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検索対象: 現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集から 421件ヒットしました。

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


現 代 日 本 の 文 学 石 川 木 高 本 寸 光 太 良 集 宮 ラ 睾 賢 治 北 尾 奥 足 三 川 井 伊 崎 野 立 集 端 上 藤 修 五 + 杜 秀 健 巻 委 紀 康 夫 樹 男 夫 成 靖 整 学 習 研 究 社

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高 村 光 太 郎 集

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


石 川 啄 木 集 目 次 石 川 啄 木 文 学 紀 行 啄 木 の 旅 一 握 の 砂 悲 し き 玩 具 : あ こ が れ : 呼 子 と ロ 笛 : ロ ー マ 字 日 記 : 注 解 石 川 啄 木 文 学 ア ル バ ム 評 伝 的 解 説 00 紅 野 敏 郎 三 九 五 四 0 七 久 保 田 正 文 四 一 七 草 野 心 平 一 七 高 村 光 太 郎 集 目 次 高 村 光 太 郎 文 学 紀 行 光 太 郎 と 一 緒 の 旅 を 振 り 出 し に 草 野 心 平 一 穴 道 「 道 程 」 以 後 ・ : 猛 獣 篇 : ・ 「 猛 獣 篇 ー 時 代 ・ : 一 亳 智 恵 子 抄 典 型 : ・ 「 典 型 」 以 後 ・ : 注 解 紅 野 敏 郎 三 究 」 川 太 一 四 = 高 村 光 太 郎 文 学 ア ル ・ ハ ム 評 伝 的 解 説 川 太 一 四 一 石 北

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


現 代 日 本 の 文 学 6 全 60 巻 石 川 啄 木 高 村 光 太 郎 集 宮 澤 賢 治 昭 和 46 年 10 月 1 日 初 版 発 行 昭 和 57 年 10 月 1 日 25 版 発 行 石 川 啄 木 著 者 高 村 光 太 郎 宮 澤 賢 治 発 行 者 古 岡 滉 発 行 所 鑾 学 習 研 究 社 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振 替 東 京 8 ー 142930 電 話 東 京 ( 720 ) 1111 ( 大 代 表 ) 印 刷 大 日 本 印 刷 株 式 会 社 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 製 本 中 央 精 版 印 刷 株 式 会 社 本 文 用 紙 三 菱 製 紙 株 式 会 社 表 紙 ク ロ ス 東 洋 ク ロ ス 株 式 会 社 製 函 永 井 紙 器 印 刷 株 式 会 社 * こ の 本 に 関 す る お 問 合 せ や ミ ス な ど が あ り ま し た ら , 文 書 は , 東 京 都 大 田 区 上 池 台 4 丁 目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学 研 お 客 さ ま 相 談 セ ン タ ー 現 代 日 本 の 文 学 係 へ , 電 話 は , 東 京 ( 03 ) 720 ー 1111 へ お 願 い し ま す 。 ORei 司 I ik000 、 Kimie Takamura'Seir0kuMiyazawa11971 本 書 内 容 の 無 断 複 写 を 禁 す Printed in Japan ISBN4 ー 05 ー 050216 ー X C0393

現代日本の文学 6 石川啄木 高村光太郎 宮澤 賢治 集


