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邪馬台国をとらえなおす


邪 馬 台 国 を と ら え な お す 大 塚 初 重 講 談 社 現 代 新 書 2154

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邪 馬 台 国 を と ら え な お す 大 塚 初 重 講 談 社 現 代 新 書 2154

邪馬台国論争


① 臺 か 壹 か 古 田 の 衝 撃 的 主 張 『 魏 志 倭 人 伝 』 に は 肝 心 の 「 邪 馬 台 国 」 が 、 「 邪 馬 壹 国 」 と 書 か れ て い る 。 ま た 、 卑 弥 呼 が 魏 に 使 を 送 っ た 年 が 「 景 初 一 一 年 ー と な っ て い る 。 古 田 武 彦 は 「 原 文 を み だ り に 改 定 す べ ぎ で な い 」 と し て 、 ず れ も 『 魏 志 倭 人 伝 』 の 本 文 ど お り 「 邪 馬 壹 国 ー 「 景 初 二 年 」 で あ る べ き だ 、 と 主 張 し た 。 こ の 二 大 キ ー ワ ー ド を も と に 、 壮 大 な 古 代 史 像 を つ く り あ げ た 。 先 に 記 し た が 、 「 邪 馬 臺 国 ー を 自 明 の 前 提 と す る 従 前 の 邪 馬 台 国 論 が 、 い わ ば 「 ユ ー ク リ ッ ド 幾 何 学 」 と す る と 、 こ れ を 否 定 し て 「 邪 馬 壹 国 」 を 主 張 し 公 理 と す る 非 邪 馬 台 国 論 を よ 、 「 非 ュ ー ク リ ッ ド 幾 何 学 」 に も 譬 え ら れ よ う 。 佐 伯 有 清 が 「 戦 後 の 邪 馬 台 国 研 究 の 第 四 期 に お け る も っ と も 衝 撃 的 な 論 文 は 、 古 田 武 彦 氏 の 『 邪 馬 壹 国 』 で あ っ た 」 ( 『 邪 馬 台 国 基 本 論 文 集 Ⅲ 』 一 九 八 一 I) と 評 す る よ う に 、 ア カ デ ミ ズ ム の 歴 史 家 を 震 撼 さ せ 、 多 く の 同 調 者 を 生 ん だ 。 古 田 の い う 「 原 文 改 定 、 を 真 0 先 に し た の は 、 「 畿 内 説 」 の 鼻 祖 ・ 内 藤 湖 南 だ が 、 も と よ り 、 的 ( み ・ に 改 定 し た の で は な い 。 本 文 校 訂 の う え 、 『 後 漢 書 』 に 「 邪 馬 臺 国 」 と あ る こ と 、 『 日 本 書 紀 』 神 功 紀 い く つ か の 争 占 124

邪馬台国論争


2 邪 馬 台 国 へ の 道 ー ー ・ 方 位 邪 馬 台 国 に 至 る 帯 方 郡 か ら 邪 馬 台 国 に 至 る 行 路 は 、 次 の よ う に 示 さ れ て い る 。 ① 〔 狗 邪 韓 国 〕 其 の 北 岸 ・ 狗 邪 韓 国 に 到 る 、 七 千 余 里 。 ② 冖 対 馬 国 〕 始 め て 一 海 を 度 る 、 千 余 里 、 対 馬 国 に 至 る 。 : 一 大 国 に 至 る 。 ③ 〔 一 支 国 〕 又 、 南 し て 一 海 を 渡 る 千 余 里 、 ④ 冖 末 盧 国 〕 又 、 南 し て 一 海 を 渡 る 、 千 余 里 、 末 盧 国 に 至 る 。 ⑤ 〔 伊 都 国 〕 東 南 、 陸 行 五 百 里 、 伊 都 国 に 到 る 。 ⑥ 冖 奴 国 〕 東 南 、 奴 国 に 至 る 、 百 里 。 ⑦ 〔 不 弥 国 〕 東 行 、 不 弥 国 に 至 る 、 百 里 。 ⑧ 〔 投 馬 国 〕 南 、 投 馬 国 に 至 る 、 水 行 二 十 日 。 ⑨ 〔 邪 馬 台 国 〕 南 、 邪 馬 台 国 に 至 る 、 女 王 の 都 す る 所 、 水 行 十 日 ・ 陸 行 一 月 。 ・ ほ う こ く そ し て 、 邪 馬 台 国 の 南 に 「 旁 国 ー 二 十 一 カ 国 が 点 々 と 連 な っ て い る 。 卑 弥 呼 の 迷 宮 79

