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検索対象: 現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集から 420件ヒットしました。

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


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現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


現 代 日 本 の 文 学 6 全 60 巻 石 川 啄 木 高 村 光 太 郎 集 宮 澤 賢 治 昭 和 46 年 10 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 25 版 発 行 石 川 啄 木 著 者 高 村 光 太 郎 宮 澤 賢 治 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 鑾 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ORei 司 I ik000 、 Kimie Takamura'Seir0kuMiyazawa11971 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す Printed in Japan ISBN4 ー 05 ー 050216 ー X C0393

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


宮 澤 賢 治 集 目 次 宮 澤 賢 治 文 学 紀 行 何 度 も 訪 れ た 花 巻 春 と 修 羅 : 四 又 の 百 合 : イ ン ド ラ の 網 雁 の 童 子 : 北 守 将 軍 と 三 人 兄 弟 の 医 者 ・ 注 解 宮 澤 賢 治 文 学 ア 化 ハ ム 評 伝 的 解 説 紅 野 敏 郎 四 0 三 四 一 四 四 六 天 沢 退 一 一 郎 四 三 〈 草 野 心 平 三 九 : 三 : 三 八 四 作 品 校 正 編 集 責 任 製 作 担 当 装 幀 写 真 撮 影 大 川 泰 央 増 山 紀 夫 榎 本 時 雄 横 田 正 知 会 田 紀 雄 桜 田 満 藤 本 和 延

