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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集

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現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


現 代 日 本 の 文 学 吉 川 英 治 集 〈 監 修 委 員 〉 伊 藤 整 井 上 靖 川 端 康 成 ネ 三 島 由 紀 夫 究 〈 編 集 委 員 〉 習 足 立 巻 一 学 奥 野 健 男 尾 崎 秀 樹 杜 夫 ( 五 十 音 順 )

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


・ 第 蓄 等 ー 第 0 ( 第 一 等 常 選 ) 創 津 町 を 響 り 製 へ し て ゆ き 慢 第 吉 川 活 居 ( 第 - 一 等 常 選 ) の に 年 き 京 物 不 瀬 蔦 雄 お と な し ( 押 合 っ て 居 る 、 明 本 第 集 野 猪 牙 昉 を 第 当 ( を レ 0 ( 明 ) 大 正 3 年 「 文 芸 の 三 越 」 に 発 表 さ れ た 川 柳 一 等 入 選 の 記 事 上 京 当 時 19 歳 の 英 治 時 英 の 集 積 で は な い 。 む し ろ そ の 「 智 識 」 を 支 え る 体 験 の 弟 徒 氏 総 和 な の だ 。 吉 川 英 治 は そ の 大 衆 の 智 恵 ー ー 生 き 方 に の 原 学 ぶ こ と を 言 外 で 語 っ て い る 。 い わ ゆ る イ ン テ リ 的 臭 氏 塚 原 ら 助 み を も つ 人 が 、 こ の よ う に 云 え ば 、 時 に は 嫌 味 に 感 じ 塚 か 素 師 左 弟 ら れ る こ と も あ る か も し れ な い 。 し か し 外 な ら ぬ 吉 川 え 絵 英 治 が 、 こ う 語 っ た 場 合 、 そ の 言 葉 は 、 現 実 の 重 み を い 蒔 代 治 持 っ て 受 け と め ら れ る 。 そ れ は 大 衆 性 に よ っ て 裏 う ち さ れ た 言 葉 だ か ら で あ り 、 こ の 大 衆 性 と 教 訓 性 は 、 表 裏 一 体 を な す と い っ て よ か ろ う 。 し か も 吉 川 英 治 の 文 学 に は 、 も う 一 つ 見 落 す こ と の で き な い 要 素 が あ る 。 そ れ は 一 種 の 状 況 感 覚 と で も 云 っ た も の で 、 彼 自 身 の 表 現 を 借 り れ ば 、 〃 時 感 ″ で あ る 。 時 代 感 覚 と 云 い 改 め て も よ い が 、 言 葉 本 来 の 意 味 で の ジ ャ ー ナ リ ス チ ッ ク な 状 況 感 覚 が 、 彼 の 作 品 の 第 三 の 魅 力 で も あ っ た こ と を 忘 れ て は な る ま い そ し て こ れ ら ー ー 大 衆 性 、 教 訓 性 、 状 況 感 覚 の 三 つ が 、 一 体 化 し 血 肉 化 し て い た と こ ろ に 、 吉 川 英 治 文 学 の 特 質 が あ っ た と い う べ き だ ろ う 。 父 の こ と ・ 母 の こ と ひ て つ ぐ 吉 川 英 治 ( 本 名 英 次 ) は 、 明 治 二 十 五 ( 一 八 九 一 l) く ら ぎ 年 八 月 十 一 日 に 、 神 奈 川 県 久 良 岐 郡 中 村 町 ( 現 在 の 横 420

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


現 代 日 本 の 文 学 全 10 巻 吉 川 英 治 集 昭 和 51 年 1 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 3 月 10 日 6 版 発 行 著 者 発 行 者 発 行 所 吉 川 英 治 古 岡 滉 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 郵 便 番 号 145 振 替 東 京 8 : 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 株 式 会 社 恒 陽 社 印 刷 所 株 式 会 社 美 術 版 画 社 信 毎 書 籍 印 刷 株 式 会 社 製 本 加 藤 製 本 株 式 会 社 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ◎ 1976 Fumiko Yoshikawa 164 674 ー 1002 ISBN4 ー 05 ー 050628 ー 9 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 ず

