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検索対象: 現代日本の文学 31 太宰 治 集

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現代日本の文学 31 太宰 治 集


現 代 日 本 の 文 学 太 宰 治 集 三 川 井 伊 臣 ,. 北 尾 奥 足 崎 野 立 集 端 上 藤 修 五 + 杜 秀 健 巻 委 紀 康 壘 大 樹 男 夫 成 靖 整 学 習 研 究 社

現代日本の文学 31 太宰 治 集


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現代日本の文学 31 太宰 治 集


太 宰 治 集

現代日本の文学 31 太宰 治 集


現 代 日 本 の 文 学 31 太 宰 全 60 巻 治 集 昭 和 44 年 9 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 18 版 発 行 著 者 太 宰 治 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 鑾 査 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 暁 印 刷 株 式 会 社 製 本 株 式 会 社 若 林 製 本 工 場 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 7 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 OMichiko Tsushima 1969 Printed in Japan ISBN4 ー 05 ー 050241 ー 0 C0393 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す

現代日本の文学 31 太宰 治 集


昭 和 44 年 6 月 19 日 桜 桃 忌 の 会 場 風 景 三 鷹 褝 林 寺 で 太 宰 の 墓 桜 桃 忌 の 日 に 写 真 協 力 = 大 竹 新 助 、 津 島 美 知 子 、 日 本 近 代 文 学 館 は か 。 写 真 の 著 作 権 は 極 力 調 査 し ま し た 。 4 評 論 で あ っ た か ら で あ る 。 : ま っ た く こ の 結 末 は 、 こ の 斜 陽 の 中 に 立 っ 母 性 の す が た は 、 そ の 華 麗 ・ 荘 厳 ・ 哀 愁 を き わ め た 映 像 は 、 ま ぎ れ も な く 聖 書 的 で さ え あ り は し な い か い ? ・ 僕 は こ の 「 斜 陽 』 一 曲 を 、 も し 許 さ れ る な ら 、 聖 書 の 主 題 に よ る ヴ ァ リ エ シ ョ ン と 呼 び た い と 思 、 フ よ 。 絵 で 言 え ば 君 、 さ し ず め あ の フ ラ ・ ア ン ジ ェ リ コ だ 、 あ の ユ ル ト ナ 受 洗 堂 の 受 胎 告 知 図 だ よ 。 聖 母 は 君 、 実 は 弟 直 治 に よ っ て 身 ご も っ た の だ よ 。 な あ に 上 原 な ん て 、 ほ ん の 小 道 具 に す ぎ な い の だ 。 分 る か い 、 僕 の 言 う 意 味 が ? か す 子 は お の れ の 胎 に 、 ほ か な ら ぬ わ が 胎 に 、 血 す じ を し か と 受 け 留 め た の だ よ 。 」 「 思 い 出 」 か ら 「 斜 陽 」 に い た る 太 宰 の 文 学 の 全 体 を 意 味 づ け る 仕 事 は 、 現 在 ま だ 終 っ て は い な い よ う で あ る 。 た だ 、 神 西 清 の い う よ う に 「 太 宰 文 学 の 本 質 は 、 つ き つ め て 言 え ば 君 、 祈 り だ よ 」 と い う 認 識 は 恐 ら く 多 く の 人 々 の 共 感 を 誘 う に ち が い な い 。 し か し 太 宰 は 、 ど う や ら 救 い よ り も 、 罪 せ ら れ る こ と を 祈 っ た よ う な 気 味 が あ る 。 そ し て そ れ は 、 む し ろ 男 ら し い こ と で は な か っ た ろ う か と い う 疑 念 が お こ る と き 、 太 宰 の 文 学 は 深 く そ の 人 を と ら え る の で あ ろ う 。 480

