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文藝春秋2016年8月号

月 崎藤村『一葉舟』の文字である。味わいのある書だ。 年 装丁、デザインも不折の仕事だから、どのような字体 の書がふさわしいかをよく吟味して書かれてある。 " 一葉舟。の文字は、 " と″舟。の真ん中にある 堋館 書 乢図 " 葉。の文字が素晴らしい。左下は『能楽』と題され 稿新理 - 原日天た雑誌で " 能楽。の草書体に近い書も不折のものだ。 自阪載附 中村不折は画家として明治の中期から大正にかけて 石連学 、いを、 ! 嚇亠 , 一景〕を物ま四漱京明大活躍した人で、漱石と不折を引き合わせたのは、一一人 夏疎 7 天 の友人であった正岡子規である。子規と漱石の間柄 は、以前この連載で詳しく紹介した。二人は学生時代 等の作品を鑑賞した。その中でも当時、世紀末芸術のに知り合い、子規が漱石に俳句を教えたり、漱石が子 旗手であったラファエル前派のダンテ・ガプリエル・規の文集を批評したり、二人が交わした書簡には明治 ロセッティに感動している。文学者と画家の交流を見を代表する文豪、俳人の若き日のこころの有様が正直 て " 文学美術という表現をみ 0 けたほどだ。美術をに綴られている。手紙の行間から伝わる二人の友情に 愉しみ、画家デザイナーと接したことから、のちに は崇高ささえ感じられる。 小説家となって自著の装丁に並々ならぬ苦心、工夫を漱石と不折は、二人がロンドン、バリとそれぞれ英 している。漱石のすべての著書の装丁は今日でも高い語の留学、西洋絵画の習得の留学で当地にいた折、よ 文学美術。の結合でもあっ 評価を受けている。作品『こころ』の初版などは装丁り強い絆が生まれた。 " のすべてを自らしている。 た。漱石は不折の作品を高く評価し、のちに不折の作 その漱石の出世作となった『吾輩ハ猫デアル』の挿品集に一文を寄せている。 画を担当したのが、グラビアベージの左にある本の装漱石の書、文字で、私が、それを初めて目にした時 丁をした中村不折である。その不折の書が、左上の島から感心したのは、漱石の日記や手帳にきわめてちい ( 238 )

文藝春秋2016年8月号

文字にはありや伊集院静 第三十一一回◎苦悩ど、苦労の果ての書 さて今月はグラビアベージの右側を見ていただきた文字一文字の勢いはある。それは " 私。の文字の ″禾。から " ム。へ移る筆の連続性でわかる。 " 漱石。 " 則天去私。とあり、右下に " 漱石。とある。言わずの文字の " 石。の初動 *k. の伸びは、この書の全 と知れた文豪、夏目漱石の書である。大正五年 ( 一九体のバランスの要となっている。そう、漱石の書はバ 一六年 ) に書かれたもので、漱石、四十九歳、最晩年ランスがすぐれているものが多い。しかしそれは能筆 のものだ。私はこ分書を、今春、神奈川近代文学館で家によくある定石のバランスではない。むしろ絵画や 開催されていた「漱石展」で見た。漱石に傾倒してい彫刻などに見られるバランスである。 る人なら、この書より横長に書かれた大判のものを見漱石は小説を書く以前から、美術を鑑賞することを た人が多いと思う。そちらは堂々とした書きっ振りで愉しみにしており、学生時代も " 英語を学習するより " 書としての構え。が感じられる。一方、紹介したもよほど楽しいし、充実した時間と思える″と言ってい の、は縦書きで、さして大きくはない。筆の速度はきわる。ロンドンに留学していた折も、散歩道にテームズ ( 美術 めてゆっくりとすすめられており、漱石の書に対する河畔を選び、そこにあるテート・ギャラリー 、バーンジョーンズ、ターナー 姿勢、すなわち丁寧な筆運びが伝わって来る。ただ一館 ) に度々立ち寄り ( 237 )

さらば、資本主義 (新潮新書)

