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検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
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1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

病人の兄弟で、袿を着ている細い若者たちなどが、後ろ か。さつばりした気分におなりでしようか」と言って、に うちわ っこりしているのも、すばらしくて気がおけるほどである。 に座って、団扇であおぐ者もいる。みな尊がって、集って ) 一んぎよう いるのも、女の童がいつもの本心でこんなありさまがわか 「もうしばらくお付き申しあげているはずですが、勤行の とうわく ったとしたら、どんなに当惑す・ることだろう、女の童自身刻限にもなってしまいそうでございますので」と、退出の あいさっ としては苦しくはないことなどとは知りながら、たいへん御挨拶をして出るのを、「もう少しお待ちを。ホウチハウ つらがってため息をついている様子が気の毒なのを、その タウを差しあげましよ、つ」などと一 = ロって引きとめるのを、 きちょう じ・よう・ろう やしき 女の童の知合の人などは、、、 しじらしいと感じて几帳のもと ひどく急ぐので、その邸のどうやら上﨟女房らしい人が、 すだれ に近く座って、童女の衣の乱れを直してやったりなどする。簾のもとにいざり出て、「たいへんうれしくもお立ち寄り こうしているうちに、病人はまあ気分が幾分いいという くださっていましたおかげで、ひどく堪えがたく存じてお やくとう きたおもて ことで、御薬湯などの準備を北面のほうに取りつぐ間を、 りましたのに、ただいまは治りましたようでございますの ばん 若い女房たちは気がかりで、御薬湯の盤も引きさげたまま で、かえすがえす御礼を申しあげます。明日も御仕事のな で、病人の近くに来て座ることよ。その女房たちは単衣な い時間のあいまにはお立ち寄りくださいませ」などと繰り も しゅうねんぶか どが見る目にきれいで、薄色の裳などもくたくたになって返し言って、僧は「とても執念深い御物の怪でございます ゆだん はいず、とてもきれいな感じだ。 ようですので、油断なさいますと、決してよいはずがござ さる ) 一と しよう・一う いましようか。少し小康を得ていらっしやるというふうに 段申の時に、ひどくわび言を言わせなどして物の怪を放免 うち ずく 引して、女の童は「几帳の内にいると思っていたのに。意外伺いますのを、お喜び申しあげております」と、言葉少な にも出てしまっていたのですね。どんなことが起ってしま に言って出るのは、たいへん尊いので、仏が僧の姿を借り 第 っているのでしよう」と、とても恥ずかしがって、髪を顔て出現なさっているとまで感じられる。 に振りかけて隠して、奥にそっと入ってしまうので、僧は 見る目にきれいな童の、髪の長いの、また大柄であって、 それをしばらく引きとめて、加持を少しして、「どうですイナヲイテ、思いがけなく長い髪が端麗なの、また白毛の うちき きぬ ものけ ひとえ

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

( 原文一一九ハー ) 体裁が悪いし、そうかといってそのまま使うのも意地を張 るさまは、格段によくないものだ。 ふづくえ 男はまして、文机に見た目も清らかに拭いておいて、重るようだ。そのように感じられることも、自分としても知 っているので、人がわたしの筆を使うのも何も言わずに見 ね硯でないのなら、二つの懸子の硯が、たいへん似つかわ じようず まきえ ほどこ ると、特に筆跡など上手でもない人で、そうはいうものの しく、蒔絵のありさまも、わざとらしく施したのではない っ′一う が、おもしろくて、墨や筆の様子も、人の目をとめるぐら物を書きたがる人が、とても都合よくわたしが使いかため てある筆を、変なふうに、もとのほうまで硯の墨汁の中に いにしつらえてあるのこそおもしろいものだ。 どうであれ、こうであれ、同じことだといって、黒塗の差し入れてたつぶり濡らして、「コハ物ャヤリ」とか何と ほそびつふた ふた か、細櫃の蓋などに書き散らして、横向きに投げ出して置 箱の蓋も片一方が欠け落ちているのや、また、硯はわずか かわら いてあるので、筆先は墨汁の中に差し込んでころがってい に墨の磨られている所だけが黒くて、そのほかは瓦の目に るのも、にくらしいことであるよ。しかし、そ , 2 一 = ロえよ , っ したがって入ってしまっている塵が、この世ではとても払 えそうにもないのに、それに水をうち流して、青磁の水入か、言えはしない。人の前に座っていると、「あなたのお くび かげでまあ暗いこと、奥の方におどきください」と言った れのロが欠けて、頸いつばいに、穴のあいているあたりが 見えて、みつともないのなども、平気で人の前に差し出すのこそ、またやりきれなくみじめな感じがするものだ。さ ことよ。 しのそいたのを見つけて、驚いて文句を言われたのも、ま た同じだ。ただしこれは自分が思いをかけている人から言 段 一三〇人の硯を引き寄せて われた場合のことではない。 他人の硯を引き寄せて、手習の文字をも手紙をも書く時 二二一めづらしと言ふべき事にはあらねど、 第 に、持主から「その筆はどうか使わないでくださいよ」と 文こそなほ 的言われたら、それこそは、とても何ともやりきれないみじ めな感じがするにちがいない。そのまま筆を置こうのも、 珍しいと言うべきことではないけれど、手紙こそやはり かけ ) 」 ていさい