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


か れ て い る が 、 特 定 の 主 人 公 は 見 当 ら な い 。 彼 ら と て ら え る 作 者 の 意 識 と 、 平 和 へ の 祈 り が こ め ら れ て い た 。 吉 川 英 治 は 「 新 ・ 平 家 物 語 」 に ひ き つ づ き 、 南 北 朝 も 歴 史 の 流 れ の 中 に 浮 き 沈 み す る 運 命 的 な 存 在 に す ぎ す い こ て ん な い の だ 。 栄 枯 盛 衰 す る 人 間 の 無 常 感 を 基 調 と し た 古 動 乱 を 「 私 本 太 平 記 」 に 描 き 、 「 新 ・ 水 滸 伝 」 に も と り 組 む が 、 次 第 に 健 康 を そ こ ね 、 「 私 本 太 平 記 」 の 完 結 を 典 「 平 家 」 と 異 な る 点 は 、 視 野 を 同 時 代 史 的 に ひ ろ げ 待 っ て 肺 が ン の 手 術 を 受 け 、 一 年 近 い 療 養 の 後 、 昭 和 て 、 権 力 交 替 の 姿 を 叙 事 詩 的 に 追 求 し て い る と こ ろ で あ ろ う 。 そ れ ま で タ ブ ー と さ れ て い た 天 皇 や 上 皇 な ど 三 十 七 年 九 月 七 日 に 亡 く な っ た 。 彼 の 歴 史 文 学 は 歴 史 と 現 代 を 合 わ せ 鏡 と し て と ら え に も 平 等 な 目 を む け 、 庶 民 層 の 動 き を 幅 ひ ろ く と り こ る と こ ろ に 特 色 が あ っ た 。 そ れ は / 時 感 , に さ さ え ら ん だ と こ ろ に 、 戦 後 の 反 映 が あ っ た 。 第 一 巻 の 〈 ち げ ぐ さ の 巻 〉 は 、 清 盛 が 二 十 歳 の 僊 れ た も の で あ り 、 現 代 人 の 感 覚 に ふ れ て く る も の を も っ て い た 。 吉 川 英 治 の 歴 史 も の は 、 国 民 文 学 の 可 能 陸 三 年 春 か ら は じ ま る 。 そ し て 北 面 の 武 士 た ち と の 交 渉 う つ く っ で 、 青 年 清 盛 の 鬱 屈 し た 青 春 を 描 き 、 遠 藤 盛 遠 や 佐 藤 を し め す も の と し て 高 く 評 価 さ れ た 。 そ れ は 営 々 と し て 築 き あ げ て き た 吉 川 英 治 の 人 間 的 な 研 鑚 の 上 に 花 ひ 義 清 ら の そ れ ぞ れ の 歩 み を 追 い な が ら 、 次 第 に 歴 史 の ド ラ マ に 迫 り 、 保 元 ・ 平 治 の 乱 の 後 、 平 家 一 門 の 繁 栄 ら い た も の だ 。 死 後 十 数 年 を 経 て な お か つ ひ ろ く 愛 読 を 経 て 、 源 氏 の 興 隆 、 平 家 の 敗 残 、 そ し て 源 氏 内 部 の さ れ 、 全 集 や 文 庫 本 で 読 み つ が れ て い る 理 由 も 、 お そ 抗 争 と 筆 を す す め 、 大 河 小 説 と し て の 厚 み を も っ て 話 ら く そ う い っ た 作 者 自 身 の 体 験 が 諸 作 の 裏 に 秘 め ら れ て い る か ら で あ ろ う 。 吉 川 英 治 の し め し た そ の 国 民 文 を 展 開 し て い る 。 作 者 の 視 点 は 、 御 所 の 柳 の 水 の 水 守 り を つ と め 、 後 学 の 可 能 性 を ど の よ う に 継 承 す る か は 、 今 後 の 課 題 で あ さ ど り に は 貧 し い 人 々 の 中 に あ っ て 町 医 者 と し て 過 す 麻 鳥 夫 あ る 妻 の 側 に お か れ 、 そ こ か ら 権 勢 の 推 移 を 仰 角 で と ら え 注 ・ 本 ペ ー ジ 収 録 の 資 料 写 真 に 関 し て は 、 吉 川 家 、 六 興 出 版 等 て い る 。 最 後 に 春 の 一 日 、 吉 野 山 へ 花 見 に 出 か け た 麻 の ご 協 力 を い た だ い た 。 な お 、 著 作 権 に つ い て は 極 力 調 査 に 当 っ た 。 鳥 夫 妻 が 、 人 間 の し あ わ せ に つ い て 語 り あ う く だ り か あ る 。 こ れ は お そ ら く 十 五 年 戦 争 を く ぐ り 抜 け た 大 衆 の 実 感 で も あ ろ う 。 そ こ に は 歴 史 を 時 の 流 れ と し て と け ん さ ん 446

