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検索対象: 現代日本の文学 20 堀 辰雄 集

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集から 432件ヒットしました。

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集


む ろ う さ い せ 、 上 大 正 十 三 年 、 師 室 生 犀 星 か ら の 手 紙 こ ろ う は ぎ わ ら さ く , 左 詩 人 萩 原 朔 太 郎 と 一 高 生 辰 雄 を 文 学 に ひ き す り こ ん だ 詩 集 「 青 猫 」 あ り 、 そ の な か で も ド イ ツ 語 を 主 と し て 学 ぶ 「 乙 類 」 で あ っ た 。 後 に 主 と し て フ ラ ン ス 語 で 西 欧 文 学 に 親 し ん だ 堀 辰 雄 が 、 中 学 時 代 に 英 語 、 高 校 時 代 に 独 語 を 学 ん だ と い う の も 、 色 い ろ な 点 で 興 味 深 い こ と で あ る じ ん ざ い き よ し し か し 、 高 等 学 校 に お い て 、 彼 は 神 西 清 、 小 林 秀 雄 ら の 優 秀 な 同 級 生 に 接 す る こ と に な 一 時 に 文 学 的 開 眼 を し て 行 く そ し て 、 一 九 二 〇 年 、 高 校 生 の 堀 辰 雄 は 室 生 犀 星 を 知 り 、 犀 星 を 通 し て 芥 川 龍 之 介 に 接 近 す る こ と に な る 文 学 者 と し て の 道 は こ れ か ら 一 直 線 に 開 か れ た こ と に な る こ の 年 の 関 東 大 震 災 は 、 日 本 の 文 化 に 大 き な 影 響 を 与 え た 。 一 九 二 五 年 に 東 大 に 進 ん だ 二 十 二 歳 の 堀 辰 雄 は 、 や が て 犀 星 門 下 の 青 年 た ち と 『 驢 貯 』 と い 、 つ 同 人 雑 誌 を は じ め る こ と に な る が 、 そ な か の し デ ま る く ー か わ っ る じ ろ う の 同 人 た ち 中 野 呱 淪 、 川 鶴 次 郎 、 西 沢 隆 一 一 ( ぬ や ま ・ ひ ろ し ) な ど は 、 や が て 堀 辰 雄 だ け を 残 し て 、 プ ロ レ タ リ ア 文 学 運 動 の な か へ 入 っ て 行 く 。 そ う し た 文 学 的 環 境 の な か に あ 420

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集


室 生 犀 星 と 娘 朝 子 ま 、 0 上 中 、 本 社 一 中 野 重 治 と 重 治 か ら の 手 紙 描 き 出 し た も の で あ る 。 そ れ は 少 年 期 の 終 り に 彼 を 襲 っ た 、 師 、 芥 川 龍 之 介 の 自 殺 で あ る 。 「 聖 家 族 』 の 冒 頭 は 、 芥 川 を モ デ ル と す る 人 物 の 葬 式 の 場 面 で は し ま っ て い る 。 芥 川 の 死 は 、 芥 川 と 自 分 と を 、 生 れ た 環 境 に お い て も 、 学 ん だ 教 養 に お い て も 、 ま た そ の 性 格 に お い て も 、 ほ と ん ど 同 一 の も の と し て 理 解 し て い た 堀 辰 雄 を 激 動 さ せ た 。 そ し て 、 そ の 死 を 通 過 し な が ら 、 彼 自 身 が 生 き て 行 く 哲 学 を 発 見 し よ う と し て 、 彼 は 苦 悩 す る 。 そ の 苦 悩 が こ の 小 説 の 主 題 と な っ て い て 、 実 に 気 の き い た 、 都 会 的 、 優 雅 な こ の 物 語 の 根 底 に は 、 い わ ば 青 年 堀 辰 雄 の 、 地 獄 め ぐ り の 経 験 が 横 た わ っ て い る と い っ て い の で あ る 。 堀 辰 雄 は 芥 川 と 自 分 と を カ ー ド の 裏 表 の よ う な 存 在 だ と 認 識 す る こ と で 、 故 意 に 芥 川 と 逆 の 方 向 に 人 生 の 生 き 方 を 工 夫 し て 行 こ う と こ の 小 説 の な か で 決 意 し て い る 。 三 『 美 し い 村 』 堀 辰 雄 の 西 欧 現 代 文 学 の 研 究 は 、 コ ク ト ー 425