現代日本の文学 31 太宰 治 集


昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) 十 八 歳 四 月 、 青 森 中 学 四 年 ( 当 時 五 年 制 ) を 終 え 、 弘 前 高 等 学 校 文 科 甲 類 ( 英 語 ) に 入 学 。 九 月 、 青 森 市 の 芸 妓 小 山 初 代 を 知 る 。 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 十 九 歳 五 月 、 同 人 雑 誌 「 細 胞 文 芸 」 を 主 宰 し 、 「 無 間 奈 落 」 を 辻 島 衆 一 一 の 筆 名 で 発 表 ( こ の 小 説 は 未 完 に 終 わ っ た ) 。 七 月 、 文 科 乙 類 ( ド イ ツ 語 ) に い た 石 上 玄 一 郎 が 同 人 に 参 加 し た 。 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 六 月 十 九 日 、 青 森 県 北 津 軽 郡 金 木 村 大 字 金 木 字 朝 日 山 四 一 四 番 地 に 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) 二 十 歳 生 ま れ た 。 本 名 、 津 島 修 治 。 父 は 源 右 衛 門 、 母 は た ね 。 文 治 、 英 治 、 一 月 五 日 、 弟 礼 治 死 去 。 享 年 十 七 歳 。 一 一 月 、 「 弘 高 新 聞 」 第 五 号 に り ん う ち 「 鈴 打 」 を 、 四 月 、 青 森 の 文 芸 雑 誌 「 猟 騎 兵 」 に 「 虎 徹 宵 話 」 を 、 圭 治 の 三 兄 ( 長 男 総 一 郎 、 次 男 謹 三 郎 は 夭 折 ) 、 た ま 、 と し 、 あ い あ わ れ が き ゃ う の 四 姉 が あ り 、 修 治 は 六 男 で あ っ た ( 後 に 三 歳 下 の 弟 礼 治 が 五 月 、 「 弘 高 新 聞 」 第 六 号 に 「 哀 蚊 」 を 、 九 月 、 「 弘 高 新 聞 」 第 八 号 や ま げ ん 生 ま れ た が 十 七 歳 で 死 去 ) 。 津 島 家 は 通 称 〈 源 と い い 、 県 下 有 数 の 大 に 「 花 火 」 を 共 に 小 菅 銀 吉 の 筆 名 で 発 表 。 十 二 月 十 日 夜 半 、 思 想 的 地 主 で あ り 、 父 は 衆 議 院 議 只 貴 族 院 議 員 を 歴 任 し て 、 地 方 の 名 士 な 苦 悶 か ら カ ル モ チ ン 自 殺 を 図 っ た 。 二 十 一 歳 と し て 活 躍 し た 。 三 歳 か ら 八 歳 ま で 越 野 た け に 育 て ら れ 、 ま た 同 居 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) し て い た 叔 母 き ゑ に 可 愛 が ら れ た 。 小 学 校 に 入 る こ ろ 、 き ゑ は 同 郡 青 森 地 方 の 主 な 同 人 雑 誌 を 集 め て 創 刊 さ れ た 文 芸 雑 誌 「 座 標 」 に 「 地 主 一 代 」 、 「 学 生 群 」 を 共 に 連 載 、 大 藤 熊 太 の 筆 名 で 発 表 し た 五 所 川 原 町 に 分 家 し た 。 七 歳 が 、 い ず れ も 未 完 に 終 わ っ た 。 三 月 、 弘 前 高 等 学 校 を 卒 業 。 四 月 、 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 東 京 帝 国 大 学 文 学 部 仏 文 科 に 入 学 、 戸 塚 町 諏 訪 町 に 下 宿 し た 。 井 伏 金 木 尋 常 小 学 校 に 入 学 。 六 年 間 首 甯 で 通 し た 。 十 三 歳 鱒 一 一 に 初 め て 会 い 、 以 後 長 く 師 事 し た 。 こ の こ ろ 共 産 党 の 非 合 法 連 大 正 十 一 年 ( 一 九 二 一 l) 小 学 校 を 卒 業 。 学 力 補 充 の た め 、 金 木 町 ( 大 正 九 年 町 制 施 行 ) の 明 動 に 従 事 す る 。 六 月 一 一 十 一 日 、 三 兄 圭 治 死 去 。 享 年 一 一 十 七 歳 。 秋 、 弘 高 時 代 か ら の 愛 人 小 山 初 代 が 家 出 、 上 京 し た 。 長 兄 文 治 が 上 京 治 高 等 小 学 校 に 一 年 間 通 学 し た 。 首 席 。 十 四 歳 し 、 将 来 の 結 婚 を 約 し て 一 時 初 代 を 帰 郷 さ せ た 。 十 一 月 二 十 九 日 、 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 二 三 ) こ ゆ る ぎ 三 月 四 日 、 父 源 右 衛 門 ( 貴 族 院 議 員 ) 、 東 京 市 に お い て 死 去 。 享 年 銀 座 の カ フ ェ の 女 給 田 部 シ メ 子 と 鎌 倉 七 ケ 浜 小 動 崎 に 入 水 。 女 は 死 に 、 ひ と り 鎌 倉 恵 風 園 に 収 容 さ れ た 。 年 五 十 一 一 歳 。 四 月 、 県 立 青 森 中 学 校 に 入 学 。 二 十 一 一 歳 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) 十 六 歳 こ の こ ろ か ら 、 ひ そ か に 作 家 を 志 望 し 、 夏 、 同 人 雑 誌 「 星 座 」 を 発 二 月 、 小 山 初 代 と 同 棲 し 、 品 川 五 反 田 に 住 む 。 の ち 、 神 田 同 朋 町 、 し ん き ろ う 行 。 十 一 月 、 同 人 雑 誌 「 蜃 気 楼 」 を 創 刊 、 小 説 、 エ ッ セ イ を 発 表 。 神 田 和 泉 町 に 移 る 。 非 合 法 運 動 を つ づ け る 。 日 か な ぎ

