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検索対象: 邪馬台国をとらえなおす

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い 。 列 島 内 の 有 力 な 前 方 後 円 墳 や 前 方 後 方 墳 か ら 同 じ 鋳 型 で 作 ら れ た 鏡 が 出 て い る 。 こ の こ と が 、 小 林 行 雄 氏 の い う 分 与 に あ た る の か は 問 題 が あ る に し て も 、 鏡 が 移 動 し て い る こ と は 考 古 学 的 事 実 で あ る 。 に い ろ い ず み し か も 、 ペ ー ジ に 示 し た 新 納 泉 氏 の 「 同 型 三 角 縁 神 獣 鏡 の 分 布 関 係 」 図 を 見 れ ば 、 椿 井 の 大 塚 山 古 墳 や 奈 良 県 天 理 市 の 黒 塚 古 墳 が 同 笵 鏡 を 集 中 的 に た く さ ん も っ て い る こ と が わ か る 。 黒 塚 古 墳 は 配 布 セ ン タ ー 的 な 性 格 を も っ て い た 場 所 な の か も し れ な い 、 と い う こ と に な る 。 鏡 の 状 態 か ら い く と 、 北 九 州 だ け で な く て 、 瀬 戸 内 も 近 畿 も 東 海 も 関 東 も 、 鏡 の 配 布 の 分 布 圏 に 入 っ て く る 。 し か も 一 〇 〇 メ ー ト ル ク ラ ス の 纒 向 古 墳 Ⅱ 墳 丘 墓 か ら 全 長 二 八 〇 メ 1 ト ル の 箸 墓 古 墳 が 築 造 さ れ る た め に 費 や さ れ た 人 的 、 経 済 的 な 力 は 想 像 以 上 の も の が あ っ た と 思 わ れ る 。 三 角 縁 神 獣 鏡 が 舶 載 で あ れ 彷 製 で あ れ 、 こ の 時 期 に は き わ め て 大 き な 変 革 が あ っ た と 思 わ れ る の で あ る 。 特 に 平 原 の 方 形 周 溝 墓 が 畿 内 型 墓 制 の 採 用 だ と す る と 、 鏡 四 十 面 、 と く に 直 径 四 六 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル の 内 行 花 文 鏡 が 出 土 し て い る こ と を 考 え る と 、 国 産 の 最 大 級 の 鏡 は 弥 生 時 代 後 期 に 製 作 す る の は 無 理 で 、 古 墳 時 代 と 考 え ざ る を え な い の で は な い か 。 そ れ に 、 列 島 内 の 方 形 周 溝 墓 で 、 平 原 の よ う に 鏡 を 四 十 面 も 壊 し て 埋 納 し て い る な ど と び ら ば る 2 ろ 0

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松 本 清 張 『 空 白 の 世 紀 清 張 通 史 2 』 講 談 社 文 庫 、 一 九 八 六 年 安 本 美 典 責 任 編 集 『 季 刊 邪 馬 台 国 』 、 梓 書 院 山 尾 幸 久 『 新 版 ・ 魏 志 倭 人 伝 』 講 談 社 現 代 新 書 、 一 九 八 六 年 主 な 論 文 ・ 発 掘 調 査 報 告 書 な ど 赤 塚 次 郎 「 『 字 甕 』 に つ い て 」 『 欠 山 式 土 器 と そ の 前 後 』 第 三 回 東 海 埋 蔵 文 化 財 研 究 会 、 一 九 八 六 年 赤 塚 次 郎 「 初 期 前 方 後 円 ( 方 ) 墳 出 土 の 土 器 」 『 季 刊 考 古 学 』 第 五 一 一 号 、 雄 山 閣 出 版 、 一 九 九 五 年 新 井 宏 「 科 学 か ら 見 た 邪 馬 台 国 問 題 」 、 一 一 〇 一 〇 年 度 「 え び す 大 学 」 講 演 9 p ミ membe フ 3. ) com.home.ne.) マ a 「 a 一 ・ h 一 「 osh 一 一 一 ectu 「 e ニ 