など間を透かして編ん かき だ目隠しの垣。 らもん 一三「羅文」の字音という。羅文は うち動きて、人も手触れぬに、ふとかみざまへあがりたる、いとをかし。 透垣の上部につけた飾り。細い竹 こ、 ) ち いみじうをかしと言ひたる事、人の心地には、つゆをかしからじと思ふこそ、や木を菱形に交差して組んだもの。 一四くもが巣を張るのを「かく」と またをかしけれ。 一五三巻本「白き玉を」の方が解し やすい 一六上の方へはねあがるのは。 一三四七日の若菜を 宅私 ( 作者、清少納言 ) が、この ようにここで「をかし」と言ってい わかな むいか 七日の若菜を、人の六日もてさわぎ取り散らしなどするに、見も知らぬ草を、ること。 一 ^ 正月七日、七種の若菜を食し て災いを払う風習。 子どもの持て来たるを、「何とかこれを言ふ」と。とみにも言はず、「いさ」な 一九仮に、下に「問ふ」などの省略 みみなぐさ があるとみたが不審。脱文か。 ど、これかれ見合はせて、「耳無草となむ言ふ」と言ふ者のあれば、「むべなり ニ 0 さあ。疑念を持っている時に けり。聞かぬ顔なるは」など笑ふに、またをかしげなる菊の生ひ出でたるを持発する語。 ニ一耳菜草。なでしこ科の野草。 一三「耳が無い草ー即ち「聞かない 緞て来たれば、 草」ととりなして、子どもが「とみ にも」答えず知らぬ顔をしている つめどなほ耳無草こそっれなけれあまたしあれば菊もまじれり ことに一一 = ロいかけた。 第 ニ三「摘むーとつねる意の「抓む」、 と言はまほしけれど、聞き入るべくもあらず。 また「菊」と「聞く」をかける。 ニ四子どもなので理解できない。 お ニ 0

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ことばについて、仮に会話文に限って考えてみても、現代 語のように主として語尾の、たとえば「だよ」 ( 男性 ) 「よ」 ( 女性 ) 、といった男女差はかならずしも明瞭ではなく、む しろ「語彙」の「かたより」としてしか把握しにくいため に実態はさほど明らかではない。清少納言は、この点につ いて言えば、 ・をと - こをんな ことことなるもの法師のことば。男女のことば。下 す 衆のことまこ、、 し。力ならす文字あましたる。 ( 本書など能 因本 4 段。三巻本「おなじことなれどきき耳ことなるもの」 ) 永井和子 と記し、男性女性の言語表現の差に対する数少ない言及者 中宮定子のことばは会話文として『枕草子』の中にしばである。これとても具体的に語彙・語法なのか、聴覚的な 5 しば記されている。中宮の、女房に対する発言部分は、い ことか、よくわからないのではあるけれど、少なくとも差 ったい現在のことばにどのように訳したら一番よいのであがあることを認めていたと考えることはさしつかえなかろ ろうか。言い換えれば、中宮という高い位にある年若い女う。 性として、仕えるものに対する、如何なることばが現代語 中宮は公的に言えば絶対的に身分の高い方である。それ に存在し得るだろうか、という素朴な疑問を私は抱いてい は単に外的な位として他から与えられた后としての高貴さ る。 や権威ばかりではなく、定子という人間自体が自立して持 りん 平安時代のいわゆる女性語についてはさまざまの論があっ凜とした品位でもあった。それと共に、一人の年若い女 るところである。女流文学の言語表現自体がある限定され性としては、誠に頭の回転の早い知的な面と、細やかなや た社会の女性のことばであるし、個々の作品はまたそれなさしさと、茶目っ気とを併せ持つ、生き生きとした方であ りのことばの世界を持つ。作品内部に記された男性女性のったらしい 走井餅老舗 ( 一の鳥居前 -0 ー九八一ー 0 一五四 ) 大津の走井餅か ら分家した店。走井餅、抹茶、アイスクリームなど。 鳩茶屋 ( 三の鳥居近く ) 文久年間創業。そば、うどんなどの 軽食がある。 中宮様のことば