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昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l) 二 十 三 歳 よ っ て 、 そ の 後 中 毒 症 に 悩 む 。 七 月 、 千 葉 県 船 橋 町 に 移 る 。 そ の 間 、 春 、 淀 橋 柏 木 、 日 本 橋 八 丁 堀 に と 住 居 を 転 々 し た 。 七 月 、 青 森 警 察 五 月 、 「 道 化 の 華 」 を 「 日 本 浪 曼 派 」 に 、 七 月 、 「 玩 具 」 「 雀 こ 」 を 署 に 自 首 し 、 非 合 法 運 動 か ら 離 脱 し た 。 八 月 、 初 代 と 共 に 沼 津 市 に 「 作 品 」 に 発 表 。 八 月 、 「 逆 行 」 と 「 道 化 の 華 」 が 第 一 回 の 芥 川 賞 そ う ぼ う 約 一 か 月 滞 在 、 こ の 頃 か ら 「 思 い 出 」 を 書 き 始 め る 。 九 月 、 芝 白 金 候 補 に 推 さ れ た が 、 石 川 達 三 の 「 蒼 氓 ー が 当 選 し 、 次 席 に と ど ま っ 三 光 町 の も と 大 鳥 圭 介 邸 に 移 る 。 や が て 同 郷 の 先 輩 飛 島 定 城 が 同 居 た 。 同 月 、 佐 藤 春 夫 を 訪 問 、 以 後 師 事 す る 。 九 月 、 「 猿 ヶ 島 」 を 「 文 し た 。 こ の こ ろ 、 黒 虫 俊 平 の 筆 名 で 「 ね こ 」 と い う 小 品 を 書 い た 。 学 界 」 に 、 十 月 、 「 ダ ス ・ ゲ マ イ ネ 」 を 「 文 藝 春 秋 」 に 、 十 一 月 、 昭 和 八 年 ( 一 九 三 = l) 一 一 十 四 歳 「 盗 賊 」 ( 「 逆 行 」 の 一 部 ) を 「 帝 大 新 聞 」 に 、 十 二 月 、 「 地 球 図 」 一 一 月 、 飛 島 家 と 共 に 杉 並 区 天 沼 三 丁 目 に 移 転 。 同 月 、 「 東 奥 日 報 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 秋 か ら 田 中 英 光 と 文 通 を 始 め る 。 の 日 曜 付 録 「 サ ン デ ー 東 奥 」 に 、 初 め て 太 宰 治 の 筆 名 で 「 列 車 」 を 昭 和 十 一 年 ( 一 九 三 六 ) 一 一 十 七 歳 発 表 。 木 山 捷 平 、 新 圧 嘉 章 、 今 官 一 、 古 谷 綱 武 な ど の 同 人 雑 誌 「 海 一 月 、 「 め く ら 草 紙 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 四 月 、 「 陰 火 」 を 「 文 芸 雑 豹 」 に 加 わ り 、 三 月 、 創 刊 号 に 「 魚 服 記 」 を 、 四 、 六 、 七 月 号 に 誌 」 に 、 五 月 、 「 雌 に つ い て 」 を 「 若 草 」 に 発 表 。 六 月 、 処 女 創 作 「 思 い 出 」 を 発 表 。 古 谷 綱 武 の 紹 介 で 檀 一 雄 と 知 り 、 井 伏 鱒 一 一 の 家 集 『 晩 年 』 を 砂 子 屋 書 房 よ り 刊 行 。 七 月 、 「 虚 構 の 春 」 を 「 文 学 界 」 で 中 村 地 平 、 伊 馬 鵜 平 ( 春 部 ) な ど と 知 り 合 う 。 