検索 - みる会図書館

検索対象: 邪馬台国論争

邪馬台国論争から 303件ヒットしました。

邪馬台国論争


を 譱 を 一 物 環 状 乳 神 獣 鏡 対 置 式 神 獣 鏡 四 神 四 獣 鏡 群 同 向 式 神 獣 鏡 陳 氏 作 鏡 群 同 向 式 神 獣 鏡 A 対 置 式 神 獣 鏡 紀 盤 竜 鏡 ⑥ A' 年 盤 H 竜 二 神 二 獣 鏡 群 画 像 鏡 ③ > 新 作 徐 州 鏡 類 仏 獣 鏡 類 M L ⑩ ⑤ ④ 四 神 四 獣 鏡 群 表 現 ① 《 製 作 時 期 と 製 作 集 団 》 第 譏 0 こ れ ら の 紀 年 は 、 そ の ま ま 鏡 の 作 ら れ と も い わ れ て き た た 時 期 を 意 味 し な い 、 と が 、 「 景 初 四 年 」 鏡 の 出 現 で 、 後 述 の と ら れ た 。 た だ し 、 約 三 百 六 十 面 に 達 す る 支 文 「 舶 載 、 三 角 縁 神 獣 鏡 が 、 一 時 期 に 作 ら れ 、 倭 国 に も た ら さ れ た も の で は 、 も ち ろ ん な い 。 小 林 行 雄 の 鏡 研 究 を 継 承 す る 表 若 い 世 代 ( 岸 本 直 文 ・ 森 下 章 司 ・ 新 納 泉 統 ら ) が 、 図 像 表 現 の く わ し い 分 析 か ら 、 4 流 次 の 三 点 を 明 か に し た ( 京 大 考 古 学 研 究 人 室 編 『 椿 井 大 塚 山 古 墳 と 三 角 縁 神 獣 鏡 』 、 ) ) た 近 っ 飛 鳥 博 物 館 編 『 鏡 の 時 代 』 に よ る ) 。 ① 鏡 の 製 作 集 団 に は 「 陳 氏 作 鏡 ー と を 鏡 「 四 神 四 獣 鏡 」 、 「 二 神 二 獣 鏡 ー の 主 - ュ ロ ー 神 〕 縁 流 三 派 が あ っ て 、 三 角 縁 神 獣 鏡 の 八 角 割 を 占 め る 。 第 I 段 階 第 Ⅱ 段 階 第 Ⅲ 段 階 波 文 帯 鏡 群 仂 製 三 角 縁 神 獣 鏡 陳 氏 作 鏡 群 表 現 ⑥ に い ろ い ず み 1 ) 6