中 高 、 、 央 村 公 光 論 太 社 郎 刊 詩 - 行 集 大 正 3 年 抒 情 詩 社 よ り 自 費 昭 和 16 年 龍 星 閣 刊 昭 和 25 年 刊 行 の 「 典 型 』 出 版 の 処 女 詩 集 『 道 程 』 行 の 『 智 恵 子 抄 』 光 太 郎 の 主 要 作 品 浮 彫 明 治 29 年 老 人 の 首 大 正 十 年 最 後 の 作 品 昭 和 三 十 一 年 倉 田 雲 平 胸 像 裸 婦 像 原 型 昭 和 28 年 鯰 大 正 15 年

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412 方 、 白 秋 、 杢 太 郎 ら の ・ ハ ン の 会 の 狂 瀾 に 巻 き こ ま れ る 。 そ の 他 に 故 障 が あ り 、 一 年 の う ち 何 ヶ 月 か は 故 郷 一 一 本 松 に 帰 っ て い 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 一 一 十 七 歳 た 。 前 年 あ た り か ら ヴ ェ ル ハ ア ラ ン の 詩 を 訳 し は じ め る 。 三 十 八 歳 四 月 、 神 田 淡 路 町 に 画 廊 琅 洞 を 開 く 。 こ の 頃 、 吉 原 河 内 楼 の 娼 妓 大 正 十 年 ( 一 九 一 一 一 ) 若 太 夫 と の 恋 愛 が あ る 。 解 放 さ れ た 芸 術 家 と し て 生 き よ う と す る 願 四 月 、 エ リ ザ ベ ッ ト ・ ゴ ッ ホ 「 回 想 の ゴ ッ ホ 」 訳 を 刊 行 。 九 月 、 ホ い と 外 界 と の 矛 盾 に 悩 み 、 本 気 で 詩 を 書 く 衝 動 に 駆 ら れ る 。 ィ ッ ト マ ン 「 自 選 日 記 」 訳 を 刊 行 。 十 一 月 、 「 明 星 」 復 刊 し 、 そ れ 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 一 ) 一 一 十 八 歳 を 機 会 に 「 雨 に う た る る カ テ ド ラ ル ー 等 の 長 詩 次 々 に 生 ま れ る 。 四 十 歳 詩 作 次 々 に 生 ま れ る 。 五 月 、 琅 圷 洞 を 人 に 譲 り 、 北 海 道 移 住 を 企 て 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 一 一 三 ) た が 失 敗 。 十 二 月 、 洋 画 家 長 沼 智 恵 子 と 知 る 。 九 月 、 関 東 大 震 災 。 下 町 か ら の 避 難 者 に ア ト リ エ を 解 放 し 、 数 ヶ 月 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 一 l) 一 一 十 九 歳 を 四 畳 半 に こ も る 。 個 人 雑 誌 の 計 画 が あ っ た が 実 現 し な い 。 六 月 、 駒 込 林 町 に ア ト リ エ 完 成 。 智 恵 子 へ の 愛 と 、 生 の 転 機 。 岸 田 大 正 十 三 年 ( 一 九 二 四 ) 四 十 一 歳 劉 生 ら と フ ュ ー ザ ン 会 結 成 。 白 樺 の 運 動 に も 関 心 を 持 つ 。 五 月 、 ロ マ ン ・ ロ ラ ン 戯 曲 「 リ リ ュ リ 」 訳 を 刊 行 。 九 月 、 木 彫 小 品 大 正 ニ 年 ( 一 九 一 lll) 三 十 歳 を 頒 っ 会 を 発 表 。 木 彫 を 作 れ ば 幾 ら か の 金 が 確 実 に と れ る よ う に な 五 月 、 フ ュ ー ザ ン 会 分 裂 。 岸 田 ら と 生 活 社 を お こ す 。 八 月 、 上 高 地 る 。 詩 は 「 猛 獣 篇 ー 時 代 に 入 る 。 智 恵 子 に も 健 康 な 数 年 。 