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 330 かたの ひさしま ようのが、すばらしかろうそ。いかにも、交野の少将を非 に、ただ「あらずとも」と書いてあるのを、廂の間に差し 難した落窪の少将などは、雨夜に女を訪うて、足を洗って入れてあるのを、月の光に当てて見たのこそおもしろかっ いるのは、不愉快だ。汚いことだった。交野は馬のムクル た。雨が降るような折には、そんなふうにはできようか ニもおもしろい。しかしそれも、昨夜、一昨夜、つづけて 二七二常に文おこする人 通って来ていたのだからこそおもしろいのだった。そうで きぬぎぬ なん ちぎ なくては、雨の夜が何だっておもしろかろう。 いつも後朝の手紙をよこす人が、「何であなたと契りを あれもよう 風などが吹いて、荒模様の夜に、男が通って来ているの かわしたのだろう。今はもう言ってもどうしようもない おとさた は、頼りになる感じで、きっとおもしろくもあろう。 今はもう」などと言って帰って、翌日音沙汰もないので、 のうし めしつかい 雪の夜こそすばらしい。直衣などは言うまでもなく、狩とは言いながら、夜がすっかり明けてみると、召使の差し ぎめ、、、くろうど 衣やウへノ蔵人の青色の袍が、とても冷たく濡れていよう出す手紙の見えないことこそ物足りない感じがすることだ、 けじめ のは、たいへんおもしろ、こ違、よ、 しし、しオし。たとい六位の着る と思って、「それにしてもまあ、きつばりと区別のついた ろうそう 緑衫の袍であっても、雪にさえ濡れてしまうなら、不愉快あの人の心だったことよ」などと言って、日をおくってし なものではあるまい。昔の蔵人などが、女のもとなどに青まった。 ひなか 色の袍を着て、雨に濡れて来て、それをしばりなどしたと その翌日、雨がひどく降る日中まで音沙汰もないので、 かという話だ。今は昼でさえ着ないようである。ただ緑衫 「あの人はすっかり思いきってしまったのだった」などと えふ はしぢか かさ わらわ をばかりこそ引っかぶっているようだ。 , 衛府の役人などの 言って、端近の所に座っていたタ暮に、傘をさしている童 着ているのは、ましてとてもおもしろかったものだのに。 が手紙を持って来ているのを、いつもよりも急いであけて 雨の夜にやって来るのを、こうわたしが非難するのを聞見ると、「水増す雨の」と書いてあるよ。たいへんたくさ いたからとて、雨の夜に歩かない男があろうはすはなかろ ん何首も何首も詠んだ歌よりは、おもしろい くれないぞめ う。だが、月のとても明るい夜、紅染の紙の非常に赤いの かよ おちくば と

