るるぶポルトガル : リスボン ポルト シントラ オビドス コインブラ

キーフレーズ

ポルトガル MAP リスポン ポルト 日本 アズレージョ スペイン 大航海時代 世紀 Rua 徒歩 カテドラル ドウロ川 マヌエル サンタ・マリア 時間 -3 広場 ジョアン ワイン レストラン 場合 世界遺産 修道院 -2 -4 観光 ホルト ポルトガル人 -1 www トラム カフェ レコンキスタ ホルトガル ホテル バイシャ JTB 利用 Museu 教会 フアド バイロ・アルト テージョ川 アレンテージョ ムーア人 通り エヴォラ アルフアマ ポートワイン 中心部 Praqa ヴァスコ・ダ・ガマ 案内 ロシオ広場 ポルトガル語 Peixes リムジンバス ファロ 日曜 文化遺産 アフォンソ 礼拝堂 DATA 雰囲気 イベリア半島 ポルトガ From 航海 213 中心 歴史 できる 様式 ヨーロッパ 予約 人気 コメルシオ広場 フランス Main .com 大西洋 必要 料理 カスカイス 世界 ペドロ 展望台

目次ページ

= 8 世紀初め ~ お世紀中頃 ペドロとイネスの子、ドン・ジョアン ( ジョアン 1 世 ) が アルジェバロータの戦いでカスティーリヤを退ける 日イギリスとの攻守同盟条約 日ベストの大流行 カスティーリヤとの国境を決めた アルカニゼス条約締結 ディニス王がリスポン大学設立。 エストレモスなどに城を築く 日ディニス王がオビドスを王妃イサベルの直轄地にする 目サンショ 1 世がブラガンサの城を建設 日ローマ教皇がポルトガル王国を承認 日アルコバサの修道院着工 アフォンソ・エンリケス ( アンリ伯の子 ) が る ポルトガル王国建国。コインブラに首都設置 送 を 使 、統新都都 呼本来改遷遷 弥日伝の京京 ( ) 日アンリ伯がポルトを奪回 卑、教化城安 の廷仏大平平一 ) 目キリスト教がコインブラ入植 国朝 目キリスト教徒がポルト入植 代台和年年年 時馬大 8 5 0 4 0 コバドンガの戦い、アストウリアス王国成立 生邪【 3 4 1 9 頃 9 0 イスラム教徒のイベリア半島進入、西ゴート王国滅亡 ( 0 LO 紀 CV っ 世 前 元 紀 冒ローマ人によるイベリア半島支配 日フェニキア人のイベリア半島侵出 ポルトガルの出来事 日本の出来事 日本とのつながりが深いホルトガルは有史以前からの 歴史的遺産が残るその長い歴史のなかで、 ポルトガルが黄金期を築いた大航海時代の幕開けから ポルトガル王政の終焉までをクローズアップして紹介 世界の価値観を一新した 大航海時代の先駆け 1274 年・・・蒙古襲来 ( 文永の役 ) 1281 年・・・蒙古襲来 ( 弘安の役 ) 1192 年・・・源頼朝、 鎌倉幕府を開く 〃世紀〃世紀 紀元前 75 世紀 ~ 76 世紀中頃 工ンリケ航海王子の 世界進出から大航海時代の黄金期 1415 年、エンリケ航海王子の指揮のトルデシリャス条約 下、北アフリカの港町セウタ攻略を皮、世界航海に進出していた 切りに大航海時代が幕を開ける。工ンポルトガルとスペインの間 で領土の境界線を取り決 リケ航海王子の死後もジョアン 2 世のめた条約。東経 1 35 度から 指示で航路開拓はさらに活発になり、 西経 46 度までの東側をポ ルトガル勢力圏とした。 1488 年のバルトロメウ・ディアスの マヌエル様式・・マヌエ 喜望峰発見、 1498 年のウアスコ・ダ・ ル 1 世の時代に発達した建 ガマのインド航路開拓、 1500 年のカ 築・芸術様式。海草やロー ブラルのブラジル発見、 1519 年のマ プ、天球儀など、海や船に ゼランの世界一周と続いた。交易する関するモチーフを多用した 装飾が特徴。マヌエル様式 インドやブラジルから香辛料や金銀な と呼ばれるようになったの どの富を得て繁栄を極めた。 