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検索対象: 現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集から 421件ヒットしました。

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


現 代 日 本 の 文 学 石 川 木 高 本 寸 光 太 良 集 宮 ラ 睾 賢 治 北 尾 奥 足 三 川 井 伊 崎 野 立 集 端 上 藤 修 五 + 杜 秀 健 巻 委 紀 康 夫 樹 男 夫 成 靖 整 学 習 研 究 社

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


現 代 日 本 の 文 学 6 全 60 巻 石 川 啄 木 高 村 光 太 郎 集 宮 澤 賢 治 昭 和 46 年 10 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 25 版 発 行 石 川 啄 木 著 者 高 村 光 太 郎 宮 澤 賢 治 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 鑾 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ORei 司 I ik000 、 Kimie Takamura'Seir0kuMiyazawa11971 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す Printed in Japan ISBN4 ー 05 ー 050216 ー X C0393

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0 ~ ー ド 阜 父 一 禎 ( 左 ) と 母 の 長 兄 で 父 の 師 で も あ る 葛 原 対 月 。 啄 木 の 生 ま れ た 常 光 寺 で 撮 影 し た も の 。 左 啄 木 が 育 っ た 渋 民 ・ 宝 徳 寺 上 渋 民 の 家 並 盛 岡 高 等 小 学 校 一 年 生 の 石 川 啄 木 ( 中 央 ) と 従 兄 た ち 第 第 、 第 上 明 治 31 年 入 学 の 盛 岡 中 学 校 左 明 治 34 年 右 よ り 石 掛 友 造 ( 「 あ こ が れ 」 の 装 幀 を し た ) 、 啄 木 ( 中 学 4

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十 八 番 地 に 新 居 を 構 え る 。 八 月 、 母 を 迎 う 。 「 函 館 日 日 新 聞 」 の 遊 軍 観 潮 楼 歌 会 に 出 席 。 九 月 、 生 活 の 困 窮 を 金 田 一 京 助 に 救 わ れ 、 本 郷 ち ょ う え 、 記 者 と な り 、 「 月 曜 文 壇 、 「 日 日 歌 壇 」 を お こ し 、 「 辻 講 釈 」 の 題 下 森 川 町 一 番 地 新 坂 三 五 九 、 蓋 平 館 別 荘 に 移 る 。 十 一 月 、 小 説 「 鳥 骸 」 に 評 論 を 掲 ぐ 。 函 館 の 大 火 に よ り 、 一 家 は 焼 失 を ま ぬ か れ た る も 学 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 連 載 し 始 め る ( 六 十 回 ) 。 十 一 月 五 日 、 「 明 星 」 校 ・ 新 聞 社 を 焼 く 。 九 月 、 大 竹 校 長 に 辞 表 提 出 、 函 館 を 去 っ て 札 幌 第 百 号 に て 終 刊 と な る 。 に 入 る 。 友 人 向 井 永 太 郎 の 世 話 で 、 北 門 新 報 社 校 正 係 と し て 赴 任 の 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 一 一 十 三 歳 た め 札 幌 市 北 七 条 西 四 丁 目 四 番 地 田 中 さ と の 家 に 下 宿 。 入 社 早 々 一 月 、 小 説 「 赤 痢 , を 「 ス ・ ハ ル ー 創 刊 号 に 発 表 。 啄 木 は 「 ス ・ ハ ル 」 「 北 門 歌 壇 」 を 起 こ し 「 秋 風 記 」 を 掲 ぐ 。 ま た 同 社 小 国 善 平 ( 露 堂 ) 発 行 名 義 人 と な り 、 こ の 月 第 一 一 号 を 編 集 、 誌 上 で 平 野 万 里 と 短 歌 論 の 旋 で 「 小 樽 日 報 」 の 創 業 に 参 加 。 同 月 一 一 十 七 日 北 門 新 報 社 を 辞 争 を 展 開 。 一 一 月 、 自 伝 小 説 「 足 跡 」 を 「 ス ・ ハ ル 」 に 発 表 。 