邪馬台国論争


に 、 鏡 を 倭 に 授 け た と い う 、 伝 統 的 な 「 遠 交 近 攻 策 」 の 見 方 で あ る 。 も ち ろ ん 、 公 孫 氏 側 も 、 後 顧 の 憂 い を 断 っ た め 、 「 青 龍 三 年 」 鏡 を 倭 に 贈 っ た 、 と い う 場 合 も 考 え ら れ る 。 方 格 規 矩 四 神 鏡 従 来 、 卑 弥 呼 に 下 賜 さ れ た 「 銅 鏡 百 枚 」 は 、 三 角 縁 神 獣 鏡 が 最 有 力 候 補 と 考 え ら れ て き た 。 三 角 縁 神 獣 鏡 Ⅱ 舶 載 鏡 説 で は 、 他 の 鏡 種 は ほ と ん ど 考 え て こ な か っ た 。 こ れ に 対 し て 、 三 角 縁 神 獣 鏡 は 国 産 鏡 で あ る と す る 、 こ れ も 有 力 な 反 論 が あ っ て 、 対 立 し て き た 。 ぼ う せ い き よ う 国 産 鏡 説 で は 、 代 わ り に 方 格 規 矩 四 神 鏡 や 内 行 花 文 鏡 、 小 型 仂 製 鏡 を 候 補 に あ げ て き た ( 一 五 三 ペ ー や よ い ジ ) 。 こ れ ら の 鏡 種 が 、 北 部 九 州 の 三 世 紀 代 の 弥 生 遺 跡 か ら 多 数 出 土 す る か ら だ 。 そ こ へ 、 「 青 龍 三 年 」 銘 の 方 格 規 矩 四 神 鏡 が 、 丹 後 の 古 墳 ( 四 世 紀 後 半 ) か ら 出 土 し た 。 年 号 と 出 土 地 か ら み れ ば 、 大 和 説 に 分 が あ ろ う か 。 鏡 種 か ら み れ ば 、 北 部 九 州 Ⅱ 国 産 鏡 説 の 主 張 ど お り で 、 九 州 説 に プ ラ ス 材 料 と い え よ う 。 い ず れ に し て も 、 卑 弥 呼 の 鏡 に は 、 三 角 縁 神 獣 鏡 だ け で は な く 、 樋 口 隆 康 も 説 く よ う に 、 方 格 規 矩 四 神 鏡 も 含 め て 考 え な け れ ば な ら な く な っ た 。 現 出 の た だ 、 三 角 縁 神 獣 鏡 Ⅱ 国 産 鏡 説 の よ う に 、 弥 生 時 代 か ら 古 墳 時 代 へ の 鏡 の 伝 世 を 一 切 認 め ず 、 「 三 鏡 世 紀 の 弥 生 遺 跡 に あ る も の こ そ 、 卑 弥 呼 時 代 の 鏡 」 と い う 厳 格 主 義 を 貫 く と 、 こ の 青 龍 三 年 鏡 も 、 当 年 然 、 邪 馬 台 国 時 代 の 資 料 か ら 排 除 さ れ る 。 中 国 に お け る 伝 世 を み と め る か 、 四 世 紀 代 の コ 。 ヒ ー ( 踏 み 青 刀

邪馬台国論争


そ れ に 比 べ て 、 王 仲 殊 は 、 そ う し た 学 派 的 思 惑 に と ら わ れ な か っ た か ら 、 ① 「 産 地 問 題 」 で は 国 産 鏡 説 Ⅱ 「 東 渡 の 呉 匠 作 鏡 」 説 を と り 、 ② 「 紀 年 問 題 ー で は 景 初 三 年 ・ 正 始 元 年 を そ の ま ま 実 作 年 と 見 て 、 自 由 に 「 新 ・ 邪 馬 台 国 畿 内 説 ー を 打 ち 出 せ た の で あ ろ う 。 三 角 縁 神 獣 鏡 を も と に 、 日 本 国 内 の 物 流 シ ス テ ム と 鋳 銅 技 術 を 論 じ る の が 目 的 な ら 、 王 仲 殊 説 と 徹 底 的 に 争 わ ね ば な ら な い 。 し か し 、 三 角 縁 神 獣 鏡 が 舶 載 鏡 で あ れ 、 国 産 鏡 で あ れ 、 邪 馬 台 国 の 所 在 地 論 に 関 す る か ぎ り 、 両 者 は 「 三 角 縁 神 獣 鏡 ( 同 笵 鏡 ) の 分 布 状 況 か ら み る と 、 邪 馬 台 国 は 畿 内 に あ っ た 」 と い う 最 重 要 な 点 で 、 一 致 し て い る 。 あ と は 、 「 卑 弥 呼 の 鏡 」 が 、 三 角 縁 神 獣 鏡 で あ っ た か 、 方 格 規 矩 鏡 や 内 行 花 文 鏡 、 盤 竜 鏡 、 位 至 三 公 鏡 か ? と い う 、 単 な る 鏡 種 を め ぐ る 争 い に な っ て 、 争 点 が や や 矮 小 化 せ ざ る を え な い 。 大 量 規 格 製 品 で 、 か な ら ず し も 一 級 品 と も い え ぬ 三 角 縁 神 獣 鏡 が 、 小 林 の 同 笵 鏡 論 の 登 場 い ら い こ れ ほ ど 注 目 さ れ て き た の は 、 ひ と え に 「 邪 馬 台 国 論 争 の 決 着 の 鍵 を に ぎ る 」 と 期 待 さ れ た か ら で あ る 。 そ れ が 、 王 仲 殊 に よ る と 、 舶 載 鏡 説 の 部 分 は 否 定 さ れ て も 、 同 笵 鏡 の 分 有 関 係 か ら 、 邪 馬 台 国 Ⅱ 畿 内 説 は 揺 る が な い 、 と い う の で あ る 。 「 呉 匠 作 鏡 ー 説 Ⅱ 畿 内 説 に 立 っ 王 仲 殊 は 、 日 本 の 「 舶 載 鏡 」 説 Ⅱ 畿 内 説 の 人 び と に す れ ば 、 た と え ば 、 藤 澤 一 夫 が 「 王 仲 殊 さ ん は 分 有 関 係 を 認 め て い る の だ か ら 、 し い じ ゃ な い で す か 」 と 認 め た よ う に ( 大 阪 文 化 財 セ ン タ ー 主 催 「 邪 馬 台 国 シ ン ポ ジ ウ ム 」 ) 、 論 敵 で あ る と と も に 論 友 で あ る 。 逆 に 、 「 呉 匠 作 鏡 ー 説 Ⅱ 九 州 説 の 人 び と に す れ ば 、 論 友 で あ 202