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


宮 澤 賢 治 集

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


十 八 歳 載 。 十 一 月 、 姉 夫 妻 の 転 居 で 市 内 仁 王 小 路 三 十 番 戸 に 移 る 。 十 二 月 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 三 日 、 瀬 川 深 、 小 林 茂 雄 、 岡 山 儀 七 ら と 「 岩 手 日 報 」 に 「 白 羊 会 詠 二 月 、 堀 合 節 子 と の 婚 約 な る 。 十 月 、 処 女 詩 集 刊 行 の 目 的 で 上 京 。 草 タ の 歌 」 を 石 川 翠 江 の 筆 名 で 発 表 。 甌 木 の 作 品 六 首 。 以 後 十 一 一 十 一 月 、 牛 込 区 砂 土 原 町 三 ノ 一 一 一 井 田 芳 太 郎 方 に 居 を 定 む 。 こ の 月 一 一 十 八 日 に か け て 白 羊 会 詠 草 十 一 首 を 同 紙 に 発 表 。 こ の 年 、 堀 内 年 、 「 明 星 」 「 帝 国 文 学 」 「 時 代 思 潮 」 「 太 陽 」 「 白 百 合 」 に 多 く の 詩 作 を 発 表 、 明 星 派 新 進 詩 人 と し て 注 目 さ れ る 。 十 一 一 月 、 宗 費 滞 納 の 節 子 と の 恋 愛 深 ま る 。 十 六 歳 た め 、 父 、 宝 徳 寺 住 職 罷 免 。 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 十 九 歳 一 月 一 日 、 友 人 の 瀬 川 深 ら と 石 川 翠 江 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 新 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 年 雑 詠 ( 白 羊 会 詠 草 ) 」 を 発 表 。 殀 木 の 作 品 は 八 首 。 一 月 十 一 日 、 十 五 月 、 処 女 詩 集 「 あ こ が れ 」 を 小 田 島 書 房 よ り 刊 行 。 六 月 、 盛 岡 に 一 一 日 、 麦 羊 子 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 「 草 わ か ば 」 を 評 す 」 を 発 表 。 帰 り 、 堀 合 節 子 と 結 婚 、 宝 徳 寺 を 退 去 し た 両 親 や 妹 と 市 内 帷 子 小 路 三 月 十 一 日 よ り 十 九 日 に か け て 「 寸 舌 語 」 と 題 す る 文 芸 時 評 を 四 回 八 番 戸 に 新 居 を 定 む 。 六 月 、 加 賀 野 磧 町 四 番 戸 に 転 居 。 九 月 、 文 芸 「 岩 手 日 報 」 に 掲 ぐ 。 署 名 白 蘋 生 。 四 月 、 五 年 に 進 級 、 四 年 修 了 成 雑 誌 「 小 天 地 」 を 創 刊 し た が 一 号 で 終 っ た 。 二 十 歳 績 は 平 均 六 十 六 点 。 啄 木 は 三 月 の 学 年 末 試 験 に 不 正 行 為 を 行 い 、 四 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 月 十 七 日 付 で 譴 責 処 分 を 受 け た が 、 五 年 の 一 学 期 の 試 験 に も 友 人 の 三 月 、 母 と 妻 を 伴 い 渋 民 村 に 帰 る 。 