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検索対象: 複数の「古代」

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第 七 章 「 聖 徳 太 子 」 ー ・ 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 あ 語 ら な い も の

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「 聖 徳 」 の 意 味 「 聖 徳 太 子 」 と 呼 ぶ こ と は 、 八 世 紀 半 ば に は た し か に あ っ た 。 『 懐 風 藻 』 の 序 文 に 、 「 聖 徳 太 子 」 の 名 が あ る こ と は 、 さ き に ( 参 照 、 第 三 章 ペ ー ジ ) 、 見 た と お り て あ る 。 こ の 「 聖 徳 」 と い う 名 は 、 ま ず 、 仏 法 を 尊 ん だ 聖 人 の 徳 を た た え た も の て あ っ た と う け し J ・ ら 、 れ る 。 さ ん ま う え 『 三 宝 絵 』 ( 序 に よ れ ば 、 九 八 四 年 の 成 立 ) 中 巻 の 冒 頭 に 太 子 の 伝 が 載 る が 、 そ の 最 後 に 、 「 太 み つ 子 三 ノ 名 ア リ 」 と い っ て 、 厩 戸 皇 子 ・ 聖 徳 太 子 ・ 上 宮 太 子 の 名 を 掲 げ て 、 「 聖 徳 太 子 」 一 つ い て こ う い う ( 新 日 本 古 典 文 学 大 系 『 三 宝 絵 注 好 選 』 馬 淵 和 夫 他 校 注 、 岩 波 書 店 、 一 九 九 七 年 に よ る ) 。 ふ た っ も う す む ま れ た ま い し よ う ま ん き よ う ほ う 二 ニ 聖 徳 太 子 ト 申 。 生 給 テ ノ フ ル マ ヒ 、 ヨ ソ ラ ヒ ミ ナ 僧 ニ 、 タ マ ヘ リ 。 勝 鬘 経 、 法 け き よ う ら そ の り た ま う 花 経 等 ノ 疏 ラ ッ ク リ 、 法 ラ ヒ ロ メ 、 人 ラ ワ タ シ 給 ニ ョ リ テ 也 。 「 聖 徳 太 子 」 と い う 名 「 古 事 記 」 「 日 本 書 紀 」 の 語 ら な い も の 167 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」

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4 並 ん て あ っ た 紀 年 第 六 章 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 』 と は 別 に あ り え た 「 古 代 」 1 仏 法 伝 来 を め ぐ る 紀 年 2 『 元 興 寺 縁 起 』 と 『 法 王 帝 説 』 3 『 法 王 帝 説 』 を め ぐ っ て 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 』 の 語 ら な い も の 1 「 聖 徳 太 子 」 と い う 名 2 『 日 本 書 紀 』 と は 別 に 特 別 化 さ れ る 太 子 3 「 聖 徳 太 子 」 の 完 成 第 八 章 『 万 葉 集 』 も う ひ と つ の 「 歴 史 」 1 「 歴 史 」 と し て の 『 万 葉 集 』 139 191 165

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4 並 ん て あ っ た 紀 年 第 六 章 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 』 と は 別 に あ り え た 「 古 代 」 1 仏 法 伝 来 を め ぐ る 紀 年 2 『 元 興 寺 縁 起 』 と 『 法 王 帝 説 』 3 『 法 王 帝 説 』 を め ぐ っ て 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 』 の 語 ら な い も の 1 「 聖 徳 太 子 」 と い う 名 2 『 日 本 書 紀 』 と は 別 に 特 別 化 さ れ る 太 子 3 「 聖 徳 太 子 」 の 完 成 第 八 章 『 万 葉 集 』 も う ひ と つ の 「 歴 史 」 1 「 歴 史 」 と し て の 『 万 葉 集 』 139 191 165