邪馬台国論争


⑨ 「 二 つ の 邪 馬 台 国 」 説 ー ー 喜 田 貞 吉 、 大 和 岩 雄 法 隆 寺 再 建 論 で 知 ら れ た 喜 田 貞 吉 に よ る と 、 陳 寿 は 、 魏 と 直 接 交 渉 し た 九 州 の 邪 馬 台 国 ( 海 人 族 ) と 、 伝 聞 で 知 っ た 畿 内 の 大 和 朝 廷 ( 朝 鮮 渡 来 の 天 孫 族 ) を 混 同 し て い る 。 「 水 行 陸 行 」 の 記 事 も 、 畿 内 の 大 和 に 至 る 道 程 ー ー 、 ・ 北 九 州 よ り 出 雲 ・ 敦 賀 ・ 大 和 へ の 道 程 ー ー を 記 し た も の と 解 す れ ば よ い 。 『 後 漢 書 』 の 范 曄 も ま た 、 九 州 に あ る 卑 弥 呼 の 邪 馬 台 国 と 、 九 州 ま で 支 配 す る 大 和 朝 廷 を 混 同 し て 、 「 そ の 大 倭 王 ( 天 皇 ) は 邪 馬 台 国 に 居 る ー と 誤 解 し た 、 と い う ( 「 漢 籍 に 見 え た る 倭 人 記 事 の 解 釈 」 一 九 一 七 ) 。 だ い わ お お わ 大 和 は 、 大 和 書 房 の 創 業 者 で 古 代 史 の 研 究 書 を 続 々 と 著 し て い る が 、 『 邪 馬 台 国 は 二 カ 所 あ っ た 邪 馬 台 国 か ら 初 期 ヤ マ ト 王 権 へ 』 ( 一 九 九 〇 ) で 、 い う 。 邪 馬 台 国 ( 倭 国 ) は 、 倭 国 大 乱 の あ と に 卑 弥 呼 を 「 共 立 ー し て で き た 「 連 合 政 体 」 で 、 北 部 九 州 か ら 畿 内 ま で を 含 み 、 卑 弥 呼 の い た 女 王 国 は 九 州 に あ っ た 。 台 与 の 時 代 ( 二 五 〇 年 代 初 頭 ) に 遷 都 し て 、 邪 馬 台 国 へ 移 っ た 。 武 力 制 圧 を と も な う 「 東 遷 ( 東 征 ) 」 で は な い 。 陳 寿 が 見 た 原 史 料 で は 、 女 王 国 ま で の 行 程 は 日 数 で 示 し 、 畿 内 の 邪 馬 台 国 へ の 行 程 は 日 数 で 示 し て あ っ た が 、 陳 寿 は 女 王 国 Ⅱ 邪 馬 台 国 と 混 同 し た た め 、 「 距 離 に 混 乱 が お き 、 邪 馬 台 国 の 所 在 に つ い て 、 決 着 が っ か な い 論 争 が 、 は て し な く つ づ い て い る の で あ る 」 と 。 主 と し て 九 州 説 に 立 つ 人 び と の 、 苦 心 の 解 読 に 、 敬 意 を 表 す べ き だ ろ う 。 そ れ で は 、 畿 内 大 和 説 は 、 『 魏 志 倭 人 伝 』 の 解 読 競 争 に 敗 れ た の だ ろ う か 。 卑 弥 呼 の 迷 宮 10 7