渋 民 一 一 番 地 斎 藤 福 の 家 に 間 借 り 狐 崎 嘉 助 と 共 謀 し て 再 度 不 正 行 為 を 行 な い 、 七 月 十 五 日 の 職 員 会 議 生 活 を す る 。 四 月 、 岩 手 郡 渋 民 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 十 四 日 で 二 度 目 の 譴 責 処 分 が 決 定 、 保 証 人 の 田 村 叶 が 召 奐 さ れ た 。 五 月 一 一 一 よ り 勤 務 。 月 給 八 円 。 四 月 、 沼 宮 内 町 で 徴 兵 検 査 、 筋 骨 薄 弱 で 丙 種 十 日 よ り 六 月 一 日 に か け て 「 岩 手 日 報 . に 「 五 日 乃 文 壇 ー を 執 筆 。 合 格 、 徴 兵 免 除 。 六 月 、 農 繁 休 暇 を 利 用 し て 父 の 宝 徳 寺 復 帰 運 動 の 十 月 、 「 家 事 の 都 合 」 を 理 由 に 中 学 校 を 退 学 、 文 学 で 身 を 立 て よ う た め 上 京 。 帰 郷 後 創 作 に 志 し 、 小 説 「 雲 は 天 才 で あ る 」 や 「 面 影 」 と 上 京 。 十 月 、 「 明 星 」 五 号 に 短 歌 一 首 発 表 。 十 一 月 九 日 、 新 詩 社 の を 書 く 。 十 二 月 、 長 女 京 子 誕 生 。 一 一 十 一 歳 会 合 に 出 席 。 翌 日 、 渋 谷 の 自 宅 に 与 謝 野 鉄 幹 ・ 晶 子 を 訪 問 。 そ の 後 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 病 気 の た め 上 京 の 目 的 を 達 せ す 下 宿 に 呻 吟 す る 。 三 月 、 父 宝 徳 寺 再 住 を 断 念 し 、 家 出 、 野 辺 地 の 師 僧 対 月 を 頼 る 。 同 十 七 歳 月 、 学 年 末 に 離 村 し て 新 生 活 を 開 か ん と 決 意 し 、 こ の 前 後 函 館 の 苜 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 一 一 l) し ゆ く し ゃ 一 一 月 、 父 に 伴 わ れ て 帰 郷 。 以 後 病 身 を 故 郷 の 禅 房 に 養 う 。 「 ワ グ ネ 蓿 社 の 同 人 松 岡 蕗 堂 に 渡 道 の 依 頼 を す る 。 四 月 、 辞 表 提 出 。 高 等 科 ル の 思 想 」 を 「 岩 手 日 報 」 に 七 回 連 載 。 七 月 、 「 明 星 ー に 短 歌 四 首 の 生 徒 を 引 率 、 村 の 南 端 平 田 野 に 赴 き 、 校 長 排 斥 の ス ト ラ イ キ を 指 発 表 。 十 一 月 、 東 京 新 詩 社 同 人 に 推 挙 さ れ る 。 十 一 一 月 、 初 め て 木 示 、 校 長 に 転 任 発 令 成 り 、 木 も 免 職 の 辞 令 を 受 く 。 五 月 、 一 家 を の 雅 号 を 用 い て 「 明 星 」 に 「 愁 調 」 と 題 す る 五 篇 の 長 詩 を 発 表 。 十 離 散 し 妹 を 連 れ て 渡 道 。 函 館 青 柳 町 四 十 五 番 地 の 松 岡 蕗 堂 の 下 宿 に 一 一 月 、 「 岩 手 日 報 」 ( 十 七 、 十 九 日 ) に 「 無 題 録 」 と 題 す る エ ッ セ イ 寄 寓 、 妹 は 小 樽 の 次 姉 山 本 と ら の も と へ 赴 く 。 六 月 、 函 館 区 立 弥 生 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 月 給 十 二 円 。 七 月 、 妻 子 来 道 、 青 柳 町 を 掲 げ 、 啄 木 の 筆 名 の 由 来 と 当 時 の 心 境 を 述 べ る 。