邪馬台国論争


て 、 三 角 縁 神 獣 鏡 舶 載 説 は 重 大 な 。 ヒ ン チ に 見 舞 わ れ た 。 京 大 考 古 学 の 築 き あ げ た 金 字 塔 も 、 内 外 か ら の 批 判 の 強 風 に 揺 れ 、 つ い に 倒 壊 す る か と 思 わ れ た 。 と く に マ ス コ ミ の 報 道 を 通 し て み る か ぎ り 、 勝 負 は 決 し た 観 さ え あ っ た 。 京 大 系 の 有 力 考 古 学 者 か ら 「 小 林 先 生 の 気 持 ち を 考 え て み ろ ー と 私 に 注 意 が あ っ た の も 、 「 勝 ち 馬 に 乗 る 」 マ ス コ ミ の 偏 向 が 目 立 っ た か ら で あ ろ う 。 、 は た し て 、 舶 載 鏡 説 は 命 脈 を 断 た れ た 、 と 決 め つ け ら れ る だ ろ う か 。 「 呉 匠 作 鏡 」 説 の 奔 流 の な か 、 私 は 毎 日 新 聞 の 「 〈 景 初 四 年 鏡 〉 の 行 方 」 と 題 す る コ ラ ム で 、 婉 曲 に 疑 念 を 示 し た 。 短 文 な お お わ い わ お が ら 、 マ ス コ ミ に 登 場 し た 希 少 意 見 だ っ た ら し く 、 大 和 岩 雄 編 集 の 『 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 』 の 「 景 初 四 年 鏡 ー 特 集 号 に 、 加 筆 載 録 さ れ た 。 私 の 疑 問 は 、 王 仲 殊 説 を 紹 介 し た あ と で 、 の べ る 。 王 仲 殊 説 の 登 場 王 論 文 ー ー 青 天 の 霹 靂 中 国 の 考 古 学 者 の な か で 、 論 文 ・ 講 演 を 通 じ て 、 も っ と も 精 力 的 に 繰 り 返 し 「 卑 弥 呼 の 鏡 ー 問 題 を 論 じ 、 全 面 的 に 舶 載 鏡 説 を 批 判 し て き た の が 、 上 に も し ば し ば 引 用 し た 王 仲 殊 で あ る 。 日 本 の 学 界 に 「 青 天 の 霹 靂 ー の よ う な 衝 撃 を 与 え た 諸 篇 は 、 『 三 角 縁 神 獣 鏡 』 ( 西 嶋 定 生 監 修 、 尾 形 鏡 勇 ・ 杉 本 憲 司 編 訳 、 一 九 九 一 l) に 収 め ら れ た が 、 一 九 九 四 年 春 、 「 青 龍 三 年 鏡 」 が 出 現 す る と 、 い ち 早 の く 「 日 本 出 土 の 青 龍 三 年 銘 方 格 規 矩 鏡 を 論 ず ー - ・ ー 《 三 角 縁 神 獣 鏡 Ⅱ 日 本 に 渡 っ た 中 国 呉 匠 の 制 作 》 説 卑 へ き れ き 18 7

