源次 - みる会図書館


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1. リング

220 に置き、ふたりは岸へと戻ったが、その間中源次と志津子はロをきかなかった。なぜか、 全ての質問を閉ざす雰囲気があったからだ。真っ暗な海の中でなぜ石像の場所がわかった のか、源次には不思議だった。舟を降り、それから三日後に源次が志津子に聞いたところ によると、行者様の石像が海の底で呼んでいたと言う。鬼神を従えた石像の緑色の目が、 、志津子はそう言ったのだ。 暗い海の底でキラリと光った : ・ それから後、志津子は体の不調を訴えるようになった。これまで頭が痛んだこともなか ったのに、きりつとした痛みを伴って見たこともない情景が素早く脳裏に展開することが 多くなった。そして、そうやってかいま見た風景は、近い将来必ず現実のものとなる。源 次が詳しく聞いたところによると、未来の風景がさっと脳裏に差し挟まれる時にはきまっ かんきっ て柑橘系の香りが鼻を刺激するという。小田原に嫁に行った源次の姉の死ぬシーンを、そ の直前に予知したのも志津子だった。といっても、未来に起こる出来事を意識的に予知で きるわけではないらしい。何の前触れもなく、ある情景がキラッとした輝きをもって脳裏 にひらめくだけで、そのシーンでなくてはならない必然性が見当らない。だから、人から 頼まれて、その人の未来を言い当てることを志津子はしなかった。 翌年、志津子は源次が引き止めるのもきかず上京し、伊熊平八郎と知り合って彼の子を 孕む。そして、その年の暮れ、山村志津子は故郷に戻って女の子を産むことになる。その 子が貞子であった。 はら

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219 そして、ここに泳ぐ魚の群れ。しかし、今は夜、月がいくら明るいとはいえ、海に潜 れば光はまったく届かない。源次には、志津子がどうやって石像を見つけるつもりなのか わからなかった。櫓を動かしながら、源次はそのことを聞いたが、志津子は答えす、浜辺 たきび で燃える焚火を見ながら自分のいる位置を確認しただけだった。沖から眺め、岸で燃える 二つの炎の距離を目測して、今の位置をおおまかに知ったのかもしれない。志津子は、数 と叫び声を上げた。 百メートルばかり漕ぎ出したところで、「止めてちょうだい ! のぞ そして、艫に寄って海水に顔を近づけ、暗い海の中を覗くと、「後ろを向いて下と源 次に命令した。源次は、これから志津子が何をしようとしているのかわかり、胸が高鳴っ た。志津子は立ち上がるとカスリの着物を脱いでいった。肌をすべる衣の音に、想像力は よりかきたてられ、源次は息苦しさを覚える。海に飛び込む音が背後で起こり、波しぶき が肩先にかかると、そっと振り向いてみる。志津子は手ぬぐいで長い黒髪を束ね、細い綱 の先を口にくわえて海から顔を出して立ち泳ぎをしている。そうして、胸から上を水の上 に出して大きくふたっ息を吸い、海の底へと潜っていった。 グ何回海面から顔を出して息つぎをしただろう : : : 、最後に顔を上げたとき彼女のロには 綱の先がなかった。行者様にしつかりゆわえてきたから、さあ、引き上げてと、志津子は 震える声で言う。 へさき 舟の舳先に体を移し、源次は綱を引いた。志津子はいつのまにか舟に上がり、着物をは おって源次の横に並び、彼が石像を引き上げるのを手伝った。引き上げた石像を舟の中央 とも

