湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

キーフレーズ

撮影 昭和 境川 町田市 藤沢市 引地川 神社 教育委員会 諏訪神社 指定 架設 遊行寺 平成 大和市 境橋 町田街道 重要文化財 江戸時代 境内 福田 公園 藤沢 入口 小栗判官 明治 下流 掲示板 相模原市 鎌倉 本堂 H1 鶴間 石川 白旗神社 八坂神社 相原 上流 神奈川県 大庭 日蓮 江の島 鵠沼 号橋 境川橋 引地橋 福田橋 鶴間橋 稲荷橋 御嶽橋 熊野橋 藤沢橋 大和橋 鹿島橋 東橋 神明橋 かけ橋 平成橋 小山橋 片瀬橋 相沢橋 奥田橋 目黒橋 鵠沼橋 住吉橋 金山橋 大正橋 常盤橋 俣野橋 大道橋 風戸橋 ひのき橋 川上橋 坂本橋 蓬莱橋 湘南台橋 中里橋 新緑橋 両国橋 相原橋 長後橋 共和橋 鶴瀬橋 石川橋 東西橋 馬場橋 川島橋 別れ橋 出合橋 西田橋 長寿橋 下森橋 谷口橋

目次ページ

高木イ喬 ( S49 年架設 ) 高木橋を町田市側に渡ったところに 定方寺公園という小さな公園がある。 下流を眺めると次の鶴間橋が見える。 鶴間橋 ( S49 年架設 ) 鶴間橋は目黒町町田線 ( 56 号線 ) が 通る幅広い橋で、交通量が多い。この 西に定方寺がある。 じようほうじ 西側から見た鶴間橋の下流側欄干 ( H11. 7.23 撮影 ) 南側から見た高木橋 ( H11. 7. 23 撮影 ) 定方寺公園 じようほうじ 高木橋の北町田市側に定方寺公園が ある。その東はずれに掲示板があり、 次頁に示す説明が書かれている。 この場所は定方寺開創時庵が建てら れた所である。 定方寺公園の一部 ( H11. 7.23 撮影 ) 定方寺 曹洞宗境國山定方寺。 鶴間橋の西にある禅寺である。 ( 次頁の記事参照 ) なお、現在の本堂は昭和 48 年落成、 位牌堂・庫裏・客殿は平成 7 年 5 月 完成したものである。 定方寺本堂 ( H11. 7.23 撮影 ) 79

