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検索対象: 小説推理 2016年 12月号

小説推理 2016年 12月号から 10000件見つかりました。
1. 小説新潮 2016年12月号

カウンターの中以外、ほぼまっ暗なバーだった。隅の四人 がけテープルに人はおらず、止まり木に稲見と杉村、ふたっ 空いて、その向こうに、すでに飲んでいるふたりの男の姿が あった。 「じゃあ、八時に」 電話の向こうも、自分と同じ気持ちなのではないだろう か。彩子の胸に希望がわいた。 「いやあ」稲見はおかしくなって、思わず表情が崩れる。 「桜井の話、さっき彼女にわざとふったのよ : : : で、確信し たね。あのおばちゃん、恋してるなって」 秋山が顔を向けた。「稲見さん、けっこう意地が悪いです ね」 また笑おうとしたとき、携帯が鳴った。 画面を見ると、杉村中隊長からだった。 「今日、時間あったら飲みに行かないか」 「自分、まだ署で信哉の調べもありますし」 「それはさ、本木班長にふってさ」 結局押し切られ、稲見は杉村指定のバーに行くこととなっ こ 0 もとき 杉村は、「地下一階の静かなバーだ」といったが、稲見は ちょっと落ち着かない。というのも、話しつづける先客の会 話がこちらに筒抜けだからだ。大声ではないが、よくとおる 声だ。巨漢だった。デブといってもいい。年齢は四十代後半 から五十代。顔はよくいえば個性的、悪くいえば醜い。聞き 役専門の片割れは、二十代後半。童顔でジャニーズ系のハン サムだ。ふたりとも派手なガラの普段着で、会社員には見え ない。上司と部下ではなさそうだ。 「いやいやいや」杉村が、注文したトーモアの水割りグラス を前に、照れくさそうにいった。「全然、 " マッハ屋〃とは別 人だったな」 以前聞いた、標的を車で轢き殺す伝説の殺し屋のあだ名 「ほんとですよ。ただのチンピラじゃないですか」稲見は周 囲を観察した。バ ーテンダーは奥に引っ込んでいたし、先客 は話に夢中で、こちらの会話を聞いていない。そういう場所 だから、杉村はここを選んだのだろう。 「まあ、伝説の殺し屋の話は忘れてよ」決まりが悪いのか、 杉村は頭を掻いた。 気心の知れた上司だ。稲見はからかっていた。「忘れられ ませんね : ・ : ・″落とし屋〃に″溺れ屋〃 ? 」 杉村は笑っている。 「あと、なんでしたつけ ? 」

2. 小説新潮 2016年12月号

存在を認めました。歴代社長は期末前にな少額の横領など東京地検や大阪地検は小物「 : : : まさか」 るとしきりに〃アクション〃という符牒をばかり、言わば固い事件しか食わない。 「ええ、東田に知恵を付けた不届き者がお 使い、社内に利益の底上げを指示していま 小堀も粟島と同意見だったが、今は確実ります。我々はこのメモを残した古賀とい した。しかし : : : 」 な獲物が手元にある。 う金融プローカーを突破口にしたいと考え そう言うと、粟島が口を閉ざした。 「これはまだ岡田さんにも明かしていないています」 「サラリーマンなので、どこまで不正にタネタですが : : : 」 小堀は古賀のメモを指でなぞりながら、 ッチしろという指示だったかは明確に証言 小堀は小声で告げ、足元にあった鞄から古賀の簡単な略歴、そして仕組債など過去 しない、いや拒否したのですね ? 」 ファイルを取り出した。 手がけてきた違法行為の数々を粟島に説明 小堀が補足すると、粟島が頷いた。歴代「歴代トップを育て上げた、かっての上司した。 の経営陣が明確に水増ししろと指示した、 が関与していたらどうしますか ? 」 「そんな人間がいたのですか」 あるいはその証拠が書面で残っていれば、 小堀の言葉に粟島が首を傾げた。 粟島は驚きを隠せない様子だった。 地検も立件する。 「・ハイセルでかさ上げを指示した三人より「三田電機の本丸ではなく、この古賀を引 「地検は例の件で相当にビビっている。仮上、となれば : : : 」 っ張ってから攻め人る考えです。ご協力い に自白を強要されたなどと三田の歴代トッ粟島が目を見開いた。 ただけますか ? 」 プに公判で証言されたら、悪夢の二の舞に 「そうです。奥の院の主である東田が関わ 小堀が持ちかけると、粟島がなんども頷 いた。 なってしまう」 っていたのです」 唸るように粟島が言った。 小堀はテープルの上のファイルを広げ「古賀という男が東田を籠絡し、その後、 例の件、悪夢の二の舞とは、ここ数年でた。 三田本体が腐っていったわけですな」 表面化した大阪地検や東京地検のスキャン 「これは我々の特別協力者から得た特上の 「その通りです」 ダルを指す。検事の用意したシナリオに沿ネタです」 小堀が返答すると、粟島が短い右腕を差 って強引に被疑者から供述を引き出す " シ そう言うと、小堀は佐知子が隠し撮りしし出した。 ナリオ捜査〃が露見したほか、証拠品の捏た写真を粟島の方向に押し出した。粟島は「協力いたしましよう。これだけのネタが 造などが相次いで明らかになった。 怪訝な顔で写真を取り上げると、分厚い揃っていれば、必ず本丸を落とせます」 一連の不祥事が検察改革を誘引してしまレンズのメガネを外し、目を凝らし始め 小堀は粟島の手を握った。定年間際の元 った反省から、この一、二年は選挙違反やた。 検事の手は存外に力強かった。 ひがしだ 278