は 19 世紀に入ってから。 工ンリケ航海王子 1 〃 D 〃 ( 1394 ~ 1460 年 ) ポルトガル王ジョアン 1 世の第 5 子としてポルトに生まれる。ポルトガル の海外進出の先駆者であり最大の功労者。北アフリカのセウタ攻略に 参加し、帰国後はサグレス岬で航海者を育成した。 をマヌエル 1 世 第ヴァスコ・ダ・ガマ M / I “ 0 ゐ G 加 ( 1469 ~ 1521 年 ) ( 1469 年頃 ~ 1524 年 ) カブラル マゼラン ルみ。イん C な / ( 1468 年頃 ~ 1520 年 ) ( 1480 年頃 ~ 1521 年 ) ヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征を引き継ポルトガル生まれの航海者。ポルトガル いた航海者。キリスト騎士団のメンバーの東方遠征に数多く参加するが、モロッ でもあり、マヌエル 1 世の顧問官としてコ遠征でのムーア人との取引が王の不 も仕えた。 1500 年、インド遠征の途中で審を買いスペインに亡命。その後、史上 & ブラジルに漂着したことで知られる。 初の世界一周航海を成し遂けた。 丘の頂上に立つ コインブラ大学 ( → P62 ) レコンキスタと ポルトガル建国 711 年、北アフリカからイスラム・アラブ勢力 中世王国の確立と のムーア人がイベリア半島に侵入し、約 6 世 紀にわたる支配が始まる。キリスト教に寛容 アヴィス朝の成立 だったことで政治的には安定したが、キリス 1249 年、アフォンソ 3 世が南部の街ファ ト教徒を中心にイスラム勢力に反発するレコ ンキスタが 718 年から始まる。この戦いには ロとシルヴェスを征服し、ポルトガル全土 のレコンキスタを終了させると、生産およ テンプル騎士団なども参加。ポルトガルの基 び外国との交易を中心とした経済へ移行 礎を創ったドン・エンリケ ( アンリ伯。のちのホ する。そして、中世ポルトガルはディニス ルトウカレ伯爵 ) はドウロ川以北とテージョ川 王の治世期に最盛期を迎える。王権の強 以南を奪回。その息子アフォンソ・エンリケス 化に努め、 1290 年にはコインブラ大学 はさらにレコンキスタを進め、 1143 アルコバサの の前身となるリスポン大学を創設した。ま 年にポルトガル王国を建国した。 サンタ・マリア 修道院 ( → P56 ) た、ディニス王の時代には農業も発達し、 レコンキスタ・キリスト教徒を中心 に、 71 1 ~ 1249 年の長期間にわたりイ 都市と農村部の間でワインやオリーブオ ペリア半島を支配してきたイスラム教 イルなどの取引が盛んになる。 勢力を追放するための戦い。日本語で は国土回復運動と呼ばれる。 テンカレ騎士団・・修道生活と騎士 人物列伝 道が一体化した騎士修道会。第一次十「 ディニス王 D なム 1261 ~ 1325 年 ) 字軍遠征のときに創設された。レコンキ スタで活躍し、その功績に対してアフォンソ 1 世から 第 6 代ポルトガル王。王権の強化を積極的に進め、中 土地を譲り受け、堅牢な城塞を築いてその地をトマ 央集権化を推進する目的でローマ法を導入した。ま ールと名付けた。 1 3 世紀末、フランスの国王フィリッ た、その専門家を育成する学校を 1290 年にリスポン プ 4 世の陰謀によって解散に追し、込まれた。 に創設。これがのちのコインブラ大学となった。 一 % ' 人物列伝 アフォンソ・エンリケス / 郷 0 〃″ィ 5 ( 1109 ~ 1 185 年 ) ポルトガル王国を建国した初代ポルトガル王。 1 179 年にローむ マ教皇カら正式に王国の承認を得る。権力の基盤を強化する ため、アルコバサに修道院を建設し、レコンキスタを進めた。 お世紀後半 ~ 74 世紀後半 0 0 00 9 こ ポルトガル、 リスポンの発見の モニュメント ( → P35 )