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217 でいたらしい。それは、昭和二十一年の、夏も終わろうとするある夜のことで、志津子二 十一歳、源次は二十四歳であった。 残暑は厳しく、夜になってもいっこうに涼しくはならなかったと、源次は四十四年前の 出来事をまるで昨夕のことのように言う。 そんな暑い夜、源次は縁側に座ってうちわでパタバタとあおぎながら、波の静かな月明 かりの中、凪いだ海が夜空を映すのを見ていたが、静けさを打ち破るように志津子が家の 前の坂道を駆け上ってきて目の前に立ち、「源ちゃ、釣りに行くから、舟を出して ! ーと わけも言わずに袖を引っ張った。理由を聞いても、「こんな月夜はまたとない」と言うだ けで、源次は・ほーっとして大島一きれいなアンコをうっとり眺めるばかり。「・ハカ面しな いで、さ、早く : : : 」と、志津子は源次の襟首を引っ張ると無理やり立たせた。いつも志 津子の言いなりになって引っ張り回されていた源次は、「釣るって、一体なにを ? と聞 き返したが、志津子は沖を見つめながら「行者様の石像さーとそっけなく言う。 「行者様の・・ グその日の昼頃、占領軍の兵士が行者様の石像を海に放りこんでしまったと、志津子は眉 をきっとつり上げて、毎しそうに言った。 くっ 東の海岸の中程にある行者浜には行者窟と呼ばれる小さな洞穴があり、そこには紀元六 えんのおづぬ 九九年ここに流された役小角という行者を模した石像が安置されていた。小角は生まれな じゅじゅっ がらにして博識で、修行の果てに呪術仙術を体得し、鬼神をも自在にあやつることができ そで まゆ

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216 うれ 早津の言った通り、源次は嬉しそうに話した。山村志津子のことを喋るのが楽しくてし かたがないのだ。源次は志津子よりも三つ年上で現在六十八歳。志津子は幼馴染みでもあ り初恋の人でもあった。人に話すことによって、記憶はよりはっきりするのだろうか、そ れとも聞き手がいるという状態が刺激となって、思い出は容易に引き出されてしまうのだ ろうか。源次にとって、志津子のことを語るのは、自分の青春時代を語ると同じことであ っこ 0 とりとめもなく、時々目に涙を浮かべながら話す志津子とのエピソードから、浅川と竜 司は彼女の一面を知ることができた。しかし、あまり信用すべきでないことは承知してい る。思い出は常に美化されるし、なにしろ、もう四十年以上も昔の話だ。他の女とごっち やになっている可能性もなくはない。い や、そんなことは有り得ないか、初恋の女性とは 男にとって特別なもの、他の女と間違えることはないかもしれない。 源次は語り口がうまいとはいえず、まわりくどい表現が多かったので、浅川はさすがに うんざりしてきた。ところが、「シズちゃんが、変わっちまったのは、あのせいなんだよ なあ、行者様の石像を、海ん中から拾い上げたのがよお : 、満月の夜だったよなあ」と がぜん そんなことを言い始めたことにより、浅川と竜司の興味は俄然引きつけられた。 , 彼の話に よると、山村貞子の母である志津子に不思議な力が宿るようになったことと、満月の海と は深く係わっていた。そして、そのことが起こった晩、源次はすぐ彼女の傍らで舟を漕い しゃべ

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源次の話はいっ終わるともしれなかった。ロぶりからして、その十年後に山村志津子が 三原山の火口に飛び込んだのは、恋人の伊熊平八郎のせいと決めつけているふしがあった。 こいがたき 恋仇への当然の思いだろうが、恨みが混ざるとやはり話は聞き辛くなる。たたひとっ収穫 だったのは、山村貞子の母である志津子にも予知能力があり、その力を与えたのは役小角 の石像かもしれないということであった。 ちょうどその時、ファクシミリは動き出した。プリントアウトされたのは拡大された山 ひしよう 村貞子の顔写真で、吉野が劇団飛翔で手に入れたものであった。 浅川は妙に感動的な気分になっていた。今初めて、山村貞子なる女性の容姿に触れたか らだ。ほんの一時ではあっても、自分はこの女と感覚を共にし、同じ視点から風景を眺め たのだ。暗いべッドの中、相手の顔も見ずに体を求め合い、同時にオーガズムを迎えた愛 よ、つぼう おそましく思えないの しい女の顔に薄日が差し、ようやくその容貌が明らかになる・ : が不思議なくらいだ。それもそのはず、ファクシミリで送られた写真は多少輪郭が・ほやけ ていたが、山村貞子の美しく整った顔立ちとその魅力を余すところなく伝えている。 グ「いい女じゃねえか」 ン 竜司が言った。浅川はふと高野舞を思い出した。純粋に顔だけを比較すれば、山村貞子 のほうが高野舞よりも数段美しいといえる。しかし、高野舞には匂う程の女の色香があっ 1 た。しかるに、山村貞子を表現するに「不気味とは。写真からではその「不気味さは 伝わらない。山村貞子の持っ常人にはない力が、回りの人々に影響を与えたに違いない。 づら