に 行 く 。 九 月 、 智 恵 子 も 来 る 。 婚 約 。 四 十 一 一 歳 大 正 十 四 年 ( 一 九 二 五 ) 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 三 十 一 歳 三 月 、 ヴ ェ ル ハ ア ラ ン 詩 集 「 天 上 の 炎 」 訳 を 刊 行 。 九 月 、 母 わ か が 十 月 、 詩 集 「 道 程 」 を 刊 行 。 十 一 一 月 、 智 恵 子 と 結 婚 。 ア ト リ エ で の 六 十 八 歳 で 没 す る 。 ロ マ ン ・ ロ ラ ン の 友 の 会 を 発 起 。 窮 乏 の う ち に も 充 足 し た 生 活 が は じ ま る 。 昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) 四 十 四 歳 大 正 四 年 ( 一 九 一 五 ) 三 十 二 歳 四 月 、 評 伝 「 ロ ダ ン 」 を 刊 行 。 実 生 活 に 加 え た 変 革 の 結 果 、 生 活 は こ の 頃 か ら 彫 刻 に 専 心 。 七 月 、 「 印 象 主 義 の 思 想 と 芸 術 」 を 刊 行 。 窮 乏 を き わ め る 。 こ の 頃 、 詩 は 主 と し て 若 い 世 代 の 小 同 人 誌 に 発 十 一 一 月 、 傑 作 歌 選 「 高 村 光 太 郎 与 謝 野 品 子 」 を 刊 行 。 表 。 北 海 道 移 住 の 志 が あ り 、 ま た エ ス ペ ラ ン ト を な ら う 。 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 三 十 三 歳 昭 和 四 年 ( 一 九 二 九 ) 四 十 六 歳 十 一 月 、 訳 編 「 ロ ダ ン の 言 葉 」 を 刊 行 。 智 恵 子 の 実 家 長 沼 家 が 破 産 す る 。 智 恵 子 の 健 康 ま た 傾 き 始 め る 。 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 三 十 四 歳 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 四 十 八 歳 ア メ リ カ で の 個 展 を 企 て 、 資 金 獲 得 の た め 、 秋 、 彫 刻 頒 布 会 を 発 表 八 月 、 新 聞 の 依 頼 で 一 ヶ 月 ほ ど 三 陸 地 方 を 旅 行 。 留 守 の 頃 か ら 、 智 す る 。 し か し 入 会 者 少 く 、 個 展 は 結 局 実 現 し な い 。 恵 子 に 精 神 異 常 の 徴 候 が 現 わ れ る 。 大 正 九 年 ( 一 九 一 一 〇 ) 三 十 七 歳 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l) 四 十 九 歳 五 月 、 訳 編 「 続 ロ ダ ン の 言 葉 」 を 刊 行 。 智 恵 子 は 結 婚 後 い つ も 肋 膜 七 月 、 智 恵 子 ア ダ リ ン 自 殺 未 遂 。 分 裂 症 状 は 悪 化 の 途 を た ど る 。

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十 八 歳 載 。 十 一 月 、 姉 夫 妻 の 転 居 で 市 内 仁 王 小 路 三 十 番 戸 に 移 る 。 十 二 月 明 治 三 十 七 年 ( 一 九 〇 四 ) 三 日 、 瀬 川 深 、 小 林 茂 雄 、 岡 山 儀 七 ら と 「 岩 手 日 報 」 に 「 白 羊 会 詠 二 月 、 堀 合 節 子 と の 婚 約 な る 。 十 月 、 処 女 詩 集 刊 行 の 目 的 で 上 京 。 草 タ の 歌 」 を 石 川 翠 江 の 筆 名 で 発 表 。 