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検索対象: 女帝の古代史

女帝の古代史から 10000件見つかりました。
1. 漢詩の作り方

八、参考文献 本冊子はあくまでも入り口です。以下の本を実際に手にとって作ってみて下さい。 ・太刀掛呂山『誰にもできる漢詩の作り方』 スタンダードな本。たぶん一番使い良い。要電話。 ・釈清潭・林古溪『作詩関門』明治書院 入手しやすい。ただしちょっと高い。 ・新田大作『作法叢書漢詩の作り方』明治書院 入手しやすい。比較的安価。詩語集は『作詩関門』とほほ同じ。 ・滝川昇『詩韻活法』 ネットで入手できる ( 早稲田大学古典籍データベース ) 。明治のものだが、当時の エネルギーが反映されているので読めるならおすすめ。 ・石川忠久『漢詩鑑賞事典』 ( 講談社学術文庫 ) 漢詩の歴史を大づかみすることができる。これと岩波文庫その他から出ている本を 読み比べながら好みを探っていくとよいと思います。 書店の漢詩のコーナーは、大きな書店に小さくある程度です。古書店をめぐることをお すすめします。 中上級になると『詩韻含英』や『韻府一隅』ひいては『佩文韻府气それに典故を集め た『円機活法』といった書物が必要になってきます。いっか覗いてみてください。 以上

2. 明解漢和辞典 新版 長澤規矩也編著

らないこと る 3 よく慣れている 0 ツマビらかにする字 【詩抄】 1 詩鈔。詩集の ^ 抜粋 ^ ぬきがき る 【詩体】ルイイ・詩體。詩の形式や体裁 【詳伝】ウ 1 詳傳。くわしい伝記 「の意【詩聖イ CD 大詩人〇唐の大詩人杜甫朴 え 【詩伯】 2 ク特にすぐれた大詩人、伯はリーダー一【詩想】′ (D 詩の中に表わされた思想感情〇【詳注】蠶イ・詳註。くわしくこまかい注解 加 【詳記】こまかく書きしるす 【詩余 1 詩餘。↓填詞。詞。唐の中ごろに起こ詩的作品をうみ出す思想 り、宋に盛んとなった楽歌、一説に詩からで【詩僧】′ 1 詩信。漢詩がうまい坊さん 【詳悉一ウ O 十分にわかる〇くわしくつくす案 きたといわれるので詩余という 【詩話漢詩の作品や作家に関する批評・逸【詳密】ウⅡ詳細。くわしくこまかい 正 【詩学】 1 詩學。詩について研究する学間 話や作詩の方法・態度などを述べた随筆書【詳略】 くわしいのとあらつ。ほいのと くわしい知らせ 【詩宗】ルウ (D 大詩人 0 すぐれた詩学の研究者【詩歌】 O 漢詩と和歌と〇文 【詳報】ウ くわしい解釈 【詩的】に O 詩のおもむきが十分にあって、人【詩境】詩趣に富んだ場所 【詳解】轤ウ 【詳察】ウよくみて考える に美しく気持よい感じを与える形容〇現実【詩語詩に特に多く使われることば を離れたさま ンウくわしい。ゆきとどく 「こすような感情一詩箋ン漢詩を書くために作られた用紙、多【詳審】ノ る △不ー、未ー、精ー 【詩的情緒】翳詩のおもむきを強くひき起一く花鳥山水などの絵がある 【詩客】Ⅱ詩家 (D 漢詩の作家〇詩歌の作家【詩稿】′ (D 詩の下書き〇詩集 誠 ( もと 7 画 ) は正字朝セイ O マコ 6 【誠】 【詩巻】ン 1 詩卷。詩集 (D 漢詩を集めた書物〇↓【詩趣】溏ュ (D 詩に歌って表わしたいような芸術 ; ト④真実なこと。誠実@真心。誠心。案 巻子本の体裁をした詩集 的なおもむき〇詩の中に歌われたおもむ誠意 6 ほんとう 0 マコトに。ほんとうに。実」正 【詩思】溏詩を作る動機や詩についてのいっさき。詩のおもしろみ 【誠切】まごころがこもって親切 いの感情。詩作の考え。作詩の態度 【詩賦】乃 (D 詩と↓辞賦と〇漢詩 【誠至】響至誠。まごころ 〔詩篇諺ンし詩編 O 詩@詩集 【詩草】ルウ CD 詩の下書き。詩稿〇詩集 一誠壱一 1 誠壹 C 純一なまごころ〇専心 【詩律】ルツ O 詩のリズム〇作詩の規則 【詩論ごン詩についての評論 【誠忠】ウ (D まごころ〇本心からの忠義 外 【詩翁】わウ作詩で有名な老人。老詩人 【詩興】蕣 O 詩をかりて発表したい心中の感【誠直】蓊クうそがないこと。誠実正直 字 【詩酒ュ詩を作ったり、酒にひたったり、世俗情。詩を作りたい気持〇詩のおもしろみ【誠信】Ⅱ誠悃まごころ を脱した、世捨て人 用 【詩壇】ルン (D 詩人のなかま。詩人の社会〇作詩」【誠恐】ウおそれ、かしこむ 当 【詩書】ョ↓詩経と↓書経と 【詩題】詩の題目 L の優劣を争う場所【誠烈】罅真実の心があり、みさおが塾い 【詩眼ン詩人の作詩に関する見識 【詩韶ン () 詩のリズム〇漢詩に使われる韻【誠情】蓊ウⅡ誠款。まごころ。まことの心 この上なくかしこまる 一誠惶誠恐ウ 【詩経】 1 詩經。書名、儒教の経典である↓五字 0 詩のおもしろみ 経の一、もと、古代シナの詩を集めた文芸作一詩嚢ウ詩歌の原稿を入れるふくろ 一誠愨勢まごころがあつい。まじめ 字 品集で、編者は未詳、後世に伝わるものは毛 △旧ー、古ー、作ー、英ー、律ー、唐ー、詠ー、漢△丹ー、至ー、赤ー、忠ー、純ー、懇ー 家のテキストであるから、毛詩ともよばれ ー、今体ー、五言ー、古体ー、近体ー、叙事ー、 6 【設】↓ 4 る。詩 「したいと思う気持叙情ー、散文ー、新体ー 6 『』朝センそなわる 0 真理。真詮朝当 【詩情】うたごころ。心にふれた思いを表わ一 『詢』朝ジン (D ( カる」計。相談する 0 = 日詳しくときあかす @アキらか」明は 【詩詞】溏 (D 詩のことば〇詩と↓填万詞と の 【詩集】 0 漢詩を集めた書物〇新体詩を集 6 詳】 3 シ ' ( こウ (J) クワ ( ( ) しい。ッ「一詮方一鬱しかた。やりよう「ーーない」 【詩債】粐詩を作る約束をして、まだ作ってや知、ー述、ー説、ー論」 @明らか。よく知ってい一詮衡一レ選考。人物を詳しく調べて選び出一親 六八一 7 【言】 6 シーセン

