はじめに 3 序章「実践する仏教」のパースペ名プ塚 「ナラテポー」は「エンジェル・マン」 智慧と慈悲のプラクティカルな総合 仏教を捉えるバースペクティブの混乱蚪 「正しい / 本当の仏教」にこだわるのは不毛 food fo 「 = fe ( 人生の糧 ) としての仏教 プラユキ仏教のポイント、手動瞑想とカウンセリング 「仏教とは『悟り』を目指すもの」というイメージをめぐる問題 「智慧」と「慈悲」と「自由」の関係ララユキ・チャート ) 町 第一章智慧の章” 「実相」の智慧と「実践」の慈悲 コーンフィールド氏のタイ・ミャンマー修行体験 ち・ん 43 40
タム・チット ( 心的実践 ) とタム・キット ( 作業的実践 ) 大量の蚊に刺されても動じない、ハ ードコアな瞑想の価値 複数の「悟り」が並立する現実 瞑想などの仏教の実践を行う際には「マッピング」が大切だめ 自分が何を求めているのかという「目的地」を明確にする 海外の「瞑想センター」の基礎知識 複数の教室と先生を訪ねてみる 瞑想をすれば人格が「よく」なるとは限らない 「正しくて完璧な瞑想法」は「全て」に対応できる ? 「いま・ここ」空間を見失わないためのチャルーン・サティ歹 なせチャルーン・サティは、「過度に集中させない」のか 瞑想していると出てくる記憶や感情をどう扱うか 「現実」の理解の違いが、瞑想の違いに表れる 物語に巻き込まれない視点を確保するための智慧四 瞑想することでかえって苦しむ「瞑想難民」問題 「出家主義の背景には何があるのか 「怒り」がどう生じるかを微細に観察する意味 8 無我を知るとは「 N 軸を立てる」こと皿
智慧を慈悲に繋けるには }—ー Q-C-D が必要 0 第二章慈悲の章 0 説き尽くされた「智慧」、いまだ完結していない「慈悲」 テーラワーダは「人生否定、来世志向および一 = 兀論的」 ? 「ネタ」でも「物語」でもない、「事実」としての輪廻転生 渇愛は滅尽させるべきものか、させなくていいのか 文化圏が異なれば、「何が慈悲か」も変わってくる 様々な社会運動に携わった、プラユキ学生時代 日本より貧しいのに、人々がイキイキしていたタイの農村 一時出家のつもりが永久出家に 目的は心の成長、開発支援はそのための方便 百匹の蚊にたかられても平気な「集中」を経験して気づいたこと スカトー寺で悩める人々を受け入れるようになるまで 「過度の集中」が身心のバランスを崩す主要因に ? 感覚に言葉でラベルを貼る、「ラベリング技法」の問題点
瞑想が「我の強化 , に繋がってしまうメカ一ズム犀 気づきも一つの現象である あらゆる現象を落ち着いて受け止める、受容力としての「定」 人格の解体・超越までも視野に入れたカウンセリング 他人の痛みまで伝わる「壁なき共感」 夢がわかると、心の特殊な経験の仕組みもわかる 「夢と仲良くなる」と心が楽になる 自我の壁を揺らがせ、場の市置を変容させる仏教カウンセリング 「あなたの力量次第だよ」 大切なのは、「共感しても巻き込まれない」こと 「正論」を = = ちて失敗する 「ビッグな心」を持ち、「スモールな心」も受容する 慈悲の瞑想は「エゴイスティック」 ? 知・情・意にはたらきかけ、慈悲の心を育てる 慈悲は現実の他者との関係性の中で鍛えられるもの
第三章自由の章阜 世間的な意味での「自由」とは ? 仏教的な「自由」は世間的な「自由」とどう違うのか 「思いどおりに振る舞うこと」が自由ではない哂 「空気を読むこと」が無我ではない 「瞑想すると上手くいく」のではない 仏教の一部だけを取り出した「マインドフルネス」への懸念 「戒」を守るとなぜ自由になるのか 智慧へと上って慈悲に下る、大切なのはこの循環 「状態と意味に対する微細な囚われ」が瞑想の罠 真と善を、美しく表現する個性こそが自由である 理想は「観音吾薩パフォーマンス」 物語と融合する「フュージョン」がもたらすもの 様々な状態に心をチュー一一ングする訓練 「瞑想する」とは「選択する」こと 「唯一の正しくて完璧な瞑想法」を想定してはいけない 瞑想に関する「誇大広告」の問題点
「宗教としての仏教」なら「選択の余地」はない 教条化された仏教からは、「対機説法」の柔軟性が失われる 「悟り」を目指す気はないが、ただ「語る」ことはしたい人々 「曖昧な概念のブラックボックス」として、「怡り」は便利に使われる 自分は責任をとらすに他人の足は引っ張る「あーららこらら文化」 「阿弥陀様に疑心を落としていただいた」時に起こったこと 「信仰」することで、「合理的」な思考能力は毀損されるのか 「方角がなけれは迷いもない」というのが智慧の核心 なぜ「仏教はヤバい」と = = 〕うのか 物語の世界で衆生と関わる慈悲こそが、「仏教」のはじまり 「サバイ」の仏教と「ヤバい」の仏教 らなくたって、いいじゃないか蚪 あとが、さ 図 版 作構 成成 美魚 25 。 創川
幻冬舎新書 435 悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 一一〇一六年十月三十日第一刷発行検印廃止 万一、落丁乱ーのある場合は送料小社負担でお取替致しま す。小社宛にお送り下さい。本書の一部あるいは全部を無断 で複写複製することは、法律で認められた場合を除き、著 著者フラユキ・ナラテポー十魚月祐司作権の侵害となります。定価はカバーに表一小してあります。 OPHRA YUKI NARADEVO, YUJI UOKAWA 発行人見城徹 ( 】 ENTOSHA 2016 Printed in Japan 編集人士ハ儀保博 IS B N978 ト 344 と 8436 ・ 3 C0295 ふー 発行所株式会社幻冬舎 〒一五一ー〇〇五一東京都渋谷区千駄ヶ谷四ー九ー七幻冬舎ホームページアドレス http:/、www.gentosha.co•jp、 * この本に関するご意見・ご感想をメールでお寄せいただく 電話〇三ー五四一一ー六二一一 ( 編集 ) 場合は、 comment@gentosha.co.jp まで 〇三ー五四一一ー六二二二 ( 営業 ) 振替〇〇一一一〇ー八ー七六七六四三 ブックデザイン鈴木成一デザイン室 印刷・製本所中央精版印刷株式会社 GE 、 I'OSHA