3. 小説新潮 2016年12月号

小説新潮から生まれた本 西條奈加の本 愛すべき悪党どもの謎解きと人情劇、開幕 ! 饗伏川契り』 善人長屋 1500 円 拾った行き倒れは盗賊だった ! 善意は悪夢へと転じて長屋を襲う。 《好評の既刊》 『間魔の世直し』 ーー善人長屋ーー 1400 円 ( 単行本 ) 550 円 ( 新潮文庫 ) 『善人長屋』 《「善人長屋」シリーズ》 シリーズ 最新刊 ! 《「金春屋ゴメス」シリーズ 新潮社 590 円 ( 新潮文庫 ) たちまち 大増刷 金春屋ゴメス 514 円 ( 新潮文庫 ) 『金春屋ゴメス異人村阿片奇譚 552 円 ( 新潮文庫 ) な野池之端鱗や繁盛記』 13 歳の奉公人・お末の奮闘が、三流料理茶屋「鱗や」を 江戸の名店へと変えていく。美味絶佳の時代長編。 1400 円 ( 単行本 ) 590 円 ( 新潮文庫 ) ⑧新潮社 ※表示の価格には消費税が含まれておりません。 533

4. 小説新潮 2016年12月号

くなかった。足許が不確かになる感覚。縋は思わない。 口さんは考えますか」 最後にそう問うた。首を縦に振って欲しれる確固たるものが溶け崩れていく中、必仕事を見つけて後日連絡する、と新吉は 言って、面会を終わらせた。一橋産業の社 いという、切なる思いを込めた問いだっ死に足掻く自分の姿を小五郎は思い浮かべ 屋を出る際、せめて顔を上げていようと小 た。新吉の返事次第で、小五郎を支えてきた。 たものは失われるかもしれない。それが怖「失礼ながら、この島に御用金があると考五郎は意地を張った。自分が夢を信じない かったから、新吉に帰還の挨拶ができなかえる根拠は、さほど強くないな。少なくとで、いったい誰がこの夢を信じるのか。そ ったのだと、今になって己の心の動きに気も私は、君の考えを補強してやることがでう、心の中でうそぶいた。 きない。それでも君はまだ、御用金探しを づいた。 「確かに、私はイチマッさんに目をかけて続けるのか」 もらっていた。四六時中、一緒にいたわけ「はい」 この問いかけには、無意識のうちに答え 月日は流れ、人は老いる。晩年を迎えた ではないが、私にだけ語りかけてくれたこ とが何度かあった。とはいえ、私が見ていていた。これ以外の答えは見つからなかつ人は、己の生まれた場所に帰りたいという たのはイチマッさんのほんの一面だ。私はた。里子が去り、啓太が金を持って逃げた念を募らせるようだ。耕一の両親も例外で 今、自分には御用金探ししかないのだ。御はなく、会社を退職した後、くがに戻って まだ子供だったからな」 新吉はそう前置きをした。その前置き用金探しは、おれの人生だ。どうか、おれいった。耕一だけが島に残った。 二十代半ばにして、耕一はようやく妻を の人生を奪わないで欲しい。 は、続く言葉を予想させた。 娶った。男女の奇妙な諍いがなければ、も 「私が知る限り、イチマッさんが山で何か「そうか」 をしていたということはなかった。絵図面新吉は小五郎の目を覗き込み、何かを諦っと早く結婚していただろう。相手もま た、ぐがから来た一家の娘だった。島生ま めたように小さく頷いた。新吉の態度は、 を書いているところも、見たことはない。 悪いが、私の目にはイチマッさんは毎日ぶまるでこちらを憐れんでいるかのようだつれ、くが生まれの隔てはずいぶんなくなっ た。憐れまれる筋合いはない、そう反発をたはずだが、やはりどこかにまだ存在する らぶらしているだけの人に見えたよ」 「そう、でしたか」 覚えたが、自分はまさに憐れな存在なのだのかもしれない。あるいは、たまたま選ん こんな答えもありうると、覚悟はしていろうという自覚もあった。いいのだ。理解だ相手がくが生まれだったというだけかも た。しかし、それでも襲いくる衝撃は小さ者は耕一だけでいい。わかってもらおうとしれない。耕一が娶った女は朗らかで気立 328