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222 二枚目のファックスには、山村貞子の母、志津子に関する情報がまとめられていた。そ れはちょうど、今さっき聞いたばかりの源次の話の続きにあたる。 一九四七年、故郷の差木地を後に上京した山村志津子は、突然の頭痛に倒れて病院に運 び込まれ、そこの医者の紹介で大学精神科助教授の伊熊平八郎と知り合う。伊熊平八郎 は催眠現象の科学的解明に取り組んでいたが、志津子に驚くべき透視能力があることを発 見して大きな興味を抱く。それは彼の研究テーマそのものを変えてしまうほどの出来事で あった。以後、伊熊平八郎は志津子を被験者として、超能力に関する研究に没頭する。し かし、ふたりは単に研究者と被験者という関係を越え、妻子持ちにもかかわらず伊熊は志 津子に恋心を抱くようになゑその年の終わり、伊熊の子を身ごもった志津子は、世間の 目を逃れるように故郷の伊豆大島差木地に戻り、そこで山村貞子を産む。志津子は娘を差 木地に残してすぐに上京するが、三年後、貞子を連れ戻すために再び差木地を訪れゑそ れ以後三原山の火口に身を投げて自殺するまで、志津子は娘をそばに置いて片時も離さな かったらしい さて、一九五〇年代に入ると、伊熊平八郎と山村志津子のコンビは大きく週刊誌や新聞 にぎ の紙上を賑わすことになる。超能力の科学的根拠がにわかにクローズアップされたからだ。 げんわく 世間は、 e 大学助教授という伊熊平八郎の地位に眩惑されたのか、最初はこぞって志津子 の超能力を信じる側に回った。マスコミもどちらかといえば、まあ好意的な書き方をして

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218 たという。ところが、小角の示した予知能力は文武の世を治める権力者たちを恐れさせ、 彼は社会を惑わす罪人としてここ伊豆大島に流されてしまった。今から千三百年近くも前 どうくっ の話である。小角は海際の洞窟にこもってますます修行を積み、島人たちに農業や漁業を 教えその人徳を敬われたが、その後許され、本土に戻り修験道を開くことになる。彼が大 島に居た期間は三年ほどとされているが、その間に鉄の下駄をはいて富士山にまで飛んだ という伝説も残っている。島人の彼を慕う気持ちは強く、行者窟は島内一の霊場となり、 行者祭と呼ばれる祭りは毎年六月十五日に行われていた。 ところが太平洋戦争の終戦直後、神仏に対する政策の一環として、占領軍は、行者窟に 祭られた役小角の石像を海中に投棄してしまう。この瞬間を志津子は見逃さなかったらし い。小角への信仰の厚い志津子はミミズ鼻の岩陰に隠れ、米海軍の巡視艇から投げ込まれ たた た石像の位置をしつかりと頭の中に叩き込んだのだった。 釣り上げるのが行者様の石像と聞いて、源次は耳を疑った。漁師としての腕は確かだっ たが、石像を釣り上げた経験はこれまでに一度もない。しかし、密かに思いを寄せる志津 子の頼みをむげに断れるはずもなく、ここはぜがひでも彼女に恩を売ろうとばかり、夜の 海に舟を出した。なによりも、こんなきれいな月夜にふたりだけで海に出られるのはとて も素晴らしいことと思われた。 行者浜とミミズ鼻のふたところに火をたいて目印とし、沖へ沖へとこぎ出した。ふたり ともこのあたりの海は熟知していた。海底がどうなっていて、深さがどのくらいなのか :