邪馬台国論争


邪 馬 台 国 論 争 の 意 義 ど こ に あ っ た か 邪 馬 台 国 問 題 の 核 心 は 、 江 戸 時 代 い ら い 、 邪 馬 台 国 が 畿 内 大 和 に あ っ た か 、 そ れ と も 北 部 九 州 に あ し ゅ う れ ん た か 、 い わ ゆ る 「 所 在 地 」 論 に 収 斂 し て き た 。 じ っ さ い 、 「 邪 馬 台 国 問 題 は 、 所 在 地 論 に 始 ま っ て 、 所 在 地 論 に 終 わ る ー と い っ て も 、 過 言 で は な い だ ろ う 。 昭 和 四 十 年 代 は じ め ま で の 邪 馬 台 国 研 究 史 を み し な あ き ひ で 総 括 し た 三 品 彰 英 は 、 こ う 道 破 し て い る 。 邪 馬 台 の 位 置 比 定 の 研 究 は 、 魏 志 倭 人 伝 の 根 本 問 題 で あ り 、 爾 余 の 研 究 諸 項 目 は 直 接 ・ 間 接 に こ の 問 題 を 中 心 と し て 、 あ る い は そ こ か ら 派 生 し た も の が ほ と ん ど で あ る ( 『 邪 馬 台 国 研 究 総 覧 』 一 九 七 〇 年 ) 。 し か し 、 な か に は 「 位 置 論 よ り も 、 倭 国 や 邪 馬 台 国 の 構 造 の 究 明 の 方 が 重 要 だ 」 と 主 張 す る 人 も 少 な く な い 。 た と え ば 、 三 品 の 『 研 究 総 覧 』 が 出 た 直 後 の 一 九 七 〇 年 七 月 に お こ な わ れ た シ ン ポ ジ ウ ム な お き こ う じ ろ う 「 日 本 国 家 の 形 成 ー で 、 司 会 ・ 報 告 者 の 直 木 孝 次 郎 は 、 「 現 在 ( 一 九 七 〇 年 当 時 ) の 研 究 動 向 ー を 要 約 し て こ う 発 言 し た 。 じ よ 8 2

邪馬台国論争


つ づ い て 、 古 代 史 家 の 佐 伯 有 清 が は じ め て 「 邪 馬 台 国 論 争 史 」 の 専 著 を ま と め た 。 『 研 究 史 ・ 邪 馬 台 国 』 と 『 研 究 史 ・ 戦 後 の 邪 馬 台 国 』 ( 一 九 七 一 I) で あ ゑ こ こ で も 、 江 戸 時 代 の 本 居 宣 長 ・ 新 井 白 石 に は じ ま り 、 戦 後 の 現 在 に い た る ま で の 研 究 史 を 、 五 期 に 時 期 区 分 し て 、 丹 念 に 跡 づ け て い る 。 さ ら に 、 佐 伯 は 、 学 史 を 飾 る 重 要 論 文 の 集 成 を す す め 、 『 邪 馬 台 国 基 本 論 文 集 』 全 三 巻 ( 一 九 八 一 ー 一 D に 九 十 篇 を 収 め た 。 佐 伯 の こ の 研 究 史 二 冊 と 基 本 論 文 集 三 冊 、 三 品 の 『 邪 馬 台 国 研 究 総 覧 』 、 さ ら に 、 三 木 太 郎 の 『 邪 馬 台 国 基 本 事 典 』 全 六 巻 ( 未 完 ) に よ っ て 、 よ う や く 邪 馬 台 国 研 究 に つ い て も 、 西 洋 古 典 学 研 究 な み の 基 礎 条 件 と ツ ー ル が 整 っ た と い え る 。 武 光 誠 ( 明 治 学 院 大 学 助 教 授 ) が 指 摘 す る と お り 、 「 佐 伯 氏 の 著 書 が 無 け れ ば 、 今 日 の よ う に 気 楽 に 考 古 学 者 や 東 洋 史 家 が 邪 馬 台 国 論 争 に 加 わ る こ と も な か っ た ろ う 」 。 邪 馬 台 国 研 究 へ の 門 戸 が 開 か れ 、 規 制 が 緩 和 さ れ た 結 果 、 百 家 争 鳴 の に ぎ わ い を み せ る よ う に な っ た 。 そ の 反 面 、 潮 が 引 い た よ う に 、 文 献 史 家 が 邪 馬 台 国 問 題 か ら 遠 ざ か っ た の は 、 さ び し い 。 、 ま や 、 考 古 学 者 と 在 野 の 史 家 の 独 壇 場 の 観 を 呈 し て い る 。 さ て 、 三 品 と 鬼 頭 ら の 時 期 区 分 い ら い 、 早 く も 四 半 世 紀 。 そ の 間 、 「 邪 馬 台 国 が み つ か っ た 」 と 喧 伝 さ れ た 吉 野 ケ 里 遺 跡 の 出 現 と 、 あ い つ ぐ 「 卑 弥 呼 の 鏡 」 の 発 見 で 、 論 争 も 新 段 階 を 迎 え た 。 あ ら た 世 め て 、 そ の 後 の 時 期 区 分 が 必 要 に な っ た 。 伝 三 品 の い う 第 五 期 ー ー い わ ゆ る 「 商 品 化 期 ー の 延 長 期 と み て 、 こ れ を 前 後 二 期 に 分 け る な ら 、 一 九 倭 志 七 七 年 ま で の 前 半 期 は 、 「 数 理 歴 史 学 進 展 期 」 と 名 づ け ら れ よ う か 。 一 九 七 八 年 の 「 稲 荷 山 鉄 剣 銘 ー

