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1. 現代日本の文学 11 芥川龍之介 集

文学紀行Ⅱ進藤純孝 評伝的解説Ⅱ福田宏年 監修委員編集委員 伊藤整足立巻一 井上靖奥野男 川端康成尾崎秀樹 杜夫 三島由紀夫 芥川龍之介集 羅生門 鼻 芋粥 地獄変 奉教人の死 舞踏会 保吉の手帳から 河童 歯車 或阿呆の一生 西方の人 現代日本の文学 芥 . 川育 L 之介集 現代日本の文学 長崎・大浦天主堂の「日本の聖母」像 ( 「西方の人」 ) 滋賀・高島より琵琶湖を臨む ( 「芋粥」 ) 2 6 4 61 1 -1 0 0 2 I S B N 4-0 5 - 0 5 0 2 21 - 6 C 03 93 学研 一学研

2. 現代日本の文学 11 芥川龍之介 集

現代日本の文学 芥川龍之介集 全 60 巻 昭和 45 年 3 月 1 日初版発行 昭和 57 年 10 月 1 日 28 版発行 著者芥川龍之介 発行者古岡滉 発行所査学習研究社 東京都大田区上池台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振替東京 8 ー 142930 電話東京 ( 720 ) 1111 ( 大代表 ) 印刷大日本印刷株式会社 中央精版印刷株式会社 製本月映精版印刷株式会社 本文用紙三菱製紙株式会社 表紙クロス東洋クロス株式会社 製函永井紙器印刷株式会社 * この本に関するお問合せやミスなどがありましたら , 文書は , 東京都大田区上池台 4 丁目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学研お客さま相談センター現代日本の文学係へ , 電話は , 東京 ( 03 ) 720 ー 1111 へお願いします。 ◎ GAKKEN 1970 Printed in Japan ISBN4 ー 05-050221 ー 6 C0393 本書内容の無断複写を禁す