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人 々 え の 聖 天 子 の 道 を ひ き つ ぎ 、 先 帝 の お こ な わ れ た こ と を 受 け て 、 仏 教 を 敬 い 、 の 苦 し み を 救 っ た 。 こ れ ぞ ま こ と の 大 聖 て あ る 。 や は り 仏 法 に か か わ る 「 聖 人 」 と し て 、 そ の 徳 を い う の て あ る 。 『 法 王 帝 説 』 が 、 「 上 宮 聖 徳 法 王 」 と 、 「 聖 徳 」 と 「 法 王 」 と を 重 ね る の も 同 じ て あ る 。 た だ 、 「 聖 」 に は 、 別 の 意 味 が あ る 。 『 日 本 書 紀 』 推 古 天 皇 二 十 一 年 条 に 、 太 子 が 、 片 岡 て 飢 え た 人 に 出 会 っ た と い う 話 が あ る 。 太 子 は 、 飲 食 物 を 与 え 、 衣 装 を 脱 い て 覆 っ て や っ ひ じ り た が 、 そ の 飢 者 が 死 ん だ と い う の て 墓 を 作 ら せ た 。 後 、 太 子 は 、 あ の 飢 者 は き っ と 「 真 人 」 ひ つ ぎ 使 を や っ て 墓 を 見 さ せ た と こ ろ 、 屍 は な く 、 え た 衣 服 の み が 棺 の 上 に て あ ろ う と い し か け て あ っ た 。 太 子 は 、 そ の 衣 服 を も っ て こ さ せ て 、 そ の ま ま 着 た 。 人 々 は 、 こ の こ と を ま こ と ひ じ り 聞 い て 、 「 聖 の 聖 を 知 る こ と 、 其 れ 実 な る か な 」 ( 聖 が 聖 を 知 る と い う こ と は 、 な る ほ ど 本 当 な の だ ) と い っ た 、 と あ る 。 「 真 人 」 は 、 道 教 て 仙 人 に な り え た も の を い う 。 そ れ を 「 聖 」 と 太 子 は 、 そ れ を 見 抜 い た 「 聖 」 だ と い う 。 こ の 「 聖 」 は 、 仏 教 的 と は い え な い が 、 こ れ も 「 聖 徳 」 の な か に 響 く も の て あ る 。 ま た 、 漢 籍 て は 、 「 聖 徳 」 が 、 帝 徳 を い う 語 と し て 広 く 用 い ら れ て い た 。 こ れ も 、 も と よ り 含 む も の て あ ろ う 。 帝 徳 を 備 え た 存 在 て あ っ た と い う 称 え か た て あ る 。 「 古 事 記 」 「 日 本 書 紀 」 の 語 ら な い も の 169 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」

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7 C 歴 史 時 代 と し て の 推 古 朝 律 令 国 家 の 完 成 「 古 代 」 の 多 元 的 構 築 「 日 本 書 紀 」 「 法 皇 」 「 法 興 」 推 古 朝 遺 文 「 聖 徳 」 ( 別 な 「 古 代 」 ) / 「 古 事 記 」 「 聖 徳 」 の 定 着 9 C 10C 11C 5 1 8 9 ( 「 暦 録 」 な ど 「 日 本 書 紀 」 を 変 奏 し た テ キ ス ト ) 「 聖 徳 太 子 」 「 伝 暦 」 く 一 一 一 一 一 - ・ - > 「 法 王 帝 説 」 ( 「 皇 代 記 」 の 広 が り ) 第 七 章 の 完 成 「 聖 徳 太 子 」 「 占 事 記 」 「 日 本 書 紀 」 の 語 ら な い も の