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集


第 三 ァ ー 、 ゞ ッ ビ イ ・ ヴ ァ レ 右 幸 福 の 谷 」 に あ る 堀 辰 雄 の 第 四 の 家 左 旧 軽 井 沢 の 別 荘 地 の 散 歩 道 苦 痛 を ご ま か す た め に 僕 は 死 を か ら か 、 フ 大 て も か ら カ 、 つ よ 、 フ に 初 期 に 書 か れ た こ れ ら の 詩 を よ む と 、 死 と 戯 れ る こ と に よ っ て 、 こ の 隣 人 と 親 し も う と し た 姿 勢 を は っ き り 見 る こ と が で き る 。 二 十 八 歳 の 時 、 彼 は 信 州 富 士 見 の サ ナ ト リ ウ ム に 入 院 し た 。 サ ナ ト リ ウ ム で 彼 が 日 夜 見 る の は 、 孤 絶 し た 山 々 と ク レ ゾ ー ル の 臭 い の す る 病 室 の む き 出 し の 壁 と 、 そ し て 息 を 引 き と る 人 々 だ け だ っ た 。 彼 は そ の 里 い 眼 鏡 を 通 し て 事 物 を 眺 め る こ と に 、 余 り に 馴 れ す ぎ だ が 、 や が て こ の 姿 勢 を 棄 て る 時 が く る 。 同 じ 年 の 夏 、 こ の サ ナ ト リ ウ ム を 退 院 し た 彼 は 軽 井 沢 に 行 っ た 。 軽 井 沢 は 先 ほ ど も 書 い た よ う に 、 氏 に は 始 め て の 場 所 で は な く 、 学 生 時 代 か ら 室 生 犀 星 氏 に 伴 わ れ て 滞 在 し た 村 だ っ た が 、 し か し 、 こ の 年 の 夏 、 こ の 夏 の 避 暑 地 は 今 ま で と 違 っ た 新 し い 意 味 を 持 つ よ う に な っ た の で あ る 。 軽 井 沢 が 彼 の 文 学 に と っ て 本 来 の 意 味 で の 「 背 景 」 に な っ た の は こ の 時 か ら な の だ 。 「 次 復 期 」 と い う こ の 年 に 書 い た 作 品 は そ の 点 大 切 で あ る 。 そ の 作 品 の 半 ば に あ る 「 お お 太 陽 よ 、 お れ も 昨 た わ む

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集


回 国 そ の 前 ー ー 」 こ よ 色 と り ど り の 服 装 を し た 西 洋 婦 人 達 が む ら が っ て い た と い う 旧 軽 井 沢 の 郵 便 局 ( 「 ル ウ べ ン ス の 偽 画 」 ) 第 - 第 第 - 第 堀 辰 雄 と 軽 井 沢 と の 接 触 は 、 ま だ 彼 が 無 名 の 文 学 青 年 だ っ た 時 、 芥 川 龍 之 介 や 室 生 犀 星 に 師 事 し て 、 彼 等 が 訪 れ た り 、 夏 を 避 け た こ の 村 に 出 か け た 時 か ら は し ま る し か し 、 勿 論 、 そ の 時 、 軽 井 沢 は 堀 氏 に と っ て そ の 文 学 と 本 質 的 な 掛 り 合 い を 持 た な か っ た 。 そ れ は た ん に 、 当 時 の 日 本 に は 珍 し い エ キ ゾ チ ッ ク な 雰 囲 気 を 持 っ た 村 と し て 彼 の 好 奇 心 を 満 足 さ せ た に す ぎ ぬ 。 こ の 村 が 彼 の 人 生 と 作 品 の 上 に 大 き な 意 味 を 持 っ た の は こ の 時 で は な い 。 二 十 八 歳 以 後 か ら で あ る 二 十 歳 の 頃 か ら 胸 を 病 ん で い た 氏 は 周 知 の よ う に 生 涯 、 こ の 病 苦 と 闘 わ ね ば な ら な か っ た 。 今 と ち が っ て 結 核 は 死 を 意 味 し て い た か ら 、 死 は 氏 に と っ て 青 春 時 代 か ら 隣 人 の よ う な も の だ っ た と 言 え る 僕 の 骨 に と ま っ て い る 小 鳥 よ 肺 結 核 よ ′ ) つ ば し お ま え が 嘴 で 突 っ く か ら 僕 の 痰 に は 血 が ま し る こ の 点 を 多 少 、 詳 細 に 見 て み よ う 。