3. 現代日本の文学 13 佐藤 春夫 集

426 一月、「 0 」を「中央公論」に発表。二月、「女誡扇綺譚』を第を刊行。十一一月、「田園の憂鬱・都会の憂鬱』 ( 新潮文庫 ) を新潮社 一書房より刊行。三月、『佐藤春夫詩集』を第一書房より刊行。四より刊行。この年、「酒・歌・煙草また女」 ( 「三田文学」一月 ) 、「老 月、『窓展く』を改造社より刊行。同月、報知新聞社客員となる。青年」 ( 「改造」一月 ) 、「芥川龍之介を憶ふ」 ( 「改造」七月 ) 、「支那 九月、「蝗の大旅行』を改造社より、『佗しすぎる』を新潮社より刊名媛詩鈔」 ( 「同」八月 ) 、「明治末期の諸大家ーー上田敏」 ( 「新潮」 行。十一月、『退屈読本』を新潮社より刊行。この年、戯曲「日光八月 ) 、「小泉八雲に就いてのノート」 ( 「文芸研究」九月 ) 、「黄昏の 室の人々」 ( 「女性」一月 ) 、詩「詩論」 ( 「奢都」一一月 ) 、訳詩「水殺人」 ( 「改造」十一一月 ) などを発表。 三十七歳 無月来りなば」 ( 「驢馬」五月 ) 、「李鴻章」 ( 「改造」七月 ) 、「文芸家昭和四年 ( 一九二九 ) サイレン の生活を論ず」 ( 「新潮」九月 ) 、「警笛」 ( 「報知新聞」十一月 ~ 翌一一一月、訳詩「車塵抄」を「三田文学」に、「のんしやらん記録」を 年三月 ) などを発表。なお、この年、谷崎潤一郎との六年にわたる「改造」に発表。同月、『支那童話集』をアルスより刊行。二月、 『神々の戯れ』を新潮社より刊行。芥川龍之介一周忌記念『おもか 絶交を解いて和解する。 三十五歳げ』を編み、座右宝刊行会より刊行。四月、「陳述」を「中央公論」 昭和ニ年 ( 一九二七 ) に発表。五月、「更生記」を「福岡日日新聞」 ( 十月完結 ) に連載。 三月、小石川区 ( 現、文京区 ) 関口町二〇七に新築転居。四月、 「文芸時評」を「中央公論」 ( 九月完結 ) に連載。このうち、「壮年この年、翻訳「ぼるとがる文」 ( 「改造」四月 ) 、訳詩「希臘古詩」 者の文学」 ( 五月 ) をめぐって、正宗白鳥と論争を展開。七月、中 ( 「文学」十月 ) なども発表。 三十八歳 国に旅行。その途次、芥川龍之介の死を知る。八月上旬帰国。九昭和五年 ( 一九三〇 ) 月、「芥川龍之介全集』 ( 岩波書店刊 ) の編集にたずさわる。十月、六月、小田中タミと別れる。八月、前谷崎潤一郎夫人 ( 小林 ) 千代 芥川龍之介全集刊行会と文褻春秋社主催の「芥川龍之介追悼講演と結婚。この時、谷崎潤一郎、千代、佐藤春夫の三人の名で挨拶状 会」に出講。十一一月、「神々の戯れ」を「報知新聞」 ( 翌三年五月完を知人に配ったことがかえって世間の一部に誤解をまねいた。九 結 ) に連載。この年の作品には他に、「悪魔の玩具」 ( 「中央公論」月、島田清次郎事件に材を取った長編『更生記』を新潮社より刊 一月 ) 、「去年の雪いまいづこ」 ( 「婦人公論」一月 ~ 十月未完 ) 、「春行。この年、「大都会の一隅」 ( 「改造」一月 ) 、「流水歌」 ( 「文学時 風馬提図譜」 ( 「中央公論」三月 ) 、「潤一郎、人及び芸術」 ( 「改造」代」七月 ) 、「僕らの結婚」 ( 「婦人公論」十月 ) なども発表。 = 笄既歳 三月 ) 、「明治文学史手引草」 ( 「改造」六月 ) 、「是亦生涯ーー芥川龍昭和六年 ( 一九三一 ) うきようご 之介追悼」 ( 「同」九月 ) 、「人間事」 ( 「中央公論」十一月 ) 、「小説作一月、『心驕れる女』を新潮社より刊行。六月、「望郷五月歌」を 「婦人公論」に発表。七月、「魔女」を「改造」に、「小妖精伝」を 法講話」 ( 「文章倶楽部」十一月 ~ 翌年三月 ) などを発表。 こ」だま 三十六歳「中央公論」に発表。九月、雑誌「古東多万」の編集代表者となる。 昭和三年 ( 一九一一八 ) 四月、普及版『佐藤春夫詩集』を第一書房より刊行。七月、『文芸十月、詩集『魔女』を以士帖印社より、『佐藤春夫全集』 ( 全三巻 ) 一タ話』を改造社より刊行。十月、『厭世家の誕生日』 ( 岩波文庫 ) を改造社 ( 翌七年六月完結 ) より刊行。