想 思 の 明・ 文 明治日本で最高の書物 ふくざわゆきち 獅福沢諭吉といえば、まずは一万円札のあの堂々たる顔が思い浮かびます。以前の千円 る札にどことなく不安気で憂鬱さを漂わせて張り付いていた夏目漱石とは対照的といって え 考よいでしよう。別に漱石の倍の価値があるというわけではありませんが、ともかくも か日本でもっとも価値ある紙幣の顔になっているからには、われわれにはもっともなじみ 吉 のある人物なのです。 福 ところが、案外と福沢の書いたものを読んだという人は少ない。奇妙なことです。漱 六石を愛読するという人は福沢の倍どころではないでしよう。漱石の小説なら書店の文 庫本コーナーにいけばいくらでも手にすることができます。しかし福沢のものはそうい 第六章福沢諭吉から考える「独立と文明」の思想

新潮45 2018年10月号

一緒だった友人たちの昼食会に私が同席メンスが遅れていることに気づく。「赤た。やつばり、と二人は顔を見合わせた。 >< さんと慶子夫人のつきあいはずっと させてもらった時のことだった。そのうん坊が出来ていたら : : : 裕子は突然軽い ちの一人の女性 ( >< さんとしておく ) は脳貧血におそわれた」。まどろみの中で、続いた。吉祥寺で新婚生活を始めた江藤 江藤が大学三年の時に同人誌「位置」不安な夢を見るシーンで、小説は永久に夫妻のア。ハートを訪ねたこともある。ま ( 「 pureté」から改題 ) に発表した小説の「未完」となった。江藤が次に書くのがだ冷蔵庫がなくて、アイスポックスであ ことをよく覚えていた。「沈丁花のある「三田文学」に発表される「夏目漱石論」った。お金がないので、「今日もおにぎ り、明日もおにぎりなのよ」と慶子夫人 風景」という作品で、「江藤淳」の筆名だ。漱石を書いたことによって、「江藤 が初めて使われた。長編になるはずだっ淳」は小説家ではなく、批評家のペンネはこぼしていた。初々しい新婚時代であ ームとなった。 る。昭和五十年代に軽井沢で会った時に たが、一一回目まで書いて中絶となった。 「江蔭浮は甦える」第十一一回であらすじ漱石論を書くにあたって、江藤は岩波は、千ケ滝の別荘にどうぞと誘われた。 は途甲まで紹介した。舞台は三田のキャ版の漱石〈重を所持していなかった。困 >< さんは子供一一人を連れて訪問した。そ ン。ハス、主人公の筒井順一とヒロインのって借りた先はやはり一年組で同級生の時、慶子夫人はうらやましそうにした。 川崎裕子は、知り合いが読めば、江頭淳だった小池清子の家からだった。小池さ子供がいないので養女をとるつもりだっ 夫と三浦慶子がモデルであることは疑いんは三浦慶子ととても親しく、一緒に仏たがうまくいかなかったと慶子夫人は話 ようがない。周辺の人物たちも級友が読文科に進んでいた。英文科の江藤は講義した ( 次兄の雄次さんの長女がその養女 めば、あれは誰がモデルだと特定できるが終わると、三浦慶子や小池さんのグル候補だった ) 。慶子夫人は「あの時は仕 ープにいつも加わった。 >< さんはある日、方なかったのよ」と大学生時代のそのこ ような書き方になっている。 裕子の川崎家は田園調布にある。裕子小池さんから「ちょっと、あの小説読んとを匂わせたという。堕ろすより仕方な の父は退昌吏の実豕で、母は継母でだ」とキャン。ハスで聞かれた。それがかった。そんな遠い過去のことを慶子夫 ある。川崎家をよく訪問する順一は裕子「沈丁花のある風景」である。一一人もよ人は述懐したのだった。 は 小池清子さんも慶子夫人と相前後して の家族から歓待される。一一人は「ひそかく知っているクラスメイトが嫌らしく描 に婚約している」。何もかもが順調にい写されているのにいまず違和感をもった。亡くなっているので、この証言者も一人江 くと思われていた矢先、順一は腰が再それ以上にショックだったのは、ヒロイしかいない。それどころか、この話を次 発する。悪い知らせを聞かされた裕子は、ンの裕子が妊娠したのではと悩む姿だっ兄の雄次さんに確認したところ、否定さ