邪馬台国論争


く 、 鏡 の 形 が く ず れ る 現 象 ) 」 に よ る も の と し て 、 強 く 反 対 し た ( 『 邪 馬 台 国 論 争 』 ) 。 菅 谷 文 則 は 、 島 根 県 ・ 岡 田 山 一 号 墳 か ら 、 六 世 紀 代 の 土 器 と と も に 、 漢 代 の 内 行 花 文 鏡 が 出 土 し た 例 な ど を あ げ て 、 「 伝 世 鏡 論 」 が 成 り 立 た な い と す る ( 『 鏡 と 日 本 人 』 ) 。 た だ し 、 小 林 自 身 、 一 部 で は 中 期 古 墳 ま で 伝 世 が つ づ い た こ と を 認 め て い る 。 こ の よ う に 、 国 内 で の 「 伝 世 。 が 否 定 さ れ る 一 方 、 中 国 内 部 で の 伝 世 や 、 晋 代 の 「 踏 み 返 し 鏡 」 の 存 在 が 注 意 さ れ る よ う に な っ た 。 こ れ に 対 し て 、 岡 村 秀 典 ( 京 大 教 授 ) は 最 近 、 「 伝 世 」 が あ っ た こ と を 別 の 角 度 か ら 主 張 し て い る ( 後 出 ) 。 「 同 笵 鏡 論 」 は 、 鏡 が 上 か ら 下 へ 配 布 さ れ た こ と を 当 然 の 前 提 と し て い る が 、 こ れ に も 反 証 を あ げ る 人 が 出 た 。 古 代 史 家 の 横 田 健 一 ( 関 西 大 学 名 誉 教 授 ) は 、 記 紀 の 説 話 ・ 伝 承 を 検 証 し た う え 、 「 地 方 豪 族 が 天 皇 に 対 し て 帰 服 の し る し に 鏡 そ の 他 の 宝 を 奉 献 し た り 、 天 皇 が 地 方 豪 族 か ら 神 宝 を 収 取 す る こ と は あ っ て も 、 逆 に 、 大 和 朝 廷 か ら 地 方 豪 族 に 鏡 を 分 与 し た 記 事 が ほ と ん ど な い 」 と 、 制 度 的 ・ 全 面 す じ ん じ ん ぐ う か し ま 的 な 配 布 説 に 疑 問 を 投 げ か け た 。 た た し 、 崇 神 天 皇 や 神 功 皇 后 ら が 香 島 社 や 地 方 神 に 幣 を 奉 っ た と き に 、 鏡 も 捧 け た と い う 、 日 本 書 紀 ・ 風 土 記 の 説 話 を 紹 介 し た 。 さ ら に 、 「 中 国 古 代 の 周 の 帝 王 が 諸 侯 し よ う て い い き に 鐘 鼎 彜 器 の 類 を 分 与 し た 」 よ う な 形 が な か 0 た と も い え な い 、 と し て 、 小 林 説 の 可 能 性 を 探 っ て い る ( 「 日 本 古 代 に お け る 鏡 の 移 動 」 一 九 五 八 年 、 の ち 『 日 本 古 代 神 話 と 氏 族 伝 承 』 一 九 八 一 一 年 所 収 ) 。 ま た 、 藪 田 嘉 一 郎 は 、 「 景 初 三 年 。 鏡 の 年 号 と 銘 文 に 疑 念 を も ち 、 年 号 は 後 代 に な っ て 、 著 名 な 年 号 を 借 り た も の 、 銘 文 に つ い て も 、 「 諂 、 の よ う な 特 異 な 文 字 を 含 む の で 、 偽 銘 帯 に 近 い と し た ( 「 和 泉 黄 金 塚 出 土 魏 景 初 三 年 銘 鏡 考 」 『 日 本 上 古 史 研 究 』 礙 号 、 一 九 六 一 I)O 180