五 月 、 飛 農 家 と 共 に 、 十 月 、 「 創 生 記 」 を 「 新 潮 」 に 、 「 喝 采 」 を 「 若 草 」 に 発 表 。 十 に 天 沼 一 丁 目 に 移 る 。 月 十 三 日 、 パ ビ ナ ー ル 中 毒 症 を 根 治 の た め 、 板 橋 江 古 田 の 武 蔵 野 病 昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) 二 十 五 歳 院 に 入 院 、 一 か 月 で 退 院 し た 。 「 Z 0 e 」 を 書 き 始 ば ん 四 月 、 古 谷 綱 武 、 檀 一 雄 編 集 の 季 刊 同 人 雑 誌 「 鷭 」 の 第 一 輯 に 「 葉 」 め る 。 十 一 月 、 杉 並 区 天 沼 の 碧 雲 荘 に 移 る 。 単 身 熱 海 温 泉 に 行 き 、 を 、 七 月 、 第 二 輯 に 「 猿 面 冠 者 」 を 発 表 。 十 月 、 同 人 雑 誌 「 世 紀 」 約 一 か 月 滞 在 し て 「 二 十 世 紀 手 」 を 脱 稿 。 に 「 彼 は 昔 の 彼 な ら ず 」 を 発 表 。 十 二 月 、 今 官 一 、 伊 馬 鵜 平 、 檀 一 昭 和 十 ニ 年 ( 一 九 三 七 ) 二 十 八 歳 雄 、 木 山 捷 平 な ど と 同 人 雑 誌 「 青 い 花 」 を 創 刊 、 「 ロ マ ネ ス ク 」 を 一 月 、 「 二 十 世 紀 旗 手 [ を 「 改 造 」 に 発 表 。 三 月 、 小 山 初 代 と 水 上 発 表 。 翌 十 年 三 月 、 佐 藤 春 夫 、 萩 原 朔 太 郎 、 亀 井 勝 一 郎 、 保 田 与 重 温 泉 に 行 ぎ 、 カ ル モ チ ン に よ る 自 殺 を 図 っ た が 果 さ な か っ た 。 帰 京 郎 、 な ど の 「 日 本 浪 曼 派 」 と 合 流 し た 。 後 離 別 。 四 月 、 「 Z »-a 0 」 を 「 新 潮 」 に 発 表 。 六 月 、 昭 和 十 年 ( 一 九 三 五 ) 二 十 六 歳 『 虚 構 の 彷 徨 』 を 新 潮 社 よ り 刊 行 。 同 月 、 天 沼 一 丁 目 鎌 滝 方 に 移 二 月 、 「 蝶 蝶 」 「 決 闘 」 「 く ろ ん ・ ほ 」 ( 「 逆 行 」 の 一 部 ) を 「 文 芸 」 に る 。 七 月 、 『 二 十 世 紀 旗 手 』 を 版 画 在 よ り 刊 行 。 発 表 。 三 月 、 都 新 聞 社 に 入 社 試 験 を 受 け て 落 第 。 同 月 十 六 日 、 鎌 倉 昭 和 十 三 年 ( 一 九 三 八 ) 一 一 十 九 歳 う ば す て 八 幡 宮 近 く の 山 中 で 縊 死 を 企 て て 失 敗 、 十 七 日 深 夜 帰 宅 し た 。 四 九 月 、 「 姥 捨 」 を 「 新 潮 」 に 、 「 満 願 」 を 「 文 筆 」 に 発 表 。 同 月 、 鎌 月 、 盲 腸 炎 か ら 腹 膜 炎 を 併 発 し 、 阿 佐 ヶ 谷 の 篠 原 病 院 、 後 に 世 田 谷 滝 方 を 引 き 払 い 、 井 伏 鱒 一 一 が 滞 在 し て い た 山 梨 県 河 口 村 御 坂 峠 の 天 の 経 堂 病 院 に 入 院 。 こ の 期 間 中 に 鎮 痛 薬 と し て 用 い た パ ビ ナ ー ル に 下 茶 屋 に 行 く 。 十 一 月 六 日 、 甲 府 市 の 石 原 美 知 子 と 婚 約 し 、 十 六 日