0.06.21.pdD 岩 崎 卓 也 「 古 式 土 師 器 考 」 『 考 古 学 雑 誌 』 第 四 八 巻 第 三 号 、 日 本 考 古 学 会 、 一 九 六 三 年 王 維 坤 「 日 本 の 三 角 縁 神 獣 鏡 の 性 質 に 関 す る 私 見 」 『 洛 陽 学 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 報 告 論 文 集 』 ( 明 治 大 学 東 洋 史 資 料 叢 刊 8 ) 氣 賀 澤 保 規 編 、 明 治 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 ・ 明 治 大 学 東 ア ジ ア 石 刻 文 物 研 究 所 、 一 一 〇 一 一 年 奥 野 正 男 「 青 柳 種 信 と 『 柳 園 古 器 略 考 』 」 『 歴 史 と 人 物 』 一 九 八 一 一 年 三 月 号 、 中 央 公 論 社 田 中 琢 「 布 留 式 以 前 」 『 考 古 学 研 究 』 第 一 一 一 巻 第 一 一 号 、 考 古 学 研 究 会 、 一 九 六 五 年 寺 沢 薫 「 首 長 霊 観 念 の 喪 失 と 前 方 後 円 墳 祭 祀 の 本 質 ー ー ・ 日 本 的 王 権 の 原 像 」 『 古 代 王 権 の 誕 生 』 1 、 角 川 書 店 、 一 一 〇 〇 二 年 寺 沢 薫 「 古 墳 時 代 開 始 期 の 暦 年 代 と 伝 世 鏡 論 ( 上 ) ( 下 ) 」 『 古 代 学 研 究 』 一 六 九 号 ・ 一 七 〇 号 、 古 代 学 研 究 会 、 一 一 〇 〇 五 年 新 納 泉 「 王 と 王 の 交 渉 」 『 古 墳 時 代 の 王 と 民 衆 』 ( 古 代 史 復 元 6 ) 都 出 比 呂 志 編 、 講 談 社 、 一 九 八 九 年 西 本 豊 弘 「 炭 素 年 代 測 定 に よ る 高 精 度 編 年 体 系 の 構 築 」 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 、 一 一 〇 〇 九 年 橋 本 輝 彦 「 纒 向 遺 跡 中 枢 部 の 調 査 」 『 女 王 卑 弥 呼 の 国 を 探 る ⅲ 桜 井 』 ( フ ォ ー ラ ム プ ロ グ ラ ム ) 奈 良 県 桜 井 市 、 一 一 〇 一 〇 年 238

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が ど う で あ ろ う 。 と に か く 現 時 点 で の 鉄 の 出 土 数 と い う 観 点 で 言 え ば 、 九 州 説 は 有 力 だ 。 し か し こ の よ う に 鉄 が 残 り に く い 土 壌 が あ る と い う こ と を 考 慮 す る と 、 鉄 製 品 が 少 な い Ⅱ 大 和 は 邪 馬 台 国 で は な い 、 と い う 主 張 は も う 少 し 慎 重 に 検 討 す る 必 要 が あ る 。 卑 弥 呼 か も ら っ た 百 面 の 鏡 鉄 器 の 出 土 数 と と も に 邪 馬 台 国 の 所 在 地 を 考 え る う え で 重 要 な 論 点 と し て 挙 げ ら れ る の が 卑 弥 呼 の 鏡 の 論 争 で あ る 。 「 魏 志 倭 人 伝 」 に 記 さ れ る 女 王 卑 弥 呼 が も ら っ た 鏡 が ど の よ う な も の で あ っ た か 、 こ れ は 邪 馬 台 国 を 論 ず る う え で 欠 か せ な い 大 き な テ ー マ で あ る 。 は く さ い き よ う 日 本 の 遺 跡 か ら 出 土 す る 鏡 を 大 き く 分 け る と 、 中 国 で 作 ら れ 輸 入 さ れ た 舶 載 鏡 と 、 日 本 ほ う せ い き よ う 国 内 で 作 ら れ た 仂 製 鏡 と に 分 類 さ れ る 。 さ ら に 舶 載 鏡 は 作 ら れ た 時 代 や 場 所 に よ っ て 前 漢 鏡 、 後 漢 鏡 、 魏 晋 鏡 、 呉 鏡 な ど と 分 類 さ れ て い る 。 