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410 Saint ・ Pierre ( 1737 ~ 1814 ) が 、 ル ソ ー の 影 響 の も と で 書 い た 一 三 九 メ リ メ フ ラ ン ス の 小 説 家 ・ 歴 史 学 者 ・ 考 古 学 者 プ ロ ス ペ 少 年 少 女 の 悲 恋 の 物 語 。 ル ・ メ リ メ Prosper Mérimée ( 1 き 3 ~ 187e 。 一 一 五 三 一 人 の 有 名 な 詩 人 堀 辰 雄 は 大 正 十 一 一 年 八 月 、 軽 井 沢 に 滞 在 = き ダ イ ア モ ソ ド が 硝 子 に 触 れ る と : ・ フ ラ ン ス の 詩 人 ジ ャ ン ・ 中 の 詩 人 室 生 犀 星 を 訪 ね て い る 。 軽 井 沢 へ 行 っ た 最 初 で あ る 。 コ ク ト オ Jean Cocteau ( 1889 ~ 1963 ) は 、 「 ガ ラ ス の 人 種 を 切 り つ け る ダ イ ア モ ン ド の 人 種 」 と い う 比 喩 を よ く 使 っ た 。 堀 辰 一 一 五 五 地 震 大 正 十 二 年 九 月 一 日 の 関 東 大 震 災 で 、 堀 辰 雄 が 実 際 に 雄 は 『 レ エ モ ン ・ ラ ジ イ ゲ 』 と い う ェ ッ セ イ の 中 で 、 「 人 々 は ラ 体 験 し た こ と が ふ ま え ら れ て あ る 。 ジ イ ゲ を 乾 燥 し て い る と い っ て 非 難 す る 。 彼 は 硬 い の で あ る 。 彼 幼 年 時 代 の 心 臓 を 修 つ け る に は ダ イ ア モ ン ド が 必 要 だ 。 そ の 他 の も の は 、 彼 に は ど う だ っ て い い の で あ る 」 と い う コ ク ト オ の 言 葉 を 丑 七 幼 年 時 代 こ の 題 名 は 、 ド イ ツ の 詩 人 ・ 小 説 家 ハ ン ス ・ カ ロ 紹 介 し て い る 。 堀 は コ ク ト オ か ら 大 き な 影 響 を 受 け 、 「 僕 の 好 ッ サ Hans Carossa ( 1878 ~ 1956 ) の 『 幼 年 時 代 』 か ら と っ た 。 き な の は も っ と も 苦 し ん で い る 人 間 の 中 の 人 間 だ 。 ジ ャ ン ・ コ ニ 五 七 自 分 の 人 生 の 本 質 単 行 本 『 幼 年 時 代 』 の 『 あ と が き 』 ( 昭 ク ト オ の 如 き も の だ 」 と も 記 し て い る 。 和 十 七 年 八 月 ) に 、 作 者 は 、 『 幼 年 時 代 』 と い う 題 名 が 「 普 通 の よ う に .. Meine Kindheit" で な く て 、 .. Eine Kindheit" と な ニ 死 を 自 分 の 生 の 裏 側 に : ・ 堀 辰 雄 が 訳 し た コ ク ト オ の 『 職 業 の 秘 密 』 と い う 文 章 に 、 「 生 地 の ま ま の ポ エ ジ イ は そ れ に 嘔 吐 っ て い て 特 に 不 定 冠 詞 を 付 せ ら れ て い る と こ ろ に も 、 カ ロ ッ サ を 感 じ る 者 を 生 か さ せ る 。 こ の 精 神 的 嘔 吐 は 死 か ら 来 る 。 死 は の そ の 作 品 に 対 す る 深 い 考 え の 一 端 を 見 る こ と が 出 来 る 。 そ こ 生 の 裏 側 だ 。 我 々 が 死 を 見 つ め る こ と を 得 ず 、 し か も 死 が 我 等 に は た だ 自 分 の 幼 時 の 思 い 出 の か ず か ず が 漫 然 と 書 き つ づ ら れ 、 - こ い し 、 の 織 物 の 緯 を 成 し て い る と い う 感 情 が い つ も 我 々 に つ き ま と っ て あ る の で は な し に 、 幼 年 時 代 と い う も の の 姿 の 本 質 を 捉 え よ て い る の は 、 そ の た め で あ る 。 」 と い う 言 葉 が み え る 。 『 聖 家 族 』 う と カ ロ ッ サ は ひ た む き に 努 力 し た の で あ る 」 と 書 い て い る 。 に も つ づ け て 、 「 彼 の 生 の な か に は 九 鬼 の 死 が 緯 の よ う に 織 り ニ 五 ^ 突 然 私 の 父 が 堀 辰 雄 に 即 し て い う と 、 母 志 気 が 、 向 島 須 崎 ま ざ っ て い る 」 と 表 現 さ れ て い る 。 町 の 上 条 松 吉 に 嫁 し た こ と を さ す 。 辰 雄 は こ の 養 父 昭 和 十 三 年 の 松 吉 の 死 ま で 、 実 父 と 信 じ て い て 、 こ の 『 幼 年 時 代 』 執 麦 藁 帽 子 筆 中 に 事 実 を 知 り 、 そ の 衝 動 で 、 「 と う と う 中 途 で 筆 を 投 ず る の 余 儀 な き に い た っ た 」 と 、 前 出 『 あ と が き 』 で の べ て い る 。 ニ 当 休 暇 の 宿 題 『 エ ト ラ ン ジ ェ 』 に 、 「 ラ ジ イ ゲ は 彼 の 少 年 時 の ド グ オ ワ ル ・ ド ・ ヴ ァ カ ン ス 詩 集 に 『 休 暇 の 宿 題 』 と 題 し た 。 私 も い ま 少 年 時 の 思 い 出 を 、 一 一 詩 人 金 沢 生 ま れ の 詩 人 で 、 の ち 小 説 家 と な っ た 中 野 重 治 。 い や い や な が ら 休 暇 の 宿 題 を 片 づ け て 行 く 生 徒 の よ う に 、 書 き 三 つ の 挿 話 綴 っ て い る 」 と 書 い て い る 。 一 基 ポ ォ ル と ヴ ィ ル ジ ニ イ フ ラ ン ス の 小 説 家 サ ン ・ ビ エ ー ル 一 を 樒 も く れ ん 科 の 香 木 、 葉 、 樹 皮 を 粉 末 に し て 線 香 に す る 。 し き み