現代日本の文学 31 太宰 治 集


注 解 太 宰 治 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 東 京 八 景 軽 斜 陽 00 橋 川 文 三 四 四 九 装 幀 大 川 泰 央 写 真 撮 影 谷 津 富 夫 榎 本 時 雄 編 集 責 任 桜 田 満 製 作 担 当 藤 原 宣 夫 紅 野 敏 郎 四 三 八 風 間 益 人 四 四 九 = 三 0 ・ ・ 三 四 九 四 四 五

現代日本の文学 31 太宰 治 集


注 解 太 宰 治 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 東 京 八 景 軽 斜 陽 00 橋 川 文 三 四 四 九 装 幀 大 川 泰 央 写 真 撮 影 谷 津 富 夫 榎 本 時 雄 編 集 責 任 桜 田 満 製 作 担 当 藤 原 宣 夫 紅 野 敏 郎 四 三 八 風 間 益 人 四 四 九 = 三 0 ・ ・ 三 四 九 四 四 五

現代日本の文学 31 太宰 治 集


右 か ら 二 人 め が 修 治 ( 太 宰 ) 心 ま 金 木 第 一 尋 常 小 学 校 2 金 木 の 雲 祥 寺 に あ る 鉄 の 輪 の つ い た 卒 塔 婆 に 棲 ま じ い も の で あ っ た 。 凡 そ 人 間 が こ の 世 の 中 に な ん ら の 信 す る に 値 す る 価 値 も 思 想 も 制 度 も あ り え す 、 4 そ れ ら と 結 び つ い た 安 定 し た 社 会 も 人 間 関 係 も あ り え な い こ と を 身 を も っ て 知 っ た と き 、 そ こ に い か に 奇 屋 、 異 常 な 錯 乱 が 生 じ う る か を 極 限 的 に 展 開 し て み せ た 時 に ほ か な ら な か っ た 。 代 が 、 こ こ に い う 「 昭 和 十 年 代 」 そ れ は 別 の 意 味 で い え ば 、 日 本 に は じ め て 「 近 代 」 の 錯 乱 が 始 ま っ た と い う こ と も で き よ う 。 古 風 な 約 束 の す べ て が 無 効 で あ る こ と が 、 ま す 政 治 の 伝 統 的 様 式 の 解 体 と し て あ ら わ れ た の ち 、 安 定 し た 政 治 の 定 型 に 究 極 的 に は 依 存 し て い た 人 間 存 在 の 意 味 も ま た 、 一 切 の 既 成 の 枠 を 超 え て 解 体 、 澱 し 始 め た 。 人 間 存 在 の 意 味 を 解 釈 す る さ ま ざ ま な 知 的 体 系 は 当 然 無 効 と な り 、 「 イ デ オ ロ ギ ー 」 と 「 思 想 」 は そ の 根 拠 を 失 っ て 異 様 な 空 虚 の 中 に 拡 散 す る ほ か な か っ た 。 も し 近 代 日 本 に 、 「 実 存 主 義 」 と い う 現 代 的 性 格 を お び た 思 想 が 自 主 的 に 発 生 し え た と す る な ら ば 、 そ れ は こ の 時 代 を お い て は な か 「 た と さ れ る 以 で あ る 。 鶴 見 俊 輔 の 思 想 史 的 解 釈 に し た が う な ら ば 「 村 山 知 義 、 高 見 順 、 太 宰 治 、 蜘 部 、 椎 名 麟 三 、 三 好 十 郎 ら の 転 向 文 学 が 、 日 本 に お け る 実 存 主 義 の 最 初 の あ ら わ れ で あ る 」 ( 「 現 代 日 本 の 思 想 」 ) と い う こ と に な る 。 つ ま り 、 こ れ ら の 文 学 し す れ も 人 間 存 在 の 正 当 性 を な ん ら か の 意 味 で 者 は 、 、