4. 現代日本の文学 41 中村 真一郎 福永 武彦 集

譜 読む。七月、翻訳「双頭の鷲」 ( 0 クトー ) を新潮社より、「一一十世「橋の上の女」第二部を「婦人公論」に、八月、「プルー・プラン・ 紀文学の展望」 ( 市民文庫 ) を河出書房より、九月、評論集「文学のプ。イを「別冊文藝春秋」に発表。十月、「芥川龍之介の世界」 創造」を未来社より刊行。堀辰雄全集の編集委員になり、遺稿やノを青木書店より刊行。十一月、新潮社版「永井荷風研究」 ( 作家研 トの整理にあたる。十一一月、河出書房市民文庫版の「高見順詩究叢書 ) を編集、「荷風の生涯と芸術」を収録。十二月、「恋の重 集」を編集。日、加藤道夫死去。 荷」を「文芸」に、「奇妙な解放ーを「文学界ーに発表。 昭和ニ十九年 ( 一九五四 ) 三十六歳 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 三十九歳 三月、長女香織誕生。東京大学、明治大学の講師を辞任。五月、書一月、「虚空の薔薇」を「群像」に、四月、「空に消える雪」を「群 下ろし長篇「夜半楽」を新潮社より、翻訳「歯車」 ( サルトレ ′ ) を像」に、五月、「夢語り」を「キング」に発表。短篇集「虚空の薔 人文書院より、翻訳「現代作家の反逆」 ( アルべレス ) をダヴィッ 薇」を大日本雄弁会講談社より、「王朝の文学」 ( 新潮叢書 ) を新潮 ド社より刊行。「日本の象徴主義・超現実主義 , を岩波書店版「岩波社より刊行。 % 日、妻を喪う。六月、「家庭の幸福」を「文学界」 講座・文学 7 」に収録。九月、筑摩書房版「日本文学アル・ ( ム 4 堀に、「黒い終点」を「小説新潮」に発表。八月、「回転木馬」を「群 辰雄」を編集、「堀辰雄」を収録。十月、「芥川龍之介」を要書房よ象」に連載 ( 十月まで ) 。十月、「室内旅行」を「総合」に、十一 り刊行。この年、映画関係の仕事を多くする。世田谷区世田谷 ( 現月、「天使の生活」を「新潮」に発表。長篇「回転木馬」を大日本 在の世田谷区豪徳寺 ) に新築して転居。 雄弁会講談社より刊行。 昭和三十年 ( 一九五五 ) 三十七歳 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 四十歳 一一月、書下ろし長篇「冷たい天使」を大日本雄弁会講談社より、七一月、中短篇集「天使の生活」を東京創元社より、五月、「芥川龍 月、短篇集「野性の女」 ( 河出新書 ) を河出書房より、八月、放送之介」 ( 現代作家論全集 8 ) を五月書房より刊行。「竹取物語と幻 劇集「恋の夜は真昼」 ( ラジオ・ドラ新書 ) を宝文館より、作品想」を角川書店版「日本古典鑑賞講座 5 」に、「「ジャン・クリストフ」 集「感情旅行」 ( ミリオン・ブックス ) を大日本雄弁会講談社よりと小説 , を筑摩書房版「世界文学大系」に収録。九月、「砕かれ 刊行。岩波書店版「芥川龍之介案内」を編集。九月、「恋路」を「文た夢」を「群像」に、十月、「城への道」を「美術手帖、に、「佐藤 芸」に、十一月、「誤解、を「新潮」に発表。「高見順論」を英宝社春夫による文学論」を「声。に発表。角川書店版「近代文学鑑賞講 版現代作家論叢書「昭和の作家たち 3 」に収録。 座Ⅱ・堀辰雄」を編集。十一月、書下ろし長篇「自鳴鐘」を新潮社 昭和三十一年 ( 一九五六 ) 三十八歳より刊行。現代語訳「堤中納言物語」を河出書房新社版「日本国民 年三月、王朝小説集「恋路」を河出書房より刊行。四月、翻訳「繻子文学全集 6 」に収録。 の靴」 ( クローデル ) を河出書房版「世界文学全集・第一一期」に、 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 四十一歳 幻六月、現代語訳「狭衣物語」を河出書房版「日本国民文学全集 5 」二月、翻訳「三声のカンタータ」 ( ク。ーデル ) と「フランス詩史 に収録。七月、「空想旅行」を「群像」に、オム = ・ ( ス・シナリオⅢ」を平凡社版「世界名詩集大成 4 」に収録。三月、評論集「文学

5. 「のっぺら坊」と「てるてる坊主」 : 現代日本語の意外な事実

麒んなふうにパラバラ見ていきますと、何箇所か、全体は標準的な共通語で書いてあるんですけれど 語も、ところどころにそういう方言的な表現か出てきます。それが会話の部分に出てくるんなら、こ れは自分の幼い時の思い出ですから、当然方言で話していて不思議はないんですが、会話の部分で 学 代はない説明の部分にそういうのが出てくるわけですね。興味のある方は、この中村星湖の『少年行』 などをお読みになったら、方一言も出てきて懐かしいという感じがなさるのではないかと思います。 2 芥川龍之介と国語辞典 今日の中心のお話は、中村星湖ではありませんで、芥川龍之介なんです。文学館で、非常に貴重 な龍之介の資料を持っておられるという縁もありますので、国語辞典と関係させて芥川龍之介のこ とについてちょっとお話ししたいと思います。今日お渡しした資料は、実はたいへん不親切な資料 で、開きますと何の説明もありませんので、「 ) っこ ) しオしこれはどういうものなんた」とお思いにな ったと思いますが、一枚目の『猫』、『辞書を読む』、『とても』というのは、全部芥川龍之介の文です 大正十三年に新潮社から『感想小品叢書』という、いろいろな作家の随筆を集めた叢書が刊行さ れていまして、そのうちの一冊に、芥川龍之介の随筆が集められています。『百艸』という題の随 筆集なんですが、その中に、この『猫』という文章が出てくるのです。ちょっと読んでみます