3. 漢詩の作り方

漢詩の作り方 一、基本ルル 二、平仄式一覧 三、旬の作り方 四、対旬の作り方 五、作詩のコッ 六、詩想について 七、訓読について 八、参考文献 ※この冊子は、漢詩を作ってみたい人向けの概説です。 ※本冊子は本書に挙げた参考文献ほか拙作『南望楼詩話』 ( 第一回文学フリマ京都にて頒布 ) に挙げた諸書等より得た知識をもとに作成したものです。 ※国語便覧程度の知識がある人を対象とします。 ( 具体的には、「返り点・一一一点」「五言・七言」「絶旬・律詩」と聞いてなんとなく分かる方 向けです ) 以上ご了承下さい。

4. 漢語林 改定版

以上、詩経から唐以前における五七言の詩を総称して「古体詩」 と呼んでいるが、五七言の古体詩は、唐以後においても盛んに作ら 漢詩について れた。 古体詩に対し、唐以後に盛行した絶句・律詩・排律 ( 長律ともい う ) を総称して「近体詩」 ( 今体詩ともいう ) という。近体詩は、 一、詩の分類 五言または七言の形式に限られ、絶句は四句、律詩は八句、排律は 詩は純粋感情の表現である。毛詩大序に、「詩は志の之く所なり。 十二句以上の偶数句で ( 七言排律は少ない ) 、古体詩に比して、押 リョウンンヤク 心に在るを志となし、言に発するを詩となす。」と述べているのは、韻や平仄がやかましい。これは、梁の沈約 ( 一ー五一三 ) が、四声や 詩の意義を最も簡明に説明したものであるが、中国で現存する最古平仄を説いて、詩の韻律をきびしくしようとした影響によるものと の詩集は「詩経」である。詩経は、周初から孔子以前に作られたもいわれる。 ので、一句四言の形式のものが最も多く、主として黄河流域の北方 古詩四言古詩・五言古詩・七言古詩・雑言古詩ー 民族によって歌われたものである。これに対して、楚すなわち長江 古体詩 句数は不定 流域の南方民族によって作られたものに「楚辞」がある。楚辞は、 楽府長短句不定のものが多い。 楚の地方の民謡から発展したといわれ、戦国末の楚の屈原およびそ 絶句五言絶句・七言絶句ー四句 の一派の人々によって作られたものであるが、詩経が音楽に合わせ 近体詩律詩五言律詩・七言律詩ー八句 「クンヨウ て歌う楽章であるに対し、やや散文的傾向を持っ読誦する韻文であ 排律五言排律・七言排律ー十一一句以上の偶数句。 り、後の「賦」へと発展するとともに、漢代の楽府にも大きな影響なお、中唐のころから始まり、宋代に至って盛行したものに「詞」 を与えたといわれる。 がある。詞は、音楽を伴う歌曲の辞で、一名填詞 ( 楽譜に合わせて 「楽府」とは、元来、漢の武帝の時代に設けられた音楽をつかさ文字をうずめる意 ) 、または詩余とも呼び、一字の句数が長短不定 コテキ どる役所の名で、当時朝廷において奏すべき楽曲を作らせるとともである。また、胡適の文学革命 ( 元一七 ) 以後は、ロ語の自由詩が作 に、当時地方に残っていた楽曲を持っ詩歌を集めて、その保存をはられるようになったが、伝統の古体や近体の詩は、今日なお作られ かったものである。ところが、後になると、楽府で作られた楽曲にている。 て い合わせて作ったものや楽曲を伴うものを広く楽府と称するようにな 二、詩の押韻と平仄 詩楽府の詩句は、長短句入り乱れたものであるが、その後、「古詩十詩には「押韻」とい 0 て、句末に同韻の字を用いて音調を整える 九首」をもって代表作品とされるような五言の詩が確立し、さらに法則がある。「漢字について」の三、漢字の音訓「四声」の項 ( 一一八六 七言の詩形も現れ ( 七言詩は、楚辞の影響を受けてできたといわれページ ) で述べたように、韻とは、漢字の音を、初めの子音「声母」 る ) 、六朝時代において、五言・七言の詩が大いに作られた。 と、あとの母音を含む部分「韻母」とに分けるとき、その韻母にあ 詩 ヒョケ・ソク