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ふ さ ね つ か さ ど よ ろ ず の ま つ り ご と 摂 政 ら し む 。 万 機 を 以 て 悉 に 委 ぬ 。 と あ る の と 対 応 し て 、 皇 太 子 の 役 割 の 大 き さ が う け と れ ね ば な る ま い た だ 、 皇 太 子 が 、 「 聖 徳 太 子 」 と 呼 ば れ る こ と は 、 『 日 本 書 紀 』 に は な い 。 『 日 本 書 紀 』 に つ い て 、 「 聖 徳 太 子 」 と い い な ら わ し て き た の は 適 切 を 欠 く 。 そ れ は 、 『 日 本 書 紀 』 と は 別 な と こ ろ に あ る も の を も ち こ ん て し ま っ た の て あ っ た 。 『 風 藻 』 序 文 に は 、 応 神 天 皇 は じ さ だ お よ し や く ま か ん 代 の 文 字 の 伝 来 に 続 け て 「 聖 徳 太 子 に 逮 び て 、 爵 を 設 け 官 を 分 か ち 、 肇 め て 礼 義 を 制 め た ま ふ 」 と あ る 。 制 度 の 起 点 を 「 聖 徳 太 子 」 に 係 け る の て あ る 。 「 聖 徳 太 子 」 と 呼 ぶ こ と は 、 た し か に あ っ た 。 し か し 、 『 日 本 書 紀 』 が そ の 名 に お い 『 懐 風 藻 』 の 時 点 ( 八 世 紀 半 ば ) に 、 て は 語 ら な い と い う こ と に 留 意 し た い 。 『 日 本 書 紀 』 の な か に は な い も の と し て 、 「 聖 徳 太 子 」 を 、 ど こ に 見 る べ き か 、 と い う 間 い が 必 要 な の て あ る 。 『 日 本 書 紀 』 の 「 古 代 」 と も 、 ま た 異 な る 「 古 代 」 が あ り え た こ と を 見 る こ と に 向 か わ ね ば な ら ぬ と 考 え る が 、 こ の こ と に つ い て は 後 に 述 べ よ う ( 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」 ) 。 「 日 本 書 紀 』 の 「 歴 史 」 の な か の 推 古 朝 さ て 、 「 古 代 」 世 界 、 転 換 す る 推 古 朝 だ と あ ら た め て い お う 。 む 神 皇 以 、 文 字 の 文 こ と ご と く ゆ だ

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わ た し た ち は 、 「 聖 徳 太 子 」 の 名 を 、 ご く 普 通 に 用 い て い る 。 遣 隋 使 ・ 冠 位 十 二 階 ・ 憲 法 十 七 条 を 、 「 聖 徳 太 子 」 の 事 績 と し て い う こ と も 、 教 科 書 な ど て 一 般 に な さ れ て い る 。 し か し 、 『 日 本 書 紀 』 が 、 遣 隋 使 等 、 推 古 朝 の 事 績 を 語 る な か に は 、 「 聖 徳 太 子 」 の 名 は 見 え な い 。 あ く ま て 「 皇 太 子 」 て あ る 。 た と え ば 、 憲 法 十 七 条 に 関 し て は 、 推 古 天 皇 十 二 い つ く し き の り と お あ ま り な な お ち ひ つ ぎ の み こ み ず か は じ う づ き ひ の え と ら つ い た ち っ ち の え た つ の ひ 年 条 に 、 「 夏 四 月 の 丙 寅 の 朔 戊 辰 に 、 皇 太 子 、 親 ら 肇 め て 憲 法 十 七 条 作 り た ま ふ 」 し 」 い - フ 、 。 語 る べ き 「 古 代 」 て は な い の て あ り 、 『 古 事 記 』 に は 、 推 古 天 皇 条 は 系 譜 だ け し か な し か み つ み や の う ま や と の と よ と み み の み こ と は し ひ と の あ な ほ べ の み こ 卩 と 、 う 名 が 登 間 人 穴 太 部 王 の 所 生 の 御 子 と し て 、 「 上 宮 之 厩 戸 豊 聡 耳 合 」 し 用 明 天 皇 条 に 録 さ れ る だ け ぞ あ る 。 要 す る に 、 『 古 事 記 』 に も 、 『 日 本 書 紀 』 に も 、 「 聖 徳 太 子 」 が 語 ら れ る こ と は な い の て ( 、 古 代 の 人 々 が あ る 。 「 聖 徳 太 子 」 は ど こ に あ っ た の か 。 『 古 事 記 』 『 日 本 書 紀 』 と は 」 こ み ず か ら の 「 古 代 」 を つ く る い と な み の な か に あ り え た も の と し て 見 る べ き て は な い か 。 0 166