邪馬台国論争


と は み な い 。 森 が 中 心 と な っ て 企 画 ・ 編 集 し た 『 三 世 紀 の 考 古 学 』 ( 全 三 巻 、 一 九 八 〇 ー 八 一 一 l) で 、 三 角 縁 神 獣 鏡 を 除 外 す る の も 、 そ の ゆ え だ 。 考 古 学 ・ 古 代 史 の 研 究 者 が 一 斉 に 小 林 説 に な び い た 観 の あ っ た 一 九 六 〇 年 代 。 若 き 日 の 森 の 挑 戦 は 、 学 界 の 実 力 横 綱 に 胸 を 借 り る 新 鋭 ル ー キ ー に も た と え ら れ よ う か 。 し か し 、 森 の 投 じ た こ の 一 石 こ だ ま が 、 ま ず 松 本 清 張 に 谺 し 、 つ い で 古 田 武 彦 や 奥 野 正 男 ら 当 時 在 野 の 研 究 者 の 波 紋 を よ び 、 や が て 中 国 考 古 学 界 の 岸 辺 を 洗 っ て 、 つ い に 国 際 的 な 波 浪 が 押 し 寄 せ て く る こ と に な る 。 様 々 な 反 論 古 田 は 、 伝 世 を 否 定 し て 、 三 角 縁 神 獣 鏡 を 古 墳 時 代 の 産 物 と み な し た 。 そ し て 、 三 角 縁 神 獣 鏡 の 銘 文 に 「 用 青 同 ( 青 銅 ) 、 至 海 東 ー と 「 銅 出 徐 州 、 師 出 洛 陽 」 と あ る の に 注 目 し て 、 次 の よ う に 説 い た 。 三 角 縁 神 獣 鏡 を 作 っ た の は 、 中 国 か ら の 渡 来 工 人 で 、 ① お そ ら く 三 一 六 年 、 西 晋 の 滅 亡 後 、 洛 陽 の エ 人 ( 鋳 鏡 師 ) が 徐 州 産 の 青 銅 を も っ て ( 「 用 青 同 」 ) 、 海 東 の 日 本 列 島 へ 渡 っ て 来 た か ( 「 至 海 東 」 ) 、 ② ま た は 、 二 八 〇 年 、 呉 の 減 亡 後 、 呉 の エ 人 が 、 や は り 日 本 ( 南 河 内 近 辺 ) へ 渡 っ て 来 た も の で あ ろ う 、 と ( 『 こ こ に 古 代 王 朝 あ り き 』 一 九 七 九 ) 。 奥 野 は 、 独 力 で 全 国 の 三 角 縁 神 獣 鏡 を 集 成 し 、 分 類 ・ 編 年 し た 結 果 、 三 角 縁 神 獣 鏡 Ⅱ 「 呉 の エ 人 に よ る 国 産 鏡 」 説 に 到 達 し た 。 『 邪 馬 台 国 は こ こ だ 』 『 邪 馬 台 国 の 鏡 』 に よ る と 鏡 ① 一 一 一 角 縁 神 獣 鏡 に は 、 漢 鏡 に は 見 ら れ な い 「 笠 松 形 」 の 図 紋 が 入 っ て い る 。 お そ ら く 、 二 四 七 年 、 の 卑 対 狗 奴 国 戦 争 の さ い 、 難 升 米 に 授 け ら れ た 「 黄 幢 ー ( 軍 旗 の 一 種 ) を 象 徴 し た も の だ ろ う 。