甌 木 の 作 品 六 首 。 以 後 十 一 一 十 一 月 、 牛 込 区 砂 土 原 町 三 ノ 一 一 一 井 田 芳 太 郎 方 に 居 を 定 む 。 こ の 月 一 一 十 八 日 に か け て 白 羊 会 詠 草 十 一 首 を 同 紙 に 発 表 。 こ の 年 、 堀 内 年 、 「 明 星 」 「 帝 国 文 学 」 「 時 代 思 潮 」 「 太 陽 」 「 白 百 合 」 に 多 く の 詩 作 を 発 表 、 明 星 派 新 進 詩 人 と し て 注 目 さ れ る 。 十 一 一 月 、 宗 費 滞 納 の 節 子 と の 恋 愛 深 ま る 。 十 六 歳 た め 、 父 、 宝 徳 寺 住 職 罷 免 。 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 十 九 歳 一 月 一 日 、 友 人 の 瀬 川 深 ら と 石 川 翠 江 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 新 明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 年 雑 詠 ( 白 羊 会 詠 草 ) 」 を 発 表 。 殀 木 の 作 品 は 八 首 。 一 月 十 一 日 、 十 五 月 、 処 女 詩 集 「 あ こ が れ 」 を 小 田 島 書 房 よ り 刊 行 。 六 月 、 盛 岡 に 一 一 日 、 麦 羊 子 の 署 名 で 「 岩 手 日 報 ー に 「 「 草 わ か ば 」 を 評 す 」 を 発 表 。 帰 り 、 堀 合 節 子 と 結 婚 、 宝 徳 寺 を 退 去 し た 両 親 や 妹 と 市 内 帷 子 小 路 三 月 十 一 日 よ り 十 九 日 に か け て 「 寸 舌 語 」 と 題 す る 文 芸 時 評 を 四 回 八 番 戸 に 新 居 を 定 む 。 六 月 、 加 賀 野 磧 町 四 番 戸 に 転 居 。 九 月 、 文 芸 「 岩 手 日 報 」 に 掲 ぐ 。 署 名 白 蘋 生 。 四 月 、 五 年 に 進 級 、 四 年 修 了 成 雑 誌 「 小 天 地 」 を 創 刊 し た が 一 号 で 終 っ た 。 二 十 歳 績 は 平 均 六 十 六 点 。 啄 木 は 三 月 の 学 年 末 試 験 に 不 正 行 為 を 行 い 、 四 明 治 三 十 九 年 ( 一 九 〇 六 ) 月 十 七 日 付 で 譴 責 処 分 を 受 け た が 、 五 年 の 一 学 期 の 試 験 に も 友 人 の 三 月 、 母 と 妻 を 伴 い 渋 民 村 に 帰 る 。 渋 民 一 一 番 地 斎 藤 福 の 家 に 間 借 り 狐 崎 嘉 助 と 共 謀 し て 再 度 不 正 行 為 を 行 な い 、 七 月 十 五 日 の 職 員 会 議 生 活 を す る 。 四 月 、 岩 手 郡 渋 民 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 十 四 日 で 二 度 目 の 譴 責 処 分 が 決 定 、 保 証 人 の 田 村 叶 が 召 奐 さ れ た 。 五 月 一 一 一 よ り 勤 務 。 月 給 八 円 。 四 月 、 沼 宮 内 町 で 徴 兵 検 査 、 筋 骨 薄 弱 で 丙 種 十 日 よ り 六 月 一 日 に か け て 「 岩 手 日 報 . に 「 五 日 乃 文 壇 ー を 執 筆 。 合 格 、 徴 兵 免 除 。 六 月 、 農 繁 休 暇 を 利 用 し て 父 の 宝 徳 寺 復 帰 運 動 の 十 月 、 「 家 事 の 都 合 」 を 理 由 に 中 学 校 を 退 学 、 文 学 で 身 を 立 て よ う た め 上 京 。 帰 郷 後 創 作 に 志 し 、 小 説 「 雲 は 天 才 で あ る 」 や 「 面 影 」 と 上 京 。 