同 郷 の 東 し 小 樽 に 赴 任 、 花 園 町 十 四 番 地 西 沢 方 の 一 一 階 に 寄 寓 、 「 小 樽 日 報 」 京 朝 日 新 聞 編 集 長 佐 藤 真 一 ( 北 江 ) の 厚 意 で 同 社 に 入 社 決 定 、 校 正 の 記 者 と し て 活 躍 。 十 一 月 、 花 園 町 畑 十 四 番 地 の 借 家 に 転 居 。 十 一 一 係 で 月 給 一 一 十 五 円 。 四 月 三 日 よ り 六 月 十 六 日 に か け 、 い わ ゆ る ロ ー 月 、 社 の 内 紛 に 関 連 し て 小 林 事 務 長 と 争 論 、 暴 力 を ふ る わ れ て 退 社 マ 字 日 記 を 書 く 。 六 月 、 家 族 を 迎 え て 本 郷 区 弓 町 一 一 丁 目 十 八 番 地 の を 決 意 、 退 社 広 告 を 掲 ぐ 。 新 井 こ う 方 の 一 一 階 に 間 借 り 。 十 月 、 小 説 「 葉 書 」 を 「 ス ・ ハ ル ー に 発 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 一 一 十 一 一 歳 表 。 十 月 一 一 日 、 上 京 後 の ゆ き づ ま っ た 生 活 と 病 苦 に 堪 え ら れ ず 、 妻 一 月 、 「 小 樽 日 報 」 の 編 集 長 沢 田 信 太 郎 ( 天 峯 ) の 斡 旋 と 白 石 義 郎 節 子 長 女 を 連 れ て 家 出 。 金 田 一 京 助 と 恩 師 新 渡 戸 仙 岳 の 尽 力 で 十 月 社 長 の 厚 意 に よ り 釧 路 新 聞 に 入 社 決 定 。 編 集 長 格 の 待 遇 で 月 給 一 一 十 一 一 十 六 日 妻 子 帰 宅 。 こ の 事 件 は 木 に 精 神 的 な 打 撃 を 与 え た 。 十 一 五 円 。 釧 路 市 洲 崎 町 一 丁 目 三 十 一 一 番 地 下 宿 屋 関 方 に 止 宿 。 入 社 後 月 三 十 日 よ り 評 論 「 食 う べ き 詩 」 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 七 回 連 載 。 「 釧 路 歌 壇 」 を 設 け て 詩 歌 の 投 稿 を 募 集 。 み す か ら も 大 木 頭 の 匿 名 十 一 一 月 、 「 き れ ぎ れ に 心 に 浮 ん だ 感 じ と 回 想 」 を 「 ス ・ ハ ル 」 に 発 表 。 で 政 治 評 論 「 雲 観 寸 観 」 を 執 筆 。 一 一 月 、 「 紅 筆 だ よ り 」 と 題 す る 花 十 九 日 、 評 論 「 文 学 と 政 治 」 を 「 東 京 毎 日 新 聞 」 に 一 一 回 連 載 。 一 一 十 柳 界 の 艷 種 記 事 を 連 載 。 こ の 頃 よ り 芸 者 小 奴 と の 交 情 深 ま る 。 三 日 、 父 一 禎 上 京 。 一 一 十 四 歳 月 、 創 作 生 活 に 入 る べ く 上 京 を 決 意 。 四 月 、 釧 路 を 去 り 函 館 に 向 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) う 。 友 人 宮 崎 大 四 郎 ( 郁 雨 ) の 厚 意 で 上 京 が 決 定 、 家 族 を 小 樽 よ り 一 月 、 評 論 「 一 年 間 の 回 顧 」 と 「 巻 煙 草 , を 「 ス パ ル 」 に 発 表 。 四 譜 函 館 に 移 し 、 海 路 上 京 。 千 駄 ガ 谷 の 新 詩 社 に 入 り 鉄 幹 と 再 会 。 五 月 、 歌 集 「 仕 事 の 後 」 編 集 終 わ る 。 小 説 「 道 。 を 「 新 小 説 、 に 発 月 、 金 田 一 京 助 の 厚 意 で 本 郷 区 菊 坂 町 八 十 一 一 番 地 赤 心 館 に 寓 し 、 創 表 。 五 月 よ り 六 月 に か け て 小 説 「 我 等 の 一 団 と 彼 」 を 執 筆 。 六 月 五 年 作 生 活 に 入 る 。 上 京 後 一 か 月 余 に 「 菊 地 君 」 「 病 院 の 窓 」 「 母 , 「 天 日 、 諸 新 聞 幸 徳 秋 水 ら 無 政 府 主 義 者 の 「 大 逆 事 件 ー を 報 道 、 衝 撃 を 鵞 絨 」 「 二 筋 の 血 」 な ど の 作 品 三 百 枚 余 を 執 筆 、 そ の 売 込 み に 奔 走 受 く 。 八 月 下 旬 、 評 論 「 時 代 閉 塞 の 現 状 」 を 執 筆 。 九 月 、 「 東 京 朝 8 す る も 果 せ な か っ た 。 収 入 の 道 な く 苦 境 に 陥 る 。 六 月 、 創 作 生 活 の 日 新 聞 」 紙 上 に 「 朝 日 歌 壇 」 が 設 け ら れ 選 者 と な る 。 十 月 四 日 、 長 失 敗 を 自 覚 、 苦 悩 を 短 歌 に ま ぎ ら す 。 こ の 頃 、 森 鷦 外 の 知 遇 を 得 て 男 真 一 誕 生 。 こ の 日 東 雲 堂 書 店 と 処 女 歌 集 出 版 の 契 約 成 立 、 二 十 円 べ に ム で

