天皇の世紀 3

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108 し。ゆえに蒸気に次たる車には荷物を積み、その次に軽輩のもの、次に家司、下司など 乗りて、終の車におのれ等、はた謁見 ( 目見え ) 以上の下司まで乗りたり。」 。ハナマ地峡を大西洋沿岸まで出る植民地の列車である。当時の写真なども残っている が玩具のように小さくて粗末な旧時代のものである。 「一車凡そ長さ七間、幅九尺ばかりにて左右三尺おきに窓数々あり。硝子を用ゅ。堅に 道をあけて左右腰懸を仕付けて、横に四人ずつ並んで二十八人乗り、内廻り金銀のかな 物、織物などを掛けて、いと美麗なり。見送りとて男女あまた乗りたれば、めしろ ( 目 白 ) の枝におし合うにひとし。」。 「やがて蒸気も盛んになれば、今やはしり出んと、かねて目もくるめくように聞きしか ば、如何あらんと船とはかわりて案じけるうち、凄まじき車の音して走り出たり。直ち に人家をはなれて次第に早くなれば、車の轟音、雷の鳴りはためく如く、左右を見れば 三、四尺の間は、草木もしま ( 縞 ) のように見えて見とまらず。七、八間先を見れば、 はなし さのみ目のまわる程のことなく、馬の走りを乗るが如し。更に咄も聞えず殺風景のもの なり。一時 ( 我が半時 ) ばかり走りて家あり。休所と見えて車を止め此家に至れば。ハン に酒など与えて、しばし休らう。巴納麻 ( パナマ ) は季候極めてあしく、他邦の人は一 泊しても必ず煩うよしなれば、陸に揚がれば速に車にてアスヒンワル ( 地名 ) に達し直 ちに船に乗る事とす。しばし休らいて見るに暑さは甚しく如何にも湿地にして雨あがり に日影のてりそう如く、いと心地あしく速に走るは、もっともの事に思わる。送り来た

りし人々この所に残りければ、車のうち、くつろぎたり。」 悪性のマラリヤ、熱帯病が普段に流行する地帯なのである。 地峡の大西洋側のアス。ヒンワール港には、使節を迎えてワシントンに送るアメリカ軍 艦ローノック号 ( 三千四百噸 ) が待っていた。合衆国政府の待遇は到れり尽せりで、ロ ーノック号の司令官はペリー提督が最初に日本を訪五た時、乗船の艦長として来たひと で、日本人を知っていると云うので使節を迎える使命に当った。その他に、「ベルリに 次たるアーダムスはこの港の番船のカヒティン ( 船長 ) にて、この舶に来たり昔語りす るに我国の事は能く知りたるさまに誇り顔なるも、にくき人物なり。」 大洋に出て一週間後にキューバ島を見ながら北進する。途中、水夫が病死した者二名 を帆木綿にて遺骸をつつみ、水葬するのを見た。「足の方に弾丸をつけて船の上に出せ ば僧官来たりて経読むさま也。コモドール ( 司令 ) をはじめ士官まで一同出て送る様子 なるが、やがて胡楽を奏し船の左右より海に投じたり。アスヒンワルに久しく滞泊せる ゆえ病めるもの多しとて皆恐るるさま也。 ~. 第ラリヤその他の猛烈な風土病にかかる危 国険が、湿地の多いパナマ地峡には在る。「都て船中にてはかなく成るものは士官以上取 置きて何れの港にても土葬し、コモドールなど高官の人は硝子の器に入れて本国に送る 異ことにて、水夫等は水葬なるが普通の法なるよし。いとあわれなることどもなり。され

110 淡路守は、ここで疑問を抱く。 「水夫如きものにもコモドールまで出て送りしを見て、我国人はあやしみけるは、彼は 礼儀もなく上下の別もなく唯真実を表して治むる国なれば、かくせしことと見ゅ。」 めした 日本の武士は、連れ添った正妻の葬式にさえ列席しない。まして目下の家来や家僕の 死んだのを見送ることはしない。主従上下の区別、名分を正しくするからである。その 国から来て、病死した水夫の水葬に、国歌とまで知らないが洋楽を奏し、司令官以下が 敬礼して送るのを、理解出来なかった。淡路守が固守する礼儀とは何であろうか ? 閏三月二十日に、「北米利堅の合衆国紐育の入口サンテブックという所に碇を入れた り。はるばる万里の外の海路さわりなく着ける事のうれしくて誰も上陸を急ぎたる折し も水先案内のもの来たりて、日本使節この港より上りては都合あしければ直ちに華盛 頓に参るべきよし大統領の命なるよし告げ来たりければテーロル ( ポーハタン号以来付 添って来た士官 ) は上陸して蒸気車にて華盛頓に行きて迎船の用意するとて別れける。 船中一同本意なき事とて、そのまま碇泊す。」ワシントンと電信で打合せ中とかで待た されて、翌日出帆して、ハムトンルートへ向った。「江戸の海を開帆してこの海まで一 万二千九十九里半なるよし。凡そ万里の波濤といえるは、ことわざにのみ聞けるが、実 つつが 地を渉りて恙なく着きぬる事のうれしくて、 神と君の恵なりけりわたっ海の 万の波を渉り得し身は ワシント