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414 一 一 十 七 歳 平 木 一 一 六 、 西 沢 隆 二 ら と 同 人 雑 誌 「 驢 馬 」 創 刊 。 後 に 田 島 い ね 子 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 一 月 「 本 所 」 を 書 く 。 後 に 「 向 島 」 と 改 題 、 さ ら に 改 作 さ れ て 「 冬 ( 佐 多 稲 子 ) も 書 く 。 コ ク ト オ 、 ア ポ リ ネ エ ル 、 ラ デ ィ ゲ 、 ジ ャ コ の 日 ( 水 の ほ と り ) 」 及 び 「 墓 畔 の 家 」 と な る 。 神 西 清 よ り 贈 ら れ た プ 等 を 読 む 。 詩 作 、 翻 訳 も 発 表 す 。 一 一 十 三 歳 プ ル ー ス ト の 「 失 わ れ た 時 を 求 め て 」 を 読 む 。 四 月 、 長 野 県 富 士 見 昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) の サ ナ ト リ ウ ム に 入 院 。 六 月 末 退 院 。 八 月 、 軽 井 沢 で 静 養 。 十 月 、 二 月 、 「 ル ウ べ ン ス の 偽 画 」 ( 前 半 ) を 「 山 繭 」 に 、 詩 「 天 使 達 が ・ : ・ : 」 を 、 「 驢 馬 」 に 発 表 。 七 月 、 芥 川 龍 之 介 自 殺 。 か け が え の な い 東 京 に 帰 っ て 病 状 悪 化 。 十 二 月 、 「 恢 復 期 」 を 「 改 造 」 に 、 「 あ い び 師 を 失 い 、 衝 撃 を 受 け る 。 九 月 、 葛 巻 義 敏 と 『 芥 川 龍 之 介 全 集 』 の き 」 を 「 文 科 」 に 発 表 。 一 一 十 八 歳 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l) 編 集 に 没 頭 。 十 二 月 、 肋 膜 炎 の た め 重 態 と な る 。 一 一 十 四 歳 一 月 、 「 燃 ゆ る 頬 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 発 表 。 一 一 月 、 『 聖 家 族 』 を 江 川 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 一 一 年 よ り こ の 年 四 月 ま で 休 学 。 四 月 、 湯 河 原 で 静 養 。 「 不 器 用 な 天 書 房 よ り 刊 行 。 七 月 、 軽 井 沢 へ 。 八 月 、 「 花 を 持 て る 女 」 ( 初 稿 ) を 「 文 学 界 」 に 、 「 プ ル ウ ス い 雑 記 」 ( 「 三 つ の 手 紙 」 ) を 「 新 潮 」 「 作 使 」 は 、 こ の 夏 書 か れ た 。 八 月 末 、 軽 井 沢 に 行 く 。 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) 一 一 十 五 歳 品 」 「 椎 の 木 一 に 分 載 。 九 月 、 「 麦 藁 帽 子 」 を 「 日 本 公 論 」 に 発 表 。 一 月 、 卒 業 論 文 「 芥 川 龍 之 介 論 」 を 書 き 上 げ る 。 二 月 、 「 不 器 用 な 一 か 月 、 病 臥 。 「 年 ル ヘ ル ム ・ マ イ ス テ ル 」 を 読 む 。 十 二 月 、 神 戸 天 使 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 発 表 、 三 月 、 東 京 帝 国 大 学 文 学 部 国 文 科 を 行 。 