6. 現代日本の文学 32 伊藤 整 集

= 九四ラスキン John Ruskin ( 1 田 9 ー一 80 ) イギリスの批評家。一一究 and now 一 am full 0 ( tears 伊藤整の詩集「雪明りの路」 「近代画家論」などの美術批評にはじまり、芸術の基礎として の中の詩「 Yeats 」にみえる一節。 の社会批評にまで及び、社会主義的ュートビアを提唱したりし三 0 = あなたの詩集の半分が : : : 伊藤整が大正十五年十一一月に刊 た。著書に「この最後のもの」「過ぎしことども」などがあ 行した詩集「雪明りの路」では、その半分以上が恋愛を扱った る。 詩編である。 = 九四モリス William Moris ( 一 834 ー】 896 ) イギリスの詩人。三 0 四三等寝台券日本における鉄道の旅客等級は昭和三十五年よ ラスキン、ラファェロ前派の影響を受け、装飾美術を試み、の り二等級制となり、それまでの「三等」は廃止された。 ち詩人として物語詩「地上楽園」などを発表。のち社会改革に三 0 六河崎登小樽高等商業学校時代に伊藤整と一緒に同人雑誌を 情熱を注ぎ、夢想の物語「ジョン・ポールの夢」などを書い 創刊した仲間の一人川崎昇をさす。初版本「街と村」では「山 崎登」となっている。なお「薔薇の花と高商石鹸の店」のエ。ヒ 一一突レオポルド・プルウムアイルランドの小説家ジェイムズ・ ソードは、小説「若い詩人の肖像」に詳しく描かれている。 ジョイス James Joyce ( 1882 ー 1941 ) の小説「ユリシーズ」 三 0< 芥川龍之介小説家の芥川龍之介。初版本「街と村」では に登場する人物の名。リッフィー河はダ・フリン湾にそそいでい 「塵川辰之介」となっている。 る河の名。伊藤整はジョイスの文学について、昭和五年の「ジ 三 0 へ村見遁小説家の里見弴をさす。芥川龍之介と里見弴の一一人 ェイムズ・ジョイスのメトオド「意識の流れ」に就いて」など は、昭和一一年五月、改造社 ( 本文では「改進社」 ) が刊行して の評論で紹介を試み、同年九月より友人とともに「ユリシーズ」 いた「現代日本文学全集 , ( 本文では「現代大和文学全集」 ) 宣 を翻訳、刊行している。のち昭和三十年七月版の「街と村」 伝のための講演旅行で、東北・北海道に赴いている。この折の ( 「カツ・ハ・・フックス」の一冊 ) 「あとがき」で伊藤整は、「この 工。ヒソードも「若い詩人の肖像」に詳しい。なお芥川には、そ 小説は現実の場所に過去の幻想をむすびつけた形で書かれてい の時の紀行文「東北・北海道・新潟」がある。 る。その書きかたは、いろいろな批評家が指摘したように、ジ 三一四足びきの : ・ 「万葉集」巻七にみえる歌。 ェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」の中の、とくに「マ飛ッ 三一六カンジンスキイ Vasilii Kandinskii ( 1866 ー 1944 ) ロシア 解 ト街」という戯曲体で書かれた場面の書きかたの影響を受けて の画家。現代抽象画の先駆者。芸術理論書「芸術における精神 いる。」と書いている。 的なものについて」などの著作により、ドイツ表現主義の潮流 注一一九六テイチアン Tiziano Vecellio ( 148 ー 1576 ) イタリアの画 を大きく推進させた。 家。宗教画、肖像画をよく描いた。「白衣の女」について伊藤三石聖ガプリエル慰安や吉報をもたらすといわれる天使の名。 ちみ 整は、詩集「雪明りの路」の中の詩「月夜を歩く」で描いてい 三天明石明石縮のこと。夏用の薄い絹織物で高級とされ、名は る。 明石の人、堀次郎が創製したといわれるところからついた。 くわ おもむ