5. 枢密院議長の日記

武臣命を愛し又銭を愛す 倉富と切っても切れないのは漢文の素養てある。倉富の孫の英郎氏によれば、倉富は毎 日のように漢詩を作り、生鹿に作った漢詩は、一一千篇にあまるのてはないかという。 英郎氏はそう言いながら、東大法学部に在学中の昭和十八 ( 一九四一一 I) 年十二月、学徒 き′」、つ 動員により海軍に入隊したとき、祖父の倉富が揮毫した歓送の色紙を見せてくれた ( ロ絵 参照 ) 。そこには、倉富の肉筆て「孫英郎徴服兵役賦示」と題する漢詩が書かれていた。 その冒頭部分を紹介しよう。 まさ 〈汝方修学在大黌汝方に学を修め大黌に在り しし 孜々研精業将成孜々として研精し業将に成らんとす こう 国家会有米英寇国家米英の寇有るに会し なげうようやく 抛巻踊躍応官徴巻を抛ち踊躍して官徴に応ず〉 文字は、日記とは打ってかわったみごとな筆運びてある。このとき、倉富が九十一歳だ ったことを田 5 えば、それ自体が驚きだった。 英郎氏は倉富が生涯に作った漢詩は二千にあまるのてはないかと言ったが、その後の調 べて、倉富が生涯に作った漢詩は七千七百六十一篇にものばることがわかった。

6. 三省堂漢和辞典 第3版

七画 親字の【】は常用漢字、【在常用漢字外、親字の下の漢字は教科書体 五六八 7 【言】 6 シー 1 ゴ 相談「ーにのる」 6 教え。善言。話言 0 ハナ 【詩想】ルウ O 詩の中に表された思想感情【詳刑】名ウ刑罰を行うことが慎重なこと畢竟ウ す④話をする@相談する 〇詩的作品をうみ出す思想 ( 詮方鬱しかた。やりよう「ーーない」 【詳伝】ウづ詳傳。詳しい伝記 【詳注】づ詳註。詳しくこまかい注解『詮索】詳しく調べさがす 【詩僧ルウ漢詩がうまい坊さん ② ( 詮衡】レ選考〇人物を詳しく調べて選 【詩盟】を詩人のなかま。詩人の交わり【詳記】召こまかく書きしるす 【話次屶はなしのついで 【詩話】ル漢詩の作品や作家に関する批評・ ( 詳悉】名ウ O 十分にわかる〇詳しくつくすび出す。銓衡〇はかり 「のしぶり 逸話や作詩の方法・態度などを述べた随【詳密】ウⅡ詳細詳しくこまかい 一詮議ン O 相談して事をきめる〇罪を詳【話柄】 2 イはなしのたね しくさがし出し調べる「ーーの上」 【詩歌】カ O 漢詩と和歌と〇韻文 L 筆書【詳略】詳しいのとあらつほいのと ( 話振〕しレ話し振り。話すようす。はなし 6 〔詛丁 5 【詳報】ウ詳しい知らせ。詳細な報告 6 〔諍諍〔 8 〕の俗字【話術】話のしかた。話す技術 【詩境】詩趣に富んだ場所 タ (D ワびる。あやまる 0 ホコるレ【話語はなしことば「話のたね 0 語句 【詳解】名ウ詳しい解釈 【詩語】ル詩に特に多く使われることば 【詩箋鬱ン漢詩を書くために作られた用紙、【詳察】ウ O よくみて考える〇詳しい観察一ⅱ誇。じまんする@驚きあやしむ【話頭】〇はなしのいとぐち 0 話の内容。 多く花鳥山水などの絵がある 【詳審】髣ウ詳しい。ゆきとどく @チ = ウチュ CD うつ。討伐する【話題】はなしの題目。話のたね 一 0 うち殺す。殺す。誅殺@刑罰@ △会話、対話、佳話、夜話、茶話、神話、 △不詳、未詳、精詳 【詩稿ウ〇詩の下書き 0 詩集 誠 ( もと 7 画 ) は正字セイ刑罰に処する。誅罰⑤トガめる。セめるレ責独話、秘話、情話、清話、閑話、童話、 【詩趣ュ〇詩に歌って表したいような、芸 6 【誠】誠 電話、談話、懇話 O マコト④真実なこと。誠実因きり除く。刈りとる 術的なおもむき「ーーに富む」 0 詩の中に歌二一 われたおもむき。詩のおもしろみ @真心。誠心。誠意 6 ほんとう 0 マコトに。一誅夷】うち平らげる。うって全部を殺す 1 『詒丁 5 7 【詠当詠】↓ 5 ほんとうに。実に 一誅伐】ウ O 攻めうつ〇討ち殺す レ戒カイ 0 イマシめレ戒。戒めの 【詩賦】ル O 詩と辞賦と〇漢詩 『誅求きびしく責めて税金や貸し金を 7 一一 「論 ことば 0 イマシめるレ戒④人に訓 一詩篇澎ンレ詩編 O 詩 0 詩集 ⑥ 取りたてる「苛斂励ンーー」 戒を与える。こらす「ー告」 @みずからつつし 【詩論ン〇詩についての評論 0 作詩の理 『誅減罪あるものを攻め減ほす む命令する。申しわたす「ー勅」 【詩興】蕣 O 詩をかりて発表したい心中の【誠切】まごころがこもって親切 ( 誅鋤】ウ〇雑草をすき除く〇悪人を全 カ ( クワ ) イ (D オ 9 ) シえ ( へ ) る。こと 感情。詩を作りたい気持ち〇詩のおもしろ【誠至】至誠。まごころ み L 部殺す一口ばで教える。誨言 0 サトす。教えさ 「作詩の優劣を争う場所【誠壱】蒡づ誠壹〇純一なまごころ 0 専心【誅戮】ウ罪にあてて殺す 朝チョ ( テ ) ウ (D 〔日〕アッラエ ( へ ) とす。教誨。誨論みちびく@オ 9 ) シえ ( へ ) 【詩壇】ルン〇詩人のなかま。詩人の社会 0 【誠忠】ウ O まごころ〇本心からの忠義 ョる。注文して作らせる 0 〔日〕アッラ④教えのことば@教えさとすこと 【詩題】を詩の題目「韻字〇詩のおもしろみ【誠直】クうそがないこと。誠実正直 【詩韻衫ン〇詩のリズム〇漢詩に使われる【誠信】碆Ⅱ誠悃をまごころ 工 ( へ ) 。注文品イドむ。さそう。勧誘する一誨一小秀イ教え示す 【誠恐】ウおそれ、かしこむ 6 『設丁 5 6 【誉】↓癶 ) 元 7 【該当該丁 6 7 【詰】↓ 6 一詩嚢秀ウ詩歌の原稿を入れるふくろ キョ ( ャ ) ウ O タブラかす。うそを △旧詩、古詩、作詩、英詩、律詩、唐詩、【誠烈】真実の心があり、みさおが堅い 6 ( 詈丁四 7 ( ) 7 一延 ルイ ( ヰ ) (D 死者の徳行功績を 言って人をだます 0 まどわす 詠詩、漢詩、今体詩、五言詩、古体詩、【誠情】癶引Ⅱ誠款まごころ。まことの心 ( 誠惶誠恐材芻ウこの上なくかしこまる 近体詩、叙事詩、新体詩 ; ほめた文を作る 0 漢文の一体、死『誑惑舜ウたぶらかし、まどわす 朝ジ = ン (D ハカるレ計。相談する【誠慇】勢まごころがあつい。まじめ 者の徳行功績をほめたもの、多く韻をふむ『誑誘 % あざむきさそう 一一口 0 トう ( ふ ) レ問。相談してたずねる△丹誠、至誠、赤誠、忠誠、純誠、懇誠「ー詞」 〔誑誕 ) ウでたらめ、大ぶろしき ショ ( ャ ) ウ (D クワ ( ハ ) しい。ツマビ 6 【設】↓ 4 @ワカ ( クワ ) ・カ ( クワ ) イ (D 7 一丁 5 6 【詳】 6 【話】居 詮は俗字③セン 0 そなわる 0 真一ⅱ亡ロハナシ④談話。話談@ものが 一一一らか④こまかい。詳細「ー言、ー知、 ロ吾③・ギョ (D カタる④話す。述 6 謚一 = 理。真詮詳しくときあかす @アたり。実際のことでない、または、作りかえたも一一一口きロべる。告げる @ふしをつけて朗 ー述、ー説、ー論」 @明らか。よく知ってい キらかレ明〔日〕かい。効果因〔日〕つまり。の 6 〔日〕うわさ〇〔日〕わけ。事情①〔日〕読する他人の問いに答えていう〇ひそひ る 6 よく慣れている 0 ツマビらかに

