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検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

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聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


【 第 四 章 】 「 多 利 思 比 孤 」 は 聖 徳 太 子 か ?

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


聖 徳 太 子 と 法 隆 寺 の 謎 ー ー 交 差 す る 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 目 次

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


索 引 4 東 院 伽 藍 の 造 営 ー ー 光 明 子 と 法 隆 寺 東 院 う 西 院 伽 藍 の 聖 徳 太 子 と 東 院 伽 藍 の 聖 徳 太 子 ェ ビ ロ ー グ 274 267 255 247

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七 九 年 。 ー ー 森 博 達 『 日 本 書 紀 の 謎 を 解 く 」 中 央 公 論 社 一 九 九 九 年 。 ー ー ー 前 掲 「 勝 鬘 経 義 疏 」 「 日 本 思 想 大 系 聖 徳 太 子 集 』 。 前 掲 「 三 経 義 疏 上 宮 王 撰 に 関 す る 疑 義 」 。 ー ー 前 掲 「 福 井 康 順 著 作 集 4 日 本 上 代 思 想 研 究 」 。 * ー ー 梅 原 猛 ・ 黒 岩 重 吾 ・ 上 田 正 昭 ほ か 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 』 大 和 書 房 二 〇 〇 二 年 。 * 。 ー ・ 仁 藤 敦 史 「 一 九 九 六 年 の 歴 史 学 界 ー ー 回 顧 と 展 望 古 代 一 一 」 「 史 学 雑 誌 』 第 一 〇 六 編 第 五 号 。 ー ー 遠 山 美 都 男 「 聖 徳 太 子 と 天 智 天 皇 」 『 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 』 創 刊 一 〇 〇 号 記 念 特 大 号 大 和 書 房 一 九 九 九 年 。 ー ー 山 尾 幸 久 「 信 仰 的 「 聖 徳 太 子 」 像 批 判 の 軌 跡 ー ー 大 山 誠 一 氏 の 近 業 に 寄 せ て 」 「 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 」 一 〇 二 号 大 和 書 房 一 一 〇 〇 〇 年 。 ー ー 直 木 孝 次 郎 「 厩 戸 王 の 政 治 的 地 位 に つ い て ー ー 大 山 誠 一 著 ズ 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 」 読 後 感 」 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 』 大 和 書 房 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー 大 山 誠 一 編 「 聖 徳 太 子 の 真 実 』 平 凡 社 二 〇 〇 三 年 。 ー ー 前 掲 「 〈 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 』 。 ー ー 大 矢 透 ・ 国 語 調 査 委 員 会 編 纂 「 仮 名 源 流 考 』 国 定 教 科 書 共 同 販 売 所 一 九 一 一 年 。 * % ー ー 井 上 光 貞 「 日 本 の 歴 史 」 第 二 巻 小 学 館 一 九 七 四 年 。 ー ー 笹 山 晴 生 「 日 本 古 代 史 講 義 』 東 京 大 学 出 版 会 一 九 七 七 年 。 ー ー 前 掲 「 人 物 叢 書 聖 徳 太 子 』 吉 川 弘 文 館 一 九 七 九 年 。 ー ー 吉 村 武 彦 「 聖 徳 太 子 』 岩 波 書 店 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー ・ 中 西 進 「 素 王 ・ 聖 徳 太 子 」 「 聖 徳 太 子 の 実 像 と 幻 像 」 大 和 書 房 一 一 〇 〇 一 一 年 。 ー ー 前 掲 「 日 本 古 典 の 研 究 下 』 。 小 倉 豊 文 「 増 訂 聖 徳 太 子 と 聖 徳 太 子 信 仰 」 綜 芸 舍 一 九 七 一 一 年 。 ー ー 前 掲 「 聖 徳 太 子 伝 」 。 * 芻 ー ー 直 木 孝 次 郎 「 津 田 史 学 と 十 七 条 憲 法 」 「 飛 鳥 奈 良 時 代 の 考 察 」 高 科 書 店 一 九 八 六 年 。 ー ー 前 掲 「 日 本 書 紀 の 謎 を 解 く 』 。 263 注