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三 十 七 歳 倒 的 な 人 気 を 博 す 。 同 月 、 「 坂 東 侠 客 陣 」 を 「 面 白 倶 楽 部 」 に 連 載 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) し ょ , ぎ た い ( 十 五 年 十 一 一 月 完 ) 。 い ず れ も 吉 川 英 治 の 名 を 用 い 、 一 躍 、 大 衆 文 一 月 、 「 飢 え た る 彰 義 隊 」 を 「 平 凡 」 に ( 一 一 月 完 ) 、 「 八 寒 道 中 」 を 「 講 か い が ら 学 の ス タ 1 ダ ム に の し 上 っ た 。 五 月 、 少 年 読 物 「 神 州 天 馬 侠 」 を 「 少 談 倶 楽 部 」 に 発 表 。 七 月 、 「 貝 殻 一 平 」 を 「 大 阪 朝 日 新 聞 」 に 昭 和 年 倶 楽 部 」 に 連 載 ( 昭 和 三 年 十 一 一 月 完 ) 。 後 の 「 ひ ょ ど り 草 紙 」 「 月 五 年 三 月 ま で 、 十 月 、 「 恋 ぐ る ま 」 を 「 冨 士 」 に 七 年 一 月 ま で 連 載 。 三 十 八 歳 笛 日 笛 」 「 右 近 左 近 」 な ど と 共 に 少 年 少 女 読 物 の 分 野 に 吉 川 英 治 の 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 名 を 刻 す に 至 る 。 一 月 、 「 月 笛 日 笛 」 を 「 少 女 供 楽 部 」 に ( 六 年 十 二 月 完 ) 、 四 月 、 「 金 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 一 一 六 ) 三 十 四 歳 忠 輔 」 を 「 冨 士 」 に 連 載 ( 十 一 一 月 完 ) 。 七 月 、 「 梅 颶 の 枝 」 を 「 文 藝 じ ゃ こ う ね こ 一 月 、 「 神 変 麝 香 猫 」 を 「 講 談 倶 楽 部 」 に ( 昭 和 一 一 年 十 一 一 月 完 ) 、 「 ひ 春 秋 」 臨 時 増 刊 オ 1 ル 読 物 号 に 発 表 。 九 月 、 「 江 戸 城 心 中 」 を 「 新 愛 よ ど り 草 紙 」 を 「 少 女 倶 楽 部 」 に ( 同 三 年 十 一 一 月 完 ) 、 「 閑 一 文 字 」 知 」 「 北 海 タ イ ム ス 」 等 に 連 載 ( 六 年 五 月 完 ) 。 十 月 、 「 か ん か ん 虫 は を 「 現 代 」 に 連 載 ( 同 十 一 一 月 宀 。 八 月 よ り 大 阪 毎 日 新 聞 社 の 依 頼 唄 う 」 を 「 週 刊 朝 日 」 に 連 載 ( 六 年 一 一 月 完 ) 。 こ の 年 、 一 夜 、 女 中 の な る と ひ ち ょ , で 「 鳴 門 秘 帖 」 を 、 昭 和 一 一 年 十 月 ま で 三 百 五 十 四 回 に わ た り 同 紙 に 下 駄 を は い た ま ま 家 庭 を 出 奔 、 信 州 方 面 を 転 々 と す る 。 十 二 月 帰 京 、 芝 公 園 十 四 号 地 に 移 転 。 連 載 、 成 功 裡 に 迎 え ら れ る 。 昭 和 ニ 年 ( 一 九 一 一 七 ) 三 十 五 歳 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 三 十 九 歳 一 月 、 「 万 花 地 獄 」 を 「 キ ン グ 」 に 連 載 ( 四 年 四 月 完 ) 。 