天皇の歴史01巻 神話から歴史へ


邪 馬 台 国 に 関 す る ニ つ の 説 国 国 ( 南 ) 国 国 ス 、 水 行 一 一 十 日 行 十 日 台 " 陸 行 一 月 馬 ( 南 女 コ 練 、 ( 南 ) ル 又 邪 狗 邪 馬 台 国 は ど こ に あ っ の 百 一 ム 、 は 読 里 里 里 国 練 国 た の か 。 い わ ゆ る 邪 馬 台 国 余 国 余 国 余 国 東 間 で と る 区 説 東 え 倭 郡 縺 羂 丐 支 の 内 を 替 国 論 争 は 、 江 戸 時 代 以 来 伊 娘 志 方 千 狗 対 一 末 百 こ 幾 南 み 東 五 帯 ー つ づ い て い る 古 代 史 の 長 国 国 弥 南 年 の 課 題 で あ る 。 い わ ゆ 国 練 不 ( 奴 る 九 州 説 を と れ ば 、 倭 国 ス ) 百 百 里 水 行 一 一 十 日 馬 程 里 里 里 南 国 : ' ( 「 投 行 国 余 国 余 国 余 国 東 は 九 州 を 中 心 と す る 地 域 都 水 行 十 日 国 の の 郡 里 韓 竏 馬 千 千 ー 台 へ 余 邪 ー 里 伊 ・ 陸 行 一 月 馬 ( 南 ) に す ぎ ず 、 そ の 外 側 に 大 説 方 千 狗 対 一 末 百 州 七 五 ( 南 ) 邪 馬 和 政 権 へ つ な が る 強 力 な 一 万 二 千 余 里 畿 内 勢 力 が あ っ た こ と に な る が 、 大 和 説 を と れ ば 当 時 倭 国 と し て 少 な く と も 畿 内 か ら 九 州 ま で の 列 島 の か な り の 地 域 の 政 治 的 ま と ま り が 成 立 し 、 そ れ が 大 和 政 権 へ と 展 開 す る こ と に な る 。 筆 者 の 能 力 も あ り 邪 馬 台 国 論 争 に 詳 し く 立 ち 人 る こ と は で き な い が 、 最 近 の 動 向 に つ い て 簡 単 に 紹 介 し て お こ う 。 邪 馬 台 国 の 位 置 は 「 魏 志 倭 人 伝 」 に 記 載 が あ り 、 伊 都 国 へ 到 っ た 記 事 の あ と 、 奴 国 ・ 不 弥 レ 」 ・ つ 亠 ま 国 ・ 投 馬 国 に つ づ け て 以 下 の よ う に 記 す 。 一 万 二 千 余 里 狗 娘 国 西 南 ふ み っ 一 -4

邪馬台国論争


え の き か ず お ① 「 放 射 式 ー 解 読 ー ー 榎 一 雄 、 豊 田 伊 三 実 終 戦 直 後 に 現 れ た 榎 一 雄 の 論 文 「 魏 志 倭 人 伝 の 里 程 記 事 に つ い て 」 は 、 ま だ 用 紙 事 情 の 悪 か っ た 時 世 を 映 し て か 、 ご く 短 い 論 文 だ っ た が 、 戦 後 の 邪 馬 台 国 論 争 に 決 定 的 な 影 響 を 与 え た 。 榎 は 、 帯 方 郡 か ら 邪 馬 台 国 に 至 る 行 程 記 事 が 、 次 の よ う に 伊 都 国 の 前 後 で 変 わ り 、 二 つ の グ ル ー プ に 分 け ら れ る こ と に 着 眼 し た 。 「 方 位 ー 距 離 ー 国 」 型 始 め て 一 海 を 度 る 千 余 里 、 対 馬 国 に 至 る 。 又 、 一 海 を 渡 る 千 余 里 ・ : 一 大 国 に 至 る 。 又 、 一 海 を 渡 る 千 余 里 、 末 盧 国 に 至 る 。 東 南 、 陸 行 五 百 里 、 伊 都 国 に 到 る 。 「 方 位 ー 国 ー 距 離 / 日 程 ー 型 百 里 。 東 南 、 奴 国 に 至 る 、 百 里 。 東 行 、 不 弥 国 に 至 る 、 南 、 投 馬 国 に 至 る 、 水 行 二 十 日 。 南 、 邪 馬 台 国 に 至 る 、 : ・ 水 行 十 日 ・ 陸 行 一 月 。 迷 型 は 、 「 方 位 ー 距 離 ー 国 、 の 順 で 、 狗 邪 韓 国 か ら 対 馬 ・ 一 大 ( 壱 岐 ) ・ 末 盧 を 経 て 伊 都 国 に 至 る 連 和 弥 続 式 の 道 筋 を 記 す 。 卑 ふ み ま つ ら