十 月 、 「 明 星 」 五 号 に 短 歌 一 首 発 表 。 十 一 月 九 日 、 新 詩 社 の を 書 く 。 十 二 月 、 長 女 京 子 誕 生 。 一 一 十 一 歳 会 合 に 出 席 。 翌 日 、 渋 谷 の 自 宅 に 与 謝 野 鉄 幹 ・ 晶 子 を 訪 問 。 そ の 後 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 病 気 の た め 上 京 の 目 的 を 達 せ す 下 宿 に 呻 吟 す る 。 三 月 、 父 宝 徳 寺 再 住 を 断 念 し 、 家 出 、 野 辺 地 の 師 僧 対 月 を 頼 る 。 同 十 七 歳 月 、 学 年 末 に 離 村 し て 新 生 活 を 開 か ん と 決 意 し 、 こ の 前 後 函 館 の 苜 明 治 三 十 六 年 ( 一 九 〇 一 一 l) し ゆ く し ゃ 一 一 月 、 父 に 伴 わ れ て 帰 郷 。 以 後 病 身 を 故 郷 の 禅 房 に 養 う 。 「 ワ グ ネ 蓿 社 の 同 人 松 岡 蕗 堂 に 渡 道 の 依 頼 を す る 。 四 月 、 辞 表 提 出 。 高 等 科 ル の 思 想 」 を 「 岩 手 日 報 」 に 七 回 連 載 。 七 月 、 「 明 星 ー に 短 歌 四 首 の 生 徒 を 引 率 、 村 の 南 端 平 田 野 に 赴 き 、 校 長 排 斥 の ス ト ラ イ キ を 指 発 表 。 十 一 月 、 東 京 新 詩 社 同 人 に 推 挙 さ れ る 。 十 一 一 月 、 初 め て 木 示 、 校 長 に 転 任 発 令 成 り 、 木 も 免 職 の 辞 令 を 受 く 。 五 月 、 一 家 を の 雅 号 を 用 い て 「 明 星 」 に 「 愁 調 」 と 題 す る 五 篇 の 長 詩 を 発 表 。 十 離 散 し 妹 を 連 れ て 渡 道 。 函 館 青 柳 町 四 十 五 番 地 の 松 岡 蕗 堂 の 下 宿 に 一 一 月 、 「 岩 手 日 報 」 ( 十 七 、 十 九 日 ) に 「 無 題 録 」 と 題 す る エ ッ セ イ 寄 寓 、 妹 は 小 樽 の 次 姉 山 本 と ら の も と へ 赴 く 。 六 月 、 函 館 区 立 弥 生 尋 常 小 学 校 代 用 教 員 に 就 任 、 月 給 十 二 円 。 七 月 、 妻 子 来 道 、 青 柳 町 を 掲 げ 、 啄 木 の 筆 名 の 由 来 と 当 時 の 心 境 を 述 べ る 。

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父 母 の 家 に 疎 開 し た が 、 そ こ も 間 も な く 、 矢 張 り 空 襲 の た め に 焼 け て し ま い 、 山 口 部 落 に 疎 開 し 、 そ こ で 山 居 七 年 の 自 炊 生 活 が は し ま っ た 。 駒 込 林 町 の ア ト リ エ 生 活 に 次 い で は 、 そ こ で の 生 活 が 一 番 長 か っ た 。 こ の 詩 碑 が 除 幕 さ れ た の は 昭 和 三 十 三 年 の 五 月 十 五 日 だ っ た 。 「 雪 白 く 積 め り 」 は 光 太 郎 の 山 口 生 活 の 最 初 の 詩 だ が ペ ン 字 が 原 稿 用 紙 の マ ス 目 も あ ざ や か に 浮 彫 り さ れ て い る 。 こ の 鋳 金 は 実 弟 豊 周 氏 の 作 で あ る こ と も 意 味 が あ る 。 光 太 郎 が 住 ん で い た 掘 立 小 屋 に は そ れ を 腐 敗 か ら ふ せ ぐ 立 派 な 套 屋 も で き た が 、 そ の 套 屋 と 詩 碑 建 立 の 費 用 は 、 村 全 体 の 五 百 六 十 五 軒 が 最 低 一 一 し い こ と 百 円 か ら 最 高 一 万 円 ま で 挙 0 て 出 費 し た 、 権 で あ る 。 