文藝春秋2016年8月号

さな文字で書かれた " 手記。にも似たものの文字の丁である。不折の " 龍眠帖。は、今も多くの書道ファン 寧さである。かなりのスビードで書き止められたものから名蹟として憧憬を受けている。不折の書は独学だ でも、彼が万年筆、羽根ペン、鉛筆で書いた文字にが、その範としたのは中国の古法帖で王羲之、顔真卿 ・は、或る種の " 美調。が感じられることだ。これはおと言った王道を学び、画家として成功してからも、法 そらく漱石が子供の頃から培った " 美的センとし帖、拓本、古名蹟を収集し、中国の周、漢の時代の銅 か言いようがない。神奈川近代文学館へ行けば、それ器、古銭、仏像までをも購入し、それらのコレクショ らの文字は常設コーナーで見ることができるのでぜひンをおさめるために " 書道博物館。を建てるまでに至 一度見て欲しい。右ページ上は作品『三四郎』の生原っている。館は今も東京、根岸にある。こちらもぜひ 稿の文字である。この作品のころから漱石は特注の原見学されるといし 稿用紙を使用しはじめている。味わいのある文字であ漱石は近代日本文学のひとつの峰である。日本人の る。 大半が漱石を知っているし、その著書は今も読まれ続 一方の不折は装丁も仕事であるが、絵画が本業であけている。同時にこれほど文学を研究、探求する人の やる。その不折の書は副業かと言えば決してそうではな対象になった文学者は他にいない。なぜそこまで漱石 い。その代表の書に日本人の多くが傾倒しているのか。それは没後百年 あ が、左にある『龍の今も、彼の作品には " 今日性。があるからだろう。 ま碑専そ崧眠帖』の一節の書漱石は今も現代文学者なのである。そこが近代文学の 中の奇蹟でもある。 し衣わ甲 この連載で初めて中村不折を知った人もあろう。不 折は、子規に言わせると、驚愕するほどの貧乏画家で 字夂全準雲雨 あった。苦労を重ねた若者であった。漱石の若き日も 苦悩を重ねる日々であった。やはり若い時の辛酸は、 のちに光を与えるということか。 『龍眠帖』 中村不折筆 明治 41 ( 1908 ) 年 台東区立書道博物館蔵 ( 239 )

小説新潮 2016年12月号

因みに言えば、旧約聖書の言葉は、ダビデが王宮の塔から 水浴びする女を見て、 「あれは、だれだ」 「将軍の妻のバト・シエバです」 すっかり惚れ込んでしまい、将軍を危険な戦場に送り、戦死 させ、バト・シェ・ハを妻とする。その罪を預言者に諫められ、 呟いたもの。大変な科である。罪の重さをよく知って、常に みずからの前に置いておいてほしい。これに比べれば美子 の罪は、男女関係のくさぐさ、とことん深いものではない。 ト説に戻って美禰子を描いた絵は完成し、展覧会で発表さ れる。タイトルは〈森の女〉、三四郎は見に行く。かたわら に与次郎がいた。 「どうだ森の女は」 「森の女という題がわるい」 小説新潮から 生まれた本 ヒトは、どの時点でヒトになるのか ? 仙川環 目の前で消えそうな命と、未来に生まれる命。 どちらか選べと迫られたら : : : 女性記者の苦悩。◎定価 ( 本体 1600 円 + 税 ) 「じゃ、何とすればいいんだ」 三四郎は何とも答えなかった。ただロの内で「ストレイシ 1 プ、ストレイシープ」とくり返した。かって美彌子が発し た言葉であり、三四郎も美子も、この世に迷う羊だ、とい うことだろうか 小説はここで終るが、あらためて読み返してみると、 これは、よく書かれた恋愛小説なんだなあ と、味わいが深い。 広田先生の理屈は漱石の魅力の一つ、と読むべきだろう が、本道は三四郎を軸とする恋愛未満。「アイ・ラブ・ユー」 もなければロづけ一つないけれど、心と心の徴妙なからみあ いを描いて : : : 見えにくいことを描いて間然するところがな 今どきはやらないかなあ 超先端医療の く閻〉を突く メディカル・ サスペンスー 流転の細胞 、 4 イ下 RIAL れ : 仞〃 / 環 0 ⑧新潮社 253 漱石を知っていますか