「 蜘 蛛 売 紅 一 月 、 「 牢 獄 の 花 嫁 」 を 「 キ ン グ 」 に 、 四 月 、 「 春 秋 ぶ し 」 を 「 オ か ん た ん 1 ル 読 物 」 に 、 六 月 、 「 魔 海 の 音 楽 師 」 を 「 少 年 世 界 」 に 、 そ れ ぞ れ 太 郎 」 「 邯 鄲 片 手 双 紙 」 を 「 週 刊 朝 日 」 新 年 及 び 春 季 特 別 号 に 発 表 。 ひ の き や ま 同 月 、 矢 野 錦 浪 の 仲 だ ち で 養 女 園 子 を 迎 え る 。 報 知 新 聞 の 野 村 胡 堂 十 二 月 ま で 連 載 。 十 月 、 「 檜 山 兄 弟 」 を 「 大 阪 毎 日 新 聞 ト 「 東 只 日 日 の 依 頼 で 、 十 月 、 「 江 戸 三 国 志 」 を 昭 和 四 年 一 一 月 ま で 「 報 知 新 聞 」 に 新 聞 」 に 連 載 ( 七 年 十 一 月 宀 。 な お 構 想 途 中 、 服 部 之 聡 「 尊 王 攘 夷 連 載 。 戦 略 史 」 ( 「 中 央 公 論 」 六 年 七 月 ) を 読 み 、 教 え ら れ る こ と 多 く 、 芝 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 三 十 六 歳 公 園 同 番 地 の 服 部 を 訪 ね る 。 同 月 よ り 平 凡 社 刊 『 吉 川 英 治 全 集 』 ( 全 四 月 、 「 女 来 也 」 を 「 冨 士 」 に ( 四 年 九 月 完 ) 、 「 続 鳴 門 秘 帖 」 を 「 文 十 八 巻 ) の 刊 ( ま る 。 全 集 の た め に 「 無 宿 人 国 記 」 を 書 下 し 、 月 し よ う ゆ こ 連 載 。 芸 倶 楽 部 」 に 連 載 ( 同 六 月 中 絶 ) 。 五 月 、 「 醤 油 仏 」 を 「 改 造 」 に 幸 ! 四 十 歳 発 表 。 一 月 、 平 凡 社 刊 「 現 代 大 衆 文 学 全 集 」 に 収 め ら れ た 「 鳴 門 秘 帖 」 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l) が 四 十 万 部 を 超 す 売 れ 行 き を 示 し 、 巨 額 の 印 税 を 得 る 。 し か し 家 庭 一 月 、 「 本 町 紅 屋 お 紺 」 - 「 講 談 倶 楽 部 」 に 、 「 佐 幕 忠 臣 蔵 」 を 「 冨 内 に 好 ま し か ら ざ る 問 題 を 引 き お こ す と 見 、 東 示 府 下 上 落 合 五 五 三 士 」 に 発 表 。 一 一 月 、 「 函 館 病 院 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 四 月 、 「 戦 国 後 年 ( 現 、 新 宿 区 上 落 合 一 一 丁 目 一 一 六 ) の 新 居 建 築 に そ の こ と ご と く を 費 家 」 を 「 婦 人 公 論 」 に 、 六 月 、 「 野 槌 の 百 」 を 「 週 刊 朝 日 」 に 発 表 。 み そ 消 。 妻 や す と の 溝 が 深 ま り 、 家 を 出 、 転 々 と 旅 を 書 斎 に し て 執 筆 し 同 月 、 「 紅 騎 兵 」 を 「 読 売 新 聞 」 に ( 八 年 一 月 、 七 月 、 「 心 の 一 つ ) 0 の 灯 」 を 「 国 民 新 聞 」 に ( 八 年 五 月 宀 、 八 月 、 「 燃 え る 富 士 」 を 「 日