7. 現代日本の文学 11 芥川龍之介 集

412 た。この頃より、「釈迦八相倭文庫 . 「童謡妙々車」などの明治初期 こんびらりしよう、 草双紙や「西遊記」の翻案「金毘羅利生記帝国文庫本の「水滸 伝 . などを愛読したといわれている・ 明治三十五年 ( 一九〇一 l) 十一月一一十八日、実母フク病死。四月ごろから同級生たちと回覧雑 誌「日の出界」を発行、自ら表紙の画やカットなど描き編集した。 すでに馬琴、三馬、一九、近松などの江戸文学に親しみ、また徳富 明治ニ十五年 ( 一八九一 D 三月一日、原敏三 ( 山口県人牛乳業 ) ・フクの長男として、東蘆花「自然と人生」「思出の記」、泉鏡花「化銀杏」等も愛読した。 京市京橋区 ( 現中央区 ) 入船町に生まれる。辰年辰月辰日辰刻の生明治三十七年 ( 一九日 ) 十一一歳 まれだったので龍之介と命名された。龍之介は父四十一一歳、母三十実父敏三と後妻フュ ( フクの妹 ) との間に次男得一一が生まれたの ないやく 三歳の大厄の年の子であったため、江戸時代からの迷信に従って、 で、新原家は得一一が嗣ぐことになり、八月、龍之介は芥川家と正式 形式的に近くの教会の前に捨てられ、松村浅一一郎が拾い親になった。に養子縁組を結んだ。 一一姉があり、長姉 ( ツは六歳で病死、次姉ヒサはのち葛巻義定に嫁明治三十八年 ( 一九〇五 ) 十三歳 ぎ、一男一女を生み、夬の死後西川豊と再婚した。龍之介の生後八三月、江東小学校高等科三年修了、藜府立第三中学校 ( 現都立両国 か月後に母フクが発狂したため、その実家、本所区 ( 現墨田区 ) 小高校 ) に入学。学業は常に優秀で、特に漢文の力は抜群であった。 泉町の芥川家にひきとられ、母の実兄道章に育てられた。芥川家は読書欲は強まり、紅葉、露伴、一葉、樗牛、独歩、漱石、外など 代々徳川家のお数寄屋坊主をつとめた旧家で、家庭生活には江戸のを手当り次第に読破した。外国作家では、イプセン、アナトール・ 文人・通人的な気風が強かった。龍之介は、実母フクの姉で生涯独フランスに興味を示した。学科では歴史を最も好み、将来は歴史家 身を通した伯母フキにより母がわりに愛され育てられた。 になろうと思っていた。中学時代の作品「木曾義仲論」は文学的素 明治三十年 ( 一八九七 ) 五歳質の早熟な開化を示すものとして注目される。 回向院の隣にあった本所元町の江東小学校付属幼稚園に通う。 明治四十三年 ( 一九一 0 ) 十八歳 明治三十一年 ( 一八九八 ) 六歳三月、第三中学校を卒業。成績優秀のため無試験で、九月、第一高 四月、本所元町の江東小学校に入学。神経質でひ弱な子供だったが、等学校第一部乙 ( 文科 ) に入学。同級に久米正雄、菊池寞松岡 学業成績は優秀で、一中節の師匠宇治紫山の息子について英語・漢譲、山本有三、恒藤恭、土屋文明、成瀬正一らがおり、独法科には 学・習字を習いはじめた。 倉田百三、藤森成吉らが、一級上の文科には、豊島与志雄、山宮 明治三十四年 ( 一九〇一 ) 九歳允、近衛文麿らがいた。龍之介は特に四歳年長の秀才恒藤恭と親交 「落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな」という俳句を初めて作っを結び、カント、 ベルグンン、西田幾多郎などの哲学を議論し合っ 日 たっ

