長谷川伸全集〈第14巻〉

キーフレーズ

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きみ 「まッ て珍しからぬことだ。そもそも渡辺の祖は源の融の公より その日から荒神丸は、景季が新規抱えの召使いのかたち 出て上州箕田の源次が婿が頼光公四天王の随一人たる渡辺 きどう の源次綱とて、羅生門に鬼を斬ったるは世に名高い、鬼同で、じつは元のごとく源次番の家人と同じ日々を送った。 丸を斬ったも源次綱ーー羅生門の鬼めが綱の筋目の源次番 にも祟るとか、面白いことだ。妹よ、そちは幼くとも渡辺 梶原景時に源次預けらる が家の子だ、この小父どもの顔をよく見ておけ、この面 面、羅生門の鬼の孫曾孫だそうな」 と坐りこんで梃でも動かぬ面構えだ。こういう悶着をや義経が奥州高館で最期を遂げたのは、渡辺の里で源次の ったあとで、許されて妹を抱いて査問の庭に坐った源次は接待をうけてから足かけ五年の文治五年四月三十日とも二 梶原平三景時に預けられた。 十八日ともいう、そのころまで源次は斬られずに幽囚の永 い月日を梶原の屋敷に送っていた。 摂津の渡辺からはただ一人、荒神丸がついてはなれず、 査問のときも門前の松の陰に胡坐をかき、幾日でも野宿と 一日ずつに日ざしが強くなってきた頃の或る日、都大路 尻を据えた、梶原へ預けらるると聞いて、その日以来三日で、荒神丸が呼びとめられた。 つづけて梶原の門の外に坐りこみ、平三景時にも源太景季「おいおい、久しく見ずにいたが、そちは渡辺の番の家来 だったな」 にも身を足もとに投げて泣訴した。 「それがしは渡辺の源次の家人にござります、主人の先途と、いうは梶原源太景季、左手に花咲く菖蒲を二十本ば はるばる 見届けたく、遙々、ただ一人、下りました、お情けのほ かり大きな手でひと掴みに持っている。 「はツ。源太様でござりましたか」 ど、願い奉る」 どう芋よう ひざまず と、地に跪く荒神丸が足かけ四年前とおなじ童形なの 平三景時は三日とも三白眼でじろりと見ただけだった、 で、 番その子の源太景季は三日目に、にツと笑って、 「そちは、まだ童形か、なぜだ」 潦「そちの名は何というか」 澱「荒神丸と申しまする」 「はツ。主人が殺されもせず生かされもせずおりますゅ 「よし。これ荒神丸、源太が召抱えてやる、供の者のなかえ、家来のわたくしも、昔ながらの童形でおります」 「ふうン。番が曳き出され斬られたら元服するか」 レ。しれ」 つがう

「いえ、坊主になりまする」 ちそれに会釈をかえしていたが荒神丸のいうことに興味を 訂「主人の冥福を祈るとてか、ふうン。番が腹切ったらどう もって反問して以来、おおかたの通行のものの会釈を知ら する」 ずにいた。荒神丸は何を珍しげにお尋ねになるぞと、不審 「わたくしも腹切ります」 の色をいささか浮べて、 「万一、赦免になったら」 わたくし主人の申しまするに、二心はなけれど判 「御赦免のお噂がござりまするか」 官殿に接待したるは義理とふんどしは欠けぬからだと、か 「いや、そういう噂は聞いたことがない、、 カ万一、助かように申します。義理を欠いて首斬らるると、義理を欠か ったら、そちはどうするかと聞いてみただけのことだ」 なかったから、首斬らるると、どちらがよいか、申すまで 「考えたことがござりませぬ」 もない。いずれにしても渡辺の番は首斬らるるときまって 「ふうン、主人が御赦免を蒙ることもやと、考えたことが してその日がいっか半らぬ。おそらくは田 5 いだし給いてあ ないとい , つのか」 いっ斬れと仰せあった時に首斬らるるだろうゆえ、一日た 「ござりませぬ。主人は、とうてい、斬られましよう、主りとも首斬らるる用意欠きがたしと、かよう申されて、景 人も左様に申し、わたくしも左様に存じております」 季様お情けにて主人につき添いましたる四年前の三月二十 ひげそ 「そうか。そちが持っているそれは何だ」 日からけさまで、一日として髭剃らぬ日とてござりませ といし 「砥石にござります、四年前の三月二十日に当所で買いまぬ」 した物を、けさ、取り落して二ツに打破ってしまいました 「それで砥石が日々の用か」 さかもらんぐい てごわ ゆえ、日々の用ある砥石ゆえ、只今、買ってまいりまし「主人の髭は逆茂木乱杭、いやもう手強い髭でござりま す、一度で磨がねば紙すら切れませぬ」 「何だと、砥石が日々の用とは、・ と , つい、つことか」 「ふ、つン」 景季はそこを立去った。 四カ年間日ごとに死刑の用意を 鎌倉へ呼び下されたとき七歳だった妹のたまきは、義経 最期の年には十歳になって、やがて、来る春に咲くこの花 欠かさぬ源次 は、さだめし美しかろうと、固い莟のそのときも、兄にし 都大路だけに源太景季に会釈してゆく者が多い、いちい て親心の源次を楽しませた。