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


吉 川 英 治 集

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一 0 七 瞋 恚 に 燃 え て : : : 怒 り に 燃 え る さ ま 。 「 瞋 」 は 目 を 張 り 怒 る 楽 や 幸 若 舞 な ど に 取 り 入 れ ら れ て い る 。 さ ま 。 「 恚 」 も 怒 る さ ま を い う 。 一 一 穴 陰 間 茶 屋 江 戸 時 代 、 男 色 を 売 る 茶 屋 の こ と 。 男 色 楼 、 子 供 一 三 の 糸 三 味 線 の 第 三 の 糸 。 一 番 細 く 調 子 の 高 い と こ ろ 。 屋 と , も い 、 つ 。 一 皂 玉 帳 芸 妓 や 娼 妓 の 玉 代 を 記 入 す る 帳 面 。 一 一 穴 神 馬 小 屋 神 社 に 奉 納 さ れ た 馬 ( 神 馬 ) を つ な い で お く 小 屋 6 ご だ い ど 一 一 九 怖 い も の は 、 世 の 中 の 変 遷 じ ゃ : : : 主 人 公 を し ば っ て い た 一 三 0 吉 野 の 御 陵 吉 野 に あ る 後 醍 醐 天 皇 の 御 陵 6 「 家 」 の 肉 親 の 口 か ら 、 こ う い う 言 葉 が 出 て く る 。 静 か に 時 間 一 三 一 癆 咳 肺 病 の こ と 。 は 流 れ 、 舞 台 が 移 っ て い く さ ま が 描 か れ て い く 。 三 一 大 原 卿 大 原 重 徳 ( 180 一 ~ 1879 ) 。 幕 末 勤 皇 派 の 公 卿 の 一 人 。 三 0 黄 表 紙 江 戸 末 期 の 草 双 紙 の 一 つ 。 大 人 の 読 み 物 で 、 黄 色 の 安 政 の 大 獄 に も 連 座 し た が 、 当 時 、 幕 政 の 改 革 や 将 軍 の 上 洛 を 表 紙 の も の 。 紙 質 は 粗 悪 で 、 色 刷 り の も の も 多 い 。 恋 川 春 町 の う な が す 目 的 を も っ て 、 勅 使 と し て 江 戸 に 下 っ て い た 。 『 金 金 先 生 栄 花 夢 』 よ り 始 ま る 。 一 三 三 大 橋 訥 庵 ( 1816 ~ 1862 ) 。 江 戸 の 儒 者 。 朱 子 学 を 奉 じ た 攘 夷 三 一 三 井 江 戸 幕 府 御 用 商 、 三 井 越 後 屋 。 繁 栄 を き わ め 、 明 治 維 論 者 で 、 老 中 安 藤 信 正 の 暗 殺 を 企 て 失 敗 。 そ ん ご く , い の し し 新 以 降 も 敗 戦 時 の 財 閥 解 体 ま で 、 三 井 三 菱 と う た わ れ た 巨 大 財 一 三 七 猪 八 戒 孫 悟 空 ら と 共 に 『 西 遊 記 』 に 登 場 す る 猪 の 化 物 。 く す の き ま さ し げ 閥 の 一 つ 。 一 巴 女 楠 木 女 で あ っ て 、 軍 略 の 名 人 楠 木 正 成 の よ う に 知 恵 の あ り よ う が え 三 一 鴻 之 池 大 阪 に お け る 大 富 豪 の 一 つ 。 随 一 の 両 替 商 と し て 諸 る 人 物 を い う 。 藩 の 財 政 に 隠 然 た る 影 響 力 を 持 っ て い た 。 西 一 間 違 っ て 、 侍 の 家 に : こ の 作 の 重 要 な キ 1 ・ ワ 1 ド 。 吉 一 三 北 廓 こ こ で は 江 戸 吉 原 の 遊 里 を い う 。 川 英 治 の 代 表 作 『 宮 本 武 蔵 』 的 な 生 き 方 と は ま っ た く 異 な る 。 吉 川 文 学 の も う 一 つ の 面 が こ こ に 出 て い る 。 一 一 三 生 姜 祭 芝 大 神 明 の 祭 礼 。 毎 年 九 月 十 一 日 か ら 二 十 一 日 ま で あ お 、 行 な わ れ る 。 境 内 で 生 姜 を 売 る と こ ろ か ら い わ れ る 。 西 一 菊 は 栄 え る 葵 は 枯 れ る 菊 は 皇 室 の 紋 章 、 葵 に 徳 川 家 の 紋 章 う た ま ろ 一 一 = 一 鳥 文 斎 栄 之 ( 1756 ~ 1829 ) 。 喜 多 川 歌 麿 、 鳥 居 清 長 と 並 ぶ 、 で 、 勤 皇 倒 幕 運 動 が 勢 を 得 、 幕 府 方 の 力 が 衰 え て き た こ と を 諷 浮 世 絵 の 巨 匠 。 刺 し た 当 時 の 流 行 歌 。 ゅ げ の ど , き ょ , ち ょ う あ い 三 四 道 鏡 弓 削 道 鏡 ( 7 ~ 772 ) 。 奈 良 時 代 の 僧 。 称 徳 天 皇 の 寵 愛 一 騁 菽 麦 「 菽 」 は ま め の 一 物 ま め と む ぎ 。 こ こ で は 愚 か な 毎 日 を 受 け 法 王 に ま で 昇 り 専 横 を き わ め た 。 皇 位 を も う か が っ た が 、 の 生 活 を い う 。 わ け の き ょ ま ろ し も つ け 解 そ の 野 望 を 和 気 清 麻 呂 に よ っ て は ば ま れ 、 下 野 国 に 配 流 さ れ る 。 一 犬 か ん ぬ き 差 し 刀 を 水 平 に さ す こ と 。 い ば り 散 ら す さ ま を い だ る 三 四 柳 樽 結 婚 な ど の 祝 儀 に 用 い る 酒 樽 。 胴 と 柄 が 長 く 、 朱 漆 で 注 ぬ ら れ て い る 。 一 六 三 為 永 本 為 永 春 水 の 人 情 本 の こ と 。 た か す ぎ し ん さ く 三 五 敦 盛 平 敦 盛 。 平 家 の 若 武 者 ( 一 一 69 ~ 一 一 84 ) 。 源 平 合 戦 の と き 、 一 会 奇 兵 隊 節 奇 兵 隊 は 、 長 州 の 高 杉 晋 作 が 武 士 階 級 以 外 か ら も 須 磨 の 浦 で 鯔 実 に 討 た れ る 。 悲 劇 的 な 物 語 と し て 、 後 、 能 実 力 あ る 者 を 集 め て 結 成 し た 画 期 的 な 軍 隊 。 そ の 隊 に よ っ て う む さ し