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十 八 歳 載 。 十 一 月 、 姉 夫 妻 の 転 居 で 市 内 仁 王 小 路 三 十 番 戸 に 移 る 。 十 二 月 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 三 日 、 瀬 川 深 、 小 林 茂 雄 、 岡 山 儀 七 ら と 「 岩 手 日 報 」 に 「 白 羊 会 詠 二 月 、 堀 合 節 子 と の 婚 約 な る 。 十 月 、 処 女 詩 集 刊 行 の 目 的 で 上 京 。 草 タ の 歌 」 を 石 川 翠 江 の 筆 名 で 発 表 。 甌 木 の 作 品 六 首 。 以 後 十 一 一 十 一 月 、 牛 込 区 砂 土 原 町 三 ノ 一 一 一 井 田 芳 太 郎 方 に 居 を 定 む 。 こ の 月 一 一 十 八 日 に か け て 白 羊 会 詠 草 十 一 首 を 同 紙 に 発 表 。 こ の 年 、 堀 内 年 、 「 明 星 」 「 帝 国 文 学 」 「 時 代 思 潮 」 「 太 陽 」 「 白 百 合 」 に 多 く の 詩 作 を 発 表 、 明 星 派 新 進 詩 人 と し て 注 目 さ れ る 。 十 一 一 月 、 宗 費 滞 納 の 節 子 と の 恋 愛 深 ま る 。 十 六 歳 た め 、 父 、 宝 徳 寺 住 職 罷 免 。 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 十 九 歳 一 月 一 日 、 友 人 の 瀬 川 深 ら と 石 川 翠 江 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 新 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 年 雑 詠 ( 白 羊 会 詠 草 ) 」 を 発 表 。 殀 木 の 作 品 は 八 首 。 一 月 十 一 日 、 十 五 月 、 処 女 詩 集 「 あ こ が れ 」 を 小 田 島 書 房 よ り 刊 行 。 六 月 、 盛 岡 に 一 一 日 、 麦 羊 子 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 「 草 わ か ば 」 を 評 す 」 を 発 表 。 帰 り 、 堀 合 節 子 と 結 婚 、 宝 徳 寺 を 退 去 し た 両 親 や 妹 と 市 内 帷 子 小 路 三 月 十 一 日 よ り 十 九 日 に か け て 「 寸 舌 語 」 と 題 す る 文 芸 時 評 を 四 回 八 番 戸 に 新 居 を 定 む 。 六 月 、 加 賀 野 磧 町 四 番 戸 に 転 居 。 九 月 、 文 芸 「 岩 手 日 報 」 に 掲 ぐ 。 署 名 白 蘋 生 。 四 月 、 五 年 に 進 級 、 四 年 修 了 成 雑 誌 「 小 天 地 」 を 創 刊 し た が 一 号 で 終 っ た 。 二 十 歳 績 は 平 均 六 十 六 点 。 啄 木 は 三 月 の 学 年 末 試 験 に 不 正 行 為 を 行 い 、 四 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 月 十 七 日 付 で 譴 責 処 分 を 受 け た が 、 五 年 の 一 学 期 の 試 験 に も 友 人 の 三 月 、 母 と 妻 を 伴 い 渋 民 村 に 帰 る 。 渋 民 一 一 番 地 斎 藤 福 の 家 に 間 借 り 狐 崎 嘉 助 と 共 謀 し て 再 度 不 正 行 為 を 行 な い 、 七 月 十 五 日 の 職 員 会 議 生 活 を す る 。 四 月 、 岩 手 郡 渋 民 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 十 四 日 で 二 度 目 の 譴 責 処 分 が 決 定 、 保 証 人 の 田 村 叶 が 召 奐 さ れ た 。 五 月 一 一 一 よ り 勤 務 。 月 給 八 円 。 四 月 、 沼 宮 内 町 で 徴 兵 検 査 、 筋 骨 薄 弱 で 丙 種 十 日 よ り 六 月 一 日 に か け て 「 岩 手 日 報 . に 「 五 日 乃 文 壇 ー を 執 筆 。 合 格 、 徴 兵 免 除 。 六 月 、 農 繁 休 暇 を 利 用 し て 父 の 宝 徳 寺 復 帰 運 動 の 十 月 、 「 家 事 の 都 合 」 を 理 由 に 中 学 校 を 退 学 、 文 学 で 身 を 立 て よ う た め 上 京 。 帰 郷 後 創 作 に 志 し 、 小 説 「 雲 は 天 才 で あ る 」 や 「 面 影 」 と 上 京 。 十 月 、 「 明 星 」 五 号 に 短 歌 一 首 発 表 。 十 一 月 九 日 、 新 詩 社 の を 書 く 。 十 二 月 、 長 女 京 子 誕 生 。 一 一 十 一 歳 会 合 に 出 席 。 