プ ル ー ス ト 「 再 び 見 出 さ れ た 時 」 を 読 む 。 一 一 十 九 歳 卒 業 。 四 月 、 厚 生 閣 書 店 よ り 『 コ ク ト オ 抄 』 を 刊 行 。 五 月 、 「 詩 的 昭 和 八 年 ( 一 九 三 = l) 精 神 」 ( 「 詩 人 も 計 算 す 5 」 ) を 「 帝 国 大 学 新 聞 」 に 発 表 。 十 月 、 大 養 一 一 月 、 『 ル ウ ペ ン ス の 偽 画 』 を 江 川 書 房 よ り 刊 行 。 五 月 、 季 刊 誌 「 四 健 、 横 光 利 一 、 川 端 康 成 、 永 井 龍 男 、 深 田 久 弥 、 吉 村 鉄 太 郎 ら と 同 季 」 創 刊 ( 二 号 で 終 刊 ) 。 「 プ ル ウ ス ト 覚 書 」 ( 「 覚 書 」 ) を 「 新 潮 」 人 雑 誌 「 文 学 」 を 第 一 書 房 よ り 創 刊 。 「 眠 っ て い る 男 ( 眠 れ る 人 ) 」 に 発 表 。 六 月 、 軽 井 沢 。 「 山 か ら の 手 紙 」 ( 序 曲 ) を 「 大 阪 朝 日 新 聞 」 に 発 表 。 八 月 、 「 フ ロ ー ラ と フ ォ ー ナ 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 を 発 表 。 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 一 一 十 六 歳 九 月 、 「 美 し い 村 」 の 各 章 を 書 く 。 こ の 時 ま で 在 軽 井 沢 。 十 月 、 「 美 一 一 月 、 「 レ エ モ ン ・ ラ ジ ゲ 」 を 「 文 学 」 に 、 「 芸 術 の た め の 芸 術 に つ し い 村 」 を 「 改 造 」 に 、 「 夏 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 、 「 暗 い 道 」 を 「 週 刊 朝 日 」 に 発 表 。 十 二 月 、 『 麦 藁 帽 子 』 を 四 季 社 よ り 刊 行 。 い て 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 三 月 、 「 風 景 」 ( 改 作 ) を 「 文 学 」 に 、 三 十 歳 昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) 「 室 生 犀 星 の 小 説 と 詩 」 ( 「 室 生 さ ん へ の 手 紙 」 ) を 「 新 潮 」 に 発 表 。 「 文 学 」 第 六 号 で 終 刊 。 五 月 、 「 ル ウ ペ ン ス の 偽 画 」 ( 定 稿 ) を 「 作 四 月 、 『 美 し い 村 』 を 野 田 書 房 よ り 刊 行 。 五 月 、 リ ル ケ の 「 マ ル テ 品 」 創 刊 号 に 、 「 死 の 素 描 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 七 月 、 最 初 の 作 品 の 手 記 」 を 読 む 。 七 月 、 信 濃 追 分 の 油 屋 旅 館 に 滞 在 。 「 小 説 の こ と な ど ー ー ー モ オ リ ア ッ ク の 小 説 論 を 読 ん で 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 九 集 『 不 器 用 な 天 使 』 を 改 造 社 よ り 刊 行 ( 「 新 鋭 文 学 叢 書 」 ) 。 十 月 、 月 、 矢 野 綾 子 と 婚 約 。 十 月 、 「 物 語 の 女 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 発 表 。 喀 血 。 十 一 月 、 「 聖 家 族 」 を 「 改 造 」 に 発 表 。