銅 鏡 の 多 く は 前 方 後 円 墳 出 現 以 前 の 弥 生 墳 丘 墓 か ら の 出 土 鏡 で あ り 、 多 く は 破 鏡 も し く が も ん た い し ん じ ゅ う ほ う か く き く き よ う な い こ う か も ん き よ う は 破 砕 鏡 と し て 出 土 し て い る 。 鏡 の 種 類 は 、 方 格 規 矩 鏡 ・ 内 行 花 文 鏡 が 主 流 で 画 文 帯 神 獣 き よ う し ゃ え ん は ん に く ぼ り じ ゅ う た い き よ う 鏡 ・ 斜 縁 半 肉 彫 獣 帯 鏡 そ し て 三 角 縁 神 獣 鏡 な ど で あ る 。 114

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の 同 型 鏡 が あ り 、 こ れ も 舶 載 鏡 か 仂 製 鏡 か で 異 論 が あ る 。 内 行 花 文 鏡 を ふ く む 五 面 は 副 葬 品 と し て 棺 外 の 頭 部 両 側 か ら 出 土 し た が 、 破 片 が 大 き く 全 部 揃 う こ と か ら 完 形 品 で あ っ た と 推 定 さ れ る が 、 残 り は 全 部 破 砕 鏡 だ っ た 。 つ ま り 大 き な 鏡 を わ ざ わ ざ う ち 割 っ て 溝 の な か に 入 れ て あ っ た の で あ る が 、 頭 と 足 の 付 近 で 大 量 に 見 つ か っ た 鏡 の 破 片 の う ち 頭 付 近 の 破 片 は す べ て 復 元 で き た 。 こ れ ら の 鏡 の な か で 超 大 型 鏡 と 十 四 面 の 同 型 鏡 は 、 筆 者 は 国 産 の 鏡 だ と 考 え て い る 。 し ち ゃ う す や ま か し 異 論 が な い わ け で は な い 。 二 〇 〇 九 年 に 再 発 掘 さ れ た 奈 良 県 桜 井 市 の 桜 井 茶 臼 山 古 墳 の 鏡 も す べ て 破 砕 さ れ て い た が 、 こ の 時 期 の 鏡 が な ぜ 破 砕 さ れ た の か 、 理 由 は わ か っ て い な い 。 筆 者 は 、 お そ ら く 葬 送 の 秘 儀 に 用 い た 鏡 を 壊 し て 現 世 と の 絆 を 断 っ た の で は な い か と 思 っ て い る 。 平 原 遺 跡 に か ん す る 前 原 市 教 育 委 員 会 の 「 文 化 財 調 査 報 告 書 、 第 七 十 集 」 に は 、 出 土 し た 鏡 四 十 面 に つ い て の 報 告 「 平 原 王 墓 出 土 銅 鏡 の 観 察 総 括 」 が あ る 。 そ の な か の 「 超 大 型 内 行 花 文 鏡 の 検 討 」 の な か で 國 學 院 大 学 の 柳 田 康 雄 氏 は 、 直 径 四 六 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル の 超 大 型 鏡 や 、 鈕 座 の 八 葉 文 や 九 重 の 同 心 円 文 は 、 中 国 鏡 に は な く 、 湯 ロ の 位 置 が 鈕 孔 方 向 に 直 交 し て い る の は 、 中 国 鏡 製 作 技 術 と 異 な る と 述 べ て い る 。 さ ら に 、 同 型 鏡 が 五 面 あ る こ と は 、 大 量 生 産 技 術 や 政 治 体 制 を 備 え て い た こ と を 示 す 、 と 指 摘 し 、 同 遺 跡 出 土 の 大 型 内 121 第 四 章 鉄 と 鏡 の 考 古 学

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へ ポ ソ 塚 黒 石 山 天 神 山 上 方 作 系 浮 彫 式 獸 帯 鏡 ・ 飛 禽 鏡 ・ 画 像 鏡 ・ 菱 鳳 鏡 ・ 獸 首 鏡 日 山 小 泉 大 塚 第 1 段 階 第 2 段 階 西 求 女 奥 凵 号 黄 金 塚 画 文 帯 神 獣 鏡 五 島 山 第 3 段 階 斜 縁 神 獸 鏡 天 神 山 新 山 茶 臼 止 旦 四 ・ 城 山 宝 塚 中 国 鏡 ( 漢 鏡 7 期 ) の 分 布 の 変 化 ( 岡 村 秀 典 三 角 縁 神 獸 鏡 の 時 代 』 よ り ) 141 第 四 章 鉄 と 鏡 の 考 古 学