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日 411 年 の た め に 奉 公 に 出 る 。 「 芭 蕉 句 集 」 を 露 店 で 買 い 、 以 後 数 年 、 身 近 か 日 本 キ リ ス ト 教 会 青 年 部 の 若 い ク リ ス チ ャ ン 夫 婦 の 尽 力 で 、 本 所 菊 あ い し よ う て さ げ ら 離 さ ず 、 句 作 の 範 と し 、 愛 誦 す る 。 川 町 の ラ セ ン 工 場 に 勤 め た 後 、 近 所 の 手 提 金 庫 製 作 所 に 転 職 、 工 場 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 十 四 歳 主 の 好 意 で 本 所 林 町 の 夜 間 の 工 芸 学 校 に し ば ら く 通 学 。 次 い で 津 お の え ま き え 父 、 再 起 の 緒 に つ き 、 横 浜 尾 上 町 の 教 会 前 に 店 舗 を 持 ち 、 新 聞 広 告 蒔 絵 師 の 塚 原 氏 の 徒 弟 と な り 金 属 象 眼 の 技 法 を 学 び な が ら 浅 草 三 筋 取 次 店 「 日 進 堂 」 の 営 業 を 受 け 継 ぐ 。 昼 は 店 番 を し 、 夜 は 商 業 学 校 町 の 三 軒 長 屋 に 住 む 。 東 京 下 町 の 空 気 に 親 し み を 覚 え た 。 た か し ま ぺ い ほ う 夜 間 中 学 に 通 学 。 高 嶋 米 峰 主 宰 の 「 学 生 文 壇 」 一 一 号 に 小 説 「 浮 寝 鳥 」 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 ll) 二 十 歳 き じ ろ う を 投 稿 し 当 選 。 「 貿 易 新 報 」 の 俳 壇 に と き ど き 入 選 し た 。 雉 子 郎 の 号 で 「 講 談 倶 楽 部 」 に 川 柳 俳 句 を 投 稿 、 た び た び 入 選 掲 載 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 十 五 歳 さ れ る 。 ( 「 水 欄 に 眉 涼 し け れ 初 袷 」 「 杜 物 傘 紺 青 に タ 明 り 」 な ど ) こ せ ざ き ち ょ , 夜 間 中 学 の 簿 記 や 算 術 に 興 味 が わ か ず 、 夜 は 伊 勢 佐 木 町 を 歩 き 回 る の 頃 、 井 上 剣 花 坊 の 訪 間 を 受 け る 。 こ の 年 、 横 浜 よ り 両 親 は じ め 一 な ど 、 不 良 的 傾 向 が 強 ま っ た 。 父 、 再 度 没 落 し 日 進 堂 を 閉 店 、 戸 部 家 上 京 、 本 所 緑 町 の ガ ー ド 下 に 借 屋 を 借 り て 住 ま わ せ る 。 三 女 か ゑ 癶 レ ト ・ う ′ か の 裏 長 屋 に 移 転 、 病 状 悪 化 し て 、 以 後 、 ほ と ん ど 病 臥 の 人 と な る 。 が 長 野 県 須 坂 に 養 女 に 出 さ れ た こ と を 知 る 。 後 、 一 家 は 浅 草 番 場 町 、 よ し わ ら ゆ 5 か く 近 所 の 人 の 世 話 で 日 給 七 十 五 銭 の 日 雇 い に 出 る 。 年 末 、 日 出 町 一 丁 吉 原 遊 廓 に 近 い し も た 屋 と 居 を 替 え る 。 母 は 吉 原 に 針 仕 事 に 通 い だ 目 の 海 軍 御 用 雑 貨 商 続 木 商 会 に 住 み 込 み 店 員 と な る 。 す 。 ま た 、 弟 素 助 も 塚 原 氏 に 徒 弟 と し て 住 み 込 む 。 こ の 年 、 徴 兵 検 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 十 六 歳 査 丙 。 続 木 商 店 の 横 須 賀 支 店 へ 移 り 、 碇 泊 中 の 艦 艇 の 酒 保 に 物 品 納 入 の 仕 大 正 ニ 年 ( 一 九 一 三 ) 二 十 一 歳 事 に 当 る 。 横 須 賀 新 聞 俳 壇 の 、 秋 季 俳 句 大 会 に 入 選 表 彰 さ れ る 。 十 塚 原 氏 よ り 自 立 。 日 本 橋 林 善 兵 衛 商 会 の 貿 易 部 か ら 仕 事 を も ら い 、 一 月 、 退 店 。 下 谷 西 町 に 下 宿 、 仕 事 場 と す る 。 弟 素 助 は 塚 原 家 に と ど ま っ た 。 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 十 七 歳 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 二 十 一 一 歳 三 月 、 横 浜 ド ッ ク 会 社 船 具 工 と し て 入 社 。 日 給 四 十 一 一 銭 。 五 月 、 千 一 月 、 「 文 芸 の 三 越 」 ( 日 本 橋 ピ ル 落 成 記 念 に 三 越 呉 服 店 が 、 小 説 、 葉 県 の 田 舎 町 に 奉 公 に 出 さ れ た 四 女 は ま 死 亡 。 年 齢 九 歳 。 秋 、 家 計 短 歌 、 川 柳 等 を 募 集 し て 出 版 し た 本 ) に 川 柳 一 等 当 選 ( 吉 川 独 活 居 か ね す る が ち ょ , い さ さ か 好 転 し 、 鉄 の 橋 際 吉 田 町 一 一 丁 目 に 移 る 。 父 の 病 状 、 よ う や の 号 で 「 駿 河 町 地 を 掘 り 空 へ 伸 し て ゆ き 」 ) 。 生 計 の 見 込 も た ち 、 五 く 小 康 を 得 る 。 月 、 浅 草 栄 久 町 十 八 番 地 新 堀 端 に 一 戸 を 借 り 、 家 族 全 員 で 暮 ら す よ 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 十 八 歳 う に な る 。 井 上 剣 花 坊 ら と の 親 交 深 ま り 「 大 正 川 柳 」 の 同 人 と な り 、 に ゆ , き ょ し な の 十 一 月 、 ド ッ ク に 入 渠 中 の 信 濃 丸 船 腹 に て 作 業 中 、 足 場 板 も ろ と も 六 月 、 事 に 選 ば れ た 。 十 月 、 「 講 談 倶 楽 部 」 の 懸 賞 募 集 に 応 じ 、 転 落 、 人 事 不 省 の ま ま 横 浜 十 全 病 院 に 収 容 さ れ る 。 十 一 一 月 退 院 。 こ 時 代 小 説 「 江 の 島 物 語 」 が 一 等 に 当 選 。 賞 金 十 円 を 得 る 。 れ を 転 機 と し 、 十 二 月 末 、 苦 学 の 決 意 で 上 京 。 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 一 一 十 四 歳 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 l) 十 九 歳 日 本 橋 浜 町 三 丁 目 に 移 転 。 田 川 に 関 す る 古 川 柳 を 考 究 し た 「 古 川 ば し よ う て い は く