邪馬台国論争


、 「 舶 載 の 魏 鏡 」 説 と 「 国 産 の に 分 け よ う と い う も の だ 。 三 角 縁 神 獣 鏡 の 産 地 を め ぐ っ て 、 久 し い 間 呉 鏡 」 説 の 二 つ が 対 立 し て き た が 、 王 の 立 場 は 、 舶 載 説 の 〈 ア キ レ ス 腱 〉 Ⅱ 産 地 問 題 と 、 国 産 説 の 〈 弁 慶 の 泣 き 所 〉 Ⅱ 紀 年 問 題 を 同 時 に 解 消 し よ う と し た も の で 、 第 三 の 「 舶 載 魏 鏡 ・ 国 産 呉 鏡 」 混 在 説 と い 、 ん よ 一 つ か 。 4 鏡 研 究 の 新 段 階 鏡 の 研 究 は 近 年 、 相 次 ぐ 新 資 料 の 出 現 と 新 世 代 の 精 進 に よ っ て 、 格 段 に 進 ん だ 。 お か む ら ひ で の り 岡 村 秀 典 ( 京 大 人 文 科 学 研 究 所 ) は 、 中 国 か ら も た ら さ れ た あ と 、 弥 生 墓 ・ 前 期 古 墳 に 埋 納 さ れ た 舶 載 鏡 ー 漢 鏡 を 編 年 し た 。 三 世 紀 の 「 卑 弥 呼 の 鏡 ー や 三 角 縁 神 獣 鏡 の 前 段 階 を 知 る う え で も 、 重 要 な の で 、 そ の 編 年 表 を か か げ よ う ( 「 三 角 縁 神 獣 鏡 と 伝 世 鏡 」 『 古 代 を 考 え る 古 墳 』 一 九 八 九 、 「 卑 弥 呼 の 鏡 ー 『 邪 馬 台 国 の 時 代 』 一 九 九 〇 ) 。 〈 表 〉 三 角 縁 神 獣 鏡 の 出 現 以 前 時 期 区 分 実 年 代 漢 鏡 3 期 前 1 世 紀 前 半 ー 中 頃 漢 鏡 4 期 前 1 世 紀 後 半 ー 1 世 紀 初 め 従 来 の 呼 称 と 鏡 式 前 漢 鏡 連 弧 文 銘 帯 鏡 ・ 重 圏 銘 帯 鏡 連 弧 文 銘 帯 鏡 ・ 方 格 規 矩 鏡 ・ 獣 帯 鏡 工 。 ヒ ソ ー ・ ト 土 器 編 年 弥 生 Ⅲ 式 前 1 世 紀 倭 人 の 献 見 弥 生 Ⅳ 式 卑 弥 呼 の 鏡 217