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大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 十 三 歳 三 月 、 牛 島 小 学 校 を 卒 業 。 四 月 、 東 京 府 立 第 三 中 学 校 ( 現 在 両 国 高 校 ) へ 入 学 。 好 き な 学 課 は 数 学 。 大 正 十 年 ( 一 九 一 一 一 ) 十 七 歳 四 月 、 東 京 府 立 第 三 中 学 校 四 年 か ら 、 第 一 高 等 学 校 理 科 乙 類 入 学 。 神 西 清 を 知 る 。 同 期 に 小 林 秀 雄 、 深 田 久 弥 ら が い た 。 シ ョ ウ ・ ヘ ン ハ 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) ウ エ ル 、 ニ イ チ ェ な ど を 読 み 、 ま た フ ラ ン ス 象 徴 詩 に 惹 か れ る 。 十 二 月 一 一 十 八 日 、 東 京 市 麹 町 区 平 河 町 五 / 五 に 生 ま れ る 。 父 浜 之 助 八 月 、 千 葉 県 竹 岡 に 滞 在 中 の 友 人 の 一 家 の と こ ろ で 一 夏 を 過 す 。 は 広 島 県 の 士 族 で 、 維 新 後 上 京 し て 裁 判 所 に 動 め た 。 浜 之 助 に は 国 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 二 一 一 l) 十 九 歳 も と か ら 連 れ て き た 妻 こ う が い た が 、 一 一 人 の 間 に 子 供 が な く 、 辰 雄 萩 原 朔 太 郎 の 「 青 猫 」 を 愛 読 す る 。 五 月 、 第 三 中 学 校 長 広 瀬 雄 の 仲 は 堀 家 の 跡 と り に さ れ た 。 辰 雄 の 生 母 は 江 戸 の 西 村 氏 の 出 で 、 名 は 介 に よ り 室 生 風 を 知 る 。 八 月 、 犀 星 と 共 に 軽 井 沢 に 滞 在 。 九 月 、 志 気 と い っ た 。 没 落 し た 商 家 の 娘 で あ っ た 。 関 東 大 震 災 の 際 に 母 志 気 を 失 う 。 父 と 葛 飾 四 ッ 木 村 に 仮 寓 。 十 月 、 た ば た 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 一 一 歳 厚 星 の 紹 介 に よ り 、 芥 川 龍 之 介 を 知 り 、 以 後 た び た び 田 端 の 家 を 訪 母 志 気 と 共 に 平 河 町 の 堀 家 で 暮 ら し て い た が 、 妻 こ う が 上 京 し て く ね る 。 胸 を 病 み 、 こ の 冬 よ り 休 学 。 る こ と に な っ た の で 、 向 島 小 梅 町 の 母 の 妹 を 頼 っ て 、 堀 家 を 出 た 。 大 正 十 三 年 ( 一 九 二 四 ) 二 十 歳 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 三 歳 四 月 、 父 と 共 に 向 島 区 新 小 梅 町 の 新 居 に 移 る 。 七 月 、 金 沢 に 犀 星 を 向 島 土 手 下 の さ さ や か な 家 で 、 祖 母 、 母 、 辰 雄 の 三 人 で 住 ん だ 。 訪 ね 、 し ば ら く 滞 在 し 、 そ の 帰 途 に 、 軽 井 沢 に 龍 之 介 を 訪 ね る 。 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 四 歳 「 第 一 高 等 学 校 校 友 会 雑 誌 」 に 、 エ ッ セ イ 「 快 適 主 義 」 「 第 一 散 歩 」 母 と 共 に 向 島 須 崎 町 の 上 条 松 吉 に ひ き と ら れ た 。 義 父 松 吉 は 彫 金 師 お よ び 詩 「 古 足 袋 」 「 帆 前 船 」 「 書 物 生 活 」 な ど を 掲 載 。 で 寿 則 と 号 し た 。 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) 二 十 一 歳 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 五 歳 三 月 、 第 一 高 等 学 校 を 卒 業 。 四 月 、 東 京 帝 国 大 学 文 学 部 国 文 科 へ 入 れ ん じ ゃ く 譜 秋 、 洪 水 に あ い 神 田 連 雀 町 の 「 き ん や さ ん 」 に 避 難 し た 。 学 。 中 野 重 治 、 窪 川 鶴 次 郎 、 平 木 一 一 六 ら と 交 際 し だ す 。 七 月 か ら 九 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 六 歳 月 ま で 、 龍 之 介 と 共 に 軽 井 沢 に 遊 ぶ 。 こ の 夏 に ス タ ン ダ ー ル 、 年 養 父 松 吉 は 向 島 区 新 小 梅 町 二 ノ 一 の 水 戸 屋 敷 裏 に 細 工 場 を 建 て 、 そ メ 、 プ ー シ キ ン 、 ア ナ ト ー ル ・ フ ラ ン ス 、 ア ン リ ・ ド ・ レ ニ エ 、 ジ こ か ら 一 か 月 程 、 幼 稚 園 に 通 う 。 こ の 年 四 月 、 実 父 浜 之 助 没 。 イ ド な ど の 作 品 に 親 し む 。 九 月 、 「 甘 栗 」 を 「 山 繭 」 に 発 表 。 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 l) 七 歳 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 一 一 六 ) 二 十 一 一 歳 四 月 、 向 島 の 牛 島 小 学 校 ( 現 在 は 向 島 小 梅 小 学 校 に 統 合 ) へ 入 学 。 三 月 、 「 風 景 」 を 「 山 繭 」 に 発 表 。 四 月 、 中 野 重 治 、 窪 川 鶴 次 郎 、