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聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 争 は 、 << 列 と 列 の 問 題 と 密 接 に 関 連 し て い る と 推 察 さ れ ま す 。 そ こ で 、 < 列 と 列 を 媒 介 と し て 、 『 書 紀 』 の 聖 徳 太 子 に は 、 飛 鳥 時 代 の 人 物 と 奈 良 時 代 の 人 物 が 重 な っ て い る と い う 考 え 方 を 提 起 し 、 本 書 に お い て は 「 聖 徳 太 子 複 数 説 」 と 呼 び た い と 思 い ま す 。 以 下 、 『 書 紀 』 の 聖 徳 太 子 に は 複 数 の 人 物 像 が 投 影 さ れ て い る 可 能 性 を 考 慮 し て 、 便 宜 上 、 書 紀 編 年 の 列 上 の 飛 鳥 時 代 の 「 聖 徳 太 子 」 を 「 聖 徳 太 子 ( 飛 ) 」 、 列 上 の 奈 良 時 代 の 「 聖 徳 太 子 」 を 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 」 と 表 記 し ま す 。 ま た 、 い ず れ を 意 味 す る の か 未 詳 の 場 合 は 、 「 聖 徳 太 子 」 と の み 記 し ま す 。 た と え ば 、 第 四 章 に お い て 論 じ ま し た よ う に 、 対 中 外 交 を 展 開 さ せ た 多 利 思 比 孤 ( 太 子 日 子 ) と い う 人 物 は 飛 鳥 時 代 に 確 か に 実 在 し て い ま し た の で 、 『 隋 書 倭 伝 』 に 登 場 す る 「 多 利 思 比 孤 Ⅱ 厩 戸 皇 子 」 は 、 「 聖 徳 太 子 ( 飛 ) 」 と 表 記 さ れ る こ と に な り ま す 。 ま た 、 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 論 の 「 東 宮 聖 王 」 の 聖 武 天 皇 は 、 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 」 と 表 記 さ れ る こ と に な り ま す 。 ー ー 『 日 本 書 紀 』 と 「 推 古 朝 遺 文 」 「 日 本 書 紀 」 に 記 さ れ た 聖 徳 太 子 の 事 績 さ て 、 本 節 以 降 は 、 聖 徳 太 子 複 数 説 に 関 連 す る 文 献 資 料 の い く つ か を あ げ て 、 列 と 列 を ア プ ロ ー チ と し て 検 証 を 加 え て ゆ き ま す 。 ま ず 、 そ の 前 提 条 件 と し て 、 聖 徳 太 子 関 連 史 料 に つ い て 整 理

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あ る と い う 氏 の 分 類 に は 問 題 が あ る の で は な い か と 考 え ら れ ま す 。 本 書 の 第 四 章 で 、 『 書 紀 』 の 聖 徳 太 子 に は 、 厩 戸 皇 子 す な わ ち 『 隋 書 倭 伝 』 に 登 場 す る 「 多 利 思 比 孤 ( 太 子 日 子 ) 」 の 人 物 像 が 投 影 さ れ て い る と 述 べ ま し た 。 『 書 紀 』 は 、 「 多 利 思 比 孤 Ⅱ 厩 戸 皇 子 」 を 事 実 、 聖 徳 太 子 と し て 扱 っ て お り ま す の で 、 「 厩 戸 皇 子 Ⅱ 聖 徳 太 子 ー は 虚 で は な い こ と に な り ま す 。 こ の た め 、 私 見 と し ま し て は 、 大 山 説 は 、 純 粋 に 非 実 在 ・ 虚 構 論 に 分 類 す る こ と は で き な い の で は な い か と 考 え ま す 。 没 後 一 ニ 0 年 を 経 て な ぜ 再 び 聖 徳 太 子 な の か そ し て 、 大 山 氏 は 、 奈 良 時 代 に 「 聖 徳 太 子 信 仰 」 の 創 始 の 契 機 と な っ た 事 件 を 七 二 九 ( 天 平 元 ) 年 に 発 生 し た 長 屋 王 の 変 と こ れ に 続 く 疫 病 の 蔓 延 と 見 て い ま す 。 大 山 氏 は 、 聖 徳 太 子 の 作 と さ れ る 論 『 三 経 義 疏 』 に つ い て 、 「 聖 徳 太 子 が 亡 く な っ て か ら 一 二 〇 年 以 上 も た っ て 、 そ れ ま で 、 存 在 す ら 知 ら れ て い な か っ た も の が 、 突 然 、 聖 徳 太 子 御 製 と 称 し て 登 場 し て き た の で あ る 」 と 述 べ 、 聖 徳 太 子 在 実 の 没 後 一 二 〇 年 を 経 て 、 再 び 、 飛 鳥 時 代 の 聖 徳 太 子 に 注 目 が 集 ま り 「 聖 徳 太 子 信 仰 」 が 形 成 さ れ る 子 太 よ う に な っ た こ と を 、 光 明 皇 后 と 行 信 に よ っ て 扇 動 さ れ た 法 隆 寺 側 の 作 為 で は な い か 、 と 捉 え て い 徳 聖 ま す 。 章 大 山 氏 は 、 奈 良 時 代 に 聖 徳 太 子 が 創 作 さ れ 、 政 治 利 用 さ れ た 理 由 と し て 、 ① 『 書 紀 』 の 編 纂 に お 五 け る 理 想 的 為 政 者 像 と し て の 聖 徳 太 子 の 創 造 、 図 長 屋 王 の 変 後 の 疫 病 蔓 延 へ の 対 処 と い う 二 つ の 側 5 面 を あ げ て い ま す が 、 こ の 二 つ の 側 面 の 相 関 関 係 に つ い て は 、 必 ず し も 、 合 理 的 な 説 明 が 与 え ら れ