邪馬台国論争


6 陳 氏 作 竟 用 青 同 、 上 有 仙 人 不 知 、 君 宜 高 官 、 保 子 宜 孫 、 長 寿 7 尚 方 作 竟 佳 且 好 、 明 而 日 月 世 少 有 、 刻 治 今 守 悉 皆 右 、 長 保 宜 孫 子 、 富 至 三 公 利 古 市 、 告 後 世 Ⅱ 吾 作 明 竟 甚 大 好 、 浮 由 天 下 敖 四 海 、 用 青 同 至 海 東 、 〔 君 宜 高 官 〕 新 作 大 竟 、 幽 律 三 剛 、 配 徳 君 子 、 清 而 且 明 、 銅 出 徐 州 、 師 出 洛 陽 、 彫 文 刻 鏤 、 皆 作 文 章 、 左 龍 右 虎 、 師 子 有 名 、 服 者 大 吉 、 長 宜 子 孫 し よ う ほ う ち ん ぜ 銘 文 に は 、 中 国 の 年 号 ・ 地 名 を は じ め 、 「 尚 方 作 鏡 」 「 陳 是 ( 氏 ) 作 鏡 」 「 吾 作 明 鏡 」 な ど 、 鋳 造 の 、 「 、 立 目 ハ 工 房 ・ エ 匠 を 入 れ た う え 、 「 こ の 鏡 を 持 つ 者 は 、 出 世 文 夫 と 子 孫 と 富 貴 に 恵 ま れ 、 寿 命 は 金 石 の ご と し 」 と い っ た 吉 祥 句 を 並 べ る 。 神 仙 ・ 霊 獣 の 名 や 「 渇 し て は 玉 泉 な つ め を 飲 み 、 飢 え て は 棗 を 食 ら ふ ー の 定 型 句 に う か が え る ) い 拓 よ う に 、 神 仙 思 想 の 影 響 が 強 い 。 文 銘 : 鏡 《 径 九 寸 の 大 型 鏡 》 、 翫 三 角 縁 神 獣 鏡 の 直 径 ( 面 径 ) は 平 均 一 三 ・ で 、 魏 晋 時 代 の 尺 度 ( 一 尺 約 二 四 ・ 二 セ ン チ ) に 換 算 鏡 古 す る と 、 約 九 寸 に あ た る 。 道 教 で は 九 寸 以 上 の 鏡 を も の 竹 っ と 、 邪 霊 を 避 け る こ と が で き る 、 と 信 じ ら れ た 卑 ′ 彎 0 か っ 1 ) 1

邪馬台国論争


作 ら れ 、 ほ と ん ど 保 管 ・ 伝 世 さ れ る こ と な く リ ア ル タ イ ム で 古 墳 に 副 葬 さ れ た 、 と み る 。 魏 の 青 龍 三 年 鏡 と と も に 、 三 角 縁 神 獣 鏡 も ま た 、 三 世 紀 史 の 重 要 な 証 人 と み る ( 「 青 龍 三 年 鏡 に つ い て 」 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 号 、 一 九 九 四 ) 。 副 葬 品 と し て の 三 角 縁 神 獣 鏡 古 墳 の 始 ま り の 標 識 と な っ た の が 、 や は り 三 角 縁 神 獣 鏡 で あ る 。 漢 鏡 の 編 年 を す す め る 岡 村 秀 典 は 、 「 問 題 の 焦 点 は 三 角 縁 神 獣 鏡 で あ り 、 現 状 で は 三 角 縁 神 獣 鏡 の 副 葬 の 始 ま り は 古 墳 時 代 の 始 ま り と ほ と ん ど 同 義 に な っ て い る ほ ど で あ る 。 : ・ 景 初 三 年 ( 二 三 九 ) や 正 始 元 年 ( 二 四 〇 ) の 紀 年 鏡 が : ・ 魏 か ら 卑 弥 呼 に 贈 ら れ た 鏡 と す れ ば 、 邪 馬 台 国 の 使 い が 帰 国 し た 二 四 〇 年 に 古 墳 時 代 の 上 限 を お く こ と が ま ず 可 能 に な っ た 」 と い う ( 「 中 国 鏡 に よ る 弥 生 時 代 実 年 代 論 」 「 考 古 学 ジ ャ ー ナ ル 」 臨 時 増 刊 三 二 五 号 、 一 九 九 〇 年 ) 。 白 石 は 古 墳 の 発 生 を 三 世 紀 後 半 と み る が 、 さ ら に 進 ん で 、 一 部 の 前 期 古 墳 は 「 卑 弥 呼 の 没 年 頃 ま で 溯 る 可 能 性 ー を 否 定 で き な い 、 と 推 定 す る 。 そ の 根 拠 は 、 三 角 縁 神 獣 鏡 の 神 獣 像 の 表 現 か ら み て 、 製 作 集 団 が 三 系 統 あ っ て 、 新 古 の 差 が 認 め ら れ る こ と だ ( 岸 本 直 文 「 神 獣 像 表 現 か ら み た 三 角 縁 神 獣 鏡 」 「 椿 井 大 塚 山 古 墳 と 三 角 縁 神 獣 鏡 』 ) 。 椿 井 大 塚 山 を は じ め 出 現 期 の 古 墳 か ら 出 土 し た 三 角 縁 神 獣 鏡 は 、 新 し い 段 階 の も の を 含 ん で い な い 。 白 石 は 、 三 角 縁 神 獣 鏡 の う ち 、 古 い 段 階 の 鏡 を 卑 弥 呼 時 代 の も の 、 新 し い 段 階 の 鏡 を 壱 与 ( 台 与 ) 時 代 の も の と 対 応 さ せ た う え 、 「 壱 与 時 代 の も の を ほ と ん ど 含 ま な い 出 現 期 古 墳 の 年 代 は 、 卑 弥 呼 の 没 年 頃 ま で 溯 る 」 か も し れ な い 、 と い う わ け だ ( 『 日 本 の あ け ・ ほ 2 ) 6