: ・ . ←ポルトガル ! スペイン→ バルトロメウ・ディアス ( 108 ~ 年 ) 、、ヤ , 第一 ヴァスコ・ダ・ガマ ( 1497 ~ 99 年 ) カプラル ( 1500 ~ 02 年 ) 改改 フランス軍のポルトガル侵入、 保政 王家はブラジルへ避難 享寛 年年 LO CO 4 0 開止 ~ ~ を禁 府航 77 日マフラの修道院着工 幕来 で施 戸の 約ワ実 渡ンレけた 康乱加 家のト を工が下し 徳島ポ メポ イの税 年年年 ( 0 「 / 0 ) ワ年関急 0 ( 0 CO ・ト・ 3 ). のは 一間ギ入出 ポ 1 イ輸輸 日ポルトガル最初の民法、アフォンソ法典発布 エンリケ航海王子、サグレスに航海学校を設立 ドン・ドウアルテ王没、アルフォンソ 5 世が 6 歳で即位 滅一 6 府統図 鎌南 ジョアン 1 世の庶子、ドン・アフォンソが ギマランイスにブラガンサ公爵館を着工 年年 ( 0 つ」 ( 0 ( 0 1543 年・・・種子島にポルトガル人漂着。 鉄砲伝来 ・ 1549 年・・・フランシスコ・ザビエル来航 ・ 1582 年・・・天正遣欧少年使節団訪欧 1600 年・・・関ヶ原の戦い 181 ー住・ ー 8 ー 0 年・ 1809 ・ ー 808 生・ 1807 生・ ー 755 生・ ー 750 ←ヰ一 1747 年・ ー 704 年 ー 703 年・ 1697 生・ ー 684 年 1668 年・ ー 642 生 - - 1640 年 ー 637 生、 ー 584. 年 ー 582 年・ ー 580 生・ 1572 生・ ー 569 ~ 平■ 1557. 年 1553 生・ 1537 生・ ー 536 生・ - = 新 1530 住・ ー 52 ー住・ 15 ー 9 住・ ー 512 生・ ー 506 ・ 1502 住・ ー 500 年・ 1498 生・ ー 494 年 ー 491 年 ー 439 生・ 1438 生・ ー 434 年・ ー 427 年 1425. 年 ー 415 ・ ー 401 住・ ー 394 生・ ー 388 。圧・ 76 世紀後半 ~ 78 世紀 ポルトガル文学界に カモンエス現る ロカ岬に刻まれた「ここに地終わり、海始ま る」の名句で知られるポルトガル史上最大の 詩人、カモンエス ( 1524 ~ 1580 年 ) 。世界 の海へ乗り出した華やか大航海時代に大叙 事詩「ウス・ルジアダス ( ルシタニアの人び と ) 」を発表するなど、多くの作品を残した。 ま叮 M ー A ←スペイン ! ポルトガル→ ←トルデシリャズ条約 によるポ事ガル、 スペインの境界線 G R E 、 L A 、 D .4 : 、 E U R 0 P E ヴェをデ岬 R ー CA マリンアイ バサ ! モザノビク ト . ・マファーラ 望峰 / 、 : = をトルデシリャス条約 気によるポルトガル・ スペインの境界線 、 . ラッカン、・、 →インド洋 AUSTRALIA ポルの スペイン 秀ルノ的い大西洋物 个 M E R み , 当 ポートセグユ ' ~ 。斗二 - リオ・ヤネイロ - = , フ・ 太平洋 マゼラン海峡 大航海時代の航路開拓の軌跡 スペイン支配域 ( ) ポルトガル支配域 (specl 飜