7. 国民百科事典5

トウョウカ 当用漢字 ( 補 ) 国語審 議会は 1966 年現在第 8 期を迎えたが , 国語表 記は表音よりも表意を 尊重する立場が文部大 臣から明らかにされ , 当用漢字については , 1 ) 「当用漢字表」 ( 別 表も含む ) の扱い方 , 漢 字の選定方針およびそ の取捨選択について , 2 ) 音訓の整理に関する 方針および音訓の取捨 選択について , 3 ) 字体 の標準について , それ ぞれ検討すべき問題点 があることが指摘され ている。 室町時代から童唄がふえて , 江戸時 代に現在伝承の形に定着したものが 多い。その学問的な採集は高野辰之 らによってく俚謡集 > ( 1914 ) , く俚 謡集拾遺 > ( 1915 ) にはしめられ , 後 , 民俗学者たちによって地方童唄 集が多く編まれたが , 決定版がまだ ない。柳田国男によると , ロ遊び , 軒遊び , 外遊び , 辻わざなどに分類 されるが , 多くは遊戯に伴って , リ ズムゆたかにうたわれる歌であり , 語呂えおもしろく , 事がらの意外に 出るなど , いまも子どもの歌として たいせつにしたいものにみち , 日本 には日本の特色がある。 / 童唄 2 ) 唱歌 1879 年に文部省に音楽取調 掛がおかれ , 伊沢修二が任命されて く小学唱歌集 > ( 18 き 1 ~ 84 ) が編まれ た。おもに欧米民謡曲に歌詞をつけ たもので , スペイン民謡にくちょう ちょ > , スコットランド民謡に k 螢の 光 > と題して任意作詞させたことは 有名であるが , この唱歌集の普及に よって教育的な歌を唱歌とすること になった。やがて日本人作曲の唱歌 も現われ , 言文一致の平易な歌を主 張した田村虎蔵たちのく幼年唱歌 > ( 190 のに , く桃太郎 > くうさぎとかめ > など , 東くめ作詞滝廉太郎作曲によ るく幼稚園唱歌〉い 901 ) にく鳩第工っ 0 工〉くお正月 > などか・含まれた。これ らがのちに整理されてく尋常小学唱 歌〉 ( 1911 ~ 14 ) となり , 官制のもと に長く子どもの歌を支配した。上述 の例を除けば , 歌詞は無味平板でか はじめて洋 たく , 曲も幼稚だった。 風をなじませる功はあっても , のち には美しい歌に発展させぬ制約とな ったといえる。 / 唱歌 3 ) 童謡 1918 年 , 雑誌 / く赤い鳥 > が 創刊され , 子どもの文学を高めよう とした主宰者鈴木三重吉が詩人北原 白秋に , 子どものための詩の創作を 依頼したことから , 狭義の童謡が生 まれたと考えてよい。すでに明治時 代にも , 夏目漱石がく童謡〉 ( 1905 ) を発表したり , 薄田泣菫がクリスチ ナ・ロセッチに刺激されてく子守う た〉 ( 1906 ) を作ったりしたことがあ り , その先駆的な試みは十数作にの は、るが , 白秋は意識的に「ましりけ のない子どものいきいきした感覚」 に訴える詩を子どものために作りは じめ , ーっの運動にまで高めた。そ のころ , 同傾向の雑誌くこども雑誌〉 では三禾露風が , く金の船〉では野口 雨情と若山牧水が , く童話 > では島木 赤彦と西条八十が童謡を担当して作 品を発表し , こに童謡の黄金時代 をむかえた。ことに , 白秋の感覚的 な , 八十の物語詩風な , 雨情の民謡 風な個性の違いが , 上り坂の童謡界 を 3 分して並び立った感があった また , 当時の唱歌調にあきたりない 若い作曲家の新鮮な作曲を得て , 今 日 , 唱歌とちがう童謡という歌をの 4 3 8 こすにいたった たとえば , 浪漫風 で豊かな表現力をもっ山田耕筰 ( 白 秋のくからたちの花 > くこの道 > , 露 風のく赤とんば〉 ) , 親しみ深いメロ ディーと多方面な適応性を示した中 山晋平 ( 八十のくしやばん玉 > , 雨情 のく証城寺の狸ばやし > ) , 明るく てやさしい弘田竜太郎 ( 清水かつら のくくつがなる〉くすすめの学校 > く叱 られて〉 , 白秋のく雨 > ) , 叙情的な成 田為三 ( 八十のくかなりや > ) , やわら かい旋律の草川信 ( 白秋のくゆりか の歌〉 ) がそうである。それらは , レ コードの普及とともに大衆にひろま ったが , 一方 , 豆歌手の輩出により しだいに流行歌に近づき , 作詩者や 作曲者がレコード会社のために次々 に童謡を作るようになって , 当然質 をおとしていった。それカ { ついに 日本のあらゆる文化をくすす戦争の 時期にはいって消え , 第二次大戦後 には , ラジオとテレビの進出による 急激な変化のまえに , なっかしい古 い時代の遺物となろうとしている。 