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も 古 い 段 階 の 土 器 で 、 お そ ら く 布 留 0 式 に 相 当 す る の で は な い か と 考 え ら れ る 。 加 美 遺 跡 に は 、 こ う い う 墳 墓 群 も あ っ た と い う こ と で あ る 。 そ し て 加 美 遺 跡 に 、 あ る 特 定 の 有 力 な 人 物 を 葬 る 立 派 な 墓 制 が 登 場 し て く る 。 加 美 の 村 前 方 後 方 化 し て く る わ け で あ る 。 十 四 落 社 会 の な か で 有 力 な 人 物 の 墳 墓 は 大 型 化 し た り 、 」 号 墓 が 布 留 式 の 古 相 の 築 造 だ と す れ ば 、 そ の 年 代 は 、 箸 墓 古 墳 の 出 現 の 時 期 と ほ ぼ 併 行 す る か も し れ な い 。 い ず れ に し て も 、 大 和 盆 地 に 近 い 大 阪 湾 沿 岸 の 弥 生 時 代 の 集 落 に お い て 、 布 留 0 式 の 時 期 に こ う い う 前 方 後 方 型 の 周 溝 墓 が 、 方 形 周 溝 墓 群 の な か か ら 出 現 し て い る 。 そ し て 時 代 が 下 る と 、 内 行 花 文 鏡 の 破 片 ( 破 鏡 ) が 二 号 墓 か ら 出 て く る 。 一 号 方 形 周 溝 墓 か ら は 朝 鮮 半 島 南 部 の 、 伽 耶 の 陶 質 土 器 な ど も 出 て く る の で あ る ( 『 邪 馬 台 国 時 代 の 摂 津 ・ 河 内 ・ 和 泉 と 大 和 』 ふ た か み 邪 馬 台 国 シ ン ポ ジ ウ ム 8 ) 。 六 甲 山 南 麓 の 古 墳 は 何 を 語 る か あ ぼ 神 戸 の 六 甲 山 の 南 麓 に は 、 阿 保 親 王 塚 古 墳 、 ヘ ポ ソ 塚 古 墳 、 東 求 女 塚 古 墳 、 処 女 塚 古 墳 、 西 求 女 塚 古 墳 な ど 五 基 の 中 核 と な る 古 墳 が 並 ぶ 。 日 本 の 古 墳 を 研 究 す る う え で 忘 れ て は な ら な い 古 墳 群 で あ る 。 も と め づ か お と め づ か 185 第 五 章 土 器 と 墓 が 語 る 邪 馬 台 国

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あ お や ぎ た ね の ぶ る 。 江 戸 時 代 に 福 岡 藩 ( 黒 田 藩 ) の 国 学 者 で あ っ た 青 柳 種 信 ( 一 七 六 六 〈 明 和 三 〉 、 一 八 三 五 〈 天 保 六 〉 ) が 編 纂 し た 「 筑 前 国 続 風 土 記 拾 遺 」 が あ る 。 そ の な か に 記 さ れ た 広 形 銅 矛 の 鋳 型 を 所 蔵 し て い た と い う 熊 野 神 社 が 、 明 治 時 代 に 境 内 の 「 王 墓 の 上 石 」 と 呼 ば れ る 平 板 の 石 板 を 、 家 を 建 て る た め 動 か し た と こ ろ 、 甕 棺 が あ り 、 な か か ら 三 十 二 面 の 鏡 が 発 見 さ れ た と い う 。 そ の 際 、 鏡 は 埋 め 戻 さ れ た が 、 そ の 後 、 中 山 平 次 郎 氏 や 京 都 大 学 が 調 査 を お こ な っ た 結 果 、 銅 矛 、 中 細 形 銅 戈 、 銅 剣 、 ガ ラ ス 璧 片 、 ガ ラ ス 勾 玉 、 ガ ラ ス 管 玉 な ど を は じ め 、 漢 代 の 中 国 鏡 三 十 面 を 収 集 し た 。 