1543 年、種子島に 2 人の ポルトガル人が漂着して以来、 両国の歴史的交流が始まって 約 470 年が経つ。日本とポルトガが 友好関係を築くまでの歴史や、 ポルトガル人によって もたらされた習慣や言葉などを リスポンの国立古美術館収蔵「南蛮屏 紐解いてみよう。 風南蛮人 ( ポルトガル人やスペイン人 ) が日本に入港したときの様子などを描いた ポルトガル船の来航から屏風。 16 世紀末から 17 世紀の安土桃山時 代に狩野派の画家たちによって描かれた 鎖国体制の成立 ポルトガル人との貿易は南蛮貿易と呼はれ、彼らにより鉄砲や火薬、 中国の生糸などが輸入され、日本からは銀や刀などが輸出された。 南蛮貿易は政治面たけではなく、言葉や食べ物といった日本の文化 や暮らしにも影響を与え、現在に伝わるものも多い。サピエルのキリ スト教布教活動が始まると、改宗したキリシタン大名は 1582 年に ローマ教皇に 4 人の少年使節を送る。両国の関係は友好的たったが、 1639 年のポルトガル船来航禁止令により南蛮貿易は中断した。 交流が再開された幕末と日葡友好の先駆者 1853 年、ペリーの浦賀来航を機に、再び日本と諸外国との交易が 開始される。この年、リスポンで生まれたウェンセスラウ・デ・モラエ スは 1899 年に在神戸ポルトガル領事として着任し、 1929 年に亡 くなるまでその生涯を日本で過こした。公務の傍ら、新聞「ポルト商 報」で日本のことをポルトガルに紹介する執筆活動に力を注いた。 「日本精神Ⅱ茶の湯」など、モラエスの著書はポルトガル人が日本を 知り、親近感をもつうえで大きな役割を果たした。 キリスト教 靴下 日本とポルトガルの交流史、 1904 年・日露戦争 1964 年・・東京オリンピック開催 ・ 1923 年・関東大震災 1853 年・・・浦賀にペリー 来航 ・ 1941 年・太平洋戦争勃発 ・ 1972 年・・沖縄返還 ・ 1868 年・・・明治維新 1945 年・・汰平洋戦争終結 1995 年・・阪神・淡路大震災 1894 年・・日清戦争 ー 999. 年 1998 住・ ー 992 年・ ー 989 生・ 1986 生・ 1970 年 1960 年・ 1942 年 1940 伍・ 1926 生・ 1917 年 19 ー 6 生・ , をつ ~ 19 ー 0 年 1889 ←平 ー 886 生・ 1875 、年 ー 860. 年 1856 生・ ー 832534 生・ 1829 住・ ご紀 1822 年 18 ー 4 年 日反英国革命 ( 自由主義革命 ) 、立憲王政の開始 メリャスで編んた伸縮性の ! 1543 年、種子島に漂着し 1549 年、鹿児島に到着し た 2 人のポルトガル人に たサビエルをはじめとする ある靴下は、着物文化で足 よって伝えられた鉄砲。当 宣教師によって広められ 袋しか知らない日本人には 時の鉄砲は長さ約 70cm 、 た。鹿児島、平戸、山口、京 画期的たった。当時、靴下 射程距離は約 100m だっ 都、豊後 ( 大分 ) などで布 はメリャスと呼ばれ漢字で たといわれている。 教活動が行われた。 「莫大小」と書いた。 南蛮文化エトセトラ ポルトカルからや 0 て来た、 鉄砲 76 世紀後半 ~ 78 世紀 大砲 ガラス スペインからの 再独立後 植民地経営で発展 ナポレオン戦争から 大航海時代の栄華は長くは続かす、 国の勢力は次第に弱まる。 1578 王政の終焉へ 年、セバスティアン王がモロッコで亡 くなると、スペイン・ハプスプルク家 1807 年のナポレオン軍侵入によ の支配が再び始まった。約 60 年間 って、ポルトガルは再ひ混乱期を迎 スペイン統治が続くが、 1640 年に える。 3 度にわたるフランス軍の侵 ジョアン 3 世がスペインからの独立 攻を受けジョアン 6 世をはじめとす を果たし、ブラガンサ朝を る王家一族は当時の植民地ブラジ 興す。植民地のブラジルで ルに逃亡。その後イギリス軍がポル 大量の金が発見され財政 トガルを支配するが、これに反発す ”が潤い、政治的にも安定し る自由主義革命が 1820 年に勃発 た時代を迎える。この頃タ する。翌年には臨時政府がリスポン ーリヤ・ドウラーダと呼ばれ に樹立され、逃亡していたジョアン ーる装飾芸術が生まれた。 6 世が帰国。