邪馬台国論争


第 三 の 仮 説 そ れ は さ て お き 、 王 金 林 は 、 陳 氏 Ⅱ 「 呉 の エ 人 」 の 遍 歴 に つ い て も 、 王 仲 殊 と は 異 な る 独 自 の 「 第 三 の 説 」 を 組 み 立 て て い る 。 「 陳 氏 ( 陳 是 、 陳 世 ) 作 鏡 ー は 、 中 国 の 平 縁 神 獣 鏡 と 日 本 の 三 角 縁 神 獣 鏡 を 合 わ せ て 二 十 八 面 あ る 。 「 陳 氏 作 鏡 」 の 三 角 縁 神 獣 鏡 が 、 呉 の 神 獣 鏡 の 図 像 か ら 直 接 的 な 影 響 を 受 け て い る の は 、 い ま や 周 知 の こ と だ が 、 そ れ だ け で は な い 。 洛 陽 出 土 の 「 尚 方 作 鏡 」 の 銘 文 と 対 照 す る と 、 基 本 的 に 似 て い る 。 尚 方 鏡 の 銘 文 の う ち 、 1 「 尚 方 作 竟 真 大 好 」 「 尚 方 作 竟 自 有 紀 ー 2 「 上 有 仙 人 不 知 老 」 「 上 有 西 王 母 東 王 公 」 「 渇 飲 玉 泉 饑 食 棗 ー 3 「 長 宜 子 孫 」 「 君 宜 高 官 」 「 寿 如 金 石 ー 4 「 左 龍 右 虎 」 「 巧 工 刻 之 成 文 章 」 な ど の 銘 文 は 、 ( 樋 口 隆 康 の 銘 文 の 分 類 で は 、 椿 井 大 塚 山 ・ 備 前 車 塚 鏡 を 含 む 類 の ) 陳 氏 鏡 に 直 接 的 な 影 響 を 与 え て い る 。 こ の よ う な 強 い 影 響 は 、 洛 陽 の 尚 方 局 に 長 く 暮 ら し て い な け れ ば 、 不 可 能 だ と 考 え る 。 こ の よ う に 、 陳 氏 作 の 三 角 縁 神 獣 鏡 が 呉 鏡 と 魏 鏡 の 要 素 を そ な え て い る と こ ろ か ら 、 王 金 林 は 次 の 鏡 よ う に 結 論 す る 。 呉 の 鏡 師 だ っ た 陳 氏 が 呉 を 捨 て て 、 い っ た ん 魏 の 都 ・ 洛 陽 に 上 が り 、 尚 方 局 の 鏡 師 の に な っ た 。 そ こ で 紀 年 銘 入 り の 三 角 縁 神 獣 鏡 を 作 っ た あ と 、 間 も な く 日 本 に 渡 っ て 、 他 の 三 角 縁 神 獣 卑 刀