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

いまいづくにか」といふ事を、うち出だしたまへりしかば、いみじうめでたし。一これほどびったりした句を。 -4 ニ中宮様の御座所。 いかでかは思ひ出でたまひけむ。おはします所に分けまゐるほどに、立ち出で三中宮様は立ってお出ましにな 子 四宴の半ばで中座して。 草させたまひて、「めでたしな。いみじう今日の事に言ひたることにこそあれ」 五頭中将 ( 斉信 ) びいきのお前 枕 ( 清少納言 ) にとっては。 とのたまはすれば、「それ啓しにとて、物も見さしてまゐりはべりつるなり。 六頭中将は私を。 なほいみじくめでたくこそ思ひはべれ」と聞えさすれば、「ましてさおばゆらセ「まほは「かたほ」の対。まと もに。夫婦として、の意。 ^ 古いなじみ、ひいき。 むーと仰せらるる。 九あなた ( 作者 ) とのお付合の思 わざと呼びも出で、おのづから会ふ所にては、「などかまろをまほに近くは 一 0 親しいお付合をするのは、む ずかしくはありませんが、仮にそ 語らひたまはぬ。さすがににくしなど思ひたるさまにはあらずと知りたるを、 うなったあとでは。 とくい = まるで役目のようにおほめ申 いとあやしくなむ。さばかり年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。 九 しあげるのに。 なに′」と てんじゃう あ 殿上などに、明け暮れなきをりもあらば、何事をか思ひ出でにせむ」とのたま三私に御好意だけお持ちくださ いませね。 のち かしやく へば、「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらむ後には、えほめ一三 ( 夫婦となったら ) 良心の苛責 にたえかねて、ほめ言葉も口にし おまへ にノ、 , っ′ギ、い士ー ) よ , っ・ものを一。 たてまつらざらむが、くちをしきなり。うへの御前などにて、やくとあつまり 一四そういう人こそ夫を他人の目 てほめきこゆるこ、 しいかでか。ただおばせかし。かたはらいたく、心の鬼出で以上にほめる連中が多いのだ。 一五それが私の気にさわらないの ならそれでもよいでしようが : 来て、言ひにくくはべりなむものを」と言へば、笑ひて「など。さる人しも、 きこ

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

一得選たち。作者の言。一説、 に、めづらかなりや」など、おどろきて寄せさすれば、「さはまづその御心ざ 古参女房である右衛門 しありつらむ人を乗せたまひて、次にも」と言ふ声聞きつけて、「けしからずニはなはだよくないことに、意 地が悪くていらっしやるのでした 子 腹ぎたなくおはしけりなど言へば、乗りぬ。その次には、まことに御厨子がね。こちらが困りますという気持。 うねめ 草 三御厨子所の采女、得選のこと。 「が」は「の」より低めた気持がある。 枕車にあれば、火もいと暗きを笑ひて、二条の宮にまゐり着きたり。 たいまっ 四行列の端で松明が少なく暗い み - ) し のを珍しがりおもしろがって笑う。 御輿はとく入らせたまひて、みなしつらひゐさせたまひけり。「ここにまづ」 五すっかり設備を整えて。 うこん 六私に「ここに何より先に来る と仰せられければ、さい京のせうに、右近などいふ若き人々、まゐる人ごとに ように」と仰せになったので。 さぶら セ不審。三巻本「右京小左近な 見れど、なかりけり。おるるにしたがひて、四人づつまゐりて、御前に候ふに、 どいふ」。 〈参上してくる人ごとに見るけ 「あやしきま、 。いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、ある限りおり果ててそ、 れど、私はいないのだった。 九牛車は四人すっ乗る。 からうじて見つけられて、「かばかり仰せらるるには、などかくおそくとて、 一 0 清少納言がいないのは妙だ。 これは、ど , つい , っこと一か ひきゐてまゐるに、見れば、いつのまに、かうは年ごろの住まひのやうにおは = こんなに何かと探すまで姿を 見せなかったのか。 しましつきたるにかとをかし。 一ニひどくむちゃなことでござい ます。 「いかなれば、かう何かとたづぬるまでは見えざりつるぞ」と仰せらるるに、 一三最後の車。 ともかくも申さねば、もろともに乗りたる人、「いとわりなし。さい果ての車一四係の役人。宮司。 一五事情がわからない者は遠慮も しようが、右衛門などははっきり 。いかでかとくはまゐりはべらむ。これもほとほとえ一米るまじく に侍らむ人よ、