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

段「ほんとうですか、カウャへくだるとは」と言った人に 思ひだにかからぬ山のさせもぐさたれかいぶきのさと はっげしそ 第 ( そんなことは考えもしていないのに、いったいだれがそう 告げたのですか ) 手にはおばしめしておいでになるのに、男はやはり常に何 となく嘆息しがちで、世の中が自分の心に合わない気持が して、一方、好き好きしい心が、異常なまでにあるようだ。 かんだちめ この上もない立派な上達部に、妻として大切にかしずか きようだい れている姉妹が一人いる、せいぜいその姉妹ぐらいに。 田 5 っていることを親しく話して、なぐさめ所とし : 二九五定て僧都に袿なし 、、、、きみあこめ 、、そうずうちき 「定テ僧都に袿なし。スヒセイ君に衵なし」と言ったとい う人もおもしろい。「見シアワウ」とはだれが言ったのだ ろう。 二九六まことや、かうやヘくだると言ひける 人に 二九七ある女房の、遠江の守の子なる人を語 らひてあるが とおつおうみかみ ある女房で、遠江の守の息子である人をねんごろにして いた者が、その相手の男がその女房と同じ宮に仕える女を ねんごろにしていると聞いて恨んだところ、「『親なども証 いつわごと とんでもない偽り言 人としてわたしに誓わせてください あ です。夢の中でさえ逢ったことはない』とその男が言うの です。どう言ってやったらいいでしよう」とその女房が言 うと聞いたので、わたしは、代りにこう詠んだ。 ちかへ君とほっあふみのかみかけてむげに浜名の橋見 ぎ、りきや ( それならば、あなたの親の遠江の「守」、その「神」を証 人として、誓いなさい。全く浜名の橋を見なかったーその女 に逢わなかったーのか ) 二九八便なき所にて、人に物を言ひけるに 具合の悪い場所で、ある男と話をしたのだった時に、胸 がひどくどきどきしたのだった。「どうしてそんななのか」 と男が言った応答に、

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

くれたけ 情けなくつらかったでしようのに。今後もそんなふうに頼れるのは、呉竹の枝だったのだ。「おお。この君だったの てんじようびと みにし申しあげましよう」などとおっしやってそのあとで、 ですね」と言ったのを聞いて、殿上人たちは「さあ。これ つねふさ 経房の中将が、「頭の弁はひどくおほめになるとか。知っ を殿上の間に行って話そう」というわけで、中将、新中将、 子 くろうど ていますか。先日のわたしへの手紙のついでに、この間の 六位の蔵人たちなどそこにいた人たちは、去った。 草 ことなどを書いていらっしやる。わたしの思いを寄せてい 頭の弁は、あとにお残りになって、「去って行った者た る人が、人にほめられるのは、ひどくうれしいこと」など ちはいったいどういうわけなのかな。お庭の竹を折って、 しきみぞうし と、まじめにおっしやるのもおもしろい。「うれしいこと歌を詠もうとしたのだが、『同じことなら、職の御曹司に が二つ到来しました。あの方がおほめくださっているとい 参上して、女房などを呼び出して詠もう』と言ってやって うことですのに、また、あなたの思う人の中にはいってお来たのに、呉竹の名を、すばやく言われて退散したのこそ、 りましたのでしたよ」などとわたしが言うと、「そんなこ おもしろい。あなたはいったいだれの教えをわきまえて、 とをば、珍しく、今はじめてのことのようにもお喜びなさ普通、人が知りそうもないことを言うのだ」などとおっし ることよ」とおっしやる。 やるので、「竹の名とも知らないで言ったものをも、優雅 だというふうにお思いになってしまっているのでしよう」 一四〇五月ばかりに、月もなくいと暗き夜 と言うと、「それがほんとうだ。知ることはできまいに」 などとおっしやる。 五月ごろのこと、月もなくたいへん暗い晩、「女房がた はお仕えしておいでですか」と大勢の声で口々に言うので、 まじめな話などを、わたしと一緒にして座っていらっし ぎんしよう 中宮様が、「出て見なさい。いつになく騒がしく言うのは やると、殿上人たちが「この君と称す」という詩を吟誦し て、また集って来たので、頭の弁が「殿上の間で話して、 だれか」と仰せになるので、出て「これはだれですか。た ギ一ようさん いへん仰山で、きわだっているお声は」とわたしが言うの予定した本来ののぞみもかなわなくて、どうしてお帰りに に、何も言わないで、御簾を持ち上げて、がさっと差し入なってしまったのです。ひどく妙でしたよ」とおっしやる とう