小説新潮 2016年12月号

5 小説は男と女のことを書くもの 〈三四郎〉ほか うーん、やつばりねえ と独り勝手に頷いてしまった。 作家が小説を書くとき、時折、利用されるユニークな方法 がある。まず主人公を一人か一一人想定して書き始め、十数ベ ージほど進んだところで、そこから先は彼等をして自由に動 いてもらう。つまり書き始めるときには、きちんとしたスト ーリーを定めず、結末も決めてない。 行きあたりばったり、と言ったら言い過ぎだろうが、これ が登場人物を自由に動かし、案外おもしろいストーリーを生 んだりしてわるくない。もちろんこれができるのは作者の経 験と力量に拠るところが大きいのだが、こんな方法が実在す るのは本当だ。 われらが夏目漱石は朝日新聞社に人社して小説を書くこと をもつばらとし、まず〈虞美人草〉を発表し、〈坑夫〉や さんしろう 〈夢十夜〉を書き、次に満を持して挑んだのが〈三四郎〉で あった。編集部にあてた手紙の中に、タイトルを〈三四郎〉 とし、その中身は、 " 田舎の高等学校を卒業して東京の大学に人った三四郎が新 らしい空気に触れる。そうして同輩だの先輩だの若い女だの に接触して、色々に動いて来る。手間はこの空気のうちにこ れらの人間を放すだけである。あとは人間が勝手に泳いで、 おのず 自から波瀾が出来るだろうと思う。そうこうしているうちに 読者も作者もこの空気にかぶれて、これらの人間を知るよう になる事と信ずる〃 とあって、まさにたったいま述べたユニークな方法ではな いか。文学の優れた研究者であった漱石は、小説の手法を広 く、多彩に知っていただろう。才能として感知していたもの もあっただろう。 まず三四郎だ。正しくは小川三四郎という。熊本の高校を 花の都で 卒業して東京の大学へ。地方出身の若いエリート。 自由に泳がせるにしても、その性格やビヘイビアについては 一通り決めて、語っておかなければなるまい。 それにしても熊本から東京までは遠かった。車内そのもの が、三四郎にとって新しい世界だったろう。二人ずっ向かい あって座る三等車のシート。車内では " 九州から山陽線に乗 り移って、段々京大阪へ近付いてくるうちに、女の色が次第 に白くなるのは、何となく故郷を遠のくような憐れを感じて いた〃という指摘はおもしろいが、いったいに三四郎は周囲 の情況を自分なりに観察し、細かく心に呟く性格のようだ。 京都で三十年輩の女と相乗りになり、女は同じく途中から 相乗りになった爺さんと世間話を交わしていたが、三四郎はい 居眠りをしながらも、そこそこに事情を聞き込んでいる。 知 女は、わるい器量ではない。色は黒いが、中の上くらいか石 な。人妻で、夫は満洲の大連に行っていて、消息も不充分。 子どもを遠方の実家に預けてあるのか、そこへ赴く旅らし おがわ

小説すばる2020年12月号

書 100 歳プロゴルファー 内田棟不平等を の人生哲学 々と生きる プロゴルファー めぐる戦争 グローバル税制は可能か ? 土舟」田中角栄や常陸宮殿下などにも指導した日本最高齢プロ。毎日〈・本体 , 。。円 150 球のパター練習を欠かさぬ著者が人生とゴルフの極意を語る。 ネ刊 上村雄彦・本体 740 円 集一」中央銀行は持ちこたえられるか。 河村小百合 増え続ける巨額債務を抱え、異次元緩和を続ける日銀と安倍政 エコノミスト 子規と漱石 権。「出口が見えない」この政策の先に何が待ち受けているのか ? 一・本体 760 円 ( 友情が育んだ写実の近代 4 森陽一・本体 760 円 シリーズ〈本と日本史〉① 非モテの品格 吉田一彦男にとって「弱さ」とは何か 日本史・仏教史学者杉田俊介・本体 760 円 『日本書起の呪縛 ・本体 760 円 「本ーから歴史を考察する新シリーズ ! 日本の歴史を方向づけた アルッハイマー病は " 『日本書紀』成立の政治的側面を、最新の古代史の知見で読み解く。 治せる、予防できる一 熊 ~ 央ニ西道隆臣・本体 76 。円 別 慶應義塾大学教授 在日一一世の記憶 高賛。 = 「建築」で日本を一 天才打者、実業家、ミ、ージシャン、格闘家 : ・。年に及ぶ聞き取り調 ( ~ 一局秀美編→変一んる ライター、編集者 表 査を集大成。一一世たち人の証言を通して日本社会が見えてくる。・本体 1 、 68 円伊東豊雄・本体 72 。円 知の 水先案内人。 〈集英社新書〉好評既刊