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本 章 に お い て は 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 争 を ア プ ロ ー チ と し て 、 聖 徳 太 子 の 謎 に つ い て 検 証 を 加 え 、 『 書 紀 』 推 古 紀 に 登 場 す る 聖 徳 太 子 は 複 数 の 人 物 像 を 投 影 さ せ て お り 、 飛 鳥 時 代 の 「 聖 徳 太 子 ( 飛 ) 」 と 奈 良 時 代 の 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 」 と に 分 け る こ と が 可 能 で あ る こ と を 論 じ ま し た 。 そ し て 、 『 書 紀 』 に お い て 「 聖 徳 太 子 の 事 績 」 と さ れ る 記 述 や 「 推 古 朝 遺 文 」 の い く つ か を 取 り 論 上 げ て 考 察 を 加 え て ま い り ま し た 。 結 論 と し て 、 『 書 紀 』 に お い て 「 聖 徳 太 子 の 事 績 」 と し て 記 さ れ て い る 記 述 を め ぐ っ て は 、 冠 位 十 二 階 や 遣 隋 使 の 派 遣 な ど に つ い て は 「 聖 徳 太 子 ( 飛 ) ー Ⅱ 多 利 思 比 孤 Ⅱ 厩 戸 皇 子 の 事 績 と 考 え ら れ ま す が 、 「 憲 法 十 七 条 」 の 制 定 や 斑 鳩 宮 の 造 立 な ど に つ い て の 記 述 に 関 し て は 、 「 聖 徳 太 子 ( 奈 )- 子 Ⅱ 聖 武 天 皇 の 事 績 を も 投 影 さ せ て い る と 推 察 さ れ ま す 。 特 に 、 推 古 紀 の 紀 年 と 奈 良 時 代 の 政 治 的 事 徳 象 の 発 生 年 代 と の 相 関 関 係 は 重 要 で あ り 、 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 、 Ⅱ 聖 武 天 皇 に 関 連 し た 歴 史 的 事 象 が 起 こ っ た 年 代 か ら 一 二 〇 年 年 代 を 繰 り 上 げ た 推 古 紀 年 に 関 連 記 述 が 記 載 さ れ て い る と 考 え ら れ ま す 。 五 『 書 紀 』 の 聖 徳 太 子 を め ぐ っ て は 、 飛 鳥 時 代 の 「 聖 徳 太 子 ( 飛 ) ー Ⅱ 厩 戸 皇 子 に 奈 良 時 代 の 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) 」 Ⅱ 聖 武 天 皇 の 事 績 が 重 ね ら れ て い る と い う こ と が で き ま す 。 逆 説 的 に こ の こ と は 、 『 書 ま と め

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立 時 期 に つ い て 鋭 い 史 料 批 判 を 行 な っ て い ま す 。 こ の よ う に 、 坂 本 氏 や 滝 川 氏 な ど に よ っ て 唱 導 さ れ た 聖 徳 太 子 実 在 説 と 、 小 倉 氏 、 福 井 氏 、 藤 枝 氏 な ど に よ っ て 提 唱 さ れ た 非 実 在 説 と が 並 存 す る こ と と な り 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 争 が 続 く こ と に な り ま す 。 * 9 さ ら に 近 年 、 大 山 誠 一 氏 に よ っ て 「 聖 徳 太 子 像 の 成 立 と 律 令 国 家 」 ( 一 九 九 八 年 ) 、 『 〈 聖 徳 太 子 〉 の 誕 生 』 ( 一 九 九 九 年 ) が 相 次 い で 発 表 さ れ ま す と 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 争 は 新 た な 展 開 を 見 せ る こ と に な り ま し た 。 大 山 氏 の 提 起 し た 聖 徳 太 子 虚 構 論 を め ぐ っ て 、 再 び 、 賛 否 両 論 の 活 発 な 論 議 が 交 わ さ れ る こ と と な っ た の で す 。 大 山 氏 の 説 の 詳 し い 内 容 に つ い て は 、 次 節 に お い て 扱 い ま す が 、 大 山 氏 の 聖 徳 太 子 虚 構 論 は 、 聖 徳 太 子 論 争 に 確 実 に 一 石 を 投 じ て い ま す 。 以 上 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 を め ぐ る 研 究 史 を 概 観 し て ま い り ま し た が 、 本 章 に お き ま し て は 、 実 列 と 列 を ア プ ロ ー チ と し て 、 こ の よ う に 進 展 し て い る 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 を 検 証 し て ゆ く こ と に な り ま す 。 ま た 、 逆 説 的 に は 、 列 と 列 が 、 な ぜ 『 書 紀 』 の 編 年 に 設 定 さ れ た の か と い う 設 問 に 対 し て 、 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 の 検 証 は 、 有 力 な ア プ ロ ー チ と も な り ま す 。