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


407 注 解 深 遠 な 教 え に 対 し て 、 「 小 乗 」 は 自 己 自 身 の 修 業 や 思 弁 に 目 的 を 一 一 哭 直 木 三 十 五 ( 一 89 一 ~ 一 934 ) 。 本 名 は 植 村 宗 一 。 大 阪 で 生 ま れ 、 早 稲 田 大 学 に 学 ぶ 。 本 名 の 「 植 」 の 字 を 一 一 つ に 分 け て 「 直 木 」 置 く 、 消 極 的 な 面 を 多 分 に 持 つ 。 治 国 の た め の 剣 と 、 流 派 や 自 と し 、 三 十 一 歳 の 時 、 「 直 木 三 十 一 」 と 名 の り 、 つ い で 年 ご と 己 の た め の 剣 と の 差 を 大 乗 小 乗 に た と え て い る も の 。 に 数 を ふ や し 、 「 三 十 五 」 で と ど め た 。 大 正 末 か ら 昭 和 初 期 に 一 = 五 治 国 安 民 儒 教 の 「 修 身 斉 家 治 国 平 天 下 」 の 考 え 方 と 通 じ 合 お さ ら ぎ う 。 国 を 治 め 、 民 を 安 ん じ る の 意 。 活 躍 。 代 表 作 は 『 南 国 太 平 記 』 。 大 佛 次 郎 ら と 共 に 時 代 小 説 を 一 = 五 邪 宗 門 こ こ で は キ リ ス ト 教 の こ と 。 一 般 の 知 識 層 読 者 に ま で ひ ろ げ た 。 死 後 、 そ の 功 績 を 記 念 す る こ , た た め に 、 菊 池 寬 に よ り 直 木 賞 が 昭 和 十 年 設 定 さ れ た 。 一 三 六 隆 達 節 近 世 小 唄 の も と と な っ た も の 。 文 禄 時 代 か ら 慶 長 期 さ か い に ら れ ん 一 一 哭 苦 楽 大 正 末 か ら 昭 和 初 期 に 、 。 フ ラ ト ン 社 よ り 発 行 さ れ て い に か け て は や っ た 。 堺 の 日 蓮 宗 の 僧 隆 達 が 始 め た と い う 。 た 大 衆 娯 楽 雑 誌 。 一 三 一 一 惻 隠 の 情 心 か ら あ わ れ に 思 う 気 持 。 『 孟 子 』 よ り 出 た 言 葉 。 一 一 哭 オ 1 ル 「 オ 1 ル 読 物 」 の こ と 。 一 一 三 七 僥 倖 思 い が け な い 幸 い 。 一 一 五 0 宀 昌 員 官 吏 。 明 治 時 代 に 広 く こ の 言 葉 が 使 わ れ た 。 官 尊 民 卑 忘 れ 残 り の 記 の 考 え 方 が 一 般 的 で あ っ た の で 、 こ の 官 員 の 社 会 的 地 位 は き わ め て 高 い 。 一 一 葉 亭 四 迷 の 『 浮 雲 』 に こ の よ う な 世 相 が 鮮 や か に 一 西 一 断 腸 亭 日 乗 永 井 荷 風 の 日 記 。 荷 風 の 中 年 か ら 晩 年 に か け て 描 か れ て い る 。 の 日 常 が 細 か く 記 さ れ て い る 。 な か に は 、 公 表 を 予 期 し て 書 か れ て い る 部 分 も あ る が 、 卓 越 し た 「 文 明 批 評 」 の み な ら ず 、 時 一 一 五 0 立 志 の 夢 志 を 立 て て 郷 里 を 出 、 上 京 す る 、 と い う こ と は 、 明 治 の 若 者 の 一 般 的 な コ 1 ス で あ っ た 。 身 を 立 て 、 名 を あ げ 、 代 を 反 映 し た 「 風 俗 資 料 」 と し て も 有 益 。 文 学 的 評 価 の き わ め と い う 考 え 方 の も と に な る 。 て 高 い 日 記 で あ る 。 す い ば く な ん し ゅ う 一 酉 一 長 谷 川 如 是 閑 ( 一 875 ~ 一 969 ) 。 大 正 期 か ら 昭 和 期 に か け て の 一 一 五 0 南 画 南 宗 画 。 中 国 の 北 画 ( 北 宗 画 ) に 対 し て い う 。 水 墨 、 た ん さ 、 い く お 淡 を 用 い て 主 と し て 山 水 を 描 く 。 わ が 国 で は 江 戸 中 期 よ り 流 評 論 家 。 新 聞 人 と し て も 活 躍 、 ま た 大 山 郁 夫 と 雑 誌 「 我 等 」 を 行 。 特 に 学 煮 文 人 の 間 で こ の 南 画 が よ く 描 か れ て い た 。 創 刊 、 大 正 期 デ モ ク ラ シ 1 の 先 頭 に 立 っ た 。 戦 時 中 は リ べ ラ ル ら ん な 立 場 よ り 軍 国 主 義 に 抵 抗 、 そ の 自 叙 伝 『 あ る 心 の 自 叙 伝 』 は 、 一 一 五 0 四 君 子 絵 画 で 梅 、 菊 、 蘭 、 竹 の 総 称 。 戦 後 「 朝 日 評 論 」 に 連 載 さ れ 、 昭 和 二 十 五 年 、 大 阪 朝 日 新 聞 社 一 一 五 一 庭 訓 き び し い 家 庭 の し つ け を い う 。 こ う し か ふ ら や 一 一 五 三 嚆 矢 事 の 始 め 。 「 嚆 矢 」 は 鏑 矢 の 意 。 昔 は 鏑 矢 を 敵 陣 に 向 よ り 刊 行 さ れ た 。 さ が み け て 射 る 事 よ り 戦 い が 始 っ た 。 一 一 四 四 根 府 川 ~ 崟 海 道 線 に 沿 う 小 田 原 の 近 く の 地 名 。 相 模 湾 に 臨 む 。 も と な り 日 清 戦 争 が 鶸 発 す る や 、 よ く 民 間 で 一 一 四 五 吉 川 元 春 0530 ~ 一 586 ) 。 中 国 地 方 の 雄 将 毛 利 一 兀 就 の 次 男 。 一 一 契 日 清 談 判 破 裂 シ テ ・ : た か か げ 歌 わ れ た も の 。 弟 の 小 早 川 降 景 等 と 共 に 毛 利 家 の 基 礎 を 築 い た 戦 国 時 代 の 代 表 一 亳 福 島 中 佐 福 島 安 正 ( 1852 ~ 19 一 9 ) 。 後 年 陸 軍 大 将 ま で 昇 進 的 武 将 。