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意 識 に 対 す る 批 判 的 な か ん が え か た に 照 応 す る テ ー マ 心 、 と い う こ と に つ い て は 、 「 巻 煙 草 」 ( 『 ス パ ル 』 明 治 が あ ら わ れ る 。 概 括 的 に 言 っ て 、 『 悲 し き 玩 具 』 は 、 四 十 三 年 一 号 ) の な か の つ ぎ の こ と ば が 思 い あ わ さ れ 貶 『 握 の 砂 』 に お い て 主 導 的 で あ っ た 弱 い 、 い が 大 き く る 。 ろ う ま ん 影 を ひ そ め て 、 よ り 積 極 的 な 主 題 を う た う も の に な っ 〈 浪 曼 主 義 は 弱 き 心 の 所 産 で あ る 。 如 何 な る 人 に も 如 て い る 。 『 創 作 』 明 治 四 十 三 年 十 月 号 に 発 表 し た 「 九 月 何 な る 時 代 に も 弱 き 心 は あ る 。 従 っ て 浪 曼 主 義 は 何 時 の 夜 の 不 平 」 三 十 四 首 に は つ ぎ の よ う な 諸 作 が 含 ま れ の 時 代 に も 跡 を 絶 っ 事 は な い で あ ろ う 。 最 も 強 き 心 を て い る 持 っ た 人 に は 日 取 も 弱 き 、 い が あ る 。 〕 取 も 強 き 、 い を 持 っ た つ ね 日 頃 好 み て 言 ひ し 革 命 の 語 を つ 、 し み て 秋 に 時 代 に は 最 も 弱 き 心 が あ る 。 〉 入 れ り け り 今 思 へ ば げ に も ま た 秋 の 一 味 な り し と 知 る ふ 『 明 星 』 に お い て 啄 木 は 、 は じ め 詩 人 と し て 頭 角 を あ し 、 も あ り ら わ し 、 与 謝 野 鉄 幹 か ら 嘱 望 さ れ 、 明 治 三 十 七 年 こ ろ せ い ね ん 秋 の 風 我 等 明 治 の 青 年 の 危 機 を か な し む 顔 撫 で て か ら は 『 時 代 思 潮 』 『 太 陽 』 『 帝 国 文 学 』 な ど に も 詩 を 発 表 す る よ う に な っ て い る 。 げ ん じ ヤ フ か じ だ い へ い そ く 時 代 閉 寒 の 現 状 を 奈 何 に せ む 秋 に 入 り て こ と に 脈 『 あ こ が れ 』 は 、 明 治 = 一 十 八 年 五 月 に 刊 行 さ れ て い る く 思 ふ か な か ら 、 作 者 の 二 十 歳 こ ろ の こ と で あ る 。 日 夏 耿 之 介 は 、 て う せ ん こ く 地 図 の 上 朝 鮮 国 に く ろ る \ と 墨 を ぬ り つ 、 秋 風 を 『 明 治 大 正 詩 史 』 で 、 〈 早 熟 少 年 の 模 倣 詩 集 に す ぎ な い 〉 と 言 い 、 薄 田 泣 菫 、 蒲 原 有 明 、 与 謝 野 鉄 幹 、 伊 良 ま じ め 明 治 四 十 三 年 の 秋 わ が 心 こ と に 真 面 目 に な り て 悲 子 清 白 の ほ か 、 上 田 敏 の 翻 訳 詩 の 調 子 も 巧 み に と り 入 れ て い る こ と を 言 っ て い る 。 模 倣 に し て も し か し 、 二 大 逆 事 件 や 日 韓 合 併 な ど 、 政 治 的 な テ ー マ に か か わ 十 歳 前 後 の 青 年 詩 人 が こ れ だ け に 諸 先 輩 の し ら べ を 自 や く ろ う し ん ら っ り 、 、 り よ ・ フ る こ れ ら の 作 は 、 歌 集 に 集 録 す る こ と は ひ か え ざ る を 家 薬 籠 中 の も の と な し え た カ 倆 は 、 辛 辣 な 日 夏 耿 之 介 え な か っ た が 、 夛 『 よ し き 玩 具 』 時 代 の 啄 木 の 短 歌 は こ う も み と め て い る 。 と く に 、 明 治 三 十 九 年 の 作 品 「 吹 角 」 い 、 つ と こ ろ ま で 到 達 し て い る の で あ る 。 弱 い 、 い と リ い を 中 心 と す る 諸 作 を 、 日 夏 耿 之 介 は 評 価 し て い る 。 0 こ の ね ん あ き な