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『 大 和 路 ・ 信 ~ 足 』 の よ う に 、 純 日 本 的 な 旧 い 街 道 。 具 体 化 は 、 や は り 仏 教 研 究 の 必 要 を 彼 に 痛 感 さ せ る こ つ い て 行 く 歴 史 と 古 典 と の 旅 の 記 録 を 書 く に つ い て と に な っ た 。 そ れ は 、 カ ト リ も 、 堀 辰 雄 は ひ そ か に 、 ノ ト の 紀 行 を 参 考 に し て い ノ ク 教 と 仏 教 と の 比 較 宗 教 学 的 関 、 い た よ う に 、 日 本 の 最 も 古 い 時 代 の 物 語 の 発 想 に も 、 西 と い う ふ う の も の で は な く 、 異 教 的 な リ ル ケ の 形 而 上 欧 の 最 も 洗 練 さ れ た べ イ タ ー の 文 学 の 力 を 借 り た 。 堀 学 を も 含 め た 、 自 己 の 内 部 で の 宗 教 的 心 情 ( サ ン チ マ 辰 雄 は だ か ら 、 西 欧 の 新 文 学 へ の 傾 斜 の あ と で 日 本 の ー ) の 深 化 と い う 道 で あ っ た 。 古 典 へ 回 帰 し た と い う 風 に 、 図 式 的 な 解 釈 で は 、 そ の 堀 辰 雄 は 王 朝 小 説 を 書 く に 際 し て 、 彼 の 青 年 時 代 以 精 神 的 経 歴 を 辿 る こ と は で き な い だ ろ う 。 来 の 師 で あ っ た 芥 川 龍 之 介 の 、 歴 史 の 知 的 解 釈 の 方 法 そ う し て 、 相 変 ら ず 彼 の 関 心 を 惹 い て い た の は 、 プ と 、 も う ひ と り の 師 、 生 犀 の 非 歴 史 的 情 的 解 釈 の ル ー ス ト と リ ル ケ だ っ た 。 戦 争 中 の 暗 黒 時 代 に 、 や は 方 法 と の 両 方 に ま た が っ た 領 域 で 仕 事 を は し め た 。 り プ ル ー ス ト の 弟 子 で あ っ た 、 フ ラ ン ス 語 で 小 説 を 書 し か し 、 彼 は や は り 青 年 時 代 以 来 、 最 も ひ そ か な 影 く ア メ リ カ 人 、 ジ ュ リ ア ン ・ グ リ ー ン の 日 記 を 読 み な 響 を 受 け つ づ け て い た も う ひ と り の 大 正 作 家 、 佐 藤 春 が ら 、 こ の よ う な 作 家 が 同 時 代 に 生 き て い る こ と に 、 夫 の 歴 史 小 説 の 方 法 に 、 実 は 注 目 し て い た 。 心 の 支 え を 感 じ る と 告 白 し て い た 彼 は 、 戦 後 に な っ て そ し て 、 佐 藤 春 夫 の 歴 史 解 釈 の 中 心 に あ る の は 、 仏 新 し い リ ル ケ 研 究 が 独 仏 英 諸 国 で 刊 行 さ れ は し め る 教 で あ る こ と を 見 抜 い て い た の だ っ た 。 し か し 、 こ の よ う な 複 雑 な 経 過 を と っ て 彼 の 内 、 い に と 、 そ れ ら の 新 刊 書 を 、 強 い 好 奇 心 を 以 て 集 め は し め 熟 し つ つ あ っ た 「 万 葉 月 = = 」 は 、 彼 の 死 に よ っ て 実 現 を は ば ま れ て し ま っ た 。 四 十 歳 代 の 堀 辰 雄 は 、 内 面 的 に は 次 第 に 宗 教 的 関 、 い を 深 め て 行 き つ つ あ っ た こ と も 重 要 で あ る 。 ク ロ ー デ ル や モ ー リ ア ッ ク や グ リ ー ン の 文 学 は 、 不 八 人 と 文 学 可 避 的 に カ ト リ ッ ク 研 究 へ の 道 を う な が し た 。 皮 は ヾ ス カ ル な ど を 読 み は じ め た 。 堀 辰 雄 は 戦 前 の 昭 和 文 学 を 代 表 す る 作 家 で あ る 。 一 方 で 、 王 朝 文 学 へ の 親 近 か ら 万 葉 小 説 へ の 構 想 の 代 表 す る と い う 意 味 は 、 彼 が 特 異 な 抒 情 的 な 作 家 で 444