源次は妹の美しさ清々しさに嬉しく涙を湛え、掌のうち の宝珠を奪われてゆく心地もして哀しき涙も湛えた。その 十年間つづく源次の死仕度 日から十日も二十日も源次は遣る瀬のない寂しさに、骨細 る 1 刄がしきりにしこ。 荒神丸は二十八歳、黒々と髭が生え、顔のどこかしこが 文治は五カ年で終り建久と年号が改まって六年経った。 梶原の屋敷に幽囚の身となった渡辺の源次は、すでに足か悉く大人び、童形は最早似合わなくなったが、相変らず元 け十カ年を経たが、由比ケ浜へ曳き出されて首斬られる日のままの姿で、笑う奴は笑えと、都大路の華かな真只中で さえ、いささか怯げるところなく手を振って歩いた。 がいまだ来ず、忘れられたるがごとくそのままだった。日 ごと日ごと、朝とタと二度、髭剃ることは三千三百余日す建久八年二月二日。渡辺の源次がいつになく荒声高く、 「会おう、源太殿に会いたい」 こしも変らず、二度目の砥石が薙刀のように磨ぎ減った。 ひるごろ と、午刻から宵までほとんど絶え間なく呼わりくらし 妺のたまきは十六歳、鎌倉の女性を圧する美しさなが ら、兄につながる遠慮から街に出たことは一度もなかった 。源太景季がそれと知ったのは夜に入ってからだった。 ので、それを知っているものは、源次兄妹に心入れ浅から梅の香が暗い庭から匂ってくる源次番の押籠め部屋を訪れ た景季が、 ぬ源太景季とその召使いぐらいのものだった。 つがう その翌年の建久七年の秋。 「番、何を腹のヘッた鴉のように騒ぐ」 「おう源太殿か、待ちかねた」 梶原源太の媒酌で、源太景季の妹たまきとして、景季の 親友で姿うつくしく心猛き天野民部丞雅景が妻とした、そ「騒々しい、静かにせぬか。渡辺の番ともあるものがそう れは源次番の望むところでもあった。 騒いでは、羅生門鬼退治の先祖の君が、地下で苦笑いなさ るぞ」 美しとも美しい輿入りのその日のたまきが、 番「兄君、永々のご養育あり難く存じまする。天野が妻とな 「一刻を争うことだ。落着いてはいられぬ。源太殿、お志 源りましてたまきは、女一代、見事に過しまする」 はあり難いが迷惑だ」 と、別れを告げた。何どき由比ケ浜の砂に血を吸わせる「何のことだ」 「天野民部丞と源太殿が、それがしの首をつなぐとて、頼 昭か命定めなき兄なので、別れはただの嫁入り別れでなく、 朝に歎願し奉ると聞いた」 永劫の別れかも知れなかった。