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第 三 章 に 述 べ た こ と も あ わ せ て 、 ま と め て い お う 。 「 法 王 ( 皇 ) 」 と し て 、 上 宮 太 子 を 特 別 視 す る テ キ ス ト が 、 は や く 七 世 紀 前 半 、 太 子 の 薨 後 す ぐ に 成 さ れ た 。 そ れ は 、 独 自 な 紀 年 を 有 す る の て あ っ た 。 法 隆 寺 薬 師 仏 光 背 銘 や 天 寿 け 、 拡 大 す る 諸 テ キ ス ト が 、 七 世 紀 末 以 後 に な っ て つ く ら れ る 。 国 繍 帳 銘 な ど 、 そ れ を う 「 聖 王 」 「 大 王 」 な ど と 呼 び な が ら 、 仏 法 の 興 隆 を 、 太 子 に 仮 託 し て 語 る も の ぞ あ っ た 。 そ う し た な か て 、 八 世 紀 初 に は 、 「 聖 徳 」 と い う 諡 号 も 定 着 し て い た 。 そ れ は 、 歴 史 認 識 と い う こ と が て き る 。 推 古 朝 と 太 子 と を 「 歴 史 」 に お け る 画 期 と す る 、 八 世 紀 的 認 識 と い う べ き て あ る 。 そ れ が 、 「 古 代 」 と し て の 推 古 朝 を つ く る い と な み の も と に あ り 、 『 日 本 書 紀 』 に お い て は 、 全 体 的 な 紀 年 構 成 を も っ て 「 歴 史 」 を 構 築 す る な か に 、 「 古 代 」 の 転 換 と し て の 推 古 朝 を 成 り 立 た せ て 具 体 的 な か た ち を 得 た 。 そ れ に な ら ん て 、 別 な 紀 年 と 「 聖 徳 」 と を も っ て 語 る テ キ ス ト も あ っ た の ぞ あ る 。 「 聖 徳 」 の 名 は 、 『 日 本 書 紀 』 と は 別 な と こ ろ て 定 着 を 3 「 聖 徳 太 子 」 の 完 成 180

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と い っ た の を 聞 い て 、 太 子 は う な ず き 、 大 臣 に 命 じ て 「 国 記 井 せ て 氏 々 等 の 本 記 」 を 録 さ せ た と い う 。 太 子 の 家 が 滅 び る し る し と い う こ と は 『 日 本 書 紀 』 に な く 、 そ れ に 引 き 続 く か た ち て 「 国 記 」 等 を 録 し た と い う 文 脈 も 異 な る 。 加 え て 、 『 伝 暦 』 に は 「 天 皇 記 」 の 名 が 見 え な い の て あ る 。 こ う し た 一 々 を 検 討 し て ゆ く と 、 『 日 本 書 紀 』 そ の も の て な く 、 そ れ を 改 編 し た 、 別 よ テ キ ス ト に 拠 っ て い る こ と が あ き ら か て あ る 。 注 意 さ れ る の は 、 『 伝 暦 』 自 身 の 跋 文 に 、 そ の こ と に ふ れ て い る こ と て あ る 。 跋 文 に こ う あ る ( 大 日 本 仏 教 全 書 本 に よ り 、 訓 読 し た ) 。 聖 徳 太 子 の 入 胎 の 始 め 、 在 世 の 行 、 薨 後 の 事 は 、 日 本 書 記 、 四 天 王 寺 の 壁 に 在 る 聖 徳 ほ け つ き い き よ く 太 子 伝 、 并 び に 、 無 名 氏 の 撰 せ る 伝 の 補 闕 記 等 、 そ れ 大 概 を 載 せ て 、 委 曲 を 尽 さ ず 。 き し よ 、 つ 而 る に 今 、 難 波 の 百 済 寺 の 老 僧 に 逢 ひ 、 古 老 の 録 伝 せ る 太 子 行 事 奇 蹤 の 書 三 巻 を 出 す 。 四 巻 暦 録 と 年 暦 を 比 校 す る に 、 一 も 錯 誤 せ ず 。 余 が 情 、 大 い に 悦 び 、 こ の 一 暦 に 載 せ た り 。 大 意 は 以 下 の と お り 。 し か 「 古 事 記 』 「 日 本 書 紀 」 の 語 ら な い も の 183 第 七 章 「 聖 徳 太 子 」