翌 日 、 渋 谷 の 自 宅 に 与 謝 野 鉄 幹 ・ 晶 子 を 訪 問 。 そ の 後 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 病 気 の た め 上 京 の 目 的 を 達 せ す 下 宿 に 呻 吟 す る 。 三 月 、 父 宝 徳 寺 再 住 を 断 念 し 、 家 出 、 野 辺 地 の 師 僧 対 月 を 頼 る 。 同 十 七 歳 月 、 学 年 末 に 離 村 し て 新 生 活 を 開 か ん と 決 意 し 、 こ の 前 後 函 館 の 苜 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 一 一 l) し ゆ く し ゃ 一 一 月 、 父 に 伴 わ れ て 帰 郷 。 以 後 病 身 を 故 郷 の 禅 房 に 養 う 。 「 ワ グ ネ 蓿 社 の 同 人 松 岡 蕗 堂 に 渡 道 の 依 頼 を す る 。 四 月 、 辞 表 提 出 。 高 等 科 ル の 思 想 」 を 「 岩 手 日 報 」 に 七 回 連 載 。 七 月 、 「 明 星 ー に 短 歌 四 首 の 生 徒 を 引 率 、 村 の 南 端 平 田 野 に 赴 き 、 校 長 排 斥 の ス ト ラ イ キ を 指 発 表 。 十 一 月 、 東 京 新 詩 社 同 人 に 推 挙 さ れ る 。 十 一 一 月 、 初 め て 木 示 、 校 長 に 転 任 発 令 成 り 、 木 も 免 職 の 辞 令 を 受 く 。 五 月 、 一 家 を の 雅 号 を 用 い て 「 明 星 」 に 「 愁 調 」 と 題 す る 五 篇 の 長 詩 を 発 表 。 十 離 散 し 妹 を 連 れ て 渡 道 。 函 館 青 柳 町 四 十 五 番 地 の 松 岡 蕗 堂 の 下 宿 に 一 一 月 、 「 岩 手 日 報 」 ( 十 七 、 十 九 日 ) に 「 無 題 録 」 と 題 す る エ ッ セ イ 寄 寓 、 妹 は 小 樽 の 次 姉 山 本 と ら の も と へ 赴 く 。 六 月 、 函 館 区 立 弥 生 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 月 給 十 二 円 。 七 月 、 妻 子 来 道 、 青 柳 町 を 掲 げ 、 啄 木 の 筆 名 の 由 来 と 当 時 の 心 境 を 述 べ る 。

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昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) 五 十 一 歳 一 月 、 詩 集 「 道 程 」 再 訂 版 を 刊 行 。 四 月 十 三 日 、 空 襲 に よ り ア ト リ 智 恵 子 の 病 状 は 一 進 一 退 。 五 月 、 千 葉 県 九 十 九 里 浜 真 亀 納 屋 に 転 地 = 炎 上 。 五 月 、 岩 手 県 花 巻 町 の 宮 沢 清 六 方 に 疎 開 。 肺 炎 臥 床 。 八 さ せ る 。 十 月 、 父 光 雲 が 八 十 三 歳 で 没 す る 。 十 一 一 月 、 転 地 先 に も 置 月 、 宮 沢 家 戦 災 。 終 戦 を む か え る 。 十 月 、 岩 手 県 稗 貫 郡 太 田 村 山 口 け な く な っ た 智 恵 子 を ア ト リ エ に つ れ も ど す 。 こ の 数 年 、 家 事 と 雑 の 小 屋 に 移 り 、 農 耕 自 炊 の 生 活 に 入 る 。 用 と 看 病 に 追 わ れ 、 空 白 時 代 を す ご す 。 昭 和 ニ 十 一 年 ( 一 九 四 六 ) 六 十 三 歳 昭 和 十 年 ( 一 九 三 五 ) 五 十 一 一 歳 夜 具 の 肩 に 吹 雪 の 積 る 山 小 屋 の 生 活 。 こ こ に 新 し い 文 化 の 創 造 を 夢 一 一 月 、 智 恵 子 を 南 品 川 ゼ ー ム ス 坂 病 院 に 入 院 さ せ る 。 み 、 し ば し ば 村 人 ら と 語 る 。 彫 刻 制 作 の 環 境 を 欠 い た が 、 詩 や 多 く 昭 和 十 三 年 ( 一 九 三 八 ) 五 十 五 歳 の 書 作 品 が 生 ま れ た 。 十 月 五 日 、 智 恵 子 が ゼ ー ム ス 坂 病 院 で 没 す る 。 五 十 一 一 歳 。 死 因 は 粟 昭 和 ニ 十 ニ 年 ( 一 九 四 七 ) 六 十 四 歳 粒 性 肺 結 核 で あ っ た 。 遺 作 紙 絵 千 数 百 点 。 七 月 、 山 林 に 自 ら の 生 涯 を 顧 み た 群 詩 「 暗 愚 小 伝 」 を 発 表 す る 。 昭 和 十 五 年 ( 一 九 四 〇 ) 五 十 七 歳 昭 和 ニ 十 五 年 ( 一 九 五 〇 ) 六 十 七 歳 十 一 月 、 詩 集 「 道 程 」 改 訂 版 を 刊 行 。 