小説新潮 2016年12月号

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小さな打ち合わせテープルに着いた。。ハイプ椅子の位置を直 して、智次と向き合う。 圧迫感を覚えた。倭島と向かい合うと、いつもそうだ。が っちりした体つきのせいか、やぶにらみの目のせいか、突然 つかみかかってきそうな気がして、つい身構えてしまう。 しかし、外見とは裏腹に倭島は腰が低かった。若い事務員 ですら智次を軽く扱うのに、倭島はいつも智次に対して敬語 だ。気遣いの人でもあった。先日、新聞社に智次のコメント を断りなく流した際には、「事前に報告のメールを送ったが、 不達になっていた。確認不足だった」と言って、腰を六十度 の角度に折って平謝りだった。 わが 宮原や看護部長の和賀は、倭島が医療ビジネスを展開する 矢羽多商事の手先で、病院乗っ取りの先兵だと吹聴している が、智次にはそうは思えない。そもそも、倭島は亡くなった 兄の親友だった。兄が粉骨砕身して立て直しつつあったこの 病院を乗っ取るなんて、いくらなんでもあり得ない。 「で、話って ? 」 「その前に京都は、いかがでしたか ? 」 そういえば、「たまには古巣で気晴らしをしてきたらどう か」と勧めてくれたのも倭島だった。 「フレッド・べイカーと話せましたよ。前にいた研究室の連 中にも会ったけど、ま、そっちはオマケみたいなものだな」 倭島が驚いたように眉を上げる。 「ノーベル賞学者と直に話せるんですか ? 」 やはた 「わりと親しかったんだ。共同研究をしようかなんて話もあ ったし。今夜も、新宿で二人で食事をすることになってる」 倭島は、長いため息をついた。腕を組んで首を横に振る。 「もったいない。実にもったいない」 「何が ? 」 「智次先生が、です。この病院は、智次先生にはレベルが低 すぎる」 悪い気はしなかったが、裏がありそうな気もする。黙って いると、倭島は怒ったように続けた。 「理事長も理事長です。なぜ智次先生を呼び戻す必要があっ たのか」 「あの人は、いったん言い出したら聞かないから」 倭島は膝を乗り出した。瞬きをしない目で、智次をじっと 見る。 「研究の世界に戻ったらいかがですか ? 」 倭島にしては、心ない言葉だ。戻れるものなら、とっくに 戻っている。 実は、赴任後しばらくして宮原に泣きついた。宮原のほう が、次期院長にふさわしいと思ったからだ。承知してくれた ら、何が何でも父を説得するつもりだったのだが、宮原は即 座に断った。自分は職人であり、経営には興味もなければ、 意欲もないという。父からも既に打診を受け、固辞したそう命 「この話はお終いにしましよう。それより、本題は何 ? 」

「これが本題です。研究の世界に戻ってください」 「無理な話は、止めてくださいよ。後継者どころか、内科部 長だって他にいないんだから」 おじいちゃん先生は、部長は勘弁してくれと言っている。 倭島は不敵な笑みを浮かべた。 「替わりの内科部長を迎えるとしたら ? 」 「ヘッドハンティングなんて、そんなに簡単にいくものか」 「内々に打診し、了承を得ています」 意外な成り行きに、次の言葉が出てこなかった。倭島は、 テープルの上で両手を握り合わせ、低い声で続けた。 としまやすたか 都島康孝。名の通った都内の民間病院で内科の副部長を勤 めており、今年で四十五歳になるという。 「キャリア、人柄ともに、申し分ありません」 「なんでそんな人がウチなんかに来る気になったわけ ? っ ぶれそうなのを隠しているとか ? 」 「まさか」 都島は現在の勤め先で、部長に昇進する見通しがないのだ と倭島は言った。 「仮につぶれたとしても、部長の経験があれば、次も見つか りやすいだろうから、構わないそうです。それに、都島先生 の実家は、隣の川越市なんですよ。そろそろ親と一緒に住み たいとおっしやっていました」 「しかし、赤の他人を後継者として迎えるというのは : 親父が首を縦に振るはずがないし、宮原先生たちだって」 「後継者については、おいおい考えましよう。そう難しい話 ではありません。僕には様々な情報が入る」 自信たつぶりに言われ、思わずため息がもれた。 病院を継ぐのは、自分しかいないと思っていた。でも、倭 島はその必要はないという。 「自分の将来を大切にしてほしいんです。今のあなたを見た ら、亡くなったお兄さんも悲しむ。あいつはいつも言ってい ました。弟は自分とは出来が違うから、研究者として大成し てほしいって」 智次はそっと唾をのんだ。 兄がそんなふうに考えてくれていたとは知らなかった。 兄弟で腹を割って話した記憶はなかった。年が六つも離れ ており、性格は水と油である。そのうえ、智次は十八歳で家 を出て、めったに帰省もしなかった。 ロの中がカラカラだ。お茶を一口飲む。食道の途中でつつ かえたような気がして、もう一口飲む。 「そうは言っても、私の考えを押し付けるわけにはいきませ ん。智次先生にその気がなければ、この話はなかったことに します。どうしましよう」 「この話、親父には ? 」 「まだ伝えていません」 「分かった。僕から話してみよう。少し時間をもらえないだ ろうか」 倭島は首を横に振った。

「理事長には決まってから報告しましよう」 「でも、京阪大の教授にも相談したいし」 一一年もプランクがある人間はいらないと言われたらお終い だ。任期付き研究員のロがあるかどうか分からない。病院を 捨てるとしたら、父の援助を受けるなどもってのほかだっ ( 0 倭島は、智次の目をじっと覗き込んだ。圧迫感を覚えて、 身じろぎをする。それでも、倭島は目をそらさなかった。 「教授にダメだと言われたら、諦めるんですか ? その程度 の気持ちしかないのなら、最初からやめたほうがいい。そし て、ふざけるなと言いたい。研究への未練があって、今の仕 事に身が人らないのだと思っていました。気持ちは分かる。 それなら、いっそ、戻っていただこうと。しかし、その程度 の半端な気持ちなら、あなたは親の意向を言い訳にふてくさ れている、ただの怠け者だ」 叩きつけるように言われ、智次は唇をかみしめた。頬は熱 いのに、頭の芯は冷え冷えとしている。 倭島は視線をすっとはずした。 「あなたの人生です。ご自由になさい。ただし、後悔します 突き放されて、ようやく踏ん切りがついた。 倭島の言うとおりだ。またとないチャンスなのに弱気にな ってどうする。自分の人生を取り戻したければ、前に踏み出 すしかない。 「井野さん、胃の調子はどうですか ? まだ痛みますか ? 」 「痛いですねえ」 胡麻塩頭をひつつめ髪にした井野栄は、すぐに言葉を継い 「それより、聞いてくださいよ。ウチの嫁がね、トイレの掃 除をきちんとしないんですよ。まったく、最近の若いもん は、何を考えているんだか。若いって言っても、先生、もう 五十ですよ。戦国時代は人生五十年って言うじゃありません か。昔は、便所掃除をするといい子が生まれるとか言われて たから、頑張ったものだけどねえ。先生、どう思います か ? 」 スツールにちょこんと腰かけ、首をかしげる。 また始まったと思いながら、付き添いの息子のほうを見 る。彼は、智次と目を合わせようとしなかった。 「ね、先生。どう思います ? 」 痛みが増したのか、顔をゆがめながら言う。 「それより、痛みは引いていないんですね」 初診のときも胃炎にしては痛みがひどそうだったので、内 「倭島さん、話を進めてください」 頭を下げると、倭島はうなずいた。 「任せてください」 161 使命