そ の 後 高 村 記 念 館 も 詩 碑 の 近 く の ハ ン の 木 の 広 場 に 建 ち 、 光 太 郎 の 遺 品 な ど が 陳 列 さ れ て い る 。 私 が 初 め て 高 村 山 荘 を 訪 ね た 頃 は 、 山 荘 に は デ ン キ も な く ラ ン プ で あ り 、 部 落 の 分 教 場 に は 小 学 一 年 生 か ら 六 年 生 ま で の た め に 先 生 は 一 人 し か い な か っ た 。 そ の 後 学 校 は 改 築 さ れ 新 制 の 中 学 校 も で き た 。 「 広 尨 七 里 の す す き っ 原 」 に は 開 墾 団 の サ イ ロ も 並 ん だ 。 と こ せ っ し ゃ う ぢ き ろ が 光 太 郎 が 月 さ い 学 生 た ち に 講 演 し た り 、 楽 屋 や 学 切 正 直 」 と ル ビ を ふ っ た 大 き な 字 の 額 面 は ど う な っ て い る だ ろ う か 。 多 分 記 念 館 に 納 め ら れ て る だ ろ う が 芸 会 用 の 幔 幕 を 寄 附 し た り し た 、 そ の 小 ・ 中 学 校 は 閉 月 学 生 に 読 み よ い よ う に ル ビ を つ け た 意 味 合 い は ( そ 校 に な っ て し ま っ た 。 何 度 も そ の 学 校 を 訪 ね て い る の で 私 自 身 に と っ て も 感 慨 は 深 い 。 、 月 学 校 に あ っ た 「 私 の 書 の 格 調 の 高 さ と は 別 に ) な く な 「 て し ま 0 た 。 お い や 花 巻 太 田 村 山 口 の 山 荘 近 く 「 雪 白 く 積 め り 」 の 詩 碑 の 前 に 集 ま る 村 の 子 供 た ち

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ド ン に 渡 り 5 月 日 テ ー ム ズ 河 口 か ら 阿 波 丸 に 乗 っ て ケ が い た よ う で す ね 。 」 高 村 「 え え 、 同 し 家 。 二 階 か 三 帰 国 し た 。 階 に い た ん で す な 」 高 見 「 廊 下 で 会 っ た り し て る わ け 私 は 四 年 前 巴 里 に 少 し 滞 在 し て い た が 、 東 京 の よ う で す ね 」 高 村 「 す れ ち が う ぐ ら い 、 し た ん で し よ う ね ま だ そ の こ ろ 読 ん で な い か ら 、 会 い そ こ な っ て に 目 ま ぐ る し く 亦 夂 る 街 と は ち か い オ テ ル ス フ ロ も プ ル ミ エ ー ル 街 片 番 地 の ア ト リ エ も 案 外 、 古 び た ま ま す よ 。 惜 し い も ん だ け れ ど 」 ) ま た 光 太 郎 自 身 の 言 ン テ オ ン や モ ン パ ル 葉 に よ る と ロ マ ン ロ ラ ン は 隣 り の 通 り の 尼 寺 に い た 。 ま で 残 っ て い た か も 知 れ な い 。 ナ ス 界 隈 も 自 分 は 、 フ ろ つ い て い た の だ か ら 、 北 川 君 の そ こ で ジ ャ ン ク リ ス ト フ を 書 い た 。 そ の ジ ャ ン ク リ 年 譜 を も う 少 し 気 を 付 け て 記 憶 し て い た な ら 、 そ の ま ス ト フ を 一 部 分 で は あ る が 日 本 で 最 初 に 訳 し た の は 光 ま 残 っ て い る 、 い な い は 別 と し て 探 し て み る ん だ っ た 太 郎 で あ る ( 大 正 二 年 、 「 フ ュ ウ サ ン 」 と 「 生 活 」 に ) ニ = ロ な 、 と あ と で っ た 。 