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上 盛 岡 中 学 時 代 友 人 と 。 中 列 右 よ り 三 人 目 啄 木 。 一 こ の 頃 す で に め ざ ま し い 文 学 活 動 を し て い た 。 ~ 左 明 治 三 十 五 年 啄 木 ( 左 端 ) 上 京 の 折 、 秀 才 ~ 一 の 集 り ュ ニ オ ン 会 の 記 念 写 真 。 上 帰 郷 の 折 仙 台 に て 左 端 啄 木 右 上 京 当 時 岡 山 不 衣 ( 右 ) と 。 421

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年 ほ ど の 時 間 に す ぎ な い 。 中 学 生 時 代 は 盛 岡 市 で の 下 歌 稿 ノ ー ト な ど に 残 っ て い る 改 作 前 の 原 形 作 品 ま で も 宿 暮 し で あ り 、 そ の 後 は 例 の 渋 民 小 学 校 代 用 教 員 と し 含 め た も の で あ る 。 明 治 三 十 四 年 の 作 品 が も っ と も 古 て の 明 治 三 十 九 年 一 二 月 か ら の 一 年 間 で あ る 。 つ ま り 、 い が 、 初 期 作 品 は 典 型 的 に 『 明 星 』 派 ふ う で 、 特 に 与 啄 木 に お け る 渋 民 村 は 主 と し て 幼 ・ 少 年 期 に つ な が る 謝 野 品 子 歌 風 の 影 響 を 歴 然 と 残 し て い る 。 も の で あ る 『 一 握 の 砂 』 と 『 悲 し き 玩 具 』 と は 、 そ の 歌 風 に お い 明 治 四 十 年 か ら 一 年 間 の 北 海 道 放 浪 時 代 が 、 啄 木 の て 初 期 作 品 に 対 し 、 ほ と ん ど 面 目 一 新 し て い る 。 と く 生 活 と 思 想 に 有 効 な 蓄 積 の 時 間 で あ っ た だ ろ う 。 そ の に 『 握 の 砂 』 は 、 旧 作 を あ つ め て 編 む と い う 一 般 の 後 の 一 年 間 の 東 京 で の 極 ま っ た 貧 窮 生 活 の 時 期 が ま た 、 歌 集 編 集 の 形 を と っ た も の で は な く 、 旧 作 ・ 歌 稿 ノ ー 生 活 と 現 実 に ナ マ に 、 極 限 的 に 真 向 っ た 時 で あ っ た 。 ト に 残 っ て い る も の を も と に し た も の も あ る が 、 歌 集 外 向 的 に 氾 濫 す る 北 海 道 の 一 年 と 、 内 向 的 に 窮 迫 す る 刊 行 の た め 短 か い 期 間 の 計 画 的 創 作 と い う 形 を と っ て 東 京 独 身 生 活 の 一 年 間 と が 表 裏 一 体 を な し て 、 そ の 後 い る 。 明 治 四 十 三 年 四 月 に 、 一 週 間 ほ ど で つ く っ た ノ 三 年 間 の 生 涯 の 終 り を 充 実 さ せ て い る 。 ー ト 「 仕 事 の 後 」 二 百 五 十 五 首 を も と に し て 、 五 章 五 た っ た 二 十 七 年 か 八 年 足 ら ず の 、 短 か す ぎ る 生 涯 で 百 五 十 一 首 の 作 品 集 と し て 、 そ れ は 同 年 十 一 一 月 に 東 雲 あ っ た 。 貧 乏 と 病 気 に 苦 し め ら れ つ づ け た 時 間 で あ っ 堂 書 店 か ら 刊 行 さ れ た 。 オ い ま の 時 代 な ら 簡 単 に な お る 病 気 で 死 ん だ 。 文 学 『 悲 し き 玩 具 』 は 、 「 一 握 の 砂 以 後 」 と い う 啄 木 じ し 者 と し て の し ご と の 実 績 の う え で は 十 年 を 出 な い 。 し ん の え ら ん だ 標 題 の ご と く 、 明 治 四 十 三 年 十 一 月 か ら 、 か し そ の 内 容 は 、 『 明 星 』 派 ロ マ ン テ ィ シ ズ ム か ら 出 翌 年 八 月 ま で の 作 品 百 九 十 二 首 を も と に し て 、 編 者 て そ れ を 超 え 、 対 立 者 の 自 然 主 義 文 学 の 根 底 を 批 判 し の 土 岐 哀 果 が 、 啄 木 死 後 に 発 見 さ れ た 巻 頭 の 二 首 と 、 て 、 新 し い 社 会 主 義 的 な 文 学 理 論 と そ の 実 質 を 先 ぶ れ ェ ッ セ イ 「 一 利 己 主 義 者 と 友 人 と の 対 話 」 「 歌 の い ろ い す る と こ ろ ま で た ど り つ い た 。 ろ 」 を く わ え て 明 治 四 十 五 年 六 月 、 東 雲 堂 か ら 刊 行 さ 現 在 蒐 集 さ れ て い る 啄 木 の 短 歌 総 数 は 、 三 千 八 百 八 短 歌 は 、 啄 木 の 弱 い 面 と い う か ん が え か た が あ っ て 、 〈 じ ぶ ん 十 三 首 と 、 岩 城 之 徳 は か ぞ え て い る 。 し か し こ の 数 は そ れ な り に 理 由 は あ る と み る こ と が で き る き わ 418