5. アガサ=クリスティ推理・探偵小説集 第1

けいさっ 分雪のなかにうまっているのを見つけて、警察につれていってくれた。それがケイベルの じゅんさ とくにかわいがっている犬だとわかったもんで、巡査がわざわざっれてきてくれたという じゅうせい しだいだ。銃声のするちょっとまえにきていて、おかげでだいぶ手数がはぶけたよ。」 ついおく 「とにかくすごい雪あらしだった」と、コンウェイが追憶にふけるようにいった。「たしか いまごろじゃなかったかな ? 一月のはじめさ。」 「二月じゃなかったかい ? たしかあのあとすぐに、われわれ夫婦は外国にいったんだか りようば 「いや、一月だってことはまずまちがいない。 うちの猟馬のネッドがーー・ーネッドのことは すえ わる じけんちよく ) 」 お・ほえているだろうーーーちょうど一月の末に足を悪くしてね。それがこの事件の直後だっ 「だったら一月の末にまちがいあるまい。おかしなもんだなーーー年月がたっと、いつ、な にがあったかも思いだせなくなるなんて。」 「この世のなかで、もっともむずかしいことのひとつですよ」と、クイン氏がうちとけた ちょうし せけん だいじけん 調子でいった。「なにかひとつ、世間をさわがした大事件を手がかりにしないとねーーーた あんさっ だいだいてきさつじんじけんさいばん とえば、どこそこの王さまが暗殺されたとか、大々的な殺人事件の裁判があったとか。」 ふうふ てすう 力いこく 134

6. 小説新潮 2016年12月号

清水富美加飯豊りえ 清野菜名玉城ティナ小島梨里杏 / 平祐奈 原作 : 秋吉理番子「暗黒女子」 ( 双第文直 ) 監督 : 耶雲哉治脚本 : 岡田麿里 制作プロタクシ、ン : ROBOT 配給 : 東映 / シ , ウゲート 02017 ー第第女子」製作第員会 0 秋吉第書子 / 双社 ankoku-movie ・ JP 4 1 [ 土 ] 嘘。き roadshow 2 01 ス わたし以外、幸せになるのは、許さな、 説新潮第七十巻第十 = 号通巻八七一号 暗黒 - 女子を ' 昭和ニ十ニ年十月ニ十四日第三種郵便物認可 平成ニ十八年十ニ月号 ( 毎月ニ十ニ日発行 ) 十一月ニ十ニ日発売 この中の誰かが彼女を殺した」一一全員悪女がダマしダマされる ! セレプ女子高生たちが通ラ、聖母マリア女子高等学院。ある日、学院の経営者の娘で、全校生徒の憧れの的だったく白石 いつみ〉が謎の死を遂げる。校舎の屋上から落下したのだが、自殺か他殺か、それとも事故なのかわからない。やがて、 いつみが主宰していた文学サークルの誰かが彼女を殺したという噂が立つ。 親友だったいつみから会長を引き継いだ澄川小百合は、部員が自作の物語を朗読する定例会を開催する。今回のテーマ は、「いつみの死」。それぞれを“犯人”と告発する作品を発表していく。 物語は 5 つ、動機と結末も 5 っーー果たして真実はと・れ ? 特別定価円 カリスマ・女子高生の謎の死。ラスト 24 分の驚愕 ! 。心いゼ。イヤミス " ・の傑作、ついに映画化 ! 垰にい 4 91 0 0 4 7 0 1 1 2 6 5 0 0 9 5 4 雑誌 04701 ー 12 Printed in Japan 大日本印刷株式会社