春 日 市 教 育 委 員 会 編 『 奴 国 の 首 都 須 玖 岡 本 遺 跡 』 に よ る と 、 須 玖 岡 本 遺 跡 の 鏡 群 は す — 前 一 世 紀 の 前 漢 鏡 だ っ た と さ れ る 。 こ の 須 玖 岡 本 遺 跡 に 埋 葬 さ れ た 人 物 は べ て 紀 元 前 一 一 紀 元 五 七 年 に 漢 の 光 武 帝 か ら 「 漢 委 奴 國 王 」 印 を 授 か っ た と さ れ る 奴 国 王 よ り も 、 二 、 世 紀 前 の 王 だ と 考 え ら れ る 。 ま た 第 二 章 で も 触 れ た が 、 伊 都 国 と も い わ れ る 糸 島 市 の 三 雲 南 小 路 遺 跡 か ら は 江 戸 時 代 の 一 八 一 三 年 ( 文 政 五 ) に 弥 生 時 代 中 期 後 半 の 甕 棺 が 発 見 さ れ 、 な か か ら 重 圏 精 白 文 鏡 ・ 内 行 花 文 精 白 鏡 な ど 前 漢 鏡 が 三 十 五 面 発 見 さ れ た 。 こ の 遺 跡 で は ほ か に 、 有 柄 銅 剣 、 細 形 へ き 銅 矛 二 本 、 銅 戈 、 ガ ラ ス 勾 玉 三 個 、 ガ ラ ス 管 玉 多 数 、 ガ ラ ス の 璧 八 枚 、 金 銅 四 葉 座 飾 金 具 八 個 な ど が 出 土 し て い る 。 へ き へ ん 117 第 四 章 鉄 と 鏡 の 考 古 学

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も 、 一 〇 パ ー セ ン ト 程 度 出 て い る 。 全 国 各 地 の 土 器 が 纒 向 の 地 域 に 集 ま っ て き て い る 。 そ の 背 景 に あ る の は な に か と い う こ と が 問 題 だ 。 ぞ う び ざ ん さ ら に 東 方 に 目 を 転 ず れ ば 、 岐 阜 県 養 老 町 の 象 鼻 山 一 号 墳 と い う 前 方 後 方 墳 が あ る 。 一 四 二 メ ー ト ル の 象 鼻 山 上 に 立 地 す る 本 古 墳 は す で に 三 カ 年 に わ た る 学 術 調 査 が お こ な わ は ざ ま れ 、 築 造 年 代 は 、 墳 丘 出 土 土 器 な ど か ら 東 海 地 方 の 廻 間 Ⅲ 式 ⅱ 布 留 0 式 土 器 に 併 行 す る 時 期 と 考 え ら れ る と い う 。 奈 良 県 箸 墓 古 墳 と ほ ぼ 併 行 す る 年 代 と し て 三 世 紀 の 中 葉 か ら む し ろ 末 葉 頃 と 比 定 さ れ て い る 。 こ の 地 域 で は 象 鼻 山 一 号 墳 に つ づ い て 、 愛 知 県 犬 山 市 東 之 宮 前 方 後 方 墳 が 出 現 す る 。 全 長 七 二 メ ー ト ル の 四 世 紀 初 頭 の 前 期 前 方 後 方 墳 で 、 ほ ぼ 全 面 に 葺 石 が 存 在 す る 。 一 九 七 三 年 の 発 掘 で 竪 穴 式 石 槨 が 見 つ か り 、 石 槨 側 北 側 に 小 石 室 が あ っ た 。 そ こ か ら 三 角 縁 神 獣 鏡 四 面 を ふ く む 十 一 面 の 鏡 が 出 土 し て い る 。 石 製 品 の ほ か 多 く の 鉄 製 品 ・ 玉 類 が 発 見 さ れ て い る 。 ず い り よ う じ ま た 象 鼻 山 古 墳 に 先 行 す る 弥 生 時 代 後 期 の 墳 丘 墓 が 岐 阜 市 金 華 山 の 尾 根 上 の 瑞 龍 寺 山 上 に 数 基 存 在 し て い る 。 弥 生 後 期 前 半 の 墳 丘 墓 と 推 測 さ れ て い る が 、 地 山 を 穿 っ た 土 壙 墓 で 内 行 花 文 鏡 の 出 土 が 報 告 さ れ て い る 。 や が て 三 世 紀 後 半 に な る と 、 濃 尾 地 域 に お い て も 前 方 後 方 墳 や 前 方 後 円 墳 が 登 場 し て ひ が し み や う が 188