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

かずらき しまったので、「葛城の神は、今はお手あげだ」と言って、 ほど、なるほど」と笑うのは、上等とはいえない。 逃げておいでになってしまったのだが、七夕の折に、この 人と話をすることを、碁にたとえて、親しく話し込みな ことを言い出したいものだと思ったけれど、「斉信様も参どしたのは、「置き手を許してしまったのだった」「けちを 議におなりになったので、必ずしもどうして、ちょうどう さしてしまった」などと言い、男の側からは、「手を受け まくその七夕びったりの時に見つけなどしようか。手紙を よう」などということを、他人には知らせないで、この斉 とのもづかさ なん 書いて、主殿司などに託して届けよう」などと思ったころ信の君とお互いに心得て言うのを、「いったい何のことだ、 に、ちょうど七日に参上なさっていたので、うれしくて、 何のことだ」と源中将はわたしにくつついてたすねるけれ ど、わたしが言わないので、源中将は斉信の君に、「やは 「もしあの夜のことなどを言い出すなら、具合が悪いこと ふたり りこのわけをおっしゃい」とお恨みになって、お二人は仲 には、きっとお気づきになる。何ということもなしにふい と言ったならば、『いったい何のことだ』などと首をおか がよい間柄なので聞かせてしまったのだった。 しげになるだろう。そうしたらそれに応じて、あの時にあ とてもあっけなく、話をする間もなく近しくなってしま くず ったことを言おう」と思っているのに、少しもまごっかずったのは、「石を崩すあたりまで行っている」などと言う におあしらいになっていたので、ほんとうにひどくおもし のに、源中将は自分もわかってしまったのだと、いっか早 く知らせたいものだというわけで、わざわざわたしを呼び ろかった。何か月もいっその時が来るか早く来てほしいと 思っていたのでさえ、自分の心ながら物好きだと感じられ出して、「碁盤はございますか。わたしも碁を打とうと思 段 うのはどうでしよう。『手はお許しになる』でしようか たのに、どうしてそんなに、とはいえ、予期していたかの とう ようにおっしやったのだろう。あの時一緒にくやしがって碁は頭の中将と『同等』なのです。どうかわけ隔てをなさ 第 らないでください」と言うので、「だれにでもそんなこと 言った中将は、まるで気がっきもしないで座っているのに、 ばかりしていたら、『定め』がないことになるでしようか」 「あの時の暁のことをば、とがめられているのがわからな とあしらって答えたのを、源中将があの斉信の君にお話し いのか」と宰相の中将がおっしやるのではじめて、「なる さだ

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

( 原文三九ハー ) く言ったものだ』と仰せあそばした」と人がわたしに話し言うまい。お寝なさい」と言うそれの返事に、隣の部屋の 夜居の僧が、「それはたいへんよろしくなかろう。夜中ま てくれた。これこそは、見苦しい自慢話であることだ。 ひととき での一時はやはりお話しなさるがいい」と、にくらしいと 一三七などて官得はじめたる六位笏に 思っている声の調子で発言したのこそ、おもしろかったの しやく しきみぞうし 「どうしてはじめて仕官した六位の笏に、職の御曹司の東に加えてびつくりもしてしまった。 すみどぺい 南の隅の土塀の板を使ったのか。それならば、西東の土塀 一三八故殿の御ために、月ごとの十日 の板だって使えばよいのに。また、五位の笏もしなさい みきよう ことの 故殿の追善の御ために、月ごとの十日に、中宮様は御経 よ」などということを女房たちが言い出して、「つまらな しき くようみほとけ 供養や御仏供養をあそばされたのを、九月十日には、職の いことがいろいろあることよ。着物などにも、いろいろい かんだちめてんじようびと みぞうし いかげんな名前をつけたようなのは、ひどく妙だ。着物の御曹司においてお執り行いあそばされる。上達部、殿上人 せいはんこうじ ほそなが が、とても大勢だ。清範が講師で、説く事ごとがたいへん 名前に、細長は、まあそう一言ってよかろう。どうしてまあ、 しりなが かぎみ 悲しく心にせまるので、特に人生のしみじみとした無常の 汗衫は。尻長と言いなさい、男の子が着るように。どうし もろ おもむき からぎぬ て、唐衣は。短い着物と言うがいい」「でも、それは、唐趣など深くわかりそうにもない、若い女房たちも、みな 土の人が着る物だから、それでよかろう」「上の衣、上の泣くようである。 ずん したがさね また、 供養が終って、酒などを飲み、詩を誦じたりなどする折 段袴、それはそう言ってあたりまえだ。下襲もいし ただのぶ 8 おおぐち 大口は、長さよりはロが広いのだから、それでいい」「袴に、頭の中将斉信の君が、「月秋として身いまいづくにか」 ぎんしよう さしめき ということを、高く声に出して吟誦しなさっていたので、 はひどくつまらない名だ。指貫も、どうしてそう一言うのか あしぶくろ 第 たいへんすばらしかった。どうしてまたうまくお思い出し 足の着物、場合によっては、そうした物は足袋などとも言 になったのだろう。わたしが中宮様のおいでになる所に人 いなさいよ」などと、万事につけてやかましく言い立てる 一 0 のを、わたしは「いやもう、ああうるさいこと。もう今は を分けて参上する時に、中宮様は立ってお出ましあそばさ うえきめ とう ね と と