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0 1 告 別 式 ( 昭 和 28 年 6 月 30 日 , 東 京 芝 の 増 上 寺 で ) 前 列 左 か ら 折 ロ 信 夫 , 青 野 季 吉 , 川 端 康 成 , 佐 藤 春 夫 , 室 生 犀 星 , 井 伏 鱒 二 , 後 列 左 か ら 中 村 真 一 郎 , 芥 川 比 呂 志 , 中 里 恒 子 , 今 日 出 海 夫 人 , 小 林 秀 雄 夫 人 , 最 後 列 は 神 西 清 新 し い 西 欧 と 古 い 日 本 と の 調 和 優 し さ と 強 さ と の 調 和 そ こ に 堀 辰 雄 の 窺 ま れ な 特 質 が あ る 彼 は 人 間 と し て は 、 極 め て 優 し い 心 を 持 っ に わ と り て い た 。 戦 争 中 の 田 舎 暮 し で 、 庭 に 鶏 を 飼 っ た 時 、 鶏 が 眠 ら な い う ち は 気 に な っ て 自 分 も 眠 れ な い と い う の で 、 何 度 も 夜 、 庭 へ 降 り て の ぞ 鳥 小 屋 を 覗 き に 行 っ た り す る よ う な 、 神 経 質 な 優 し さ が あ っ た 。 し か し 、 そ れ は や は り 単 な る 優 し さ で は な 底 に は 非 常 に 強 い 意 志 が か く れ て い る す ぐ 彼 の 師 芥 川 龍 之 介 は 、 そ の 卓 れ た 才 智 に よ っ て 、 対 外 的 に 強 い 人 間 に 見 え た 。 し か し 心 の 奧 底 に は 弱 さ を か く し 持 っ て い て 、 そ れ が 彼 の 人 生 を 顛 覆 さ せ て し ま う こ と に な っ た 。 そ れ に 対 し て 堀 辰 雄 は 、 逆 に 外 は 優 し く 見 え て も 、 奧 に 強 さ が ひ そ ん で い た 彼 は 芥 川 と 同 じ よ う に 本 好 き で あ っ た 。 し か し 芥 川 が 必 要 な 本 を ひ と ま と め に し て 、 一 気 に 読 了 す る と い う 速 読 家 で あ っ た の に 対 し て 、 堀 辰 雄 は 本 を ゆ っ く り と 味 わ い な が ら 読 む こ と カ で き た 。 芥 川 は 複 雑 な 人 生 の 経 験 を 、 才 気 あ る 一 行 や さ て ん ぶ く 447

現代日本の文学 20 堀 辰雄 集


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