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十 八 番 地 に 新 居 を 構 え る 。 八 月 、 母 を 迎 う 。 「 函 館 日 日 新 聞 」 の 遊 軍 観 潮 楼 歌 会 に 出 席 。 九 月 、 生 活 の 困 窮 を 金 田 一 京 助 に 救 わ れ 、 本 郷 ち ょ う え 、 記 者 と な り 、 「 月 曜 文 壇 、 「 日 日 歌 壇 」 を お こ し 、 「 辻 講 釈 」 の 題 下 森 川 町 一 番 地 新 坂 三 五 九 、 蓋 平 館 別 荘 に 移 る 。 十 一 月 、 小 説 「 鳥 骸 」 に 評 論 を 掲 ぐ 。 函 館 の 大 火 に よ り 、 一 家 は 焼 失 を ま ぬ か れ た る も 学 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 連 載 し 始 め る ( 六 十 回 ) 。 十 一 月 五 日 、 「 明 星 」 校 ・ 新 聞 社 を 焼 く 。 九 月 、 大 竹 校 長 に 辞 表 提 出 、 函 館 を 去 っ て 札 幌 第 百 号 に て 終 刊 と な る 。 に 入 る 。 友 人 向 井 永 太 郎 の 世 話 で 、 北 門 新 報 社 校 正 係 と し て 赴 任 の 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 一 一 十 三 歳 た め 札 幌 市 北 七 条 西 四 丁 目 四 番 地 田 中 さ と の 家 に 下 宿 。 入 社 早 々 一 月 、 小 説 「 赤 痢 , を 「 ス ・ ハ ル ー 創 刊 号 に 発 表 。 啄 木 は 「 ス ・ ハ ル 」 「 北 門 歌 壇 」 を 起 こ し 「 秋 風 記 」 を 掲 ぐ 。 ま た 同 社 小 国 善 平 ( 露 堂 ) 発 行 名 義 人 と な り 、 こ の 月 第 一 一 号 を 編 集 、 誌 上 で 平 野 万 里 と 短 歌 論 の 旋 で 「 小 樽 日 報 」 の 創 業 に 参 加 。 同 月 一 一 十 七 日 北 門 新 報 社 を 辞 争 を 展 開 。 一 一 月 、 自 伝 小 説 「 足 跡 」 を 「 ス ・ ハ ル 」 に 発 表 。 同 郷 の 東 し 小 樽 に 赴 任 、 花 園 町 十 四 番 地 西 沢 方 の 一 一 階 に 寄 寓 、 「 小 樽 日 報 」 京 朝 日 新 聞 編 集 長 佐 藤 真 一 ( 北 江 ) の 厚 意 で 同 社 に 入 社 決 定 、 校 正 の 記 者 と し て 活 躍 。 十 一 月 、 花 園 町 畑 十 四 番 地 の 借 家 に 転 居 。 十 一 一 係 で 月 給 一 一 十 五 円 。 四 月 三 日 よ り 六 月 十 六 日 に か け 、 い わ ゆ る ロ ー 月 、 社 の 内 紛 に 関 連 し て 小 林 事 務 長 と 争 論 、 暴 力 を ふ る わ れ て 退 社 マ 字 日 記 を 書 く 。 六 月 、 家 族 を 迎 え て 本 郷 区 弓 町 一 一 丁 目 十 八 番 地 の を 決 意 、 退 社 広 告 を 掲 ぐ 。 新 井 こ う 方 の 一 一 階 に 間 借 り 。 十 月 、 小 説 「 葉 書 」 を 「 ス ・ ハ ル ー に 発 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 一 一 十 一 一 歳 表 。 十 月 一 一 日 、 上 京 後 の ゆ き づ ま っ た 生 活 と 病 苦 に 堪 え ら れ ず 、 妻 一 月 、 「 小 樽 日 報 」 の 編 集 長 沢 田 信 太 郎 ( 天 峯 ) の 斡 旋 と 白 石 義 郎 節 子 長 女 を 連 れ て 家 出 。 金 田 一 京 助 と 恩 師 新 渡 戸 仙 岳 の 尽 力 で 十 月 社 長 の 厚 意 に よ り 釧 路 新 聞 に 入 社 決 定 。 編 集 長 格 の 待 遇 で 月 給 一 一 十 一 一 十 六 日 妻 子 帰 宅 。 こ の 事 件 は 木 に 精 神 的 な 打 撃 を 与 え た 。 十 一 五 円 。 釧 路 市 洲 崎 町 一 丁 目 三 十 一 一 番 地 下 宿 屋 関 方 に 止 宿 。 