十 一 一 月 、 中 央 協 力 会 議 議 員 と 数 年 来 無 理 し て 仕 事 す る と 血 を 吐 く の が 習 慣 と な る 。 十 月 、 詩 集 な り 、 翌 年 ま で 続 け る 。 「 典 型 」 を 刊 行 。 十 二 月 、 詩 文 集 「 智 恵 子 抄 そ の 後 」 を 刊 行 。 昭 和 十 六 年 ( 一 九 四 一 ) 五 十 八 歳 昭 和 ニ 十 六 年 ( 一 九 五 一 ) 六 十 八 歳 八 月 、 随 筆 集 「 美 に つ い て 」 を 刊 行 。 同 月 、 詩 集 「 智 恵 子 抄 」 を 刊 肋 間 神 経 痛 に 悩 む 。 五 月 、 詩 集 「 典 型 」 に よ り 読 売 文 学 賞 を 受 け 行 。 十 一 一 月 八 日 、 太 平 洋 戦 争 開 戦 。 る 。 九 月 、 「 高 村 光 太 郎 選 集 」 全 六 巻 の 刊 行 は じ ま る 。 昭 和 十 七 年 ( 一 九 四 一 l) 昭 和 ニ 十 七 年 ( 一 九 五 一 l) 五 十 九 歳 六 十 九 歳 一 月 、 評 論 集 「 造 型 美 論 」 を 刊 行 。 四 月 、 詩 集 「 道 程 」 に よ り 芸 術 十 和 田 国 立 公 園 功 労 者 顕 彰 記 念 碑 の た め の 裸 婦 像 制 作 を 決 意 し 、 十 院 賞 を 受 け る 。 同 月 、 詩 集 「 大 い な る 日 に 」 を 刊 行 。 六 月 、 日 本 文 月 、 東 京 に 帰 る 。 中 野 区 桃 園 町 の 故 中 西 利 雄 ア ト リ エ で 制 作 。 翌 年 学 報 国 会 発 足 し 、 詩 部 会 会 長 に 推 さ れ る 。 十 月 、 湖 畔 休 屋 に 除 幕 。 昭 和 十 八 年 ( 一 九 四 三 ) 六 十 歳 昭 和 三 十 年 ( 一 九 五 五 ) 七 十 一 一 歳 譜 四 月 、 随 筆 集 「 某 月 某 日 」 を 刊 行 。 十 一 月 、 年 少 者 の た め の 詩 集 前 年 か ら 療 養 に つ と め て い た 宿 痾 の 肺 結 核 の た め 、 四 月 、 山 王 病 院 「 を ち さ ん の 詩 」 を 刊 行 。 に 入 院 、 七 月 に は 退 院 し た が 、 病 状 は 次 第 に 悪 化 を た ど る 。 年 昭 和 十 九 年 ( 一 九 四 四 ) 六 十 一 歳 昭 和 三 十 一 年 ( 一 九 五 六 ) 七 十 三 歳 三 月 、 詩 集 「 記 録 」 を 刊 行 。 発 表 さ れ た 詩 は 殆 ど 戦 事 に 関 す る も の 三 月 中 旬 か ら 容 態 急 変 、 幾 度 か の 喀 血 を 繰 返 し た が 、 四 月 一 一 日 午 前 で あ っ た が 、 ま た 別 種 の 詩 も あ っ た 。 三 時 四 十 五 分 、 中 野 ア ト リ エ に 没 し た 。 五 月 、 駒 込 染 井 の 高 村 家 墓 昭 和 ニ 十 年 ( 一 九 四 五 ) 六 十 二 歳 地 に 埋 葬 。

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上 盛 岡 中 学 時 代 友 人 と 。 中 列 右 よ り 三 人 目 啄 木 。 一 こ の 頃 す で に め ざ ま し い 文 学 活 動 を し て い た 。 ~ 左 明 治 三 十 五 年 啄 木 ( 左 端 ) 上 京 の 折 、 秀 才 ~ 一 の 集 り ュ ニ オ ン 会 の 記 念 写 真 。 上 帰 郷 の 折 仙 台 に て 左 端 啄 木 右 上 京 当 時 岡 山 不 衣 ( 右 ) と 。 421

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414 小 岩 井 農 場 を 訪 れ る 。 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 こ 十 五 歳 短 歌 の 創 作 多 く な る 。 こ の 年 短 歌 は 異 稿 共 四 十 二 首 。 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 一 l) 十 六 歳 五 月 、 一 関 、 石 巻 、 松 島 、 仙 台 、 平 泉 に 修 学 旅 行 。 初 め て 海 を 見 る 。 大 正 ニ 年 ( 一 九 一 lll) 十 七 歳 明 治 ニ 十 九 年 ( 一 八 九 六 ) 舎 監 排 斥 連 動 に 参 加 、 寄 宿 舎 よ り 追 放 さ れ 、 盛 岡 市 北 山 の 清 養 院 、 八 月 二 十 五 日 、 岩 手 県 稗 貫 郡 花 巻 町 ( 現 花 巻 市 豊 沢 町 四 ノ 十 一 ) つ い で 徳 玄 寺 に 下 宿 。 五 月 、 北 海 道 修 学 旅 行 。 八 月 、 北 山 の 願 教 寺 に 、 質 ・ 古 物 商 の 父 政 治 郎 、 母 イ チ の 長 男 と し て 母 の 実 家 ( 花 巻 市 で 島 地 大 等 の 法 話 を 聞 い て 感 動 。 