町田市立定方寺公園 この関東地域には、今から約 2 万 5 千年ぐらい以前から私たちの祖先が住み始め ていたといわれています。近くにある「先 ( 無 ) 土器時代」の遺跡から発見され る石器に使われていた黒曜石は今の長野県和田峠、静岡県天城山から産出されて いたものでした。当時から物の交流があったわけです。この様な事から「道」が 出来ていったのでしよう。 4 世紀頃大和政権の勢力がこの地域に及ぶ以前から、 関東以北は蝦夷といわれ力強い部族が住んでいました。 3 世紀の後半「百済記」 しきまなかひ に出てくる「識麻那古比跪」 ( 千熊長彦 ) は相武の国の人で、大和政権の使者と して軍に従い、 3 度にわたり百済・新羅にむかったとあります。それ以降 6 世紀 頃の万葉集に出てくる防人の多くは東国の農民でした。 666 年 ( 天智 5 年 ) 戦禍を逃れてきた百済の人約 2 千人を東国に送り 3 年間官食 を与え農地の開発に当たらせました。また、 716 年 ( 霊亀 2 年 ) 東国に分散して いた高麗人 1799 人を武蔵国に移し高麗郡を設けました。このようにして技術 ( 灌 漑用水・古墳等の土木技術・窯業・鉄 ) を持った帰化人がこの地方に大きな技術・ 文化の発展をもたらしました。 [ 歴史と地名 ] 「高座郡」古くは高麗郡・高倉郡と書き「高倉は高麗人の邑号にて、武州新羅郡を新座 と言う如く、元は高麗ならん」とあります。また高座郡は韓国語の大きな倉の 意味があると言います。 「境川」古くは田倉川、高倉川と呼んでいました。その後武蔵・相模の国がはっきり分か れるようになってからこう呼ばれました。 「町屋」この公園の周辺町屋・公所には古くから石 ( 黒曜石 ) の道、大和につながる道 ( 矢 倉沢街道・古東海道 ) ・鎌倉道の他大山道など近世以降の参詣の道があり交通上 重要な位置になりました。町屋は 646 年 ( 大化改新の翌年 ) 馬による地方道の 整備を始めた時以来その中継地として呼ばれた地名です。 「公所」 ( 風土記久自与 ) 平安時代に国境または交通の要所に置かれ、公の役所のあった 所と言われ後には関所も兼ねました。 「金森・金目・秦野」先に述べた帰化人の氏名に関係がある地名。「高木」 ( 小字名 ) 江戸初期高木伊勢守が上・下鶴間の境に居城を持ち、この城主伊勢守の館のあ った所で、境川をはさみ杉山神社の鳥居正面に向いていたと言われています。 他にもこの付近には牢場・しようじんば ( 雨乞いの時精進潔斎した所 ) 等いろ いろな地名が残っています。 境国山定方寺 ( 曹洞宗 ) 。開基、慶長 15 年 ( 161 の。開山、竹峰了嬾大和尚 ( 町谷生 ) 。 創立当時は下鶴間字公所高木の境川流域にあったが、再三にわたり水害にあい、 元禄 3 年 ( 1690 ) 当山 3 世中興弧嶽泰益大和尚禅師の時に古道の T 字路にあたっ ている現在の地に移転しました。 1985 年 5 月吉日 ・文献町田の歴史をさぐる ( 町田市 ) 私たちの相模原 ( 市教育委員会 ) 80 大和地名考 ( 富沢美晴 ) 神奈川の歴史 ( 中丸和伯 )

八坂神社 鶴間橋から東に向かい最初の信号 を右折し南へ進むと左に八坂神社 がある。 熊野神社 八坂神社の入口 ( H11. 7.23 撮影 ) 八坂神社の南に熊野神社がある。 道路際に . 人口の大きな標識が立 っているので分かりやすい。 階段を上がると広い境内の中央 に本殿がある。 第 熊野神社の本殿 ( H11. 7.23 撮影 ) 物をい いざなみのみこと 熊野神社祭神 : 伊弉諾尊、伊弉册尊 当神社は和歌山県熊野にある本宮 ( 熊野坐神社 ) 新宮 ( 熊野速玉神社 ) 及び那智 ( 熊野那智神社 ) の熊野三山神社を勧請したものである。平安時代末期にはこの 3 所を合わせて熊野 ( 三所 ) 権現と称するようになった。この熊野三山信仰は 907 年 ( 延喜 7 年 ) には宇多法皇の御幸があったように、神霊の霊力により無病息災 家内安全が祈願され全国的に一世を風靡するに至った。従って当社の創立は詳ら かでないが、数百年前に勧請され社殿の内陣に天須美神の御神像が安置され奉斎 されていることにより知ることができる。当社の本殿墨書など現存する記録によ れば、大飢饉、大火疫病等の天変災害に御祭礼を行い、安全祈祷の数々が記され ているが、当社の歴史を銘するものとして次のように残されている。 享保 11 年 4 月本殿造立 明治 6 年 12 月村社に列す 明和 9 年 9 月社殿再建 昭和 10 年 11 月社殿再建 安永 6 年 8 月社殿再建 昭和 25 年 6 月国有境内地譲与せらる 嘉永 3 年 3 月社殿再建 昭和 46 年 4 月社殿新築 安政 5 年 11 月社殿再建 いざなぎのみこと 0 81