ジョアン 6 世の死後は ポルトの 内乱状態が続き、 1910 年の共和 サン・フランシスコ教会 ( → P71 ) 制成立により王政は終焉した。 ターリヤ・ドウラーダ・・木の彫刻にドゥ ・ラーダ ( = 金 ) を塗り込めたポルトガル独 ・人物列伝 ′特のターリャ ( = 木 ) 細工のこと。 16 世紀 ジョアン 6 世 に教会の祭壇や天井、内陣などに用いら Ⅵ ( 1767 ~ 1826 年 ) れ、ポルトのサン・フランシスコ教会など が有名。金はプラジルから運はれたもの。 フランス軍の侵攻により、プラジルへ逃亡した 王。フランス軍撤退後も帰国せす、植民地ブラ ジルの独立を許可した。国内では三権分立を 人物列伝 確立し、絶対王政から立憲王政の成立に努め、 ジョアン 4 世 国政の面では手腕を振るった。 洫Ⅳ ( 1604 ~ 1656 年 ) スペインに支配されていたポルトガルを再独 立させたプラガンサ朝の初代国王。再興王と も呼ばれた。プラジルの植民地経営に力を入 れ、金やダイヤモンドの輸出で成功したこと で、ポルトガルを復興の途に導いた。 南蛮船より伝わりバコ 1 6 世紀、ポルトガルでビー 鉄砲の伝来から遅れること をのむ " 欧州の風習も一緒 ドロと呼ばれるガラスが製 1576 年、ポルトガル人か に伝わった。当時かぶき者 造技術とともに長崎に伝来 らキリシタン大名の大友宗 と呼ばれた派手・異国好き した。現在では長崎の伝統 麟に日本で初めて大砲が の人々が徒党を組む際の 工芸品、吹きガラスのこと 送られた。その大砲は臼杵 象徴でもあった。 を指すのが一般的。 城の警備に使用された。 : おんぷ・・・ ombro = オンプロ ポルトガル語源の 三ポルトガル語では「肩、カ、強さ」などを意 日本語 : 味する言葉。 カッパ・・・ capa = カバ : カステラ・・・ castelo = カステロ ポルトガルでは外套、マントの意。ポルトガ・長崎銘菓のカステラ。ポルトガル語で城を ル人が着ていた外套を真似て作られた。 指す castelo が語源とされる。 三コップ・・・ copo = コボ かるた・・・ carta = カルタ ポルトガルでもトランプをカルタと呼ぶ。 ・日本と同じで、ポルトガルでもコップのこ Card の語源になったといわれる。 : と。ガラスとともに日本に伝わった。 コンペイトウ・・・ confeito = コンフェイト三しやほん・・・ sab 目 0 = サバオ 砂糖菓子のことを指すコンフェイト = 石けんのこと。持ち込まれた当時は日本で confeito がのちにコンベトーに転じた。 三は貴重品で香りを楽しんたりした。 じようろ・蔔 ar 「 0 = ショッロ 三テンプラ・・・ tempero = テンペロ ポルトガルでは取っ手の付いた水差しのこ 調理や調味料を意味する。日本で天ぶらを とを ja 「「 0 と呼ぶ。 ・食べるようになったのは江戸時代から。 バッテラ・・・ bateira = バテイラ ・ p 目 0 = バオン 小舟の意。日本も江戸時代まで同じ意味で . 南蛮貿易時代に鉄砲といっしょに、ポルト 使われた。現在は押し寿司を指す。 ・ガル人から製法が伝わった。 ビンキリ・・・ pinta = ピンタ / cruz = クルス三ボタン・・・ bo ね 0 = ボタオ ビンは「 1 」、キリはキリストを表す c 「 uz が・洋装化が進んた明治時代にポルトガルか 訛ったもので「 10 」のこと。 : ら伝わったといわれる。 日本語源のポルトガル語 日本からポルトガルへ直接伝わった言葉もある。それ が「坊主 = bonzo 」と「屏風 = biom bo 」。特に「 bonzo 」 は「仏教の僧侶」の意で伝わったが、時を経て「偽善者」 という第 2 の意味が加わるようになった。 79 世紀 ポルトカ