唱歌や童謡のわくがくすれるととも に , 現代の子どもの生活と感覚を生 かした新鮮な曲が待望され , 中田喜 直などの努力は注目されてきている。 詩としての童謡は , 白秋のはすんだ 感覚によって起こったが , その成果 も白秋ひとりに帰するところが大き い。与田準一編く日本童謡集 > ( 1957 ) をみると , 詩家 80 余名 , 詩編 300 余 を数えるが , 歌うところ多くは日本 短詩形の詠嘆と叙景で , 力強い詩は 山村暮島のく鰹つり〉 , ューモアあ るものに赤彦のく法螺の貝〉 , バラ ード風な展開をするストーリーを含 むものに新美南吉のく島 > , 吉田テフ 子のくお山の杉の子〉などがあるが , 幼い者に人生を思わせる思索的な詩 がきわめて少ない。幼い者の歌を編 んだ童謡詩編の中にも , 次期の幼学 年のやさしいおもしろい詩から , そ の次の深い少年詩をへて , やがてお となの詩にいたるべき年次順序の芽 ばえが予測されなければならないは すである。 〔諸外国の童謡〕詩の国といわれる 英国とドイツはまた童謡の国でもあ る。子どもの伝承歌謡である童唄は 今にいたるまでたいせつに集められ , あいかわらす愛唱して児童文学の第 一歩とする。英国では 18 世紀半ばに ュー・べリーカ { / くマザー ジョン グース > の名で童唄を編集してから , 童唄はマサーグースの別称で親しま れ , くだってジェームズ・ノ、リウェ ルの集大成 ( 1842 ) があって , 現在は オクスフォード版く童唄辞典 > をも つ。ドイツでは , アルニムとプレン ターノがく少年の魔笛〉 ( 1806 ~ 08 ) で童唄を集めて以来 , ジムロックの くドイツの子どもの本 > ( 1848 ) , フラ ンツ・べーメのくドイツの子どもの 歌と遊び > い 898 ) に集成された。芸 術的な子どもの詩は , 英国でプレイ クのく無心の歌〉 ( 1789 ) に始まり , ェドワード・リアのナンセンス詩 ( 18 46 ) やクリスチナ・ロセッチのくシン グソング〉 ( 1872 ) をへて , R. L. ス チープンソンのく子どもの詩の花園 > ( 1885 ) となり , 独特な童謡詩人デ・ ラ・メアのく孔雀のパイ > ( 1913 ) ミノレンべつファーージ を生んで , さらに ョンに進んだ。ドイツでは 18 世紀後 半にマチアス・クラウデイウスカ { の びのびした童謡を書き , 19 世紀前半 にオ気あふれるフリー ッケルトらがでたが , ついに詩人デ ーメル夫妻の美しい童謡を生みまた クリスチアン・モノレゲンシュテノレン のやさしい詩となった。現在にいた るまでに , 劇作家ウェデキントが妹 のために若いころ書いた童謡集やリ ンゲルナツツの味わいのある童謡カ { あり , またケストナーも童詩集を残 している。英国 , ドイツのいすれも , 付曲をはなれた読むための詩集がた くさんの選詩集として編まれている。 〔瀬田〕 とうようかんじ当用漢字国語 を表現するために日常使用される漢 字の範囲を制限する目的をもって 19 46 年政府が内閣訓令第 7 号 , 同告示 第 32 号で公布した「当用漢字表」に ある漢字 1850 字をいう。続いて「当 用漢字音訓表」 ( 1948 ) , 「当用漢字 字体表」 ( 1949 ) を公布 , 使用の基準 を示した。別に人名にかぎり使用を 認められる「人名用漢字別表」 ( 19 51 ) がある。なお当用漢字中 881 字は 義務教育で習得する漢字として「当 用漢字別表」 ( 1948 ) に含まれ , 教育 漢字とよばれている。 漢字は便利ではあるが , 字体や音 , 訓などにわたって複雑で , 国民教育 の普及に障害となるとの見地から前 島密の「漢字御廃止之儀」 ( 1866 ) 以 来廃止論や制限論が唱えられてきた。 その結果 , 第二次大戦前には文部省 に設置された国語審議会が標準漢字 表 2528 字を決定答申し ( 1942 ) , 文部 省はこれを修正して 2669 字とし , 義 務教育における漢字教育の標準とし て発表 , 公文書においても考慮すべ きことを申し合わせたが , 実際には ほとんど効果がなかった。戦後国語 審議会ではただちに漢字制限の立案 に着手 , さきの標準漢字表を主たる 資料として常用漢字表 1295 字をつく ったが , 修正を加えて 1850 字の当用 漢字表を決定答申した。これは日常 生活上さしあたって必要なものとし て法令 , 公文書 , 新聞雑誌その他一 般社会で使用する漢字の範囲を示し たもので , 教科書では厳密に守られ , 公用文 , 主要新聞などでは比較的に よく実行されている。その結果近来 , 日蝕→日食 , 技倆→技量 , 編輯→編 集などといったふうに当用漢字表に ない漢字を表中の同音字で置き替え