8. 現代日本の文学 11 芥川龍之介 集

416 三月、「泉鏡花全集」の編集に参加。四月、湯治のため修善寺に五を「婦人公論」に、「僕は」を「驢馬」に、「彼」を「女性」に、 月まで滞在。同月、「芥川龍之介集」が「現代小説全集」第一巻と「悠々荘」を「サンデー毎日」にそれぞれ発表。一一月、改造社の宣 して新潮社より刊行された。七月、三男也寸志誕生。八月下旬より伝講演会のため佐藤春夫らと大阪へ旅行し谷崎潤一郎の家に一泊す 三週間再び軽井沢つるや旅館に滞在。十月、興文社の依頼で「近代る。三月、「河童」を「改造」に発表。モスクワのクルーグ出版社 日本文芸読本」全五巻を精根っくし公平に収録したが、収録作品やより世界文学叢書第四編「芥川龍之介」が上梓された。四月に自殺 印税配分の問題について紛争があり、強い精神的打撃を受けた。十の決心熟す。同月より「文芸的な余りにも文芸的な」を「改造」 一月、「支那游記」を改造社より刊行。この年、「馬の脚」 ( 「新潮」 ( 七月まで ) に連載し、同誌に「饒舌録」を連載していた谷崎潤一 一、一一月 ) 、「温泉だより」 ( 「女性六月 ) 、「海のほとり」今中央公郎と論争を展開。五月、改造の講演旅行のため里見弴と東北・北海 論」九月 ) などを発表。健康の衰えはげしくなる・ 道をまわった。帰り単身新潟に寄り、新潟高等学校で最後の講演 大正十五年・昭和一年 ( 一九二六 ) 三十四歳「ポオの一面」をする。五月末、宇野浩一一が発狂。この事件は龍之 前年末より胃腸を損じ、また神経衰弱が昂進して不眠症が激しくな介に大きなショックを与えた。六月、第八創作集「湖南の扇」を文 ってきたため、一月十五日から湯河原温泉へ湯治に出かけ、中西屋藝春秋社より刊行。七月一一十四日未明、田端の自宅でヴェロナー 旅館に滞在し、一一月十九日に帰京する。四月一一十二日から、改造社ル、ジャールの致死量をあおいで自殺した・枕もとには聖書があっ より印税一一百円を前借りして、妻と也寸志と三人で鵠沼へ養生に行た。遺書は妻文子、小穴隆一、菊池寛、葛巻義敏、親戚の竹内氏宛 き、東屋旅館に滞在する。七月また鵠沼に行き、以後年内いつばい などがあり、そのほか「或旧友へ送る手記」や多くの遺稿があった。 妻と也寸志の三人だけで東屋近くの貸家 ( 伊の四号 ) に住む。衰弱同月二十七日、谷中斎場で葬儀が行なわれた。先輩総代泉鏡花、友 は極度にはげしくなる。十月、随筆集「梅・馬・鶯」を新潮社より人総代菊池寛、文芸家協会代表里見弴、後輩代表小島政一一郎らの弔 刊行。この年の作には、「年末の一日」 ( 「新潮」一月 ) 、「湖南の扇」詞があった。墓は、遺志に従って、愛用の座布団を形どった台石の ( 「中央公論」一月 ) 、「越びと」 ( 「明星」一一月 ) 、「春の夜」 ( 「文藝上に、小穴隆一の筆で「芥川龍之介墓」と刻まれたもので、染井 春秋」九月 ) 、遺書の先触れ、「点鬼簿」 ( 「改造」十月 ) 、遺稿「凶」、の滋眼寺境内にある。遺稿として「西方の人」 ( 「改造」八月 ) 、「続 「鵠沼雑記」などがある・ 西方の人」 ( 「同」九月 ) 、「闇中問答」「侏儒の言葉」「十本の針」 ( 「文 昭和ニ年 ( 一九二七 ) 三十五歳藝春秋」九月 ) 、「歯車」 ( 「同」十月 ) 、「或阿呆の一生」 ( 「改造」十 一月二日、田端に戻る。義兄西川豊か全焼・火事の直前に莫大な月 ) などがあった。十一月、「芥川龍之介全集」全八巻が、遺言ど 保険金がかけてあったため、不在だった豊に放火の嫌疑がかけらおり岩波書店から刊行されはじめる。十二月、「侏儒の言葉」「澄江 れ、その行方を捜査中に豊は鉄道自殺をとげた。高利の借金が残さ堂句集」が文藝春秋社より刊行された。 れたため、龍之介はその後始末と整理に東奔西走し、神経衰弱は極 ( この年譜は、諸種のものを参照の上、編集部で作成し、さらに進 度に悪化。そのかたわら「玄鶴山房」を「中央公論ーに、「蜃気楼」藤純孝氏の校閲を得ました )