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書 』 十 四 、 一 九 三 九 〉 、 武 藤 誠 ・ 橋 本 久 「 安 倉 高 塚 古 墳 」 〈 『 宝 塚 市 史 、 資 料 編 — 』 四 、 一 九 七 七 〉 。 歴 博 報 五 十 六 、 一 九 九 四 年 よ り ) 。 鈕 の 孔 が 長 方 形 で あ る と い う の は 少 し 気 に な る と こ ろ で あ る 。 福 永 伸 哉 氏 は 、 三 角 縁 神 獣 鏡 の 鈕 孔 の か た ち は 長 方 形 で 、 他 の 鏡 の 鈕 孔 は 円 形 や 半 円 形 で あ る 、 と い わ れ る が 、 こ の 呉 鏡 を ど う 考 え れ ば よ い の か 興 味 の あ る と こ ろ で あ る 。 ど の よ う な い き さ つ で 山 梨 県 と 兵 庫 県 の 二 〇 メ ー ト ル に 満 た な い 円 墳 に 副 葬 さ れ た の か わ か ら な い が 、 二 面 し か 出 土 し て い な い の で 、 こ れ 以 上 踏 み こ め な い 。 国 産 か 魏 鏡 か 魏 の 皇 帝 が 卑 弥 呼 の 遣 使 に 「 銅 鏡 百 枚 」 を 渡 し た の が 事 実 で あ れ ば 、 そ の 鏡 は ど の よ う な 種 類 で あ っ た の か 。 三 世 紀 前 葉 頃 の 魏 鏡 か ら 種 類 を 同 定 す る こ と は 困 難 で あ る が 、 魏 ・ こ う も り ち ゅ う ざ い し さ ん こ う 晋 代 に 流 行 し て い た 鏡 式 と い え ば 、 蝙 蝠 鈕 座 内 行 花 文 鏡 ・ 位 至 三 公 鏡 ・ 双 頭 龍 鳳 文 鏡 ・ 方 き ほ う 格 規 矩 鏡 ・ 獣 首 鏡 ・ 鳳 鏡 ・ 盤 龍 鏡 な ど で あ る 。 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 の 岡 村 秀 典 氏 は 三 角 縁 神 獣 鏡 を 三 世 紀 の 鏡 と し て い て 、 魏 の 時 代 の こ の よ う な 流 行 の な か で 神 獣 鏡 と 画 像 鏡 の 文 様 を 一 体 化 さ せ た 三 角 縁 神 獣 鏡 の 主 文 様 が 生 ま れ た と い っ て い る 。 140

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中 国 で は 発 見 例 が 少 な い の で あ る が 、 画 文 帯 の 同 向 式 神 獣 鏡 、 斜 縁 神 獣 鏡 、 あ る い は 半 肉 彫 の 神 獣 鏡 と か 、 そ う い っ た 鏡 は 日 本 の 古 墳 か ら 百 五 十 面 以 上 出 て い る が 、 こ れ ら は 中 国 大 陸 の 内 陸 部 や 中 国 の 南 方 か ら 出 て い る 鏡 の 形 式 や 、 組 み 合 わ せ と も 一 致 し な い 。 日 本 の 古 墳 か ら 出 る 舶 載 鏡 で 、 形 式 と 組 み 合 わ せ が 一 致 す る の は 、 当 時 中 国 が 設 置 し た 朝 鮮 半 島 北 部 、 古 代 の 楽 浪 郡 の 地 域 か ら 出 て く る 鏡 で あ る 。 こ う い っ た 鏡 は 、 現 在 の 平 壌 あ た り か ら 出 土 す る 鏡 の 主 流 に な っ て い る 。 こ れ ら の こ と か ら 三 角 縁 神 獣 鏡 も 楽 浪 郡 で 日 本 向 け に 作 っ た 鏡 で は な い か と い う 見 解 も 出 て き た の で あ る 。 そ う し た 理 由 か ら 最 近 、 日 本 の 考 古 学 界 で は 、 楽 浪 鏡 と の 関 連 に 関 心 が 集 ま っ て い る の だ 。 三 角 縁 神 獣 鏡 で は な く 、 も う 一 時 期 前 、 つ ま り 弥 生 の 最 終 段 階 か ら 古 墳 出 現 期 の ど く は じ め に 、 楽 浪 郡 か ら 日 本 列 島 に 持 ち 込 ま れ た 鏡 が 、 今 後 問 題 に な る の で は な い か と 思 わ れ る 。