鍛 冶 町 ) で 出 生 。 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 十 八 歳 明 治 三 十 一 年 ( 一 八 九 八 ) 一 一 歳 三 月 、 盛 岡 中 学 校 を 卒 業 。 九 月 、 島 地 大 等 著 編 「 漢 和 対 照 妙 法 蓮 十 一 月 五 日 、 妹 ト シ 出 生 。 華 経 」 を 読 む 。 生 涯 の 書 と な る 。 三 歳 明 治 三 十 ニ 年 ( 一 八 九 九 ) 大 正 四 年 ( 一 九 一 五 ) 十 九 歳 家 人 の 唱 え る 真 宗 の 経 典 「 正 信 偈 」 「 白 骨 の 御 文 章 , を 暗 誦 。 一 一 月 、 北 山 の 教 浄 寺 に 下 宿 。 四 月 、 盛 岡 高 等 農 林 学 校 ( 現 岩 手 大 明 治 三 十 四 年 ( 一 九 〇 一 ) 五 歳 学 農 学 部 ) 農 学 部 に 首 席 入 学 。 寄 宿 舎 自 啓 寮 に 入 る 。 こ の 年 、 短 歌 六 月 十 八 日 、 妹 シ ゲ 出 生 。 は 、 補 遺 、 異 稿 共 三 十 三 首 。 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 一 一 l) 七 歳 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 一 一 十 歳 四 月 、 花 巻 町 立 川 口 ( 後 に 花 城 と 改 名 ) 尋 常 高 等 小 学 校 に 入 学 。 三 月 、 関 西 へ 修 学 旅 行 。 五 月 、 短 篇 「 家 長 制 度 」 を 書 く 。 七 月 、 農 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 八 歳 林 学 校 校 友 会 報 に 旅 行 紀 行 文 、 詩 、 短 歌 を 発 表 。 八 月 、 上 京 し ド イ 四 月 一 日 、 弟 清 六 出 生 。 ツ 語 学 習 。 九 月 、 秩 父 旅 行 。 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 十 一 歳 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 二 十 一 歳 三 月 四 日 、 末 妹 ク ニ 出 生 。 一 月 、 上 京 。 四 月 、 弟 清 六 た ち と 盛 岡 市 内 に 下 宿 。 七 月 、 短 篇 「 秋 十 三 歳 田 街 道 」 を 書 く 。 同 人 誌 「 ア ザ リ ア 」 に 短 歌 及 び 短 篇 「 「 旅 人 の は 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 三 月 、 川 口 小 学 校 を 卒 業 、 四 月 、 県 立 盛 岡 中 学 校 に 入 学 、 寄 宿 舎 に な し 」 か ら 」 を 発 表 。 八 月 、 岩 手 江 刺 郡 の 地 質 調 査 を し 、 種 山 ヶ 原 入 る 。 植 物 、 鉱 石 の 採 集 に 熱 中 。 短 歌 制 作 は じ ま る 。 を 歩 き 、 原 体 剣 舞 を 見 る 。 十 月 、 短 篇 「 沼 森 「 柳 沢 」 を 書 く 。 二 十 二 歳 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 十 四 歳 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) 六 月 、 は じ め て 岩 手 山 に 登 る 。 こ の 後 い く ど も 一 人 で 登 山 。 九 月 、 三 月 、 盛 岡 高 等 農 林 学 校 卒 業 、 同 校 研 究 生 と な る 。 卒 論 は 「 腐 植 質 宮 澤 賢 治 年 譜

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あ る 。 生 活 が あ る 。 こ の 平 明 な 表 現 、 力 強 い 詩 句 、 こ の 詩 が 吾 々 に 与 へ る 感 動 と 悲 惨 と 涙 と を 考 へ や う 。 』 」 そ れ は 光 太 郎 の 胸 中 に 「 猛 獣 篇 」 と い う 詩 集 は 無 い 。 前 衛 勢 力 に 壊 滅 的 な 打 撃 を 与 え た 三 ・ 一 五 と か 四 ・ だ け 存 在 し た 幻 の 詩 集 で あ り 、 そ の 中 の 十 数 篇 が 現 実 一 六 と か 呼 ば れ る 事 件 を 背 景 と し 、 深 刻 な 不 況 の う ち に は 「 猛 獣 篇 よ り 」 と し て 発 表 さ れ た に す ぎ な い 。 そ に 戦 争 〈 の 道 を と と の え る そ ん な 時 代 で あ る 。 