8. 夏目漱石全集 別巻

人の漢詩であることを知った。そしてその前に、私は 堀ロ大学氏の厳父九万一氏の「漱石の詩を論じ併せて 日本の漢詩に及ぶ」という一文を読んでいて、専門の 漢詩人ではないが漢詩をよくする人のあいだに、漱石 の詩をよろこ・ふ人のあるのを知っていた。ことに九万 一氏の場合は、氏が長城と号して漢詩堪能であったこ 一の近代詩に通じ、大学氏にフラ との外に、ヨーロツ。、 ンス高踏派の詩を手引して読ませ、それらの翻訳をす すめたのが氏であったというような、氏の詩限の斬新 さが、陳腐で個性に乏しい近代日本の漢詩人の中で、 私は徴かなものからはいって行きたい。詩の話であ漱石の詩を高く評価させたのであったろう。 る。直接のきっかけは、吉川幸次郎氏著すところの 好んで漢詩を作りながら、九万一氏は日本の漢詩と いうものが、詩の本来の性質から見て無理な存在であ 『漱石詩注』をひもといたことによる。 これまで『漱石詩集』を通読したことは、一度もなることを言っている。文芸は動植物と同じくその土地 かった。日本人の作った漢詩というものに対する不信の産物であり、江南の橘も江北に移せば枳となる。古 感がある上に、日本語の詩のようにはなだらかに解読来日本人が作った漢詩は、決して少くはないが、その うち日本人のロに膾炙しているのは、鞭声粛々、雲耶 できないもどかしさが、私を『漱石詩集』から隔てて 山耶、落花深処などごく少数に過ぎず、それもその詩 いた。たが、吉川氏の『続人間詩話』などによって、 それが中国人が讚めることのある、ごく例外的な日本が傑作であるからでなく、総ての点で日本的だからと 漢詩の世界 山本健吉 126