7. 小説新潮 2016年12月号

土曜日の今日、出発すれば、旅程は土、日、月だから、月曜日 だけ学校を休めばよかったのだった。でも母親の都合で、日、 3 瑤子 月、火になってしまった。 「 : : : 大丈夫 ? 」 母親が椅子から立ち上がったので、もう話を切り上げるつもり 黙り込んでしまった有夢に、瑤子はおそるおそる聞く。学校で だということが瑤子にはわかった。信じられないことには、母親 二日もひとりになるなんて、もし自分だったらとうてい耐えられ はそのあとすぐに携帯を手に取った。今日の午後から行くはずだ そうもない。 った。ヘンションに電話をかけている。 「大丈夫じゃないけど、しようがないんでしよ」 「 : : : よろしいですか ? ええ : : : はい : : : すみません。ええ 「うん : : : もうちょっとがんばってみるけど。火曜日に追試があ : 明日は必ず。はい : : : ありがとうございます」 るとか、予防接種があるとか、言ってみようかな 電話を終えると母親はちらりと瑤子のほうを見た。ほら、問題 「昨日期末が終わったばっかで追試ってありえないでしよ。予防 ないでしょ ? というように。長野にあるそのペンションのオー ナー夫妻はもともとは祖父母の友人で、もう長い付き合いだか接種ってなんの予防接種って言うわけ」 「 : : : そうだよね」 ら、直前の日程変更にも快く対応してくれる、というわけだ。 じゃあいっそ有夢も月、火と休んじゃえば。瑤子はそう言おう 「明日のお昼前には出られるから。悪いけど、そういうことで とも思ったが、言わなかった。学校を休みたくない理由以上に、 ね」 瑤子は父親の顔を見た。父親は瑤子だけに見えるように唇を尖休む理由を考えるのはむずかしいとわかっている。 「ごめん」 らせて、首を傾げてみせた。父親はいつでも誰にでもやさしいけ 「いいよ、あやまらなくて」 れど、こういうときには何の役にも立たない。 そういう有夢の声は刺々しかった。泣きそうなのをがまんして 「ごめん」 いるせいだと瑤子にはわかる。そして自分も泣きそうになる 自分の部屋に戻るとすぐ、瑤子は有夢に電話をかけた。 こんなことで泣きそうになるなんて、と思って。 「長野、明日からになっちゃった。お母さんの仕事が終わんなく 電話を切るのとほとんど同時に、ドアがノックされた。顔を出 した母親は、さっきよりは幾分すまなそうな顔をしている。 「じゃあ一泊 ? 」 「有夢ちゃんに電話してたの ? 」 「ううん、予定どおり二泊。だから火曜日も休むよ」 瑤子は頷いた。 「マジ ? 」 ようこ 125 ベルー