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第 五 章 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論 ー ー 聖 徳 太 子 複 数 説 聖 徳 太 子 を め ぐ る 研 究 史 2 聖 徳 太 子 複 数 説 ろ 『 日 本 書 紀 』 と 「 推 古 朝 遺 文 , 4 「 憲 法 十 七 条 , の 制 定 と 列 ・ 列 5 斑 鳩 宮 造 営 と 列 ・ 列 6 聖 武 天 皇 の 事 績 叫 7 列 上 の 推 古 末 年 と 列 上 の 元 正 太 上 天 皇 の 崩 年 の 一 致 8 『 天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 』 9 4 ま し 」 め 第 六 章 法 隆 寺 再 建 の 謎 ー ー 奈 良 時 代 の 政 治 史 の な か の 聖 徳 太 子 法 隆 寺 の 西 院 伽 藍 と 東 院 伽 藍 ー ・ ー 法 隆 寺 再 建 ・ 非 再 建 論 争 2 元 明 天 皇 ・ 元 正 天 皇 と 蘇 我 氏 蘇 我 氏 と 長 屋 王 180 2 1 1 196 233 191 175 2 2 2 2 21 207

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の 推 し 進 め る 仏 教 政 策 と 鋭 く 対 立 し て き た こ と は 、 『 書 紀 』 に 記 さ れ る と お り で す 。 『 旧 事 本 紀 』 の 記 述 内 容 は 、 お お よ そ 『 書 紀 』 の 記 述 内 容 と 同 じ で す が 、 物 部 氏 か ら 輩 出 し た 人 物 に 関 す る 記 述 が 数 多 く 書 き 加 え ら れ て い る こ と か ら 、 物 部 氏 と 関 連 し た 人 物 に よ っ て 編 纂 さ れ た と 考 え ら れ て い ま す 。 そ の 『 旧 事 本 紀 』 に お い て 、 聖 徳 太 子 に 関 す る 最 大 限 の 賛 辞 と 哀 悼 の 辞 を も っ て 末 文 と し て い る こ と が 不 可 思 議 な こ と で あ る こ と は 、 聖 徳 太 子 が 仏 教 政 策 に 力 を 注 い だ 人 物 で あ る こ と に よ っ て く み 明 ら か で す 。 五 八 七 ( 「 用 明 一 一 」 ) 年 の 物 部 合 戦 の 際 に は 、 聖 徳 太 子 は 反 物 部 陣 営 に 与 し て お り 、 四 天 王 に 戦 勝 を 祈 願 し た 聖 徳 太 子 は 四 天 王 寺 を 建 立 し て い る の で す か ら 、 い わ ば 滅 ば さ れ た 側 の 史 料 が 滅 ば し た 側 の 代 表 格 の 人 物 に 、 そ の 史 書 の 最 後 を 飾 ら せ る と い う 矛 盾 し た 状 況 が も た ら さ れ て い る と 言 う こ と が で き ま す 。 た と え ば 、 聖 徳 太 子 絵 伝 な ど の 類 に お い て は 、 必 ず と 言 っ て よ い ほ ど に み ず ら 物 部 合 戦 の 際 に 髻 を 結 っ た 馬 上 の 聖 徳 太 子 の 姿 が 描 か れ て お り ま す し 、 法 隆 寺 の 勧 進 修 造 活 動 を 行 け い せ し な っ て い た 慶 政 に よ っ て 一 二 三 九 ( 延 応 元 ) 年 に 録 さ れ た 『 比 良 山 古 人 霊 託 』 に は 物 部 合 戦 の 様 子 が 話 材 と さ れ て お り ま す 。 物 部 氏 と 聖 徳 太 子 と の 対 立 関 係 は 、 『 旧 事 本 紀 』 の 編 ま れ た 時 代 に お い て も 、 常 識 と 認 識 さ れ て い た と 思 わ れ ま す 。 そ こ で 、 こ の よ う な 不 可 解 な 状 況 は 、 『 書 紀 一 、 を 『 旧 事 本 紀 』 の 推 古 二 十 九 年 条 の 内 容 が 、 本 来 は 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 の た め に 記 さ れ て あ っ た 文 章 と 仮 定 す れ ば 、 あ る 程 度 、 説 明 す る こ と が で き る の で は な い か と 考 え ら れ ま す 。 104