9. 国民百科事典2

カンサス 上からネーゲレ鉗子 , ーくアン鉗子 , コツへノレ 鉗子。下の二つの鉗子 は , 先端がちがうだけ や材料に華美なくふうが凝らされ , 幾度かぜいたく品として禁止の対象 となった。おもな種類をあげると , 玉付や平打ちはおもに後ろざしとさ れ , 花かんざしはつまみ細工や , び らびらをつけた華美なもので娘の髪 の前ざしとされた。また根掛けはま げに赫トけて飾りとした。なお現在は 洋髪がはとんどなので , 従来のかん ざしを用いるのはまれであるが , 形 状はひろく洋髪の髪飾りにとりいれ られている。 / 髪形〔高見沢〕 カンザス〔州〕 Kansas 米国中 央部の州。北はネプラスカ , 東はミ ズーリ , 南はオクラホマ , 西はコロ ラド各屮 I•I に囲まれる。面積 213070km2 , 人口 2180553 ( 1964 ) 。主都はトピー 力。東西約 660 km , 南北約 330 km の 長方形の州で西は標高約 130() rn , 東 へいくはど低く 250 m くらいとなる ので , カンザス川 , アーカンソー川 をはじめ , 川は東ないし南東流する。 平均降水量は 660mm で夏は暑く乾燥 する。冬小麦の主産地で全国の 20 % を産する。西に小麦と牛の放牧地 , 東にトウモロコシと牧場が多く , 牛 は人口の 2 倍以上 ( 543 万頭 , うち乳 牛 34 万 , 1964 ) いる。アノレフアノレフ ァ , ジャがイモ , 果実 , 大麦 , ェン ヾク , コーリャン , 亜麻 , 酪農製品 を産する。世界的規模のと畜場をも つスイフト , アーマ両社のシカゴ工 場は 1959 年に操業をやめてカンザス シチに移ったので , 食肉供給業の中 心は全国第 2 位の家畜肥育場と 11 の 食肉加工所のある同地に移りつつあ る。かっての農業州にも各種工業が おこり , なかでもウイチタにはポー イング , ビーチ , セスナ各社の航空 機工場があり , 全国一の小型機生産 をはこる。石油生産では第 5 位。他 にセメント , 石炭 , 亜鉛 , 塩 , 石材 , 鉛を産する。 1803 年のルイジアナ購 入でフランス領から米領になったカ ンザスは , 1861 年に 34 番めの州とな 2 6 0 場 , 食肉加工所 , 製鉄所 , 精油所 , 製粉 , 製材所 , 農耕機械工場があり , 十し草 , 穀物 , 家畜の市がたつ。 ズーリ川の舟運のために 1833 年に設 けられたウェストボート・ランディ ングから発展し , 初めはウェストボ トと呼ばれたが , 38 年にカンサス の町が地取りされ , 89 年にカンザス シチとなった。カンザスシチ大学 ( 1929 創立 ) がある。 〔石光〕 かんざんし寒山詩中国唐代の 人 , 寒山の作と伝えられる一連の詩。 寒山は唐初 ( 7 , 8 世紀 ) の人で , 世俗 を超越し奇矯な性格を持っ隠者とさ れ , その分身の拾得旨とともに日本 にも親しまれた人物であるが , 実在 人物かどうかを疑う説もあり , その 作とされる寒山詩も , 複数の作者に よる可能性も少なくない。また実在 したとしても , 時期は 9 世紀ごろで ある可能性が強い。詩の内容は多様 で , 褝宗色の強いものも多いがけ っしてそれ一色ではなく , 人間的悩 みの告白や , 隠者であることへの懐 疑もみられ , 要するに大部分が , 方で官吏であった中国詩人らのなか で , まったく拘束されぬ自由人 , 裸 の人間のことばで歌われている点 , 中国詩のなかでもきわめてユニーク な地位を占めている。 〔丸山〕 った 〔石光〕 カンサ、スシチ Kansas City 米 国 , カンザス州の東部 , カンサス , ミズーリ両川合流点にある工業都市。 ミズーリ州のカンサスシチと隣接す る。人口 1219 ( ) 1 ( 1960 ) で同州のウィ チタにつぐ。家畜肥育場 , 食肉加工 所 , 大穀物倉庫 , セッケン工場 , 製 鉄所 , 精油所があり , 付近に油田 , 石材 , 石灰石鉱床がある。 1843 年ワ イアンドット・インディアンによっ て開かれた地であるが , 55 年にアメ リカ連邦政府に売却され , 白人によ る植民は 57 年に始まり , 86 年に市と なった 〔石光〕 カンサ、スシチ Kansas City 米 国ミズーリ州の西部 , ミズーリ川の 南岸にある商工業都市。州境線をは さんでカンサス州のカンサスシチと 隣接する。人口 475539 ( 1960 ) で州内 ではセントルイスにつぐ。家畜肥育 かんし干支 / 十干十二支 かんし鉗子主として手術時に ものをはさむ目的で使用される , は さみ状の機械の総称。現在 30 種以上 の種類があり , 手術には欠くべから ざる機械で , 手術の進歩とともに種 種創意改善されている。おもなもの は , 止血の目的で血管をはさむコッ ヘル鉗子 , 産科手術のさいに産児の 頭をはさんでひき出すために使用す るネーゲレ鉗子 , 骨を把持するた めに使用する骨鉗子などである。そ のほか各臓器の把持 , 器具の挿入な どのさいに , それぞれの目的に応し た形の鉗子か、使用される。〔成瀬〕 かんし漢詩中国の旧詩の形式 に従い , 中国の文字言語を用いて作 られた詩をいう。中国の旧詩をも含 めてよばれることもあるが , 狭義に は日本人の作のみをいう。名称も , 明治以後に発達した新体詩と区別す るため , 明治 20 年代の国粋主義的風 潮から , 日本固有のものでないこと を示すために使用されたものである。 それ以前はただ「詩」とよんだ 日本で漢詩が作られ始めたのは , 近江朝 ( 667 ~ 672 ) で , 天智天皇のこ ろ盛んに作られたと伝えられるが , それらは壬申鮻の乱によって失われ , 現存する最古の漢詩集は 751 年に編 集されたく懐風藻 > である。これは 現存する最古の作品の作者大友皇子 を始め 64 人の作 120 編からなり , 作 者はすべて上流階級の人物であるた め , 作品は貴族的で生気に乏しいう らみがある。 平安時代にはいると白楽天のく白 氏文集ぅ〉や梁の昭明太子の編ん だ / く文選 > などの影響で新しい 詩風もうまれ , 総集としてく凌雲 集 > く文華秀麗集 > が , また漢詩文の 総集としてく経国集〉が勅選され これらの詩集におけるおもな作 た 家としては嵯峨天皇 , 小野篁ら がおり , これにややおくれて都良 香新の続いて菅原道真らが出た。 , のころを頂点として漢詩 , 漢詩文は 衰え , 鎌倉 , 室町時代には , 五山の 褝僧を除いてはほとんど顧みる者も なくなったが , 一面 , 五山の神僧に よって従来の貴族的な詩風に代わっ て , 宋の蘇軾や黄庭堅さらに 彼らが宗とした唐の杜甫のたくまし い詩風がとりいれられた。代表的作 家に絶海中津毟んがいる。 江戸時代にはいると漢文学はふた たび興隆し , 元禄以後 , 荻生徂徠 3 を中心に , 門人服部南郭 , 高野蘭亭 らが , 明の李攀竜王世貞らの 影響をうけて , 漢魏六朝の詩になら った格調高い詩を唱えた。新井白石 などもこの傾向の詩を作った。それ まで手本とされていたく三体詩〉 ( 宋の周弼うの編 ) に代わってく唐詩 選 > が流行するようになったのも , このころからである。安永以後にな ると , これに対して山本北山など , 明の袁中郎の説により , 平易な新 鮮さを重視する動きが起こり , さら にそれ以後になると , 中唐 , 宋 , あ るいは清代の詩を重視する動きなど も起こるようになった。江戸時代最 後の作家として頼山陽らがいる。 明治にはいると清代の詩の影響が 強く , 森槐南ら多くの作家が出た が , 大正 , 昭和期に至ると , 漢詩の 創作は日本の文壇とも大衆とも関係 の薄い一部の同人や学者などの趣味 として残るのみとなった。 〔丸山〕 かんじ漢字漢語 , 中国語を表 わす表語文字で , 単音節の語彙まを 中心とし語尾変化のない中国語の性 格によく合致している。漢字は漢文 化の伝搬とともに周囲の民族に伝わ り , 日本 , 朝鮓 , 安南に根をおろし た。朝鮮では中国との交渉が日本よ り直接的で , 日本語以上に強い影響 を受けたよしかし漢字の読み方は 1 字について一通りだけで , この点日 本と事情が異なる。安南では後漢か ら三国時代にかけて中国文化が波及 し漢字 , 漢文を用いたが , 15 世紀こ ろ漢字を利用しその構成法にならっ て合成した字喃 ( チュウノム ) がっく られ , 固有の安南語を書き表わすの に使われた。しかし今日では , ロー マ字を国字として採用し , 漢字や字 喃は用いられなくなりつつある。 〔起原と変遷〕最古の漢字は , 19 世 紀末発掘された / 甲骨文で , 殷代の ものと推定されている。この字体は 周代に受け継がれて金文とよばれる