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162 6 ) サイコロ 鵬秒〔 0 〕抽象 7 ) 老婆 Ⅲ秒〔 0 〕抽象 8 ) 赤ん坊 秒〔芻〕現実 9 ) 無数の顔 Ⅲ秒〔 0 〕抽象 川 ) 古いテレビ Ⅲ秒〔西現実 Ⅱ ) 男の顔 秒石〕現実 ) ラスト 秒〔 0 〕抽象 見ただけで、ある程度のことはわかる。ビデオの映像をシーンごとに分けたものだ。 「昨夜、ふと思いついてこんなものを作ってみたんだが : わかるな、どういうことな のか。映像は全部で十二のシーンから成り立っていゑそれぞれ、番号と題名をつけてみ た。題名の後の数字はそのシーンが映る秒数。その次のカッコの中の数字よ、 画面が真っ黒に覆われる瞬間の回数」 けげん 浅川は怪訝な顔をしている。 「昨日おまえが帰ってから、赤ん坊のシーン以外のやつも調べてみたんだ。真っ黒になる 瞬間があるかどうか。そうしたら、ほら、この通り : 川 ) Ⅱ ) に現れて いる、ちゃんと 「その次の、抽象とか現実というのは ? 」

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226 である。彼は心の中で、弁解、いや、懇願していた。僕もあなたと同じようにマスコミの 体質には批判的なんだと。 「なにぶつぶつ言ってんだ ? いつの間にか声に出して念仏のように唱えていたことに、浅川は気付かなかった。 「なあ、これであのビデオの映像がある程度解明できただろ。三原山は、母の身投げの場 所であり、貞子が噴火を予知した火山だから、そこにはかなり強い念が働いたはずだ。次 のシーン、ぼんやりと浮かび上がった『山』の文字、あれは、おそらく山村貞子が幼い頃、 初めて成功させた念写じゃねえかな」 「幼い頃 ? 」 なぜ幼い頃の念写でなければならないのか、浅川には納得がいかない 「ああ、四歳か五歳の頃のだ。そして、次のサイコロのシーン。貞子は母の公開実験の場 にいて、サイコロの目を言い当てる母を心配そうに見守っていたってことさ」 「え、ちょっと待てよ、山村貞子には鉛のポールの中を転がるサイコロの目がはっきりと 見えていたぜー 浅川も竜司も、そのシーンを「自分の目ーで見たのだ。間違えるわけがない。 「それがどうした ? 「母の志津子は、透視できなかったんだろ」

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215 「よせよ。とにかく、ジタ・ハタしたってはじまらねえ」 いらだ 浅川の苛立ちに触れ、人のいい早津は台風による欠航に責任を感じ始めていた。という より、嵐の影響で苦しむ人間を間近に見て、すっかり同情してしまったというべきか。彼 は浅川の仕事がうまく進むことを祈ってやまない。もうすぐ、東京からファックスが届く ことになっていたが、待っという行為がよけい苛立ちに拍車をかけているように思え、そ の状況をどうにか変えようとした。 「調査のほう、はかどりましたか」 早津は浅川の気を落ち着けようと、穏やかに聞いた。 「ええ、まあ おさななじ 「すぐそこに山村志津子の幼馴染みが住んでますが、もし、よかったら、呼び出して話で も聞いてやったらどうです ? 源さん、この嵐で漁に出られず退屈してるはずだから、き っと喜びますよ 取材の対象を与えれば、ずいぶん気も紛れるんじゃないか、早津はそう考えたのだ。 グ「もう、七十近い爺さんで、満足な話が聞けるかどうかわかりませんが、ただ待つよりは ン よほどいいでしよう 「はあ・ : ・ : 」 早津は浅川の返事も待たず振り返り、「おおい、源さんとこに電話してすぐこっちに来 るように言ってくれや . と台所の妻に言いつけた。