8. 小説新潮 2016年12月号

「そうなんだ。憶えていたかったなー、も囲 「あーもうオムレッ最高だよ。えーとね、 「あけてみていいですか ? 」 ったいない。でも私たしかに、夢の中で自 「もちろん」 卵ふたつにたいして小さじ二分の一かな。 梅村さんは長い脚を組んで、私の反応がプレンドしてる塩がまたよくて、すこしで分が男ってこと、わりにある気がする」 「現実と夢の性別がちがうことはめずらし 楽しみというように見つめてくる。赤い缶もバッチリ効く」 のふたを回すと小さな穴があらわれて、手なんて楽しそうに、商品のことを話すのくないですよ。そのときによって女だった さいきんか。こういう人が世の中に楽しみを生みだ り男だったり、両性具有だったり、そもそ のひらにすこし出してみると も人間のすがたをしてなかったり」 して、豊かにしていくんだなあ。 かいだ記憶のある香りがした。 「あ、これ、この匂い」 「そういえば、梅村さんは夢の中で男の人「へー」 でした。この香りがする街をどこかへ向か梅村さんは赤い缶の底で机をコッコッと 「え ? 知ってるの ? 」 って急いでいましたね。とちゅうで目的地鳴らしながら、感心したような表情をす 「そうか、梅村さんの夢の中の空気が、こ る。 がわからなくなったみたいに、立ちどまっ の匂いでした。この香りが空間全体にただ よっていたんです」 てあせっている感じで : : : 憶えてます「耳内さんはどう ? 夢の中で自分の性別 は」 か ? 」 「ええー ? 」梅村さんは愉快そうに膝をた 「夢の中で、私は男」 「え、私ですか。そうですねーー意識した たき、「私、夢の中までこの香り ? まっ ことないけど、しいていうなら無性、かな 梅村さんは宙を見てつぶやく。 たく仕事の鬼だね」 「いつもこのハープのことを考えていたか「憶えてませんか」 「憶えてない。私、夢の情報をダウンロー 「ムセイ ? 性が無い ? 」 らでしようか」 私はうなずく。 「どの農園のどのグレードのハープを使う ドできなかったのかな」 「いえ、ダウンロードはできてます。私た机のうえにいささか前のめりぎみだった か、原料を決めるときも試作品ももう鼻が 麻痺するほどテストしたもん。家でも食事ち、ふだん夢を見ても起きたときにその内梅村さんは、すうっとうしろに身を引いて のたびにこれ使って、海鮮焼きうどんには容を忘れてることがおおいじゃないですいう。 合う、かに雑炊には合わないとかやって」か。それとおなじで、ダウンロ 1 ドした情「なんか : : : 達観してる感じだよね、耳内 「かに雑炊は徴妙そう」味を想像して私は報も、無意識ではきちんと処理されているさんは」 笑い、「卵料理がすきでオムレッよく作るんですけど、憶えていないことというのは「えっ ? 私 ? どこがですか ? 」 ふつうにあります」 んです。さっそく使わせてもらいますね」 「老成してるというか。ばっと見十代みた

9. アガサ=クリスティ推理・探偵小説集 第1

が、ごくかすかにだ。そこには、そういう自分の強い魅力を 彼女はほおを赤らめた 鼻にかけているそぶりは見あたらなかった。あったとすれば、二人の男の争いの的になっ しぜん たしようかいかんこうふん カサタースウェ これはいたって自然なことだ。 : 、 ていることへの、多少の快感と興奮 けねんこんわく ばあい イト氏の見たところ、彼女の場合、なによりも先にたっているのは、懸念と困惑であるら じじっ しい。そしてまもなく、彼がその事実をたしかめる手がかりを得たのは、彼女がこんな見 当ちがいなことを口走ったときだった。 「彼が、あのひとにけがをさせなきゃいいんだけど。 くら 暗いなかでひとりほほえみながら、サタースウェイト氏は考えた。 ( さて、どっちがどっちを、だろう ? ) はんだん いかえした。 それから、みずからの判断はひとまずおいて、 ーンズさんにけがをさせなきや、 ィーストニーさんが。ハ 「というのはーーーええと いうことですな ? 」 彼女はうなずいた。 けつまっ 「ええ、そうですわ。そんなことにでもなったらと思うと、そっとします。結末を見とど けてこられればよかったんだけど。」 はな と、つ あらそ まと みりよく けん = クインの事件簿 165

10. アガサ=クリスティ推理・探偵小説集 第1

つぎの日曜日の午後、サタースウェイト氏はキ = ー植物園に、しやくなげの花を見にで かけた。 わか 遠いむかし ( サタースウェイト氏自身、信じられないほどむかし ) 、ある若い婦人とここ ヘブルーベルを見にきたことがあった。その日サタースウェイト氏は、まえもって心のな わか ふじんけっこん かで、これから自分のいおうとすること、その若い婦人に結婚を申しこむのに使うべき せりふ にゆうねん 台詞を、入念にまとめあげていた。それをくりかえし頭のなかでそらんじることに夢中 さんたん だった彼は、彼女がしきりにブルーベルのことで賛嘆の声をあげるのに、なかばうわのそ あいて らであいづちをうっていた。そのときショックがおそってきたのだ。相手の女性がブルー たんせい ベルにたいして嘆声を発するのをやめて、きゅうにあらたまってサタースウェイト氏にむ事 まえお だんせ 力し 心からの友として話すのだがと前置きして、他の男性への思慕をうちあけたのであ きゅう こくはくむね る。あわてたサタースウェイト氏は、急きよ、用意してきたささやかな告白を胸のおくに ひきだ ゅうじようきようかん しまいこむと、心の引出しのいちばん底をかきまわして、相手への友情と共感のことばを さがしたのだった。 こい かくしてサタースウェイト氏の恋はおわった いささかなまぬるい、初期ヴィクトリ しじしん そこ しよくぶつえん しよき じよせい ふじん むちゅう 167