世界 2016年08月号

新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 7-2016 ◎自らによって印象深く描かれる思想家とその時代 晩年の丸山が、自らの生涯を同時代のな かに据えて語ったインタビューの記録。 興味深い事実と臨場感あふれる語り口に o 売 よる、昭和史の貴重な証言。読解を助け発 定本丸山眞男回顧談田 る詳細な注を加えて文庫化する。上巻は 1 引 5 体 3 生い立ちから敗戦前後まで。 松沢弘陽・植手通有・平石直昭編 ( 全一一冊 ) 本圧・ 戦争が続く時代に「個性」という絶対的 8 差異を自覚し、孤独な闘いに生きた漱石。 その生涯と作品を新たな視点からたどり円売 なおす。通説とは一味違う漱石の魅力が発 國石を読みなおす 蘇る「再入門書」。文庫化に際し、最終 9 四正 体 2 ( こもりよういち氏は、東京大学教養学部教授 ) 章を大幅に改訂。 本田・ 小森陽一 ◎人は生き直せる、犬や猫とともに 保護された大を受刑者が介助大に育てあ げ必要とする人のもとに届ける・ : 。米国 での試みは受刑者の心に大きな変化を生円売 じた。日本でも反響を呼んだ活動とその O 発 大、そして猫が生きる力をくれた ー介助犬と人びとの新しい物語ー 後を、保護された猫も受刑者と暮らし始 88 体 3 大塚敦子 ( おおっかあっこ氏は、フォトジャーナリスト ) めたこと、元受刑者の人生も交えて描く。本・ ◎カメラとペンを通して沖縄の心を見つめる旅 豊かな風土に寄り添って独自の文化・伝 統をはぐくみ、戦争の傷跡や基地の悲劇 を背負いながらも、おおらかに生きる沖 0 売 一一一一口イ縄の人びと。復帰以来その魅力を撮りつ発 沖縄若夏の己憧 づけてきた著者が、沖縄への熱い想いを 15 5 体 3 ( おおいしよしの氏は、フォトジャーナリスト ) 綴る珠玉のフォトエッセイ。〔カラー版〕本引・ 大石芳野 -6

新潮45 2018年10月号

e V 一 e W N ERVIEW 一町田祐一え 0 年前にも就職難はあ。た 就職活動の熾烈さが叫ばれて久しい昨いう本で「高等遊民、がどういう存在でら」に出てくる代助だとか、ああい 0 た 今、春先にはリクルートスーツをまとつどういった境遇にあったかについて書い学歴があるのに家にお金があってふらふ て小型のスーツケースを引っ張るくたびたのですが、書き終わってはたと彼らがらしている人というイメージを高丑民 れた学生の姿をよく目にする。しかし就生じる原因となっている就職難の構造がにお持ちですよね。確かにそうした、思 職難は今に始まったことではなく、 10 わからないな、と思いまして。今度は就想や信条が理由でモラトリアムを謳歌し 0 年前にもあったのだ。近代日本の就職職システムそのものを掘り下げてみたい、ている人もいたようですが、当時の資料 難をひも解き、今日に至るまでの就職事と学問的欲求を抱きました。私はいわゆを見ていくと、実際には体面や経済的理 る就職氷河期の頃、大学生だったのです由で就職を望みながら、就職できなかっ 情の亦を追った著者に話を伺った。 が、アルバイト先で就職ができず留年をた人のほうがむしろ多かったんです。彼 ーーなぜこのようなテーマを取り上げたのでしている先輩がいたりと就職難を身近でらはそれぞれコネを頼ったり現代のハロ しょ - つか 感じる経験もありました。加えて、現在ーワークの原型となる職業紹介所を頼っ 2010 年に『近代日本と「高等遊大学で教えていると、就活に苦労する生たりして、就職口を探していました。 民」ー社会鬮化する知識青年層ー』と徒に「就職ってなんですかね」と聞かれ明治以降、立身出世に憧れて、必ずし 大。。遊年 も裕福でない家庭の子供もいい大学に行 て、うまい答えが見つからなくて。 くことを目指します。親は将来への投資 歴史学として「就職難」を捉えたらど としてけして安くない学費を払って子供 うだろう、という想いが今作につながり ました。 を大学に送って、いわゆる苦学生も増え ーーまず、「高等遊民」に対して抱いていたイてくるわけです。一方で大学や学科の増 京修大近会あ 東院同『社が メージが覆されて驚きました。 設によって需要と供給のバランスが崩れ 弋大在書」一 みなさん、やはり夏目漱石の「それかて、就職口が足りなくなっていきます。 学現著民層 1