坂 本 勝 氏 の 「 佐 伯 祐 三 伝 」 を 売 後 年 光 太 郎 は 親 し い 友 人 た ち と ロ マ ン ロ ラ ン の 会 ん だ と き も 殊 更 に そ う 思 っ た 。 つ ま り は 佐 伯 祐 一 二 の 足 を つ く っ た り も し た が 、 ジ ャ ン ク リ ス ト フ を 執 筆 し ( 横 道 に そ れ て 跡 を た ど る た め ば っ か り に 巴 里 に 出 掛 け て 行 っ た 坂 本 て い た 頃 の ロ ラ ン と は 会 わ な か っ た 。 勝 の 熱 つ ば さ が 私 に は な か っ た 。 ノ ー ト ル ダ ム に は 二 の こ ん な こ と は 全 く 言 わ す も が な の こ と で は あ る が 私 か せ さ す が が 大 正 十 三 年 、 広 州 で の 大 学 時 代 、 ア ル バ イ ト で 稼 い 回 行 っ た が 、 そ の 時 は 流 石 に 光 太 郎 の 傑 作 「 雨 に う た る る カ テ ド ラ ル 」 を 思 い 出 し 、 自 分 も ま っ 正 面 か ら カ だ 金 で 最 初 に 丸 善 に 注 文 し た の は ス テ フ ァ ン ツ ワ イ テ ド 一 フ ル ド リ を 詩 に し た い と 思 っ た が 、 ま だ で き ク の 「 ロ マ ン ロ ラ ン 」 と 英 訳 の ジ ャ ン ク リ ス ト フ だ っ た 。 ど の よ 、 つ な 手 づ る か ら 自 分 が ロ ラ ン に 興 味 を と こ ろ で リ ル ケ も 光 太 郎 も ロ ダ ン に 傾 倒 し 、 ) ル ケ も っ た の か 思 い 出 せ な い が 、 そ れ ら が 着 い た と き の 自 は 「 ロ ダ ン 」 を 光 太 郎 は 後 年 「 ロ ダ ン の 言 葉 」 や 「 続 分 の 興 奮 は い ま で も ハ ッ キ リ 思 い 出 せ る 。 ) か ん れ ん ロ ダ ン の 言 葉 」 を 訳 し て い る 、 そ ん な 共 通 の 関 聯 が あ 光 太 郎 よ り 二 十 歳 あ と で 生 ま れ た 自 分 は 、 外 遊 の 頃 り し か も 同 し 建 物 に 住 ん で い た の に ま っ と う に は 会 わ の 、 ま た 帰 国 し て か ら 間 も な く の 頃 の 光 太 郎 に 就 い て な か っ た 。 ( 「 わ が 生 涯 を 語 る 」 の 光 太 郎 ・ 高 見 順 の 対 は 何 も 知 ら な か っ た 。 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) に は 詩 集 レ 談 で 、 高 見 「 高 村 さ ん が 。 ハ リ に い ら し っ た 時 ) に 、 「 道 程 」 が 出 版 さ れ た の に そ れ も 知 ら な か っ た 。 さ え き ゅ う ぞ う こ ろ

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む 者 に 語 り か け 、 そ れ ぞ れ が そ れ ぞ れ の 読 み 方 で 、 そ み ち て 溢 れ 、 つ い で 堰 を 切 っ て 流 れ る 。 お よ そ 「 泥 七 こ か ら 大 き な 力 、 行 動 、 の 勇 気 を 読 み と る の は 、 こ れ 宝 」 の あ た り で 一 一 分 さ れ る 『 道 程 』 前 半 の 詩 は 、 畆 ら の 詩 が そ の た め に 模 索 し 、 闘 い 、 時 に 傷 つ い た 真 摯 た る 生 と 、 失 わ れ た 愛 の い た み と を 重 ね 、 激 し い 反 逆 と 自 嘲 と 焦 燥 と 頽 廃 と を 刻 む 。 