こ れ ら れ に も か か わ ら ず こ れ ら の 詩 篇 、 又 は こ れ ら の 詩 篇 に 「 猛 獣 篇 」 前 半 と 、 昭 和 十 一 一 年 、 日 中 戦 争 を 契 機 と し 代 表 さ れ る 一 時 期 の 作 品 は 、 光 太 郎 詩 の も う 一 つ の 頂 て 再 び 現 わ れ る 後 半 の 詩 に は さ ま れ た 「 猛 獣 篇 時 代 」 点 と し て 、 重 要 な 意 義 を 持 つ 。 「 『 道 程 』 以 後 」 の 詩 群 の 諸 詩 篇 に も 、 お の す か ら 歴 史 の 激 動 は 映 さ れ る が 、 と 関 東 大 震 災 を へ だ て て 相 対 し 、 そ れ が 内 部 に 完 結 し 、 い ま は 、 こ の 時 期 の も う 一 つ の 宿 命 的 な 出 来 事 に 触 れ 充 足 し た 生 の 讃 歌 を か な で る の に 、 こ れ は む し ろ 外 部 な い わ け に は ゆ か な い 智 恵 子 の 発 病 で あ る 。 に か か わ り 、 人 間 性 を 疎 外 す る そ の 予 盾 、 そ の 理 不 尽 も と も と 光 太 郎 夫 妻 の 生 活 は 、 普 通 の 意 味 の 結 婚 生 に 対 決 し て 高 鳴 る 。 内 部 生 命 の 決 意 や 苦 悩 を 歌 い あ げ 活 と は 異 な っ て い た よ う に 思 わ れ る 。 光 太 郎 自 身 、 智 恵 は ん ち フ る こ と に よ っ て 、 深 く 人 間 社 会 に か か わ る 。 正 末 昭 仞 子 を 妻 と い う 範 疇 に 属 す る 女 で は な か っ た と 語 っ て の 激 動 す る 季 節 に 、 材 を 猛 獣 に か り て 発 せ ら れ た こ れ い る よ う に 、 こ こ に あ る の は 、 芸 術 の 道 に 骨 身 を け す ら の 詩 は 、 痛 烈 な 印 象 を 当 時 の 人 々 の 心 に も 留 め た 。 る 独 立 し た 男 女 の 、 全 き 愛 と 互 敬 に 支 え ら れ た 共 棲 の だ ち ょ う 例 え ば 『 昭 和 三 年 史 』 は 「 ば ろ ほ ろ な 駝 鳥 」 に つ い て す が た 。 い わ ば 、 男 と 女 、 人 間 の あ り 得 べ き か た ち を 幾 ら か ロ ご も り な が ら 記 す 。 追 い 求 め 、 歩 み つ づ け た 一 体 の 生 活 者 。 智 恵 子 詩 篇 の 「 此 の 詩 は あ ら ゆ る 詩 派 の 詩 人 か ら 、 共 通 に 高 い 批 判 中 に 、 妻 と 呼 び か け る 言 葉 の 数 少 く 、 ま た 世 俗 の 法 的 手 を 得 た 特 記 す べ き 詩 で あ る 。 其 の 理 由 を 井 上 康 文 氏 は 続 を 、 智 恵 子 が 正 常 な 意 識 を 失 う ま で 、 無 視 し 続 け た 斯 う 述 べ て 居 る 。 『 こ の 詩 に は 時 代 の 人 間 の 姿 が 現 は れ 態 度 に も 、 二 人 の 決 意 は う か か い 得 る て ゐ る 、 駝 鳥 を 囲 ひ の 中 に 入 れ て ゐ る 人 間 、 そ こ に 社 自 ら の 生 、 自 ら の 行 為 と 同 義 で あ る と さ え 信 ず る 同 会 の 姿 が あ り 、 駝 鳥 に ま た 悲 し い 人 間 の 姿 が あ る 。 こ 伴 者 を 襲 「 た 突 然 の 狂 気 、 し か も そ れ が 、 こ の 特 殊 な こ に 怒 号 は 無 い 。 然 し 覚 醒 し た 人 間 の 心 が あ る 。 愛 が 倫 理 に か こ ま れ た 特 殊 国 で 、 一 緒 に 貫 こ う と 考 え た 「 人 432

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


416 鑼 」 十 号 に 詩 「 冬 と 銀 河 ス テ ー シ ョ ン 」 を 発 表 。 三 月 、 盛 岡 中 学 校 宅 、 療 養 の 生 活 に 入 る 。 十 一 月 三 日 、 病 床 で 手 帳 に 「 雨 ニ モ マ ケ 校 友 会 誌 に 「 冬 一 一 篇 」 と し て 「 奏 鳴 四 一 九 」 ( 映 画 劇 「 「 べ ー リ ン グ ズ ー を 書 く 。 鉄 道 」 序 詞 」 と 後 に 改 題 ) 、 「 銀 河 鉄 道 の 一 月 ー ( 「 岩 手 軽 便 鉄 道 の 一 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l) 三 十 六 歳 月 」 と 後 に 改 題 ) を 発 表 。 四 月 、 花 巻 温 泉 に 南 斜 花 壇 を 設 計 造 園 。 三 月 、 「 児 童 文 学 」 一 一 号 に 童 話 「 グ ス コ ー ・ フ ド リ の 伝 記 」 を 発 表 。 