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

思って聞いたのに。だれがしたことなのか。見たのか」とすけれど、『われより先に』起きていた人がいたと思って 引仰せになる。「そういうわけでもございません。まだ暗く おりましたようでございました」とわたしが言うのを、関 て、よくも見ないでしまったのでございますが、白っぱい 白様はとても早くお聞きつけあそばして、「そうだろうと 子 ものがございましたので、花を折るのかしらなどと、気が 思っていたことだよ。決してほかの人は、何をおいても出 草 さいし、よう かりだったので申したのでございます」とわたしは申しあ て見つけたりはしまい。宰相とそなたとぐらいの人が見つ 枕 げる。「それにしても、こんなにすっかりはどうして取ろ けるかもしれないと推察していた」とおっしやって、ひど うか。殿がお隠させになっていらっしやるのであるよう くお笑いあそばす。「事実そうでありそうなことなのを、 はるかぜ だ」とおっしやってお笑いあそばされるので、「さあまさ少納言は春風に罪を負わせたことよ」と、中宮様がお笑い はるかぜ かそんなことではございませんでしよう。春風がいたしま あそばしていらっしやるのは、すばらしい。関白様が「少 したことでございましよう」と啓上するのを、「それを言納言はどうやら恨み言を負わせたのでございますようです。 やまだ おうと思って、隠したのだったのね。あれは盗みではなく でも、今の季節では山田も作るでしように」と歌をお吟じ て、雨がひどく降りに降って古びてしまったのだというわあそばしていらっしやるのも、とても優雅でおもしろい けでーと仰せになるのも、珍しいことではないけれど、た 「それにしても、しやくなことに、見つけられてしまった いへんすばらしい のだったよ。あれほど気をつけるように言っておいたのに。 関白様がおいでになるので、寝乱れたままの朝の顔をお人の所にこうしたばか者がいるのこそ困ったものだ」と仰 見せするのも、時はずれのものと御覧あそばすだろうかと せあそばす。「春風とは、そらでとてもおもしろく言った 思って、自然引っ込んでしまう。おいであそばすやいなや、ものだな」などと、その歌をまたお吟じあそばす。中宮様 「あの花はなくなってしまったね。どうしてこうまでみす は「ただの言葉としては、持ってまわってわずらわしい思 みす盗ませたのだ。寝垪すけだった女房たちだね。知らな いっきでございましたよ。それにしても、今朝の桜の様子 いでいたのだったよ」とわざとお驚きあそばすので、「で はどんなにひどくございましたでしようね」とおっしやっ