現代日本の文学 Ⅱ― 4 吉川 英治 集


ら い の 子 が 豆 腐 な ど 買 い に 行 け る か 、 と い 0 て 威 張 0 た そ 時 に は 自 省 し て み る 必 要 が ぼ く に は あ る 。 忽 と 社 会 の 木 ま た う じ ゃ よ オ い か 。 な ぜ 、 青 く な る か 。 切 れ 」 と 云 っ て 、 銀 左 の 股 か ら 生 れ て 来 た 者 み た い に 、 ぼ く は 自 分 を 取 澄 ま し て 衛 門 が ね め つ け た 。 い く ら 謝 っ て も 、 ペ ソ を 掻 い て も 、 断 安 易 に う ぬ れ て も い ら れ な い 。 じ て 「 切 れ 」 と 云 う の み で ゆ る さ な い 。 じ ゅ く 家 じ ゅ う の 騒 ぎ に な っ た 。 姉 は も ち ろ ん 風 邪 ひ き の 母 も 塾 の 明 治 娘 下 男 も み な 一 室 に 寄 っ て 来 て 、 丈 之 助 の 代 り に 泣 い て 託 び な だ る や ら 宥 め る や ら を 尽 し た が 、 銀 左 衛 門 は ゆ る す と は い わ な い 、 そ の う ち に 、 深 夜 に な っ た 。 堪 ら な く な っ て 、 姉 や 文 芸 家 協 会 の 会 員 カ ー ド を 初 め 、 よ く い ろ ん な 問 合 せ や 下 男 た ち は 、 戸 外 へ 走 っ て 行 っ た 。 親 類 の 者 を 呼 び 集 め に 申 込 書 な ど に 、 略 歴 、 本 名 、 生 年 月 日 な ど の 記 入 欄 が あ る 行 っ た の だ っ た 。 後 か ら 後 か ら い ろ ん な 顔 が 加 わ っ た 。 け が 、 い っ た い 、 生 れ た 月 日 な ど を 、 他 人 が 何 の 便 利 に つ か れ ど 、 銀 左 衛 門 は 、 そ れ ら の 人 々 の と り な し に も 「 う ん 」 う の だ ろ う 。 ヘ ン な 習 慣 で あ る 。 自 分 自 身 に さ え 、 間 違 い と は い わ な い 。 そ の う ち に 、 と う と う 夜 が 明 け て き た 。 や の な い 生 れ 月 や 日 を 確 め る 必 要 な ど は 一 生 の 間 で も め っ た と 云 っ た の が 朝 に あ り は し な い っ と 銀 左 衛 門 も 折 れ た 様 子 で 「 で は : ・ こ ろ 陽 を 見 た 頃 だ っ た 。 「 ゆ る す わ け に ゆ か な い が 、 親 類 の 衆 だ が 、 何 だ か こ こ で は そ れ が 必 要 事 み た い に な っ て 来 た に あ ず け て お く 」 そ れ が 、 銀 左 衛 門 の さ い ご の 云 い 渡 し だ の で 、 明 記 す る と 、 ぼ く の は ″ 明 治 二 十 五 年 八 月 十 三 日 生 〃 が 戸 籍 面 で あ る 。 っ た と い う 。 そ の 場 か ら 丈 之 助 は 叔 母 か 誰 か に 手 を ひ か れ て 親 類 の 家 ほ ん と は 、 十 一 日 生 れ だ が 、 届 け 出 が 二 日 遅 れ た の だ そ へ 連 れ て 行 か れ た 。 よ く あ る 親 類 預 け に な っ た わ け で あ る 。 う だ 。 ど う で も い い よ う な も の の 、 母 の 亡 い 今 日 、 そ ん な の 親 類 も 貧 乏 だ っ た ろ う し 、 し つ け と か 、 こ ら し め の 意 味 も 事 も ま た 聞 い て お い て よ か っ た と 思 っ て い る 。 自 分 だ け に ふ く め て 、 そ れ か ら す ぐ 丈 之 助 は 、 小 田 原 か ら 数 里 奥 の 道 と っ て は 、 地 球 の 実 存 以 上 、 重 大 で あ っ た 自 分 の 誕 生 日 が 、 あ い ま い も こ で あ る よ り は 、 や は り は っ き り 分 っ て い た 方 了 さ ま と 俗 に い う 山 の 寺 房 へ 寺 小 姓 に や ら れ て し ま っ た 。 忘 ぼ く の 父 は 以 後 十 四 歳 ま で 、 道 了 権 現 の 山 の 中 に お か が 気 も ち が い い れ 、 お か げ で 修 学 も で き た が 酷 使 さ れ て い た の だ そ う だ 。 と い っ て も 単 に 生 れ た ん だ と い う と し た 観 念 の ほ か 、 ま で こ う い う 祖 父 と 父 と か ら つ な が っ て い る ぼ く で あ っ た 。 と 、 も の 心 が つ く 迄 の 何 年 か は 、 誰 で も 例 外 な し の 空 白 で あ る 。 1 三 ロ た ま ご ん げ ん