六 月 、 詩 、 「 装 景 手 記 」 を 書 く 。 冷 害 、 災 害 予 想 の た め に 盛 岡 測 候 菜 食 を 実 行 し 、 漸 次 衰 弱 す る 。 四 月 、 「 岩 手 詩 集 ー 第 一 集 に 詩 「 早 所 、 水 沢 緯 度 観 測 所 を 訪 問 、 対 策 を 講 じ 農 村 を 巡 回 指 導 す る 。 肥 料 春 独 白 」 、 八 月 、 「 女 性 岩 手 ー 創 刊 号 に 文 語 詩 「 選 挙 ー 「 民 間 薬 , を 、 設 計 は こ の 頃 ま で に 一 一 千 枚 書 か れ た 。 九 月 、 「 銅 鑼 」 十 二 号 に 詩 「 イ 十 一 月 、 四 号 に 文 語 詩 「 母 」 「 祭 日 」 「 保 線 工 手 」 、 「 詩 人 時 代 」 十 一 ー ト ヴ の 氷 霧 」 を 発 表 。 月 号 に 詩 「 客 を 停 め る 」 を 発 表 。 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 三 十 一 一 歳 昭 和 八 年 ( 一 九 llllll) 三 十 七 歳 一 一 月 、 「 銅 鑼 」 十 三 号 に 詩 「 氷 質 の 冗 談 ー を 、 三 月 、 「 聖 燈 」 に 詩 僅 か に 歩 行 が 出 来 る よ う に な り 、 肥 料 の 相 談 を 受 け る 。 一 一 月 、 「 新 「 稲 作 挿 話 」 を 発 表 。 六 月 、 仙 台 、 水 戸 、 東 京 、 伊 豆 大 島 を 旅 行 。 詩 論 」 一 一 号 に 詩 「 半 蔭 地 撰 定 ー を 、 三 月 、 「 詩 人 時 代 ー 三 月 号 に 「 詩 「 三 原 三 部 」 「 高 架 線 , な ど 詩 七 篇 を 書 く 。 八 月 、 稲 作 の 不 良 を 心 配 へ の 愛 憎 」 を 、 「 天 才 人 」 六 号 に 「 朝 に つ い て の 童 話 的 構 図 , ( 童 話 し 、 風 雨 の 中 を 奔 走 し 肋 膜 炎 に か か り 、 父 母 の も と に 帰 り 病 臥 。 肥 「 あ り と き の こ の こ と , を 改 題 ) 、 四 月 、 「 日 本 詩 壇 」 創 刊 号 に 詩 「 移 料 設 計 、 作 詩 を 続 け た が 慚 次 身 体 衰 弱 す る 。 化 す る 雲 -r 七 月 、 「 女 性 岩 手 ー 七 月 号 に 「 花 鳥 図 譜 七 月 」 を 、 三 十 三 歳 昭 和 四 年 ( 一 九 一 一 九 ) 「 詩 人 時 代 」 七 号 に 「 葱 巓 先 生 の 散 歩 」 を 発 表 。 九 月 十 九 日 、 花 巻 町 病 床 で 童 話 と 詩 の 推 敲 を つ づ け る 。 こ の 年 の は じ め 頃 よ り 文 語 詩 創 鳥 谷 ヶ 崎 神 社 祭 礼 の 神 輿 還 御 を 門 前 で 拝 む 。 一 一 十 日 、 急 性 肺 炎 の 徴 作 は じ ま る 。 候 。 夜 、 遅 く ま で 肥 料 設 計 の 相 談 冫 こ 応 対 。 著 し く 疲 労 。 一 一 十 一 日 、 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 三 十 四 歳 喀 血 し 容 態 急 変 、 死 去 。 「 国 訳 妙 法 蓮 華 経 」 の 頒 布 を 遺 言 。 花 巻 町 小 康 を 得 て 文 語 詩 の 創 作 続 く 。 九 月 、 は じ め て 東 北 砕 石 工 場 を 訪 浄 土 真 宗 安 浄 寺 に 埋 葬 ( 後 に 日 蓮 宗 身 照 寺 に 改 葬 ) 。 法 名 、 「 真 金 院 。 十 一 月 、 「 文 芸 。 フ ラ = ン グ 」 第 三 号 に 詩 「 空 明 と 傷 痍 」 「 遠 足 許 三 不 日 賢 善 男 子 」 。 可 」 「 住 居 」 「 森 」 を 発 表 。 こ の 年 譜 は 、 宮 沢 清 六 氏 編 の 年 譜 を 中 心 に そ の 他 の 年 譜 を 参 考 に 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 三 十 五 歳 〔 編 集 部 が 作 成 し 、 天 沢 退 一 一 郎 氏 に 校 閲 を お 願 い し た も の で す 。 一 一 月 、 病 気 快 癒 と 見 え 、 東 北 砕 石 工 場 の 技 師 に な る 。 炭 酸 石 灰 の 製 法 改 良 に 尽 力 す る こ と を 決 意 。 三 月 よ り そ の 販 売 に 岩 手 、 秋 田 、 宮 城 、 東 京 と 奔 走 。 七 月 、 「 児 童 文 学 」 創 刊 号 に 童 話 「 北 守 将 軍 と 三 人 兄 弟 の 医 者 」 を 発 表 。 九 月 、 炭 酸 石 灰 と 壁 材 料 見 本 を も っ て 上 京 、 高 熱 臥 床 。 九 月 二 十 一 日 、 死 を 覚 悟 し て 父 母 近 親 へ 遣 書 を 書 く 。 帰