10. 夏目漱石全集 別巻

う理由に基づく。一方中国人から見て好い詩だと讚ある。」 これは当然の結語であって、これに反対すべき理由 められる星巌、淡窓、旭荘等の詩は、日本人では知っ はいささかもない。私は日本人の作った漢詩に、過度 ている者も少い。 の意味と価値とを付与しようとする言説に、安易に与 このように言って、氏は日本における漢詩が、その することはでぎない。だが嗽石の漢詩は、そのような 善悪をみずから判断することができないという情ない 一般論を超えたところに位置するだろう。彼は言う。 境遇にあるのは、それが自国語を以て書かれていない 「余の如き平仄もよく弁へず、韻脚もうろ覚えにし からであるという。日本人にとって漢詩が不自然なこ か覚えてゐないものが何を苦しんで、支那人に丈し とは、その最も精力を費して学習し、詩作に当って最 も苦しめられる韻字平仄というのが、漢詩を訓読す か利目のない工夫を敢てしたかと云ふと、実は自分 る日本人にとって何の用にも立たない徒労であること にも分らない。けれども ( 平仄韻字は偖置いて ) 、 詩の趣は王朝以後の伝習で久しく日本化されて今日 だ。日本の漢詩は性格の流露ではなく、韻書と首ッ引 で作り上げた文字の細工に過ぎない。そして氏は、ロ に至ったものだから、吾々位の年輩の日本人の頭か シャ人やポーランド人が作ったフランス語の詩を評し らは、容易にこれを奪ひ去る事が出来ない。余は平 たスタエル夫人の言葉を引いて結びとする。「抑々外生事に追はれて簡易な俳句すら作らない。詩となる 国語なるものは之を習ふものに取っては常に死語であ と億劫で猶手を下さない。ただ期様に現実界を遠く すこしわだかま る。死語を以て、人を感動せしむる如き生きた詩を作 に見て、杏な心に些の蟠りのないとき丈、句も自然 世らんと欲するのがすでに無理な注文である。自から感 と湧き、詩も興に乗じて種々な形のもとに浮んでく 詩じたままを詩に表現するには、その国の空気を呼吸し る。さうして後から顧みると、夫が自分の生涯の中 その国語を以て考へ、喜び、悲しまねばならぬもので で一番幸福な時期なのである。風流を盛るべき器が、 はるか 127