入 社 後 月 三 十 日 よ り 評 論 「 食 う べ き 詩 」 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 七 回 連 載 。 「 釧 路 歌 壇 」 を 設 け て 詩 歌 の 投 稿 を 募 集 。 み す か ら も 大 木 頭 の 匿 名 十 一 一 月 、 「 き れ ぎ れ に 心 に 浮 ん だ 感 じ と 回 想 」 を 「 ス ・ ハ ル 」 に 発 表 。 で 政 治 評 論 「 雲 観 寸 観 」 を 執 筆 。 一 一 月 、 「 紅 筆 だ よ り 」 と 題 す る 花 十 九 日 、 評 論 「 文 学 と 政 治 」 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 一 一 回 連 載 。 一 一 十 柳 界 の 艷 種 記 事 を 連 載 。 こ の 頃 よ り 芸 者 小 奴 と の 交 情 深 ま る 。 三 日 、 父 一 禎 上 京 。 一 一 十 四 歳 月 、 創 作 生 活 に 入 る べ く 上 京 を 決 意 。 四 月 、 釧 路 を 去 り 函 館 に 向 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) う 。 友 人 宮 崎 大 四 郎 ( 郁 雨 ) の 厚 意 で 上 京 が 決 定 、 家 族 を 小 樽 よ り 一 月 、 評 論 「 一 年 間 の 回 顧 」 と 「 巻 煙 草 , を 「 ス パ ル 」 に 発 表 。 四 譜 函 館 に 移 し 、 海 路 上 京 。 千 駄 ガ 谷 の 新 詩 社 に 入 り 鉄 幹 と 再 会 。 五 月 、 歌 集 「 仕 事 の 後 」 編 集 終 わ る 。 小 説 「 道 。 を 「 新 小 説 、 に 発 月 、 金 田 一 京 助 の 厚 意 で 本 郷 区 菊 坂 町 八 十 一 一 番 地 赤 心 館 に 寓 し 、 創 表 。 五 月 よ り 六 月 に か け て 小 説 「 我 等 の 一 団 と 彼 」 を 執 筆 。 六 月 五 年 作 生 活 に 入 る 。 上 京 後 一 か 月 余 に 「 菊 地 君 」 「 病 院 の 窓 」 「 母 , 「 天 日 、 諸 新 聞 幸 徳 秋 水 ら 無 政 府 主 義 者 の 「 大 逆 事 件 ー を 報 道 、 衝 撃 を 鵞 絨 」 「 二 筋 の 血 」 な ど の 作 品 三 百 枚 余 を 執 筆 、 そ の 売 込 み に 奔 走 受 く 。 八 月 下 旬 、 評 論 「 時 代 閉 塞 の 現 状 」 を 執 筆 。 九 月 、 「 東 京 朝 8 す る も 果 せ な か っ た 。 収 入 の 道 な く 苦 境 に 陥 る 。 六 月 、 創 作 生 活 の 日 新 聞 」 紙 上 に 「 朝 日 歌 壇 」 が 設 け ら れ 選 者 と な る 。 十 月 四 日 、 長 失 敗 を 自 覚 、 苦 悩 を 短 歌 に ま ぎ ら す 。 こ の 頃 、 森 鷦 外 の 知 遇 を 得 て 男 真 一 誕 生 。 こ の 日 東 雲 堂 書 店 と 処 女 歌 集 出 版 の 契 約 成 立 、 二 十 円 べ に ム で

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も う ま る で 市 場 の や う な 盛 ん な 取 引 で す 註 標 題 の 右 肩 に △ 印 の あ る も の は 、 そ の 一 編 全 体 が 、 現 存 す る 三 種 の 著 者 訂 正 本 の ど れ か に お い て 著 者 自 身 に よ り 抹 殺 さ れ て い る こ と 、 ま た 本 文 中 、 行 の 右 肩 と 行 の 左 下 と の △ 印 に は さ ま れ た 部 分 は 、 同 様 に 著 者 に よ り 抹 殺 さ れ て い る こ と を 示 す 。 各 作 品 末 尾 の 日 付 は 、 初 版 本 目 次 題 名 下 に 記 さ れ た も の で 、 一 重 括 弧 、 一 一 重 括 弧 の 区 別 は そ の と き の ま ま を 再 現 し た 。 本 文 は 筑 摩 増 補 版 全 集 第 一 一 巻 ( 昭 和 四 十 一 一 年 刊 ) を 底 本 と し た 。