し か も こ こ で 、 人 は 以 な 生 活 に 裏 づ け ら れ て い る か ら に 他 な ら な い 詩 集 『 道 程 』 は 大 正 三 年 秋 、 自 費 で 出 版 さ れ た 。 明 後 の 詩 界 に 広 大 な 可 能 性 を ひ ら く 、 新 し い 詩 の 一 種 属 「 根 付 の 国 」 に 象 徴 さ れ る ー ー の 誕 生 に 立 会 う の 治 四 十 三 年 十 二 月 の 「 失 は れ た る モ ナ ・ リ ザ 」 か ら 大 正 三 年 十 月 の 「 秋 の 祈 」 ま で 、 詩 七 十 五 小 曲 一 二 十 二 を で あ る 。 前 期 『 道 程 』 世 界 は 、 し か し も う 一 人 の 女 性 長 沼 智 含 む こ の 詩 集 は 、 詩 に お け る 最 初 の モ ニ ュ メ ン タ ル な 恵 子 が 、 進 ん で 光 太 郎 の 前 に 身 を 現 わ す こ と に よ っ て 収 穫 で あ る 。 激 し く 昇 華 す る 。 芸 術 創 造 の よ ろ こ び と か な し み と を 帰 国 後 の 光 太 郎 は 、 新 し い 芸 術 風 土 を 産 む た め に 、 直 ち に 目 を み は る よ う な 活 動 を 開 始 す る 。 ロ ダ ン は も 身 を も っ て 知 り 、 世 俗 に 抗 し て 困 難 な 道 を 歩 み と お そ う と す る こ の い ち す な 女 生 に 、 光 太 郎 は 心 う た れ 、 共 と よ り 、 ロ ー ト レ ッ ク 、 ゴ ー が ン 、 マ チ ス か ら ポ ー レ ー ル ま で 、 多 彩 な 新 芸 術 の 旺 盛 な 紹 介 者 、 情 熱 的 な に 歩 む 者 を 見 る 。 生 は 新 た に 確 認 さ れ 、 韻 律 は 高 ら か に 鳴 り ひ び き 、 光 太 郎 は 光 太 郎 に な る 。 『 道 程 』 後 期 世 美 へ の 発 言 者 で も あ れ ば 、 骨 も 断 っ 苛 烈 な 批 評 家 で も あ り 、 も ち ろ ん 美 そ の も の の 作 者 で も あ る 。 し か も 周 界 は 展 開 さ れ る 囲 に み ち み ち て 、 動 こ う と す れ ば す る ほ ど が ん し が ら 大 正 三 年 十 二 月 の 智 恵 子 と の 結 婚 。 そ し て 「 言 は う め に そ の 身 を し ば り 、 い ら だ た せ る の は こ の 国 の 現 実 。 ゃ う な き 窮 乏 」 の な か の 「 検 討 す る の も 内 部 生 命 蓄 積 す る の も 内 部 財 宝 」 ( 「 暗 愚 小 伝 」 ) と 歌 う 生 活 。 彫 刻 重 く 、 暗 く 人 間 を 圧 殺 し よ う と す る こ の 国 の 伝 統 。 デ カ ダ ン だ け が 反 逆 で あ る そ ん な ゆ き づ ま っ た 生 活 に 熱 中 し 、 『 ロ ダ ン の 言 葉 』 を 編 み 、 ヴ ェ ル ( ア レ ン を の 中 で 、 光 太 郎 は 一 人 の 女 性 に 出 あ う 。 吉 原 河 内 楼 の 訳 し た 大 正 中 期 を へ だ て て 、 「 『 道 程 』 以 後 」 と 呼 ば れ 妓 若 太 夫 。 モ ナ ・ リ ザ と 呼 ぶ こ の 女 性 は 、 た ぎ る 光 太 る 豊 饒 な 詩 の 時 代 が 来 る 。 「 雨 に う た る る カ テ ド ラ ル 」 を は し め と す る こ の 期 の 長 大 な 詩 群 は 、 日 本 近 代 詩 の 郎 の 心 に 核 を 投 す る こ と に よ っ て 、 永 遠 の 名 を 得 る 。 こ の 女 性 へ の 愛 と そ の 終 り と 。 詩 は 心 に は じ め 苦 渋 に 到 り 得 た 最 も 高 い 峰 の 一 つ と 評 価 さ れ る せ き 430