9. こゝろ

或る女 有島武郎伊豆の踊子・禽獣川端康成誰か故郷を想はざる寺山修司 生まれ出づる悩み有島武郎雪国 川端康成さかさま世界史怪物伝寺山修司 一房の葡萄 有島武郎椁檬・城のある町にて梶井基次郎さかさま世界史英雄伝寺山修司 舞踏会・蜜柑 芥川龍之介常識について 小林秀雄寺山修司青春歌集寺山修司 ◆ 杜子春・南京の基督芥川龍之介小説智恵子抄佐藤春夫馬敗れて草原あり寺山修司 を◆ 寺山修司 藪の中・将軍 芥川龍之介白痴・一一流の人坂口安吾競馬への望郷 坂口安吾寺山修司少女詩集寺山修司 トロッコ・一塊の上芥川龍之介堕落論 ス ? 或阿呆の一生・侏の言葉芥川龍之介不連続殺人事件坂口安吾さかさま恋愛講座青女論寺山修司 クか 寺山修司 羅生門・鼻・芋粥芥川龍之介和解 志賀直哉戯曲毛皮のマリー 蜘蛛の糸・地獄変芥川龍之介城の崎にて・小僧の神様志賀直哉吾輩は猫である夏目漱石 ヨシし 夏目漱石 非色 有吉佐和子暗夜行路 志賀直哉坊っちゃん 4 ラま 有吉佐和子晩年 太宰治草枕・二百十日夏目漱石 な クみな 夏目漱石 高野聖 泉鏡花女生徒 太宰治虞美人草 あ 夏目漱石 野菊の墓・隣の嫁伊藤左千夫走れメロス 太宰治三四郎 庫読 夏目漱石 ジョン万次郎漂流記本日休診井伏鱒ニ斜陽 太宰治それから 文冊 夏目漱石 ー何屋根の上のサワン井伏鱒 = 人間失格・桜桃太宰治門 夏目漱石 真田軍記 井上靖二十四の瞳 壺井栄彼岸過迄 夏目漱石 ある落日 井上靖家出のすすめ 寺山修司行人 ◆ 夏目漱石 化石 井上靖書を捨てよ、町へ出よう寺山修司こ、ろ 夏目漱石 星と祭 井上靖ポケットに名言を寺山修司道草 夏目漱石 新釈雨月物語 石川淳不思議図書館寺山修司明暗 野火 大岡昇平幸福論ー裏町人生論ー寺山修司文鳥・夢わ夜・永日小品夏目漱石

10. 現代日本の文学 20 堀 辰雄 集

0 ノ ) 大正 5 年 1 月 , 剣舞をまう辰雄 大正 4 年 4 月 , 養父上條松吉と辰雄 あいだには十年くらいは距離があるのではな いかと感しているのだが、 文学史年表で見る と、このような硫ただしさである それは近代の日本の文化の、すべての駆け 足の現れのひとつで、どの分野においても、ゆ るやかな成熟というものは許されなかった。 一九一〇年、堀辰雄七歳の年に、「白樺』 と「三田文学』という、散文のうえでのはっ きりとした新しい時代がはじまる 自然主義は日本にリアリズムというものを 確立して、真に近代文学の名にふさわしいも のに、日本の文学を推し進めたのであったが、 その三年後には既に、『白樺』による理想主 義と、『三田文学』によるローマン主義とに よって、現実を自然主義的にありのままに客 観的に見るというのでなく、そこに理想なり 夢なりの主観的要素を加えて眺めようという 動きがでてくる そうして、堀辰雄が小学校にいる間に、夏 目漱石は歿し、その弟子である芥川龍之介が 『新思潮』の仲間たちと一緒に文壇に華々し く登場して行く 芥川龍之介は堀辰雄の文学者としての出発 はなばな