邪馬台国論争


( 注 1 ) 灰 野 昭 郎 に よ る と 、 宋 ・ 元 代 に 日 本 か ら 輸 入 さ れ た 金 蒔 絵 が 、 金 無 垢 の 工 芸 品 と 見 紛 わ れ た ら し く 、 そ の 結 果 、 屋 根 瓦 は 金 の 板 で 作 ら れ 、 犬 さ え 金 の 鎖 を つ け る な ど 、 「 黄 金 の 国 ー 伝 説 が 生 ま れ た と い う ( 中 公 新 書 「 近 世 の 蒔 絵 』 一 九 九 四 年 ) 。 ( 注 2 ) ア レ ク サ ン ダ ー 伝 説 に よ る と 、 ア レ ク サ ン ダ ー 大 王 は 「 生 命 の 水 」 を 求 め て 東 方 へ 旅 を す る 。 そ の 途 上 、 ワ ク ワ ク ( 倭 国 の 訛 り ) と 女 王 国 が 出 て く る ( 後 出 ) 。 ( 注 3 ) 尾 崎 雄 二 郎 は 数 少 な い 一 人 で 、 「 邪 馬 壹 、 邪 馬 臺 の ど ち ら で あ る か さ え が 簡 単 に は き め か ね る 。 邪 馬 臺 と し ま わ れ わ 決 め た と し て も 、 そ れ が 現 実 に 日 本 の ど こ で あ る か 、 こ れ ま た 簡 単 に き め ら れ る 問 題 と も 見 え な い 。 、 れ は そ う し た 種 類 の 問 題 で わ れ わ れ の 問 題 が あ る こ と を 確 認 し て 、 そ れ ぞ れ そ の 専 門 の 分 野 に 立 ち 戻 り : : : 論 争 を や め る こ と こ そ が 必 要 な の で は あ る ま い か 」 と 、 「 邪 馬 臺 国 論 争 停 戦 の 提 案 」 を し て い る ( 「 邪 馬 臺 国 に つ い て 」 一 九 七 〇 年 ) 。 凡 例 一 、 戦 前 の 論 文 ・ 著 書 の 引 用 に あ た っ て は 、 原 文 ど お り 歴 史 的 仮 名 遣 い に 従 っ た が 、 促 音 の 「 つ ー は 、 小 書 き し て 「 つ 」 に 改 め た 。 ま た 、 漢 字 は 正 漢 字 か ら 新 漢 字 に 替 え た 。 句 読 点 は 、 読 み や す い よ う に 、 適 宜 ふ や し た り 改 め た と こ ろ が あ る 。 一 「 著 書 ・ 論 文 を 引 用 し た 方 々 の お 名 前 は 、 失 礼 な が ら 、 す べ て 敬 称 を 省 き 、 敬 語 も 略 さ せ て い た だ い た 。 ご 寛 恕 を お 願 い す る 。 三 、 と り わ け 、 佐 伯 有 清 編 「 邪 馬 台 国 基 本 論 文 集 』 全 三 巻 、 三 品 彰 英 編 『 邪 馬 台 国 研 究 総 覧 』 、 三 木 太 郎 編 著 「 邪 馬 台 国 研 究 事 典 』 、 安 本 美 典 著 「 邪 馬 台 国 ハ ン ド ・ フ ッ ク 』 に は 恩 恵 を こ う む っ た 。 記 し て 謝 意 を 表 し ま す 。 四 、 脱 稿 直 前 に な っ て 、 邪 馬 台 国 ・ 三 角 縁 神 獣 鏡 を テ ー マ と し た 展 覧 会 ・ 雑 誌 特 集 が 相 次 い だ 。 さ い わ い 、 そ の 成 果 も 参 照 で き た 。 は じ め に