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

261 第 146 段 やまぶき きあそばされず、山吹の花びらただ一枚をお包みあそばし しゃい」と言ってお笑いになる。 ていらっしやる。それに「言はで思ふそ」とお書きあそば 「いかにも中宮様はわたしをどうお思いあそばしておいで そんたく けねん されてあるのを見るのも、とてもすばらしく、この日ごろ だろうか」と懸念してそのお気持を忖度し申しあげるよう な、そんな御不興の御様子ではなくて、ただおそばにお仕の御消息の絶え間が自然思い嘆かれた気持もやわらいでう がわ えする女房たちが、「あの人は左大臣様側の人と知合筋だ」れしいのにつけて、何より先に涙がうれしさを知ってこば おさめ などとささやき、みなで集って話などをしている時に、われるわたしの様子を、長女も見つめて、「『中宮様におかせ しもつばね たしが下局から御前に参上するのを見ては話しやめて、わられてはどんなにか、何かの折ごとにお思い出し申しあげ あそばされておいでだそうですのに』と言って、女一房がた たしをのけものにして孤立させておくような状態であって、 今までそんな目に会ったこともなくにくらしいので、「参はだれもみなわけのわからない長い御里下がりだとばかり おおごと 言っておりますようです。どうして参上なさらないのです 上せよ」などとあるたびたびの仰せ言をもそのままにして、 なるほど久しい時がたってしまったのだったのを、中宮様か」などと言って、「この近所に、ちょっと行ってから、 のおそばあたりでは、ただ敵味方に分れた者と決めてしま また伺いましよう」と言って、立ち去ったのちに、御返事 かみ を書いて差しあげようとするのに、「この歌の上の句を、 って、無実のことなども出てきそうである。 なんにち きれいさつばり忘れていることよ」と、妙なことである。 いつもとはちがって仰せ言などもなくて、何日も過ぎて 「古歌とはいいながら、こんな歌を知らない人がいるだろ いるので、心細くて物思いにふけってばんやりしているこ さきよう うか。もうすぐここのあたりまで思い浮んでいながら、言 ろに、長女が手紙を持って来た。「中宮様から左京の君を い出せないのはどうしたことかしら」などとわたしが言う 通して、こっそりくださったものですよ」と言って、ここ した のを聞いて、小さい女の子で、前に座っているのが、「『下 のわたしの家でまでも声をひそめて忍びやかにするのも、 あまりなことだ。人を介しての仰せ言ではないように思わ行く水の』と申します」と言ったことだ。どうしてこんな に忘れてしまったのだろうか。こうしたことは、教えられ れると、胸がどきっとしてあけたところ、紙には何もお書 おさめ

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 326 したがさね 下襲は冬は躑躅。掻練襲。蘇芳襲。夏は二藍。白襲が してもーーー人のことはどうでもかまわないことにしよう ただ自分にはそうふと感じられることをも、わたしは、 どうやら言うようだ。それは、たとえば次のように 二六四扇の骨は 何ということもないようなことを一言って、「そのことさ よ第一 扇の骨は朴。色は赤いの。紫色のものには緑がいし せんとす」と言い、また「言はんとす」「何とせんとす」 と一言うのを、その「と」という言葉をなくして、ただ「言 二六五檜扇は はんずる」「里へ出でんずる」などと言うと、それは即座 からえ 檜扇は無地。また、唐絵のがいい に、ひどく劣っている感じになる。まして、そんなふうに 手紙を書いては、言いようもなく悪い。物語こそ、言葉を 二六六神は 悪く書き作してしまうと、言うだけの値打もない感じで、 ぢゃうほん やわた ひのもと 神は松の尾。八幡、祭神がこの日本の国の帝でおいで 作者までが気の毒になる。物語の本に「なほす」「定本の まま」などと書きつけてあるのは、とても残念だ。「ひて あそばしたであろうことこそ、たいへんすばらしい。八幡 ぎよう・、う なぎ への行幸などに、帝が水葱の花のついた御輿にお召しにな っ車に」などと言う人もあった。「もとむ」ということを、 るのなど、たいへんすばらしい。大原野。つみて。そこの 「見ん」とみな一一 = ロうようだ。ひどく妙なことを、男などは、 かも わざわざとりつくろうようなことはしないで、率直に、こ池は鴛鴦などがとてもおもしろい賀茂は言うまでもない。 いなりかすが さほどの と更に一一一口うのは、悪くない しかし自分の言葉として、妙稲荷。春日はとてもすばらしく感じられあそばす。佐保殿 ひらのあきや などという名までがおもしろい。平野は空屋があったのを、 な言葉を、持前の言葉としてしまって、それを言うのが、 みこしやど 「ここは何をする所か」とたずねたところ、「御輿宿りで 幻滅をおばえることなのだ。 かみがきった す」と言ったのも、すばらしい神垣に蔦などがたくさん 二六三下襲は 這いかかって、色づいたさまざまの色の葉があったのは、 な おうぎ ひおうぎ ほお かいねり すおう ふたあい みかど